技術コンサルタントの世界2007年


技術コンサルタントの世界 2007.12.29.
「怒涛の07年」

今年最後の仕事?は、28日夕方、上智大の清水先生の年末パーティに技術士・ceaの微粒子問題研究グループの諸君、大久保、平田、岸、仲原君達と参加しました。
OB・学生4-50名の大パーティーでした、工作機械の分野で業界に貢献している教室ですから、おおむね工作機械の関係者です、我々技術士グループがそれぞれまったく違う業界出身であることは、今後の付き合いがお楽しみです。
自己紹介のスピーチに、清水先生から「独立・自営」の話を喋れというありがたいお言葉、早速良く話す「技術者の成れの果ての研究」について、学生さんに聞いてもらう。
パーティの立ち話でも、なるべく若い学生諸君に、「仕事・技術は会社に入らないと覚えられない」「一人前になってから、成れの果てをイメージして次のステップを考える」「メーカーからユーザーへ、ユーザーからメーカーへの転職はグッド・キャリアー(良い経歴)だ」等と、なるべく上智・OB先輩が言いそうも無いことを、力説してみる。

28日午前中には、横浜駅から歩いていける高層マンションを買った親戚を訪問して、見学させてもらいました、庭の保全に四苦八苦している妻や、その内に車の運転が出来なくなる私には、非常に参考になりました。
日本国中で少子高齢化ですから、多分同じように、駅近くのマンションに人口が集中して、郊外が寂れることになるのでしょう。

今年は色んな意味で「中国の存在感・プレゼンスが急に大きく感じられるようになってきました」、相対的に日本の存在が揺らいできたのか、楽観論・悲観論が乱れ飛んでいます、現状分析に関しては、年末に出た副島隆彦さんの「中国、赤い資本主義は、平和帝国を目指す」ビジネス社、を推薦します、この先生の大局観は間違いないと思います。
私は旧満州生まれ、今更中国人と付き合うつもりはありません、これからの人にはこの隣国人と仲良くしてもらうしかないでしょう。

年末になってから、見知らぬ人から、私の本を読んだ、ホームページを見た、月例会に出ていいか?と言う電話が2件あった、菅野君にもそういう連絡がちょくちょくあるらしいし、ここ2-3年に定年前に独立した新人は、一寸数えてみても20名位居る。
若い人が2-3年でやめてしまうという話が、ネガティーヴな話題で語られているが、私はまともな社会になりつつあると、解釈している。

30日は2-3日前の天気予報では雨だったので、心配していたが、どうやら例年のように、良い天気になりそうです、我が家の餅つきに来てください。

技術コンサルタントの世界 2007.12.23.
建築家の強度計算・偽装に始まった、「偽装問題」は今年を代表する言葉として、日本の歴史に残る時代を象徴する言葉になった。
私は、技術者だから、この問題を「技術者の監査問題」と理解している、問題を暴露された会社の内部監査システムや「技術系の監査役」は役に立たないのか?、会社は外部の監査機関から、ISOの監査を受けていなかったのか?
こういう疑問を、企業内の監査役経験者やISOの監査人経験者に、かなりしつこく聞いてみたが、要領を得た回答をもらえない。
技術系の監査という言葉については、今日もNPO法人・(地域と行政を支える)技術フォーラムの月例会で、情報技術者の言う「情報システム監査人」は経済産業省管轄の資格で、我々が「技術監査人」という資格でやろうとしている仕事と目的にかなりのずれがあることが判った。
私は、くどいようだが、http://www.jbic.go.jp/japanese/oec/guide/seminar/pdf/seminar-050225_04.pdf 同業の技術者によるピア・チェック(同業者チェック)を技術監査人という資格に付与すべきと考えている、会計の監査人との違いは、専門分野があること、である。
そしてこの分野は、これからの日本社会において、独立・自営の技術コンサルタントの大きな職域になる、と信じている、今年は、そういった意味でも、重要な一年だった。

今年はまた、技術者から経営者をというスローガンでスタートした、NPO法人・技術経営責任者協議会が株式会社・技術経営機構という会社http://www.tmoi.jp/を創立した年でもあった、私も老骨に鞭打って監査役として参加している。

それもこれも、近年会合で挨拶を頼まれた場合「私の近年の研究テーマは、技術者の成れの果ての研究です」と言うと、老若を問わず、大いに受けるということを発見したからで、どうやらこのテーマは普遍的であるにもかかわらず、なぜか口にするのを憚られる謎を秘めているらしい。

さて30日には、我が家の恒例の餅つきをやります、CEAの諸君の来宅を歓迎します、朝9時ごろから夕方4時くらいまでは、飲み食いが続きます、遠慮なくどうぞ。

技術コンサルタントの世界 2007.12.17.
隣の武蔵一ノ宮・氷川神社の十日市(とうかまち)、浦和の調宮(つきのみや)神社の十二日市と、年末の恒例市が続きました、子供が小さい時は、チョコバナナのようなものを買い食いしながら、ぶらぶらと楽しんだものだが、最近は、両方の神社が私の「散歩コース・12,000−15,000歩」なので、すたすたと通過しています。
海だった古・関東地図によると、二つの神社は岬の先端近くにあったようで、今でも小高いエリアにあり、芝川の沿岸にある。
車が車検から帰ってきたので、遠乗りしたいのだが、今週と来週は忙しさのピークにあって、最近良く会っているグループの二つの忘年会はパスしました。

今週一番面白かったのは、近くの自動車学校で、シニア運転者のための「特定任意高齢者講習」を受講したことだ、動体視力や明ー暗の瞳孔切り替えスピードの測定等、若い人と比べた数字を見せられ愕然とした、私の目はかなり老いぼれている、指導員が良い方ですよと慰めてくれたが、これからの私の運転は、かなり謙虚にならざるを得ない。

ここ数年間の私の関心事は「技術者の成れの果て研究」であった、正確に言うと10年位前に、同年輩の友人達が次ぎつぎと定年になり、第二の人生を模索はじめたのを傍目に見ながら、私自身はバイパス手術は成功して、むしろ自信満々で当たるを幸いなぎ倒して第一の人生を突っ走っていた頃に、「技術者はもう少し若い頃・一人前になった時に、自分で自分の適性を考えて、未来を決めることが出来ないのか、」ということが、頭に浮かんだ。
結果として、経営者への道はNPO・JETO・技術経営責任者協議会、コンサルタント・技術監査人への道は、NPO・技術フォーラムが出来て3年経った、私の役割はまだ残っているかもしれないが、ここでも私の性格からすると第三者的なコンサルタントの立場になっていくだろう。

私は、技術者が独立・自営を始めてから、専門家としての力量を維持・向上させていくには、どうしたら良いのか、という方法論に持論がある、それは「専門分野の業界・学会を把握することである」。
私は来年から、後輩の為に、この持論を実証してやるつもりだ、業界でまとまる数名の専門家による「研究会」をベースにした、技術コンサルタントの作り方を、お目にかけたい。

技術コンサルタントの世界 2007.12.09.
5日の新聞は、世界の15歳の学力調査の結果を報道しています。読売の見出しは、「理数系トップ級転落」。産経は、「高1学力 どんどん低下」「科学への関心 最低」。朝日は、「数学応用力 日本続落10位」「読解力も15位に」。

私は、物心ついて以来、全てのことが「右肩上がり」で過ごしてきた世代であるが、どうやら日本という国は、5年位前から「右肩下がり」の時代に入っているらしいことが、次つぎに判ってきた、普通の国になったと言っても良いだろう。
教育の問題で言えば、左巻きの教師が2世代くらいを、占拠しているからだと信じている、あと30年は駄目でしょう、瑣末なことにこだわり、神経症的な時代が続き、国力低下は必然だ。

師走は恒例行事があり、年に一回の「心臓負荷チェック」で自転車の負荷増大テストに8分間耐えて、医者から昨年並みでご立派です、と言われました。
車も車検です、ディーラーに行くと、今月で月賦も終わるので、新しい車が魅力的に目に入ります、いい歳をしてまだそんなこと考えるのかと、馬鹿にされそうですが、しばらくこの気分を楽しむことにしています。
同年輩の中山さん(技術士・キタック社長)の褒章された記念パーティーに出席しました、おめでたいと言う気分が半分、俺も団体活動から足を洗う・後進に委託することを、真剣に考えなくちゃいけない歳なんだと、考えました。

8日の土曜日の原田・技術監査人グループの会合では、一年の総括や来年の展望が話題になりました、私には現実のNPOの仕事の拡大と言う事業と、この「技術監査人という職域の拡大運動」という側面を、バランス良く進めて行く責任がある。
新しいメンバーの養成と、ほかのグループJETO・技術経営責任者協議会や技術士会と、どう付き合っていくか、私の課題です。
8日の午後は、大久保君が気を利かして、微粒子ゴミ研以降の研究会テーマの議論の場を作ってくれたので、マイクロバブルやself-made Robot,常温プラズマという一連のテーマの構想を出席者に説明
しました、来年連休くらいまでには、これらの研究会が始められるように、機会あれば繰り返し議論して、仲間を募りたい。
技術コンサルタントの世界 2007.12.01.

26日には、金型屋にモールドベースを供給している双葉電子の茂原工場に出かけて、H君に金型業界の話を聞きました、違う部門だけど、旧知の石井君(ラジコン・無線の技術士)も途中から加わって、色々面白い話を聞きました。
いつも私が言うように、「工場の現場から、その専門業界を通じて、世界が見えるんです」

今週はロボット展があり、水曜日(28日)に出かけてきました、例年さらっと見ていますが、今年は「腹に一物」があり、ロボットの分野で、研究会を1つ創設するつもりなので、色々確認することがありました。
私の構想は、Self-made Robot( designed & assembled by user)というタイトルです、タイトルしか決まっていないのにキャプテン吉田君が世話人を引き受けてくれます、よろしく願います。

29日の夜には、大学の卒論仲間6名との忘年会を銀座でやりました、都合で欠席が3名、死んだのが3名です、70歳になると大体こんなものでしょう。
信州に住む阿部君(エプソンOB)が、「四季一会」(しきいちえ)というタイトルの写真集を出版して、皆に配ってくれました、これが信州の自然の美しさを捉えた傑作集で、彼にこういう才能があったのは、長年の付き合いですが、まったく知りませんでした。
偶然に横井君(昭和電工OB)が、卒論の一年間に、当時からカメラマニアだった、阿部君が撮ってくれた「卒論の工事現場」での写真を92枚持って来てくれました、十数名の若くて颯爽としている仲間が写っている、勿論私も若い。
我々の卒論は、自動制御がテーマだったが、紀尾井町にある理工学研究所の庭に、高架水槽と地下水槽を作ったり、ダクトを張り巡らしたり、ブロアーやポンプを据付たり、実験設備の第一期工事の穴掘り・コンクリート・溶接・配管などを、職人並に働いて、卒論ということになった、言わば偽装卒論といっていいだろう、ただこの経験は就職後は、大いに役に立った。

30日には、技術経営責任者協議会の2ヶ月にいっぺんあるセミナーが有りました、私は最近「独立を志す技術者は、お金を貯めて種銭を作り、投資や運用を勉強・実施する」べきであると思っている。
それには、JETO・理事長の大塚政尚君の経験と実績をセミナーなどを通じて、納得するまで教えてもらったら良いと思う。
会社はBS/PLが重要であるというのは経営の勉強をすると良くわかるが、独立・自営業者自身も、自分のBS/PLをしっかりしたものにしておく必要がある。

12月1日(土)は、cea定例の新人が参加できる新規開業支援の会で、私は遅刻はするが、30年間欠かさず毎月出かけて1人でも独立・自営に興味を持ってもらえれば良いな、と念じながら新人共と駄弁ることにしている
午後の「技術士の論点」会議では、ISOの話をその方面のパイオニアである中村幸男君にレクチャーしてもらい、議論しました、技術コンサルタントの一分野として、誰でも興味ある分野の話なので、面白かった、参加者それぞれの立場や側面で、このauditor・assessor、監査・審査には関わっていて、一言物申したい、ということが良くわかりました。

師走です、3日続けて酒を飲んで帰宅をして妻にしかられました、浦和駅前に出来たロフトで、糸井重里設計のほぼ日手帳 3,800円を買いました、我が家の柿が今年は大豊作で、あちこちに配っているけど、一向に減りません、好きな人は連絡してください。

技術コンサルタントの世界 2007.11.26.
今週も毎日出歩いています、「身から出たさび」ですから文句は言えません、たまには忙しそうな黒澤(豊樹)先輩に電話で愚痴をこぼします、三水会に姿を見せない80歳の本田尚士先輩が、仕事で北海道に出かけているとのこと、稲門幹事会で会えば相変わらず「喧嘩を吹っかけるのですが」、元気な先輩が居るということは、有り難いことです。

ブレインズというブログに、次のような記事が出ていました、「コンプライアンス不況」と名付けられています。

貼り付けー
住宅の増築は実質不可能
最初にお断りしておきますが、今回の記事については専門外の方にもわかり易いよう、多少、建築基準法改正の記述とは合っていない表現にしている部分があります。
詳細については、日本住宅・木材技術センターの解説資料などでご確認願います。


先日の記事に引き続き、今年6月の建築基準法改正の話です。

表題の通り、今回の改正で「増築は実質不可能」になりました。
なぜかというと、今ある既設の建物も新しい法に合致していないとダメになったから。 ※当然増築部分は現行法に合致していないとダメです。

簡単にまとめると下記の通り。

●押入れや物入れが1箇所程度。(1坪程度のみ)1坪程度の物入れのみの話で、増築部のみ現行法合致でOK。

●既設の建物の1/2以下で既設と増築が完全に分かれている場合。
(廊下で繋がった、離れとかの場合と考えてよい)
既設部分を耐震診断の上補強。
まあ、建物として別棟なのでこの程度だが、既設の補強もそれなりにお金はかかります。
(増築+100万円とか200万円。既設が古ければお金が掛かる)

●既設の建物の1/2以下での既設と接合している場合。
(今までの増築工事の場合です。)
既設に増築を加えた状態で許容応力度計算が必須。
大体、既設部分が許容応力度計算(構造計算)していないのに、増築部分を加えての構造計算なんて実質無理。
何とか計算できたとしても、申請時に役所から追加要求で、何度も差し戻しになるらしい。(某役所の担当者の話)

●既設の建物の1/2以上。
全て現行法に合致。つまり建てなおせということ。


今回の法改正の狙いは、「法基準に合致していない古い住宅の排除」、
が目的なので、現行法に合致していない物は増築でも認めないということです。

まあ、役所で親切な担当者に当たれば相談しながら、増築も可能かもしれませんが、増築の申請は門前払いが基本のようです。

リフォームで食べている工務店さんって多いのですが、今後が心配です。

貼り付け終わりー

姉歯事件への国の対応ですね、私は3−4年前にバリヤーフリー改造を、30年前に我が家を建ててもらった、私と同じ歳の近所の工務店の親父にやってもらったので、安心です。
この親父は、昨年来糖尿病で入退院を繰り返しているので、そういった意味でもタイミングが良かったと思っています。

家に関する知識では、最近三沢千代治さんの講演で、「プレハブ建材の30%は運賃であること、大手建築会社の原価の50%は管理費であること等から、住んでいる地域の材木で、地域の工務店に建ててもらうのが、一番良いし安上がりだ。」と聞きました、私の直感は正しかった。

追信、
24日の稲門幹事会では、6月まで技術士会の常務理事だった畠山正樹君が、「重粒子線による前立腺がん治療」夢のがん治療ー優雅な入院生活、という話を聞かせてくれました、http://www.nirs.go.jp/ 最近前立腺がんのチェックの話は良く聞く話題だったので、興味深く聞きました。
心当たりのある人は、畠山君に連絡してください。

技術コンサルタントの世界 2007.11.21.

街は早くもクリスマス・年末商戦に突入です、私は年々忙しくなって来たみたいで、今年はまだ紅葉狩りドライブをしていません、映画も見てないし、本も沢山積んであります。

群馬高度化センターの斉藤勝政社長は、北大の名誉教授で工作機械・金型の業界では著名な先生です、19日にあった「りょうもうIPO研究会」の小委員会での立ち話で、先生は先週ドイツに出かけてきたが、日本の工作機械・金型の世界での実力は、巷間世界の頂点にあるかのごとき楽観的な状況では無くなってきている事を、非常に憂いていました。
ヨーロッパがEU統合に成功してドイツ・イタリーの機械メーカーの市場が拡大していること、台湾・韓国が国を挙げて機械産業に力を入れていること、私も10月のデュッセルドルフでのK−2007で同じような印象を受けています。
2月ほど前に、微粒子ゴミ研究会で上智大の清水教授もロシア・東欧を回ってこられて同じような懸念、日本のメーカーが元気をなくしてきたことを、話してくれました。

楽観的に考えてみれば、落ち目になって、「追いつけ追い越せ」の時代が再現すれば、日本は再び力を取り戻して、元気になるかもしれないが、今の若者を見ている限り、相撲業界並みに中国・ベトナムあたりの元気な若者に来てもらって、機械の業界を再活性してもらうしかないかもしれない、などと妄想してしまいました。
TMO・技術経営機構に入った情報によると、中国のファンドが日本の機械メーカーを買いたいと物色しているとのことです、確かにこれまでのように技術者をスカウトして、会社の経営に協力してもらうより、会社ごと買ってしまうほうが手っ取り早いと言えるのでしょう。

TMO・技術経営機構といえば、最近資産運用のセミナーを企画して、会員に情報を流しましたが、最小限の人数が集められずに、中止しました。
私の年齢では、今更資産運用という時期を過ぎており、受講をパスしましたが、独立・自営の当初は貯金高の増減に一喜一憂したものです。
私は、若い人が会社員をしている時から、資産運用や自分自身のリスクマネージメントをしっかり勉強して、後顧の憂い無く、仕事に打ち込める環境を作ること即ち、some money・余裕あるお金を作ることを、お勧めします、技術者は一般的には苦手で逃げたくなる領域ですが、自営業は全部自分でやらなきゃいけません。

地域と行政・技術フォーラムでは、初めて製造業OBのK君が、ベテランの仲間に陪席して「役所の監査業務」の経験を報告してくれました。
私は、定年後の技術士が、自分の住んでいる地域で、「技術監査人」の役割を果たすことは、素晴らしい社会貢献だと思います、専門を生かすということにこだわって、外国に出かけるという選択もありですが、客観的・冷酷な言い方をすれば、あまり感心できないね。
まだ勉強中ですが、技術監査人の仕事は技術コンサルタントと重なる領域が広く、「利益相反」にさえ気をつけて顧客に対応すれば、独立・自営の技術者の立派な職域である、と考えています。

技術コンサルタントの世界 2007.11.15.

世界は変わりつつあるんだ、という予感はここ数年前から気になっていました。
電車の中での中国語の会話、コンビニ・食堂の外国人店員、観光地でのアジア系の団体等など、国際化は日常化して我々の生活の一部になっています。
仕事の専門分野を通じて、日本が発展途上国から、世界のトップの成熟国に至る、40年間を経験してきたシニアとして、久しぶりに観光目的ではなく、EU(場所はドイツ)での見本市をじっくり見てきましたが、日本のメーカーのプレゼンス(存在感)の少なくなったことに、ショックを受けました。
わが国は、明らかに5年位前にピークを過ぎて、下り坂に入っていることを実感しています。

下り坂に入った日本人が(戦争に負けそうな段階で)やりそうな「戦艦武蔵」もどきの話が、池田信夫さんのブログにあったので、貼り付けます。

貼り付けー

文科省のスーパーコンピュータ、「地球シミュレータ」が、来年度で運用停止するそうだ。年間50億円も保守経費がかかるためだという。『未来を予測する技術』で佐藤センター長が自慢するように、かつては世界最高速を誇ったスパコンも、今年の世界ランキングでは30位。日本でも、東工大のTSUBAMEに抜かれたが、600億円という建設費はいまだに世界記録だ。

世界的には、TSUBAMEのようにPC用の汎用CPUを並列につないだグリッド・コンピューティングが常識で、地球シミュレータのようなベクトル・プロセッサを使った「大艦巨砲」型のスパコンは、もうつくられていない。ところが文科省は、1150億円もかけて次世代のスパコンを建設する計画で、もう予定地まで決まっているという。

野依良治・理化学研究所長は「国際競争に負けてはならない」などと技術ナショナリズムをあおっているが、問題は何のために計算するのかという目的であり、そのためのソフトウェアの開発である。目的さえ決まれば、汎用CPUをつなげば速度はいくらでも上がる。研究の目的を抜きにして、計算速度だけを競うのは意味がない。時代錯誤の「戦艦大和」をこれ以上つくるのはやめてほしい。

貼り付け終わりー

私の世代は(特に私は満州引揚者ですから)子供の頃は極貧・難民生活からスタートして、発展途上国のいけいけどんどんを経て、そこそこ豊かな老後を迎えて、「これからどうなるんだろう」と素朴に興味津々なのである、私はいわゆる「自己中」男ですから、今後の日本国民や息子や孫の運命を心配なんかしていません、ただ「昔軍人今官僚という、試験・テストの出来の良いと言うことだけで、選抜された連中」に自分の運命を左右されることだけは、御免こうむりたい、と骨身に沁みて感じています。
アメリカは自分達の都合で、中国とうまく付き合うようになるでしょう、特にヒラリークリントンでも大統領になれば、よりハッキリするでしょう、私は強い人についていく事大主義という、朝鮮・日本の民族的伝統が嫌いです、独立・自営業と言う職業選択は、私の人生観の具体化です。
国だって独立・自営が可能だし、日本はその可能性に満ちています。


技術コンサルタントの世界 2007.11.09.
「教育私論」

私は、最近聞いた、1.英語の幼児教育、2.NOVAに30万人の生徒、3.大学での職業教育・即戦力化、という「3つの世の中の傾向」に反対です。

1、と2、については、私の経験では、私は就職して5年くらい経って、勤めていた機械メーカーが突然アメリカの事業家に見込まれて(私が見込まれたのだが)、特殊な機械(プラスチックのミルクビン)を設計製作して、5年間で7−80台輸出した時期があった。
私はそれまで、日本の通常の英語教育を受けていて、特に勉強はしていなかった、しかし仕事でアメリカ人達とやりあわねば、生きていけない状況だったので、たちどころにいわゆる「バイリンガル・エンジニア」になった、それ以降、今でもアメリカ人と話すと「お前はミシガン州の出身だろう」と言われるくらいの会話は可能である。
つまり、人間は必要に駆られれば、会話なんていうのはたちどころに上達するから、前もって勉強しておく必要は無いのです。

3、の大学での職業教育の即戦力と言うコンセプト自体が、企業に迎合した怪しげな考え方で、職業生活に必要な知識・知恵は、職場での自分で選んだ先輩・メンター(師匠)から自力で獲得するしか(教えて貰うんじゃない)方法は無いのです。
こういった環境に恵まれなかった初期職業人は、一人前になれず、かなりの試行錯誤の時間がかかり、人生のハンディキャップを負うことになります、中年・老年になっても、こういう可哀想な人が沢山居るという事実は、日本の教育の間違っている所です。
気の利いた会社は、さりげなく職場に教育係を置いて、初期職業人を一人前にしています。
学校で教えるのは、基礎的な法則や定理、仮説の立て方なんかが、重要です、一生続けられる趣味なんていうのも、学校で教えておいて貰ったほうがいいですね、それに「読書の習慣」や「部活まで入れこまない運動」なんかも、一生の付き合いになります。

私は、前にも書いたことがあるが、あらゆる試験と言うのに落ちたことがありません、学校も運転免許も技術士も、「必要だから受けた・獲った」わけで、試験なんてのは趣味じゃないからです。

技術コンサルタントの世界 2007.11.05.
11月3日に神田の千代田プラットフォームで開催された、第2回目の拡大版・新規開業技術士支援研究会で、冒頭30分私が喋ったことを、ここに要約しておきます。

「結論を先に言うと、コンサルティング・エンジニアと言うのは歴史的に西欧で生まれた制度・立場ですから、実際に私が自分の顧客会社との間にこの関係を確立するには、かなりの時間と試行錯誤・淘汰が必要であった。
現実に独立・自営を始めてみればすぐ気がつくことだが、スタートは[日雇いエンジニア]である、ほとんどの先輩・仲間の技術士諸君は、最初から最後までつまり生涯[日雇いエンジニア]を追求している、これは日本の組織・会社の歴史や社会の制度から言って無理からぬ面があり、全てを利害当事者間で解決することしか頭に無いから、独立自営のエンジニアを雇う人は、会社で言えば社長であったり、社員であったりするのだが、あくまでも社長の下請けや社員の下請けの[日雇いエンジニア]である。(余談だけど、最近の建築の偽装、食品の偽装等で、独立自営の第3者の専門家の不在が、如何に社会を狂わせてきているか、世の中も段々気がついてきたのではないだろうか?)
私はこのことに、自営を始めてから10年くらいたって気がついた、どうしたらFIDIC等で定義されているコンサルティング・エンジニアのように、第3者の立場が作れるか・立場にたてるかということを、追求し始めた。
幸いなことに、私は34・5歳という若い頃から始めたということもあって、色々な顧客会社とたっぷり試行錯誤・淘汰をする時間があったお陰で、70歳の今日でも長いお付き合いの顧客に恵まれてきている。」
というようなことを話しました。

私は資本主義の発展の歴史の中で、必然的にコンサルティング・エンジニアが生まれて育ってきたのだと思う、日本の社会のややこしい所は、コンサルタント会社を標榜しているが、実際は役所の下請けの設計会社であるとか、社長の相談相手をコンサルタントと呼んでいることです、コンサルティングを指導するとか、相談するとか言う日本語に翻訳をしたのも、勘違いの原因だったのかもしれません。

私は新規に開業する諸君は勿論、当日講師を務めた実際に独立・自営している若い仲間の諸君を含めた、20数名の皆さんに、「コンサルタント・エンジニアの立場というものは、顧客との関係において、最初から用意されているのでなく、自分が意識して、周囲に納得してもらい、自分で作り出すものです、多分西欧先進国にあるコンサルティング・エンジニアという社会的に認められている立場も、我々と同じような、独立・自営のエンジニアの先人が、自分達で作り、社会に認めてもらった、という歴史があるのでしょう。

技術コンサルタントの世界 2007.10.29.

10月23−28日にデュっセルドルフのプラスチック見本市K-2007に行ってきました。

日本ーシカゴとあったあと3年ぶりのショーですが、日本に比べてスペース5倍、出品会社3倍と言われています、3日間毎日15−18,000歩を歩き回りました。

印象です、1.EU統合は大成功なんじゃないでしょうか?、何しろ市場が3−5倍に成ったと思われるし、大型の原材料設備、フィルム、シート、多数個取りの金型、大きな成形機等からの大量消費材のマーケットの大きさが、日本の数倍あるんでしょう。
生き残った、昔から知っている会社が、一段と大きなブースに出品していました。

2.台湾、韓国、中国の機械が纏めて大きなグループでスペースをとって出品されていました、EUの域内で売れるような代物とは思えませんが、私は発展途上の国の勢いを感じました、翻って、日本勢は真に数少なく、小間のスペースも小さくて勢いがありません、台湾、韓国、中国にドイツ・イタリー・フランスの機械が売れていると言う理由が、良くわかりました、日本は売り込み専門ですから、嫌われるんですね。

3.出品する会社の国の多いことはともかく、見に来る人たちの多様性にも圧倒されました、アメリカ、日本はここでは完全にマイナー参加国の一つで、旧共産国のロシア及び中部ヨーロッパの国々、インド、中国、韓国、台湾等は、間違いなく日本勢よりは多くの人達が、団体で見に来ていました。

4.通貨のユーロが強いと言うことは、域内の国民はハッピーなんじゃないかと気がつきました、日本では円安が稼ぎ頭である輸出産業のために、良いことのような論調が主流ですが、間違いだと思います。
通貨は政治に大きくかかわりがあるので、私には理解出来ないが、常識的には「日本国内に外国の会社・人間が入りやすくする、」政策が必要なんでしょう、普通の国民は「歴史始まって以来、鎖国願望を持っている」国民ですから、政治がイニシャチーブを執らない限り、無理な話ですね。

5.さて私は、発展途上国時代の日本を経験して生き延びている現役の技術コンサルタントとして、「これからの中小の機械メーカーは、小さくてもグローバルマーケットに対応しなくては生き残れない、EUには提携や委託の拠点を設けてでも、マーケットにエントリーしておくべきだ」と主張します、外国に仲間作りが出来ない(提携した関係が全部切れているのが事実)という歴史を歩んでいるんです、実際のところは。

10年ぶりくらいにデュッセルドルフのホテル日航に泊まって、夜間にライン河べりの沢山あるビアホールを散策してきました、大きな身体はドイツ人は数少なく、それにも増して黒い髪・目の背の低い東ヨーロッパやトルコの青年がドイツ語をガンガン喋りながら、グループで飲み歩いていました、プラスチック産業と言う「庶民的産業」には、大量の移民が従事しているんでしょう。
川岸では、土日に雪にまつわるイベントがあるらしく、ダンプカーで大量の雪が運び込まれ、舞台が作られ、歌手と楽団がリハーサルに懸命でした、それにしても元気が良い街でした。
タクシーの運転手の話では、3年前の見本市まではジリ貧で景気が悪く、3分の一くらいの規模だったと言っていました。
大きな政策の勝利なんでしょうね。
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> 森田裕之 様
> 内藤重信と申します。
> 技術士稲門会にお世話になっていますが、出席率も悪く、ここで返信メールを
> 書く人間ではありませんが、年齢がら一言という気分になりましたので書きました。
>
> ・EU統合については、人間/人類の向かうべき方向だと思っています。人類が
> 生まれて、生存競争のために繰り返してきた最近までの戦争をしてきた歴史からみて、これからはお互いに多用な価値観を認めつつ、共存共栄を図ってゆくのが、人類の生きてゆく方向だと思っています。そうした意味で、歴史のあるEUの試みは、間違ってはいないと思うし、同じ視点から中国の政策決定プロセスを含め、台湾、韓国、中国の行動には関心を持っています。
> ・私は札幌生まれの台湾育ちですから、今から言えば外国帰りですが、それはさておき、初めて女房と外国に行ったのがロマンティック街道で、そこで我々を見て「あっ!ガイジンダ」と言われたのにはびっくりしました。それと、ミュンヘンの「HOF Brau HAUS」
> と言う3階建ての大きなビヤホールで、ピッチャーになみなみ注いだビールで、お互いに腕を組み乾杯し、全席の前のスペースで歓声を挙げて踊ったのを思い出しました。
> ・でも、日本人は日本人で世界でも珍しい(うまく表現はできませんが)良さと才能を持った人種だと思っています。この良さを、世界に頻繁に、しつっこく発信していけば、世界の平和に貢献出来ると思っています。外に出てゆきましょう。


技術コンサルタントの世界 2007.10.22.
10月23−28日に、デュセルドルフで開催される、K-2007というプラスチック展を見に行きます、機械の世界はいよいよ「日本対ドイツ」の様相を呈してきたと、私は判断しています。

私は自分の商売としては、それ程沢山の顧客と付き合っているわけではありませんが、仲間とやっているグループ・団体活動では、人集め・会社集めに大いに苦労しています、「後進の育成」と言う意味でセミナーを開いたり、「テーマ別の勉強会メンバー・ネットワーク」を作ろうとすると、最近の「人間に関わる情報公開禁止?」の社会情勢には参っています。
結局の所、沢山の人に会っている人、自分のグループを持っている人、俗に言う顔の広い人が頼りになります、いわゆるDM先名簿と言われるような、何年か前に流行した名簿ビジネスは、影が薄くなりましたね。

NHKで日本の食糧問題の討論会をやっていました、なかなかの難問です、すっきりした解決は見つかりません、でも私は大分前から、日本も会社も個人も、先進国・成熟国の仲間入りした途端に、「いろんな問題で、すっきりした解決法は無いのだ」と言う世界になっていると認識しています。
先日も北海道から出てきた、若いシビルの独立・自営のO君に、「私の顧客に対するコンサルタント業務のコンセプトは、alternative の提供だ」と話しました、今までもこれからも会社の経営は大変ですね、経営者のリーダーシップと会社の技術者には、respectこそあれ、競合・指導する気はありません。

これから独立・自営をやってやろうと言う諸君に、私は「財テク」をお勧めします、自分では出来なかったのですが、最近これが重要だと思うように成りました、若くからやっている先輩方は、お金の問題ではあまり本当のことは後輩に話しているかどうか、疑問です。
我々の仲間でこの件を喋れるのは、大塚政尚君くらいなものでしょう、我々シニアは最早必要ありませんが、若い諸君・(企業内の諸君を含めて)のために、独立前にsome moneyが有るのか、無いのかで、だいぶ条件が違うと言うものです。

技術コンサルタントの世界 2007.10.14.
「忙しい日々」

日頃サラリーマンの後輩どもに、「自由業は、時間を己の思うままに使えるのが、醍醐味なんだ」と自慢してきているが、最近、私は身から出たさびとは言え、忙しい、妻には馬鹿にされるし、今週は2回しか泳いでいない。

10日には、大久保世話人の「第2回微粒子問題研究会」の講演と見学会が、小田原の富士フィルムの工場で開催、52名も集まり盛況だった、25名も新しい会員が増えて、上智大の清水教授・委員長以下の幹事メンバーは、ご機嫌の飲み会をして帰宅しました。

11日は、JETO・技術経営責任者協議会の定例ステアリング委員会が、人形町の新しい事務所で開催、ceaの関連の会合情報を全体的に把握してもらうように、菅野君に時間が取れるときは、なるべく参加してもらうべくお願いして、今週から来てもらいました、菅野君なかなか面白いでしょう?

12日は秋葉原の鐘ヶ江君の事務所で、彼の入れ込んでいる「常温プラズマ」プロジェクトの会合、午後は車で大田の「群馬産業高度化センター」でのJETOの大塚君の講演会・パーティーに出かけました。
群馬での活動は、山本君、田島君、勝部君というサラリーマン諸君が、独立意欲を見せて、色々手伝ってくれるので、スムースにことが運ぶようになった、有難い。

13日は田町のキャンパスイノベーションセンターでの、原田敬美君の技術監査人の定例ステアリング委員会、現在の問題点は、建設土木の監査仕事は、順調に受注するようになったが、環境・情報の監査の仕事が取れていないことです、午後は大久保君の「技術問題研究会」と、4時からは早稲田の大隈会館で、稲門技術士会の年次大会・パーティーに出席、フー忙しい、でもこの会合の唯一良いところは、元気な年上の先輩方がたくさん出席していて、後輩面(ズラ)が出来るので、気が楽なことである。

この会合で、井上君が「何故企業内技術士は、試験を受けて資格を取って、登録までするのかと言われれば、これは技術者の趣味である、としか言いようが無い、普通の人が画を書いたり、俳句を作ったり、自転車のツーリング同好会をやるのと同様に、技術者は博士を取り、技術士を取って徒党を組む、企業内技術士会を作る、要は暇つぶしである」と言う新説を発表した。
この仮説は面白い、井上君は私より大分若い、息子世代なので、同じ企業内でも定年前後の諸君とは、かなり違う意見を持っているのでしょう、そういわれてみれば、私のコンサルタントの仕事は、私の趣味かと言われれば、そんな気がしないでもない、好きなんです。

技術コンサルタントの世界 2007.10.09.
時代の転換期を感じている、ここ半年でバルセロナ、バンクーバー、ソウルに旅行したが、どこも日本より元気がある印象である。
日本は言論の世界でも完全に内向きである、私の常識では、「お金の流れに関して 貸し手が投資先の物件の価格上昇に自信を持つ限り、市場による資金調達で流動性は無限、しかし価格上昇に自信を失ったとたん、市場による過剰流動性は消滅してしまう。」
と言う原理原則から言えば、日本には投資案件が減ってき始めたのだろう、都市と地方、稼ぎと資産(BS/PL)の格差が論じられているが、解決不可能だろう。

我々の技術コンサルタントの世界も例外ではない、年齢に関係なくガンガン仕事をしている人が猛烈に増えている反面、看板は掲げて立派な名刺を作っているが、実際はただの年金老人まで、社会的に見れば大きな格差のある世界になっている。
私はこの世界で40年近く飯を食ってきたが、今が我々の業界、一番活性があると思っている、最近顔を突っ込んでいる、我々と隣接しているJETO・技術経営責任者の世界も、世代交代や事業継承の波が押し寄せてきているらしい、社会的ニーズは大きい。

私は「自分が生き生きとした元気で、役に立つ年寄りに成りたい」ので、「エンジニアの成れの果て」に興味がある、社会の要請はどうやら一人前になった技術者には「技術経営者」「技術監査人」「技術コンサルタント」「技術研究者」の道があり、それぞれ意識して、その道を歩まないと、ただの年金老人に成ってしまうのじゃなかろうか?
今年から私より一回り下の団塊の世代が、会社の奴隷的生活から開放されて自由人に仲間入りするらしいが、80−90まで生きるとすると先は長いので、腰をすえて考えたらいいね。

技術コンサルタントの世界 2007.10.03.
37回目の日韓技術士会議が今年は10月1日にソウルで開催され、前の日の30日から出かけて2日に帰宅しました。
私は古くからのステアリング委員ですから、たくさんの旧知の人たちと挨拶をしますが、私の世代はまずは韓国側から激減して、世代交代に入っています、それでも青年技術士や女性技術士の交流会が活発になり、多分200名以上と思う基調講演会や夜の歓迎パーティーは賑やかでした。

午後の第4分科会では、私も元気な日本の中小の機械屋の話をしましたが、聞いている諸君があまりぴんと来ないようだったので、後半は私の「独立・自営の薦め」の本を出席メンバーに回覧して日頃の自説を開陳して、韓国の諸君の反応を見てみました。
たくさんの反応と収穫がありました、まず隣に座っていた若い韓国の人から「仲間に日本語できるのがいるから、回し読みしたい」と申し入れされたので、一冊あげました、日本側の出席者で始めて千葉から参加した、渡辺敏夫さん(機械)は夜のパーティーで寄ってきて「森田君とは1960年川崎製鉄入社の同期生です」と話しかけられました、そういわれてみれば若かりし日のスマートだった渡辺君の顔が、47−8年ぶりに「おじいさんになって」出現しました。
私は川鉄には1.2年しか居ませんでしたが、同期に入った100名の連中には、かなり強烈な印象を残してきたらしく、今でも珊瑚会という同期会には、お呼びがかかります。

パーティーに同席した韓国側の皆さんは、皆さん親日家で「相撲が大好き」とか「北海道に行って来た」とか、「毎年5−6回会議で日本に出かける」という上下水の技術士にも話しかけられました。
どうやら韓国の技術士は、役所・大学・大企業の現役の人と、引退したシニアで構成されていて、独立・自営や中小企業の技術士は少ないのかもしれません、ただ私の本に若い韓国の人が異常に興味を示して、夜パーティーの終了後に、10名くらいのグループに誘われて、街に繰り出し、12時くらいまで英語交じりで喋り捲りました、44歳の教授と54歳の新幹線導入の責任者とは、かなり喧々諤々面白い議論をしました、日本の若い技術士より元気良いねえ。

久しぶりのソウルですが、2日は地下鉄でうろうろした挙句に、新設の国立博物館に出かけて、ネクタイを仕入れてきました、会議でも韓国側はソウル市のウォーターフロント開発大計画を発表しましたし、街は住宅建設ラッシュだし、日本より余程元気である印象です、日本のシビル諸君はバブルじゃないのかねえ、と言いながら羨ましそうでした。

技術コンサルタントの世界 2007.09.29.
どういうわけか、最近年配(シニア)の女性を、銀座の交詢社にご案内する機会が何回かありました、最近有名な千住画伯の大きな滝の画がかけられているという事が知られたか、明治以来の福沢諭吉の作った由緒ある倶楽部と言うことが、クラス会などからの情報でじわじわ知られるようになったか、よくわかりません、私は独立した時に先輩に入れてもらった以来のメンバーですが、昔は雰囲気が年寄りくさいので、あまり好きではなかったのですが、最近建て替わってからは、自分が年寄りになったこともあって、気に入っています、しかし女性がこういう爺くさい所が好きだと言うことは、時代がなせる業なのか、女性の時代になった証拠なのか、面白い話ではあります。

今週(26日)は私の業界の古くからの付き合いの後輩諸君8名の飲み会がありました、平均すると私より10歳若い人たちですが、健康のこと、家族のこと、定年や転職・独立のこと、旅行や趣味のことなどなど、私の世代ではおおむね結論が出ていることを議論していました、先輩として「なるようにしかならない、君自身で解決できることは、ほとんど無い」から、あまりきりきり考えないほうがいいよ、特に子供のことはね、と言っておきました、とりあえずは奥様に徹底的にサービスをして、長生きをしてもらい面倒見てもらう、と言う作戦が妥当かと思います。

24日の休みの日に、突然多古町で洋ランを作っている、旧い友人の佐々木さんから、大きなランの鉢とお赤飯が送られてきました、googleで佐々木さんを見ると、

貼り付けー

香取郡多古町の(有)成田洋ラン(社長:佐々木好文)では自ら開発を手掛けたヒートポンプシステムを施設園芸に活かし、胡蝶蘭の同一株の開花連続記録に平成16年10月より挑戦している。
同氏は平成15年にも10年3ヶ月の世界最高記録を達成しており、今回2回目の挑戦。胡蝶蘭は次から次へと無限に花芽が出ては咲き続ける「無限花序」という性質を持つことから連続開花は可能であるが、温度管理が難しく、1年でさえ例がなかった連続開花を見事に実証させたもの。
同システムは四季を通じて一定の室温調整が可能であり、この温度調整により開花調整が可能となる。また、電力を効率的に使用するためコストの削減にも繋がっている。同社長は、60才から胡蝶蘭の栽培を始めたもので、育てている蘭は、評価が高く政財界、芸能界からも注文を受けている。また、アテネオリンピック祝勝会では金メダルになぞらえた黄金色の胡蝶蘭を寄贈したことと、開花連続記録の成果から「『成田洋ランの胡蝶蘭は縁起の良い花』との評価も受けた。」と話している。平成16年10月から第1輪開花の株で開花世界最高記録を目指し、新しい挑戦をスタートさせた。

貼り付け終わりー

しばらく会っていないので、行って見ました、ヒートポンプ冷暖房付きの2棟(5千万円X2)の大きな温室に、2年がかりで苗から出荷前の鉢まで沢山並んでいました。
76歳の佐々木さんは、相変わらず元気でしたが、私は「後継者や引退・事業継承」については、考える時期に来ていると思いました、誰かの息子で、こういう高付加価値農業をやってみる若者は居ないかしら?

この日は足を伸ばして、銚子の漁港で美味いすしを食べてきました。

技術コンサルタントの世界 2007.09.23.
今週は、NPO・ナノ構造ポリマー研究協会恒例の講演会・親睦会が、21−22日に横浜の古河電工のナノ研究所と、逗子の保養所に泊りがけでありました。

研究所の研究者やNEDOへの出向者、山形大学の3人の教授も参加されて、発表があり、私はナノの最先端の知識を仕入れました、お返しに私は企業の若い人達5人に、私の本を一冊進呈して、技術コンサルタントという職域の面白さを説明しました、若い諸君は「非常に興味を示して、夜中の12時を過ぎても、議論が止まりませんでした」

翌朝には、企業シニアや大学の先生方も入って、20人位で「ひ弱になった日本人男子学生とポスドク話、大学の先生はセクハラに戦々恐々、取って代わる中国留学生、大量に排出され始めた定年技術者の行く末、少子化の実質的な解決・中国人不法就労者の群れ」の話に花が咲きました、そのあと帝人の技術者・神山さん(女性)の、ナノファイバーに関する講演が一つあり、11時に解散しました。

私は50年ぶりに、逗子から海岸沿いに鎌倉まで歩き(7000歩)、帰路田町に寄って、稲門技術士会の幹事会があったのですが、出席者が少なかったので、久しぶりに本田尚士先輩、岡君と3人で、心置きなく雑談三昧をして、帰宅しました。

技術コンサルタントの世界 2007.09.17.
14日にNPO技術経営責任者協議会・JETOの3周年記念講演会・パーティが大井町のキュリアンであり、7−80名の参加者で盛況でした。
目玉は、メイテックの創業者の関口さんの講演で、有名な事件だった「創業した会社を追い出された関口さんが、再び株・VSNを創業してjasdaqに上場した」話を、面白おかしく聞かせてくれました、この夏の参議院選挙に出馬した経緯なんかも、面白かった、こういうスーパーマン的なエネルギーのある人は、興味の赴く所何でもやってみるという精神の持ち主なんですね、参りました、と言う感じです。
15日には、上智大学の機械科・清水教授のところで、大久保君世話人の「微粒子ゴミ研究会」のステアリング委員会があり、ものつくり大学の東江教授も参加され、ceaから8名総勢12名になり、今後一年間くらいの活動方針を議論しました。
そのあと、ceaの仲原君(金属部門)の「溶融金属(溶接や溶解炉)のフュームは0.2−3ミクロンの微粒子ゴミである」というミニ講演がありました、私には目からウロコの面白い話でした、労働環境的な「技術監査人」の領域と、フューム捕捉システム構築及び徹底的なロボット活用等の「技術コンサルタント」の領域があるので、仲原君はその気になれば、独立・自営の日は近いと予測しておきます。

今週何人かの定年退職者と会話した印象によると、マスコミが何年前から取り上げていた、07年問題・団塊世代の大量定年引退の実態は、技術士資格者に関して言えば、収入は減るが会社に残る、関係会社に再就職あり、中国等外国に就職機会あり等など、あまり「この際独立・自営をやってみよう」と考える人は居ないようである、高堂君の予想ははずれたみたいだね。

技術コンサルタントの世界 2007.09.11.

日付けを9.11と打ってみて、あれからもう6年経ったんだと、しばし考えました。

私は、あれ以前に孫と一緒にタワーの屋上からニューヨークの街を眺めたし、以降の跡地も見物しました、私にはあれ以来ニューヨークが変わってしまったような気がして、最近は行く気がしません、大好きな街だったんだけどね。

さて9日の日曜日には、本田尚士夫妻を早稲田のリーガロイヤルにお招きして、傘寿のお祝いパーティーを稲門技術士の後輩達の発案でやりました、当初は顔見知りの皆さんだから2−30名かな、と考えていたのですが、当日は50数名に膨れ上がり、会場も変更して、大パーティになりました。
私より年上が半分、年下が半分と言うのが、出席者だったようです、本田先輩のすごい所は、毎年10名位の化学部門の技術士受験希望者を集めて、独立・自営への道を指導していることです、こういう若い人との付き合いをエネルギーにしている面もあるようです。
パーティーではなるべく知らない人と話がしたいのですが、本田さんの知り合いには、面白い人がたくさん来ていました、小暮幹雄さんという「結び文化=Knot Tyers」学芸員の方なんか、こういうときじゃ
ないと知り合いになれないものね。
私が呼びかけ人の代表だったので、最後にご夫妻に挨拶した時には、何故かこの私が、涙がこみ上げてきて泣きそうになりました、不思議なことです。

8日(土)は朝から晩まで、技術士仲間の会合です、このところ毎週の土曜日が仲間内の会合で占められています、私は自分が言い出したことが多いので、一向に苦になりません、「一人前の技術者になったと自覚した人のうち、技術士を取るような人たちは、現状からの飛躍とか横展開をしようと、考えているに違いない、」と言う仮説にもとずいて、今後は企業内技術士の諸君との交流も視野に入れて行くことにしました、協力してください。

技術コンサルタントの世界 2007.09.07.
「私はマイナーな個人だし、他人に影響力を与えるほどのことは無いが、気分はグローバリストである」

私は多くの満州引揚者がそうであるように、役人や兵隊が嫌いで、農業・土建業のような税金で食べている連中も、あまり好きでない。
1970,80年代に、日本のメーカーがアメリカに工場進出したが、私は60年に就職、10年間機械メーカーの修業を経て、70年初頭に独立したが、一貫して私は日本の会社のアメリカへのトランスプラント(と当時称した)のコンサルタント仕事をした。
私のお客は中小企業だが、その又お客は自動車や電機メーカーで、当時「お客の居る所に工場を」をスローガンに、背伸びをして親会社についてアメリカに出て行った時期であった。

生き残った良い会社は、今では半分から3分の2を輸出している、小さいけど世界を相手に仕事をしている、立派なグローバリスト会社が日本にはたくさんある、私が不思議なのは、外資を今でもハゲタカ呼ばわりして悪者扱いをする論者である、明治の開国以来120年も経っているのに、攘夷論を唱える人が居ると言うことが、理解できない。

最近は攘夷論が陰謀論の衣をかぶって、唱えられているような気がしている、アメリカの一国覇権に世界が反発してEU統合やアジアの多極の勃興成長に分散していくだろうことは、私でさえ10数年前のソ連解体の頃から予想してきたことである、成熟した先進国は、経済成長が低くなることは、当たり前のことで、消費者は買うものがなく、ガツガツ働かなくなるのは、我々個人だって同じことだ。
成長する国に、お金が流れていくのは、当然だし、ビジネスプランに投資家から投資してもらうことは、極めて歓迎すべき話と思うが、嫌がる日本人がかなり居るのは、不思議です。

政治がいよいよ変動期を迎えたようだが、小泉さんまでは、戦後の混乱期を経験した世代がリーダーシップを発揮してきたけど、安倍さんはどう見ても苦労してない、ボンクラ息子の代表者としか思えず、人心が離れてしまったのは、当然の成り行きだし(女性から嫌われたらおしまいだね)、与謝野、小沢さん世代が頼もしく見えるのも、当然だろう。

私は今年、役所が補助してくれる老人向けの健康診断の結果が一応問題なしと出て、体の元気はいいのだが、最近会った人の名前や場所の名称が記憶できない、脳みその老化は進行していて、多分3−4分の1に落ちている、老化が進行している、他人事ではなく、私がやっている全てのことを、世代交代しなければならない、判っちゃ居るんだけどね。

技術コンサルタントの世界 2007.08.31.
「隠岐の島」に行ってきました。
日韓技術士会のステアリング委員会が、島根の藤井基礎設計の有名技術士・藤井さん一家(奥さんと息子さん)のご案内で、隠岐の島で開催され、韓国から2人、日本側は奥方同伴7名ほか5名の大所帯で、2泊3日間風光明媚で歴史の話が満載の島巡りを楽しみました。
この委員会は今回も出席している、本田先輩と韓国の李先生が始められたもので、私は途中から本田先生に参加するよう命令されて、当初はいやいや出かけていたが、段々委員同士が家族ぐるみ仲良しになり、長い付き合いを楽しんでいる。
ただ技術士会としては、世代交代が必至であり、部会推薦のルールがあるので、私の場合機械部会から後を引き継いでくれる人を見つけないと、引退が出来ない。
こういう活動は、若くて仕事の忙しい人には、いささか無理な仕事で、現役引退した余裕のあるシニアで、韓国や国際交流に興味がある人が居れば、最適である、我と思わん人は私に声をかけてください、とりあえず部門は問いません。
ceaの若手では高堂、平野、田吹の諸君が委員です。

最近は圧倒的に文庫本読者になっています、池田清彦、池田信夫の両池田先生の本が面白いですよ、それから図書館で発見したのですが、小山薫堂という若い放送作家による「フィルム」という短編集が、2周り下の息子の世代を活写していて楽しく読みました。

技術コンサルタントの世界 2007.08.27.
世の中では中高年と言われている、50歳を超えた技術者に会う機会が増えています、22日には株・技術経営機構とNPO・技術経営責任者協議会の事務所開きがあり、70名くらいの参加者がありました。
ceaではグループ世話人の諸君が招待されて、来てくれました、半分はこれからお付き合いをお願いする、銀行や保険、証券・キャピタル関係の皆さんでした。
日頃は仲間内の飲み会がほとんどで、気が置けないのですが、知らない世界の諸君と話すのは、緊張もしますが、面白いものですね、世の中の人が我々をどう見ているか、評価しているか、知るチャンスでも有ります。

25日には、「けいみ会・技術フォーラム」の情報に関するシンポジウムがありました、ceaの情報関係の技術士・菅野、石川、田吹、橋本、吉田の諸君がパネラーで、なかなか面白い、示唆に富んだ意見が飛び交い、私としては情報分野の諸君を見直しました、もう一度くらい続きをやって欲しいね、特に私がいま入れ込んでいる、「技術監査人」のなかの、情報分野の監査人は如何なる会社や役所にも必要じゃないかと、思うに至っている、これまでの監査役とは若干違う切り口にはなるとは思うけどね。

25日には、飲み会で大手電気会社の50歳の後輩の話を聞きました、詳しくは忘れたけど、要するに53歳位から雇用の選択コースがあって、岐路を迎えると言う話でした。
最近企業内の技術士とは一体なんだ、と言う疑問に駆られて、自動車会社や半導体会社の後輩達に意見を聞いています、今わかったことは、会社は「関連企業内就職」とでも言うような、自分の都合で社員の扱いをフレキシブルに対応しており、私の嫌いな「企業内ベンチャー」「企業内監査」「企業内技術士」と同じように、粉砕されるべきテーマの一つだと言うことです。

技術コンサルタントの世界 2007.08.20.
猛暑ですね、50年以上前の高校生活とよく似たスケジュールで行動しています。
午前中プールで泳ぎ、午後は図書館か所用・映画やバイトで出かける高校生だったなあと、今もかわり映えの無い平凡な日々を送っています。

最近私が、「60歳からじゃ遅すぎるよ」と書いたことに、ceaの会合で「恐る恐る」反発や反論があります、私は別に誤解されてもへっちゃらですが、私の真意は「趣味・仕事で60過ぎてから始めて、うまくいっている例を私は知らない」ということと、「60過ぎたら、自分ひとりで出来る仕事・趣味を始めるのは実害が無いが、他人を巻き込む仕事・趣味や他人を扇動することは、厳に慎むべきである」ということである。

独立・自営・創業のスタートは若ければ若い方がいいことは、私は何回も書いています、試行錯誤や無理が利くのは若くなくてはいけません、土曜日のガラクタ技術紹介で、80歳代の発明家の技術が取り上げられて、これを「長いこと執念深く追求している技術者と言う見方」で、評価している連中が居ましたが、私は無駄なことだと思います。
オリジナルな技術と言うのは、たくさんあるジャンク・ガラクタの中から淘汰されて残った結果なわけで、長いことたなざらしされた技術には、よほどのことが無い限り、復活はありません。

それに、老化というファクターを侮ってはいけません、私は70ですが、50歳くらいまでの体力三分の一、集中力二分の一、持続力四分の一、記憶力十分の一位に落ちています、残念ながらあまり年寄りを相手にしては、時間のムダになります。
勿論例外は沢山あるでしょう、利用価値のあるシニアも沢山居ると思います、一般的には顔が広いとか判断力がある(失敗経験が豊富であるがゆえに)のが年寄り・シニアの価値であると言われていますね、それと私はエンジニアは60歳過ぎたら、どちらかと言うと「auditor・監査役」的な仕事が向いているんじゃないかと思います、シニアで活躍している技術士先輩のなかには、意識的かどうかは判りませんが、監査的な立場の仕事をしている人が沢山居るのです。

静岡の高橋君が、若い人のやることなすこと気になって仕方が無い、建設的には「アドバイスしたい」だが、通常「ケチをつけたい衝動がある、これが老化現象ですかね?」と聞かれました、私なんか自慢じゃないが10-15年も前から、実際若い人と喧嘩をしています、だから最近は60くらいの年寄りになりたての連中が気になっているのです。

技術コンサルタントの世界 2007.08.13.

例年、おおむねお盆休みは都内をうろうろしています、日曜日(12日)は銀座の地下に車を止めて、カンカン照りの銀座を散策して、前から狙いをつけていたそば粉のクレープを食べました。
銀座はがらすきでしたが、田舎からの見物人、それと日本人とは見分けのつかない外国人が沢山歩いていました、人間見ているだけで面白い日曜日でした。

会員内の掲示板で若干の盛り上がりを見せているのは、日本の会社の管理職の話と管理職上がりの経営者の話です、これまでの日本の会社では、何でも会社内でまかなうことに熱心で、ベンチャービジネスは社内ベンチャーになり、監査役・取締役は社員上がりの指定席になり、技術士は企業内技術士になり等などきりが無いが、業績が悪くなったり、不祥事が起きてみると案外この日本的な経営方法は脆いということが、わかってきましたね。
日本的な経営方法のリスクを回避する手段として、社内ベンチャーを社外に引っ張り出す援助事業、社外の監査役・取締役を供給する事業、企業内技術士の活用援助事業などが、私の周りでは議論されている、経営のリスク回避だけではない、いまや会社の大小は関係なく、グローバリゼーション対応と言う意味でも、こういうサービス事業の必要性があると確信するに到っている、しかし大事業ですな、とても私の生きている間に目途がつく事業とも思えないけど、現時点での役割を果たしたいです。

横浜の保土ヶ谷に住む同級生と長電話をしました、彼は近所に住む区長さんの(多分無給)ブレーンの1人として、週の半分は区の色んなイベントで忙しいのだそうです、会社の退職金は手をつけていないし、年金も沢山出るので毎年海外旅行をするし、3人の娘婿にはそれぞれにゴルフ場の会員権を残してあげることになっているし、商社OBの立派な老人です。
彼の意見では、会社で運転手が付くくらい偉くなった奴は、定年後の身の処し方に齟齬をきたしているということです、面白い話です、大塚君に言わせれば「社員上がりの経営者は欠陥・内部矛盾を抱えている」と言うことかもしれない。

10日には大田でJETOの大塚君の講演会があり、勝部、田島、山本君達30,40歳代の若い会社員・技術者が常連のように話を聞きに来てくれます、こういう連中の独立志向を大切に育ててやろうと思っています、何しろ「60歳過ぎてからでは遅すぎる」からです。
誤解されないような、親切な言い方をすると「独立・自営業者として本気で飯を食っていくには、普通の人で3-5年の試行錯誤が不可欠なのです、勿論独立向きなキャラクター持っているかどうかも重要ですし、なにしろ60歳過ぎたら遅すぎると言うのが、私の長年の観察結果です。

技術コンサルタントの世界 2007.08.06.
ソニーの元会長の出井伸之さんの「日本進化論」幻冬舎新書を読みました、私と同じ歳の出井さんは著名な方ですが、あまりこれまで縁が無いような気がして、知らなかったのですが、「産業資本主義から情報ネットワーク金融資本主義への移行」と言うテーマに関しては、非常に共鳴する所があり、私が近年力を入れている技術者の成れの果てとしての「技術経営責任者」や「技術監査人」の育成運動と重なる所があります。
7月末に出来たばっかりで、私は監査役を勤めますが「株式会社技術経営機構」は、情報ネットワーク金融資本の関係会社をはっきりターゲットにして設立されたサービス会社です。

最近、会社員の技術士諸君に会う機会が増えて、名刺が沢山貯まってしまい、整理中です、トヨタの人は1人も居ませんね、日立の関係者は沢山居ます、誰か「会社の中の技術士の実態」というような調査をしてくれませんかね、各社の企業内技術士会の実態と言うような?
私のような「会社員は奴隷である」と言うような乱暴な意見でなく、「何で会社の技術者が技術士を受験するのか?」「資格と会社の関係」「転職・経営者・監査人への興味は?」「独立・自営業者に興味は?」と言うようなことが、調べることが出来れば、面白いんだけどね。

夏休みは、朝の散歩と昼間は冷房をガンガンきかせて、買いだめしてある本をかたずけます、駅などで子供等をつれてくたびれている親達を見て、「君らの時期が人生の花ですよ、大いに楽しんでくれ、墓参りくらいしかすることの無い年寄りなんて、退屈で面白くないんだよ」と言ってやりたいね。

技術コンサルタントの世界 2007.07.30.
28日(土)には、第一回の「技術監査人」の認定講習会があり、20数名の受講者があり全員無事に、NPO・技術フォーラムの原田敬美理事長から認定証を頂きました。
私が一番印象的だったのは、会計士の川田さんの講義で、「監査の世界はここ数年で激変した、これまで日本では会社の誕生から成長によりそう監査が常識とされてきたが、企業の不祥事・粉飾の事件が多発して、社会の役所・会社を見る目が変わってきた」と言うくだりでした。

26日(木)には、安中にある岡本工作機械製作所という、大型の平面研削盤メーカーの見学に行ってきました、この工場は半分地下にあり、窓は無く、温度も年間23度一定に制御されているハイテク工場で、世界の半導体やガラス、金型メーカーがお客さんです、日本にはこういう地味だけど世界企業が沢山あるんです、私の何軒かある機械メーカーの顧客は発展途上ですが、ここ10年くらいの間に国内半分・輸出半分になっています、会社のサイズには関係なく、国内2−30%になると、世界企業と言えるんでしょう。

色んな局面で「後継者育成」が私のテーマになってきています、今週は顧客の会社の社長達と飯を食いました、経営者と言う人たちは、色んなことを考えているんですね、いつも感心しています、私はこれまで色んなグループを作ってきましたが、閉める事や辞めることは,考えてきませんでした、反省します。

JETO・(株)技術経営機構が7月末発足します、その内ceaの諸君にもオープンハウスの案内をすると思いますが、人形町に事務所・研修室(30人位の会議室)を借りました。

技術コンサルタントの世界 2007.07.23.
15,16日の連休には、泳いだり歩いたりと日常生活のリズムを取り戻して、元気回復した、時差ぼけはなくなりました。

鐘ヶ江君の話を書きます、鐘ヶ江君は日立OBで10年位前若くして独立、半導体のコンサルタントを始めたが、中国大連の大学との付き合いから、ソフトの打ち込みビジネスの会社・リバーベルを立ち上げ、秋葉原に事務所を構えて、中国サイドに数百名の従業員を抱える社長業に励んでいる。
その鐘ヶ江君が技術者根性やみがたく、画期的な常温プラズマの機器開発に取り組んでいる、応用分野は半導体は勿論、色んな素材の表面処理に使えそうな優れものである、用途の開拓にはプラズマ デザインと言う会社を作って対応するとの事なので、私はこの会社を応援することにした。

18日はスバルの大田工場に出かけて、大久保君の微粒子ゴミ研究会の上智大・清水教授、坂本助教授とニクニの水野君、技術士の山本君というステアリング委員の顔見世・兼見学会がありました、この研究会は砥粒学会の分科会にしたり、本の出版も平行して企画されたり、大久保君は控えめですが、推進意欲は勿論、抜群の事務局才能を発揮してくれているので、順調に進行しています。

19日はマイクロバブル研究会の千葉工大尾上教授の研究室見学会があり、こちらはceaから大御所の本田先生、平野君、根本君、見並君、岸君、滝沢君が顔を見せていましたが、このグループは今の所纏まりのつかないルーズな所帯なので、ステアリング委員を選ぶ気になれない、尾上教授が応用分野のマトリックスまで作ってくれているので、そのうち「俺にステアリングやらして」と言うメンバーが現れるまで、マイクロバブル温泉見学、水処理工場見学あたりでつないでいきます。

21日午後は大久保君のゴミ研の説明会と、検査入院先から出てきた島田君の「ガラクタ研」があり、夕方はサイゼリアで一杯飲みました、今年になってから参加してきた新人が5-6人来ていました。
最近の私の酒席での話題は「技術者の成れの果て、立場わきまえ」論や「あんたは、仲間や社会からどう見られているのか知っているの?」論や「如何なる理由で、いい年をした爺が、暴力を振るったか」論です。

図書館で借りた本で「臆病な医者」朝日新聞社、「神かくし」文芸春秋、南木佳士著は感動しました、この南木さんと言う作家は自身お医者さんで、自分も患者と同じ病気を抱えつつ診療し、それを本に書くというシチュエーションが凄い、世の中には偉い人が居るものです。

技術コンサルタントの世界 2007.07.17.
15,16日の連休は時差ぼけ解消に大助かりで、気になっていた圏央道の「あきる野ー八王子」開通した道で、八ヶ岳の柳生博さん経営の八ケ岳倶楽部に昼飯を食いに行ってきました、これまで4-5時間かかっていたのが、2時間で行くのですから、私達には画期的です、道路公団の悪口は言えません。
70の大台に乗ったばかりなので、若干自意識過剰気味ですが、老いぼれると言うことは「回復力の低下」と言うことらしく、簡単に言えば身体が私の言うことを聞かない事が増えてきて、面白くありません。

さて今月は、大塚政尚君が提案推進して、葛Z術経営機構という会社が出来ました、一言で言うと「技術経営者(技術士に経営を勉強してもらって)を売る吉本興業のような会社」を目指します、私はこの会社の監査役です。
NPO・技術経営責任者協議会と表裏一体の活動をすることになります、私にとって最近の関心事である「先進成熟国・日本の一人前になった技術者の生き方と、その成れの果ての研究」が、実を結ぶ機会を与えられたように思い、張り切って参加しています。

勿論今私の中ではホットなテーマ「技術監査人」も、この会社で大いに売ってやろうと考えています、理想的には、私の技術監査人のイメージは、FIDICに関するnira提案の、http://www.nira.go.jp/newsj/kanren/100/108/syakaisihon/teigenr.htm
三者構造執行形態ですが、 現在の日本の社会では、こういうシチュエーションはなかなか作れないでしょう。  
考えられるのは、役所関係でいえるのはPFIでの金融機関、市民団体などの顧客の開拓、通常の会社で言えば株主グループや投資会社の顧客開拓から始めるつもりです。
私は新製品の市場開拓という仕事は、経験豊富ですが、技術士という一寸変わった技術者グループの市場開拓は、始めての経験ですから、いささか緊張しています。

技術士・弁理士の尾崎光三さんとの議論のなかで「研究畑の技術者が技術士を受験するのは、如何なる意向(心理状態)を持っているのか」、我々のような「技術者の成れの果てグループ」として、こういう若い受験者達と正しく付き合ってきたのか、いささか反省している。

技術コンサルタントの世界 2007.07.12.
「休暇の配分」
10日間の休暇の前半は、newport coast というLAの南の海岸・郊外の住宅地にある、息子一家で孫どもと遊んできました。
同年輩の「孫自慢」の友人に、私が「幾つになっても、子供のほうがよほど可愛い」と言って論争になったことがあります、比較するのがおかしいのでしょうが、実感です。

後半は、カナダの西海岸にあるヴィクトリアhttp://www.hellobc.jp/destination/victoria/victoria1.htmlという花の港町と、ヴァンクーヴァーに2泊ずつしてきました。
ヴァンクーヴァーは、妻の最近の絵のテーマが「ミラーサイト」と言うタイトルで、ビルのガラスに写るビルを含めた風景を描いているのですが、あるときTVで良いところを見かけたという理由で、出かけてきました。
大きな観光船が2隻も停泊しているピアにある、大きなホテルに泊まりましたが、先進国のシニア連中の安上がりな「死ぬ前の暇つぶし観光」の実態が、じっくり観察できて飽きませんでした。

本は沢山持っていきましたが、矢張り一回り上の先輩たち、「世界大規模投資の時代」長谷川慶太郎著、と「真贋」吉本隆明著が心に残りました、私のような60年安保の時代に就職した世代は、結局はこういう先輩を頼りに、大きく間違わずに世の中を渡ってきたのです。

今回最近出た「逆説の日本史」14巻、井沢元彦著もじっくり読めました、私は井沢さんの主張する、外来の文化・文明を「日本人の日本化する力」が、如何に変えてきたかを、日本の歴史を辿って「証明しつつある」このシリーズは、何年も前から愛読しています。
ヴィクトリアやヴァンクーヴァーの街を歩いてみれば、大英帝国の力が如何に凄いか、すぐ判るが、日本はイギリスから勿論多大な影響は受けてはいるが、大抵のことは日本化している。
副島隆彦さんの属国論にも関係有ることだし、日本から出て行った私の息子達のような元・日本人がどう生きていくのかにも関係あるが、日本化する力の根源は何なんだろう、日本語なのかねえ?
ウオシュレットは世界に発信できる文明だと思うんだけど、高級ホテルにも無いです。

技術コンサルタントの世界 2007.07.01.
30日(土)は、久しぶりで副島隆彦さんの講演会に出かけました、日本を取り巻く世界の現状分析を、何時もの副島節でたっぷり聞かせてくれました、私は出されている本は全部読んでいるし、ホームページも毎日見ているファンなので、わかっているつもりですが、やはり生の講演は工夫されていて、楽しみました。
私は副島さんの言う、世界を大きな枠組みで捉えると、70年前にイギリス(ヨーロッパ)からアメリカに覇権が移ったように、これから中国に覇権が移るんだ、という仮説は面白いけど、にわかには信じがたい気分です。
私は1937年満州生まれで、47年に日本に引き上げてきて、60年安保の年に就職して、72年の石油ショックの年に独立、いつも時代の変わり目に自分の人生が転換している、自分では自力で展開してきたように思い込んでいたが、最近「まてよ、時代に翻弄されているというか、他力によって生かされてきたにすぎないのじゃないか」と、殊勝(宗教的)な気分になることがあります。

30日には、2回目ですがグループ世話人会をやり、菅野、島田、高堂、平野、根本、尾崎、吉田の諸君が出てきてくれました、人集めというのはなかなか難しいことで、いざなんかやろうとした時に集合かければ、いい人が集まるなどということは、ありません、日頃の付き合いを大切にすることが、独立・自営業者の生きていく武器になるのです、大いに雑談をしましょう。

NPO・技術経営責任者協議会・通称JETOに大きな転換期が訪れました、NPOを支える事業会社を設立します、かいつまんで言うと、

   新事務所 ; 中央区日本橋堀留町1-5-7 Kビル3F(44.9坪)。
   野田先生の役: 野田先生は,会長兼理事長をお願いする。
   現大塚理事長は副理事長とする。
 新会社の設立:新会社名は「葛Z術経営機構」(愛称MTO)とする。
   設立は7/19(木)を目標とする。

と言う具合に急ピッチで進行中です。

NPO・地域と行政を支える技術フォーラム・通称技術フォーラムは、「技術監査人」という新しいコンセプトを世の中に打ち出すことになりました。
勿論我々が始めることですから、技術士と言う国家資格がベースにあってのデリバティーブです、中身に関しては、これから実際に仕事を通じて構築していきます、世の中にはこの名前に相応しい仕事をしている技術者が、本人は気がついていないけど、案外沢山居る、ということが、この提案の根底にあります。
私の「技術者の成れの果て論」のなかでも、重要な分野であると位置付けられます。

さて1日から11日まで、LAとバンクーバーに遊びに出かけます。

技術コンサルタントの世界 2007.06.25.
日曜日・24日午前中の散歩が終わってから、雨が降り始めた、一寸ラッキーな気分になる。
午後は久しぶりに定点観測地である、日本橋三越の地下食品売り場に出かけてみた、ビックリ、全面的に変わっていた、相変わらず、8-9割がた女性のお年寄りが多く、お供を従えて車椅子や酸素吸入をしながら、元気に買い物をしているバーちゃんを5組見ました、本当に凄いと思います。
私は、今東京は世界一の消費都市に変身中だと思います、4月に行ったスペインを帰ってから3回、東京で意図的に安いところと、たかい所のスペイン料理を食べてみました、日本のほうが全然うまいと言うのが、私の結論です、日本人だから当たり前か?

私は最近益々工場見学が好きになり、何にも優先して出かけます、今週20日に出かけた茅ヶ崎にあるアルバックという真空装置の世界的大企業の工場は、納期が一年以上と言う巨大なガラスの表面処理の機械が、沢山並んでいました、真空ポンプからスタートした歴史や、世界的なフラットパネルの技術の動向などが、一気に判るので、本当に工場見学は有難いです。
80歳の株の神様のQ先生も、株を買う時は工場見学をすると、本に書いていますが、その理屈は良くわかります、私は株はあまりやりませんが、技術屋は何事も「現場から発想する」癖がありますからね。

今週は18日のマイクロバブル勉強会では、80歳の先輩・本田尚士さんにハッパをかけられ、22日のJETO・理事長就任お願いに伺った80歳の野田一夫先生には、初対面でしたが、ビシッとNPOの運営について教えていただきました、私が「どうも技術者は事務屋に搾取されているような気がしているので、JETOの運動に参加したのです」と私の動機をお話したら、野田先生の父上は、著作のある三菱重工の航空機のエンジニアだったので、技術者の運動には非常に興味があると、言っていただきました、今後色々と教えていただけそうで、楽しみです。
23日の稲門関係者による、技術士会の畠山君の退任祝いにも、本田さんはライオンで日本酒を沢山飲んで、平然と帰って行きました、まったくスーパー・爺さん達には、かないませんね。

30日(土)3時ー飲み会、2ヶ月に一度の「グループ世話人会」を、田町でやります、これからグループ活動をやってみたい諸君も居たら、遠慮せず是非出席下さい。
私は7月1-11日に、妻とLAの息子の所と、バンクーバーに遊びに出かけます。

技術コンサルタントの世界 2007.06.20.
どうやら今年は「空梅雨」なのか、天候不順が当たり前になってきたのか、日の暮れるのが遅くなったことと、昼間は日差しが強くなったことは、夏の到来を教えてくれます。
工事現場や駐車場に、車に指図する「年寄り」がうろうろしていて邪魔でしょうがない、一体何時からこういう事態になったのか、役所が下らないことを決めたんだろう、社会的コストアップだろうに。

私の最近の目からウロコは、「貞子ちゃんの連れ連れ日記」のhttp://diary.jp.aol.com/uvsmfn2xc/837.html6月17日に、

一部貼り付けー

アメリカの二つの赤字は有名な話だ。アメリカには、巨大な国債発行残高(財政部門の赤字)と国際収支の赤字(特に私個人は、個人部門の赤字、言い換えたら、個人部門の貯蓄不足が謎だった)という二つの大きな赤字があるのに、なにゆえ、ここまで力強い経済成長が可能なのか・・・。
ドルが、巨大な軍事力と政治力と経済力に裏打ちされた「基軸通貨」だからだというだけの理由では、私はなかなか最後まで謎が解けなかったのだ。
その最後の謎を解く鍵が、アメリカの年金制度の中にこそ 存在していたのだ。
アメリカの平均的なサラリーパーソンは、かたや、銀行にはそれほど貯金をしていなかったけど、確定拠出という積み立て型の401Kという名の年金制度で自分のサラリーから「投資」をしながら、かたや、銀行からは、その年金を担保にして住宅ローンや教育ローンを借りていたのだ。
これでは、アメリカの貯蓄率が統計では限りなくゼロに近い数値を示すわけである。
アメリカ人が借金漬けであるという『神話』が日本で生まれるわけである。

しかしながら、私の知っている平均的なアメリカ人は、ほとんどの人が住宅ローンを組んで入るし、極めて簡素な生活をしていた。けれども、退職後もそこそこ優雅に暮していた。
私の知ってた平均的なアメリカ人は、401Kという年金制度の恩恵をめいっぱい受けていたのだ。
彼らは日本人から見たらかなりケチというか、簡素な生活をしていたけど(特に東部のアメリカ人は簡素だった)、決して借金漬けではなかった。食べ物と着ている物は粗末というか、シンプル過ぎだが、彼らの住宅だけは素晴らしいものがあった。
家具も大きいだけで細工は粗末だったが 見栄えだけはするものだった。

『古い経済学』で言う『アメリカ人の個人部門の貯蓄率の低さと借金の多さ』は、単純に統計上のカラクリによるものだった。(この単純な統計上のからくりに気が付いたのは、日本で私が一番最初じゃないかしら?)
平均的なアメリカのサラリーパーソンは、銀行に貯金はそれほどしていなかったけど、主として投資信託を通して、ダイレクトに債券や株式へ長期資産運用(投資)をしていたのだ。彼らは銀行には貯金が無かったけど、けっこう沢山ローンを背負っていたけど、目に見える不動産はおろか、株式や債券などで、ちゃっかり資産は保有していたのだ。投資していたのだ。

これこそがアメリカ人の個人部門における資産の本当の姿なのだろう。
アメリカ人は銀行に貯金はしていないが、401kという名の年金制度を通じて、国家ぐるみで、長期分散投資はしていたのだ。資産運用をしていたのだ。

アメリカ・ドルが向こう何十年後に世界最大の基軸通貨の座から降り始めて、ユーロや元がドルと同等の通貨の座に上り始めるかは、神のみぞ知ることだが、ドルの暴落などというものは、少なくとも、対日本円に関する限り、最低でも5年は起こりえないと私は思った。
ドルの覇権が中国元に取って替わられるのは、2025年ごろだろう。
アメリカ経済の力強さは、ユーロ圏経済の力強さに追いつかれ始めているが、まだまだ今後も当面続くだろう。

アメリカ発世界同時不況などというものは、当面起きないのだ。

以上、四点、円安の大潮流が止まらない理由を簡単に述べてみた。

今こそ、私たちは、今後ますます拡大再生産してゆくグローバル資本主義の『富が富を呼ぶ理論』にあやかりながら、慎重にリスクテイクしながらも、長期最適な世界分散の資産運用で、今こそ『マイ年金』をコツコツ積み立てましょう。
日本の年金制度などを当てにしてはいけない。
日本国や国の御用学者達やマスメディアのプロパガンダに もう騙されるな!
私たちは今すぐ自ら慎重にリスクテイクして、今すぐ自分の力で「マイ年金」を造りはじめないといけない。

貼り付け終わりー

この貞子ちゃんは、私の息子の世代の賢い主婦・サラリーウーマンで、勉強家です、私もここ数年来副島さんが、アメリカから恐慌が始まると言うような本を出した時から、違和感を持っており、普通のアメリカ人の生活態度が、バブル期の日本人とは、全然違うんだけどなあ、と考えていました。
私は最近年金を貰い始めて、有難いなあと感じていますが、息子の世代は、自分で積み立てる「マイ年金」に行くしか無いでしょう。

税金の季節です、消費税、法人税、地方税、健康保険税、介護保険税、源泉所得税、なんか看板張って生活している重税感を感じますが、反面よくまあ35年も税金払ってきたものだと言う、プライドもあるね。

技術コンサルタントの世界 2007.06.14.

今日は少し支離滅裂な話がしたい、先週末の8日頃から、グッドウィル・グループの折口雅博会長兼最高責任者(CEO)がTVに出ずっぱりになり、袋叩きになっている。

私はホリエモンや村上ファンドに代表される若い創業者達が嫌いじゃありません、我々の世代では、リクルートの江副浩正さんが代表的な企業家でしたね。

そもそも資本主義は 元来、軟弱になり始めたエスタブリッシュメント達が、上昇志向の強い元気な若者に、エスタブリッシュメントの資本の一部をほんのちょっと分け与えて、チャレンジさせてみる仕組みのことです。

そして、今のことろ人類は この資本主義よりも「良い」生産手段を編み出していないのです、なぜなら資本主義は、拡大再生産を追及するのが資本主義の仕組みですし、これなくして社会保険も福祉も原資を無くしてしまうからです。

私は、employer特に、創業者で沢山のemployeeに給料を払った人は「偉い人だ」と評価しています、私はself-employer自営業者ですから、自分の食い扶持は自分で稼いできました、それでもemployerにはかなわないと言う自覚があります。

私自身は 世間知らずのまま就職をして、製鉄の大工場で保全の仕事を一年位した頃、「employeeというのは奴隷なんだ」と言う考えに取り憑かれて、一年と3ヶ月で会社を辞めました。

その後実家の近所の町工場に就職して10年勤めましたが、ここの創業者一家は典型的な日本の中小企業主で、私は今でもこの一家の人たちをrespectしています、この会社は1973年の第一次石油ショックで潰れたので、私は独立・自営に踏み切り今日に到っています。

私は、昔PTAの会長を6年間やりましたが、演説を頼まれると「世の中で偉いのは月給を払う会社の社長なんだよ、役人なんて税金で食べさしてもらっているあんまり偉くない人なんです」と繰り返すものだから、近所に公務員住宅があったもので、有名になりました。

価値を生み出す人、稼ぐ人を大切に育てて、沢山税金を払ってもらわないと、日本国は成り立たないのだと言うことを子供たちに教えないと、付加価値をつけるのがエンジニアの本分なんだなどという当たり間のことも子供たちに教えないと、いけませんね。
最近、こういう大きな話をしなくなりました。

技術コンサルタントの世界 2007.06.08.

30回目のcea・技術士協同組合の決算・総会も(畏友・青葉尭君のお陰で)無事終わり、33回目の私の株式会社の決算もつつがなく税金を払って、登記所の仕事も、自転車で3回往復して指導を受け、罰金を払うことになりそうですが、なんとか終ったようで、ほっとしています。
私は独立した当時は、技術コンサルタントを目指すという意識はあまり無く、機械の設計や修理・改造、なんでもやろうと言う気分で株式会社を作りました、経過から言うと、3年くらい経ってみると、大方の収入がコンサルタント料になり、ハード関連はスポット仕事でたまにある程度になり、20年位前からは、株式会社でやる意味無いなあと思いつつ、今日に到っています,後輩諸君にはお勧めしません。
最近ご無沙汰していましたが、私の年少の師匠である副島隆彦さんの講演会http://www.soejima.to/cgi-bin/kouen/kouen.htmlが6月30日にあります、この日は1-3時にcea組合の世話人会がありますが、副島・講演会に行ってみたい人は、申し込んでおいて下さい、最近の副島さんの興味の赴く所は、インド・中国のようです、迫力ある面白い講演会になるとおもいます。
翌7月は1日ー11日まで、遊びでカナダのバンクーバーと、LAの息子の所に行きます、レンタカーで移動するかどうかで、3年前の横転事故を、根に持っている妻ともめていますが、私の楽しみの一つですからね。
7日には、内房線の八幡宿ところにある、三井造船の工場見学がありました、何十年ぶりかで巨大なLNG・タンカーの建造現場を、つぶさに見せてもらいました、2センチメートルしか厚さの無いつぎはぎだらけの溶接構造物が、巨大な15階建てのビル位のサイズで聳え立っていました。
韓国や中国が巨大な造船所を作って、追いかけてくるという世界的な競争に晒されている業界ですが、世界一の給料を払いつつ、まだまだ負けずに船を作っている現場は、感激的でした、なんたってこういう製造現場から世界が見えるんです。
稲門の機械科OB会(機友会)の企画で、学生も4人来ていましたが、こういう重高長大な産業にも就職して欲しいものです。
そういえば、この見学会の行きがけに、蘇我駅で内房線に乗り換えようと電車を待っていたら、千葉の農業部門の技術士・玉井さんが、私の乗る電車から降りてきて挨拶をされ、本当にビックリしました。
私の「エンジニアの成れの果て論」は、あちこちで話している内に、かなり洗錬されてきたらしく、大学の先生に学生の前で喋ってくれと言われています、私は学生よりは、30-40歳の一人前になったエンジニアの前で喋りたいね。

技術コンサルタントの世界 2007.06.04.

年度末で税金を払う季節です、私の個人会社も消費税を払い「増税感」をたっぷり味わっています、年金を貰い始めるので帳消しと言うことかな?
6月2日のcea・技術士協同組合の総会・パーティーには、30年前の創立の頃からの旧いメンバー、和田(初代理事長)、長友、黒澤、深野、坂本、仲佐、荻野、宮原、尾崎の諸君を含めて50人位の人達が、顔を出してくれました、今回始めてという人も10人位いたでしょう、新旧交代も順調に進んでいると見ていいでしょう。
独立・自営業者の団体活動の効用は、色々なグループ活動に参加することに尽きます、勿論自分がやりたいテーマ・ビジネスプランに協力者を求めることも、遊びの仲間を探すことも、ceaには30年の歴史・伝統があります。
一人前になった技術者・employeeの「成れの果て・第二の人生」は、大きく分けてemployer・技術経営者か、auditor・技術監査人か、consultant(self-employer)・技術士しかないだろう、と言うのが、私の最近の主張です,私はこの主張を裏付けるべく、総会出席の諸君に、原田敬美君http://www.cea.or.jp/efsca/と大塚政尚君http://www.cea.or.jp/を紹介しました。
こうした人生のグランド・デザインという大きな視点は、若い人は勿論、会社員を長いことやって定年まできた技術者どもは、案外考えてこなかったテーマらしく、評判が良い。
和田先輩を含めて、生き残ってこういう仲間内のパーティに出てくるシニア諸君は、人生のグランド・デザインを間違えなかった先輩達です、新人たちは、こういう先輩がたから、有形・無形のノウハウを吸収して、グループ活動に参加してください。
本田尚士先輩は、今年80歳になりますが、新橋に事務所を構えて現役の技術コンサルタントです、9月9日(日)1-3時には、早稲田のリーガロイヤルで「傘寿・80歳現役の本田尚士先輩に、励まされる会」をやることになりました。
この先輩は、典型的な提案型のエンジニアで、最近「マイクロ・バブルの応用研究」をやろうと提案し、私は人集めを頼まれています。
この先輩が、40年くらい昔に作った「日韓技術士会議」は、今新潟の中山輝也さんが委員長をしていて、毎年盛大なイベントを日韓・両国交互に開催していますが、世代交代が課題になっています。
世代交代のテーマは、他人事ではなく、私自身のテーマでもあるわけなんだけどね。
技術コンサルタントの世界 2007.05.28.
24日には、SMEの見学会で多摩にあるサムタクという回転計のメーカー・工場見学に参加しました、40年位前に私が射出成形機を設計していた頃に購入していた部品の会社で、小さな会社だったけど担当者の人柄と熱心さが印象的だったので、今でもその人の名前は忘れたけど、顔は思い出します。
そんな懐かしさもあって、見学してきました、巨大なクリーン・ルームの精密機械工場でした、数年まえに会社のオーナーが、世代交代時に、ドイツの測定器の世界的メーカーであるハイデンハインに株を売って引退したんだそうです。
立派な業績の会社が、世代交代時に「合従連衡」することは、良い話なんですね、証券市場での話は、経営者の勝ち負けのストーリーや悲喜劇に焦点が当たりすぎて、面白おかしいドラマを期待しがちですが、実際には建設的な経営者の世代交代と会社の売買(合併やカーブアウト)が、上場していない中小企業でもどんどん生まれているようです、我々のNPOであるJETO・技術経営責任者協議会では、上場・非上場を問わず、こういった会社の売買・経営経験者(出来れば製造業)を100人くらい掘り起こして、経験談を語ってもらうという企画を暖めています、情報あったら教えてください。

26日には、原田敬美君の2ヶ月に一度のNPO・技術フォーラム主催のシンポジウムがありました、「環境」というテーマです、日本は世界の中では環境対応を真面目にやってきた先進国ですから、よその国の実情を知ると、叱咤激励したくなったり、環境技術を輸出したくなったりします、それでも本屋で目次だけ見た、武田邦彦さんの問題の著書「リサイクルをしてはいけない」http://www.kankyoshimin.org/jp/library/takeda/index.htmlは、「技術士の論点」で取り上げて、シンポジウムのパネラーのコメントが聞きたいところです。
それから、この技術フォーラムの実際活動は「監査業務」に集中してきました、現在活動している10数人のメンバーには「技術監査人」という肩書きで仕事をしてもらうよう準備を開始しました、今年中には体制が出来るでしょう。

22日には、今話題の社会保険庁に出かけて、年金の申請をしてきました、いよいよ私も名実共に年金世代(70歳)に仲間入りです、まだ働いてはいるので、「顧客が一件増えた」と考えることにしています、この客には如何なるサービスを考えるか、これから考えるつもりです。

技術コンサルタントの世界 2007.05.22.
真っ青な青空と、22-3度のそよ風が吹いて、一年で一番散歩に適した季節です、これが案外短いのが玉に瑕で、17日にはビックサイトの見本市をテクテクあるいてから、ついでに歩いて銀座に行こうとしたら雨に降られました。

21日は午前中には「マイクロ・バブル研究会」の初会合・見学会が川崎の高津にあり11名出席しました、昼飯を多摩川対岸の桜新町あたりで食べて、電車が止まっていたので、腹ごなしに渋谷まで歩き(13500歩)千駄ヶ谷プールで泳いで、へとへとにくたびれて帰宅しました。
バブルを専門に研究している千葉工大の尾上教授によると、あるサイズ以下のバブルは、泡同士が合体しないし、流体としても原液とは違う性質を示すらしい、プラス・光、プラス・熱、プラス・ケミカルズ、プラス・核(粒子)物質、と複合させると色々面白そうだ。
6月から月例会をCIC会場でやることになるが、尾上先生の都合で月曜日になります、興味ある諸君はceaの予定表を見て、出席してください。

先行している「微粒子ゴミ研究会」は、上智大機械の清水教授を看板に、砥粒学会の分科会として始まりました、日刊工業から本を出す企画と同時進行しています、これも興味ある諸君は、予定表を見て、出席してください。

ここ10年くらいのところで、私が一番悔しい思いをしたのは、技術士がPEになったことであるが、なだいなだという精神医が、「ふり返る勇気」筑摩書房、という本に「広辞苑は、1955年の初版以来、始めは誤用だった用法を、半数以上の日本語
使用者が使うようになると、どんどん正式の意味として、認めてきた」と書いている、まあ一言で言えば「言霊」ということだろう、怖いねえ、「企業内技術士」などという社会的には架空の存在を認めたのが、負けた原因だ、ああ悔しい。

「渋滞学」西成活裕著、新潮選書、を読んでいます、車好きの私としては、渋滞という不思議な現象を、工学的に解釈しているこの本は、なかなか面白い、こういう分野も技術士に向いていると思うね。

技術コンサルタントの世界 2007.05.16.

12日には、今年から始まった「独立・自営」の希望者のためのセミナーがあり、技術士会報に広報したせいか14名の参加者があった、おおむね好評だったらしく、本年度の後半も11月3日には月例会である「新規開業支援の会の有料・拡大版」をやることになった。

先月の技術経営責任者協議会の「技術・経営者を目指す研修・セミナー」には、確か16名集まったから、技術士資格を取るような技術者のなかには、会社から巣立って経営者やコンサルタントへの可能性に、興味のある諸君が沢山いることが、良くわかった。
私は、冒頭の挨拶と、3グループに分かれて参加者のキャリヤプランをグループ・ディスカッションする、午後の2時間ぐらいのセッションに参加したが、なかなか熱の入った面白い議論が出来た。
一人前になってからの技術者の後半生の独立・自営の選択肢は、経営者、コンサルタント、技術監査人(オーディター)があるというのが、私の年来の主張である、そこで我々の強みは、主張だけでなく、それぞれの分野を具現化した人物・先輩の「後輩育成という強い意志」による、グループhttp://www.cea.or.jp/,http://www.cea.or.jp/efsca/,http://www.cea.or.jp/snpo/
等が実際に活動しているということである。

独立・自営というカテゴリーで最近興味ある分野は、独立・営業マン=セールスレップという商売である、複数の仕入先と契約して、顧客の開拓をするのだが、専門の分野を持ち独自のネットワークがあるという点では、我々技術コンサルタントとよく似た業務形態をとっている。
団塊世代の会社離れは、技術者ばかりではなく、勿論営業マンにも波及しているはずで、これからセールスレップを始めるシニアが出てくるだろう、機会があればこういう人たちを、我々の月例・「新規開業支援の会」に呼んで、交流しようと思う。
思い当たる人がいたら、教えてください。

今日(15日)は早稲田の理工総研で、小泉さんが愛読しているとベストセラーになった、「信長の棺」の著者・加藤廣さんの講演会を聞きにいきました、「エンジニアの皆さんに質問したい、最近の技術はITもロボットも、人間を必要としなくなる技術ばかりですが、人間の働く場所をどんどん減らして行っていいんですか?21世紀は20世紀の延長じゃまずいと思いませんか?」と聞かれました、誰も答えられなかったけど、あとの飲み会(私は出席できなかったので、出席した岡君にあとで聞いてみましょう)で議論できたかなあ?、「技術士の論点」になるかな?

年度の更新時期ということもあり、色んな会やネットワークの継続通知が沢山来ます、私は今年から思い切って少しずつ整理することにしました、自ら撒いたタネの会合がダブルブッキングするようじゃ、迷惑かけるもんね。

技術コンサルタントの世界。2007.05.11.
決算書類
決算書類の依頼の季節です、いつも連休明けには、この伝票作業があります、私は経営者向きで無いことは、骨身に沁みて判っています、苦手なんです。
私は、マイクロバブル研究会(本田尚士先輩の提案)や微粒子ゴミ研究会(大久保俊彦君・世話人)というようなプランを考えるほうが好きで、どうしてもそっちのほうに、頭が働いてしまいます。

このところバリ取り・洗浄・表面改質というテーマを考えているのですが、そのためにプロのセールス・レップの2人に会いました、吉清君は高校の後輩で事務系ですが、帝人でプラスチック製品の営業をやっていたので、顔が広くて、沢山の成型屋を知っていて頼りになります、もう1人は河北さんというプラスチック製品の表面処理関係の商社系で機械セールスの経験者とのこと、独立5年になるという事務系ですが、業界の状況に精通していて、技術の専門家と違う、冷静な観察・判断力を聞かせてもらい、感服しました。
技術士も会社員の時代に、営業の経験があると、独立・自営に無理なく移行できるようです、会社で内弁慶のくせに威張ってばかりいた人は、独立してからの人間関係に苦労するでしょう。
ceaの仲間内でも、向井君がシェブロンのナノ材料のレップをやっているし、私の弟の譲之はドイツの機械屋3社のレップをやっています、外国の会社や地方のメーカーが東京に営業マンを置くのは、金がかかるので、レップを欲しがるのは、当然といえば当然の話ですね。

最近気がついたのだけど、天気予報が良く当たりますね、将棋の天才羽生名人が、対談でコンピューターが将棋に強くなって、名人といい勝負をするようになった、と言っていました、その分、子供等が馬鹿になってきたような気がするのですが、コンピューターにお願いできない所は何か?ということを、ハッキリさせれば、新人類が誕生するんでしょう、多分その連中は「感のいい、いき過ぎるといわゆるシックスセンスとか、オーラ・霊が見えるというような、非論理的な奴等になる可能性があるね」

ウィークデイの午前中は、桜区にあるパブリックの体育館・プールに出かけるようにしています、新都心のスポーツクラブは混んで来たので辞めました、高校時代に戻って、私の本来の体育会系性格の生活を試みはじめて5年くらい経ちますが、皺は別にすれば、体重・シルエットは高校時代と同じになりました、仕事を辞めて映画を見たり図書館にでも入り浸れば、一番屈託の無かった高校生生活に戻れるので、悪くは無いと思うこのごろです。

「神殺しの日本」反時代的密語、梅原猛著、を読みました。
私は、この先生の反時代的という自己規定が好きです、私も1960年の安保改定の歳に大学を卒業したが、流行のマルクス・スターリン万歳の学生達と断固論戦したし、エンジニアがほとんど全部サラリーマンを志向した70年代初めに、独立・自営業者に転身した。
最近では、飯を食うためか・暇つぶしか知らないが、主として中国あたりに出かけて、技術指導とやらをしているシニアの風潮には反感を覚えている、明治維新のあとの誇り高い侍の「武士は食わねど高楊枝」を、思い知る時だろう。

技術コンサルタントの世界 2007.05.03.
 5月3日憲法記念日です、60年経ってようやく改正の機運に傾いてきました、最近どこかのネット内で「相場というのは、少数意見が多数意見に変化するまでの間を言う」と言うフレーズを見ましたが、私が学生の頃から考えてきた少数意見が、日本国民の多数意見になりかけています、この2、3年が日本の相場なんだ。

 今朝の朝日新聞に、21本の社説が掲載されていました、この新聞社の戦後史は心情的サヨク大衆の反戦気分を吸い上げている、リベラル紙の日本代表で私は長年取っていますが嫌いな新聞です、相変わらずもっともらしく書いていますが面白くない社説だ。

 さて技術士会では、役員の改正があるらしく、仲間内から情報が回ってきました、会の役員の仕事は、我々がやっている技術士協同組合のような「独立・自営業者としての、自分達の飯の種の開拓や、後輩の育成」というような判り易いことではなく、「技術士という資格者の社会的なステイタス向上」という難しい役割を背負っているのです、私はこれまでに何人もの先輩がたから、技術士会の役員に立候補しろとの意見を頂いてきましたが、私はなにしろ「独立・自営」業にしか興味のない「自己中オトコ」ですから、会の役員には最も相応しくない会員なのです。

 そこで今日は、私の技術士会に関する意見を書いて、役員候補者を推薦しておきます。

技術士会は、外部の識者から見ると、「合格者・会員の大半は、シビルのコンサルタント会社の社員か、大企業の技術者・OBで占められている」ということです、最近の談合・名義貸しの摘発の風潮を考えると、このところ続いているコンサルタント会社出身の会長さんは、針のムシロ状態で気の毒です。
私は、今回あたりの選挙から、技術士の各分野の代表も、縮小するシビル関連業界から、繁栄している機械・電気・化学・情報等の分野にシフトすべきではないかと思う。

 * 大先輩の長友先生が次の世代の候補者を、推薦しています。
「長友正治の後継者として、日本技術士会機械部門理事候補・杉山篤君に投票をお願いする」との連絡がありました。
 杉山篤(すぎやまあつし) 昭和18年生、清水市出身、中央大学(精密機械工学科)

卒業、建設省土木研究所、水資源開発公団等、技術士は建設部門・機械部門・総合技術監理部門

 * この人はIT・情報の人らしい、稲門の後輩だがご苦労さんなことです、私は本人も知らないし、立候補の趣旨など読む気は無いが、私・森田裕之が推薦します、技術士会では私は会員諸君に、あまり好かれているとは思えないので、この推薦がプラスかどうかは、神のみぞ知る、でしょう。
 
  社)日本技術士会近畿支部の北村友博と申します。
  私は、前期技術士会で副会長を仰せつかっておりました。
 次期役員選挙にも近畿支部から立候補しておりますが、非常に厳しい選挙となっております。
 もし、技術士稲門会で、北村友博をご支援頂けると非常に有難いです。
 立候補の趣旨を添付致しますので、ご検討を宜しくお願い申し上げます。

CEからPEになったお陰で、会社内での技術士の活用がやりやすくなったはずだから、昔から技術士を上手に利用していると評判の高い日立グループの諸君が、当面技術士会の運営に沢山ボランティアしてリーダーシップを発揮してくれないものかねえ、ceaの仲間にも日立出身は畑明さん以下何人もいるし、昨年の暮れに飯をご馳走してくれた現役の安藤さんなど多士済々でしょう。
日本の大企業が軒並み日立のように技術士を活用してくれたら、技術士会はいい意味で、一変すると思うね。

技術コンサルタントの世界 2007.04.30.
25日には、インターモールドという金型や関連機械の見本市があり、私の商売のネタ元が沢山あるので、有明のビックサイトを半日歩き回りました、12000歩位の散歩です。
日刊工業の武藤君には、会場で2回も会ってしまい、よほど縁があるねえと長い立ち話をしました、武藤君はSME(アメリカのsociety of manufacturing engineers)の世話人をしている顔の広い
本の編集者で、「金型工業会の会長さんが、中国の金型屋の状況を長い間着目して、訪問して観察してきたが、最近何処へ行っても、顔見知りの日本のシニア金型技術者が雇われている、あと数年で日本で出来る金型の9割は中国で作れるし、事実そうなるだろう、金型を作る工作機械も、進歩してベテランじゃなくても精密で立派な金型が出来るように工夫されているので、日本の型屋は高級・特殊化して経営をグローバル且つ縮小も視野に入れる覚悟がいる、淘汰の時代に突入した」という情報を教えてくれました。

26日の夕方には、大久保君と上智大学の清水先生の所にお邪魔して「微粒子ゴミ研究会」の打ち合わせをしました、日刊工業から本を出版することも並行して進めるという構想ですから、世話人の大久保君にはかなりの負担でしょうが、私より2廻りは若いのだから、やってくれるでしょう、ceaの関係者は着目して協力してください。
27日はJETO関係者の会合が霞ヶ関ビルのみすず監査法人の川田さんの所であり、そこから高堂、島田、平野、田吹、大塚の諸君と車2台(私と大塚君)で草津の大塚君の別宅・リゾートマンションに出かけました、現地で群馬から来た丸橋さん、田島、岸本、吉井君の4名が合流して、PH1.4の肌がつるつるになる(多分溶ける)風呂に入り、10名の宴会をやった後で、久しぶりに朝の3時半までマージャンをして、少々寝てから朝風呂に入り、キュウリとラッキョウのタマリ漬けのお土産を買って帰宅しました。

午後の3時からは、CICで稲門・技術士のステアリング委員会があり、10人位集まり雑談をしました、最近「世話役が出来る」人である岡君が幹事長になったお陰で、途端に活発な会合に変身して、面白くなってきました、最近読んだ中野翠さん流に言えば、「世の中は世話される人のほうが圧倒的の多い」ので、会合・グループを作るときの世話役選びが肝心なんです。

技術コンサルタントの世界 2007.04.25.
マドリッド、バルセロナで美術館巡りをしたお陰で、絵描きが坊さんをスポンサーに絵を描いていた時代から、王様・貴族・有力者に雇われて描いた時代を経て、画家自身が描きたい絵を描いて、市場で評価される現代へと移り変わった様子が、ハッキリ判ったような気がしてきた。
そこへいくと、板金やは、王様の兵隊に鎧を造り、食器を造り、自動車を作り、何時の時代にも職人として生きてきた、たくましいプロの職業と言える、ガラスやセラミック、繊維なんかの工芸品の職人の技は、古代から何も変わらず、私は好きです。
銀座の交恂社の近くに、最近スペイン料理の看板が出ていて、気になっていたので、昨日お昼に行って食べてきました、スペインで食べたより数段美味いような気がします、日本人向けにアレンジされているんですかね?

私もいよいよ「現役最長老世代に突入したのかな?」と実感しています、それは技術監査のグループを纏めるために、色んな他の世界の人たちや昔からの仲間に、相談しているのですが、昔組合を創ったときのような先輩だらけの根回しの日々・状況とは、うって変わってしまいました。
それでも、唯一守らなければならないのは「独立・自営の技術士の職域に属している」という定義であろうと、意見が一致している、それは「コンサルタント・エンジニアを技術士と翻訳した先輩方の意向をないがしろにして、企業内技術士などという言語矛盾を主張する連中を仲間に入れたお陰で、そっちの連中のほうが多数を占めて、独立・自営の連中の影が薄くなった今日の状況」を反省すれば、当然である。

先週、東京駅地下の古本屋で、「武蔵の古社」菱沼 勇著、有峰書店新社、と言う本を買いました、私は神社好きで、北方向の散歩先は「氷川神社」往復で15000歩、南方向は「調神社」(つきのみや)13000歩、東方向が「氷川女体神社」18000歩です。
関東の旧い地図によると、海辺や河の近くの高台に神社が作られているんだね、遺跡・古墳にも関係しているようです。
この古本は、最近宮司になることを決めた、大塚政尚君の息子にプレゼントすることにします、大塚家は群馬県大泉の古くからある神社の家系で、最近蔵から古文書が大量に発見されたそうです。

技術コンサルタントの世界 2007.04.18.
「この世には二種類の人間がいる」中野翠 著、文芸春秋、を読みました、傑作です、私は中野さんのエッセーが読みたいがために、毎週サンデー毎日を買っていますが、この本には参りました。
50の分類が描かれています、私はもともと他人にレッテルを貼って、その人を理解したような言い方をする人が嫌いで、類型化というのは、すなわち浅薄な見方と、馬鹿にするタイプの人間だと思っていたが、中野さんの筆力にはすっかり降参して、タモリ型とたけし型(ボスになりたい人と同志になりたい人)の比較や、俳句の人と和歌の人の分け方も面白いし、平井堅の歌の話が納得で、「私は井上陽水が好きだから俳句かな」と感じたこと、私は運転したい人で車は後ろに乗りたい人と二種類有るなとか、幹事が務まる人と務まらない人は組合の諸君も二種類だな、などなど思い当たることが沢山あって、大いに楽しみました。

17日には、近藤君企画の見学会があり、昔の住宅公団いまの都市再生機構ー都市住宅技術研究所がある北八王子に行ってきました。
昔学校でたての貧乏時代に憧れた住宅公団の歴史館が一番面白かった、青山の同恂会アパートも住宅公団の設計だったんだ、結構その時代時代では、トップの話題を提供していたんだね。
今の話題は、100年持つ家で構造は変わらないが、内装を変えて3世代くらいが住む家という構想らしい、不足してきた時代から成熟した人口減少時代の家については、未だハッキリしたイメージが定まっていないという印象です。
若い頃からあまり遠い未来のことは考えてこなかった私ですから、老い先の短い今となっては、100年先の日本とか世界に思いがはせられる建築家という人種には、敬意を表しておきます、今度の都知事選挙で判ったんだけど、案外優れた建築家という人種は、黒川紀章さんみたいに、突拍子も無い面白い人しかなれないのかもしれませんね、先週見たスペインのサクラダファミリアのガウディなんていう人も、多分もっと凄い変わり者だったと思います。

ある会合で、大先輩のTさんに「君は企業内技術士を敵視しているということだが、説明してくれ」と言われました、また昨日の見学会後の宴席で、最近まで会社員だったN君が「会社に居た時に、社長の許可を得て会社外で、技術士登録をしたうえで、仕事をして報酬を得ていました」と言う話を聞かせてくれました。
私は、「会社員のときは、会社の仕事に100%力を注ぐべきで、登録して技術士会などに出てきて、何事かを主張するなど、しゃらくさい、そんな奴達は私の敵であると同時に、日本社会の敵だ」と信じているのです。
最近、技術士はPEになったからといって、会社員・役人のまま登録してネットなどを利用して、徒党を組む動きがあることは承知しているが、私は賛成できない、仕事というのは、どんな小さな仕事でも「人生をかけて責任をとる」態度が必要で、会社という安全地帯を確保しつつアルバイト感覚で仕事をする奴の末路は、長い技術士会の付き合いで私が沢山見てきた例では、駄目ですね。

先週のどっかの酒席で、最近良く出てくる団塊世代の諸君に、「諸君は急に変人になることは出来ないだろう、だけど皆と同じ意見しか喋れない奴は、独立・自営に程遠い事を自覚したほうが良いよ」と話しました。

技術コンサルタントの世界 2007.04.11.
スペインのバルセロナに3日、マドリッドに3日、トレドに1日、見物に歩き回ってきました、地下鉄とバスで動いたのですが、万歩計によると15700、17700、14500、13900、12800、等のメモが残っています、成田からフランクフルト経由でバルセロナに着いたが、空港をうろうろしただけの日で11500歩も歩かねばなりません、歳とって足が悪くなったら、とてもヨーロッパ旅行は出来ないね。

*オリンピックで街が再生したんでしょうね、バルセロナはそれでもやはりガウディの街でした、サクラダファミリアの大聖堂は相変わらず工事中でしたし、グウェル公園は観光客で一杯ですが、警官がしっかり見張りをしてくれているからか、安全でのんびりした気分が横溢しており、面目は一新していました。
日本でも沢山居る、絵とかデザイン、造形・ヴィジュアル関係に興味のある人たちは、必ずスペインに出かけると言われていますね、世界最初の絵は、スペインのアルタミラ洞窟内に描かれていたそうだから、スペイン人は美術の民なんでしょう、今回は全部で6箇所の美術館を回って見たけど、ピカソのゲルニカなんて絵は実物を見ると本当に凄い絵だ。

*マドリッドは何故かオリンピックに立候補して落選したけど、街の改造は止まらなかったらしく、いたるところがトンネル工事中でした、景気はいいらしく不動産バブルの最中だと言う人もいました、それにしてもユウロは高いですね、スターバックのコーヒーが600円ですからビックリです、これじゃ日本からのヨーロッパ観光は減るでしょうね、それでも我々夫婦より一回りは若そうな、日本からの団体旅行らしき団塊世代の夫婦を沢山見かけました、見たとこ奥さんははつらつとしているけど、旦那はあまり元気が無いねえ、写真ばかり撮っていないで、自分の目玉でよく観察しろ、とどやしつけたい気分でした。

*今回初めてトレドというカトリックのローマに次ぐ大寺院を見てきましたが、キリスト教の強大な富と権力の集中した現物を、これでもかと見せつけられ、半分呆れましたが、マドリッドの王宮博物館の巨大な武具・甲冑のコレクションも驚きでした。
芸術家である絵描きも、武具・甲冑や食器作りの板金職人も、スポンサー・発注者は王様であり、坊さんだったわけです。
発注者に関係ない、芸術的衝動による自発的な絵や造形の始まりが近代芸術・ルネッサンスだったということが、現物を見ると良くわかりますね、ミロ、ピカソ、ガウディの独創性は凄いし、そういう天才を育てた環境も日本に欠けている国民性みたいな気がする。

*私はここ2-3年パンが好きになり、毎日食べているが、スペインでは珍しい菓子パンを色々食べてみました、コーヒーも美味いし、野菜・魚料理も沢山あって楽しみました、内臓料理を含む肉関係は、試みては見たけれど、私には合わないようです、コロッケとパエリアは日本のほうがずっと美味いと思います。

技術コンサルタントの世界 2007.04.01.

「年度末」
あらためての花見は無しの年度末でしたが、私個人の会社も、技術士協同組合も、例年のようにつつがなく年度末を迎えて、一安心です、NPOの技術フォーラムもJETOも、それぞれ2年経って年度末を向かえ、定款やカタログの改正を議論するほどの状況になり、順調な発展を遂げて、私は一息ついています。

昨年来何回か、技術士会の会合に出てみて、私なりに判ったことは、技術士会では独立・自営を志す人たちを育成するというような活動は出来ない、これは技術士資格がPEの日本語訳であると、5年位前に役所と技術士会で決めたときから、判っていた事だが、具体的にハッキリしてきました。

31日の3時から、組合関係の第一回のグループ世話人会を開催しました、そこで私は「我々の活動はあくまでも独立・自営の技術者の職域拡大を目指すもので、発展的には独立した技術経営者、技術監査人の分野も開拓したい」と出席者にお願いしました。

新しく特許ビジネスのグループを始めたい尾崎さんの話は、しばらく色んな会合で説明会を開いて、賛同者を募ることになる、高橋、坂本君が尾崎さんの件で出席しました、CICは会議室に恵まれていて、同時に二つの会合も可能らしい。

ホームページ情報と会議室の要である菅野君は、我々にとって情報のプロフェッショナル技術士に値するリーダーであることを確認した、世話人は菅野君の言うことを聞くように、出席した吉田、高堂、平野、島田、岡、の諸君は自分の会議について、読む人に様子が良くわかるような議事録を、菅野君に出してください。
欠席した近藤、根本、松井、大久保、石川の諸君は、機会を見て菅野君に、世話人会運営の原則をよく聞いて、納得してください。

私は妻と4月1日ー9日、スペインのマドリッド4泊、バルセロナ3泊の旅行をしてきます、街中のホテルをとったので、街を歩き回るのと、美術館を見てきます。

技術コンサルタントの世界 2007.03.26.
「水はなんにも知らないよ」左巻健男著、ディスカバー掲書001、を読みました、まん延するニセ科学をやっつけています。
こういう本を技術士仲間が書いたら良いと思うね、そういえば、日韓技術士委員会に名古屋から参加している、水道のMs・中西利美さんからは、何回も「水道の水が一番おいしいし、安全で身体にも良いと思いますよ」と教えてもらっていたが、浄水器をつけたり、ボトルの水しか飲まないなど、愚かなことをしている我が家です、まあ言い訳けだけど、水道の水が良くなったのは、ごく近年のことのようだね。

続けてシビル・インフラ関係者の有名人、竹村公太郎著「幸運な文明」PHP研究所を読んでいます、私が最近歩き回っている溜池・赤坂あたりや上野・浅草あたりの地形と治水インフラの話が面白くて、歴史の背景を支えた都市インフラを調べるなんていうのは、シニアの趣味としてなかなか良いものです。
私の住んでいる浦和なんてところは、温暖化で海面上昇したら、海辺になるようですが、それでも日本は国土の85%は残るというのが、竹村さんの計算です。

お彼岸の春分の日には、飲み会の三水会がありました、たまたま中年に差し掛かっている未婚の技術者が2人来ていたのがわかり、酒の肴になりました、本当の所は、真面目に会社で忙しく仕事ばっかりやっていると、婚期を失って、面倒になるんでしょうね、成熟した社会で生きていく人は、ワンパターンのモデルじゃなくて、いろんな生き方があるというのは、最近しみじみと「実感」しています、自分の3人の息子達を見ていても、皆全然違うものね。

第4土曜日3時から、田町のCICで定例的にやることになった、大学のOB会の役員会で、あらためて「先輩として、後輩のために何をしたらいいのか?」ということを、議論しました。
私は、後輩の「転職・独立に具体的に役に立つインフラの構築」を原点にすえることを、提案しました。
今のところ、早稲田の連中でスタートしましたが、他の大学OB会にも呼びかけて、イベントや情報を共有します、心当たりのある人は、声をかけてください。

技術コンサルタントの世界 2007.03.21.
3ヶ月に一度の目の検診に出かけました、私の左目は10年前に網膜はく離の手術をした上に、3年前に白内障の手術もしていて、レンズが入っているので1.5・裸眼で車の運転が出来る、右目は昔ながらの0.7の近眼だがパソコンを見るのにメガネ不要である、つまり私はメガネは作ってあるし、免許証には眼鏡使用になってはいるが、実際は必要ない、これは医者にも確認済みである。

JETO・技術経営責任者協議会の活動がいよいよ活発になってきて、面白い話が色々聞かれるようになってきました、理事長の大塚君が、最近かかわった、潰れた会社や危ない会社の話を色々とステアリング委員会で話してくれるので、私は是非それらの話をJETOの参加メンバーの集会で話してくれと頼んでいる、中小企業は社長次第だとは判っていたつもりだが、技術系の社長の話は、JETO参加者にとって他人事じゃないだろう。

「本の執筆」グループ・世話人の吉田君につれられて、菅野、大久保、島田の諸君と一緒に、日刊工業に出かけて編集者・鈴木さんと会合・酒席を共にしました。
日刊工業は会社としても、技術士と付き合うことは奨励?しているらしく、鈴木さんは技術士について、その実態も含めてよく知っている様子でした、私は技術士=CEで35年以上暮らしてきているので、技術士=PE会についての悪口は山ほど有り、聞いてくれる人が居てアルコールが入ると、止めどなくなってしまう悪癖があるが、鈴木さんにも聞いてもらいました。
内田君の「プラスチック周辺機器」の本に続いて、大久保君の「製造工程におけるー微粒子ゴミ」の本も纏まりそうになってきた、原田NPOの技術監査人の話、大塚NPOの技術経営責任者の話なんかも、是非本に纏めて世に問いたい、そのためには編集者・鈴木さんのような人との議論・交流が重要である。

安達真夫さんが亡くなった、82歳、今年になってから確か日韓技術士会の会合で酒を飲んだ記憶があります、男前のお洒落・ダンディな先輩で、ふさふさした銀髪のオールバックが良く似合う食品加工の専門家でした、合掌。

技術コンサルタントの世界 2007.03.15.
花粉症を薬無しでやり過ごしてやろうと色々試みています、幼い頃に泥んこ遊びをしなかった人が花粉症になると言う説がありますが、気に入った説で、私の幼い頃は満州で5人の使用人が居たエリート銀行員でしたからさもありなんです、弟どもは難民になってから戦後の貧乏生活に幼い頃を過ごしているので、たぶん花粉症なんかにならないことでしょう。

さて今日は独立・自営業者のグループ活動について書いておきます、グループ活動が嫌いだから独立したんだ、と言う人も、会社員でいたほうが情報が集まるんだ、などという人も、まあ聞いてください。
私は経験的に長い目で見て、グループ活動・参加は不可欠であると信じています、新人はとりあえず面白そうなグループに出席してみることです、人間には相性と言うものがあり、楽しくなさそうだったら、悪口なんか言わずにさっさとおさらばするのが、自営業者の礼儀と言うものです。
既存のグループが気に入らない人は、自前でグループを作ることをお勧めします、私は若い頃から既設のグループ活動は大方先輩が「威張る」のが気にくわず、自分で人集めをしてきました。
組合・ceaの会合も大分盛んになってきまして、毎週の土曜日がグループ活動の会合で満杯になってきました、そこで私は2ヶ月に一度ある第5土曜日の午後3時ー5時に、「グループ世話人」と、これから「自前のグループを作りたい人」の情報交換会を提案します。
3月31日に第一回の「世話人会」会合としてスタートします、世話人というのはなかなかしんどい役目ですが、結構いいこともあるのですよ、これから自前のテーマで世話人をやりたい人の参加を歓迎します。

私の経験では会社生活のグループ活動と全然違う面白さがあるし、情報も会社員より全然集まると言っておきます。

技術コンサルタントの世界 2007.03.08.
昨日本屋で、岸田秀さんの「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」という本を買って読み始めたが、岸田さんのこれまでの本の集大成のような本で、とてつもなく面白い、その内に本の回し読みグループに放出します。

さて今日は、私を取り巻く若干マクロな世界のこれからの話を書いておきます、20世紀末に発生・破裂したバブルの後遺症が何とか修復したと実感する今日この頃です、私自身はバブルに関係なかったし、仕事の面でもまったく影響を受けてきませんでした、私はもともと満州引揚者の常として、土地・物品が財産・資産であるよりも、むしろ敵であると言う思想を信じていたからでしょう。

これからの私の仮想敵は、「みんな一緒に仲良く楽しく」とイエ的環境に自己満足する大企業サラリーマン達、在来手法にしがみつく役所とその関係団体・下請け業者のサラリーマン達です、これらの諸君は同じ技術士資格を持ち、会に所属して和気藹々と飲食を共にして旅行したり仲良しではありますが、マクロに考えれば、彼等をまとめて討たないと、日本の将来は無い、そのくらい彼等は日本の将来の足を引っ張っている、と最近思うに到りました。

しからば、これからの我々の味方は誰か、私は仮想敵の役所・団体・会社を定年退職してくる諸君であると思います、これから数年大量に出てくるこれらの諸君の、在職中の組織の呪いを解いて、普通の市民としての良識・常識を取り戻してもらうことを援助したい。

人手不足が顕在化してきました、統計データは知りません、私の実感です、本当に必要な人が見つけられない、経営者に後継者が居ない、会社の肝心なポストに適材が見つからない、元気の良い技術コンサルタントは猛烈に忙しくなってきました。

技術コンサルタントの世界 2007.03.01.
エンジニアの独立・自営業者には、独立のためのインフラが無いんです、弁護士等の士商売や農業のような定型業務のある分野では、新規参入者のために、補助金・奨学金を用意したり、先輩が居候させて新人を育成したりしています。
エンジニアの場合個々人の専門性が強すぎて、マニュアルが作れないのがインフラの出来無い理由だと思います、ただ年期を経てくると、専門の周辺に仕事の領域を広げていき、あまり専門にこだわらないようになります、私のような古だぬきは「専門性は顧客先のエンジニアのほうが上」と言う前提で仕事を組み立てます。

さてインフラの話です、独立・自営を始めたい人は、なんとしてでも、現在実際に自営業を営んでいる先輩方と、付き合うことです、専門の近い先輩方に自分を覚えてもらうことが重要です、エンジニアの仕事は案件・プロジェクトによりますが、複数必要なことは常識ですね。
私は技術士仲間は「その専門性のお陰で、仕事では競合しない」と言うことに気がついて以来、長い事協同組合の活動に興味を持って支えてきましたが、ここ2-3年独立・自営に踏み切った若い諸君が急増しています、そしてこの連中はグループ活動の重要性を良く知っているのです、30年前の組合設立頃に匹敵する増え方じゃないでしょうか、歴史は繰り返すのか、世の中変わってきたのか、面白いことです。

妻と今年の旅行計画を議論しています、妻は絵描きなので美術館めぐりなどに引っ張ります、私は街歩きが趣味なので、駅の近くの小さいホテルを希望します、勿論我儘夫婦ですから、グループ旅行には参加しません。
そろそろレンタカー借りての旅行は、年齢限界が近いと自覚はしていますが、色んな外車に乗れるチャンスでもあり、楽しみなのです。
今年はもう一つ、自動車の月賦が完了します、もう一回車を変えるかどうか悩ましい所です、何年か前の計画では70歳で免許も返上して隠居生活に入り、息子にやるつもりだったのですが、あっという間にそのときが来ているのに、何にも変わっていません、明日のことは判らないと言うのは本当ですね。

技術コンサルタントの世界 2007.02.25.
今週は、後輩の湯川君(東芝機械のOB)の案内で山形にあるイハラ・サイエンスという高圧流体継ぎ手のメーカーの工場見学と温泉一泊に行って来ました。
この会社が凄いのは、数年前まで儲からなくて景気悪かった会社だったのですが、オウナー社長から従業員上がりの社長になってから、めきめき業績が上がり、今では140億の売り上げで20%の利益を上げている優良会社です。
中国にも行かず、それほどハイテクとも思えない製品ですが、経営者の腕の違いと言うのは、恐ろしく差が有るものなんですね、一緒に行った私の関係会社シュトルツの中村社長も勉強になったでしょう、シュトルツも倒産から5年経って、借金は返して10%の利益を挙げるように回復しました、開発部門を復活させてなにか面白いことをやらせてもらうつもりです。

24日(土)は朝からNPO技術フォーラムhttp://www.cea.or.jp/efsca/のシンポジウム、午後はCEAの会合が2つありました、それぞれ40人くらいと25人くらいの参加者があり、世話人の諸君も大変です、私も独立・自営のエンジニアの職域を広げるつもりの大きなテーマ技術監査人・engineering audit & evaluationを官民を問わず、どう育成・定着できる
か、大久保俊彦君の微粒子ゴミ・プロジェクトと同じように、現実に監査の仕事をしている各方面の諸君に集まって本を書いてもらう、NPO技術フォーラムで現在の役所・市場以外の普通の会社の監査と言う市場開拓の営業も開始する、等と言う事を提案しつつ参加者を集めています。

終わってからのワタミでの飲み会も定着してきました、半分酔っ払っての議論は活発になります、今回は産業技術活用センターhttp://www.cea.or.jp/snpo/の野尻君が出てきたので、私のメンター論(弟子が師匠を決める論)を一席ぶちました。
そろそろ独立しようと言う新顔参加者も一回酒席を共にすると、少々仲間気分になるらしく楽しそうです、先輩としてもナイーブな後輩諸君をからかうのは、気分がいいものです、でも私が始めて技術士会の会合に出た頃の諸先輩は、海軍中将の新井政太郎先生や、毎週調布の飛行場から飛行機で飛んでいた和田忠太先生など、凄く貫禄があったなあ、とてもかないません。

技術コンサルタントの世界 2007.02.18.
13日は「小・同窓会」でした、卒論の仲間(12名)とは、私が比較的にフリーな生活をしてきて連絡役をしてきたせいか、卒業後細々とした交流が続き、今でも年に2-3回銀座で飯を食うことになっている。
会社での働きすぎによる(奴隷生活の)過労死で、20台に1人、30台に1人、40台に1人死んでいる、ドイツに移住してしまった桜井君は、私がたまに送ってあげる読み古した週刊誌が日本からの唯一の情報だと、ぼやいているが、ドイツの年金は日本の半分しかないので、日本の友人達のような暢気な引退生活が出来ないと、元気に働いている。
今でも働いているのは、私と国際企業・GEでの監査・audit & review の仕事をしている三浦重孝君だけで、あとは優雅な年金老人である、おおむね上手に生活を切り替えて、楽しげな引退生活をやっている。
今のところまだ社会性をなくしていないので、話題が病気や孫の話ばかりではないが、健康維持に関しては、色々教えてもらうことがある、私がそのうち、ラスベガスかヨーロッパ(で級友桜井君に会う)への旅行を企画することになっているが、どうなることやら。

15日は妻に付き合って、青梅市の御岳駅まえにある割烹旅館の河鹿園が企画した、料亭で使い古した漆器・食器・掛け軸の類の即売会兼食事会に出かけました、考えてみれば素晴らしいビジネス・モデルで在庫を持たずに、常に新しい設備・道具立てを仕入れながら、その道の素人に料亭のプロの使った食器類を売ってしまうわけです。
4-50名の主としてかなり年配のご婦人たちが、先を争って入札している姿は壮観でした、我が家には10年来の河鹿園の食器は十二分にあるにもかかわらず、妻はお目当ての漆器に入札していました。

17日の午後、NPO/産業技術活用センターの新企画「メンターフォーラム」の説明が野尻昭夫君からありました、相変わらずアメリカのベンチャーを取り巻く状況から、日本にも必要じゃないかと言う発想です。
私が若い頃、自分の心の中でこの人が俺の師匠(メンター)だと思った人は、機械の設計者としての実際の指導者・上司だった辻田輝夫さん、独立・自営を始めた頃の技術士の先輩・和田忠太さん、柴田勉さん、本田尚士さん等です。
私は、弟子が師匠を選ぶので、その逆は無いと信じています、この件は最近副島隆彦さんと論争したので、私の中ではハッキリと結論が出ています。
野尻君は勉強家だから、アメリカの状況を良く調べて始めたほうがいいでしょう、事務局主役式の本末転倒な運動にならないよう期待しています。
日本でも現在、我々の周辺では、ベンチャー経験者・成功者の大塚政尚君と彼のNPOは明らかにベンチャーを目指す後輩の育成が目的だし、港区長経験者の原田敬美君のNPOは、技術監査・audit & reviewを目指す後輩の育成
を目的にしている運動です。

技術コンサルタントの世界 2007.02.11.
今週は、5日SME東京支部http://www.sme-tokyo.org/の総会がありました、日本では200人ほどの会員で主として工作機械関係者のクラブ式な運営になっていますが、アメリカでは60万人の会員がいる大組織です。
日本ではmanufacturing engineerと言うコンセプトがまとまっていませんね、実際の製造工場では管理職のステップアップに伴って専門職からmanufacturing engineerらしくなっていくのが日本の現場の常識で
はありますが、もともとのレッテルである機械、電気、化学と言うような学校で習った枠から、回りの人の見方も本人も抜け出す人は少数です。

この日は、昨年来デトロイトにある本部の人事を含めた大変動の話で持ちきりで、大スポンサーのフォードやGMが経営不振なので寄付金が減り、やり手と評判だった専務理事のMS.Nancy Burkeが辞めたということでした。
製造業のヘゲモニーがアメリカを去って日本に来たのかどうか、定かではありませんが、我々が3年前から始めたNPO・「技術経営責任者協議会」は、対象を製造業に特化しているので、技術経営者はmanufacturing engineerであることにな
ります。

8日は横浜・新子安にあるKDD OCEAN LINKという海底ケーブル敷設・修理船の見学をしました、4000KMのケーブルを積んで、最先端のGPSや海底敷設ロボット等を乗せた大きな船で、まこと「百聞は一見にしかず」でした、私は技術者の常として、こういう現場から通信の世界や国際関係の様子が一瞬の内に理解できると言うのが、見学会の醍醐味だと思います。

9日は、何十年かぶりに技術士会の機械部会に出席して、独立・自営の話をしてきました、部会は「悪げのない、暢気な大企業定年の爺さん達の溜まり場」になっていました、「生涯教育という中身を、プロフェッショナルと言う領域から、拡大解釈をして、人間としてとか年寄りとしての生き甲斐というようなテーマを推進しているようです」、PEの会になったのですから良いと思います、そのかわり、若くして独立しようとか、定年後もプロフェッショナルとして社会の役に立とうと考えている諸君は、技術士会の部会に出かけても時間の無駄でしょう。
一つだけ収穫は、技術士がPEになったと言うことは、日本ではコンサルティングエンジニアと言う言葉が、役所の技術的な仕事の下請け業者である、土建業などシビル関連の設計・計測・施工管理の技術者に独占されてきたことに対する、通常の大会社OB諸君の反乱であったとも考えられる。
日本のGNPの比率から考えても、シビル技術者の比率はせいぜい2-3割でしょう、技術士会はPEになったのだから、人数的には将来数十万人の大勢力になることが、予想されます。
私は、独立・自営の技術者にしか興味はないけど、これまでのコンサルと称するシビル分野の技術士の相対的な縮小は、歓迎したい。

技術コンサルタントの世界 2007.02.05.

31日に所用で富山に行ってきました、地元に就職した甥の結婚式以来だから5年ぶりくらいかな、駅の周辺はあまり元気の無い印象でした、新幹線の工事が進行中で駅は拡張中ですが、宮崎県知事の意外性の話も含めて、地方の時代は終わったんだと、改めて思いました。
さて私は週末は全て組合を含めて団体奉仕活動に捧げているので、最近猛烈に忙しいのです、技術士仲間も大体似たようなことを考えているので、スケジュールが奪い合いになってきました、活動が多岐にわたって活発になりつつあるともいえます。

「法令遵守」が日本を滅ぼす、郷原信郎、新潮新書。
この本は面白い、私は独立した当時に、田中角栄の列島改造論が出版され、シビル関係の技術士仲間の事業の盛衰をこの目で見てきました、法律と言う建前があることと、その解釈が時代によってどんどん変わると言う事実が面白いんだ、一言で言うと「お金の流れ」によるんです。
国の財政が危機的に厳しくなって地方にお金が流せなくなった、そのために知事が3人も検挙される、会社の談合を本気で摘発する、会社の「法令順守」を厳しく監視するための内部監査を強化する=会社の負担が増える、と言う構図なんです。
私はもともとエンジニアですから、監査なるものにまったく興味がなかったが、最近原田敬美君のNPO・行政を支える技術フォーラムが、数箇所の地方自治体から監査の仕事を受けて実行しているプロセスをじっくり観察出来たので、技術監査なるものの意味が理解できました。
私の独断・偏見では、「内部監査などと言う言葉は、言語矛盾です」、世の中の人はこれを、難しい言葉で言うと「利益相反」と見て「会社の内部の人は監査できない」と信じています。 
会社の人間は「専門的な知識が無い、外部の人間には会社の内部の監査は出来ない」という前提で、内部監査と言う言葉を造語したようですが、私はコスト面から言っても近い将来に、会社や役所は案件・プロジェクトについて「専門的知識のある外部の監査グループ」に監査を依頼するだろう。
この動きは未だ本格的な流れになっていないが、私の仲間たちの中で、当人が自覚して(監査人として)仕事しているかどうかは、別にして、いわゆる監査がらみの仕事をしている人が、案外沢山いることに驚いています。

さて30年間続けている、月例第一土曜日の独立・自営を支援する会に顔を出してみると、新顔が4名出席していました、バリバリ現役の会社員から定年者まで、様子を見に来る諸君とは言え増えたものである、元気のいい面白い奴が沢山独立・自営に踏みきらんものかねえ。

技術コンサルタントの世界 2007.01.29.

あっという間に一月も過ぎていく、歳をとると時間が加速すると言うのは本当です、私を取り巻く世間も何時ものように動きはじめました。

昨晩は、技術士会の生涯教育部会で講演された、藤森かよこ先生、独立編集者の小暮君と銀座の交恂社で晩飯を食べながらお喋りをしました、藤森さんは大学の英米文学の先生で、アイン・ランドの「水源」http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/information/xfountain.htmの翻訳者です。
藤森さんは、交恂社という福沢諭吉が126年前に作ったクラブに興味を示して、喜んでいました。
藤森さんとは、私をリバタリアン技術者と定義付けしてくれた、副島隆彦さんを介して知り合いました、「水源」は映画少年だった私が中学生の頃見た映画「摩天楼」の原作ですから、先入観があったのですが、通読して判ることは、何故アメリカ人は私と同様に骨がらみ「独立・自営」が好きなのか、アメリカ人の10人に一人は読んでいるという国民文学ですから、ほんとのアメリカ人を知る上には必読の書です。

私は30歳代に、独立・自営の先輩に推薦されて社員(交詢社では会員のことを社員と称している)になりました、その先輩によると、顧客会うときに利用しなさいと教えられました、当時はなんか年寄りくさい古臭い所だなと思っていたのですが、最近は建て替えたこともあり、こちらが年寄りになったこともあり、しっくりとなじんできた感があります。

藤森さんからは、西欧のキリスト教系統の学校・OB会や在家のクラブ・ロッジ、ひいては秘密結社の底力の話を聞きました。
最近では映画のダ・ヴィンチ・コードhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89にカトリック信者で在家の秘密結社の活動が描かれていました。

妻の友人の湯崎芙沙子さんはイタリア在住の著名なアニメ作家ですが、女子美術大を卒業後カトリックの教会の援助を受けてイタリアに住み付き、現在は粘土を使ったアニメーションの作品を多数NHKなどのTV局に提供している、世界で活躍する日本人というNHKの番組にたびたび登場するので、知っている人もいるでしょう。

技術・監査人の件は、私の周辺の諸君に理解が行き届いてきた気がします、現に仕事として「体現」している先輩が何人か見つかったわけですから、「言語化」する「定義付ける」と論理を構築することで技術者の職域拡大テーマとして、半年くらいの間に実現したいと思います。
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森田裕之さま:

昨日は、楽しい時間とおいしいお食事をありがとうございました。交詢社体験は、貴重なものでした。ああいう世界が日本にもあるのですね!
日本技術士会というのは、かなりのエリート、プロ集団ですね。4つの講演を、みなさん集中して私語もなく聴いて、質問もまともで的確で。
南大阪で、すぐに私語に居眠りの学生や、市民講座みたいなところに来る暇つぶしの市民(?)に慣れた私にとっては、「世間はひろいのだから、なめてはいけないな」と、あらためて思った昨日でした。
副島先生に関するお話も面白かったです。これからも、副島先生にいただいたご縁を大事にしたいです。副島先生には近づきませんが・・・ははは。
ありがとうございました!

藤森かよこ

技術コンサルタントの世界 2007.01.22.

我々の組合・ceaのメンバーが、独立・自営の技術者の「職域拡大」を目論んで、ここ数年色んなグループ活動をしたお陰だが、沢山の新人が様子を見に参加するようになってきた、07年問題と言う時代背景もあるのだろう。
改めてそういう諸君に判って欲しいのは、我々は戦後の復興期からの独立・自営の技術者達の伝統を引き継いで、後進の独立・自営の技術者を育成すると言う役割を自覚している「先輩」である。

巷間、07年以降に大量に企業から出てくると思われる、団塊世代の人たちをターゲットにした商売人が仕掛けをしていると言われているが、私は本気で心配している、それは長年会社員をしてきた諸君は、あまりにも幼稚で世の中を知らない,我々は独立・自営の技術コンサルタントグループの職能集団としての利益の追求や、後進の育成を目的としていることを忘れないで欲しい。

私は商売人ではないし、様子を見に来る新人から搾取するつもりもない、先輩顔をして意地悪したり、えばったり、馬鹿にする気も無い、先輩から引き継いでいる独立・自営の技術コンサルタント業者のグループとして、出来の良い後輩にはぜひ頑張って跡継ぎをしてもらいたいと願っている。

技術者には専門領域という生命線から離れられない宿命があり、「職域拡大」というテーマはこれまでは「個人の才覚」に委ねられてきたが、組合・ceaとしては最近卓越したグループのリーダーを得て、「技術者から技術・経営者」の方向、「技術者から技術・監査」の方向に「職域拡大」をはかるグループが出来たことは画期的なことである。

さて最近は土曜日はほぼすべて組合・cea関連の会合になってしまった、その上同じ会場で2つの打ち合わせがあったり、あとの飲み会が22名になったこともおきている、嬉しい反面いささか困っているのが正直なところだ。

技術コンサルタントの世界 2007.01.14.

「お正月の読書」
積んでおいた本がおおむねかたずけました、しっかり読み終わった本は、下記の2冊です、あとは「つまみ読み」をして、海外の友人に送ってかたずけました。
私はもともと好きではなかったが、今更、金儲けや成功話、各種の人生論やハウツー物の本には興味が無いが、ただ唯一近未来予測と言う,リスクあるテーマを書き続けて,生き残っている日下公人さん、長谷川慶太郎さんの本は出たら買います。
この2人の日本の未来展望は明るいですね、私は賛成です。

正月に読んだ一番面白かった本は、「東京タワー、オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー著、扶桑社、でした。
男は、私も、皆マザコンですが、ここには究極の愛のストーリーが延々と語られて、最近になく、はなはだ気分が良かった。

自営業の栄光と悲惨さが、伏線に描写されていて、身につまされたのも、収穫だった。

図書館で借りた「人間について」日高敏隆・篠田節子著、産経新聞社、往復エッセイで「十台の君たちへ」という副題がついている、この本は感激した、「人間は大昔から100人くらいで暮らしてきた」というような知恵のある言葉は凄い、実感として私は協同組合の世話役を30年やっているが、このところずうっと100人-150人くらいの諸君と付き合っている、このくらいが顔や人柄がわかる限界の感がある。
「人間は行動が先で、ロジックは後である」というのも説得力ある言葉だ、私はこれまで自覚的に、如何なる局面も直感で決めて行動し、理屈付けは後からしてきた、後悔はしない、恥知らずタイプの人間だ。

「色の概念がなければ、赤も見えない」これも凄いね、独立・自営の仕事・概念も私の場合は、言葉で定義付けしている、例えば私は「コンサルタントは指導しない、指導者ではない」と決めている、私はコンサルタントは指導者に相談されたり、提案する仕事と定義している。技術者の職域は、しっかりとした定義付けが必要らしいことが、最近気がついた、大塚政尚理事長の技術経営責任者協議会・JETOは経理・会計を勉強した技術者が経営者になることを推進するグループだし、これから法律や国際規格を勉強した技術者には技術監査audit& reviewの専門家としての道があることを定義付けて、原田敬美理事長の技術フォーラム・グループとして推進しようと思っている。

技術士協同組合・ceaは、これらの職域開拓に人材をどんどん供給する役目を担っている。 「生きることは試行錯誤の連続だ」これも実感がこもっている、私なんか70歳にして然りと言える、家族との関係、仕事での人間関係、仲間・友人との関係、私は基本的に「やりすぎる・なんでも過剰タイプ」であり、いつも試行錯誤をしている。

技術コンサルタントの世界 2007.01.09.

今年、年賀状を300枚近く、これまでの倍くらいいただきました、不思議な現象です。

今世紀に入ってからは、理由は忘れましたが自分から出すことをやめて、頂いた方に返事を出すというやり方で来ています、段々減ってきていたつもりが、倍増したのですからビックリです。
必死に顔を思い出しながら、短いコメントを書くのに2日かかりました、これが案外老いぼれた脳みそを活性化する楽しい作業だと気がつき、楽しみました。

私の散歩の範囲内に、1日は芝川沿いの北に8000歩の氷川神社、2日は南10000歩の氷川女体神社、3日は東南6000歩の調(つきのみや)神社に出かけたが、それぞれ超満員で参詣に列が出来ていたので、3が日の参詣を諦めました。
そのかわり、5日に私が勝手に技術士の神様候補にしている神川(かんながわ)沿いにある、武蔵二宮の「金さな神社」・「金さな大師」をお参りしてきました。

積んでおいた本もおおむねかたずきました、最近は先輩方とは年末年始に長電話でコミュニケーションをすることにしてますが、これが案外貯まっていた懸案がかたずいたような気がしてすっきりします。

今年の私の課題は、「独立・自営の技術者の職域の拡大」で、世の中には面白い分野を開拓してウハウハやっている技術者出身の人が案外沢山いることに気がついたからです、こういう人にスポットを当てて、仲間を増やしていくのに私の役割があるんじゃないかと、この正月に考えました。

技術コンサルタントの世界 2007.01.01.

あけましておめでとうございます。
30日の餅つきはお陰で無事にすみました、親戚、私と妻の友人達、次男、3男の友人達、数えてみたら70数名の大パーティーでした、20KGのもち米は7割がたは食べてしまい、酒12本、泡盛2本、ビール5ケース、ワイン4本を飲みました。
私は9時ごろ最初のひと臼は搗きましたが、後は酒を飲み始め、延々と食べては飲み、5時ごろは餅つきが終わり皆が帰ったあと、飲み潰れていた堀内君、近所の安田君、山形から中村さんが到着したので又飲み始め、夜の9時ごろようやく誰もいなくなったので、さすがの私もコタツで着替えもせずに爆睡でした。
大晦日は午前中は呆然としていましたが、風呂に入り、気を取り直して妻の買い物に付き合い、歳末のデパ地下の活気を楽しみました、理由も無く「日本は大丈夫」という気分です。

さて今年はどんな歳になるんでしょうね、私は楽観的です、去年の7月に独立・自営の先達の1人、伯野慶三先輩が111歳で亡くなられたと技術士会報に出ていました、私は30年以上前に2度ほどORのお話を聞いています、私が独立・自営はかっこいいなあと憧れた先輩の1人です、細々と続いてきた技術士の独立・自営の系譜は、ここ2-3年に私よりも1-2周り若い世代の人が急に増えてきました、我が家の餅つきとよく似ています、私が最初だけかっこよくついて見せると、若い人はすぐ上手にやるようになります、なかに何人かは熱狂的に餅つきが好きになって、毎年来てくれる若い人が増えています、大袈裟かもしれませんが「伝統の力」と言うものですね。

技術コンサルタントの世界。 2006.12.26

皆さん森田裕之です、今週(25日)から正月休みです、先週の土曜日には昼飯は生産者が泣いている牡蠣フライ、晩飯は牡蠣鍋を食べて胃袋を試してみましたが、事も無く元気に休みを迎えています。
問い合わせもあったようなので、お知らせしますが、30日(土)の餅つきは、例年どうりに行ないますので、皆さんいらしてください。
私が独立する少し前で長男が幼稚園生の頃だから、1970年頃から続けています、一度だけ悪天候で中止した以外は、例年30日は不思議に良い天気に恵まれた餅つきでした、たくさんの人が来てくれるので、あまりお客さん扱いは出来ませんが、ご遠慮なく飲んで食べていってください。

あまり反省好きじゃないので今年楽しかったのは、7月に3男三朗がハワイで結婚式を挙げたこと、2回目でしたが9月に中村さん(シュトルツ社長)にヴェトナムに連れて行ってもらったのが楽しく印象的でした、日韓の技術士会議が11月に沖縄であり、初めてだったのでレンタカーで一回りしてみましたが、知らなかった素晴らしい日本がたくさんあって、楽しみました。

大きく日本のことを考えてみると、2007年はグローバル競争に負けた企業城下町の崩壊と、税金事業の縮小による地方のビジネス格差は、役人や会社員の雇用流動化待ったなしの時代に突入でしょう。
技術士協同組合の諸君が中心になって作った、技術・経営関係のNPO(大塚政尚理事長)と、技術・監査関係のNPO(原田敬美理事長)が2年を経て基礎固めが出来て、それぞれ大発展の様相を呈してきました、これから独立・自営を考える諸君にとって本当に頼りになるグループが出来つつあり、私の長年の夢がもう少しで実現しそうです。