青葉堯の技術者コーナー
青葉堯の 今更、技術者を取り巻く、職業、倫理、会社、公益法人、公共性、等々に関する、常識をしつこく語るコーナー
技術士協同組合の歴史と趣旨(2011-4-30)
1.先の戦争の焼け野原で、技術士資格を創設した先輩は、「国家の方針より個人の倫理を優先する誇り高いエンジニアが日本にいれば、戦争は防げたはずだ」と語り合った、と伝えられています。
「昔、技術士がいれば戦争は防げた。
今、技術士がいるから戦争は防げる」と主張した、日本国技術士倫理の極めて重大な背景を認識しなければなりません。
技術士の名称を使えば、技術士の制約を受ける(歴史も引き継ぐ)という大原則があります。
独立自営の技術士は、さらに、独立自営の原則、相互に「指図しない」「指図されない」を厳守しています。
2.協同組合は、資本主義や共産主義よりも古く、その伝統によって、各国で、資本主義にも共産主義にもない特別待遇を受けています。
これは、真に自由な独立者で活動した実績によるものです。
協同組合の名称を使えば、協同組合の制約を受ける(歴史も引き継ぐ)という大原則があります。
各国の協同組合は、徹底して「組合を利用する人」のためと主張しています。「他人に指図されることなく」、自分が主体性を持って利用することができる特別の世界的システムです。
3.技術士協同組合は、独立自営の技術士を結集して設立されました(1976)。
創立以来一貫して、協同組合の趣旨を厳守し、「組合を利用する人のために」、健全な組合名義を維持してきました。
ホームページで活動を広報しています。
これを「組合の活動」(事業報告・事業計画)として文部科学省に届け出ていますが、ご覧になれば一目瞭然、「独立自営の事業者である各組合員の活動」です。
以上は、毎年、総会の時期に、組合の趣旨を理解して頂くため、掲載しているものです。
本年は若干の補足説明があります。
技術士の「マネージャーをする機関」の期待は、現実にはありえない風評被害です。
芸能プロダクションをイメージするとありそうに見えますが、芸能プロダクションは、資格や経歴がどれほど立派でも、今売れそうもないタレントは、扱いません。
技術士になるような人は、自分で業務の開拓ができる能力があります。
もしその能力を放棄すれば、売れないタレントと同様でしょう。
普段の活動を再開しよう(2011-3-23 青葉堯)
津波災害地は別ですが、東京では平常の活動がもどってきました。
東京23区は一部を除いて計画停電がなく、交通機関の電力も確保されてきましたので、CEAの活動も予定通り行えると思います。
ただ、節電には協力すべきで、夜は早じまいがよいと思います。
ところで、福島県の親戚(息子の嫁の実家)の家は、津波災害地ではなく、流通と交通の不便はありますが、住民は仕事に戻っています。
原子力発電所から50km離れており、避難しようと言う人はいないとのことです。
皆で助け合わなければならないとわかっているからこそ、風評に惑わされないのです。
この日曜日には、栃木県宇都宮に墓参に行きました。
東京より大きな揺れで、倒れた墓石がありましたが、街には大きな被害はなく、住民は普段の生活を行っています。
規開業技術士支援研究会の意義(2-2-8青葉堯)
グーグルでcea.jpを検索すると下記の記事が2番目です。
<新規開業技術士支援研究会 社団法人日本技術士会登録新規開業技術士支援研究会の会合は公開で、色々な感覚の人が来るのは大歓迎です。
そこで、来場者から疑問が出されたら、どなたでも、親切にお答えします。>
これでわかるとおり、「入口」です。研究会の名前を使っていますが、他の研究会とは意義が異なります。この名前になる前から30年以上の歴史があり、全員この入口を通って来たと言ってよいと思います。
この記事を見て、何も知らない人もきます。些末と思われる話もその人達には貴重です。
コンサルティングエンジニアの日本語訳(2011-2-7)
コンサルティングエンジニア(英語)を、技術コンサルタント(日本語訳)としたために、世間で誤解をされました。
まず、エンジニアは、必ず個人ですが、コンサルタントは個人に限りません。
また、コンサルティングエンジニアは、必ずエンジニアですが、技術コンサルタントはエンジニアに限りません。
コンサルティングエンジニアの立場は、どこに所属しようと(しなかろうと)関係なく、個人のエンジニアです。
しかし、技術コンサルタントの立場は様々です。
その立場の多くは、所属の制約を受けます。
大昔のことですが、専業技術士と企業内技術士に分類することが行われました、今になってみれば、このような仲間うちしか通用しない言葉は、仲間うちの対立を招いただけで、技術士の評価を高めることにはなりませんでした。
技術士法を見ればわかることですが、技術士は個人の資格で、必ず現役のエンジニアです。
具体的な仕事の場では、立場を詳しく説明するのは当然ですが、それ以外の場例えば技術士の会合などでは、立場を説明する必要はありません。技術士には個人の立場しかないと言えばよいのです。
技術士の独立自営は技術者の立場(2011-1-13)
技術士に対して、一般向けのニュース解説(以下解説)を引用するのは不適切です。
技術士は世間一般からみれば、ごく少数の特殊な人々です。例えば、技術士(登録者)は、技術士法の制約を受けるため、必ず現役の技術者でなければなりません。
つまり、技術者の立場です。
なぜそうなるのかは、技術士(登録者:米国PEも同じ)が、解説で言う資格(学位など)ではなく、ライセンス(仕事をする免許)だからです。
ライセンスですから、技術者の仕事をしないときは、技術士と称することもできない原理です。
例えば、技術士で大臣になった人は何人もいますが、任期中に技術士と称した人はだれもいません。
技術者の立場では、大臣の任務を遂行できないからです。
技術士が社長になったときも同じ原理です。
解説では独立自営を社長になることだと言いますから、ややこしいことです。
もちろん、会社あるいは事業が、技術者の立場である場合、社長は技術士を名乗ります。
技術士の特典は、技術士側で定めたものではなく、技術士を利用する側で定めたものです。
利用する側の都合で、特典の殆どは試験合格者(登録者でない)が対象です。
技術士は登録しなければ技術者の立場という制約を生じません。登録していたとしても、名乗らなければわかりません。
解説は、誤解も招きます。
中国では、歳末派遣村の映像を見て、日本では仕事がない独立自営者が街にあふれている、と思うそうです。
派遣は、独立自営とみなされます。
定職に初めから就くことができない若者や、退職したが再就職できない中高年などが、自らを独立自営と称することも、世間にはあることです。
国際的に通用しても競争に負けたのでは生き残れない(2010-12-7)
外国は、日本人には理解困難な階級社会です。事実上階級がない日本の工場は、ものづくりに非常に有利であることは外国も認識しています。
そこで、国際的に通用するためとして、階級を持ち込むように働きかけているのです。
スポーツの世界では、日本選手が好成績を挙げると、国際ルールが変更になることは知られています。
しかし、ものづくりの世界では、国力を総動員してでもこれに戦わなければなりません。国際的に通用しても、競争に負けたのでは生き残れないからです。
日本の工場では、エンジニアが機械の作業をすることや、テクニシャンが技術の開発をすることなどをフレキシブルに行います。
日本の工場とくに中小企業では、ごく普通の作業者が、外国では少数のエンジニアしか理解できない高度の技術を理解しています。
エンジニアの資格制度は、エンジニアを上位のクラス(階級)と主張することが根幹です。
この主張により、外国では、普通の作業者は、マニュアル通りに作業するだけで、エンジニアの仕事をすることができないのです。
韓国技術士の主張(米国PEとの相互承認)(補足)(2010-11-19)
韓国技術士は、米国PE(PROFESSIONAL ENGINEER)と相互承認になるように働きかけています。日本技術士の理解、応援を求めています。
日本技術士は、国際化の制度整備をしたと聞いていますが、国際化が進展しているようには見えません。
以上は韓国技術士の主張ですが、私に若干の意見があります。
貿易の自由化が、各国に利益があるとわかっていても、ローカル(国家や地域)の政治は、「他所者に職を奪われな」の声を無視できません。
「国際的に通用する」と、他所者が地元の職を奪うことにもなります。これを避けて、仕事はしてほしくないが、資格だけは認めるという話にもなります。
技術士やPEが資格の相互承認を協議したとき、この程度のことを、「国際的に通用する」と言うことがあります。資格者の自己満足にしかなりません。
ローカルの政治は、大義や説得では動かないのです。ある日、外部の大きな力によって動きます。経済力だけでなく、軍事力で動いた世界の歴史があります。
ところで、日本の技術は、世界で1番でなければならないと主張します。それしか将来日本が生きる道はないと確信するからです。もちろん、全員が1番になれるはずはなく、グローバル化も、全員ができるはずはありません。
世界で1番もグローバル化も、とくにエリートでなくても、できる者(あるいは企業)にまかせれば、日本はでき、世界の競争に勝てるのです。
日本の技術士や日本の技術教育のレベルは、欧米のエリート教育以外では、日本独自の方法ですが、世界で最高水準にあります。これが、日本独自では世界に通用しない、通用するためには、レベルを下げるという話になっていました。世界で通用しても、競争に負けたのでは日本の未来はありません。
韓国技術士の主張(米国PEとの相互承認)2010-11-15)
日韓技術士会議(10月下関港)で、韓国技術士の発言(分科会にて)がありました。
全面的に賛同するわけではありませんが、有力な意見として示します。
自由貿易は、一部の保護産業以外は、各国に大きなメリットがあると主張します。エンジニアが国境の壁を超えて活動できることも自由貿易の1つです。
そこで、韓国技術士は、米国PE(PROFESSIONAL ENGINEER)と相互承認になるように働きかけています。日本技術士の理解、応援を求めます。
私は、基本的に賛同しています。全面的ではないと言ったのは次の点です。
先端技術の業界では、国境の壁を作ることは困難です。将来全ての業界で壁が作れなくなる方向です。現時点では、シビル(土木)業界では、エンジニアのライセンス(免許)制度が、壁とされています。
しかし、ライセンスは口実にされている可能性が高いのです。ライセンス相互承認ができたとしても、ライセンスに関係なく、ローカル(国家あるいは地域)の議会が、国境の壁を設けると決めれば、壁ができ、壁をなくすと決めれば、壁がなくなります。
なお、シビル分野では、多くの場合、ライセンスがないとエンジニアの仕事ができませんが、インダストリアル(工業)分野では、多くの場合、ライセンスがなくても仕事ができます。米国PEは、これを例外(インダストリアルエクゼンプション)と主張してきました。
しかし、技術の進歩と産業構造の変化により、ライセンスがなければ仕事ができない範囲が拡大するとは思えません。そこで、米国PEは、エンジニア育成の方向に向かっています。具体的には、全てのエンジニアのサーテファイ(検定)にするとしています。
米国(欧州も同様)は、日本人には理解できないクラス(階級)社会で、エンジニアは上位クラスのため、エンジニアのデグリー(学位)かサーテファイを取得しなければなりません。ただし外国のデグリーやサーテファイも尊重されますので、とくに相互承認を求める必要はないのです。
米国PEも日本技術士も個人の資格(2010-9-14 青葉堯)
米国PEは、プロフェッションを主張しています。
プロフェッションは、特別の能力によって、公益活動を行いますが、その特別な能力は、社会に危険をもたらすこともあります。
プロフェッションは、歴史的に、宗教家、法律家、医者が有名です。
宗教家、法律家、医者は、社会に大きな貢献をしますが、大きな危険もあると、容易に理解できます。また、その仕事は、すべて個人の能力と責任で行うことも理解できます。
各国では、プロフェッションの活動を厳格に規制する法律を作っています。独占業務を決めているのは、プロフェッションの利益を守るためではなく、国民を守るためです。
ここで、重要なポイントは、プロフェッションを名乗るだけで、規制されることです。
プロフェッションの仕事でなくても個人が規制されます。
また、プロフェッションには、正当な報酬は得るが、金儲けはしないなどの制約があります。金儲けをしたいのであれば、プロフェッションに係わるべきではありません。
米国PEは、専門、立場は様々ですが、米国PEは1つの免許で、専門や立場で区別をしないのは、医師と同様と説明しています。
医師が1つの免許で、外科医とか内科医とか、あるいは開業医とか勤務医とかの区別をしないことは良く知られています。
専門や立場で区別をしないのは、個人の資格だからです。個人に有利だと言った方がわかりやすいかもしれません。
専門や立場は非常に重要ですが、しかし、説明する必要がない場合には説明しないことも見識です。米国PEが滅多に説明しないのは、専門や立場に優先するプロフェッションを主張するからです。
昔のことですが、1973年に日本技術士会がFIDIC(国際コンサルティングエンジニア協会)に加盟することになりました。FIDICは、コンサルタント業者の団体ですから、施工業者は加盟できません。両者がいる日本技術士会は加盟できないことになります。そこで、日本技術士会の中に、コンサルタント業者だけの団体を作って加盟したわけです。
現在では思いもつかないことですが、当時は、これで技術士が国際的に認められると思ったのです。
このとき、日本技術士会では、会員を仕事の立場で区別しようとしました。これが技術士歴史の転換点だと後でわかります。今となってみれば、不必要な区別でした。なぜなら、技術士は個人の資格で、日本技術士会員は、個人の立場しかないと主張できたからです。
FIDIC以前は、技術士を仕事の立場で区別することは避けていました。それでも区別するような発言はありました。専業技術士とか企業内技術士という言葉がそれです。これらの言葉は、発言者が満足するだけで、技術士全体のメリットにはなりません。
FIDIC以後では、世間では誰も注目しない、仲間うちだけの区別が定常化しました。そしてこのことが、技術士が個人の資格という当然な認識を薄め、プロフェッションの主張を弱めているのです。
PEの基本知識(日本での誤解を改める)(2010-8-14 青葉堯)
日本の公用語は日本語だけで、技術士法や日本技術士会定款等にPEの文字がないことにお気付きだと思います。
技術士を英語で説明したものがありますが、翻訳者の責任でしたもので、技術士の概念を論じる根拠にはなりません。
PEと言えば米国PEが世界的に有名(1907年設立)ですが、日本では相当に誤解されています。まずこれを改めることが先決です。
1.米国PEは、資格であるが、職業ではない、という誤解
日本でも医師はわかりやすいのですが、米国では、PEも医師と同様のプロフェッションを宣言しています。
米国では階級意識が根底にあり(日本にはない)、例えばエンジニアとテクニシャンとは別のクラス(階級)で、自由に行き来することができません。
PEはより高いクラスを主張しており、PEという1つの職業(医師と同様)として結束しています。
従って、米国PEは、職業を雇用者(あるいは自営者)と被雇用者(あるいは会社員)に分類する論議をしません(医師と同様)。
日本では、これが理解困難です。日本で職業の論議は、雇用者と被雇用者に分類することから始まるからです。
2.米国PEは、専門家であるが、コンサルタントではない、という誤解
コンサルタントはとくに中立の立場が必要なため、基本的に被雇用者では困難です。
PEの全員がCEになれるわけではありません。
しかし、米国PEは、雇用者と被雇用者に分類する論議をしないため、PEとCEを区別しないのです。これは曖昧にすることではありません。厳格にするということです。
CEの仕事は、1時1業1社が基本です。従って競争会社の仕事をすることはありませんが、PEも全く同じです。
日本の技術士については補足説明が必要です。技術士が最初からCEとしたのは、被雇用者からの開拓(独立自営)を目指したもので、米国より先進的な考えを持った技術士の先輩に敬服します。今後も人数は少なくても、米国PEとは異なる日本技術士の伝統を守らなければなりません。
エンジニア育成に関する大学及び先輩の役割(2010-7-22 青葉堯)
エンジニアに限らず、専門的な職業は、特殊な技術・技能を修得する必要がある。その修得方法の原点は、中世ヨーロッパギルドの徒弟制度にある。
専門的な職業は、特殊な技術・技能を持つことから、社会に利益をもたらすとともに、危険を及ぼすことがある。
専門的な職業として挙げられるものは、宗教者、医者、法律家である。一歩誤れば危険であることが容易に理解できる。従って、厳しい規制がされている。
規制には、「正当な報酬は得るが金儲けはしない」ことが含まれる。
専門的な職業を目指す者は、この規制を理解することが大前提である。つまり、お金儲けをしたかったら、別の「規制のない職業」を選ぶべきである。
さて、エンジニアは、世界的には専門的職業の1つとされている。しかし、日本ではその理解が少なく、単なる理系の社員とみなされていることが多い。
これは、会社側だけの責任ではなく、社員の意識の問題が大きい。つまり、日本では、エンジニアが、自分が特殊な技術・技能を持っているという意識が不足している。
日本の理工系大学の教育が、世界的に見て最高水準にあることは間違いない。しかし、学生の実力はそうでもない。とくに、エンジニアに必要な基礎的学力が不足している学生が多い。これは、入学さえすれば、比較的容易に卒業できるということからきていると思う。
世界の理工系大学では、入学はできても卒業は難しい。授業内容が難しいわけではない。比較的易しい基礎科目の宿題や試験が多数あり、精力的に勉強しなければ単位が取れない。つまり、相当に時間がかかって修得しているのであり、その時間を、理工系大学に行っていない者と比較し、自分が特殊な技術・技能を持っているという意識になっていることが重要なのである。
ここでのポイントは、会社で実務をすることで、技術・技能が高度化するが、しかし、その前提となる基礎能力は、理工系大学で時間をかけて学ぶことでしか得られないという現実である。会社に行けばその時間はない。
理工系大学の学士課程修了は4年であるが、更に2年は必要というのが世界的な傾向である。既に米国PEでは、修士課程修了を受験資格とする方針を決めている。
大学院修士課程を増強し、大半の学生が進学できるように体制を整備している理工系大学(早稲田大学など)がある。
さて、中世ヨーロッパのギルドでは徒弟制度であったと述べた。原則として子供のときから修行する。社会が高度化するにつれ、人数が不足してきた。
そこで、多くの人数を育成するために、専門的な学校が作られたのだと思う。宗教者の育成から始まり、医者の育成、法律家の育成、エンジニアの育成と進んできた。
エンジニアの育成には、エンジニア志望の若者の存在が必要不可欠である。
日本では大学受験のときに文系理系の志望を決める者が多いと聞いている。それでは遅い。既に処世術の知恵がついて、どちらが有利かで決めることになってしまう。
専門的な職業は、自分の有利不利あるいは金儲けで、決めるものではない。まず、好きなこと、また、使命に意義を持つことである。子供が憧れることがまず最初である。
米国PEの団体では、小学生に科学技術のおもしろさを教えるプログラムを持っている。それが10年以上たって、PEの試験を受ける人に成長する。イギリスでも同様の活動をしている。
日本では聞いたことがなかった。しかし、夏休みに子供達を大学に集めて、科学技術の講義と実験をしている大学(早稲田大学など)がある。しかし、難関校(早稲田大学)で、数年後に何人が受験できるのであろうか、考えると誠に地道な活動である。
エンジニアの後継者育成は、小学生に科学技術のおもしろさを教えることから始まる。
技術士協同組合初代理事長で現役技術士である和田忠太氏は、こども電話相談室(ラジオ番組)に長年出演し、子供達に科学技術のおもしろさを教えた。この番組は大変に長く続き、これを聴いた子供達からエンジニアになった者が多数いると思う。
ものづくり白書が製造技術の海外流出問題を指摘(2010-6-5)
2010年6月1日、製造業の課題を分析した09年度版「ものづくり白書」(ものづくり基盤技術の振興施策)が閣議決定されました。
そこでの注目点は、日本の製造技術の海外流出、とくに、自社従業員や自社退職者からの技術流出が多いとの認識から、各企業では、守るべき技術やノウハウを明確にして確固たる管理方針を定めることが必要、としている点です。
すでに多くの企業では、管理体制を強化しています。
秘密保持契約(従業員及び退職者を対象)の強化、社外活動(学協会も対象)の規制、技術の細分化などです。
海外に調査員を派遣し、退職者の動向を調査している企業もあります。
技術の海外流出は、国家の安全保障に係わる重大問題になる可能性があり、今後法的規制が強化されることがあります。
外国のエンジニアはクラス(階級)を主張している(2010-5-20 青葉堯)
外国の社会は、基本的に階級制度で成り立っていると考えられます。階級と言えば家柄ですが、家柄不足でも学歴で、学歴不足でも資格で、資格不足でも資金(高額)で、階級に参入可能とされています。
外国(欧州、米国、中国、韓国等)のエンジニアは、クラス(階級)を主張しています。
外国の階級制度は厳格で、その階級に参入可能な家柄・学歴・資格・資金の何れかがない限り、階級を変わることができません。
日本では、階級を作ろうとした形跡はありますが、事実上階級ができませんでした。
多分、世界で唯一と思います。その理由は、辺境の地まで同じ教育をする小学校を作り、階級のない社会を目指したからだと言われています。
世界の工学教育は、基礎科学に重点を置いています。
外国の技術は、「技術者の能力」にあり、従って、技術者の基礎教育が非常に重視されるわけです。
厳格な階級社会がある国では、技術関係者の中でも階級が低い「ものづくり」の人のための教育が重視されないのは、むしろ当然と言えます。
これに対し、日本の工学教育は、ものづくりに重点を置いていることはよく知られた事実です。
日本では、技術と技能は同じ意味を持つ言葉で、学者においても、学問と技術が一体化しています。日本では、具体的に目に見えてわかりやすい、ものづくりの教育が重視されたのも、また、当然のことです。
日本の技術は、「故障しない製品」にあり、製品が良ければ、それで十分で、技術者の能力が表面に出ることは希です。
ここが諸外国(とくに欧州や米国)とは根本的に違っています。
お客(例えば自動車に乗る人)のためになることを重視すれば、作る側(例えば自動車メーカー)の技術者の能力を評価するよりも、製品(故障しない自動車)を評価した方がよいにきまっています。多くの日本人はそう思うのですが、諸外国はそうではないようです。
諸外国では、階級が低いかもしれないお客よりも、階級の高い技術者を尊重すべきだという思想があるのでしょう。
日本には事実上階級はなく、従って、日本の産業界では、学校教育には、知力・体力・忍耐力(ものづくりに必要な忍耐力)の育成を期待し、「技術者の能力」育成は、企業の内部で行う、という考えが非常に強いのです。
教育は20年たってわかる結果論ですから、日本は「故障しない製品」で、世界の高い評価を得たという結果で、成功したと言えます。
日本が、貧乏国(アジア辺境の貧困弱小国)から、非常に短い年月で、富裕国(世界の富を事実上独占する一角を占める)に至ったのは、人類の歴史における奇跡です。
その奇跡は、日本製品に「当たり外れがない」(故障しない)ことでおきたことは明らかです。
日本のものづくりの技術は、基礎科学由来の創造的能力(欧州や米国が得意)よりも、「次の工程に良品だけを送る」というような、細かいところに気が付く実務的技能能力と製作関係者全員の責任感(日本の小学校教育の成果)がポイントです。
国際化の議論では、従来は日本の技術者が外国に認められるにはどうするかという話が多かったのですが、今では、外国の技術者をどのように日本が認めるかという話になっています。なぜなら、日本の技術者は、実力は世界最高レベル、給料もまた世界最高レベルですから、事実上、外国で働く者がいなくなったからです(日本資金や日本企業の仕事、また、短期出張を除きます)。
日本の技術関連の企業や個人が、日本国内で仕事がなくなったとしても、外国に仕事を求めること(短期出張を除く)はごく少数です。優れた技術を持つ企業あるいは個人は、日本国内で別の仕事に進む能力を持っているからです。それができない企業や個人は、日本の技術レベルに遅れてしまったわけですから、どこに行っても役にはたちません。
エンジニアの概念(2010-5-9 青葉堯)
エンジニアは世界共通の名前である。しかし、日本、韓国、中国は自国語に翻訳しているため、混乱もある。
日本、韓国は技術者と言う。技術者の名前には、エンジニアでない者(Technician)が含まれる。また、エンジニアの一部の者(Resercher)が含まれない。
中国語は工程師と言う。中国では工程師には4段階があり、高級工程師がエンジニアに相当する。
日本、韓国では「士」は尊称であるが、中国では違う意味もある。最近、日本では資格を新設あるいは改称するときは、看護師など、士でなく師を使うようになった。国際化は英語だけではない。中国語も意識せざるを得ない。
大学は、学問のDegree(学位)を授与することで、「学者」と認定する。これは社会(世界共通)に普及している。
国家機関が、職業のDegree(職位と言った人がいる)を授与することで、「技術者」と認定する、というアイディアが日本にあった。しかし、これは実現しそうもない。社会に必要とは思えないからである。
韓国では、技術者の制度を総合的に体系づけようとした(国家資格法)。しかし、実態は殆ど日本と同じであった。
韓国では、学問の最高資格を博士とし、技術の最高資格を技術士とし、技能の最高資格を技能士(実際は別の名前)とした。3者は同格とし、要するに、既に社会的に評価が高い博士と同格と言うことにして、技術者、技能者の評価を高めようとしたわけである。エンジニア育成のヨーロッパの伝統は、中世ギルド制に発する。社会の発展により、多くの人が必要になり、ギルドに代わる大学が設立された。最初の大学は神学であったというが、エンジニの大学が作られた。伝統的に大学教育が重視されている。
日本では、試験を難しくさえすれば、資格の権威があがると考える人が多く、総じて資格の試験は難しい。
アメリカ合衆国のProfessional Engineerの試験の合格率は50%程度である。世界の各国も大体同様である。しかし、日本の技術士の合格率は15%程度で、資格の権威は維持され、新しい人程優秀という評判ではあるが、実際に仕事をする人数が少ない。
エンジニアの資格で、非常に重要なポイントは、エンジニアの育成が目的であることである。つまり、「これから」仕事をする人のための資格である。
資格を得ても実際に仕事をする人は少ないと言うのでは、折角の資格の意味がない。
日本の技術士では資格を得ても実際に仕事をしない人が多数いるのが問題である。
ここで、仕事とは当然のことながら技術の仕事である。
ただ、日本の技術士は、諸外国で言うChartered EngineerやProfessional Engineerを目指したものはなく、既に、エンジニアの仕事をしている者の中から、Consulting engineerになる者に権威を与えると言う趣旨で開始されたものである。
もちろん、諸外国で言うProfessional Engineerの仕事をしている者はいる。
日本の技術士は、すでに60年の歴史があるので、名前だけProfessional Engineer(しかも法律でProfessional Engineerと決めたわけではない)としてみても、制度自体は変更がない。
ここでもう一つ重要なポイントがある。諸外国のエンジニアは、所属に関係なくエンジニアという職業である。所属を職業(会社員とか自営業とか)と言うのは日本だけである。
40年前の家電製品の夢は実現した(2010-3-13)
約40年前、家電製品の夢を画く、極秘のプロジェクトに参加したことがある。
今、そのレポートをあらためて見ると、夢が殆ど実現していることに驚く。技術が著しく進歩したからである。
そう言えば、人類の歴史上特筆すべき原子力発電所は、60年前にはなかった。
ここ50年の技術の進歩は、予測を遙かに超えるものであったと思う。
技術の進歩は社会の変革をもたらした。
国によって異なるが、日本は技術も社会も大きく変化した。
現在も変化しつつある。
それも予想以上に早い。
新しく技術士になるような人は、新しい時代の技術力に優れている。
合格者の平均年齢は40歳であるが、高度技術の習得には時間がかかるからである。
実年齢より頭脳は若い。
ところで、普通に出版されている会社員(あるいは自営者)のためのノウハウブックは、刊行されて時間がたつと、技術と社会の変革が急速に進んで、状況に合わなくなってくる。
例えば、技術力が重視される今の日本では、新しく技術士になるような人には、食える食えないのレベルの議論はなじまない。
また、社会が複雑化している今の日本では、スーパーマン(一人で全部できる)レベルの議論も困難である。
ここでは、技術士全体の評価を高めるためにプラス面をアピールしている。
健康になる秘境(2009-12-31 青葉堯)
何百年も前から、健康に良いと言われている秘境がある。科学的根拠は明確でないが、帝国陸軍が利用していたそうである。
何百年の実績の土地は、一度訪れてみる価値があるのではないだろうか。
遠そうだが、時間的には案外近い。インターネットに記事がある。
「北海道長万部二股(おしゃまんべふたまた)らじうむ温泉」(札幌からJR2時間15分長万部駅から無料送迎バス30分)
開湯伝説によれば、熊が温泉につかっている所をアイヌの人々が発見したとされる。
効能は古くから知れ渡っており、戦前は帝国陸軍の保養施設としても使われていた。
秘境の温泉は寂れていたが、成人病の湯治に訪れた北海道の事業家が、健康を回復し東京で成功したことから、2000年に温泉旅館(二股らぢうむ温泉)を新築した。
後に、東京に温泉水を持ってきたりしたが、現地のような効能はなかったという。
つまり、その場所が問題だったのである。
類似の場所は、世界に何箇所かあったというが、現在利用できる施設があるのは世界で唯一ここだけだそうである。
公序良俗と善管注意義務(2009-11-21)
このページに度々登場する「公序良俗」は、「公の秩序又は善良の風俗」を略した言葉です。
また、同様に登場する「善管注意義務」は、「善良な管理者の注意義務」を略した言葉です。
もとの言葉は、それだけで意味がわかりますが、略語では意味不明になってしまいます。
社会生活を営む上で良く理解しておかなければならない言葉です。
法律や規則に書いてなくても、遵守しなければならないことです。ただし、地域(国家)によって事情は異なります。
技術士は、技術士と称するだけで、これらも厳しく遵守します。これは技術士のアピールでもあります。
エンジニアは個人の制約を受ける(2009-10-17)
アメリカ合衆国には、エンジニア称号の規制(法律)がありますが、日本にはありません。
そこで、日本では言葉の混乱もおきています。
例えば法人と個人の混同です。
株式会社は、株主兼役員1人で作れます。
技術コンサルタントは1人でも法人のことが多いのですが、コンサルティングエンジニアは必ず個人です。
エンジニアは、勤務者、経営者、自営者などに関係なく、エンジニア(個人)の制約を受けます。
コンサルタント(法人)には個人の制約はありません。
プロフェッション(エンジニアなど)は、正当な報酬は得るが金儲けはしないという個人の制約があります。
株式会社は利益が目的です。法人と個人を混同してはならない理由がここにもあります。
エンジニア(個人)の制約の第一は、公序良俗です。
ただし、公序良俗は地域(国家)の歴史と伝統によってかなり異なりますから、日本で外国の(あるいは外国で日本の)それを論じても、適切でないことがあります。
メカニカルエンジニアリングの原点(2009-6-27)
交詢社と同じブロック(銀座6丁目8番地)のみゆき通りとすずらん通りの角に「ロンドンからくり博物館」があります。
「CABARET MACHANICAL THEATRE」の看板が出ています。
この非常に小さな博物館は、「メカニカルエンジニアリングの原点」として、世界に紹介されたもので、これが面白くない人はエンジニアの素質がないと言われる位の評判でした。
ロンドンのダウンタウンの中心、コベントガーデンにありました。
ここには個人の手作りアートショップや地下鉄博物館もあります。
何度もわざわざ見に行きました。しかし、いつのまにかなくなり、イギリスのものづくり衰退を示すように思いました。
今となっては、この博物館も「ものづくり日本」に引っ越して当然です。入場無料です。
からくりを動かすには1台50円かかりますから、何人かで行くのが良いでしょう。
技術士の名称を使えば、技術士の制約を受け、協同組合の名称を使えば、協同組合の制約を受ける。(2009-6-10)
2009年5月30日に開催された技術士協同組合総会議題の説明に次の趣旨を述べました。
1.技術士の名称を使えば、技術士の制約を受けるという大原則があります。
先の戦争の焼け野原で、技術士資格を創設した先輩は、「国家の方針より個人の倫理を優先する誇り高いエンジニアが日本にいれば、戦争は防げたはずだ」と語り合った、と伝えられています。「昔、技術士がいれば戦争は防げた。今、技術士がいるから戦争は防げる」と主張した、日本国技術士倫理の極めて重大な背景を認識しなければなりません。
なお、ここは、独立自営の技術士、つまり、もともと他人に指図されるのが大嫌いな人の集まりです。従って、ここに集まっても、会社のようにはできません。
2.協同組合の名称を使えば、協同組合の制約を受けるという大原則があります。
協同組合は、資本主義や共産主義よりも古く、その伝統によって、各国で、資本主義にも共産主義にもない特別待遇を受けています。これは、真に自由な独立者で活動した実績によるものです。各国の協同組合は、徹底して「組合を利用する人」のためと主張しています。「他人に指図されることなく」、自分が主体性を持って利用することができる特別のシステムなのです。
3.技術士協同組合では、創立以来一貫して、協同組合の趣旨を厳守し、「組合を利用する人のために」、健全な組合名義を維持してきました。
技術士協同組合は、独立自営の技術士の大原則「指図しない」「指図されない」を堅持し、創立以来「事務所がない」ことを特徴にしています。その結果、予算規模は極めて小さく、その金額ではだれにも利得はなく、経理も簡単です。
ホームページで活動を広報しています。これを「組合の活動」(事業報告・事業計画)として文部科学省に届け出ていますが、ご覧になれば一目瞭然、「組合員の活動」です。
事業協同組合では、組合員は独立事業者と決められています。「独立自営の事業者である各組合員の活動」と言えばより明確です。
技術士の団体活動は次世代の育成が重要(子供達への活動も必要) 2009-1-24
35年以上前、私が青年委員会(当時は青年技術士懇談会で40歳以下)の頃、技術士制度を創設した大先輩たちが活躍していた。その話によると、技術士を民間資格でスタートしたときは、資格を取る人は、必ず「仕事をするため」で、優れた仕事の結果、技術士全体の評価は高くなるはずである。そのつもりで、次世代の育成をしてきた。しかし、後に、国家資格にして、権威ある資格だとアピールしたところ、「自慢することを目的とする」者が乱入するようになったと言う。
普通の人間は、自慢などしたくてもできない。ある程度の事情、基礎的な知識がなければ、専門業界に立ち入ることができない。これができて自慢できるのは「コンサルテング」だけである。テングは人智を超えている。何でもわかってしまう。実際殆ど解決できるが、知識がなければ現実には失敗だ。コンサルテングは次世代の育成にならない。
今の青年委員会の活動を聞いていると、次の世代(子供達)を考えて行動していることに驚く。昔は、子供達に技術士をわかってもらう活動など考えてもみなかった。
専門的・職業的立場には制約もある(2008-11-17)
最近話題の自衛隊員発言についての論評に、興味深いものがありました。
自衛隊員は、専門的・職業的な立場なので、壮士のような発言はしないはずだという論評です。
専門的・職業的な立場とは何か。我々は、まさにその立場を基盤にしています。
この立場は、特別な能力を認められますが、その能力が高ければ高いほど、制約も大きくなるということです。
能力の高い者が万能であるというわけにはいかないのです。
それが社会の成り立ちです。
ただし、その状況は国によって異なります。
PEについての補足一言(2008-10-19)
米国PEは、PEを雇用者(自営者)と非雇用者に分類する論議をしていません。
PEという1つの階級を主張していますから、PE内部の階級対立はありえないのです。
PEについての重要な解説(2008-10-14)
1.各国の法律問題
技術士やPEの名称を、名刺に書く程度の話で議論する人がいますが、その姿勢が、資格の存在意義を根底から揺るがすのです。
以下の議論で、名刺に書く程度の話では、資格を使ったわけではないので、多分、処罰されることはないと思います。
まず、法律の問題を整理しておきます。
国際的な取り決めをしても、国家の法律に定めなければ、国民に適用されません。
技術士法に「技術士でない者は,技術士又はこれに類似する名称を使用してはならない」とあります。
技術士でないPE(例えば米国PE)が、「PEは技術士である」として技術士の名称を使用すると、厳罰に処せられます。
「技術士はPEである」と言っても、PEは、技術士または類似する名称では決してないので、技術士でない者がPEと言っても処罰されません。
一方、米国では、各州の法律に「PEでない者は、PEの名称を使用してはならない」と定められています。
日本で「技術士はPEである」と言っても、米国には技術士はPEであるという法律は全くなく、米国で米国PEでない者がPEの名称を使用すると厳罰に処せられます。
2.米国PEの歴史問題
米国PEは、州ごとに設けているエンジニア資格で、「公共の安全・健康・福祉に奉仕する」ために、責任のある立場でエンジニアとして活動する者に要求される資格です
。
1907年、ワイオミング州で土地所有に関する地図、図面の作成について、不正確さや意図的な歪曲によるトラブルが発生したため、エンジニアとランドサーベイヤーの登録を義務づける州の法律が制定されたのが最初です。
しかしながら、公共の安全に関係する技術が、シビル関係であったという歴史から、現在でも、PEの登録が必要な技術業務は、事実上シビル関係に限られています。
米国PEの団体は、「公共の安全」は全ての技術業務に適用されるべきだとの主張から、シビル関係以外のものは、「適用外」にしているだけだと言っています。
これがインダストリアルエクゼンプションです。
ただし、米国市民の考え方が昔とは違ってきています。
昔だから法律で規制できたのですが、今の時代では、新たな規制を設けることに市民の支持が得られません。
米国PEの業務独占は、拡大することはないだろうと思います。
しかし、業務独占はなくても、その伝統から、高い評価は維持できると思います。
3.外国での階級差別問題
日本では、階級差別をしようとした形跡はありますが、定着しませんでした。外国では社会に深く根付いています。
米国PE資格を取得することは、業務独占がなくても、上位の階級を得られて、米国では非常に有利です。従って受験者は多数です。
ただし、受験するには学士(工学)の資格が必要であるなど、学校教育が重視されていますので、学校に行けること自体が階級です。
日本技術士に職業を聞くと、所属する会社名と役職名を言います(独立自営者も社長と言う)。
米国PEに職業を聞くと、エンジニアと言います。エンジニアは技術者では上位の階級だからです。
会社に勤務していても(いなくても)、職業はエンジニアです。
米国PEは、独立自営者でも会社勤務者でも、エンジニア階級だということの方が個人にとって重要なのです(所属する会社名や役職名は比較的重要でない)。
この感覚は、階級差別のない日本では理解困難です。
資格の名前(2008-10-12)
技術経営責任者と技術監査人の事例で説明するとわかりやすいと思います。
これらは、新たに創作した言葉ですから、現時点では商標登録していなくても、言葉の意味について、曖昧な解釈をさせない姿勢が必要だと思います。
そこで、言葉の定義だけではなく、その解釈について、できるだけ詳しく説明した文書を用意しておく必要があります。
ここで重要なことは、現在の日本の公序良俗に合った説明でなければならないことです。
外国語辞書を根拠にした説明は、多くの場合、かえって混乱を招きます。
国際化の議論が盛んですが、国際化を独立国に強制することはできないという世界の現実があります。
強制できるのは軍事力しかないことを歴史が証明しています。
外国の言葉や制度が日本で使われたとしても、公序良俗に適合しなければ、事実上ないのと同じです。これが国家というものです。
ところで、技術士は、その当時は、新たに創作した言葉だったのです。
しかしながら、50年以上の歴史の中で、技術士同士の些末な対立(世間から見れば)から、創作時にはなかった「ただの技術者」という概念ができています。
ここは、少数派であっても、創作時の状況を取り戻す者がいなければなりません。
日本は殆どが中小企業(補足その2)(2008-9-9)
「日本では中小企業が大企業より技術が弱いなどということは決してない」。
ここでは「立場」を理解することがポイントです。
例えば、自動車メーカーと下請け工場は、立場の違いであって、会社の大小や技術力の高低の違いではありません。
プロフェッショナルとアマチュア、1人と集団も同様です。
例外はあります。
日本は殆どが中小企業(補足)(2008-9-5)
一言補足します。中小企業は技術が弱いといか、人材が行かないというのは昔のイメージです。
一部有名大学の卒業生は大企業に行きますが、卒業生全体からみれば僅かです。
日本は殆どが中小企業(サラリーマン物語は夢の世界)(2008-9-3)
まず、下記をご理解下さい。
日本の実情について、外国人に詳しく説明していないことが3つあります。
その第一は、日本の会社は、殆どが中小企業ということです。中小企業が大企業より技術が弱いなどということは決してありません。
その第二は、殆どの中小企業は、家族を中心に作られていることです。
その第三は、殆どの中小企業は、継続的に仕事をし、技術・技能を継続向上させていることです。
次に、あらためて説明することがあります。
日本では、中小企業に働く者が殆どで、大企業に働く者は例外と言えます。
しかし、サラリーマン物語のドラマは大企業が舞台です。サラリーマン心得の本も大企業がモデルです。
中小企業は多種多様で、共通の話題がつくりにくいからです。
例えば、ドラマでは、経営者と従業員は緊張関係にありますが、日本の殆どの中小企業では、経営者も従業員も同じ人かその家族ですから、緊張関係になりようがありません。
視聴者は、ドラマは夢の世界と承知しています。ドラマの内容を議論する必要はありません。
公益法人の制度改正(2008-8-18)
平成20年12月1日公益法人制度が変わります。
現在の公益法人は、平成25年12月1日までに公益性の認定を得ます(得られなければ原則解散)。
制度改正のポイントは、法人の設立と公益性の認定を完全分離したことです。
法人の設立は自由(登記だけ)になり、設立後の法人が(必要あれば)公益性の認定を申請します。
公益性が認定されると、税務上は都道府県市町村と同じ扱いになり、公益事業だけでなく寄付も無税になります。
一方、公益性が認定されなければ、税務上は株式会社と同じ扱いになり、全ての事業が有税になります。
社団法人日本技術士会は、平成21年3月に定款の改正を行い、公益性認定に備える模様です。
社団法人日本工業技術振興協会は、平成22年3月に経理規程の整備を行い、公益性認定に備える模様です。
公益性認定では、公益の解釈が厳格です。
例えば、日本技術士会が行っている事業では、技術士試験や日韓技術士会議などは公益になりますが、監査のプロジェクトチームなどは公益にならないはずです。
今回の制度改正は、他の団体例えば協同組合にも影響を及ぼします。
協同組合は、資本主義や共産主義よりも古く、各国で、資本主義にも共産主義にもない特別待遇を受けています。
真に自由な独立者で活動した実績(自由な独立者に命令することはできない)によるものです。
公益法人や協同組合で利益を追求してもよいではないかという議論がありましたが、今回の制度改革で、その議論は事実上なくなりました。つまり、利益を追求するなら、他の方法を選択するしかないからです。
もう少し詳しく言うと、新制度では、法人の設立は自由ですから、利益を追求して差し支えありませんが、「公益法人でない」ことだけは明確になります。
つまり、公益の解釈が、税務上の扱いのために、非常に厳格になったということです。ちなみに外国では公益の解釈はもともと厳格です。
会社に所属していた人が、会社の代わりに、日本技術士会や技術士協同組合に所属すること、あるいは、仕事を期待するむきがありましたが、公益の解釈の厳格化で、事実上不可能になります。
NPOについて補足します。税金の減免が原則ないために、ここでは公益の解釈は厳格でなく、上記制度改正の後も、比較的自由に活動できる(組織で命令することもできる)ので、今後とも活用すべきです。
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1.会社に所属していた人が、会社の代わりに、日本技術士会や技術士協同組合に所属すること、あるいは、仕事を期待するむきがありましたが、公益の解釈の厳格化で、事実上不可能になります。とありますが、会社に所属しながら日本技術士会などでアルバイトをしてはならないということですか。
回答 従来は、本人と会社の間で問題になることはあるかもしれませんが、公益法人側では全く問題になりませんでした。
しかし、これからは、本人と会社の問題とは無関係に、公益法人側での問題になります。つまり、公益の解釈が厳格にされることにより、公益と認められた事業(技術士試験など)以外の事業でのアルバイトは、(新)公益法人としてふさわしくないことになります。
従来の公益の解釈では、会員のためになれば、業界のためになり、国民のためになるということでよかったのです。
日本技術士会でのアルバイトも会員のためですから、それでよかったのです。
従来からも、公益とは「不特定かつ多数の者の利益」とされているのですが、厳格に解釈されていませんでした。
例えば、掲示板に出ている入会地は、不特定かつ多数の者の利益ではありませんが、公益と解釈されていたのです。
2.NPOでも認定NPOをとると寄付の控除ができるので、認定をとろうとしていますが正しいのですか。
回答 正しいのです。NPOでも公益性の認定を申請できます。これは公益法人制度改正に関連してできた制度です。
認定をとると(新)公益法人同等になり、税務上非常に有利ですが、公益性の制約も生じます。
もちろん、公益の解釈は厳格です。
協同組合の趣旨説明(2008-6-6)
第32回総会(5/31)の開会前に次のご挨拶をしました。
技術士の名称を使えば、技術士の制約を受けるという大原則があります。
先の戦争の焼け野原で、技術士資格を創設した先輩は、「国家の方針より個人の倫理を優先する誇り高いエンジニアが日本にいれば、戦争は防げたはずだ」と語り合った、と伝えられています。「昔、技術士がいれば戦争は防げた。今、技術士がいるから戦争は防げる」と主張した、日本国技術士倫理の極めて重大な背景を認識しなければなりません。
協同組合の名称を使えば、協同組合の制約を受けるという大原則があります。
協同組合は、資本主義や共産主義よりも古く、その伝統によって、各国で、資本主義にも共産主義にもない特別待遇を受けています。これは、真に自由な独立者で活動した実績によるものです。各国の協同組合は、徹底して「組合を利用する人」のためと主張しています。
技術士協同組合では、創立以来一貫して、協同組合の趣旨を厳守し、組合を利用する人のために、健全な組合名義を維持してきました。32年間、赤字は一度もありません。
ホームページで活動を広報しています。これを「組合の活動」(事業報告・事業計画)として文部科学省に届け出ていますが、ご覧になれば一目瞭然、「組合員の活動」です。
事業協同組合では、組合員は独立事業者と決められています。「独立自営の事業者である各組合員の活動」と言えばより明確になります。
技術士には個人の立場しかない(2008-4-18)
技術士は個人の資格です。この当たり前のことが、昔から十分に理解されていないように思います。
30年以上前の日本技術士会にFIDIC加盟問題というのがありました。
日本技術士会は個人しか会員(民法上)になれません。
技術士には個人の立場しかないと言えばそれで済んだはずでした。
しかし、当時は何かの勘違いで、技術士を仕事上の立場で分類してしまったのです。
確かに、実際に仕事をする場合には、仕事上の立場を明らかにする必要があります。
しかし、例えば日本技術士会の行事に参加するときは、個人の立場だけです。
昔の先輩は、全くの善意でしたが、後輩にどこに勤めているかとか収入はいくらかとか聞いていたことがありました。
行事(仕事ではない)のときは、お互いに個人の立場だけであることを十分に理解していれば、そのような話をするはずがありません。
同時一業一社(2008-4-2)
このページの議論は技術士の制約があります。
アメリカのコンサルタントの著書(日本では出版されていない)に、同時に同業種の多数の会社と仕事することで、一社では得られない高度の情報が得られるという解説がありました。
個々の情報を、自分の頭に入れさえすれば、自分の能力にすることができるという話です。
しかし、技術士の昔の先輩は、技術士の士は「サムライ」だから、それとは違うと主張しました。
それが同時一業一社です。
同時一業一社は、立場が明確になります。
立場の議論はまた別に論じます。
人材育成の努力が重要(2007-12-17)
私の専門は、プラスチックの射出成形と金型の技術です。最近、世界各地の工場を訪問して、その問題点あるいは解決策を1つだけ挙げるとすると、「丈夫な金型で易しい成形をすること」です。「易しい」からこそバラツキのない製品が作れます。
もし「難しい」ことをすると、特別な人、その工場で1人か2人しか理解できない状況になります。
その1人か2人の小さなミスから、大きなトラブルがおきるのです。
易しいことは多くの人が理解できます。そのために多くの人の目が届き、トラブルがありません。
しかし、この話は、多くの人に、理解できる基礎能力があることが大前提です。
工場に1人や2人でなく、多くの人に基礎能力をつける人材育成ができるかどうかがポイントです。
世界に、設備に優れている工場は多数ありますが、人材の育成に優れている工場は非常に少ないのが実情です。
人材の育成は、各工場の努力は当然ですが、業界先輩の努力が重要です。
技術士資格はプロフェッショナルのライセンス(2007-7-20)
資格の議論を始める前に、資格とは別に、プロフェッショナル(Professional)とアマチュア(Amateur)の区別があることを理解することが重要です。
科学技術の進歩には、歴史的にプロフェッショナルだけでなくアマチュアが大きく貢献しています。プロフェッショナルとアマチュアの区別は、レベルの違いではなく、立場の違いです。この立場を理解することがきわめて重要です。
アマチュアの立場は、自分のためです。プロフェッショナルの立場は、社会のためです。
資格があるからといってプロフェッショナルとは限りません。また、資格がなくてもプロフェッショナルは主張できます。しかし、プロフェッショナルの立場を明確に主張するためには、プロフェッショナルの資格を持つことが重要です(例えばデグリーだけでは不十分です)。
プロフェッショナルの資格者団体は、コードオブエシックス(Code of ethics)によって、プロフェッショナルを具体的に主張しています。そこでは、社会に貢献する責任を持ち、正当な報酬は得るがお金儲けはしない、と宣言しています。
さて、全ての資格は、「仕事を始める」ための資格です。「仕事をした結果」の表彰とは、明確に区別しなければなりません。
日本語の「資格」には、英語のライセンス(License)、サーテファイ(Certify)、デグリー(Degree)の3つがあります。これを区別する必要があります。
ライセンスは免許で、免許取得者だけができるとするものです。
サーテファイは能力証明で、能力があることを証明するものです。
デグリーは、学校修了証で、学校修了したことを証明するものです。
ここでライセンスは、行動の自由を法的に制限する、国(あるいは地域、以下同様)の政治問題です。この法的制限の目的は、免許取得者に利益をもたらすためではなく、
免許取得者から国民を守るためのものです。これを理解することが非常に重要です。
技術士はエンジニア(Engineer)のプロフェッショナルのライセンスです。エンジニアのライセンスは他にも多数あります(例えば建築士がそうで、弁理士は別です)。エンジニアは、その特殊な能力によって、国民に危険を及ぼすおそれがあることから、自由が法的に制限されています。
資格の事例で補足説明します。
技術士には、自由の法的制限、例えば秘密保持(違反者は1年以下の懲役)があります。ライセンスの特徴です。
技能士には、自由の法的制限はありません。サーテファイの特徴です。
博士には、自由の法的制限はありません。デグリーの特徴です。
おわりに一言付け加えれば、技術士と称するだけで、技術士の制約を受けます。例えば、プロフェッショナルの立場が明確になってしまいます。
技術者は走り続ける(2007-5-3)
最近海外に出ることがあります。世界各地で、日本製品は故障しないという神話ができていることがわかります。一度そうなると、たとえ故障しても、希な事例と見てもらえるようで、良い循環になります。
しかし、私は、日本製品が粗悪品であった時代を知っています。そのときは悪い循環でした。それを抜け出すため、少しも気が抜けない緊張をし続け、現在に至った歴史があります。
例えば、自動車は、約3万点の部品で組み立てられていますので、全ての部品が非常に高い品質を要求されます。相当に「良い工場」でなければ作れません。
私の専門とするプラスチック成形と金型の業界では、世界には、良い工場も多数ありましたが、良くない工場も多数ありました。良い、良くないを決めるのは、国や民族に関係なく、その工場の技術が進歩し続けるかどうかです。走り続けると言ったらわかりやすいと思います。
その事例は、毎日の小さな改善の積み重ねです。しかし、そのような地道な努力をするよりも、もっと有利な新しい方法があるという議論が必ずおきます。外国の多くの工場は新しい方法を模索しますが、日本の多くの工場は、小さな改善にこだわり、そのときは大したことないように見えても、結局は良い工場になっています。
技術士には個人の立場と仕事の立場とがある(2007-4-8)
職業名と資格名は一致すると分かり易いのですが、技術士では難しいところがあります。
技術士の「仕事のかたち」(正業に限る)は、主に3つあると思います。
1会社員(勤務日数に無関係)、2会社経営者(会社の大小に無関係)、3個人事業者(収入の大小に無関係)
しかしながら、技術士と名乗っただけで、「仕事のかたち」は何であっても、あるいは、正業についていない場合でも、「個人」として、技術士の法律上の義務・責務、および、技術士のプロフェッショナルエシックスを遵守しなければなりません。
技術士は個人に付いた資格だからこうなるのです。つまり、技術士と名乗っただけで、「仕事をしてもしなくても」個人の立場を生じます。これとはまったく別に、「仕事をすれば」仕事のかたちによる立場(仕事上の立場)を生じます。仕事をするときは仕事上の立場を明確にする必要があります。仕事上の立場では、例えば、取締役と監査役を同時にすることはできないからです。
仕事上の立場が不要な場面もあります。例えば日本技術士会の行事に参加するときは、個人の立場しかありません。
ここで一言付け加えることがあります。約30年前、日本技術士会では、FIDIC(国際コンサルタントエンジニア連盟)加盟をめぐる論議がありました。コンサルタント業者と施工業者を同時にすることができないという連盟の規約でしたので、当時の日本技術士会では、会員を「仕事上の立場」で「分類」して、対応しようとしました。
今になってみれば、「日本技術士会では個人の立場しかない」という単純明快な論理で押し通すべきだったのです。
技術士は技術のプロフェッショナルである(2007-1-7)
日本の技術より優れた世界の技術は多数ありますが、大局的に見れば、日本の技術は世界最高水準です。さらに、技術士より優れた日本の技術者も多数いますが、大局的に見れば、技術士は日本最高水準です。従って、技術士の技術能力は世界最高水準にあり、今の時代で、仕事不足の技術士はいないはずです。
ただ、技術士の制度は1957年に始まりましたので、かなりの人数が事実上引退しているものと思われます。今の時代で、仕事不足の技術士は、年齢及び合格年度に関係なく、事実上引退している者です。
この議論は技術士(登録者)に限られています。技術士と名乗らなければ、技術士の制約を超えて、自由に活動することができるからです。もちろん、同時に複数の立場はとれないという大前提はあります。
一言付け加えれば、技術士(登録者)と名乗ると、技術士としての制約を受けるということです。この意味は別項にしますが、少なくても、現役で技術の仕事、かつ、プロフェッショナルでなければならないということです。
技術士は世界最高水準の技術を持っている(2006-12-26)
標題にもかかわらず、技術士は能力が低い、という話を聞くことがあります。しかし、良く聞いてみると、顧客(あるいは上司)の思惑と、技術士のそれとがすれ違いになっている話です。
例えば、顧客は、技術士に狭い範囲の仕事をさせ、これを複数集めて、自分で構成しようとすることがあります。これには、重要な仕事であるため全体の構成を秘密にしたいという理由もあります。とくに最近は、技術の高度化にともない秘密保持が非常に重視されています。
ここで、技術士が、広い範囲の仕事で対応しようとすると、すれ違いになります。技術士が広い範囲での能力が高いと思ってしたことが、顧客は狭い範囲での能力が低いからだと見てしまうわけです。
また、顧客と言っても相手は1人ではありません。発注者と実際の担当者の考えがかなり違っていることがあります。このような場合、一方の考えに沿って仕事をすると、他方の考えに沿わないことになり、すれ違いになります。
日本の技術より優れた世界の技術は多数ありますが、大局的に見れば、日本の技術は世界最高水準です。さらに、技術士より優れた日本の技術者も多数いますが、大局的に見れば、技術士は日本最高水準です。つまり、技術士は世界最高水準の技術を持っているという標題で間違いありません。
技術士はいつでもこれを自信を持ってアピールします。しかし、自信と自慢とは違います。自分では自信を示したつもりが、他人には自慢しているだけにしか聞こえないことがあります。すれ違いは、こうした態度からはじまることが多いのです。