青葉堯の 今更、技術者を取り巻く、職業、倫理、会社、公益法人、公共性、等々に関する、常識をしつこく語るコーナー
エンジニアは個人の制約を受ける(2009-10-17)
アメリカ合衆国には、エンジニア称号の規制(法律)がありますが、日本にはありません。
そこで、日本では言葉の混乱もおきています。
例えば法人と個人の混同です。
株式会社は、株主兼役員1人で作れます。
技術コンサルタントは1人でも法人のことが多いのですが、コンサルティングエンジニアは必ず個人です。
エンジニアは、勤務者、経営者、自営者などに関係なく、エンジニア(個人)の制約を受けます。
コンサルタント(法人)には個人の制約はありません。
プロフェッション(エンジニアなど)は、正当な報酬は得るが金儲けはしないという個人の制約があります。
株式会社は利益が目的です。法人と個人を混同してはならない理由がここにもあります。
エンジニア(個人)の制約の第一は、公序良俗です。
ただし、公序良俗は地域(国家)の歴史と伝統によってかなり異なりますから、日本で外国の(あるいは外国で日本の)それを論じても、適切でないことがあります。
メカニカルエンジニアリングの原点(2009-6-27)
交詢社と同じブロック(銀座6丁目8番地)のみゆき通りとすずらん通りの角に「ロンドンからくり博物館」があります。
「CABARET MACHANICAL THEATRE」の看板が出ています。
この非常に小さな博物館は、「メカニカルエンジニアリングの原点」として、世界に紹介されたもので、これが面白くない人はエンジニアの素質がないと言われる位の評判でした。
ロンドンのダウンタウンの中心、コベントガーデンにありました。
ここには個人の手作りアートショップや地下鉄博物館もあります。
何度もわざわざ見に行きました。しかし、いつのまにかなくなり、イギリスのものづくり衰退を示すように思いました。
今となっては、この博物館も「ものづくり日本」に引っ越して当然です。入場無料です。
からくりを動かすには1台50円かかりますから、何人かで行くのが良いでしょう。
技術士の名称を使えば、技術士の制約を受け、協同組合の名称を使えば、協同組合の制約を受ける。(2009-6-10)
2009年5月30日に開催された技術士協同組合総会議題の説明に次の趣旨を述べました。
1.技術士の名称を使えば、技術士の制約を受けるという大原則があります。
先の戦争の焼け野原で、技術士資格を創設した先輩は、「国家の方針より個人の倫理を優先する誇り高いエンジニアが日本にいれば、戦争は防げたはずだ」と語り合った、と伝えられています。「昔、技術士がいれば戦争は防げた。今、技術士がいるから戦争は防げる」と主張した、日本国技術士倫理の極めて重大な背景を認識しなければなりません。
なお、ここは、独立自営の技術士、つまり、もともと他人に指図されるのが大嫌いな人の集まりです。従って、ここに集まっても、会社のようにはできません。
2.協同組合の名称を使えば、協同組合の制約を受けるという大原則があります。
協同組合は、資本主義や共産主義よりも古く、その伝統によって、各国で、資本主義にも共産主義にもない特別待遇を受けています。これは、真に自由な独立者で活動した実績によるものです。各国の協同組合は、徹底して「組合を利用する人」のためと主張しています。「他人に指図されることなく」、自分が主体性を持って利用することができる特別のシステムなのです。
3.技術士協同組合では、創立以来一貫して、協同組合の趣旨を厳守し、「組合を利用する人のために」、健全な組合名義を維持してきました。
技術士協同組合は、独立自営の技術士の大原則「指図しない」「指図されない」を堅持し、創立以来「事務所がない」ことを特徴にしています。その結果、予算規模は極めて小さく、その金額ではだれにも利得はなく、経理も簡単です。
ホームページで活動を広報しています。これを「組合の活動」(事業報告・事業計画)として文部科学省に届け出ていますが、ご覧になれば一目瞭然、「組合員の活動」です。
事業協同組合では、組合員は独立事業者と決められています。「独立自営の事業者である各組合員の活動」と言えばより明確です。
技術士の団体活動は次世代の育成が重要(子供達への活動も必要) 2009-1-24
35年以上前、私が青年委員会(当時は青年技術士懇談会で40歳以下)の頃、技術士制度を創設した大先輩たちが活躍していた。その話によると、技術士を民間資格でスタートしたときは、資格を取る人は、必ず「仕事をするため」で、優れた仕事の結果、技術士全体の評価は高くなるはずである。そのつもりで、次世代の育成をしてきた。しかし、後に、国家資格にして、権威ある資格だとアピールしたところ、「自慢することを目的とする」者が乱入するようになったと言う。
普通の人間は、自慢などしたくてもできない。ある程度の事情、基礎的な知識がなければ、専門業界に立ち入ることができない。これができて自慢できるのは「コンサルテング」だけである。テングは人智を超えている。何でもわかってしまう。実際殆ど解決できるが、知識がなければ現実には失敗だ。コンサルテングは次世代の育成にならない。
今の青年委員会の活動を聞いていると、次の世代(子供達)を考えて行動していることに驚く。昔は、子供達に技術士をわかってもらう活動など考えてもみなかった。
専門的・職業的立場には制約もある(2008-11-17)
最近話題の自衛隊員発言についての論評に、興味深いものがありました。
自衛隊員は、専門的・職業的な立場なので、壮士のような発言はしないはずだという論評です。
専門的・職業的な立場とは何か。我々は、まさにその立場を基盤にしています。
この立場は、特別な能力を認められますが、その能力が高ければ高いほど、制約も大きくなるということです。
能力の高い者が万能であるというわけにはいかないのです。
それが社会の成り立ちです。
ただし、その状況は国によって異なります。
PEについての補足一言(2008-10-19)
米国PEは、PEを雇用者(自営者)と非雇用者に分類する論議をしていません。
PEという1つの階級を主張していますから、PE内部の階級対立はありえないのです。
PEについての重要な解説(2008-10-14)
1.各国の法律問題
技術士やPEの名称を、名刺に書く程度の話で議論する人がいますが、その姿勢が、資格の存在意義を根底から揺るがすのです。
以下の議論で、名刺に書く程度の話では、資格を使ったわけではないので、多分、処罰されることはないと思います。
まず、法律の問題を整理しておきます。
国際的な取り決めをしても、国家の法律に定めなければ、国民に適用されません。
技術士法に「技術士でない者は,技術士又はこれに類似する名称を使用してはならない」とあります。
技術士でないPE(例えば米国PE)が、「PEは技術士である」として技術士の名称を使用すると、厳罰に処せられます。
「技術士はPEである」と言っても、PEは、技術士または類似する名称では決してないので、技術士でない者がPEと言っても処罰されません。
一方、米国では、各州の法律に「PEでない者は、PEの名称を使用してはならない」と定められています。
日本で「技術士はPEである」と言っても、米国には技術士はPEであるという法律は全くなく、米国で米国PEでない者がPEの名称を使用すると厳罰に処せられます。
2.米国PEの歴史問題
米国PEは、州ごとに設けているエンジニア資格で、「公共の安全・健康・福祉に奉仕する」ために、責任のある立場でエンジニアとして活動する者に要求される資格です
。
1907年、ワイオミング州で土地所有に関する地図、図面の作成について、不正確さや意図的な歪曲によるトラブルが発生したため、エンジニアとランドサーベイヤーの登録を義務づける州の法律が制定されたのが最初です。
しかしながら、公共の安全に関係する技術が、シビル関係であったという歴史から、現在でも、PEの登録が必要な技術業務は、事実上シビル関係に限られています。
米国PEの団体は、「公共の安全」は全ての技術業務に適用されるべきだとの主張から、シビル関係以外のものは、「適用外」にしているだけだと言っています。
これがインダストリアルエクゼンプションです。
ただし、米国市民の考え方が昔とは違ってきています。
昔だから法律で規制できたのですが、今の時代では、新たな規制を設けることに市民の支持が得られません。
米国PEの業務独占は、拡大することはないだろうと思います。
しかし、業務独占はなくても、その伝統から、高い評価は維持できると思います。
3.外国での階級差別問題
日本では、階級差別をしようとした形跡はありますが、定着しませんでした。外国では社会に深く根付いています。
米国PE資格を取得することは、業務独占がなくても、上位の階級を得られて、米国では非常に有利です。従って受験者は多数です。
ただし、受験するには学士(工学)の資格が必要であるなど、学校教育が重視されていますので、学校に行けること自体が階級です。
日本技術士に職業を聞くと、所属する会社名と役職名を言います(独立自営者も社長と言う)。
米国PEに職業を聞くと、エンジニアと言います。エンジニアは技術者では上位の階級だからです。
会社に勤務していても(いなくても)、職業はエンジニアです。
米国PEは、独立自営者でも会社勤務者でも、エンジニア階級だということの方が個人にとって重要なのです(所属する会社名や役職名は比較的重要でない)。
この感覚は、階級差別のない日本では理解困難です。
資格の名前(2008-10-12)
技術経営責任者と技術監査人の事例で説明するとわかりやすいと思います。
これらは、新たに創作した言葉ですから、現時点では商標登録していなくても、言葉の意味について、曖昧な解釈をさせない姿勢が必要だと思います。
そこで、言葉の定義だけではなく、その解釈について、できるだけ詳しく説明した文書を用意しておく必要があります。
ここで重要なことは、現在の日本の公序良俗に合った説明でなければならないことです。
外国語辞書を根拠にした説明は、多くの場合、かえって混乱を招きます。
国際化の議論が盛んですが、国際化を独立国に強制することはできないという世界の現実があります。
強制できるのは軍事力しかないことを歴史が証明しています。
外国の言葉や制度が日本で使われたとしても、公序良俗に適合しなければ、事実上ないのと同じです。これが国家というものです。
ところで、技術士は、その当時は、新たに創作した言葉だったのです。
しかしながら、50年以上の歴史の中で、技術士同士の些末な対立(世間から見れば)から、創作時にはなかった「ただの技術者」という概念ができています。
ここは、少数派であっても、創作時の状況を取り戻す者がいなければなりません。
日本は殆どが中小企業(補足その2)(2008-9-9)
「日本では中小企業が大企業より技術が弱いなどということは決してない」。
ここでは「立場」を理解することがポイントです。
例えば、自動車メーカーと下請け工場は、立場の違いであって、会社の大小や技術力の高低の違いではありません。
プロフェッショナルとアマチュア、1人と集団も同様です。
例外はあります。
日本は殆どが中小企業(補足)(2008-9-5)
一言補足します。中小企業は技術が弱いといか、人材が行かないというのは昔のイメージです。
一部有名大学の卒業生は大企業に行きますが、卒業生全体からみれば僅かです。
日本は殆どが中小企業(サラリーマン物語は夢の世界)(2008-9-3)
まず、下記をご理解下さい。
日本の実情について、外国人に詳しく説明していないことが3つあります。
その第一は、日本の会社は、殆どが中小企業ということです。中小企業が大企業より技術が弱いなどということは決してありません。
その第二は、殆どの中小企業は、家族を中心に作られていることです。
その第三は、殆どの中小企業は、継続的に仕事をし、技術・技能を継続向上させていることです。
次に、あらためて説明することがあります。
日本では、中小企業に働く者が殆どで、大企業に働く者は例外と言えます。
しかし、サラリーマン物語のドラマは大企業が舞台です。サラリーマン心得の本も大企業がモデルです。
中小企業は多種多様で、共通の話題がつくりにくいからです。
例えば、ドラマでは、経営者と従業員は緊張関係にありますが、日本の殆どの中小企業では、経営者も従業員も同じ人かその家族ですから、緊張関係になりようがありません。
視聴者は、ドラマは夢の世界と承知しています。ドラマの内容を議論する必要はありません。
公益法人の制度改正(2008-8-18)
平成20年12月1日公益法人制度が変わります。
現在の公益法人は、平成25年12月1日までに公益性の認定を得ます(得られなければ原則解散)。
制度改正のポイントは、法人の設立と公益性の認定を完全分離したことです。
法人の設立は自由(登記だけ)になり、設立後の法人が(必要あれば)公益性の認定を申請します。
公益性が認定されると、税務上は都道府県市町村と同じ扱いになり、公益事業だけでなく寄付も無税になります。
一方、公益性が認定されなければ、税務上は株式会社と同じ扱いになり、全ての事業が有税になります。
社団法人日本技術士会は、平成21年3月に定款の改正を行い、公益性認定に備える模様です。
社団法人日本工業技術振興協会は、平成22年3月に経理規程の整備を行い、公益性認定に備える模様です。
公益性認定では、公益の解釈が厳格です。
例えば、日本技術士会が行っている事業では、技術士試験や日韓技術士会議などは公益になりますが、監査のプロジェクトチームなどは公益にならないはずです。
今回の制度改正は、他の団体例えば協同組合にも影響を及ぼします。
協同組合は、資本主義や共産主義よりも古く、各国で、資本主義にも共産主義にもない特別待遇を受けています。
真に自由な独立者で活動した実績(自由な独立者に命令することはできない)によるものです。
公益法人や協同組合で利益を追求してもよいではないかという議論がありましたが、今回の制度改革で、その議論は事実上なくなりました。つまり、利益を追求するなら、他の方法を選択するしかないからです。
もう少し詳しく言うと、新制度では、法人の設立は自由ですから、利益を追求して差し支えありませんが、「公益法人でない」ことだけは明確になります。
つまり、公益の解釈が、税務上の扱いのために、非常に厳格になったということです。ちなみに外国では公益の解釈はもともと厳格です。
会社に所属していた人が、会社の代わりに、日本技術士会や技術士協同組合に所属すること、あるいは、仕事を期待するむきがありましたが、公益の解釈の厳格化で、事実上不可能になります。
NPOについて補足します。税金の減免が原則ないために、ここでは公益の解釈は厳格でなく、上記制度改正の後も、比較的自由に活動できる(組織で命令することもできる)ので、今後とも活用すべきです。
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1.会社に所属していた人が、会社の代わりに、日本技術士会や技術士協同組合に所属すること、あるいは、仕事を期待するむきがありましたが、公益の解釈の厳格化で、事実上不可能になります。とありますが、会社に所属しながら日本技術士会などでアルバイトをしてはならないということですか。
回答 従来は、本人と会社の間で問題になることはあるかもしれませんが、公益法人側では全く問題になりませんでした。
しかし、これからは、本人と会社の問題とは無関係に、公益法人側での問題になります。つまり、公益の解釈が厳格にされることにより、公益と認められた事業(技術士試験など)以外の事業でのアルバイトは、(新)公益法人としてふさわしくないことになります。
従来の公益の解釈では、会員のためになれば、業界のためになり、国民のためになるということでよかったのです。
日本技術士会でのアルバイトも会員のためですから、それでよかったのです。
従来からも、公益とは「不特定かつ多数の者の利益」とされているのですが、厳格に解釈されていませんでした。
例えば、掲示板に出ている入会地は、不特定かつ多数の者の利益ではありませんが、公益と解釈されていたのです。
2.NPOでも認定NPOをとると寄付の控除ができるので、認定をとろうとしていますが正しいのですか。
回答 正しいのです。NPOでも公益性の認定を申請できます。これは公益法人制度改正に関連してできた制度です。
認定をとると(新)公益法人同等になり、税務上非常に有利ですが、公益性の制約も生じます。
もちろん、公益の解釈は厳格です。
協同組合の趣旨説明(2008-6-6)
第32回総会(5/31)の開会前に次のご挨拶をしました。
技術士の名称を使えば、技術士の制約を受けるという大原則があります。
先の戦争の焼け野原で、技術士資格を創設した先輩は、「国家の方針より個人の倫理を優先する誇り高いエンジニアが日本にいれば、戦争は防げたはずだ」と語り合った、と伝えられています。「昔、技術士がいれば戦争は防げた。今、技術士がいるから戦争は防げる」と主張した、日本国技術士倫理の極めて重大な背景を認識しなければなりません。
協同組合の名称を使えば、協同組合の制約を受けるという大原則があります。
協同組合は、資本主義や共産主義よりも古く、その伝統によって、各国で、資本主義にも共産主義にもない特別待遇を受けています。これは、真に自由な独立者で活動した実績によるものです。各国の協同組合は、徹底して「組合を利用する人」のためと主張しています。
技術士協同組合では、創立以来一貫して、協同組合の趣旨を厳守し、組合を利用する人のために、健全な組合名義を維持してきました。32年間、赤字は一度もありません。
ホームページで活動を広報しています。これを「組合の活動」(事業報告・事業計画)として文部科学省に届け出ていますが、ご覧になれば一目瞭然、「組合員の活動」です。
事業協同組合では、組合員は独立事業者と決められています。「独立自営の事業者である各組合員の活動」と言えばより明確になります。
技術士には個人の立場しかない(2008-4-18)
技術士は個人の資格です。この当たり前のことが、昔から十分に理解されていないように思います。
30年以上前の日本技術士会にFIDIC加盟問題というのがありました。
日本技術士会は個人しか会員(民法上)になれません。
技術士には個人の立場しかないと言えばそれで済んだはずでした。
しかし、当時は何かの勘違いで、技術士を仕事上の立場で分類してしまったのです。
確かに、実際に仕事をする場合には、仕事上の立場を明らかにする必要があります。
しかし、例えば日本技術士会の行事に参加するときは、個人の立場だけです。
昔の先輩は、全くの善意でしたが、後輩にどこに勤めているかとか収入はいくらかとか聞いていたことがありました。
行事(仕事ではない)のときは、お互いに個人の立場だけであることを十分に理解していれば、そのような話をするはずがありません。
同時一業一社(2008-4-2)
このページの議論は技術士の制約があります。
アメリカのコンサルタントの著書(日本では出版されていない)に、同時に同業種の多数の会社と仕事することで、一社では得られない高度の情報が得られるという解説がありました。
個々の情報を、自分の頭に入れさえすれば、自分の能力にすることができるという話です。
しかし、技術士の昔の先輩は、技術士の士は「サムライ」だから、それとは違うと主張しました。
それが同時一業一社です。
同時一業一社は、立場が明確になります。
立場の議論はまた別に論じます。
人材育成の努力が重要(2007-12-17)
私の専門は、プラスチックの射出成形と金型の技術です。最近、世界各地の工場を訪問して、その問題点あるいは解決策を1つだけ挙げるとすると、「丈夫な金型で易しい成形をすること」です。「易しい」からこそバラツキのない製品が作れます。
もし「難しい」ことをすると、特別な人、その工場で1人か2人しか理解できない状況になります。
その1人か2人の小さなミスから、大きなトラブルがおきるのです。
易しいことは多くの人が理解できます。そのために多くの人の目が届き、トラブルがありません。
しかし、この話は、多くの人に、理解できる基礎能力があることが大前提です。
工場に1人や2人でなく、多くの人に基礎能力をつける人材育成ができるかどうかがポイントです。
世界に、設備に優れている工場は多数ありますが、人材の育成に優れている工場は非常に少ないのが実情です。
人材の育成は、各工場の努力は当然ですが、業界先輩の努力が重要です。
技術士資格はプロフェッショナルのライセンス(2007-7-20)
資格の議論を始める前に、資格とは別に、プロフェッショナル(Professional)とアマチュア(Amateur)の区別があることを理解することが重要です。
科学技術の進歩には、歴史的にプロフェッショナルだけでなくアマチュアが大きく貢献しています。プロフェッショナルとアマチュアの区別は、レベルの違いではなく、立場の違いです。この立場を理解することがきわめて重要です。
アマチュアの立場は、自分のためです。プロフェッショナルの立場は、社会のためです。
資格があるからといってプロフェッショナルとは限りません。また、資格がなくてもプロフェッショナルは主張できます。しかし、プロフェッショナルの立場を明確に主張するためには、プロフェッショナルの資格を持つことが重要です(例えばデグリーだけでは不十分です)。
プロフェッショナルの資格者団体は、コードオブエシックス(Code of ethics)によって、プロフェッショナルを具体的に主張しています。そこでは、社会に貢献する責任を持ち、正当な報酬は得るがお金儲けはしない、と宣言しています。
さて、全ての資格は、「仕事を始める」ための資格です。「仕事をした結果」の表彰とは、明確に区別しなければなりません。
日本語の「資格」には、英語のライセンス(License)、サーテファイ(Certify)、デグリー(Degree)の3つがあります。これを区別する必要があります。
ライセンスは免許で、免許取得者だけができるとするものです。
サーテファイは能力証明で、能力があることを証明するものです。
デグリーは、学校修了証で、学校修了したことを証明するものです。
ここでライセンスは、行動の自由を法的に制限する、国(あるいは地域、以下同様)の政治問題です。この法的制限の目的は、免許取得者に利益をもたらすためではなく、
免許取得者から国民を守るためのものです。これを理解することが非常に重要です。
技術士はエンジニア(Engineer)のプロフェッショナルのライセンスです。エンジニアのライセンスは他にも多数あります(例えば建築士がそうで、弁理士は別です)。エンジニアは、その特殊な能力によって、国民に危険を及ぼすおそれがあることから、自由が法的に制限されています。
資格の事例で補足説明します。
技術士には、自由の法的制限、例えば秘密保持(違反者は1年以下の懲役)があります。ライセンスの特徴です。
技能士には、自由の法的制限はありません。サーテファイの特徴です。
博士には、自由の法的制限はありません。デグリーの特徴です。
おわりに一言付け加えれば、技術士と称するだけで、技術士の制約を受けます。例えば、プロフェッショナルの立場が明確になってしまいます。
技術者は走り続ける(2007-5-3)
最近海外に出ることがあります。世界各地で、日本製品は故障しないという神話ができていることがわかります。一度そうなると、たとえ故障しても、希な事例と見てもらえるようで、良い循環になります。
しかし、私は、日本製品が粗悪品であった時代を知っています。そのときは悪い循環でした。それを抜け出すため、少しも気が抜けない緊張をし続け、現在に至った歴史があります。
例えば、自動車は、約3万点の部品で組み立てられていますので、全ての部品が非常に高い品質を要求されます。相当に「良い工場」でなければ作れません。
私の専門とするプラスチック成形と金型の業界では、世界には、良い工場も多数ありましたが、良くない工場も多数ありました。良い、良くないを決めるのは、国や民族に関係なく、その工場の技術が進歩し続けるかどうかです。走り続けると言ったらわかりやすいと思います。
その事例は、毎日の小さな改善の積み重ねです。しかし、そのような地道な努力をするよりも、もっと有利な新しい方法があるという議論が必ずおきます。外国の多くの工場は新しい方法を模索しますが、日本の多くの工場は、小さな改善にこだわり、そのときは大したことないように見えても、結局は良い工場になっています。
技術士には個人の立場と仕事の立場とがある(2007-4-8)
職業名と資格名は一致すると分かり易いのですが、技術士では難しいところがあります。
技術士の「仕事のかたち」(正業に限る)は、主に3つあると思います。
1会社員(勤務日数に無関係)、2会社経営者(会社の大小に無関係)、3個人事業者(収入の大小に無関係)
しかしながら、技術士と名乗っただけで、「仕事のかたち」は何であっても、あるいは、正業についていない場合でも、「個人」として、技術士の法律上の義務・責務、および、技術士のプロフェッショナルエシックスを遵守しなければなりません。
技術士は個人に付いた資格だからこうなるのです。つまり、技術士と名乗っただけで、「仕事をしてもしなくても」個人の立場を生じます。これとはまったく別に、「仕事をすれば」仕事のかたちによる立場(仕事上の立場)を生じます。仕事をするときは仕事上の立場を明確にする必要があります。仕事上の立場では、例えば、取締役と監査役を同時にすることはできないからです。
仕事上の立場が不要な場面もあります。例えば日本技術士会の行事に参加するときは、個人の立場しかありません。
ここで一言付け加えることがあります。約30年前、日本技術士会では、FIDIC(国際コンサルタントエンジニア連盟)加盟をめぐる論議がありました。コンサルタント業者と施工業者を同時にすることができないという連盟の規約でしたので、当時の日本技術士会では、会員を「仕事上の立場」で「分類」して、対応しようとしました。
今になってみれば、「日本技術士会では個人の立場しかない」という単純明快な論理で押し通すべきだったのです。
技術士は技術のプロフェッショナルである(2007-1-7)
日本の技術より優れた世界の技術は多数ありますが、大局的に見れば、日本の技術は世界最高水準です。さらに、技術士より優れた日本の技術者も多数いますが、大局的に見れば、技術士は日本最高水準です。従って、技術士の技術能力は世界最高水準にあり、今の時代で、仕事不足の技術士はいないはずです。
ただ、技術士の制度は1957年に始まりましたので、かなりの人数が事実上引退しているものと思われます。今の時代で、仕事不足の技術士は、年齢及び合格年度に関係なく、事実上引退している者です。
この議論は技術士(登録者)に限られています。技術士と名乗らなければ、技術士の制約を超えて、自由に活動することができるからです。もちろん、同時に複数の立場はとれないという大前提はあります。
一言付け加えれば、技術士(登録者)と名乗ると、技術士としての制約を受けるということです。この意味は別項にしますが、少なくても、現役で技術の仕事、かつ、プロフェッショナルでなければならないということです。
技術士は世界最高水準の技術を持っている(2006-12-26)
標題にもかかわらず、技術士は能力が低い、という話を聞くことがあります。しかし、良く聞いてみると、顧客(あるいは上司)の思惑と、技術士のそれとがすれ違いになっている話です。
例えば、顧客は、技術士に狭い範囲の仕事をさせ、これを複数集めて、自分で構成しようとすることがあります。これには、重要な仕事であるため全体の構成を秘密にしたいという理由もあります。とくに最近は、技術の高度化にともない秘密保持が非常に重視されています。
ここで、技術士が、広い範囲の仕事で対応しようとすると、すれ違いになります。技術士が広い範囲での能力が高いと思ってしたことが、顧客は狭い範囲での能力が低いからだと見てしまうわけです。
また、顧客と言っても相手は1人ではありません。発注者と実際の担当者の考えがかなり違っていることがあります。このような場合、一方の考えに沿って仕事をすると、他方の考えに沿わないことになり、すれ違いになります。
日本の技術より優れた世界の技術は多数ありますが、大局的に見れば、日本の技術は世界最高水準です。さらに、技術士より優れた日本の技術者も多数いますが、大局的に見れば、技術士は日本最高水準です。つまり、技術士は世界最高水準の技術を持っているという標題で間違いありません。
技術士はいつでもこれを自信を持ってアピールします。しかし、自信と自慢とは違います。自分では自信を示したつもりが、他人には自慢しているだけにしか聞こえないことがあります。すれ違いは、こうした態度からはじまることが多いのです。