技術コンサルタントの世界(平成16年)
技術コンサルタントの世界 2004.12.23.森田裕之 Yuji Morit
「師走ーその4」
*挨拶や忘年会はあと3回残して無事に過ぎようとしています、我が家最大のイベント、30日の恒例の餅つきは長男が幼稚園の時に始めて多分34−5年目ですが、不思議なことにこれまで天候に恵まれて中止したことはありません、7年前だったか2週間後にバイパス手術をしましたが、餅つきの時は何も知らずに元気にやりました。
22日にはその餅つきのための仕入れをしに築地にいきました、豆類や大薬缶、数の子の類です、ついでに牡蠣のバター焼きと言う名物昼飯を食べてきました、この一帯は私の憧れの地域で、車の運転が出来なくなったら、東本願寺の近くに住んで(聖路加病院が近いし)築地で昼飯を食べ、銀ブラをして、日比谷で映画を見ると言う老人になりたいのです。
こういうたあいのない年中行事のことで人ごみをぶらぶら歩いているのは、悪くない気分でした。
*NHKの会長さんがマスコミの集中攻撃にあっています、この人は人相が悪いから損してますね、大衆に嫌われたから、とことん引き摺り下ろされるでしょう、私はNHKの番組は民放より好きですから、不払いなんかには反対です。
*ドン・キホーテはまともなビジネス・モデルだと思います、放火した奴が悪いのですから、時間がたてば信用は回復するでしょう。
*西部の堤さんには余り同情しませんが、ダイエーの中内さんやミサワ・ホームの三沢さんは稀代の英雄だと思っています、それにしても時代ががくんと動きましたね、いよいよ私の世代が崖っぷちの後が無い長老になりました。
*まだわずか数人に過ぎませんが、ネットでceaを知ったと会合に参加する若い人が出現しました、技術士会の会合などで面白そうな奴をceaに引っ張り込んだのがつい最近のことのように思うんですがねえ、時代が変わりました。
「少数派の誇り」
私は満州引揚者として親父の田舎に割り込んだ小学生の頃から、少数派(マイノリティー)に属してきた筋金入りです、自分の意見が大方の世間の意見と変わりないと言う状況には耐えられません、自分がどこかで間違ったんだと考え直すことにしてきました、技術士会と言う団体が、数少ない倫理要綱を持っているグループと言うことで着目されて、対外的なエンジニアの代表としてプロフェッショナル・エンジニアと英文呼称を変更したことは、皆さん御承知のとうりですが、私はこの倫理要綱に疑念を持っているのです、倫理要綱自体というよりは、会員の帰属意識と言いましょうか立場意識に疑念があるのです。
*倫理とは、共同体が共同体として成立するために、成員が守るべき行動準則でしょう?、とすれば技術士会には倫理要綱があるということは、技術士会は共同体である、と言うことになりますよね?技術士会は本当に共同体だと思いますか?
会員同士に仲間意識が持てますか?
我々は、独立・自営と言うキーワードの仲間意識が持てる人たちとceaを運営してきましたが、明らかに変動期を迎えました。
*今年は、ceaの仲間が核になる団体が三つ出来ました、それぞれ流行のNPO法人で進んでいます、来年早々もう一つ出来る予定です、技術士が将来総てのエンジニアを取り込んだものにしようと役所が制度変更した反動と考えられます。
*ceaには技術士会に入って無いとか、辞めたと言う人がいますが、私は辞めるつもりはありません、結構仲良しの友人もいますし、楽しいイベントもあるんです、ただこの団体で会員が倫理を論ずるのは違和感があります。
*倫理要綱という奴は、我々独立・自営業者にとって伝家の宝刀なんです、実際に商売したことのない人がプロフェッショナル・エシックスを論じているのは片腹痛いと言うか、この偽善者めがと悪たれが吐きたくなります。
*仲間意識ー共同体ー倫理要綱というつながりで考えると、今の私の気分から言うと、単に技術士資格のある人達よりも、独立・自営業者に仲間意識を感じていています、技術士資格はハイパー・インフレーションに巻き込まれたので、軽いものになってしまいました、これもまた時代が変わりましたというべきでしょう。
技術コンサルタントの世界 2004.12.13.森田裕之 Yuji Morita
「師走ーその2」
断続的な冷たい雨の日曜日、妻はお返し物のため、私は伊東屋で手帳やカレンダーを買うために銀座に出かけました。
忘年会の夜の銀座とまったく違った家族ずれの昼間の銀座もなかなかいいもので、浮かれて「英国屋の安売りネクタイを3本」とソニープラザで「町をウォーキングする靴」を買ってしまいました。
技術士資格者5万人、受験者5万人、技術士補3万人(これらの人数については、聞きかじりなので正確な数字は知りません)という人数の割りには、独立・自営の我々100−150人と言う数字は、あまりに少ないし、社会的にはほとんどナッシングであることは自覚しています。
ceaの養成講座をやっている橋本良昭君に言わせれば、「技術士は何万人居ても99%が役所・会社に骨ガラミからみとられていて、個人が自立していないから、役所・会社のなかでの仲間意識はあるが、技術士同士の仲間意識なんて無いんです」
と諦めムードです、私に言わせれば、私はサラリーマンより世の中の独立・自営業者に仲間意識を持っているのでおあいこでしょう。
私はこの一年の情報で、役所の技術者の技術士受験者激増という話と、30−50歳代の(定年以前の)独立・自営技術者の激増(基本数字が小さいので目立たないが、世の中の潮目が変わったことは確かだ)に希望を抱いています。
若い人の話を聞くと、我々世代の技術者の会社依存度とは桁違いの覚めた見方に驚かされる、多分個人が自立せざるを得ない世の中に変化したと考えるべきでしょう。
世の中変わったという意味で、私が今一番納得していることは、世界が単一市場に変わったから、先行き予測が難しくなったということです。
私自身は年齢的にも先行き時間が無いので、あまり未来への選択の持つ自由、投機性に左右されないが、独立・自営業者は自由の持つ不確かさ、選択の持つ投機性から逃げてはいけない。
言い換えれば、楽天的にいこうぜ、と言うことで、楽天的になれる一つの条件は、体が丈夫であることです、私は人並みに老化していますからバイパス手術をしたし、白内障もやりました、それでも後輩の諸君にお勧めの体力作りがあります、それは
水泳と散歩です、私の家はさいたま新都心という開発地区に近いので、幼稚園や小学校のクラス増設とか、旧い屋敷を取り壊したマンション建設が盛んで、25−30年前の日本列島改造・建設ブームが再現しています、たぶんどっかから人口を吸引しているんでしょうね、近所を歩いている限り不景気だとか過疎化というテレビやマスコミの話に実感がありません。
昨夜新しいコースを歩いていたら、クリスマスの飾りつけの電飾を華やかにしている住宅地を通過しました、アメリカでは金持ちの一戸建ての家の庭でよく見かけましたが、いよいよ日本にも現れました。
水泳は荒川の近くにあるさくら区というパブリックのプールか、新都心の真ん中にある7階という高い所にあるクラブ・プールで泳ぎます、調子がいいときで50分間に2000メートル、普通は35分で1500メートル位がいいとこです。
500位のところから、いわゆるランナーズ・ハイの状態になり、何ぼでも泳げる気分になりますが、歳を考えてセーブしています。
我が家の次男坊洋平はグラフィック・デザイナーです、今年広告会社を辞めて独立、勤めていた会社から仕事を貰って家で仕事を始めました、傍で見ている限りとてもこれから食っていけるように思えませんが、親の背中を見て自営業をやってみようとは「けなげな奴」でしょう?
我が家では、30日には恒例の餅つきをします、副島隆彦さんもお弟子さんを連れてきてくれるようです、ceaの諸君も歓迎します、20キロのもち米を食い尽くす予定です。
技術コンサルタントの世界 2004.12.05.
「師走」
今日(5日)は台風一過の日曜日、朝から快晴で雨の直後なので、空気が澄んでいるのだろう、景色の輪郭がくっきり・はっきり見える、白内障手術のお陰もあって、明るく光に満ちている中の散歩は気分が良い。
午後には、錦糸町のアビリティーガーデンに教育同友会年次総会、講演会・技術士電気部門の山本東平さんの電力会社の話(と言う風に私には聞こえました)はとても面白かった。
会の後の飲み会では、主催の伊藤早大名誉教授と、ceaのホームページの主張提言に先生が書いておられる「技術者倫理」に関して、侃々諤々やりました、途中で先生がカトリックに受洗されていることがわかり、日本の土人である私とかみ合わない所があるのはしょうがないと言うことになりました。
それでも私が所謂プロフェッショナル・エシックスと言う狭い範囲のことを主張していることは、理解いただいたと思います。
さて今週の一番の心配は、1日の群馬県太田市でのイベントhttp://www.cea.or.jp/りょうもうIPO研究会の発足に何人くらい集められるか、でした。
結果は62名、知らない顔が沢山来ていました、まあまあの成功でしょう?
3日には日韓技術士会議のステアリング委員会があり、新潟、島根、名古屋、等地方からの委員が集まり、今年の開催地米子の伊藤委員のねぎらい・飲み会がありました、ここでの付き合いは20年来のもので、元をただせば本田尚士先輩に引っ張り込まれたのですが、橋本・中山(新潟)・青葉・藤井(島根)・宮原(千葉)の諸君は、ほぼ同年齢なので、年に10日以上会う気の置けない友人になっています。
4日の土曜日は、これも20年以上続けている、独立・自営を希望する諸君との雑談会が錦糸町アビリティーガーデンでありました、今回はビックリしたことに、商事会社に勤務する26歳の政治経済学部出身の若者がネットでceaの活動に興味を抱いて、ネット会費を払い込んで出席してきました。
おおむねが、団塊世代の定年前の技術士が主な出席者である会合に、こういう人が飛び込んできたと言うことは、なんか明るい兆候じゃないでしょうか?
4日の午後には、竹橋の千代田区中小企業センターでプラスチック業界の会合コンペックスがありました、しばらくぶり(6年)に仙台から東京に戻ってきた上条君が来ていました。 ここにはceaの野尻・近藤・菅野・大久保の諸君がやっているhttp://www.cea.or.jp/snpo/の事務所があります、コンペックスの講演をさぼって事務所に行ってみると、野尻君が仕事をしていました。
1日のNPO法人産業技術活用センターの設立総会の様子を聞くと、70名集めて盛会だったとのことです、安心しました。
同じ日にceaの関係者が東京と群馬でイベントをやって、両方とも結構な人集めをしたと言うことは、ceaも地力がついてきたと素直に喜んでおきます。
とは言うものの、今後は世話役・幹事役が情報交換してダブらないようにやりましょう。
師走とはよく言ったもので、何かあわただしい気分があります、来年を予測する本が沢山並んでいますが、今の所買いこんで積読しています、私この手の本大好きなんです。
技術コンサルタントの世界 2004.11.30.
「忙しい日曜日」
10月に亡くなった妻の母親の関係で、私は二つの家のお墓の管理人になりました。
早速のイベントが27日(日)にあり、朝早くから夕方まで、埼玉県庁の近くにある、最勝寺という浄土真宗のお寺で「法話」を聞き、お昼ご飯をいただきました。
私は、五木寛之などの著書を通じて、親鸞、とか蓮如については親近感と興味が有ったので、こちらのお寺の付き合いは以前より楽しみにしていました。
講師は、島根からみえたと言う90歳の女性でした、この方が午前1時間、午後1時間立ったままで、6−70名の座った聴衆に迫力ある説法をされました。
内容はともかく、その人自身の人間としての魅力には、圧倒されました、私は典型的な非ー宗教的日本人ですが、お寺という装置やシステム、それを取り巻くインフラを取っ払って仏教を考えてみると、外人には「俺は仏教徒で、心情的には門徒に属する」と言ってもいいと思っています。
帰宅後、旧天王川という小川の上を蓋した遊歩道を、散歩で浦和競馬場ー武蔵浦和ー別所沼ー北浦和公園と2時間歩き、帰宅し録画してあった、朝まで生テレビを見て、朝鮮の拉致被害者にかかわる議論に憤慨、血圧の上がるのを実感した。
それはそうと、土曜日のけいみ会での編集プロ荒川・小暮組の、技術士・士補・受験生を合わせると15万人もいると言う指摘には虚を衝かれた感じだ、これだけ大勢の技術者が一体何を共有しているんだろう、役所からの受験生が激増していると言うが何故だろう、技術士協同組合として試行錯誤を繰り返している試みに不足しているテーマは無いのだろうか?
技術コンサルタントの世界 2004.11.25.
「仲間意識の変遷」
最近技術士会がCEからPEに看板の架け替えを完了したが、数年前に会員の一部と役所がこの大プロジェクトをスタートさせた頃、偶然当時の役所に出入りしたいた先輩からこの話を聞きつけ、私なりの反対運動を繰り広げたのだが一敗地にまみれ、今となってはかえって独立・自営者(CE)としての仲間意識が高揚してきている。
学生時代の友人も社会の第一線から全員引退し、その内の3分の2くらいは付き合いが復活している、つまりみんな会社員だったと言うことだ。
そんなわけで、何時の間にか、私の付き合いは、卒業後45年経ってほぼ全員会社員からほぼ全員が非・会社員に変化してきている。
不思議なもので、そうなってくると技術者以外の人種についても、自営業者に仲間意識を抱くようになってきて、いわゆる組織マンの生き方には興味もないし、同情も無い。
組合の色んな会合も、「現在は会社員だが、独立・自営に興味ある」という人が出てくるので、私は益々増長してしまう、先週もある会合で、最近よく出てくる若い人に「組合はもっと独立・自営の団体として技術士会に対抗しましょう」、などと扇動されている。
昨年来、技術者を経営者に、と言うコンセプトを実現するための、日本技術経営責任者協議会(JETO))http://www.cea.or.jp/
を作り、続いて施主(役所)のための専門技術者グループ「けいみ会」http://www.cea.or.jp/insp/(NPOの看板は、もう少しもっともらしい名称になるでしょう)が、組合の仲間を中心に形成されつつある。
これからの日本の社会の変動に対応する、これらの運動の根底を流れる考え方は「回転ドア」じゃなかろうか、この用語はアメリカの政権が変わると、それにつれて数千人の人間の入れ替えが生ずることを表現したものと理解している、日本のように役所からの天下りと言う現象とは、根本的に異なるらしい。
私見では、ハイレベルのエンジニアの教育は基本的には「メーカーの現場」にあり、出来ればエンジニアはここを卒業してから
研究者・マネージメント・経営者・コンサルタントに「回転ドア」して欲しい。
同様に、これからの役所は常時最小限しかエンジニアは置かずに運営するようになるだろうし、民間でも長期展望で人材育成することが難しくなるに違いない、このあたりの未来展望には、あまり楽観的な意見が無い。
実際に私の言う「回転ドアー」が実現すると、真に皮肉なことに、これが所謂欧米で言う所のPE,プロフェショナル・エンジニア制度そのものである、私は技術士会はCEの先輩どもが創った会なんだから、PEの会が創りたければ、新しくプロフェッショナル・エンジニアの制度や会を作ったらいいじゃないか、と主張して闘ってきたが、技術士会のなかでの戦いには負けたわけだからね。
「物忘れについての歓迎すべき理論」ー内田樹先生のblogより、http://blog.tatsuru.com/
同年輩の会合は、病気と物忘れが自慢の種になったりして、いささかげんなりすることがあるが、最近はまっている内田先生は、
貼り付けー
一見関係なく見えるトピックのあいだには必ず見えないリンクがある。
フロイトが『日常生活の精神病理学』で説明してくれたように、固有名詞をど忘れする場合、そこには必ず抑圧が働いている。
別にその固有名詞そのものが抑圧すべき心的過程であるわけではなく、その固有名詞が「リンクしている」何かが忘れられることを求めるのである。
その結果、「忘れようと思っていたことは忘れることができず、かえって忘れるつもりのなかったことを忘れてしまう」という仕方で「ど忘れ」は発症する。
「関係ない話への逸脱」は、この「ど忘れ」の行程を逆にしたものと考えることができる。
あるトピックについて語っているうちにふと「関係のない話」を思い出す。
それは、「関係のない話」のコンテンツにぜひとも語られねばならないような必然性があるわけではない。
そうではなくて、その「関係のない話」が、他ならぬそのときに、他ならぬその文脈で思い出されたことに必然性があるのである。
貼り付け終わりー
私は、小学校3−4年生の年齢である満州での敗戦後の2年間の記憶が無い、帰国後4−6年生の親父の田舎での3年間は、記憶鮮明である、引揚者・疎開者のグループがあり、地元の連中と一線を画して突っ張っていた。
以来60年間、私のポジションは、常に少数派である、自分の意見が多数派になったとたんに、落ち着かなくなり、逃げ出してしまう、我ながら困った性格である、記憶の無い2年間にその淵源があるに違いないが、いまさらそれが明らかになることは無いでしょう。
コンサルタントの世界 2004.11.20.
「独立・自営の技術者のためのインフラ・ストラクチャー」
今日、11月19日(金)はNPO法人 日本技術経営責任者協議会主催http://www.cea.or.jp/の第4回の講演会が早稲田大学の理工学キャンパスで開催、日本政策投資銀行の木嶋豊さんの「カーブアウト・産業クラスター支援」と言う面白い話を聞きました。
12月1日には、この協議会の群馬支部が、下記のように発足会と第一回の講演会をやる事になっています。
貼り付けー
群馬支部発足会及び第1回講演会
日時・場所:12月1日(水) 14:00〜17:00 (パーティ:17:00〜19:00)
(株)ぐんま産業高度化センター会議室
講演@:「最近のIPO事情」 東京証券取引所 上場部新規上場サポート担当齋藤
史貴様
講演A:「上場は難しくない」 中央青山監査法人 代表社員 公認会計士 川田増三様
主催:日本技術経営責任者協議会
群馬支部
協賛:(株)ぐんま産業高度化センター
後援:(社)日本工業技術振興協会, NPO法人 産業技術活用センター,NPO法人
ITコーディネータ協会
貼り付け終わりー
さて、12月1日には、同じ技術士協同組合ceaの仲間である早稲田大学の野尻昭夫君達のグループ、産業技術活用センター http://www.cea.or.jp/snpo/ も設立総会と講演会を下記のとうり開催することになっています。
貼り付けー
NPO法人 産業技術活用センター設立記念講演会と懇親会開催のご案内
1. 日時 2004年12月1日(水)
記念講演 15:00〜17:00、 懇親会 17:15〜19:00
2. 場所 ちよだプラットフォームスクウェア (旧「ちよだ中小企業センター」)
記念講演は、5階 504、505,506会議室、 懇親会は、1階カフェ
千代田区神田錦町3-21
・地下鉄東西線竹橋駅から徒歩3分
・地下鉄半蔵門線、都営新宿線神保町駅から徒歩8分
・JR神田駅から徒歩12分
3.
スケジュール
15:00〜 理事長挨拶
15:05〜 記念講演1 早稲田大学教授 松田修一氏 「技術ベンチャーと大学の役割」
15:50〜 記念講演2 潟Aクセラテクノロジ社長 進藤達也氏
「アクセラテクノロジ株式会社 スピンオフ物語」
16:40〜 NPO法人産業技術活用センター理事 野尻昭夫氏
「我々NPOが目指すもの-事業紹介」
17:00〜休憩
17:15〜19:00 懇親会
貼り付け終わりー
どうして同じ日に、イベントが重なってしまったか、私は密かに反省しています、この2つのグループは、
「独立・自営の技術者のためのインフラ・ストラクチャー」と言う意味では、まったく目的は同じであり、世の中の切り口に若干の見解の相違はあるものの、益を得るものは同じ我々独立・自営の仲間達である。
最近では、シビル関連の役所マーケットを睨んだ独立・自営グループであるけいみ会http://www.cea.or.jp/insp/という活動も活発化し始めた。
それぞれの活動を下支えしているceaメンバーの世話役諸君は、ぜひ連絡を取り合って12月1日のようなマタサキ状態を作らないようお願いしたい。
私は、年末・年始からスタートして、隔月予定の世話人連絡会議を銀座・交詢社で開催することを提案します。
技術コンサルタントの世界 2004.11.14.
「工場見学は面白い」
今週はたまたま工場見学のチャンスが2回ありました、何が面白いって工場見学くらい面白いことはなかなかありませんね。
10日には、SME東京支部(society
of manufacturing
engineers)による、川崎・JFE製鉄所(日本鋼管)内のアーバンリサイクル(株)を見てきました。
家電リサイクル法によるメーカー連合の静脈産業の実際が一目瞭然にして理解できる、日本国中の各地に同じシステムがあるそうで、日本は凄い、その上この大都市の真っ只中にある製鉄所には、廃棄プラスチックの処理プラントもあり、淘汰されてしまったアメリカの製鉄所とは一味違うしぶとい日本の会社ここにありだ。
12日には、埼玉技術士会の神下君の案内で積水化学東京工場(と言っても朝霞市にある)で下水のパイプや継ぎ手製造の現状とこれからの話がおおむね把握できた。
上下水道の技術士諸君から、彼らの業界関連企業としての積水のようなメーカーを見る角度は、私のようなプラスチック関連業界で飯を食っている技術士には、非常に新鮮で面白い、例えばこの会社のこれからの技術開発のネタはシビルの諸君が提案すべきなんだな、技術士仲間としての接点はありそうです。
副島隆彦さんに税務調査が入りました、ベストセラー作家には軒並み来るらしいですね、副島さんは御存知の学問道場http://soejima.to/snsi.htmの有料サイトや講演会など「弟子を育成する活動」を私費で持ち出しながら「どんぶり勘定」でやっているので、税務署員とは、話が合うはずがありませんから、大喧嘩が始まりました。
13日の土曜日午後には、組合(cea)の2つあった会合をすっぽかして、私は弟子の1人として沢山集まっている若者ども、副島さん達と議論しました、議論したと言っても、大半は意気軒昂としている副島さんの話を聞いていたのですが、早くもこの税務署との戦いは、副島さんの次回のベストセラーのネタになりつつあり、対応している大宮の税務署の諸君が少々気の毒になってきました。
13日の夜は、京都から後輩の村上君が来ているので、近所の水谷君をさそって銀座の交詢社に集合してライオンで一席お喋りした。
この村上君は10年ぶりくらいだが、私以上のお喋り野郎で、しばらく会わない内に益々磨きがかかっているので、こっちも負けじと喋っていたら、くたびれました。
同じ土曜日の午前中は、六本木の原田敬美君の「けいみ会」http://www.cea.or.jp/insp/の小委員会があり、ここでも結構喋りまくっていたので、土曜日は一日中喋っていたような気がする。
突然ですが、何か猛烈な勢いで日本は変わりつつありますね、物心ついてからでは、就職した1960年頃、独立した73年頃、景気が悪くなり始めた90年頃の次の段階が始まったのだろうか?
私としては、明日引退してもおかしくない年齢に達しているが、どうやら私なんかには面白い時代になりそうな予感もするし、
趣味に乏しいご隠居さんは退屈そうなので、今しばらく働くことにしています。
技術コンサルタントの世界 2004.11.04.
「顧客の話」
我々の商売で、何が難しいって顧客の獲得に尽きるでしょう、これは何も技術コンサルタント業ばかりではないでしょうが、私も昔会社員の頃に営業の人がいずこからとも無く、お客を捕まえてくるのを、不思議な能力の持ち主だと尊敬していました。
いざ自分で開業してみると、何をしたら自分の未来にお客に会うことが出来るのか、途方にくれたものです。
先輩達を見ると、大体が業界の有名人が多くて、セミナーをしたり、本を出版して知名度が高く、潜在的なお客を吸い寄せているように見えて、うらやましく思いました。
さてそんな私が、独立・自営を30数年間継続して、今では現役最年長シニアとして後輩どもに、この商売の最大の難問である「顧客の獲得」についての具体的なシステムを残してやろうと、決心をした次第です。
一つは民間の中小企業です、大企業出身者の多い技術士はなかなか中小企業者と付き合う機会に恵まれていません、そこで昨年の今頃に、創立した会社を売ったばかりの大塚政尚君をリーダーとする、NPO法人日本技術経営責任者協議会(Japan Executivive
Technology Officers)(http://www.cea.or.jp/を組合の諸君の協力を得て作りました、今のところは私や大塚君の関係会社の上場(IPO)をケーススタディするような経過ですが、時間と共に沢山の会社と技術コンサルタントとの密なる関係が生まれてくることになるでしょう。
一年遅れですが、6月に港区長を辞めたばかりの原田敬美君をリーダーとする、自治体など役所を顧客とする技術コンサルタントグループ、NPO法人申請予定の「けいみ会http://www.cea.or.jp/insp/」が生まれかけています、ここでの注目すべき原田語録の一つは「訴えるポイントは「施主側の技術者」としてお役に立つ。」ということで、これまでの土木建設を主体とするシビルエンジニアに環境やエネルギー、バイオやITを専門とする技術士にも参加してもらっています。
シビル業界での技術コンサルタントという職業は、残念ながら調査、企画、設計等の会社によって、はなはだあいまいな、なんでもありのようなことになっているが、我々は個人の自営・独立した技術者にのみ称されるものと、理解したい。
この2つのグループは、マーケットが異なるとはいえ、対応する技術コンサルタントは同じ我々の仲間である、これを読んでいる諸君の献身的な協力があれば、両方のグループ共これまでにない技術コンサルタントの市場を開拓してくれるに違いない、自立・自営していることと、共同体として仲間と協力して生きていくことを両立させるには、これしかないと言うのが、現時点での私の結論である。
技術コンサルタントの世界、2004.10.28.日韓技術士会議
生西(イケニシ)さん、10月26日の米子の大会パーティー会場で、君達御夫妻の隣に座っておしゃべりをした森田裕之です。
私と妻(パーティーが苦手なので欠席し、当日は車で周辺の探索をしていました)は、車で前々日には京都の市内に一泊し、途中の丹波・篠山をゆっくり見物してから、米子の皆生温泉にやって来ました。
今回は韓国側から120人、全部で300人の参加者があったと聞きましたが、シニアの参加者どもの楽しみは、御当地周辺の観光と旧知の出席者達との再会の喜びです、勿論今回米子に来て知り合った君や、私の第五分科会をお世話いただいた平山、大田さん、君の兄貴分だと言う川口さん、パーティーの右隣に居た宇部からいらした住居さんなど、韓国側を入れると20枚くらいの名刺交換をしています、新しくお知り合いになれたのは、これからのお楽しみです。
どうして日本と韓国の技術士がこれまで特に仲良しなのか、考えてみれば不思議なことですね、当日さわりはお話したつもりですが、この会合は、午前中の基調講演をされた本田尚士さんが35年位前に創った会合で、第一は同じ「技術士」という漢字が共通していること、第二は現在では70歳以上になると思われる、日本語がわかる韓国側技術士の存在があること、第三にはコンサルタント業界はお互いに主として国内産業なので摩擦が無いこと、第四に(実はこれが本当の理由だと思いますが)十数年前に実行委員長(いわゆるステアリング委員会で、私も忘れるくらい昔に本田先輩に引っ張り込まれたのですが)にすえられた故松平さんのアイデアにより、会合を新潟、サッポロ、松江、福岡、仙台、米子の各地を韓国側の各地と交互に隔年開催したということにあると見ています。
私なんかは、会議は中身がよければ(コンテンツ派と言うべきか)全て良しと言うような単純な技術者で、農林省の高官だった松平さんと知り合いになるまでは、役人は特に苦手で毛嫌いしていたきらいがあり、当初はなにかと議論を吹っかけては喧嘩になりましたが、直ぐ仲良しになり、私は松平さんの「仕組みつくりと人間の組み合わせ」に関する能力には敬意を表するようになりました。
5−6年前から、韓国側・日本語世代の消滅も近いという危機感から、英語の分科会を提案してその座長をやっています、今回韓国側の相棒である余浩栄さん(Yeo
Ho Young)が冒頭に「始めた頃は発表者(speaker)だけの5−6人でやっていたけど、今回は30人位参加してくれた、とても嬉しい」と喜んでいた、私も同感です。
ただし、仲良くやってきた第三の理由である「お互い国内産業に属する」という仕事上の摩擦の無い状況は、変化が見られるようになって来ました。
特にAPECにかかわる問題は、韓国側の技術士にとって重要なテーマなようで、第五分科会にも最後に30分時間をくれと言うことで、李康徳(Lee
Kang Duck)さんという教育委員長(元副会長)さんが、「これは日本側に対する文句じゃありませんがーーー」と言う前置きで、これまでの日本側の対応を延々と説明して、「折角仲良くやってきたつもりなのに、どういうことなのかコメント・説明してくれ」と言われてしまいました、車さん(Cha,Yung
Ho)と言う若い人も追加演説をしていました。
韓国の技術士会はステイタスが比較的高いのか、社会的背景の違いがあるようですね、私はPEの会になってしまった日本の技術士会の行方に関しては興味ありませんので、本件ノーコメントです。
さて、今回の会議のために、最近の若手の独立・自営組に参加を希望した結果、君に紹介した田吹、平野、高堂君が出てきてくれましたし、第五分科会には将来技術士会の主役になるであろうバイオ部門の、研究者石井一夫君にショートレクチャーをやってもらいました。
新しい社会インフラに関する提案グループとして、元・港区長の原田敬美君を中心としたhttp://www.cea.or.jp/insp/活動があります、これまでの土建とか補助金というような関係者は元気が無いですね、パーティーでも北海道からきた旧知の市村さん、斉藤さんの話では、北海道の過疎化は進んでおり、子供達は東京に出て行くのが常識になっているそうです。
我々世代は先がありませんから、どうやら大丈夫かなと思いますが、生西さんは40歳代でしょう、落ち目の業界に生き延びていくのはご苦労さんです、技術士協同組合(cea)のホームページを読んでいるとのことですが、折角知り合いになったのですから、掲示板に書き込むとか、ネット会員になることで、100人くらい居る独立・自営の諸君と付き合ってみたらどうでしょう。
伊藤さんをはじめ関係者皆さんによろしく。
技術コンサルタントの世界 2004.10.24.
「仕事の話」
同年輩の友人と会うことが多い、身体の病気・健康の話は情報交換としても非常に面白くて、飽きずに話が尽きない。
精神の問題となると、いささか首をかしげる話が多い、結論を言うと、長年のサラリーマン生活によって、幼稚な社会人のままフリーズして年寄りになっている。
どうやら、人間は「仕事」無しには生きて行けないらしい、神経症の治療で有名な森田療法(森田正馬http://www.mental-health.org/)とは、「もともと人間は活動しないわけにはいかないように形作られていて、その活動の中枢にあるのが仕事だと森田正馬は考えていました。そして人間はこの仕事の中で初めて自己実現が可能であり、仕事以外の行動の中にはそれを求めることは出来ない。だから、仕事を通じて自己を実現するプロセスで神経症者は治っていくというのが森田の行動療法のエッセンスです。」と言うことだ。
ここで仕事の定義を、会社でやってきたような仕事から、「自分の好きなことで、社会や友人・家族の役に立つこと」に切り替えることが肝心である、ただここが実際は難しい、なにしろ日本の会社と言う共同体は、会社員が会社以外の共同体とのかかわるのを嫌っているからねえ、会社の延長線上の付き合いと奥さん位しか遊んでくれないらしい。
さて我々技術士協同組合のメンバー諸君は、これから大量に放出されてくる団塊の世代の会社・役所定年の連中の「先達」として、「仕事(会社でいう仕事ではなくて、社会の役に立つことを沢山考えて用意する)を作る」仕事を考えて下さい。
近藤信竹君のコミュニティーゾーンの構想や高堂彰二君の監査機関のNPOは、これまでに世の中に無い「仕事」を創り出すと言う意味で、社会に貢献できると信じます。
技術コンサルタントの世界 2004.10.19.
「独立・自営業と共同体」
大げさに言えば、どんなに自立や孤独を説いて粋がっても、我々は所詮何らかの共同体に所属しないで生きていくことは出来ません。
若い会社員諸君と話をしていると、中には私のような自営の個人業者を一匹狼などと言うイメージで表現し、あたかも組織に背を向けた,和の世界を否定している奴だと誤解している人が居ます。
外国の話や小説の世界ならいざ知らず、現実の自営業者で長いこと看板を張って、生き残っている仲間を観察すると、しっかり日本的な和の世界の住人ばかりです。
私は勤めていた会社が潰れて自営に踏み切るまでの12−3年のサラリーマン生活で、6組の夫婦の仲人をしました。
会社にサッカー部を作り部長になり、試合や合宿の経験もありました、技術部長でしたが40人以上部下が居て、自宅と会社が近かったこともあり、一年365日仕事をしていた気がします、つまりどっぷり会社と言う共同体に浸かっていて、不満はありませんでした。
あれから30年以上、1人で自営業者をやっていますが、他人はどう見ているか判りませんが、自分ではとても一匹狼的な性格では無く、典型的な日本人の「和の精神」の信奉者です。
始めてから3年くらいは無我夢中でしたから、気がつかなかったのですが、如何なる「共同体・会社」にも属していないと言うことに猛烈な不安を感じました、共同体と言うのは単に働いてお金を貰うだけでなく、生活の大半を共にしていた仲間が沢山居たわけです。
丁度その頃、フウテンの寅さんのシリーズ映画が始まり、寅さんと言えど帰属している「共同体・妹夫婦と親戚及びその近所の人たち」があるがゆえに、自由奔放に生きていけるんだと気がつきました。
自営業・self-employerをやっている人は、会社や役所に代わる共同体として、誰でもまずは共同体・家族に頼らざるを得ません、しかし実際には会社・役所に取って代わる共同体と言うのは、世の中にありませんね、そういった意味では、終身雇用というコンセプトは素晴らしい人間の知恵と言うべき考え方だと思います。
これに代わる共同体は、世界中どこでも一族会社(ファミリーカンパニー)であり、自営業です、日本の600万社の会社の大半はこれです。
総てに頼りになる共同体に帰属しないというベーシックな不安を除けば、独立・自営業は非常に面白い商売で、私は始めてみて直ぐ気に入りました、何よりも時間を自由に使えると言うような、私の我儘で気まぐれな性格にぴったり来るところもあり、以来、商売替えをしようと一度も考えたことがありません。
さて共同体の件については、色々と研究しました、その結果、同業者の協同組合が良いんじゃないかと思い至り、当時の一番尊敬していた先輩の和田忠太先生を担ぎ出し、技術士協同組合を創りました。
この組合という共同体は、30年近く経ってみると、ようやく参加する組合メンバーにも、使い勝手が判りかけて来て、上手に利用する人が出てきました、世の中的にも認められてきたと言えるでしょう。
創業時のメンバーがくたばりかけた今日このごろ、時代が沢山の自営業者の卵を会社や役所から吐き出し始めたと認識しています、面白いですねえ。
時代のニーズを的確に捉えて、新しい共同体を次々に創り出すのが、当面の私の役割だとうぬぼれています。
技術コンサルタントの世界 2004.10.15.
「英会話という病気」
私はだいぶ以前から、何故か英会話が得意で、顧客先の在米日系企業の会議中に、私が喋りだすと在米の日本人までが、日本語を喋りだして私に通訳させようとしたり、特に論戦になると、私の顔を見て、代弁してくれとばかりに依頼心をむき出しにするのです。
私はこれまで、もしかして私は語学の才能があり、あまり勉強した覚えが無いので、天才かもしれないなどと考えていました。
今読んでいる、岸田秀さんの「官僚病の起源」新書館の144頁ーに、「英会話という病気」という項を設けて、
quote-わたしはかねてから日本とくに近代日本は精神分裂病に罹った病人であると言っているが、この病気の症状は日本のあらゆる行動に一貫して見られる。
外国語とくに英語に対する日本人の態度に関してもそうである。
日本の精神分裂病の特徴は外国を崇拝し外国に屈従する「外的自己」と、外国を嫌い憎み、誇大妄想的自尊のなかに閉じこもろうとする「内的自己」との分裂に最もよく現れているが、外国語特に英語に対してまさにその通りであって、外的自己は国際人になるためには英語力が必要不可欠であるとか、英語くらい喋れなくては教養人、知識人とは言えないとか、英語と言うものの価値を過大評価し、英語の習得のために最大限の努力を払おうとする。
他方、もう一方の極である内的自己は英語を嫌悪し、英語を周りの世界から放逐しようとする。
-unquote
以下、英会話の学校は一種の詐欺で、授業料はほとんど無駄になっているという話や、大学を出るまでに10年間は英語の勉強をしているはずの日本人が、一部の人を除いて英語がろくに読めず、ましてや喋れないのは、
quote-頭が悪いためでも怠け者だからでもなく、抑圧された内的自己が英語を拒否しているからである。心のどこかで英語の必要性を納得していないのである。
さらにいえば、英語を習わされていることが屈辱なのである、この内的抵抗をそのままにしておいて、どれほど学習を強制しようが、英語が上達するはずが無い。
この内的拒否は日本人のアイデンティティーとかかわっている。−unquote
そういえば、私も、現在65歳以上の日本人の内的自己は、今でもアメリカと戦っていると感じることがこれまでにたびたびあり、特に幼年学校出身の本田尚士先輩の言動に触れた諸君は納得するだろう、私でいえば10歳(1947)まで満州に居たせいで、今でも潜在敵国はロシア、中国、北朝鮮ということになる。
そこで、岸田先生は結論として、quote- 言語能力は、通常の意味での頭の良し悪しとはあまり関係の無い人間の基本的能力であって、しゃべららざるを得ない状況に置かれれば誰でも直ぐ喋れるようになる。−中略ー
そもそも言葉と言うものは、台所用品と同じく人間生活に必要不可欠な日常用品である。イギリス、アメリカで生活するために英語が必要だと言うだけのことである。その日用品を数学とか物理学とか日本史とか世界史とか並べて学校で学ぶべき教養科目の一つにするのは、また英語が出来る人を出来ない人より教養があって偉いかのように思うのは、外国の台所用品を神棚に祀って拝んでいるようで実に滑稽である。イギリスかアメリカに行けば、無教養な最低なバカでも喋っている英語がなぜ日本人にとって身につけるべき教養なのか。−unquote
続いて岸田先生は、文部省を批判したうえで、カタカナ英語の氾濫は英語を拒否する日本人の抵抗ではないかと推理している。
中、高、大学での英語の強制も、実は日本人をして英語を嫌いにさせ、ひいては外国人を嫌いにさせ、日本人だけで閉じこもりたいと言う気持ちにさせる策略じゃないかと、疑っている。(鎖国願望)
最近、英会話も出来るようにならねばとかで、改革しようとしているが、そもそも、それを使って誰と話をしようというのであろうか。そういうことなら、少数の特定の人が自発的に勉強するだろうし、一般の学校で一般の学生に英会話を教えようというのは、あまりにばかばかしい発想である。
私は、アメリカに着いたら、ホテルのTVでCーSPANと言うプログラムを3−5時間呆然と見ていると、突然にTVで喋っていることが、全部わかるようになります、人のいうことさえ判れば、誰だって議論できるもんね。
技術コンサルタントの世界 2004.10.11.
日本技術経営責任者協議会http://www.cea.or.jp/は、NPO法人を取得、登記しました、いよいよ本格的な活動に入ります。
11月19日には、早稲田大学の理工学部・大久保キャンパスの教室を会場にした、日本政策投資銀行の木嶋さんの講演、12月1日には、群馬支部での一回目の講演会があります。
一年前に、言いだしっぺの大塚政尚君の構想に惚れ込んで、先輩達を巻き込んでスタートした団体活動であるが、ほぼ軌道に乗ったと判断している。
これからは、大塚君を始め、岸本、田吹、高堂、菅野の諸君と早稲田の野尻、大久保君達のような、私より一回り若い世代に実質的に運営をお願いしたい、乾杯の音頭くらいは引き受けるけどね。
10月2日には、同居していた妻の母親が93歳で亡くなりました、私は3人兄弟の長男、妻は3人姉妹の3女ですが、私が両家のお墓を引き受けることになっているので(我が家は浄土宗、妻の家は浄土真宗)宗派の違いによる仏教の解釈の違いを坊さんに教えてもらい、なかなか面白いと思いました。
7日には、新装成った銀座の交恂社に、卒論・研究室の仲間8人が集合して、銀座のライオンで一杯やりました、全員ハッピーリタイヤしたシニアです、会社を辞めたのでネクタイをしてこない大半の連中が、交恂社の受付で注意されているのには笑いました。
それぞれの生活ぶりを聞くと、腹が立つくらい遊びまくっています、変わったところではフィリッピンに引っ越す奴(宮島君)が居ます。
8日には、本田尚士先輩にお願いしていた、AJCE(日本コンサルティングエンジニア協会)のFIDIC世界大会(コペンハーゲン)出席報告会を傍聴させてもらいました。
私は、全然関係ない別世界の話のように聞こえました。
9日は台風の直撃アリとのことで、雨具に身を固めて、午前中は六本木の原田敬美さんの事務所に、けいみ会http://www.cea.or.jp/insp/の小委員会(NPOにするための推進会議)、午後からは、錦糸町のアビリティー・ガーデンでの、ガラクタ研でお喋りして、台風襲来を警戒し3時に帰路につきました。
「師匠と弟子論ーその3」(10/4)
最近知った、内田 樹(たつる)さん(神戸女学院大学教授ーフランス現代思想)
http://www.tatsuru.com/ の著書は、現在の私の腑に落ちることがたくさん書いてあり、今のところ本屋にある著書はみんな買い求めた上に、ホームページも毎日チェックすると言うファンになっています。
内田先生は、大学と学問に関して、立花隆が「東大生はバカになったか?」という本の中で、提唱している「ユービキタス大学」について、quote「立花が「ユービキタス大学」と言う概念で伝えようとしているのは勿論サイバースペースの教育機能のことです。
クリック一つで貴重な学術情報のアーカイブに入り込めるというのは素晴らしいことだと私も思います。
しかし、私はそれが高等教育機関の代行が出来るとは思いません。
それはインターネットでアクセスできる情報は「ランダムアクセス」系の情報に限られるからです。誰でもそれを「一義的なもの」として、かつ「対等の資格」で共通のぷラットホーム上で交換できる情報しかアクセスすることが出来ません。
これに対して、「シーケンシャル・アクセス」系の知というものがある、と言うのが私の持論です。これは「その情報を読み取る能力そのものを、その当の情報から教えられるような知見」、「読み手を<そのテクストを読むことが出来る者>へと形成していくような<絡み合い>の事況」においてのみ出会われる知見です。
そのような知には「師に仕える」ことを通じてしか触れることが出来ないということ、一言で言えば「自分の知的能力によってはアクセスできない知的境位が存在すると知ること」、別な言葉で言えば「他者が存在する」ことを学ぶことです。
大学教育が担当すべきなのは、この「シーケンシャル・アクセス」系の知識であり、それは教師と言う「生身の人間」が、その人自身が、どのようにしてその師から学知へのアクセスの仕方を学んだのかを身を持って示す以外に教えようのないものだと私は思います。
中略
ただ急いで付言しておきたいのは、「師を持つ」とか「持たない」というのは、弟子の側の知的ポテンシャルや師との出会いの偶然性に左右されるものでない、ということです。」
unquote
と批判しています。
私は、自分の経験からも大学教育のみならず、我々の職業教育全てに当てはまる論であるので引用しました。
師匠は弟子である自分が見つけるしかないのです、私は独立・自営に踏み切った直後、私の技術士試験の面接の相手として、猛烈意地悪な質問をした柴田勉先生(機械部門)、当時青年技術士懇談会の若手10人くらいを集めて「和田塾」をやっていた和田忠太先生(組合の初代理事長)を勝手に師匠としました。
段々様子が判ってきたので、10人くらいの元気で看板張っている先輩方の自宅に、独立志望の仲間を引き連れて毎月押しかけた時期もありました。
今でもお元気なのは、本田尚士先輩くらいになってしまいましたが、私は「師匠には恵まれてきた」という自覚があります。
独立・自営の業者がなぜ組合のような団体活動をしているのか、自力で飯が食えるようになった先輩は、後輩に密かに「師匠」と思われているかもしれないのです、私の「師匠と弟子論」はこれで終わり。
技術コンサルタントの世界 2004.10.02.
有楽町の東京国際フォーラムに、イノベーション・ジャパン2004 http://expo.nikkeibp.co.jp/innovation/
を見に行きました。
大学の先生方が、ブースの前で一生懸命に自分の研究を説明しているのは、好感が持てました、あまり儲けようなどと考えずに、面白いことをやっている研究者が好きなので、久しぶりに気分爽快でした。
何時の間にか、技術者が経営の勉強するべきだ
http://www.cea.or.jp/ と言う社会運動や、技術者が首長・政治家の為の政策に発言すべきだhttp://www.cea.or.jp/insp/ というようなグループ活動に入れ込んでいるが、実のところ、若いころはバックツーザフュー
チャーに出てきたような、マッドサイエンティスト(おかしな科学者)にあこがれて
いました。
歳を経て判ってきたことの一つに、「事務局の弊害」と言う大テーマがあります、小
は技術士会の事務局から、大は日本国政府にいたるまで、腹の立つことが多い今日こ
の頃です。
9月29日に臨時総会で会員の松並君の除名を決めたことは、技術士会始まって以来最悪の出来事でした、この資格の劣化を象徴しています。
ある会合で、大塚政尚君が「技術士会を辞める会を作ろう」と提案していましたが、冗談じゃなくて、辞めることにしたと言う旧い会員が続出しています。
事務局の弊害を避ける手段の一つに、交恂社クラブがありますhttp://kslab.co.jp/GinzaNews/kohjunsha/kohjunbld.html、このクラブは、多分慶応の福沢諭吉が当時の資本主義の総本山ロンド ンで見聞した知識を基に設立したものです。
私は、32年前に独立・自営に踏み切った時、当時の技術士会の機会部会長の新井先
生(日本軍技術将校だった高名な方でした)に、「事務所を構えるよりは、交恂社に入りなさい、推薦してあげます」とアドバイスしてくれました。
私は、仕事でこのクラブを十二分に活用しました、当初は年齢的にも、若干気後れし
ていましたが、今では公私共に欠かすことの出来ない、私のインフラの一つです。
ここ2−3年は銀座のビルの立替で不自由してきましたが、新装成ったので、月末く
らいには、ceaの各グループの世話人諸君を案内がてら、一席設けようと思います。
技術コンサルタントの世界 2004.09.26.
「けいみ会」
6月末まで港区の区長だった原田敬美さんの応援団「けいみ会」(毎月最後の土曜日10時ー12時、六本木のSEC事務所)の月例会は、7月から衣替えを果たして、「技術者と公共政策、政治家、公共工事、まちづくり、都市と地方問題等について発信するグループ」に変身しつつあります。
ホームページも石川君(電気電子)がこれまでのものをリニューアルしてくれhttp://www.cea.or.jp/insp/つつあります、そのうち一本立ちしたサイトになるはずです、ceaメンバーの諸君もぜひ応援してください。
昨日(9月25日)の会合には、これまで最高の19名の諸君が出席して、椅子が足らなくなりました。
不足していたシビル関係者も、今回から中村裕幸君(スーパーゼネコン出身)、苫米地君(住金OB,パイプライン)、神下君(ゼネコンOB)、高木君(電気)が参加、経験を語ってくれました。
こういう場を利用して、発信したいネタを抱えている;チャリンコ特区改めコミュニティー・ゾーン特区を推進したい(早稲田大学キャンパス周辺に狙いを定めている)、近藤信竹(情報通信)、鈴木敏(道路)、根本(建設)の諸君や、この「けいみ会」を技術監査のNPO法人に仕立て上げたい、高堂(水道)、田吹(情報)、松井(機械)の諸君が出席しています。
原田さんの会議は、テーマに関して出席者が3分−5分ぐらい発言・録音して2周する、文字にしたものを石川君(情報)が編集(これは本当にご苦労さんです)し次回配布するというやり方です、これは私のような勝手気ままな放言ー自営業者には、非常に新鮮な組織的ー意見陳列方法だと感心しています。
さて、そのほかに、尾崎光三(弁理士、港区住民、ceaの最初からのメンバー、ライオンズだったかロータリーだったかの会員)、福島(トンネル、JICAによる海外志向)、窪田(渋谷区民、長いことアメリカとビジネス)、小暮(編集者、副島隆彦門下、現在ceaメンバーによる「独立する技術者たち」の本を編集中)、中村(博)(富士フィルムOB)の諸君が出席しました。
議事録を読んでもらえば判りますが、http://www.cea.or.jp/insp/、我々は誰でも「国民、市民と言う立場」があるので、シビル関連のテーマについては、何か発言できるし、また何か発言したいことがあるんです。
もう一つ、ボランティア的な話から、商売・仕事の話まで同じテーブルで論ずる、というのもなかなか面白いグループになりつつあると言えましょう。
これまでの出席者は、40名に達しています、けいみ会も発起人は十分そろったので、NPO法人の申請に踏み切ります、先行していた「技術経営責任者協議会http://www.cea.or.jp/」のNPO法人は17日付けで認められました。
技術コンサルタントの世界 2004.09.22
「師匠と弟子論ーその2」
9月20日敬老の日に文京公会堂であった、副島さんの講演会に出かけました、10人くらいのお弟子さんたちが、出版社の社員と協同で、かいがいしく動き回っていました。
私は、副島さんが弟子の養成を実際に始めた頃からのお付き合いですから、弟子たちの変遷についても十分観察し記憶しています。
当初は、文筆家の養成と現実の政治家の育成の両建でしたが、ここ一年くらい前に、政治家の育成を止めたので、半分くらいの弟子が入れ替わりました。
何しろ博覧強記の副島学の範囲の広さは、とどまるところを知らないほど広く、それこそ専門分野ごとに、ここ数年のうちに本を書く弟子が続々と世間に出てくるでしょう。
唐突ですが、弟子の数は10−20名位が限界のようですね、キリストも麻原彰晃も吉田松陰も12,3人の弟子に生涯忘れられないほどの影響をあたえています。
人間は、若いころは弟子タイプ、年とってきて師匠タイプであれば、世の中うまくいきますが、若い頃は弟子になれずと言うタイプの人が案外多いのと、年取っても師匠になれず、何時までたっても弟子タイプに生きていく人も多いのです、皮肉なものですね。
師匠の持っているものを根こそぎ吸収するには、ノウハウがあります、それは全人格を丸ごと信じることです、弟子が師匠をたとえ些細なことでも、不信の念を抱いた時は、離れるべきでしょう。
学問でも技術でも生き方でも、全部人間にくっついていると言うのが、私の信念です、本やネットで知識の習得は出来ても、コミュニケーションや議論は出来ると思えません、ナンセンスとしか言いようがありません。(多摩大学の山内先生、8月28日のけいみ会で、私が貴君に申し上げたことです)
つまり教育は弟子に愛情を持っている師匠が10−20名を、塾のように運営するしかないのでしょう。
こういう機会をなしに、一人前の職業人にさせられている最近の若者は、本当にかわいそうですね。
技術コンサルタントの世界 2004.09.19.
「師匠と弟子論ー序説」
日曜日の朝のNHK週刊ブックレビューに,哲学者の木本元さんが出演していて、生涯の仕事となったハイデガーとの出会いと、その後のアリストテレスからハイデガーにいたるまでの哲学者の跡をたどり、30年もかけてようやくハイデガーの本を書いた、と言う話をされていました。
時空を隔てて、よき師匠にめぐり合えた運のいい学究らしい、いい顔をした年寄りでした。
唐突ですが、私はいわゆる試験と言う試験に落ちたことがありません、落ちそうな試験に挑戦しなかった(高望みをしない)、と言われれば、そうかもしれませんが、思い込みが激しいせいか、結果的には初心を貫いてきたと言えます。
私が大企業(川鉄)に1年数ヶ月しか勤めていられなかったのは、今考えてみれば、いい師匠が見つからなかったからだし、転職した中小企業(松田製作所)には、一回り年上の辻田輝夫さんという技術者がいて、一人前の飯が食える技術者に仕込んでもらいました。
10年経ってその会社が潰れた時(1972年)は、私は42名の部下を持つ技術部長をしていましたが、その前の年に技術士を取得していたので、勇んで独立自営を開始しました。
技術士業の師匠は、和田忠太さんでした、当時皇居の一角にある科学技術館の展示を一手に企画した技術コンサルタントとして有名であり、若いグループ(青年技術士懇談会)の憧れの的でした。
5年くらい経って(1976年)、私の独立自営も何とかなりそうになった機会に、和田先生に協同組合の設立を提案しました、和田さんは直ちに30人ばかりの人を集めてくれたので、半年ほど役所通いをした結果、技術士協同組合が誕生したわけです。
60歳になったとたんに、網膜はく離、心臓バイパスの手術を経験し、いやおう無く老化ー死を意識させられ、世代交代をどうやるかと言うテーマに向き合うことになりました、その時運良く(天のめぐり合わせとしか言いようがありませんね)副島隆彦さんと知り合いました。
副島さんも、当時「学問道場」 http://soejima.to/snsi.htm というネットによる弟子の養成を始められたばかりでした、私は多分最高年齢だとは思いますが、弟子入りを志願して認可され今日に至っています。
私は、冒頭の哲学者木本先生のように、生涯師匠と仰ぐような幸運にはめぐり合ってきませんでしたが、それでも、肝心な時には、必ず師匠と仰ぐ人が出現して、導いてくれたと言う意味では、運のいい人間です。
私は、教育(飯の食い方)の基本は「師匠と弟子」の関係にあり、それ以外の社会の体制(学校、会社)とかインフラ(勿論インターネットを含む)とかには、ほとんど関係ない、と言う意見を持っています。
技術コンサルタントの世界 2004.09.13.
どうもこの夏の異常気候?というのは世界的なようで、このところフロリダのリゾートでは、タイフーンシーズンには家に釘を打って逃げ出しているとのこと、シニアも沢山住んでいるだろうに、同情しています。
さて9月8日には、早稲田大学で技術経営責任者協議会http://www.cea.or.jp/主催の第3回講演会がありました。
証券取引所の新規上場サポートの斉藤博一さんと、コンプライアンスに関しては青山監査法人の辻村忠善さんの講演があり、私なんかの全然知らない世界の話で、へーと感心するばかりでした。
パーティーの時に、生物工学の酒井重男さんと、「今日のような話を、もう少し早く聞いていたらねえ」と2人で口惜しがっていたら、近くに居たシニアどもが、全員同感の意を表明していました、まともな技術者なら、誰だって一度くらいは、自分の持っている技術ネタで、会社の経営を夢見るものです。
私は、気が多くて短気だし、集中力も無いのが最初から判っていたし、経営者の器でないのは、最初からわかっていたので、若いくせにコンサルタントを志向して35年もたってしまいました。
こういう講演会は、あとのパーティーが非常に面白くてお得です、私でさえ10人位は知らない人と名刺を交換します、ceaの諸君も特に新人は、こういうときに俗に言う「顔を売らなくちゃいけません」、誰でもいいからとっ捕まえて話をすることが肝心です。
シニアの諸君も、たまには顔出さないと、「あの人死んじゃったのかな」等と、無責任な噂を流すことにしました、パーティーだけでも出てきてください。
9日には、アメリカの息子が勤めているスターオートメーションと言う会社の社長を、6月まで11年間やってこられた、岩崎芳夫さんと、共通の友人を入れて食事をしました。
岩崎さんは、初対面だったけど、同じ歳だし、1974年ごろから東芝機械のアメリカ法人を最初から経営して、例の東芝事件以降はスター社に移ったけど、私と同じ業界で共通の友人も居て、意気投合しました。
私の歳になると、同年輩は、死んだり消えていく友人ばかりで、同年輩の新しい友人を作るのは至難の業です、それがこのところ、色んな縁で付き合いが増えたことは、六田君が言うように幸運なんでしょう。
10日には、河面君の企画で、東京ガスに「電気自動車試乗」に行ってきました、加速が凄いですね、音も無く走ると言うのは物足りないけど、セカンドカーRUV-4が買い替えの時期なので、息子と相談して、ハイブリットにしようか考慮中です。
この見学には、私に会って6年も経つのにまだ会社を辞めない松井君や、15年にもなるのにサラリーマンを満期勤めて、またサンソウケンに勤めている小野君が久しぶりに出てきたので、挑発的議論(団塊の世代は最早当てにしないで、40前後に期待してますよ)を楽しみました。
11日のガラクタ技術研究会では、先月から交代した世話人の島田君が「サンセットビジネス」と言うコンセプトを紹介してくれました。
これは、何ヶ月か前に、大塚政尚君が紹介してくれた、日本政策投資銀行の木嶋さんが言っていた、turn-arroundという考え方に良く似ている気がする。
企業が「選択と集中」をするときに、選択されなかったビジネスに関する仕事で、シニアの出番がありそうなにおいがするでしょう?
技術コンサルタントの世界 2004.09.08.
「日本はまだまだ大丈夫」と再確認した一週間でした。
2日には、早起きして新幹線で福島の群山にある(株)ニットーボー・エフアール
ピー研究所に、井口君(帝人OB)の案内で、客先の大崎ニクニ社長らを案内し、所長になっていた西崎昭彦さんの話を聞きました。
日東紡の連結子会社になっているので、経営者で研究者の両立の難しさをぼやいていたが、ガラスファイバーはもとより、カーボンファイバー他日東紡以外のメーカーの補強材すべて、あらゆる樹脂の組み合わせについて対応している、これは凄いことで、地味ではあるが、FRP(強化プラスチック)の世界レベルの研究所である。
午後は一ノ関に足を伸ばし、http://www.k-murakami.co.jp/ 村上商会の研究所・工場で村上圭祐会長に案内してもらった。
村上さんは70歳で息子供に自動車の試作会社等は譲って、環境関係の仕事(牛の糞尿処理等)に取り組んでいる。
とことん合理的な人だが、民間の仕事で成功した人が、役所がらみのテーマに悪戦苦闘している様子が判り、真にご苦労さんとしか言いようが無い、私なら役所との付き合いなど、今更ごめんこうむる。
3日、4日は、会員内掲示板の「本音でいこうぜ、’’’’’’」の「1355」「1356」に書いた面白い会合が3つありました、私にとって当面の関心事は、プロの編集者である荒川僚一さんが、この「技術コンサルタントの世界」を軸に、ceaメンバーの書いたものを再構成し、一般的な読者のための読み物に編集してくれることになった話題です。
関係者なら誰でも知っているように、技術コンサルタントの世界は http://www.cea.jp/、ウルトラマイナーな世界で、大雑把な数字から言うと技術士が5万人居たとしても、4.9万人は会社員とその定年後のアルバイト諸君です。
元々群れないで自営する気質のある人たちの商売ですから、我々組合の都市圏エリアの100人メンバーから類推しても、日本国中で、いいとこ1000人でしょう、こういう業界で独立・自営を始めたい後輩に自費出版でもして読んでもらおうと、高堂君が企画したはずでしたが、荒川さんの出現で全然違う話が進行中です。
6日には、栃木県馬頭町にある、計測器のメーカーで有名な株式会社ミツトヨ http://www.mitutoyo.co.jp/ の子会社ミツトヨ・フーズで、湯葉の量産工場見学をしてきました。
事の発端は、中村博昭君が、これから何がやりたいかと言う自己紹介の中で、なぜか豆腐やに興味を持って、おからの出ない豆腐ができたら素晴らしいと、発言したからです。
ミツトヨと言う会社の創業者は、お坊さんで宇都宮の工場内に大きなお寺があります、90歳の時に湯葉工場を作ったと聞いた記憶があったので、私の後輩の川崎君に見学をお願いして、菅野、高堂、窪田夫妻、野本、中村、樋口の諸君が参加しました。
星 正三さんという工場長が、親切に応対してくれ、技術的なテーマも3−4つ教えてもらいました、つまみ食いをさせてもらったり、お土産を貰ったり、参加者は大喜びでした。
近くの大子町で湯葉会席料理を食べ、温泉に入り、ご機嫌で帰宅、何故か冒頭に書いたように「日本はまだまだ大丈夫」というフレーズが浮かんだ次第です。

技術コンサルタントの世界 2004.08.24.森田裕之 Yuji Morita
「不思議な縁」
ようやく昨日あたりから(8月23日)朝夕涼しい気配がただよい、酷暑の一ヶ月も無事すごせたかな、と休養モードを切り替えないといけません。
23日は、名手孝之さんご夫妻の呼びかけで、古田淳一郎夫妻と私の妻、孫の洋子の7名が、新横浜プリンスホテルの40階の展望レストランで、昼ごはんを食べました、その後、近所の名手さん宅に移動、夕方まで雑談に次ぐ雑談で楽しい一日でした。
名手さんは、早稲田の応化からアメリカの大学を出て東燃に勤め、大塚政尚君と一緒にベンチャービジネス、スノーバーを上場まで立ち上げ、現在は引退して、ラスベガスに家を買い、日本とアメリカに半分半分暮らしています。
名手、古田両君とも東燃の同僚の親友で、日本人としては英語の達人としてアメリカとの縁も深く、付き合いのレベルも高い、両君と私は奇しくも1937年生まれの67歳、ゆっくり話してみると、共通の知己の多いことに一驚しました。
以下、両君に送った今朝方のメールである。
貼り付けー
名手さん、古田さん、昨日(23日)は色々有難う。
名手さんとは、今まで会わなかったのが、不思議なくらい共通の知人が居るのでびっくりしています。
私は、60歳くらいまでは、割りと意固地に同年輩の友人たちと違うマイナーな世界を生きてきました。
その一端は、http://www.cea.jp/ のホームページ内に「技術コンサルタントの世界」と言うコーナーに書き続けています。
私の世の中での立脚点は、飯の食い扶持を別にすれば、大方この技術士協同組合にありますが、60を過ぎてから、青葉君のために工業技術振興協会jttasの建て直しとか、昨年末には大塚君のために技術経営責任者協議会http://www.cea.or.jp/を創設するとか、今年の暮れまでには、原田敬美君(6月まで港区の区長をやっていた稲門の後輩の建築家)のために「技術監査法人」を作るとか、我ながら不思議なことに振り回されています。
やはり60歳過ぎてからですが、仲良しになった近所に住む作家の、副島隆彦さんhttp://soejima.to/snsi.htm には大きな影響を受けています、この人のアメリカ分析と著書の「属国論」を含む沢山のベストセラーは、お勧めです、アメリカに対する見方が深くなります。
アメリカに関しては、元々大好きな国でしたが、最近お付き合いしている、藤森かよこさんhttp://www.aynrand2001japan.com/index1.html の翻訳したアイン・ランドのfountainhead-水源を読んでみて、私が好きなアメリカは、ヨーロッパから独立するために奮闘していた頃の残渣があるところが、いいのだと気がつきました。
名手さんは、ラスベガスでご隠居さんも結構ですが、組合や協議会のネットワークに参加して下さい、古田さんもある時期には、ceaに英語に関するエッセイを連載していました。
貼り付け終わりー
技術コンサルタントの世界 2004.08.17.(森田)
「夏休みーその2」
今年は14,15,16日のお盆の真っ只中に、伊勢・熊野をドライブしてきました、混雑や渋滞を予想して、すべからく予約等を万全にしてみました(いつもは行き当たりばったりの旅行しかした事が無いのですが、今回は同行者案内の制約もあり、渋々前もって妻と詳細計画を立てました)が、計画が良かったのか、マスコミの報道による抑制効果があるのか判りませんが、スムースな愉しい旅になりました。
同行は私が先週アメリカからつれてきた孫娘の洋子(11)、妻の女子美の同級生で、イタリー・ミラノ在住のアニメ作家の湯崎さんとそのパートナーのアニェーゼ(女性)さんの5名、朝早起きをして名古屋までは新幹線、トヨタレンタカーでナビ付きエスティマを借りました。
伊勢神宮・内宮(http://www.isejingu.or.jp/)は8割がた若者、子供連れの若夫婦でかなり混雑していた、この一帯が世界遺産の認定を受けたと言うサインがあふれているが、外国を含めた観光客に対するサービスは、トイレや交通標識など,地元が整備すべきことは沢山ありそうだ。
泊まりは、http://yado.jtb.co.jp/sp/list/6112041.html、石鏡と書いてイジカと読むらしい、朝早く起きて散歩していたら、3−40人のオバサン達が、手桶とヒシャクを持って、岡の上にあり海に面している墓地をうろうろしているのを見かけました。
聞けば、この村は「海女さんの村」だそうで、そういえばオバサン達はおしなべて背筋のピンと張った、きりっとした姿勢の人達であった。
この半島の東の端にあるのか、灯台はあるし、神社はあるし、温泉は出ているし、海女さんが鮑などを採って来るし、近所に牛飼育の牧場はあるし、私は気に入りました。
15日の熊野三山http://www.kumanogenki.com/osusume/kumano3/は、まず那智の滝に行きました、滝が御神体というのは、湯殿山(出羽三山の一つ)が温泉噴出孔を御神体としているのと同様、我々の先祖の自然崇拝のDNAは現在の若者にも、しっかり受け継がれていますね。
宿泊は、湯の峰温泉のhttp://www4.kcn.ne.jp/~t-yoko/55-wakayama/55-yunomine-azumaya.html「あずまや」に30年ぶりに再訪し檜のサウナ、お風呂を楽しんだ。
昭和の一桁という女将さんが、美しい白髪にはなっているけど、昔とおんなじ顔で居たのには、びっくりしました、本当にここの温泉は美肌効果があるのかもしれない。
16日は十津川沿いの168号線を北上、途中最近の崖崩れによる迂回を含めて狭い道を冷や冷やしながら、法隆寺にたどり着き、新しい宝物殿に鎮座された「百済観音」に久しぶりでお目にかかり、改めてここの五重塔を含めて、日本で一番素敵なお寺だと感じ入った次第です。
京都駅には6時ごろ到着、レンタカーを返却、駅ビルの伊勢丹地下食品売り場で駅弁を買い込み、7時6分の「のぞみ」で帰路につきました。
技術コンサルタントの世界 2004.08.09.
「水源 The Fountainland」アイン・ランド著、藤森かよこ訳( http://www.aynrand2001japan.com/index1.html)、を読みました。
1037ページ、2Kgある、この本の帯に、副島隆彦さん( http://soejima.to/snsi.htm) が「アイン・ランドは、ネオコン派と闘う本物のアメリカ保守思想ーリバータリアニズムーの源流である」と書かれている。
私は、数年前の60歳になりたての頃、副島先生に初めてお会いして直ぐ、「リバータリアン技術者の森田翁」とレッテルを貼られて弟子入りを許可されている、この本は何年か越しに読みたい本であった。
7月に入って、発売されたので10冊購入し、読んでくれそうな友人を厳選してお中元として送りつけた(その内読後感を強制聴取する予定)、その後藤森さんから一冊献本を頂戴した。
この10年位老いぼれてきた所為で、厚い本特に小説がが読めなくなり、ルポルタージュやエッセイの短い奴しか読了できなくなっているので、相当気合を入れないといけないと自覚し、夏休みを日本で過ごす孫娘を迎えに行く機会を捉えて、8月1日ー7日(帰国は8日)、飛行機の中で読み始め、6日に読了し、省子ちゃん(息子のお嫁さん)に献上して帰国した。
その間プールに3回、映画に1回、モールに買い物に5回くらい出かけたが、あとは読書に集中した、とはいえ本来は半年に一度の孫と遊びに来ているのである。
帰りの飛行機の中で沢山の感想文を書いたので、追々まとめてみようと思うが、私が主人公の建築家ハワード・ロークに最も共感するところは「他人に指図されたくない」という精神である、若干違うかなと思うのは、私は彼と違って、日本人だからなのか、機械屋だからなのか、「他人も指図されるのは嫌だろうから、なるべく指図しない」ことにしている。
日本では、敗戦後満州などの外地引き上げの技術者たちの集団「野武士の会」は、独立、自営の最大グループとして、1957年の技術士法成立の影の原動力だったと言われているが、私が始めた1970年頃にも野武士の会の生き残りの先輩方が沢山いて、最年少の満州帰りの私を可愛がってくれた。
勿論ハワード・ロークはアイン・ランド自身言うところの
「the projection of an ideal man」であり、「Let me stress this; my purpose
is not the philosophical enlightment of my reader -----,My purpose,first
cause and prime mover is the portrayal of Haward Roark as an end
in himself [laissez-faire capitalism]
が描かれている。
野武士の先輩方の中で、ローク・タイプのお客を利用して自分の夢(技術)を実現するやり方は、アップダウンが激しく、どちらかと言うと、色々な理由で途中から消えていってしまった人が多いのに気がついた若かった私は、独立、自営することに意味があると考え、現在のマルチ・クライアント方式を考え出した。
他人に支配されない、「俺は自分で飯を食っていくんだから、ほっといてくれよ」というのが、リバータリアンの基本思想であると言うことにはまったく異議は無いが、これにイズムがついたり、党があると言うことつまり、現実の政治やイデオロギー追求には、関心が無い。
アメリカでのリバータリアンのイメージは、ゲーリー・クーパー演ずるハワード・ロークであり、クリント・イーストウッド演ずるダーティー・ハリーであるようだが、私は最初から日本じゃ「渥美清のフーテンの寅」だろうと思っている。
技術コンサルタントの世界 2004.08.01.
自転車で5分のスポーツクラブ(岡の上の地上6階にあり、なかなか眺めが良い)、空いているのが12時頃、5時頃、夜9時ごろであることが4年通って判ってきた。
最近は半分水中歩き、半分泳ぐというシニアスタイルに変わってきたけど、プールとは50年来のお付き合いである。
8月には、遊び計画目白押しなので、今週は忙しかった、技術経営責任者協議会の群馬支部(ということになっているが、大塚、岸本、両君が地元の中小企業15社くらいを集めてIPO−上場の勉強会を始めている)の3回目の会合が27日(火)、斉藤勝政先生のぐんま産業高度化センターで会合、経営者連中は忙しいので夜の6時からの議論になるのは、少々しんどいが、段々仲良くなってきて、得意の軽口も敲けるようになってきた。
28日(水)は半日霞ヶ関ビルで会合、夕方表に出て新橋まで歩いたが、体感温度40度をこえた猛暑、目まいはするし、さっきまでしてきた議論のこともきれいさっぱり忘れてしまった、こっちが老いぼれたのか、異常気象なのか、いずれにせよ、役立たずになる日はまじかである。
30日(金)夜は、三田にある三菱化学MKVの松井君のビル地下で、柘植、三田、松井君達と消夏会、かなり後輩だが定年後の職場に落ち着いて張り切っているのは、大いに嬉しい。
ほぼ同じ頃独立して、組合の創立時からの仲間である宮田孝博君が日曜日に仕事先で倒れて救急車で川口の病院に入院していると,奥さんから聞いて,29日にお見舞いに行ってきた。(こういうときにNAVIは役に立つねえ)
わりにけろっとした顔をして、検査の日々をすごしていると言っていたが、「日曜日に仕事などけしからん、10年くらいは遊んでから死んでくれ」と忠告してきた。
月末の土曜日の午前10時は、原田敬美君の「けいみ会」です、今回は原田君が「港区長から都市政策研究所長」に転身して最初の会なのか、18名の参加者と大盛況で椅子が足りないくらいでした。
原田君は技術者の首長経験者ですから、早速技術経営責任者協議会の9月8日の講演会に招待して、パーティ冒頭の15分スピーチをお願いしました。
午後は、場所を錦糸町にあるアビリティーガーデン(昔の職安)会議室に移して、大久保君主催の「技術問題調査会」、高堂君主宰の「ニューシビル研究会」、両方とも16−7人の出席者があり盛況でした。
自立した技術者の共同作業という意味とか実際が、段々若い諸君にも判って来たんだと、帰宅後青葉君と長電話。
今日8月1日からLAの息子のところに出かけます、8日には孫娘をつれて帰国予定、お盆にはイタリー在住の妻の友人2人を加えて、伊勢神宮、熊野三山、奈良をドライブする予定、遊ぶぞー。
技術コンサルタントの世界 2004.07.11.
「技術士協同組合というブランド、又は伝統」
昨年来、3名の組合創立以来のメンバーが亡くなっている、明らかに世代交代の時期に入ったと見ていいだろう。
大雑把に言えば、技術士資格者5万人、技術士会会員1万人、技術士協同組合員100名、組合ホームページを見る人が毎日2−300名、というのが実態である。
もともと自由業者的な精神を持つ技術者の集団で、徒党を組むことをいざぎよしとしないオーナーの集まりであるから、30年近くも続いた事自体不思議なくらいである。
不思議なことといえば、私を含めた創立メンバーの世代交代の近い最近、世の中は独立、自営に関心が高まってきたのか、技術士資格者の0.2%、技術士会の1%しかいない、我々の組合を知る人がかなり増えてきたという実感がある。
その上、組合メンバーのイニシャティーブによる、工業技術振興協会jttasの再生と運営、http://www.jttas.or.jp/、日本技術経営責任者協議会 http://www.cea.or.jp/の創設と運営、という大きな動きに加えて、新人が独立、自営に関する月例の相談日に3−5人出てくる時代である。
今週前半は、山形の顧客先にIPO(上場)研究グループの皆さんを案内して、工場見学と温泉泊をしたうえで、仙台の産総研(産業技術綜合研究所東北センター)にいる小野実信君の超臨界プラットフォームを見せてもらいました。
これは、私自身の引退計画の一環で、組合の仲間にそのプロセスを最初から最後まで見てもらうつもりで、始めたわけです。
技術経営責任者の推進会議は、金曜3時に落ち着いてきて、ボランティアしてくれるメンバーも顔がそろってきた感がある。
技術者出身の経営者が勉強しなきゃいけないテーマに、最適な講演者を用意するという当面の活動は、どうしてもベンチャー起業経験者の大塚政尚君の知見に頼ることになる。
そのうち、さかのぼって大学のMOT教育との連携も必要になることだろう、企業経営経験者に大学で教えてもらえばいいということでもなさそうである、アメリカの真似でいける話ではないことは確かだ。
手近かなこともあり、本田尚士先輩に早稲田大学と全面的にお付き合いできるよう、お願いすることにした。
「独立する技術者たち」というテーマで出版しようという、高堂君の企画に、23人のメンバーが原稿を出してくれたので、10日に、副島隆彦さんの弟子である編集プロダクションの小暮君に来てもらい会議をしました。
私は、非常に面白いと思うけど、なにしろ0.2%、や1%の世界だから、売れるかどうかは、自信ありません。
そのあと、色々あるプロジェクト世話人の集会=消夏会をやりました、これも私や青葉君の引退計画の一環です。
10日の夜は、「副島隆彦・2004.7.10.真実の暴き講演会」目黒区民センター、近藤(信)、松井の両君と出かけました。
4−500人満員の会場の、3時間独演会は面白かった、聞きに来た人は「やっぱり、活字情報、インターネット情報というのは、せいぜい2−30%位しか伝わらないんだ」ということを実感したことでしょう。
技術コンサルタントの世界 2004.07.03.
今週はエキサイティングな日が続きました。
*左目の白内障手術により、メガネなしで1.5になり、よく見えるようになりました、この分野、驚くほどの技術進歩なんですね、散歩やプールの風景が一変して、めまいがするほどです。
*技術経営責任者協議会は、大塚君が精力的に動いています、6月29日の群馬支部準備会にも出席しましたが、北大名誉教授の斉藤勝政先生が社長をしている、産業高度化センターにIPO(株式上場)を希望する中小企業関係者が10名くらい集まっていました。
私も旧くからの顧客先のC社の技術部長と、昔の部下だった時田君を誘って参加してもらいました、群馬県立の産業技術センターに富士フィルムから転職している、山本亮一君も出席しました。
上場するという会社の大きな変化の周辺には、飯の種が沢山ありそうで、わくわくしています、ceaやcmeaが質のよい人材供給源になるであろうことは、疑いないところです。
*技術経営責任者協議会(確かにこのタイトルは長すぎるかもしれないな)7月2日の、与謝野 肇さんのベンチャー創業者に関する早稲田での講演会は、本当に面白かった。
60数名の出席者は、その後のパーティーでの交流を含めて、大いに楽しんでくれたと思います。
パーティーには、一回目の講演者CPAの川田先生も越田さん(CPA-女性)同伴でいらしてました、私は昔からこういったパーティーは苦手であると公言してきたはずだったのですが、何時の間にか大好きになっていました。
面白い人物とめぐり合う、知り合うということは、究極のエンターテインメントであることが(年とるに従って)判ってきたからでしょう。
与謝野さんが、技術屋は「一隅を照らすのが好き」な人が多い、と言っておられたのと、バイオベンチャーは無理、という話など印象的でした。
*建築研究所の理事長山内泰之さんと言う偉い方も見えていました、私は「自転車特区ー早稲田地区に計画変更」と、「役所向けの綜合技術監査業務」の勉強会の話をしました、進行状況に応じて、協力をお願いしましょう。
*副島隆彦さんが、新刊「人類の月面着陸はなかったろう論」を出版しました、この先生の「暴きの矛先」はとどまることを知らないですね、このテーマに関しては組合の総会パーティーでも、技術者側には無条件に反発する人も居ますが、中身は優れて政治的なテーマです、巨大ではあるが、仮説がひとつ提供されたと受け止めて、読んでみましょう。
* アイン・ランドの『水源』'The Fountainfead' が、藤森かよこさん翻訳で7月8日発売だそうです、リバータリアン技術者を看板とする、技術士協同組合の諸君必読の書です。
私は、ここ何年か、老いぼれてきたので、小説、それも長いのは読めなくなっていますが、これは腰をすえて読んでやろうと、てぐすねを引いて待っていました。
技術コンサルタントの世界 2004.06.26.
何年か前に、副島隆彦さんに、「森田さんは、リバータリアン技術者ですね」と言われて、初めてリバータリアンなる思想を勉強してみて、大いに気に入ったので、以後リバータリアン技術者を自称しています。
アメリカ人のイメージとしては、昔のテレビドラマの、草原の小さな家での3人姉妹のお父さん(確かマイケル ランドンという俳優だった)や、クリント イーストウッドの刑事ハリー キャラハン(通称ダーティーハリー)となかなかカッコもいいし、アメリカではマイナーではありますが、リバータリアン党という政治団体もあります。
私は、仕事の上では、機械屋さんで、グローバルな同業者と競い合って、世界に輸出している会社の顧問をしていますから、気分の上では、グローバリストです、情け容赦なくアメリカの同業者を廃業させた経験もあります。
副島さんのサイトの若者たちのなかで、自分たちをアンチーグローバリストと自称し、攘夷気分を漲らせている連中がいますが、同調できません。
ただ私は、金融に関しては弱いので、国際金融グローバリストが、日本を食い物にしているんだというようなことであれば、日本の同業者にしっかりしろよ位のエールは、送っておきましょう。
私がイデオロギーに信を置いていないのは、年季が入っています、私の浦和高校時代は、1955−57年でしたが、世はスターリン万歳の時代で、勉強の出来た連中の9割がたはコミュニスムにあこがれていました、すべての役所、朝日新聞、岩波書店には、当時の浦和高校卒業生がゴマンといるはずです。
戦後の日本は、最近まで、世界のどこよりも共産主義の実現した国だったというのは、国を実際に運営してきた連中のなかに、私の同窓生のような奴が、沢山居たからでしょう。
私は、アメリカ映画が好きだったという理由だけで、赤色汚染されなかったのです。
浦高の同窓会に出かける気になれないのは、腑抜け爺になっている同窓生を見るに忍びないから、ということになります。
私は、仕事は飯を食うための手段ですが、好きな仕事をやって飯が食う人が、ソ連よりもアメリカに多かったので、アメリカが世界の覇権を執ったのだと信じています、決してイデオロギーの戦いではなかったんだ。
リバータリアン党のサイトがありますが、全然面白くもなんとも無いね。
技術コンサルタントの世界 2004.06.18.
「自営業とグループ活動」
自営業者の団体は、普通仕入れサイドや、インフラ関連を共用するものだが、技術者で新規開業者の場合「営業サイド」をグループで追及して欲しいという要望が大きい。
私も昔は、自分でも最初苦労したことを忘れて、偉そうに「営業できない奴は、独立は無理だ」などと嘯いていたが、最近は色んなテーマによるグループが出来て、リーダーというか世話人にも適材が出現している。
15日に同行した、損保会社での大久保君のプレゼンテーションなんかは、組合活動の過不足ない説明も、PL研究会、リスクマネージメントの講演会や委託調査の実績説明など、堂々たるものだった。
16日に出かけた、政策投資銀行での大塚君と、先方の木嶋さん(製造業の復権というようなタイトルの著者)という課長さんとの議論なんかも、現役、独立、中立の技術者のグループの必要性を感じさせて、面白かった。
定年や独立のために、会社を離れて技術士協同組合(CEA)関連の会合に出てくる諸君は、自営業者のグループ活動になじむまでに、色々と違和感やらを感じて、こんな連中と付き合っていけるかどうか、不安を感じたり、諦めたりする人も出てきます。
私のお勧めは、何でもいいから、興味あるテーマの勉強会に参加してみることです、自営業者の勉強会は、学校や会社の勉強会とは、おのずから違います。
本当は、自分で人集めが出来れば一番良いのですが、やってみればわかりますが、実際には出来ないでしょう、これは古だぬきである私なんかを利用するのが利口です。
官民の監査関係の仕事をしている諸君を糾合して、技術監査のグループを作ろうとしている高堂君は、若いけどなかなかいい発想をしているので、人集めをしたい、ニューシビルと称して勉強していたグループの再活性化になるという感が働いている。
私は、実質的には大学卒業以来、最初の10年間以降35年間も「上司の居ない」生活に慣れ親しんでいるので、たいていのことは「感」で判断します、これは永年付き合いのある中小企業のオーナーも似たようなもので、傍から見ると、思いつきで仕事をしているように見えるらしい、私自身は30年以上前に決めた自分のビジネスモデルを変えなかったから、この歳まで生き残ったんだ、と自負しているのですが、自慢するつもりはありません。
今一番気になっているのは、「収入の多寡でお勤めと、自営の選択をしたい」と公言する若い人が居ることです、alternativeですなんていった奴もいました。
私は、こんな面白い商売は無いと、思っているんだけどねえ。
技術コンサルタントの世界 2004.06.10.
若いアメリカの技術コンサルタントは元気がいい。
6月9日若い、今年41歳の4月から独立を果たした、シンガポールに住んでいる、アメリカ人の技術コンサルタント、mark
A. berggren君(www.iqventurepartners.com,)と、交恂社で晩飯を食べました。
ナノテク研究会の田代君が連れてきたのです、mark君いわく、「私は、プリンストン大学出身の化学エンジニアで、アメフトの選手でした。
この年齢の同級生は、転職を既に何回もしているし、一番引く手あまたの年齢です、私は6年間シンガポールに住んでコンサルタント会社に勤めていたけど、このほど独立しました、石炭やメタノール化学関連、ナノテク応用関連、エネルギー関連等の調査を、日本のエンジニアと組んで仕事したい」彼のメール番地は、プリンストンの同窓会(alumni)のもので、アメリカのエリート技術者は技術コンサルタントになるんだと、あらためて感心しました。
私のキャリヤーの34−5歳で独立、自営を始めたんだ、という点に関しては、mark君も、いささか認めてくれたらしく、色々質問してきた、日本の若い連中よりも、率直で迫力あるねえ。
近藤信竹君が、「年金技術士だけど、何か面白いことやりたい」とご希望なので、半年前からフリーズしたままの「自転車特区」構想を再スタートお願いした、道路の専門家鈴木敏君の、「車道と人道の合間に緩衝帯と、自転車道を設ける」を基本構想として、幹線道路に挟まれたコミュニティーエリア(500X1000)を複数作る、ということなので、早稲田大学キャンパス周辺で可能性あるかどうか、動ける人を募って始めます。
6月10日、午前中は会計事務所で、息子社員の為の事務手続きを指導してもらい、登記所と、社会保険事務所に言って書類を貰ってきた、苦手の事務をやらねばならない。
お昼は、妻の要望でサイボクハム
http://www.saiboku.co.jp/index.htmlに出かけました。
ここは20年位前は、豚の牧場の肉直売店だったのですが、年々お店を拡大して、今では牧場の中にスーパーからレストラン、温泉まである複合施設になっています。
ウィークデイは比較的にすいていて、いろんな種類のハムを試食できるのが、お楽しみです。
車のナビの抜け道チェックをしてみましたが、なかなかの知恵者であることがわかりました。
技術コンサルタントの世界 2004.06.01.
若手の高堂君の企画による、業界本の企画。
貼り付けー
@「独立する技術者たち」
サブタイトル「再生日本経済のカギとなるか!!」
A全体の監修:技術士協同組合 森田理事長
貼り付け終わりー
の前書きになるか、後書きになるかは、別にして、私も何か書かせてもらえそうです、どんなことを書いたらいいのか、今のところ判らないので、バージョン 1.を書いてみましょう。(それにしてもこのサブタイトルは誇大文句ですね。)
「独立する技術者たち」
1976年の組合設立以来、http://www.cea.jp/eg000.html 独立希望の技術士の月例会を開催している、私は時間の許す限り、全回出席して、皆さんにご挨拶してきた。
以来28年になるが、希望者の増えるのは不景気の時で、私の1972年は第一次石油ショックだったし、最近の2年くらいは、毎月新しい人が3−5人現れ、世話人の菅野君共々喜んでいる。
私は34−5歳から始めたが、本当に面白い商売だと思っている、取っ掛かりは勤務先の倒産だったが、3年目くらいから現在のビジネスモデルに決めて、以来30年ぶれずに続いている。
1970年技術士合格した頃の青年技術士懇談会の20名くらいの仲間で、健在なのは黒澤、青葉、宮田さんくらいで、後は居なくなってしまった。
現在だったら、私のお勧めするビジネスモデルは、「会社で一人前の技術者として働けるようになった(30−35歳)ら、その会社を正社員であることは辞めて、出入りの零細外注業者として独立し、同じ仕事をするのをスタートとする」会社は、正社員がいなくなると、社員の給料の約3倍のコストカットになる、だから社員の5割り増しを支払っても、合理化である。
そこから後は、段々複数の会社に出入りするように工夫し、仕事も日雇い技術者から管理者ー経営者の仕事に展開しないと駄目だ。
技術者は現場がすべてである、一人前になるための修業も、日雇い仕事も全部現場を必要としている、しかし技術コンサルタントとして、管理者ー経営者と仕事をするには、会社に出入りする零細業者として「物事に関する類推能力」と「人に関する想像力」が無いと生きていけない。
これは、私が言っているのではない、橋本 治という天才が、近作「上司は思いつきで物を言う」集英社新書で述べている。
私は30年以上この商売をやってきて、出来ないタイプの人だけは、判別できるようになってきた、一言で言うと「相対的な人?」である、「選択的?」というのか、要は「どっちが得か、どっちが儲かるか、生涯の稼ぎはどっちが多いか」なんて考えたり、「あるときは社会通念に従いー保守的というのか、あるときは悪い法律は無視しろー革新的というのか、」と主張したり、ぶれる人は、独立自営業者には、向いていない、世の中の人が貼るレッテルを変えるのは、不可能に近い。
私の現場論は、橋本治の受け売りではない、確かに管理者ー経営者は、自分の会社の現場のOBである、だから「思いつきで物を言う」と橋本治は言う、しかし私は経営者の現場は同業者の登場するバーチャルな世界だが、明らかにあると思う、技術コンサルタントは、ここが主戦場である。
技術コンサルタントの世界 2004.05.27.
*ある県の産業支援機構が不振企業の再建案を作るために、各分野の専門家チームを編成して調査報告書を作りました。
私も仲間に推薦を受けて意見を出したのですが、私のリストラ案は採用されませんでした、残念ですが、まあ頑張ってくださいと言うしかありません。
沢山の人を雇っている経営者という立場は、本当に大変なものだと、同情する今日この頃です。
旧友の坂本君が、私の技術経営責任者協議会への参加依頼に対して、
貼り付けー
私は技術についての倫理・責任は誰にも負けないと思いますが、 技術経営責任者と言うよりは、技術職人として甘んじています。あるいは百姓かも知れません。
折角のお誘い、無にして申し訳御座いません。
貼り付け終わりー
という返事でした、これはこれで私にはよーく判る世界です、気質から言えば技術屋の8割がたは、こう言い切って飯が食えればいいや、と思っているんじゃないか?
*このところ電話での会談が続いた、和田忠太先生から組合総会パーティー出席の通知と、
「ディーゼルこそが、地球を救う」小川・清水・金谷 共著(ダイヤモンド社)に共感した、とお知らせを頂きました、
読んでみましょう。
私は、今、「上司は思いつきで,ものを言う」橋本治著(集英社新書)を読んでいます。
橋本治という天才は、サラリーマンをやったことが無いというのに、「会社とはいかなるものか」ということを、懇切丁寧に教えてくれます。
半分位は、私も判っていたつもりでいたが、世界における日本というテーマにつながるし、私の主張する「現場論」が整理されて書かれていて、わが意を得たりと、読み返しています。
私の仮説は、「パソコンの中には現場が無い」ということで、若い人たちの現場がやせ細ってきている、という危機感を持っています。
*私が技術士会活動で唯一参加している、日韓技術士会議の委員会が25日にありました、ここには「良き技術士会のグループ」の伝統があり、今でも北海道、新潟、仙台、島根、等から、大した用があるわけでもないのに出席し、夜の一杯飲むことを楽しみにしています。
唯一の弱点は、老齢化です、若い人の参加を頼みたいところですが、若い人はなんといっても余裕が無い、多分お金より気持ちの余裕が無いのでしょう、年とったら良くわかりますが、こういう長い付き合いは、貴重です。
私の唯一の自慢は、グループ作りで、橋本治流に言えば、思いつきで色々作ってきました、続いているのは必ず、私以外に続けることに情熱を傾ける人が出現して、面倒見てくれるからです。
世の中うまく出来ています。
*決算の季節です、パソコン環境に適応しない旧い人達にFAX連絡していますが、この所世代交代が一気に進んだという感があります、その割りには、元気の良い若い人にめ
ぐり合えません。
ネット上での威勢のよさと、現実の人間とは、かなり違っているというのが、私の実感です、
私は自分では、ネット内でも等身大の自分を表現しているつもりです、まあこれだけは他人が評価してくれるんでしょう。
満州引揚者ー私のケース(5/21)
最近、副島先生からのメールに、
貼り付けー
アメリカ帝国が、イラクでやっていることの残虐さを思うと、北支、満州、朝鮮から引き上げてくる途中の日本人たちのことを勝手に想像します。想像を絶する悲惨さだったと思います。
貼り付け終わりー
という部分があり、私が満州からの引揚者であることを、ご承知の上での感慨を述べられていると、思いました。
私は、敗戦時は小学校2年生、8月6日にソ連兵の追い立てられ、営口という町から、奉天という町へ移動し、2年弱難民生活を経験して、帰国しました。
父親は25年、母親は5年前に死んでいます、以下の話は、自分の記憶というよりも、ずっと後になってわかったことばかりです、両親とも満州時代の話はしたがらず、TVで帰国孤児が出ると、必ずTVを消していました。
*父親は、上海にあった東亜同文書院卒業後、満州中央銀行に就職、敗戦時は上記の営口支店長でした。
ソ連兵が来た夜、40名の部下たちと、徹夜で子供たちの衣服に、(多分)銀行の札束を縫込み、このお金のお陰で、奉天での2年間は、子供を売らずに、ひっそりと(森田と名乗らず、母親の堀越と名前をかえて、普通の住宅に暮らしていました)日本人同士で、何とかしていたようです。
私の小学校は、奥地から引き上げ途中の、開拓農民に占拠されており、授業は無く、中高生のお兄さんたちにくっついて、遊んでいました。
*子供のブローカーが、跋扈しており、ある日突然いなくなる子供は、日常茶飯事でした。
*中高生の中には、当時抜群の人気だった、共産党(八路軍)に志願して入った人が、沢山いました、この人たちは、今は中国人として生きていると思います。
*戦後の父親は、第一ホテル、武蔵野銀行でサラリーマンをしてきましたが、多分全部、同文書院の人脈で生きてきたと思います。
*父親は、中国大好き人間でした、これは生涯変わらず、あれだけひどい目にあったはずなのに、今でも不思議です。
同文書院の卒業論文は、4年生の時に一年間仲間と一年間自由に旅行した記録で、毎年製本され、残っています。
大東亜共栄圏を無邪気に信じていたのでしょう、イスラエルの入植者やアラブ諸国にでかけるアメリカや日本のODA業者と同じことですが、当事者たちは、自分なりの行動原理で動いており、人間というのは度し難いものです。
*私は、3人兄弟の長男ですが、弟どもに比較すると、もっともひねくれた嫌な性格で、我ながらもてあますことが多く、これは8−10歳の異常な経験から来るものと、諦めています。
*同じような引揚者である、伊澤槇一君は中国に入れ込んで、上海や北京の大学で教えたり、留学生の面倒を見たり、中国大好きなようですが、私は出来れば中国とかかわり無しに一生過ごしたいと、決めています。
同じように、アメリカともかかわり無しに死にたいのですが、仕事が少々あり、息子も住んでいるので、後なんかいかは、出かけるでしょう。
*私の兵隊や役人嫌いは、単純です、敗戦時満州の兵隊や役人は、普通の国民より早く敗戦を察知して黙って帰国しているのです、妻の父親はそれでもまだ正直なほうで営林署の役人でしたが(林業技術士)、家族は早く帰国させたのですが、自分はもさもさしていたお陰で、シベリアに連れて行かれました。
瀬島龍三がソ連と密約を交わして、天皇の地位保全と、シベリア開拓をトレードしたという話は、引揚者の間では有名です。
*副島先生言うところの「悲惨さ」という現場は、たまに夢の中に再現することがあります、学校の校庭に死体が重なっており、次の日には衣類が無くなっており、次の日には野犬が襲い、その夜大人たちが穴を掘って埋めていた、ことがあったのでしょう。
子供が売られたり、一家がいなくなるというのは、日常的でしたから、現場の当事者たちには、悲惨という感情は無かったように思います、イラクでもパレスチナでも、見物人が思うだけでしょう。
ただ、あの2年弱の経験が、私の一生を決めていることは間違いありません、考えてみれば不思議なことです。
技術コンサルタントの世界 2004.05.16.
「NPOの話」
我々の周辺にも、NPOに関係している人が案外沢山居る、多摩ニュータウンの地域で活動している橋本(孜)君、土壌汚染の関係NPOを作った高堂君、技術移転(TLO)のNPOを作ろうとしている野尻、大久保君達、技術経営責任者協議会をNPOにしようとしている私達、みんな以下の日垣隆さんの雑誌SAPIO論文の一部を、どう思いますか?
貼り付けー
《経営感覚が欠如したNPOは、当然のごとく赤字を蓄積し、周囲に「迷惑」をかけざるをえない。スタッフとして格安または無償のボランティアに馳せ参じる若者たちには、ハードルの高い入社試験があるわけでもなく、やや戯画的に言えば、課長になるのに20年かかる企業と違ってNPOなら1年目から理事やら代表やらの肩書きも簡単に手に入る。無償性は、「正しいことをやっている」幻想を根拠なく信じるバイパスになりかねない。
自立していない組織と、ボランティア失業の若者は、こうして、ブロッコリーやカリフラワーのごとく(バラバラにしても同じ形状のものが出てくる)相似形なのである》
〔中略〕
《もともとボランティアとは、義勇兵の志願者を指した。今もそれは無料奉仕のことではなく、自分の意思で、というニュアンスが核心にある。ボランタリー殺人と言えば故殺を意味する。
では、仕事とボランティアの違いは何か。
仕事には、原則として依頼者があり、広義の納品というアウトプットが伴い、そこに対価や給与が支払われる。日本語で言うボランティアには、往々にして依頼者がない。依頼がないのに自発性だけが突出すると、正義感と使命感がひとり歩きしやすい。だが依頼者を前提とする限り、唯我独尊は通用しない。逆に言えば、依頼者がなく自発性を全面に出すと、独善の世界へ簡単に没入してしまう》
貼り付け終わりー
日垣さんの論文は、イラクを含めた海外活動するNPOを論じているが、仕事とボランティアのちがいを依頼者の有無にある、と喝破している。
これまでに生まれたNPOの85%は、事実上休眠しているという、もともとグループ活動として何がやりたいのか、既存の会社、社団法人、協同組合等では、できないことをNPOを作れば、できるようになるのか、良く考えたほうが良いね。
技術コンサルタントの世界 2004.05.11.
毎年、連休が終わると、決算書準備です。
具体的には、一年間の帳票類を(領収書、飛行機の切符等)整理して(妻の仕事)会計事務所に届けます。
私の会社は、株式会社メックと言いますが、まったくの個人会社で、一年間どんぶり勘定で暮らして、この2日位だけ複式簿記の世界になります。
先月からは、次男で印刷物デザイナーの洋平が、自宅で仕事を始めて、私の会社の社員になりました。
私と仕事の関係があるわけではなく、どんぶりが2個になっただけです、それでも、30年間使ってきたハンコを新調したり、FAXも取り替えようかと思ったり、登記所に行って、会社の定款変更しなくちゃとか、私としては、引退して会社を閉める心配をしなくて良くなったので、ご機嫌です。
技術士協同組合の決算も同時に準備します、これも私は設立した1976年来やっています、会計士の前田さんに当座の表や小切手の耳を宅急便で送り、青葉君に今年の総会資料をお願いして、会場も6月4日「学士会館」ということになり、準備OKというところです。
今年は、技術者も経営の勉強をしないといけない、と言う趣旨で「技術経営責任者協議会」と言うグループを発足させたが、三菱自工の欠陥車問題の取り扱いを見ても、「俺は技術者だから、技術以外のことは誰かに任せる」という論理では、逃げられなくなっているし、会社員としての場合は、軍隊と違って「上司の命令でやった」でも、逃げられないようだ。
技術経営者が、技術の内容を投資家に説明しなくちゃいけないし、事故の内容も裁判所で被害者に説明しなくちゃいけない時代である、なぜ技術者なんだろう。
私は、世の中の人は、「技術者は正直である」と思っていると思う、職業上(ごまかしの利かない数字を扱っているので)嘘がつけないと、信じている、別な言い方をすれば、技術者には、技術者としての職業倫理が身についているだろう、と思っている。
今、世の中の普通の人たちは、政治家も経営者も嘘つきであると考えている。
これからは、技術者が政治家や経営者になるしかないだろう。
技術コンサルタントの世界 2004.05.03(森田)
若い高堂君(水道部門)から、「独立する技術者たち」というタイトルで、A「会社の中から飛び出したい若い技術者達に、夢と刺激をあたえて、背中を押すような」本を複数のceaのメンバーで執筆するから、監修してくれという提案がありました。
私は当然賛成ですから、ceaM/Lで募集してみました、早速、書いてもいいぞという返事が14通ありました。
その名前を見ているうちに、B「会社の定年後、シニアエンジニアとして、生き生きと世の中に貢献している」という本も執筆できるんじゃないかと、A,Bという2冊の本の企画にすることになりました、又執筆者についても、編集、監修者として、「こちらから書いてくれないか」と頼みたい人を人選することになりました。
連休です、今年は原則的には家に居るつもりです、積んでおいた本が10冊あること、都内探訪を10箇所やることにしています、現在の東京はニューヨーク、パリ、上海より何倍か凄い都市に変身中じゃないかという仮説を思いつきました。
外国に長いこと住んだ友人たちが、最近日本に一時帰国して、例外なく言うことは、東京は凄い、ということです。
日本は駄目だと、自虐的なことを言うのが、知的エリートの証であると、錯覚している向きが多くて、いちいちけんかするのも大人気ないが、衣食住でも、特に食などは、日本の常識を世界が学んで常識にしていくことになるだろう。
年齢から言えば、仕事を縮小して、遊びを増やし、段々隠居生活に入ることを希望してきたし、計画もしてきた。
昨年末に、大塚政尚君から「技術経営責任者」のコンセプトを吹き込まれ、ちょっとだけ手伝うつもりで始めたのだが、面白くなって、忙しくしている。
なぜ面白いか、「これまであまり縁のなかった人たちと、知り合い、議論できる」ということだ、ceaの諸君も、多分私と50歩100歩でしょう、技術者は世間が狭いなあ、略称cmeaとしましたが、技術経営責任者協議会では、技術者を利用したい多くの分野の人たちの参加を目的のひとつにしようとしています。
技術者が即経営の責任者として判断しないと、企業競争のスピードが早くなったので負けてしまうんだと、先日の講演会での川田増三さんの話です、これからの経営者は大変だなあ。
技術コンサルタントの世界 2004.04.23.(森田)
技術経営責任者協議会の第一回講演会、パーティーが、早稲田大学で開催され60人位集まりました。
半分くらいは顔見知りの諸君でしたが、半分くらいは大塚、岸本両君の呼びかけで参加してくれた経営者や投資家関連の人たちでした、田吹君、橋本義平さんも何人か連れてきてくれました、関西の人河村さん、今藤さん達は、八木、大藪君たちと関西にも拠点を作ってくれそうです。
ジャーナリスティックな話題としては、知っていたはずの会計士の世界を垣間見ることになり、私にとっては新しい世界が広がってきて、本当に面白かった、特に不正な会計がばれた時に、会社と会計士が連帯責任で、大方の会社よりも会計法人のほうが大きいので損害を引き受けることになる、と言うのはすごい話だ。
土屋先生の質問が良かった、「経産省や警視庁のような公権力を与えられていないのに、会社が正直に会計士に報告するんですか?」
産業世界政府の代理人という役割なんだろう。
パーティーは学生食堂だったが、結構盛り上がりました、会計事務所からは、講演者の品川陽子さんのほかにも、若い女性が受付を手伝ってくれたし、若い会計士の方も来ていたし、技術士諸君も投資関連という異分野の皆さんと、存分に会話を楽しんだろう。
私は一番印象的だったのは、役所ー銀行ーコンサルタントだと思われる若い人(名刺を貰っているのだが、12枚の内どの方か判別できない)から、私の意見「日本の中小企業経営者は、手形を受け取ったり、発行したりするために、銀行に自宅に根抵当を付けられ、資金繰りに神経すり減らして生活している、その上引退するのがこれまた至難の業である」に対して「その問題は、私が役所にいるときに解決済み(法律的にはという意味か?)だし、私は元銀行員だ」と言われてしまった。
「1円の株券だって発行できるんだ、金なんか無くたって、会社が作れるんだ」と言うことも主張していた、日本が手形の無い社会に行けるのかどうか、まだ良く理解できないけど、対極的な縁の無い世界の人たちと思っていた、投資家、経営者の世界を垣間見ただけでも、技術士の諸君は勉強になったでしょう?
土屋先生のゼミ出身の衆議院議員宇佐美登君を、応援しようということになった、港区長の原田敬美君応援団に続く、ささやかな政治とのかかわりも、cmeaでは試みましょう。
二次会では、10人位残って、高田の馬場近くで気勢を上げましたが、あまり記憶が定かでありません、近藤君が補助金を徹底的に研究しますと言っていたのと、野尻君がガラクタ特許研究会のNPOを作ると、宣言をしていました。
技術コンサルタントの世界 2004.04.15.
世代交代は、私の身の回りでも、容赦なく進行中です。
今週67歳になる私のために、日曜には、息子共と品川の高層ビル34階のtheOREGON
Bar& Grill(オレゴン州政府の経営)食事会がありました、私がオレゴン大好きだし、去年の連休にレンタカーをひっくり返したのも、オレゴンとカリフォルニアの国境でした。
我が家も、30歳になるデザイナー(印刷物関係)が、何時の間にか家で仕事を始めているので、私の32年間続けている個人会社(株式会社メック)を使ってもらうことにしました、これで会社を閉める苦労をせずに済むかもしれません、沢山の先輩方の仕事を止めることの大変さを聞きかじってきているので、ほっとしています。
会社勤めだった友人たちは、1人残らずご隠居さんです、私は他人事ではないので、なるべく沢山の友人の隠居振りを観察していますが、これが非常に愉しそうなんです。
勿論色々試行錯誤はしているようですが、何しろ皆学生時代のように、邪気のない、いい顔に戻っているのが素敵です。
こうなると、会社での仕事のし過ぎで、体を壊したり、死んでしまった連中は、可哀想なことだったと、改めて厳しいビジネス社会を生きながらえて、無事卒業できたことは、たいしたことだと、祝福したい気分です。
私は、出来るだけ、こういう同年輩の連中と遊びたいのです。
さて他人のことはともかく、私自身の引退については、自分で決めなくてはなりません、勤め人のように、誰かが決めてくれれば、いやおう無しに、隠居できますが、私の場合は、相手があることなので、そうも行かないなあと、ここ2−3年考えあぐんでいました。
ところが、昨年来、自分の会社を上場して、他人に売却し、これから上場のコンサルタントをやるという、大塚政尚君から色々話を聞き、私の関係している会社も、何社かが上場にトライしてみようと言うことになってきました。
社長達が上場したいと言う理由は、各人各様ですが、リタイヤすると言う点では、共通しています、誰も死ぬまで会社をやろうと言う人は居ません、これまでの日本の中小企業者は、死ぬまでやらざるを得なかった、ともいえると思います。
出来ることなら、重荷を背負って苦労をしている社長どもも、私も含めてハッピーリタイヤメントの道が開けないか、ひと働きしてやろうと決心しました。
「技術経営責任者」の団体を作るという大仕事は、最初の取っ掛かりくらいは、これまでの私の周りの諸君の協力で始められました、5-10年後には、日本の中小企業の経営者の抱える難問のひとつくらい、軽減できれば、これに勝る喜びはありません。
技術コンサルタントの世界 2004.04.06.
「教育について」ーon the jobでしか、教育はありえない、という私の持論。
先週、フリーターが150万人いると聞いたばかりなのに、今週は、ある会合で、400万人の若い失業者がいるという話を聞きました。
戦後60年の教育の問題として、文部科学省行政の間違いを、指摘する意見が、出席者の老若双方から、正反対ではありましたが、ありました。
私の経験から言うと、学校で学んだことは、遊ぶこと、人間関係の作り方、付き合い方で、記憶に残っていないけど、いわゆる、読み書きソロバンは、学校で教えてもらったんでしょう。
私は、大学の機械科を卒業しましたが、機械屋のプロになったのは、機械メーカーでの就職期間の10年間に、仕事を通じてすべて覚えました。
私の英語も、就職中、アメリカ市場開拓のために、2−3週間の短期出張でしたが、100回以上出かけた結果、かなり流暢にコミュニケーションが、できるようになりました。
最近、外資の傘下に入ったマツダやニッサンでは、会議や議事録が英語になったと聞いています、こういう会社の社員は、10年もすれば、半分くらいの社員が、会社では英語で会話、家では日本語と言うように、国内での国際化が進行するでしょう。
ロスに住む、息子一家では、とっくにそんな生活をしています。
学校で、英語がしゃべれるような教育を、などというのは、ナンセンスです、そういう職業に就けば、誰だって生きていくためにしゃべるようになるのです。
私は、ここで何が言いたいのか、私は人間は役所が心配してくれなくとも、本当に食えなくなれば、フリーターも失業者も、必ず職を見つけ、状況に対応するものだと、確信しています、今は、60歳以上の年寄りが、日本の資産の80%を持っているわけですから、それをのんびりしている、子供や孫たちが、食いつぶしている状況なんでしょう。
親友だった村木君は、42歳の若さで亡くなった、未亡人の享子さんは、お習字の先生になり、現在100人のお弟子さん、ドイツの芸術大学で、毎年夏期大学のワークショップを開くまでに、発展している。
村木が生きていたら、享子さんは普通のおバーさん主婦であっただろう、人間と言うのは、すごい力を秘めているものなんだ。
先生と言う職業で、私が羨ましいと思うのは、年とってから昔の生徒との交流がもてるからである、そのためには別に何かを教えるなどと気張らずに、生徒にとって、年上の友人として付き合ってくれるのが、生涯のいい先生になる。
好き嫌いは別にして、これからの日本の社会制度は、アメリカ追従になると考えれば、役人や現在の大企業と言う就職先は、今の若者の人気はあるかもしれないが、先行き真っ暗だよ、位のことは、先生も生徒にアドバイスしてあげたら良いのにと、思います。
技術コンサルタントの世界 2004.03.31.
「フリーター私論」
年度末です、私の個人会社は分不相応に株式会社なのですが、何とか無事に30期を過ごしました。
ここ何年かは、同年輩の友人たちが定年を迎えて引退して、楽しそうにしているのを知るにつけ、どうやって閉めようか、考えることがしばしばありました。
今年になってから、同居している30歳になる、デザイナーの卵だと思っていた2男が、何時の間にか勤めをやめて、自宅で仕事を始めていました。
彼は専門学校を卒業後、印刷物のデザイン会社に勤めていましたが、その会社とその会社の客先の仕事を始めたようです。
私が、私の会社を利用しないか、と頼んだところ、承知してくれました。
早速、30年来使い古した、ハンコ類、パッドなども、住居表示変更もあったことだし、一新しようと思います。
さて、ここ数年、息子の友人たち、副島隆彦塾の門下生諸君とのお付き合いの中で、今考えてみると、彼や彼女がフリーターと言う種族なのかなあ、と思われる若者と接点がありました。
最初の内は、私は彼らを、単純に、職の無い可哀想な若者(失業者)と考えて、就職の世話をしたり、飯を食わせてお説教を繰り返していました。
そのうち、彼らは、主観的には「これは自分が主体的に選んだ生き方だ」と信じていることに、気がつきました。
それに比べて、失業者と言うのは、「自分のような能力ある人間が、当然得るべき地位や収入が、得られない」と考えている人たちなんだと言うことです。
我々同年輩の会合での情報によっても、息子娘達の3人に1人くらいは、このフリーターに属しており、自分が年金シニアであるにもかかわらず、フリーターの年金支払いまで、親として面倒見ている連中が、沢山いることは、社会の表には出てきていない事実でしょう。
私は、内田 樹神戸女子大教授がどこかで定義しているように、本来「お金を稼ぐ」というのは、ある種のスキルを身につけ、その行使を通じて、「顧客のレスペクト」と「適切な対価」を得ることである、と思うので、フリーター諸君は、その誇り高い自我を保ち続けるためにも、何らかの修業期間を認めたほうがいい、簡単に言えば、会社勤めや秘書のような、on
the job でしか、スキルを身につけることは、出来ない。
私がお勧めする、self employment 自営業者になるにも、フリーターから直接なることは、なかなか難しい、何らかの修業期間が不可欠である。
現在の日本には、150万人のフリーターがいるそうだが、今のままでは、単なる「社会の緩衝材」として、失業率の隠蔽に加担している程度の役割しか果たしていない。
飯を食うためのスキルは、立派な役所や大きな会社に行かなければ、身につかないわけではない、この点がフリーター諸君の大錯覚である。(多分、自分の親、親戚からの職業情報と、バイト先の職業情報からしか、飯の食い方が理解できないんだろうね)
ひるがえって、技術士資格者のうちのself employer 志望者は、5%位でしょうか、立派なスキルを持っている割りには、お勤めしたい人が圧倒的に多い、皮肉なことです。
技術コンサルタントの世界 2004.03.25.
2001.5月の連休以来久しぶりに、ニューヨークを歩き回りました。
3月14日(日)に成田から出発して、妻がパソコンをにらめっこしながら予約した、ペンステーション近くのhoward
johnsonという旧いホテル(懐かしい名前で1967年に最初にアメリカに仕事で、出かけた頃からある老舗のホテル)を根城に、地下鉄とタクシーを足に、雪の降りしきるニューヨークを歩く人達は、相変わらず元気一杯の印象でした。
とりあえずは、グラウンド ゼロです、2001年には連休に出かけてワールド トレード センターの屋上で1時間くらい、日向ぼっこをした思い出があったので、感無量でした。
http://www.earthcam.com/usa/newyork/groundzero/
グラウンド ゼロからすぐ南に歩いて、national museum of the american indianに入りました。
http://www.nmai.si.edu/subpage.cfm?subpage=exhibitions&second=ny
ここの美術館グッズは私の唯一のおしゃれ用品であるネクタイを売っていることと、インディアン民族と我々日本人の親近感に敬意を表するために、一回りしました。
虐殺したインディアンに鎮魂の意味を込めて、最高級の場所と建物と、いかに素晴らしい人たちだったかを展示しているのは、日本の出雲大社が、征服した天孫族によって作られたという仮説や、アイヌの施設にも通ずる話である。
なにしろ妻の企画なので、美術館あるきです。
目新しいところでは、技術経営責任者の代表発起人である、八木基雄君推薦の thefrick
collectionを鑑賞した。
http://www.nylovesyou.com/entertainment/frick_collection.htm
セントラルパーク東側の高級マンションの自宅が、そのまま美術館になっている、アメリカの金持ちの底知れない財力には、脱帽だ。
久しぶりに夜のタイムズスクエア周辺をうろうろして、気がついたのは、日本の会社のネオン広告が激減していることである、代わりに韓国の会社が目立った。
晩飯は、天才シェフのBobby
Fray に敬意を表して、最初にメサ グリル、http://www.mesagrill.com/、第2夜はボロ、http://www.bolorestaurant.com/、にて堪能した。
17日(水)には、歩いて5分のところにある、マディソンスクエアガーデンの地下から出ているペン ステーションからワシントンまでファーストクラスの特急電車に乗り、給仕付ランチで約2時間半雪景色と広々とした荒野、海辺、川辺を楽しんだ。
ワシントンは、妻は始めて、私は30年ぶりなので、息子のアドバイスもあり、ホワイトハウスの真裏にあり、窓越しに見晴らせる、The
Hay-Adams という高級ホテルに泊まった。
http://www.hayadams.com/index2.htm?SEOP=washington_dc_hotel&referrer=
着いた夜に、ナイトツアーで一回りした以外の2日間は、ハーシュホーン美術館 http://hirshhorn.si.edu/ に始まり、ナショナル ギャラリーhttp://www.nga.gov/、ArthurM. Sackler Garelly 等‥、歩き回りへとへとになる。
盛り場が無い町なので、夜はホテルで食事を取る、ウェイターが年老いたインディアン風のオジサンなので話し込んでみたが、驚いたことに、このhayadams
というホテルは、1986年から日本のイー・アイ・イという会社がオーナーだそうである。
確かバブル華やかななりし頃、興銀と高橋某さんという事業家のベンチャーとして、マスコミを賑わせたことがあったことを思い出した。
客筋は、ホワイトハウスの役人を訪れる国内外の要人だそうで、日本からの客は、一時期ほどではないとのこと、アジアでの日本の相対的な地位は、安定しているが、中国が政治的にも重みを増しているようです。
そうだ、ホテルでは、吉田君のFIJIの水が飲料水に使われていたなあ、黄身を抜いたホワイトオムレツ(昔付き合って仲良くなった、フォードのエンジニアのRowellさんが、倉敷のホテルでシェフに懸命に説明していたのを,思い出してしまった)も、メニューに見かけるし、最近の高級ホテルは、オーガニック野菜と肉抜き料理が売りのようである。
もうひとつ、歩き回っていたら、AARPの大きなビルを見つけました、http://www.aarp.org/、この組織は知る人ぞ知る、シニアのための巨大組織で、私は昔から興味のある団体です、この国のシニアは、猛烈に主張するのです、出来たばかりの「技術経営責任者」も2−30年したら、ここまで行かなくても、ビルくらい建てたいものです。
19日(金)夜には、ロス アンジェルスの孫どものところに行き、ウィークエンドをだらだらとすごしました。
-----
アルバムできました。
http://homepage.mac.com/yoh/PhotoAlbum55.html
-----
Re: 技術コンサルタントの世界 2004.03.25.
我が第二の故郷であるNYの情景、楽しく読ませて貰いました。小生達も、一昨年の秋、訪問し、貴兄とは異なり、美術館、ミュージカル(42nd Street)の他は、Golf
(これは珍しく好天に恵まれ、久しぶりの紅葉の中でNYGolfを堪能しました)でした。
ハワジョンは、小生が、赴任した時にしょっちゅう食事に行ったところ。懐かしい名前です。未だあるのかとびっくりです。(ハワジョンのdry martiniは旨かった)
Ground zeroは小生にとっては、殊更、特別の場所。一昨年、訪れましたが、小生が赴任中に着工され、設計も日本、使用された鋼材も日本と、将に、日本の技術が世界に認められ始めた時期でした。(小生も、その一端として、USAに派遣され、以降、USAの火力発電所に使われるTubeを売りまくり、30〜40%のshare迄持っていきました) WTCの鋼材は、三井/日鉄でしたが。
何れにせよ、忙しかったでしょうが、記憶に残る旅を楽しまれたことは良かった。
出来得れば、Phila.によれれば、より奥さんは楽しめたでしょうが、次の、楽しみですね。
八木 基雄
技術コンサルタントの世界 2004.03.15.
技術士会何万人いるか知らないが、我々技術士協同組合は、30年近く休まずに、毎月第一土曜日に、「独立、自営を論ずる会議」を続けてきた、理由は世の中にその需要があるからだ。
今月の月例会もまた新顔が何人か現れ、似たような自己紹介を行い、様子を見て帰っていく。
私のように、会社務めが出来ないタイプは、若い内から始めるが、大半の人は、会社からオン出されそうになるまで、こういう会合には出てこないのが30年来の通例だと思っていたところ、昨年後半あたりから様子が変わってきた。
私から見ると若者に思える30歳、40歳代の連中が顔を出し始めた、事情は百人百様だが、独立自営というalternativeを真剣に考える人が、一般的には大人しい、保守的と思われている技術者に増えてきていると言うことは、面白いし喜ばしく歓迎したい、世の中変わってきた。
今週は12人の同年輩夫婦シニアと3日間旅行、夕食を共にして、おしゃべりを楽しんだ、年金問題に関しての目から鱗情報は、20,30歳代の息子や娘達の年金を年金老人であるシニアが払っていると言うこと、80,90歳代のウルトラ年金シニアの親どもの面倒も見ていること、その割りには元気に世界中をツアー旅行で楽しんでいることなどである。
もうひとつの大発見は、永年の男同士の付き合いも、夫婦と言うセットで見ないと判らないものだと言うことである、この妻君にしてこういう奴だったんだ、と腑に落ちることが沢山あった。
技術者なら誰でも、幾つかの団体に関係していると思うが、どこも事務局機能と、会議室機能があり、それぞれが都心に散在しているのは、ご存知のことと思う。
我が組合のように、メンバー相互のボランティア活動によって、事務局無しで30年もやっているのは、例外と考えても、これだけ個人が情報武装化してきたのだから、仲間内の関連団体の事務局集中を提案しようと思っている。
技術経営責任者資格協議会の創設は、スケールの大きな運動になる可能性があるので、ここにくっつけてしまう手があるということです。
技術コンサルタントの世界 2004.03.05.
最近あらゆるものを「勝ち組」と「負け組」に分類することがはやっているようだ。
集団で行動することを好む日本人が、勝っても負けても一人よりは集団でいるという安心感を持ちたいのであろうか。しかしスポーツやゲームならいざしらず、人々が一つの国のなかで、または一つのコミュニティーのなかで勝ち続けることはありえない。いつか、どんな形にしろ反動は起きるはずである。
(ビル・トッテン)
私もこの「勝ち組」「負け組」と言う表現が嫌いです。
こういうレッテル張りをして、世の中が判ったような気分になる人が、多いから、言葉がはやるんでしょう。
個人の人生には、勝ちも負けも、瞬間的に切り取れば、ありそうな気がするけど、それこそ、棺を覆うてみないと判るはずがありません。
さて管理人の菅野淳君は、最近めでたく名実共に独立、自営に踏み切りました、この男の口癖は10年来頑固に「技術士なら誰でも独立して、コンサルタントが出来るような、マニュアル(ノウハウ集)を作るべきだ」と主張してきました。
今でもそう考えているかな?
昔からやっている連中の答えは、判っているけど、最近(定年前から)始めた、内田、河面、高堂、大久保、平野、久保、横尾、田吹、谷口、前坂、藤川、鐘ヶ江、中村の諸君は、どう思っているか、興味があります。
それにしても、顔を思い出しながら、勘定してみると、随分若くして自営に踏み切る人が、増えてきたなあ、私は素直に嬉しい、自分の年も忘れて、勇気凛々と言った気分になる。
マニュアルなんかで勉強してないお陰で、これらの人たちは、バッティング(お客の取り合い)が無い、仲良くやりましょう。
他の資格商売は、同業者は潜在的なコンペティターなので、本当に打ち解けた付き合いが出来ない、孤独なもんです、と言うのが旧い友人の弁です。
今週は、大塚政尚君の紹介で、公認会計士(日本一の事務所)の川田さんとお話が出来ました、私の極めて失礼な会計士に関する偏見も、ものの2分くらいで払拭されるほどの人物でした。
技術経営責任者での会合などで、我々技術者側の得るところは、こういう事務系のトップクラスの方々と、仲良くなれることですね。(4月22日には、技術者に物申すというテーマで、講演していただくことになっている)
願わくば、川田さん達にも、技術者という人種は、どんなこだわりとか、価値観などのバラエティーを持っている連中なのかを、色んな連中に会って、実感してもらえると、良いなあと考えました、明らかに事務系とは違うはずです。
もう1人、ミサワホームの三沢千代治さんにも、30分位お会いしました、一代で大きなグループを創り上げた大成功者ですね、ご本人は物静かに、6月頃までは(バブル清算なんでしょう)謹慎です、と言ってました、この方にも技術経営責任者たちは、沢山学ぶことがあるでしょう。
そうだ、今日は(3月4日)前橋で、大山健一君に会いました、彼も2年前くらいに三洋電機から独立して、群馬県を中心に大活躍をしています、会社にいる時は、「胃潰瘍みたいな顔」をしていたけど、独立したらうんと若返って(実際にも私より一回り若い)生き生きしていて、一瞬見違えてしまった。
今月は、私にとって遊びの3月になる予定です、なにしろ92歳のバーさんが月末まで施設に逗留してくれるので、旅行を計画しています。
技術コンサルタントの世界 2004.02.26.
「エンジニアの自立戦略は可能か」
タイトルは、直近の副島さんの有料サイトのタイトル、「日本の自立戦略は可能か」、からの連想である。
アメリカと日本の関係が、帝国と属国の関係であることは、日本人であればうすうす感じてきたことだが、副島さんはここを直視することしか、日本の自立はないと、手を変え品を変えて、説得している。
昨日、久しぶりに後輩の浅野君が来宅して、3時間ばかりおしゃべりをしていった。
浅野君は、私が会社員をしていた頃(1962−72)、大学にプラスチックの成形機を寄付し(勤務先の社長を説得して、というか騙して)何人かの学生が、この機械で卒論をものにした歴史があるが、その時の後輩で、私のいた会社に就職し、5年くらい一緒に働いた、当時アメリカで2年間サービスの仕事をしたのが、エンジニアとしての自信になったようだ。
私が独立してから、5年位して、彼は半導体関連の会社の一年契約社員になり、その会社の役員で昨年60歳で突然引退、故郷(石巻市)の親の家(大正時代の写真館)を改造して、優雅な生活を始めた。
私は、1人で自立し仕事を始めたが、彼は25年も前に、契約社員と言う形で自立し、10年くらいその会社の役員をやっていた。
私が浅野君のような年金技術者が好きなのは、スパッと後輩に仕事を渡して、自分の世界を作ろうと試みているからである。
技術士会の部会でうろうろしているような、清水健二君に言わせれば、暇つぶし、えばりたいだけの年金技術士とは、大違いである。
当時私の部下の内の5名が、アメリカに住み込んで仕事をした、それぞれ違う会社にいるが、外資企業の社長、アメリカに残留して社長、バンコックでの駐在員、インドで工場長、と活躍している。
私は、エンジニアのすべてがself-employerになるなどと言う、非現実的なことは、考えたことないが、それでも、「若い内に、それなりの環境を与えて、やってみれば、誰でも自立できる」と、確信している。
自立した人間の強さは、大きなテーマを持てることである、勿論飯を食うためには、日雇い的な仕事から、始めなくてはならないし、契約した会社の都合で気に食わない仕事だって、こなす必要がある。
テーマは別に技術的なものばかりじゃない、私なんかは、独立することが大きなテーマなので、あまり技術問題には、入れ込んだ記憶がない。
我が家の次男坊は、織り込みチラシなどのデザイナーだが、昨年の秋ぐらいから、会社に行かなくなり、家で仕事をしている。
いつの間にか、独立していたようだ、考えてみれば、デザイナーなんていう職業も、独立自営が似合う商売だねえ。
技術コンサルタントの世界 2004.02.20.(森田)
「年金技術士へのお願い、提案」
大企業や役所のOBが、大多数を占める、年金技術士諸君は、先進諸国の中でも特に恵まれた立場にあることは、先日ドイツに在住して30年になる、友人から聞きました。
大雑把に言って、先進国の2−3倍あり、卑俗な表現だが、「食うに困らない立場にある」と言っていいでしょう。
私は、たまたま30歳そこそこから独立自営を始めた経験から、仲間と共に組合を作り、ホームページを運営し、ネット会員と付き合うことに血道を上げているが、すべては「後進の育成」のためである。
若くして独立するのは、大変なことであり、リスクはあるし、落ちこぼれた仲間もいたことは、骨身にしみて承知している。
このことは、私の先輩たちも、同様に感じてくれるから、シニアの会とか、三水会とかいう、先輩とこれからの人たちの会合を企画すると、必ず出てきてくれるのである、皆が「後進の育成」に一肌脱ぎたい気分がある。
そこで定年後に技術士を名乗った、年金技術士(この表現は気に入らないだろうな)にお願いがある、諸君はとりあえず、食うに困らないのだから、若くして始めた諸君を、色々な意味で援助してくれないか。
勉強会やプロジェクトチームの世話役を買って出て、お金になりそうな仕事があったら、若い人にどんどんまわしてやってくれないだろうか。
私は、「自分の技術が生かせるからといって、会社で習い覚えた技術を、周辺諸国に、簡単に売り渡す」と言う風潮には、苦々しい思いを抱いている。
君が簡単に売り渡した技術は、会社の仲間と一緒に作り上げたものじゃないのか、日本人として後味の悪い思いはないのか、聞いてみたい。
年金の半分は、会社の後輩たちが払っていることを、忘れちゃいないだろう?
私は、「年金技術者の自己紹介(を沢山聞きすぎたので)評論家」として、我々の会合に出席する時は、しっかりと何がやりたいのか、を表明してもらいたい(declareしてください)、願わくば、仕事を持ち込んだり、仕事を創り出して「後進の育成」に協力してもらいたい。
技術コンサルタントの世界 2004.02.13.
「エンジニアのCPD(continuous professional development)についての私見」
私が学校を卒業して就職した頃(1960年安保の年)、エンジニアの卵が商社にぽつぽつ入り始めていた。
名簿を調べてみると、80年頃からは銀行や保険会社にも機械科の卒業生が行き始めており、85年あたりからは、証券会社、役所、コンサルタント会社等何でもありになってきている。
伝統的に卒業生を採っているメーカー等では、就職した後のフォローが可能であるが、時代の要請(流行)から銀行に入ったような卒業生は、行方がわからなくなっているケースが多い。
20年位前に、我が家を担当する銀行の外回りの若者が、「実は森田さんの後輩なんですが、メーカーそれも自動車が好きで機械科を選んだのに、銀行の給料に魅せられて、先生には反対されたんですが、入ってしまいました、学校には相談に戻りにくいのです」と相談されてしまった、ことがあったが、直ちに自動車会社の友人に話して、転職できた。
商社を定年で卒業した友人に聞いてみると、彼らは、入った時からエンジニア扱いされたことなく、商社マンとして勤め上げている。
どうもエンジニアと言うのは、学校を出ただけでは、エンジニアになれないようだ、最初会社の人事の人は、技術系を出た人をエンジニアとして育てたかったのであろう。
もう少し最近の例では、経営コンサルタント会社のエンジニアのケースがある、新米の学卒はマニュアル仕事は何とかかっこつけるが、立派な経営コンサルタントになれないらしい。
「どうもエンジニアというのは、最初のキャリヤー10年くらいは、出来ればメーカーの物作り現場の経験が、不可欠らしい」これの順番は、必ずメーカーー商社、メーカーー証券会社、メーカーーコンサルタント会社、などなどで、その逆は駄目らしいのである。
延長して考えれば、メーカーー大学教授であり、メーカーー役人エンジニア、メーカーー金融エンジニア、メーカーー流通エンジニア、と言う具合に、「メーカーはエンジニアを一人前に育てる役割と場を世の中に提供する、公共の役割がある」らしい。
CPDについては、技術士会でエンジニアの生涯教育を主張、研究している諸君が、我田引水して、お勉強的な解釈を強要しているみたいで、はなはだ心外ではあるが、明らかに誤訳である。
そこで、私の意見であり、主張は、エンジニアは、まずメーカーに就職する、10年くらいの現場を含めた経験を経たら、半分くらいの人は商社、金融、流通、コンサルタント、大学教師、役所、などに転職する。
つまり、私の主張は、世界の人たちが考える、日本人の存在理由(と言うといささか大げさかもしれないが)は、特色は、工人=エンジニアだ、というものである。
それには、役所あたりが率先して、終身雇用などという制度を破棄しないことには、「転職の自由化=CPD」は始まらない。
技術コンサルタントの世界 2004.02.09.
2−3年前まで、会社を辞めて、仲間内の会合で、最新情報が入らなくなった、と嘆く人が多かったが、さすがに最近の人は、そういう愚痴を言わなくなった。
パソコンや携帯電話の利用にのれない人たちが、いつの間にか、付き合い仲間から消えてしまうと言う、恐ろしい変革期である。
私は、何にもまして今一番心配なことは、その内4000万人の人が年金を貰い、6000万人の人が稼いで、国と地方の借金1000兆円はとても返せない、と言う事実である。
副島隆彦さんの「預金封鎖」と言う本が、ベストセラーになっているのは、国民が段々判ってきたからだと思う、一体どういう風にかたがつくのか、皆目見当がつかない。
税金で食べている友人たちの会社は、右肩下がりで軒並み元気がない、政府もようやく税金の使いすぎをセーブし始めたようだが、間に合いそうもない、どうやらジリ貧の様相を呈している、反面私の顧客はメーカーばかりだが、世界を相手にしているせいか、昨年来皆元気である。
2005年が限界だと予測されている、副島さんの対策篇の本は、200万人いると言われている、日本のお金持ちに対する対策で、普通の人である我々は、地震対策と同じで、ただ呆然とカタストロフィーを経験して後に、元気に再建に取り組めばいいのだ。
私は、満州帰りの元難民であるから、別に危機を待望してはいないが、今の日本のような良い状況が、いつまでも続くはずがないだろうとは、感じていた。
最近ドイツでも、国の借金が巨大に膨らみ、カタストロフィーが近いと、友人が教えてくれた、アメリカを含めた一蓮托生になるのか、とても自分の国だけは、何とかなると言うことにはならないのだろう。
その友人の話では、ドイツもそうだが、ヨーロッパの年金は日本の半分で、そのせいではないと思うが、ヨーロッパ人のほうが、日本人より余程家族主義で、日本人のほうが個人主義だと解説してくれた。
日本も、年金を半額にすると、カタストロフィーも先延ばしになるし、家族主義も復活する、と言うことらしい。
エンジニアの成れの果てとしての、会社の経営者、大学の教授、技術コンサルタントは、もう少し転職、転業の自由があってもいいのじゃないかというコンセプトで、「技術経営責任者」という資格を創設しようと活動開始しました。
これらの人たちは、経験からしか学べない、一人前になれない、と言う鉄則を骨身にしみて知っているので、大方賛成してくれます。
100人発起人が、2−3人推薦して、ねずみ算式に増えることを期待しています。
技術コンサルタントの世界 2004.02.04.
話題の中村教授の特許訴訟については、
一番面白かったコメントは、トンデモ学会の唐沢俊一さんの日記で、
貼り付けー
中村修二教授へ の特許料200億円支払いの話が出てきたが、これまで会社が青色発光ダイオードの
開発に対し、氏に支払ったのはボーナス2万円のみ。200億の支払い命令はその額
の100万倍。今朝の産経抄が、あまりに発明者の権利ばかりを優遇するのもいかが
なものか、と書いていたが、しかし痛快を感じざるを得ないのは、このわかりやすい
“一文惜しみの百失い”的な実例だろう。会社が落語の『一文惜しみ(五貫裁き)』
の徳力屋万右衛門に見えてくる。
貼り付け終わりー
私のニュースを見たときの印象とぴったり一致していて、世の中にはいくらでもある話だという、唐沢教授の眼力はすごい。
ある中小企業の社長の日記には、
貼り付けー
いつまでもこの話を続けると、私の言っている内容が曲解される恐れがあるのでほどほどにしておくが、やはり私は中村氏の考えと同調する部分は30%ぐらいだな。組織人としてはあまり宜しくない。
中村氏が‘ド田舎の会社で自分の研究以外には目もくれず電話すら取らなかった’というのはそれだけの大成果を挙げたから堂々と言えるものの、企業研究者のすべてがそういう人間ばかりになるのなら、私はその会社がたとえどんなに儲かっても憧れはしない。
「理系の人間は型破りでもよい。一度、大きな成果を挙げれば会社を儲けさせることが出来るのが自分たち研究者だから…」のように‘三年寝太郎’がそれほど称えられるべきではない。繰り返すがあくまで『会社』という組織での話。
取引先や顧客の最前線で靴底と神経を磨り減らしている人のことも忘れないでほしいものだ。
そういう地道な仕事を敬遠してパソコン一台で金儲けを考えてみたり、一攫千金のために理系を目指しても、人生、それで良いのかなぁと思う。その時点で真人間から一歩外れているように感じるのは私の感覚が時代錯誤なのだろうけど。汗水を流してわずかな幸せを味わい、自然の偉大さ不思議さに敬意を払いながら、その姿にもっと触れたくて理系の学問を学ぶのが普通だと思っているのも私の‘感覚’に過ぎないことをお断りしておく。
まあこの件については先ほど述べた通り、裁判所が「200億円支払え」と言っているのだから、なんとなく釈然としないなぁと思っている私のほうが異端なのである。それぞれが自分の立場に基づいてお考えになればそれでよい。
貼り付け終わりー
自営業者、日本の中小企業経営者の正直な意見で、日頃エンジニアが世間ではどう思われているのか、良くわかる。
最近おるぶらいと君が絶賛する、植田信さんは、その日記に;
貼り付けー
日亜化学会社に勤めている間は、会社のために青色ダイオードを開発しているのだ、と考えていた、といいます。
で、発明してしまったあと、アメリカ人と交流するようになり、「給料はいくらだ?」と問われて答えると、「スレイブ・中村」と言われた、と。自分で発明したものに対し、その給料では会社の奴隷ではないか、というわけでした。
で、今や、200億円の勝訴となりました。さらに次の裁判では、その額を上げるそうです。
つまり、アメリカ人だの、日本人だの、人種とは関係のない人間精神の原理が中村さんの中で動いているわけです。
簡単な話、人をやる気にさせるものは何か、です。
野茂を、イチローを、松井をアメリカに行かせたものは何か。
で、日本の社会の行動原理は、これまでこの「個人のやる気」を尊重する方法を知らなかった、というか、見出せなかった、ということです。
それだけのことでしょう。
で、「個人のやる気」を尊重できないようにさせたものこそ、「聖徳・不比等」戦略だったとすれば、律令理性の原理から説明できます。
個人が200億円を稼ぐことは日本人の「和」の原理を壊すぞよ、と。
貼り付け終わりー
「和」の原理は、この程度のことで壊れるほど、軟なものでないし、松井がアメリカに行ったから、巨人が崩壊しているわけでもない、アメリカでの日系企業と長年付き合っている私は、自動車等の製造業での「和」の原理が、世界を席巻するする日が、必ず来ると思っている。
元野球少年だった大人の、野茂、松井に対する感覚と、中村教授に対する普通のエンジニアの感覚には、類似のものがあるに違いない。
日を改めて、植田さんは、と言うよりは、東大玉井教授の意見;
貼り付けー
本日の日経新聞の「経済教室」が面白いです。「特許法改正、一から出直せ」という記事で、論者は東大先端科学技術センター教授の玉井氏。実にわかりやすい文章です。
で、現行法は1921年に出来たもので、「相応の対価」としか決められてないとのこと。だから、企業側も前もって対価がどのくらいのものか決めることが困難で、訴訟が起きたときは、「ロシアン・ルーレット」状態になる、ということです。出たとこ勝負で価格が決まってしまう、と。
で、これを反省して官僚が法案を作成中。だが、これも従来の継承のようなもので、最終的には官僚の裁定を仰ぐことになると。
これでは欧米の技術者に日本の法規定が説明しにくいし、アジア系の企業も日本に進出しないだろう、と。
で、解決策は、発明者と企業が契約すれば、それを社会(法)が認める、と。
これはアメリカ型であり、これがいい、ということです。
そりゃうそうでしょう。
企業はリスクを負って製品を開発するわけだし、技術者はリスクの一端を担っているわけです。解決するには、両者の合意が一番です。
これを、製品とか企業とか研究者の個性とか業界の性質とか、そういうものを一切度外視して、一律に一つの解がある、とする現行法は、まさに律令理性そのものです。
「ただ一つの正解があり、それを裁判官が事後的に認定するのが正しいやり方との前提で現行法はできている。・・
研究者や企業が創意工夫によって決めるべきことを国が一律に決めるというのは、まだ日本が途上国だった時代に適した仕組みである。」日経新聞2004.2.3
貼り付け終わりー
私は、何事にも、官僚は関係ないでしょう、と言う立場なので、半分賛成しておきます。
私の世代は、田舎の秀才が東京に大挙して押し寄せ、大戦後の日本の骨格を形成した。
飛躍するようですが、これから日本の出来のいい若者が、どれだけ外国に住み着いて、老いたる母国日本をサポート出来るか、どれだけ国際企業に属してリーダーシップを発揮できるか、NHKで月に一度くらい放映している、笑福亭釣瓶(つるべ)の訪れる日本の田舎をどれだけの残せるか、元気のいい、出来のいい日本の若者の責任は重大だ。
技術コンサルタントの世界 2004.01.26.
お正月以来読んだ本で、面白かったのは、アメリカ軍が日本からいなくなるー「金正日」後の世界ー日高義樹著でした。
NHKからハドソン研究所に席をおき、日本を良く知り、日本に影響を与えるアメリカ人の本音を探り、日本人を叱咤激励してくれているんだと思えば、腹は立たない。
アメリカ事情と言えば、http://www.tkataoka.com/片岡鉄哉さんのニュースレターは、圧巻の説得力である、今週の片岡さんの仮説はすごい、
貼り付けー
角栄は「下手人」として処分
ロッキード疑獄が憲法改正への制裁
裁判官は竹下か
小泉総理は、在任中は憲法と消費税には手を出さない。出せないのか。日本政治では改憲を唱える者は命が危ないのである。田中角栄は改憲論者であるが故に「暗殺」されたと言えるのだ。これを私に指摘してくれた仙台の読者に感謝する。
田中はアメリカ政府によって刺された。英語で言う「人格暗殺」である。ロッキード事件はアメリカ政府の関与なしでは起こりえない。田原総一郎がそう指摘するのは正しい。
しかし田原は、田中が事実上の日中不可侵条約を結んだことを知らない。
田中訪中で日中共同声明が出た。この声明で日本は台湾が中国の固有・不可分の領土であることを認知し、そうすることで日米同盟を割ってしまった。日本は台湾防衛について米国と協力できないのだ。不可侵条約は今でも有効であり、中国の靖国干渉はこの条約を補強しようとするものである。
アメリカは日中不可侵条約を結んだ田中にロッキード疑獄で報復したのだ。しかしVOICEの論文で私が指摘したように、このような内政干渉は日本内部で外国の手引きをする者がいないと成功しない。ではフォード政権の手引きをしたのは誰か。
霞ヶ関と永田町の二者だろう。外務官僚は、田中が官僚国家に終止符を打ち、永田町優先・国会優先・官僚去勢の国家をつくり、福田赳夫を外し、日中不可侵条約を結んだ田中の敵だった。外務官僚の「共謀」がなければ、ロッキード疑獄をアメリカから仕掛けるのは不可能だった。また、外務官僚が検察官僚を誘動したのだろう。
永田町も共犯だった。当時は三木武夫総理が下手人だという説があった。田中派は「三木おろし」で報復している。しかし三木は主流でない、傍系だ。田中制裁は自民党の主流でなければできない。三木は利用されたのか。最後のとどめを刺したのは竹下であり、経世会という主流派だ。あれで田中は言語障害と中風になり、死んでいった。
しかし自民党の主流派が田中を断罪した訴状は何だったのか。日本の政治ジャーナリズムはノンポリであり、政治にうとい。このような問題は必ず「権力闘争」として分析される。
しかし「金権政治」という訴状・大義名分は、「暗殺」という処刑とつりあわない。
「金権政治」は誰もが真似をしていたのだ。これで田中を断罪するのはおかしい。
もっと重大な罪があったのでないか。万死に値する罪があったのでないか。それが憲法改正であろう。これなら万死に値する。極刑に値する。田中は改憲論者であるのみならず、改憲を実行する力と能力を持ち合わせていた。
田中は総理に就任すると、野党が野放し状態なのを懸念していた。そもそも革新左翼をけしかけたのが佐藤栄作だった。彼は「核抜き本土なみ」の沖縄返還という離れ業をやるために沖縄市民と革新の左バネを使ったのだ。
彼が沖縄交渉のために訪米する時には、全学連がもの凄いデモを羽田で仕掛けている。
佐藤はこれを警視庁機動隊で鎮圧した。往年の三島由紀夫がこれを見て、述懐した。
佐藤は軍隊なしでも平和が守れることに確信を得たというのだ。平和主義の再確認である。
この平和主義の左バネを田中がもろに被った。そこで彼は憲法改正して左翼を潰そうとしたのである。しかし結局は、大平正義に説得されて断念した。その時、大平が親友の田中に何を耳打ちしたのかは知りたいものである。「憲法に手を出すと危ないよ」と言ったのか。
経世会が旗揚げし、金丸信、橋本龍太郎などの「六奉行」が田中を捨てた時、ボスと共に籠城したのは二階堂たった一人だった。あれほど地滑り的な反乱が「金権政治」だけで起きるだろうか。小沢一郎はその後、改憲に転向した。そして彼も干し上げられた。
経世会によって。小沢の罪も改憲なのだ。それ以外にない。
憲法なら霞ヶ関と永田町の連携プレーの大義名分にもなるではないか。吉田直系の官僚と、経世会というどぶ板政治家を結ぶものは金権でない。憲法のみである。
国を売ってまでも守る憲法
東条断罪に協力した吉田の前例
護憲派には護憲の執念がある。国を売りに出しても憲法を守ろうとする狂気の執念がある。これもVOICE論文で証明しおいた。護憲派は東条英機の「A急戦争犯罪」を中国に対して指摘することで、中国の反小泉干渉を誘っている。
あれには歴史的な前例がある。ジョン・ダワーの「敗戦を抱きしめて」によると、近衛と吉田は、極東国際軍事裁判の検察側による訴追状つくりに協力して、東条を生贄の羊にしあげている。吉田の場合は、東条を犠牲にすることで、天皇陛下を救うのが目的だった。
吉田は獄中の東条にも、この旨を伝達し、東条は了解していたという。陛下を救うためにドロを被ったのだ。最後まで忠臣英機だったことになる。この前例を悪用したのが、反小泉干渉における自民党領袖であろう。
吉田が天皇陛下を救うためにやったことを、自民党は自己保存のためにやっていることになる。日本が腐敗しなかったら不思議なくらいである。
(私の読んだのはダワーの原書だ。第十五章「勝者の正義、敗者の正義」を参照。
ついでだが、東京裁判を「勝者の正義」と呼んでダワーは憚らない。「勝者の正義」とは「勝てば官軍」ということである。
ダワーのような正統派もそれを認知するのだ。彼がアメリカの正統派である証拠は、この章に出てくる写真である。絞首刑になった日本軍人の宙ぶらりんの写真だ。こんなもの
は日本人には出すに忍びない。
ダワーの本のメッセージは「日本人よ、敗戦を抱きしめて、忘れるな」なのである。
しかし、そのダワーでさえも「勝てば官軍」を認知しているということだ。朝日新聞はダワーよりも親米・反日なのである。)
貼り付け終わりー
私は、ここ4−5年の技術士制度を取り巻く改変騒動での敗北、副島隆彦さんの属国日本史篇の講義等から、「真実は敗者側にあるんだ」という副島さんの言葉が身にしみてわかったような気がする。
そんな目で、見直してみると、若いころから大好きだった、司馬遼太郎さんの明治維新も、それ以降の戦争と日本政府、日本軍の対応が、まったく違って見えてきている。
物心ついてこのかた、日本の兵隊さんには、不信の念があり、何かに付けて突っかかって、論争を仕掛けてきた、本田尚士先輩と「技術経営責任者資格」の件では、蜜月状態になっている、この先輩は、幼年学校出の鹿児島国分に田舎がある、典型的な軍人気質の持ち主だ、「負けたから悪いんだ」と言い訳を言わないのは、最近はやりのアカウンタビリティーにかけている。
さてその「技術経営責任者」資格についてだが、拙速のそしりはまぬかれないが、あえてスケジュールを決めて、どんどん進めている。
技術者の行き着く先の、「経営者と教授とコンサルタントの往来を自由化しよう」というコンセプトである、私の長年の技術士諸君を観察してきた結果の集大成といっても良い。
技術コンサルタントの世界 2004.01.12.
「新年会、1月31日(土)3.00−5.00、銀座8丁目の三井アーバンホテル(cea
行事予定表参照)をやります、出席下さい」
私は、名刺に赤い字で、年賀と書いた名刺を交換するような、賀詞交換会としょうする新年会は、若いころ間違って出かけたこと以外、あいさつ回りを含めて、やりません。
色んなグループの月例会には、できる限り出席して、新年会を提案します。
仲間たちの、今年の抱負はぜひ聞きたいところです、自己紹介で何がやりたいのかを、過不足無く表現(declare)できる人に、着目します。
新しい人、ネットで参加した人は、新年会のような機会には、参加することをお勧めします、最近の伊藤洋一さんのコラムに、
http://www.ycaster.com/diary/index.html
貼り付けー
しかし何でもそうですが、新しい技術が社会を変えるのは実にゆっくりなのです。今になってやっとネット技術が家電に入ろうとしている。生き物の人間の社会のワーキングを技術が変えるのには、実は凄い時間がかかるのです。彼は理解力があり、頭も良いが故にその技術を社会より先に咀嚼し、行動してしまった。野中さんの本にも、『(加藤さんは)「俺のメールを見てみろ」と私に言ったものだ』という一文がある。
実は私は、ちょっと違う意味でネットに狂わされたもう一人の人として、ソニーの出井さんを考えているのです。彼は手元に届いたビジネス・ウィークで「ワースト経営者」に選ばれてしまった。逆にフォーブスでは松下の中村さんの評価が高かった。
これには異論がある人がいるかもしれない。しかし、「digital dream kids」という標語を見た瞬間に、「ああ、ソニーは、そして出井さんは高揚しているな」と私は思った。この標語の出始めのころです。「デジタルで夢を見る子供達」とは、なかなか優れた標語だと思う。しかし、その夢が現実の世界に降りて来るには凄い時間がかかる。
当時彼が出席した講演会やシンポジュームに何回も出席していたのですが、今でも鮮明に覚えているのは、デジタル技術が産業界に及ぼす影響を記者が聞くと彼は必ず、「あなたはそんな呑気な質問をしているが、これはあなたの業界の足下だって揺さぶる話しなのですよ....」と記者を逆に脅すように話していた。これがすっごく印象的だったのです。そうなんだが、そこまで強調する必要はないだろう、と。新聞社もそんなことを言われなくってもデジタル技術は徐々に入れている。
ソニーは、デジタルで夢を見ようとした。しかし、良く言えば先を見すぎていた、悪く言えば夢に踊らさせて現実が見えていなかった。多分このギャップにどこかで気づいたはずです。あまり評価もしていなかった液晶やプラズマのテレビ技術が世の中に受け入れられるのを見て、焦りもあったはずだ。
ソニーが打ち出した一つの結論、それはデフレ対策という意味もあっただろうし、「アナログ技術への回帰」の気持ちもあったのでしょうが、けじめとして出てきたのがクオリアだったという気がする。「digital
dream kids」に対する自らのアンチテーゼとしてソニーと出井さんは「クオリア」を作った。
しかし、クオリアの一製品である016のカメラには欠陥があったことが公表されている。一品38万円のカメラ。故障など出てはいけない筈のものです。つまり、ソニーは品質も疑問にさらされる事態となっている。もともとソニーの製品は立て付けが悪い、よく故障する。
政界と産業界で「出色」「異色」と言われた二人の優秀な人間、それを狂わしたのがインターネット、もっと広い意味でのデジタル技術だとすれば、ネットやデジタル技術は罪作りなような気もする。しかし重要なのは、そういう犠牲者を生みながらも、この技術は世界を徐々に、そして確実に変えるだろう、ということだ。この二人にも
fight back のチャンスがないわけではない。それが救いですが。
貼り付け終わりー
私も技術士協同組合の活動には、25年以上かかわっているが、ネットの効用と錯覚については、強く意識している。
ネットの弱点を補うのは、人間が会うことである、会って飯を食うことはネット以前から重要な条件ではあった、ネット革命以後も勿論、より重要な活動で、独立自営業者の必要経費の大きな部分を占めている。
7日(土)に定例の、新規開業技術士支援研究会で、議事録によると、橋本さんが「技術士会のプロジェクト活動では勉強暇つぶしに参加するメンバーが多く、ーーーーー」と発言したそうだが、私も同感である。
ただ、私もシニアの友人が沢山いるし、最近ネット会員に参加した近藤君が自己紹介のたびに、「年金技術士ですが、何か世の中の役に立ちたい」と言うのを聞いているので、これに答えるテーマを考えることを、今年の課題のひとつにしたい。
そうだ、もうひとつ、定例会の後の昼飯の時に、新しく参加した中村君に自己紹介の重要性を話していた時に、中村君のやりたいことも良いけど、現在会社でやらされている、技術者としての海外法務の仕事は、これから独立自営を始めたら、非常に面白いマーケットがあるよ、とアドバイスをしました。
(松本俊次君という友人は、この分野の隠れた有名人で、沢山の著書もあり、あまり後継者もいない状況である)
31日の新年会は、私も今年の課題をdeclareして、皆さんとお会いしたいし、意見が聞きたい、ぜひ出てきてください。
技術コンサルタントの世界 2004.01.05.
おめでとうございます、森田裕之です。
年末年始と言っても、私のような新米の老人(66歳)には、特に新たなる感慨があるわけではありません。
年末に出かけたヴェトナムの鋳物工場で見た、キューポラの光景と、裸に近い職人の雪駄履きが、50年近い昔の川口に沢山見かけた鋳物工場を思い出し、あの頃の日本は(私は)、元気だったなあ、とガラにも無く、昔を振り返ってしまいました。
ヴェトナムで世話になった、霜下さんは38歳、200社の日系企業と契約して、週刊ヴェトナム情報を提供している情報会社の社長でした。
10年前に旅行で来てから気に入って、創業したとのこと、日本の若者にもすごい奴が出てきていますね、よほど運がよくないと、こういう人にめぐり合えません、仲間になってもらいたい人です。
30日恒例の餅つきには、61人の人が来てくれました、こういうイベントが好きな人が結構沢山いるものですね、親戚筋でも評価は半々で、来る人は欠かさずやってきます。
私のDNAには、多分原始人ポトラッチの蕩尽(饗宴)と言う本能が幾分か残っており、定期的にお祝いをするつもりで35年も休まずやっています。
副島隆彦さんとお弟子さんたちは、ここ数年来てくれます、私は技術士の若い人たちに、何でもいいから胸を借りて議論してみろ、と扇動しています、みんな大人しいねえ。
初代cea理事長の和田先生や、黒澤先輩、橋本義平さんには、電話でお年賀です、同じ年に独立した友人の松本俊次君とは長電話をしました。
彼の話は興味深い、危機管理、危機ビジネスに関係あるもので、ISOのJIS化=翻訳の日本語に誤訳ではないが、色々の問題点が考えられるので、ボランティアのつもりで後輩を指導している、と言う話である。
誤訳と言うテーマでは、cea掲示板をにぎわせている、code of ethics と倫理要綱の問題が明らかなように、単なる言葉の問題ではない、日本と言う国の成り立ち、歴史、文化、宗教的な背景に淵源がある。
このままでは、日本の会社は国内外にダブルスタンダードを準備せざるを得ず、大きなハンディを背負い込んでいる。
勿論日本がアメリカの53番目の州になれば解決であるが(イギリスが51番目、イタリーが52番目ーイラク問題でのアメリカ属国振りを評価したコメント)これはほとんど無理と言うものだろう。
ceaの翻訳グループと、危機ビジネス研究会グループは、この誤訳や社会的背景の違いによる危機ビジネスプランを考えましょう。
松本君との話でも、我々は技術士はコンサルティング エンジニアだと思っている、これは役所や技術士会がPEにしました、(たとえ法律改正しても)と言っても全然信じません、まったく同様に、シビル関係者は日本の談合が悪いと思っていない、たとえ法律があっても、ばれないように談合するだけでしょう。
日本では、世間を騒がせただけで、心にも無いのに(本気で悪いと思わないのに)謝罪をしますね、日本の倫理要綱は明らかに、欧米と違うんです。
どうして、我々は日本でビジネスするときは、日本の倫理要綱に従い、外国ではその国の倫理要綱に従うというような、ダブルスタンダードと言うテーマに持っていかな
いのでしょうか?
翻って大きな話にすれば、言葉の勉強は英語もシナ語も選択式にして、英語が出来るから良い学校に行けるなんていうのは、ナンセンスだと思います。
さて、元気のいい若者オルブライトこと石井君が、いみじくも最近掲示板で、技術士はもうおしまいです、とのたもうているが、私も実は賛成である。(かなり長期的観点にたっての話としてではあるが)
そこで対案である、私は「技術経営責任者資格」を創りたい、そのうちしかるべき諸君には、100人の発起人委員または、200人委員になっていただきたく、お願いの便りを出すつもりである。
この資格は、技術士発足時のタイムテーブルを参考に考えると、3年後には実際のペーパー試験選抜が始まり、10年後には、かなりの社会的認知を得るものになると信じている。
承知のうえで読んでいただいているとは思うが、ceaは独立、自営を希望する人たちに、仕事を紹介したり、転職先を見つけてあげると言うような、具体的な飯の食い方は提供していない、というか出来ない、こればっかりは自分で考えてもらうしかない。
それ以外のことは、たいていのことはやっているし、やってきている、参加して自分で評価してください。
技術コンサルタントの世界 2004.1.1.
30日は我が家の恒例の餅つきでした。
ceaの諸君も沢山顔を見せてくれました、菅野、大久保、河面、佐藤、松井、野尻夫妻、高堂(友人の小泉君建設部門)、平野、渡辺、野本、田吹、の諸君(ぼけて忘れていないかどうか心配だけど)と連れで18名、副島隆彦さんとお弟子さんたちの8名、親戚10名、子供の友人15名、私の先輩と妻の絵の仲間で6名、子供が4人、と総勢60名強の大パーティーでした。
皆さんどうも有難う、今年も元気に餅つきが出来たことは、嬉しいことでした。
さて、27日の土曜日には、港区の原田敬美区長応援団「けいみ会」の定例会がありました、私はこのときの区長の就任以来の自己総括を聞いて、大変感激しました、それは原田さんの首長としての態度が、港区民を顧客(クライアント)と見立てた、自立したエンジニアとしての態度そのものであったからです。
以下に、区長のホームページに乗せた原稿を、そのまま転載します、これからの地方政治を担う首長に、エンジニア出身の政治家の出現が望ましい、という気がしてきました。
-----
港区長原田敬美氏から聞いた話と新聞等の報道からまとめると、港区長実績(平成12年6月から平成15年12月)について、次のようなことが言える。
T.前区長からの引継ぎ課題への取り組み
1. 財政再建達成(平成13年度決算で7年振りに貯金が借金を上回る。経常収支比率が23区で1番となる。財政レポート作成:複式簿記を試算、主な行政サービスの単価を算出した。)
2. 行政改革の遂行(職員数の削減:平成9年から10年間で400人の削減計画ほぼ達成。外部監査制度導入。行政評価システムの導入。全国の自治体で 早い時期の導入)
3. 区立芝公園用地の入取、公園開設。(民間所有の芝公園計画地内敷地と浜松町二丁目区有地の交換を実施)20年来の懸案課題。本来は東京都が整備すべき都市計画公園。
4. 麻布十番地下公共駐車場の経営健全化
U.原田区政での新たな取り組み
(区政全体)
5. 基本構想策定。港区の将来像:やすらぎある世界都心MINATO。基本計画の策定 平成15年から20年まで。
6. 創造型区政運営方針の導入。(平成16年度)予算査定で区長直轄の道を作る。
7. 基金設置による課題解決
(1)子育て王国基金(平成16年度から)
(2)みなとパートナーズ基金(平成15年度)区民団体の支援
(安全)
8. 生活安全条例の施行(平成15年4月から)。条例議決は14年12月。
東京都〈15年6月〉より先行。マンション設計の際の警察から防犯指導、商店街の防犯カメラ設置、地域毎の生活安全協議会設立による地域の安全確保、の3本柱。
(福祉) 高齢者・児童
9. 旧赤坂氷川小学校の建物を再利用して特別養護老人ホームの開設(平成15年4月)児童館(小学生から高校生まで利用可能)を併設。既存建物の構造体再活用など含め環境に配慮した事業。
10. 介護保険白書策定:厚生労働省に提出(保険者の立場で問題点を指摘)
日本で第1号
(教育施設)
11. 高輪台小学校のスーパーリフォーム(築70年の東京都指定歴史的建造 物を保全修復し再活用)
(男女平等参画)
12. コミュニティカフェ開設(ドメスティックバイオレンス被害者の相談所) 平成15年12月開設(東京で初)
13. 港区男女平等参画条例の策定検討 平成15年度
(区長は東京都男女平等参画審議会委員)
(福祉)
14. 子育てサポート支援センター:保育機能の補完施設(日本で初)
平成15年9月
(産業)
15. プレ・インキュベイション施設の開設:起業支援(旧南海小学校跡を活用)
(契約制度の適正化)
16. 入札制度の公正化。予定価格事前公表。談合発覚の際の罰金附加。設計者・コンサルタント・事業者選定のためのプロポ−ザル方式導入。
(区長就任前外務省WTOサービス貿易研究会の委員だった)
(喫煙・環境美化問題)
17. みなとタバコルールの実施(平成15年8月1日から新橋駅を中心実施。喫煙コーナーを設置。ポイ捨て・歩行喫煙禁止キャンペインを実施)
(産業振興)
18. アーバンツーリズム(都市観光)の振興(区長は東京都観光審議会委員)
国際会議の誘致。東京都のホテル税を活用した観光案内の充実。
(福祉) 高齢者・障害者
19. 新橋六丁目施設福祉施設(特別養護老人ホームと障害者施設の複合)都心で初の障害者施設。事業進行中
(職員への啓発活動)
20. 職員研修講師(月1回のペース、既に40回以上実施。職層別、テーマ別 例:アメリカの地方自治、都市再生、福祉の街づくり、男女平等参画社会、公共デザイン、アメリカの教育制度)おそらく首長自ら教壇に立つことはまれなことだろう。
(教育)
21. 学校区自由化実施(平成14年)
22. インターナショナルスクール特区構想検討(平成18年)
(交通環境)
23. コミュニティバスの検討(平成16年度予定)
(MINATOブランドプロジェクト)
24. 10月11日キックオフプロジェクト。六本木男性合唱団(団長三枝成彰)。増上寺境内。4人のトークショウ。(三枝成彰、大石静、残間里江子。原田区長)
(都市開発)
25. 品川駅東口開発、新幹線品川駅開設、汐留開発、六本木ヒルズなど竣工(平成15年)
26. 都市計画公園整備。芝浦自衛隊駐屯地買収計画、三田台公園拡幅。
27. 旧神明小学校跡地に区立と民間住宅開発PFI(平成15年審査)
28. 都市計画の見直しの際、住環境保全のため高度地区を第三種からさらに厳しい第二種高度地区へと変更した地域を増やした。
(公正な徴税活動・区初の家宅捜索)
29.港区で初めて税金滞納者への家宅捜索
検討課題
1. 街づくり条例制定(住環境保全に向け、地区計画住民提案制度を担保するため)
2. 保育園待機児童ゼロ(認証保育所の増設)
3. アーバン戦略の展開(MINATOブランドプロジェクトの展開。港区の名前をプロモートする。港ブランド研究所の設立)