シニアのコラム


2006年12月までの記録



シニアのコラム・コーナー 2010.07.19.森田裕之 / Yuji Morita

我が家の次男がようやく結婚して、17日に銀座・交恂社で、親族の紹介パーティをやり、ホッとしています。

長男は早くから結婚してアメリカに移民しているし、3男は学生の頃から、チャリンコ宅急便で職場結婚をして、目黒に住んでいます。

次男は、COGと言う、写真のフリーマガジンを、アメリカの友人達と作って、3ヶ月に一回ぐらい発行していて、自転車屋に買ってもらっているが、飯が食える仕事になっているとは思えないので、とても嫁さんなんか来るとは思えなかったのですが、世の中は広いんだねえ。

先週、我が家に「パン焼き機」が来ました、2年と一ヶ月、欠かさず朝は「クラブハウスサンドウィッチ」を作って食べています、今後はそのパンも自家製になります、「パンの出来立て・焼きたては美味い」ねえ、ご飯の炊きたても美味いことは、何十年も前から知っていたけど、パンは始めての経験なので、感激です。

閑話休題、とある事件(会員内にヤリトリ)から、first refusal と言うフレーズを思い出した。

ネガティーヴな話では、不祥事を起した当人が居るのに関わらず、組織のトップを捕まえて、ぺこぺこ謝らせる、ある種のマスコミ・人民裁判は、おかしいと思うのが常識だろう。

今回は、良い話で、役所から会が表賞されたということで、会長が実際の活動グループに相談も無く、表彰式に出て,受賞してきたと言う話である。

言葉があるくらいだから、多分世界の常識なんだろうと思うのは、会長がグループ活動のリーダーに相談して、出席を要請したか?という一点である、優れた倫理の問題なんだね。

英語に強い人に教えてもらいたいが、反対語はlast refusalで、会長は善悪すべからく責任者が逃げ出しても、倫理上逃げられないのです。
シニアの論点 2010.07.12.森田裕之 / Yuji Morita

吉田世話人の論点で、久しぶりに畑さんの話を聞いて、ホッとしている所です。

畑さんとは、同年輩で青年技術士懇談会や、和田塾で共に独立・自営に夢と希望を共にした、いわば戦友に近い。

今では数少なくなった、組合の創立メンバーでもあり、勉強家で現場の見学好きで良くあちこちの見学会でエールの交換をしています。

若い頃一緒に、先輩宅訪問プロジェクトとしょうして、先輩の自宅訪問を沢山やりました、今の新人にも勧めたい、勉強法だと思います。
シニアのコラム 2010.06.15.森田裕之 / Yuji Morita


技術コンサルタントの仕事は「顧客との信頼関係から生まれる」と言う大原則がある。

信頼関係に至る経緯は千差万別です、技術者ですから、専門家・エキスパートの力量からの入り口が多いでしょうね。

私が今お付き合いしている会社とは、最初から技術コンサルタントとしての出会いではなかったケースが多い。

私は機械屋ですから、設計・試作・メンテナンス・市場開拓というようなエキスパートの仕事から、お付き合いが始まるが、しばらくすると「何か提案したくなり、余計なことを言いたくなる」のが私の癖なんです。

昔から、会社も個人も長く付き合っていけるかどうかの判断を、なるべく初対面で決めることにしているので、最初が肝心だと決めている。

世の中の常識にとらわれずに、自分で勝手に決められるのが、独立・自営業の醍醐味なんです。

シニアのコラム 2010 05.16. 森田裕之 / Yuji Morita

たて続けに、90,95歳の元気な先輩である、長友、高嶋さんにお会いして、いささかその毒気に当てられて、まだまだ俺なんか年寄りぶってはいけない、と言う気分と、とてもじゃないけど俺はあんなに長生きする訳きゃ無いな、と言う気分が交錯して、目まいがしました。

特に共通点を考えたわけでもないのですが、身体の動作が軽快ですね、好奇心が強いらしく、見学会や先端技術の講演会などで、よくお見かけします。

高嶋さんはシベリアで覚えたという俳句が趣味で、歴史探訪の旅行先での俳句集まで出版している、私が去年山口地方にドライブした時に、偶然見つけた香月泰男というシベリア抑留帰りの画家の美術館で買ってきた絵葉書を送ってあげたら、シベリア時代からよく知る友人だよ、同じ厨房係だったと言うことであった。

長友さんが生まれて育った満州の大連は、私の弟が生まれた町で、私は日の丸幼稚園と言う、日本人だけの地域で、お坊ちゃま生活をしていた。
長友さんは大連工大をでて、飛行機製造に関わっていたと、先日教えてもらった。

我々の親の世代の年寄りは、戦争経験者だから、生き残っている人は、なにか我々世代と違う背骨・骨格のしっかりした感じが横溢しているね。
シニアのコラム 2010 04.01. 森田裕之 / Yuji Morita

シニアを意識して何年か過ぎたが、半分は頭、半分は身体の老化が気になっている。

動作が我ながらオジンくさいのは、歳をとると「じっとしていると、各関節にコワバリが発生して、素早く動き始められない」ことが判った、老人の動作がドンくさいのは、血液・潤滑液の流れが悪くなるからだと思う。

2KMの水泳とか、10KMの散歩なんていうのは、ここ10数年全然変わりが無い、これは継続は力だなあと、我ながら感心している、気分はくたびれていないが、妻によると「寝つきがいい」と言われるが、身体はへとへとなのかも知れない。

頭に関しては、読書力が衰えて、一冊の本を読みとうす力が半減している、習慣で昔のように本を沢山積んどくのが楽しみだったが、最近は最初から最後まで読んだ本は、あまり記憶に無い、老化したねえ。

自ら招いたことではあるが、研究会の会合が多い、会合が仕事になってきたような気がする、必ず出席者をメモすることにしている、会合の内容を出席者の顔ぶれによって記憶することにしている。
最近予期してはいたが、研究会が3-4個活動始めると、境界・周辺のテーマが加速度的に増えてくるような気がしてきた、後輩諸君が世話人をやってくれると、私のような気の多い・ボケ初めタイプの先輩は、助かるんです。

シニアのコラム 2010.02.24. 森田裕之 / Yuji Morita
2月22日、私の最初の勤め先、1960-61年7月まで、の川崎製鉄の同期入社だった、伊庭・狩野・田宮君と銀座・交恂社で会い、昼飯をはさんで3ー4時間、歓談をしました。
伊庭君が定年後に行ったりきたりしていたニュージーランドの住まいを引き払って、帰国したということで、積もる話を聞きました。
彼が出て行った10年位前は、物価が三分の一で円の使いでがあり、豊かな気分で生活できたが、今では日本とあまり変わりの無い状況だそうです、為替のレートという予想しがたい問題もあるんでしょう。
我々は、後期高齢者寸前と言う年齢ですから、ヤッパリ日本で老後を暮らすと言うのが、10年前には元気の良かった年寄りの本音と言うもんでしょう。
狩野君は色々考えた末に、先生について絵を習い始めて、このところ先生のガイドつきの「お絵かき旅行」に情熱を燃やしているとのことでした。
田宮君は数学が趣味で、千葉大に生徒として先生として兼用の数学研究者というか教育者に成っていました。
私にはあまり実感が湧かないのですが、年寄りは何もしないことに耐え難く、死ぬほど退屈なのです、「人生は暇つぶしである」と、どこかの賢人が喝破していましたが、本当だと思います。
会社を辞めて10年以上経つと、あまり会社の話をしなくなり、毒気も抜けて普通の老人になり、付き合ってもいいかな、と考えています。

シニアのコラム 2010.02.16. 森田裕之 / Yuji Morita

「年下の友人・仲間へのお願い」

私が40年間、独立・自営の技術コンサルタントとして、一人で仕事をしてきたからといって、グループ・団体活動が嫌い・苦手と言うわけではないと、自負している。

60年に大学を出てから、62年ー72年には、松田製作所という中小機械メーカーに勤めていたが、入ったときには3人しか居なかった設計・技術部員を、72年の会社が潰れた時には、40名に増やして部長をやっていたし、サッカー部を作って部長をやっていたし、会社で6組みの仲人も経験している。

私は確か70歳になったときに、cea関連に10個の研究会を作ったら引退しようと、自分に縛りをかけました、私は新し物好きで技術者としても、出来れば先例のないモノの開発なんていうのが、好きですし、グループ作りも、先の判らない、人の集まりそうもないテーマを追求しつつ、工夫するのがすきなのです。

ところで、研究会は微粒子問題には大久保君、ナノマイクロバブルには佐々木君、大気圧プラズマには山本君という出来の良い世話人がやってくれたお陰で、私は役立たずになりつつあります、ただこの3つの研究会のderivative(派生してきた)的な、循環水研究会(機械洗浄・クーラント、空調、塗装等)や、イヤシロチを科学する研究会なんていうのが出てきました、両方とも技術士で言うと、全部門に関係あると言ってもいいほど、スケールの大きなテーマです。
予備的な会合をニューシビルの会やサバイバル研究会で始めたのですが、20名を超える参加者があり、私も実は驚いているのです。

循環水のテーマには、金川君、佐々木君、掛川君、藤田君が参加・協力を表明しています。

イヤシロチを科学するテーマは、これまではシビルの根本君、岡君、高堂君が自分の業界の話だと、話題を追っていましたが、JALの大坪君、電気の高木君、脳科学者の高木JR、の参加によって一気に面白くなってきました。
菅野君、吉田君、島田君など既存のグループ世話人諸君も、遠慮なく参加してください。

先行する3つの研究会は、大学・産学連携・メーカー・ユーザーという構造が出来上がっているので、今後は補助金やコンサルタントの仕事を追及していくことでしょう。

と言うわけで、私は今年は循環水とイヤシロチが軌道に乗るように集中します、そこで冒頭のお願いに戻ります、こういう先のわからない仕事は、ネットを含めて勉強したら解決するわけではありません、むしろ私の意見を否定するような若い諸君と議論したい気分です。

定年後の諸君は、会社に居過ぎたせいか、私を上司だとカン違いしている人が多くて、一般的に意気地が無く、言い訳みたいな話が多くて、面白くありません。

元気のある奴出て来い、と言う気分です。
シニアのコラム 2010.01.23. 森田裕之 / Yuji Morita

私と一回り下の「団塊の世代」が、定年で続々とある意味で、たっぷり時間のある世界に馴染まねばならない。

私の知り合いでは、技術者が多いせいか、絵心のある諸君が、写真や絵をあらためてお師匠さんを求めて始めたり、自費出版の写真集を送ってくれたり、展覧会の案内を送ってくれたり、こういう趣味を持っているシニアは運が良いなあと思うし、うらやましい。

旅行好きなシニアも良いねえ、私は最近あまり知らないところに出かける旅行が好きでなくなってきた、行ったことがある所は、また行って見たい気分があるが、これも好奇心が欠如してきた「老いぼれ度合いの進行」のせいだと自覚しています。

私は、生来のへそ曲がりなので、普通の年寄りがやらない年寄りの役割を追及してやろうという「野望」は10年位前のバイパス手術後に思いついて、仕事の面でも、組合活動の面でも、これからも追及していくつもりだ。
シニアのコラム 2009.12.26.森田裕之 / Yuji Morita
ここ10年以上年末は、中野翠さんのサンデー毎日連載の総集編、今年のタイトルは「おみごと手帖」を読むことにしている。
新しい日記を買い、来年の予定などを移し変える位のことはするが、今年の日誌を読むことはない。
中野さんの週日記を、コタツの中で読んで、一年をふり返るのが楽しくて、私の行事になっている。
中野さんは、世の中の生ずるニュースを全部自分のセンスで、言葉でコメントしている、年末になってみると、如何なる事件も中野さんが、当時正しい判断をしていた事が判る、例えばスマップの草薙君が公園で裸でわめいた騒動があったが、警察やメディアが如何にばかげた対応をしたか、私なんかも若かりし頃に、馴れない酒をのんで馬鹿騒ぎをしたが、草薙君ほどに、礼儀正しい裸踊りではなかった。
村上春樹のIQ84に関するコメントにも共感した記憶が蘇ってきた。

来年からやってみようと思うことが、段々判ってきた、なるべくこれまで付き合ったことのない、技術士のグループの見学会や講演会・パーティ等に出かけていって、面白そうな奴を見つけることを始めたい。
これまでは、cea・組合の活動に、寄ってくる諸君との付き合いが、主な業界の付き合いだったが、技術士がCEからPEになって、大分時間が経ったことだし、何時までも技術士はCE発生だったと、歴史的事実を主張していても、世代が変われば意味のない理屈になってしまうだろう。

皮肉なことだが、国の経済が落ち目になれば、CEが増えることは、イギリス・アメリカで実証済みである、面白いねえ。
シニアのコラム 2009.11.16.森田裕之 / Yuji Morita<BR>
組合を創ったときには、一番若かった私が、いよいよ最年長組みに入り、会の挨拶や乾杯の音頭をする係りになっている、慣れてくると、受けた挨拶・ジョークを思い出して、リピートしたりしている。

忘年会の季節はまだ早いと思うのだが、先週などは連日酒を飲み、妻に怒られている。

私は技術士会がCEからPEに衣替えして以来、総会で当時の梅田会長の「ダンコウ演説」(科学技術庁にたぶらかされるな、と言う主張)をやらかし、除名されかかった後、会での活動には一切興味を失っている、先日技術監査の件で、千葉県の技術士会の会長の「伍そうさん」と言う方からの申し出があり、銀座の交恂社で原田・岡君と共に、お会いすることになったが、2時間遅れで来たそうである。
私は、忙しかったので、10分ほど待って次の会合に行ったので、残った岡君から聞きました。

技術士会は、人数のみドンドン増えるものだから、政治的な地方分権の風潮にあわせて、各県の技術士会を作り、地域に根付いた活動をすることになっているらしいが、少なくとも千葉県の会長と言う人物は、自分のほうから会見を求めて、2時間も遅れてくるような、「半ボケの年寄りのようだ」

私は埼玉の技術士会にも会費を払っているが、イベントに出たことが無いので、判断できないが、私の周りの埼玉の諸君は、あまり県の技術士会で活動しているとは聞いていません、どうやら各県似たようなもののようだ。

各県の若手の諸君は、こういう年寄りを、なんとかしないと、世の中の人からは、同類だと思われているだろうし、面汚しだと思わないのかね、若手も意気地が無いんだなあ、最近は。
シニアのコラム。2009.10.06.森田裕之 / Yuji Morita<BR>

誰でも「何時の間にかシニアになっていることに気がついて、愕然とした」経験が有ると思う。
今日は、シニアの肉体の衰えに関する話でなく、頭脳の衰えに関する話題を提供する。

私は、原則週に一回(土曜日)はceaの関係の会合に出席して、沢山の技術士諸君と会っている。

生涯現役に生き甲斐を感じているのかどうか知らないが、専門家を看板にして外国にも出かけている諸君、コーディネーターを志向して、グループ世話人を引き受けて、若い諸君と上手に付き合っている諸君、うまい具合に元気の良いシニア生活を送っているのは、比較的に若い頃に(定年前5年くらいまでに)この二つの方向性を選択した諸君である。

定年最後まで、定年後も会社に関係する所で、面倒見てもらった諸君が、一番元気が無い。
こういう諸君が、ceaの会合に様子見に出て来て、私にからかわれたり、罵倒されても、反発が少ない、会話に元気が無い。
ceaは、独立・自営の技術士が寄り合う所で、そうで無い諸君が出てきても、我々としては、そういうシニアの扱いが判らず、しらけてしまう。

私の約束、10個の研究会は、ようやく5つ「微粒子ゴミ研」「NMBナノ・マイクロ・バブル応用研」「大気圧プラズマ応用研」「イヤシロチを科学する研」「セキュリティロボット研」のグループが出来かかってきた。

ceaに様子見に出てきたシニア諸君、こういう研究会にも様子見に参加して、何か役に立つパートを見つけて、時間つぶしをしてくれたらありがたいのだけどね。
当分お金にはならないけど、その内補助金プロジェクトに仕立て上げて、分け前が払えるように、頑張るつもりです。
シニアのコラム。2009.09.23.森田裕之 / Yuji Morita

あまり敬老の日などということに意識していなかったが、「高齢者人口:2898万人(22.7%) 男性:19.9%
女性:25.4%、*総人口1億2756万人に占める65歳以上の人口、○「男性は5人に1人、女性は4人に1人」という事実を知ると、まったく有難みが無い、多分100人に一人くらいの時代に出来た制度でしょう、制度設計をする時に、10人に一人くらいになったら制度が消滅するような、気の利いた一行がはいっていたらよかったのにね。

役人の天下りを禁止するという民主党のマニフェストに対抗するには、自民党は定年制の廃止くらいのインパクトある政策を主張すべきと思っています。

私は日常生活では、シニアを意識すような環境になく、5人家族だった子育ての2-50歳代に続く、妻と二人の平凡な日々があり、妻は絵描きのグループに属していて私より忙しそうで、あまり一緒に遊んでくれない。

私は社会生活で年齢によって、シニアを弱者と位置付けるのには、大いにむかつき反発したくなる、確かに頭脳にはマダラボケが始まっており、誤魔化したりカバーするのに密かな苦労が増えてきているが、仲間内には今のところ「バレ」ていないと思う。

私はcea・組合を創った当時に、沢山の先輩技術士の元気な皆さんに敬意を表して、「シニアの会」という月例会を運営・世話人を10年くらいやった経験がある。
最近、誰もイニシャティーヴとってくれないが、この会を復活して元気なシニアを若い諸君に紹介しようと、技術士の論点の世話人・吉田君にお願いしました。
シニアのコラム 2009.09.05..森田裕之 / Yuji Morita
「ボケ」

今年になって、明らかに私自身の「ボケミス」による自動車運転のミスを自覚して、自称「パニック症候群」=ハット気がつくと直ぐ行動してしまう、脳の回線が短絡するんでしょう、世の中では「瞬間湯沸かし器」とも言うね、これを誤魔化すことにしているが、ある種の精神修養が必要になるみたいだ、年をとると宗教にはしるのも、ボケを誤魔化す手段かも知れない。

自分がボケ世代に突入したと自覚した途端に、同世代の諸君のボケに興味しんしんになり、観察を始めたが、皆盛大にやっています、今日も一回り若い大塚君に告白したら、彼も周辺のシニアのボケに心を痛めていると言っていました。

彼は、事務所にお嬢さんが仕事を手伝っているが、最近「お父さんは言うことがくどい」といわれるようになったそうです、「くどい」という現象は、ボケの一種かも知れない。

先週あるパーティで、全然お呼びでないシニアのM君が、受付でもめた上に乱入して、訳のわからない演説をしたのも、40人の出席者にボケた哀れなシニアの姿を印象付けた。

自分がボケてきたので、ボケの扱いが判ってきたが、ボケた本人は無意識に誤魔化すんです、全面的にボケる前ですから、「マダラボケ」と言って欲しい。
この状態が、かなり長く続くから、あまり早くグループ活動からボイコットされても、かわいそうなのです。

私を含めて、70歳を過ぎたシニアの言動には、ボケが入ることを知っていてください。

シニアのコラム 2009.07.20.森田裕之 / Yuji Morita

6月には神力達夫さん、7月になって玉井丈生さんの訃報メールが来た、いずれも千葉の技術士で、神力さんは機械部門の大先輩、玉井さんは農業部門で日韓技術士会議の委員仲間であった。

独立・自営業者の付き合いには、独特のスタイルがあり、お葬式に出かけることは、めったに無い、しかし、亡くなってみると、私の人生の接点での彼等の存在感は、結構大きく残っているものだ。

神力さんの印象は、本当に戦争をした軍人で戦後急転回してクリスチャン、必死に平和主義者として生きていたという印象があった。
稲門の先輩の本当には戦争しなかった、軍人予備軍で敗戦を迎えた本田尚士さんと、対照的な人柄だったが、実際の行動の歴史は、多分高度成長を背景に、アメリカと擬似的な戦争をして、やっつけた気分が味わえた世代の先輩だった。

玉井さんは、県庁の役人から独立し、温厚な人柄が皆に好かれて、技術士会の役員も色々引き受けていました。
性格的には、私と正反対で腰が低く、千葉県のグループ内での役割は非常に高かったと、推察している、今後しばらく彼のような人が出てくるまで、大変かも知れない。

シニアともなれば、何時死んでもおかしくないが、私はあまり準備万端整えてから、死ぬという人生観を持ち合わせていない、100歳を超えた聖路加病院の院長さんが、TVで2年先まで計画が詰まっていると、ケロットした顔で喋っていた、いい気なもんだけど、そんなものかもしれない。


シニアのコラム 2009.06.12.森田裕之 / Yuji Morita
「生老病死」

親の介護の為に会合を欠席するとか、家族の病気で動けないとか、本人は元気だけど、ままならない話が、日常化している今日の状況です。

せっかくのグループ活動も、政治家と同じ様な「集合離散」の原理が働き、出会いがある反面の別れも必ず存在する、割りに楽天的であると、自己判断している私でも「世の中不条理の一言に尽きるなあ」と、天を仰いでため息をつくことも有ります。

我々独立・自営業者の付き合いには、改めてルールがあるわけでは無いけど、「お金の貸し借りはやらない」とか、「仲間の創意・アイデアには敬意を表する」というような不文律があり、暗黙裡に、拳々服膺している世界である、これが判らない奴は、先輩に厳しくグループ付き合いを排除されても、致し方ない。

「人の懐を詮索しない付き合い、というのも我々の不文律の一つである、英国風に言えば紳士・ジェントルマンの付き合い、というんだろう」独立・自営業者は、あるときは乞食の財布の時もあり、王様の財布になる時もあるのです。

こういう本当の話は、40年近くやってきたシニアにしか喋れないのだろうから、あえて書いておきます。


シニアのコラム 2009.04.09.森田裕之 / Yuji Morita

「お説教の依頼」

何時の間にか、何処へ行っても最年長なんだから、しようが無いとは思うが、最近「お説教」を頼まれます。

昨日もある講演会で、対応にもてあました世話役から「X君に話しをしてやってくれませんか」と別室で、新入会員(とはいっても定年を過ぎた大企業の技術者・OBで60何歳かのシニアである)に、身の処し方、付き合いの常識を一時間近く、懇々と話した。

基本は、自分自身が周りの人達から「どう見られているのか?」と言うことが、判っていないのです、専門分野の知識・ノウハウにいたっては、おおむね過去のことで、お金を払って聞いてくれる会社も無いと思った方が間違いない、それを「日本の会社はソフトにお金を払わない悪い習慣がある」などと、時代遅れの常識にしがみついた、自己中の態度でいつまでも変わらないものだから、家庭でも元の勤め先の付き合いでも、浮き上がった存在に成っている。

本人からも、世話役からも、感謝されるが、こっちだって、相手より一回り上のシニアなんだ、いささかしんどい役割です。


シニアのコラム。 2009.03.13 .森田裕之 / Yuji Morita

恐慌だと世の中が騒然としてから、時間が経つに従って、個人のレベルの話でわかってきたことは、いわゆる投資をしていた人が、資産を減らしたと言うこと、BS/PLで言う所のバランス・シートが悪くなった、仕事が減ったり、会社を首になった人は、PLでも赤字になることだ。

日刊工業の鈴木編集長によると、講習・講演会に人が集まらなくなった、本はソコソコ売れている、学会・業界の活動に、会社が協力しなくなってきた、ようは世知辛い、嫌な世の中になりつつある。

私の独立・自営の人生は、1972年の第一次石油ショック時代にスタートしているので、いまさらビジネスモデルをチェンジする気も無いし、むしろ面白くなってきたな、と世界旅行や引退は当分お預けして、ひと働きしてやるつもりです。

私が着目しているのは、こういう激動期に会社から出てくる若い人達です、通常の定年以上の年齢まで、会社に勤めていた諸君は、経済的には恵まれているはずだから、あまり私の援助は必要ないでしょう、むしろ自分の専門領域を深くして、若い諸君の援助をしてやるくらいの余裕を持って欲しいですね。


シニアのコラム 2009.02.08.森田裕之 / Yuji Morita

景気の悪い時は、嘆いていても始まらない、気持ちを切り替えて、何か勉強を始める、技術の開発のテーマを考える、私は過去の不景気の時は、何時もそんなことを実際にやってきた。

昨日もTAPAという欧米のセキュリティシステムを、日本の物流の関係者を集めて勉強すると言う団体を始めた、浅生君と話していたら、セキュリティロボットと言う具体的なイメージのロボット開発のテーマが出てきた。
早速、ロボット研究会を作りたい勝部君に浅生君とコンタクトしてもらうことにした。

シャープの山嵜君が組合に加入したいと、申込書を持ってきた、広島県に組合の支部が出来たことになる。
山嵜君は、MNBを利用して、シャープの工場廃水のプラントを管理運営している技術者である、この工場の「生活廃水の処理施設」で、MNBを利用したら、活性汚泥が激減したと言うことで、佐々木、金川、高堂、保坂、満田、森田のMNB研究会のメンバーが見学に行ってきた。

この成果を「全国の自治体の生活廃水処理施設に生かしてもらえないか」と言うテーマを、これから、我が「MNB研究会の応用テーマ」の一つとして、追及してみたい。

大気圧プラズマ研も、微粒子問題研も、大きな補助金でも必要になりそうなテーマを、創り出して欲しい。


シニアのコラム 2008.12.25.森田裕之 / Yuji Morita
2008年の暮れは、大不況の前触れにオノノク、気分の冴えない年末です、それでも忘年会だけは例年どうり元気よくこなしています。
同窓の忘年会は、おのれの歳を思い知らせてくれる貴重な機会を与えてくれますね、色んな理由で段々出席者が減ってくるので、私の出来る範囲で2−3の違うグループをくっつけて忘年会にしています、これが案外良いアイデアなんです。
共通の思い出なんてのは、精々5%くらいなもので、同時代を生きたことが、こういう同窓会での重要な要素なんです。

今年のシニアの話題は、我々60年安保に卒業した世代は、色んな意味で時代の子であり、時代のシニアであるが、どうやらかなり恵まれた世代だ、という結論になりました。
だから、「今時の若い者はーー」など威張らず、余計なことを喋らずに、謙虚に大人しく、目立たずに生きていこうぜ、という結論でした。

今日はJETOの人形町事務所で、めいめい持ち寄りパーティーがあり、明日(26日)はJTTASでお昼に忘年会という趣向です、27日には微粒子ゴミ研の上智大学・清水教授からの忘年会のお誘いがあります。
30日は恒例・我が家の餅つきで、長男が幼稚園の頃(1970年前後)から始めて、一度だけ雨・雪で中止しましたが、おおむね天気に恵まれて、年末を締めくくるイベントになっています。

去年くらいから、あらゆる会合で、先輩が居なくなりつつあり、挨拶や中締め要員になってきました。
確か今年の初めに、研究会を10ヶつくるぞ、と嘯いたのですが、何とか半分くらいの目途が立ってきたところです、作っただけじゃ駄目なことが判り、メチャクチャに忙しくなり、少々途方にくれている感があります。


「続報・シニアの履歴書」森田裕之 Yuji Morita 2008.12.03.

最近、ある会合で、蒋介石に追われて満州に逃げてきた、毛沢東・林彪の八路軍は、ソ連軍が参戦して日本が負けたお陰で、満州の日本軍の武器や公共の財産を頂いて、強力になり、蒋介石を台湾に追い払ったのだと、聞きました。
私の記憶でも、近所のお兄さん達が、大勢志願して八路軍に入ったと言う記憶が残っています。

それにしてもあの時の日本の若者達は、その後の共産党でどういう生き残りを果たしているか、その運命や如何に、だね。


「シニアの履歴書」森田裕之 Yuji Morita(080908)

最初に就職した時以来、50年ぶりに履歴書を書いてみたくなった、あの時の履歴書の中身は、今考えてみると単純で、中身の無い、当人を理解するのにほど遠いものだった。

1937−1945年8月まで、
私の父親は、上海の東亜同文書院という日本が作った学校を卒業して、満州中央銀行という銀行の営口(えいこう)と言う街の支店長をしていた。
我が家には、門番・コック・運転手・子守などが居て、私はそこの長男、オボッチャマであった、8月6日に突然ソ連兵に街を占領され、7日には日本人は二手の分かれて追い出され、我が家は奉天(ほうてん)に向かった。
後でわかったが、その時親父は、銀行員全員に銀行のお金を分配して、再会を約したと言う、子供等・私と弟の着るものに、徹夜でお金を縫いこんだと、母親から聞いた。

1945-1947年11月
奉天では日本人街の一角に住み、約2年間生活した、親父はあまり家には帰らず、たまに若干痩せて精悍になった姿を見せて、何時の間にか居なくなったりしていた。
私は、学校が無いことをいいことに、近所のお兄さん達のグループに入り、勉強は貸し本屋の本、遊びごとはマージャン・碁・将棋・トランプ・サイコロバクチ等のありとあらゆることを、9歳までに覚えた。
毛沢東・林ピョウの八路軍(パーロ)が、規律正しい、凄い軍だと噂があり、近所の日本の若者が志願して入隊したと言うような話があった、一緒に遊んでいた子供が、突然居なくなったこともあり、売られたのか、誘拐されたのか、判らないまま、今考えると凄い世界・不条理な世界を、平気な顔をして、日常生活を送っていた。
日本に帰っても、新型爆弾が落ちて、廃墟になっており、しばらくは満州に居たほうが、いいのじゃないかというような噂が広まったり、日本の兵隊ばかりか、若者が大量にシベリアに連れて行かれたらしいと言う噂も、覚えている。
学校の校舎は、満州奥地の開拓農民が占拠していた、騒動があって死んだ人が一時期校庭に積まれたことがあったが、翌日には全員衣服を脱がされ、凍っていた身体を触った記憶がある。
後でわかったことが沢山あるが、満州の子供の居ない夫婦は先祖に申し訳ないということで、養子を世話するブローカーが存在していた、売られた子供も飯が食えるし、売った親も半年位生活できる、と言うのが当時の常識だったらしい、4-50年経ってから、負けた日本の方が豊かになり、中国に売られた養子が、残留孤児と称して、実の親を探しに日本に来たが、親が名乗らないと言うケースが沢山あったと聞く、当時の親の必死の決断が、間違っていたなど、とてもいえないだろう、世の不条理と天を仰ぐしかない。

1947−1950年3月
親父の郷里である、北埼玉郡の広田村に帰国して、4年生に編入して6年生まで、親父の実家で暮らした。
伯父は教育者で、村長をやった爺さんが築いた百姓としての土地は小作人に任せていた、戦後は土地を失い、色々な団体の幹部をやっていたが、一代で資産をあらかた失ってしまった。
私は、小学校では、友達が出来ず、いつも喧嘩をしていました、以来百姓とか農業が嫌いで、付き合いが無い、従兄弟たちともお互いに冠婚葬祭もほとんど通知だけです。

1950-1956年3月
親父が武蔵野銀行創立と共に、大宮に通うようになり、家族は北浦和に引っ越してきた、私は近所の中学の友達と、大宮の柔道場に夕方通うことになり、同じ仲間と、朝は新聞配達を2年半やった。
浦和高校では、当時はスターリン万歳の左翼全盛時代だったが、私はアメリカ映画大好き少年として、この傾向に反発して、よく色んな集会では論争を仕掛けた。
柔道より水泳が好きになり、図書館とプールが生活の中心だと言う気分が、実は70歳を過ぎた今でも、続いている。
ここでも友人は少なくて、少数派志向はおおむねこのころから、私の性格と言うことになっている。

1956-1960年3月
早稲田の機械科での4年間は、始めて友人らしき連中が出来て楽しい学生生活だった、同年輩の友人はおおむねこのころからの付き合いが多い。
高橋利衛さんという卒論の時の先生に巡り合ったのが、今の私の生き方に大きく影響を与えている気がする、仲人もしてもらったし、亡くなるまで毎年正月には、お宅に出かけていたが、随分後になって、この先生が早稲田の機械科の今日に大きな影響を与えていたらしい事が、判ってきて、世の中を動かすと言うのは、こういう風に、後輩に影響を与えてやる生き方があるんだ、と今考えている。
機械科の友人達は、ほとんどが企業の忠実なサラリーマンとして、生涯を全うしてきている、私は彼等とはまったく違う生き方を選択したが、彼等が真面目に会社に行っているお陰で、私のような商売が成り立つのだと、いつも考えていた。(皆が私みたいになったら、世の中成り立たない)

1960−1972年12月
就職は、当時一番給料のよかった川崎製鉄に入社した、機械科の卒業生は機械のメンテナンス現場に入り、150時間の残業、3交代と言う「奴隷生活」に投入された。
私は、1961年2月には、学生時代のガールフレンドと結婚し、寮を出て稲毛のアパート生活をしていたが、7月のボーナスを貰ってすぐに辞表を出し、浦和の実家近くにアパートを借りて、当時家の近くにあった、松田製作所というプラスティック成形機械のメーカーに転職した。
ここは私にとって、非常に居心地の良い会社で、早稲田の後輩を3人も引っ張り込んだり、高専や大学にエンジニアをスカウトして、72年に第一次石油ショックで会社が倒産した時は、私は40人の部下を持つ技術部長であった。

メリカの会社へのOEM供給や、大手の石化メーカーとの機械開発など、面白い仕事を沢山やったが、会社が更正法を申請したので、やむなく40人の技術部を、半年がかりで再就職先を探しで20名に減らし、自分も辞めた。

1973−現在
潰れたとたんに、ユーザーの何社からか転職のお誘いがあった、私は二度と勤め人をやるつもりは無いので、パートでやっとってくれれば、自分の知る限りのことは、全部提供する、そのかわり、初任給をくれないかと言う、私の提案をした。
私は、個人会社・メックを設立して、収入・支出を法人でやることに決めた、これらは技術士会で出合った先輩方を観察して、自己流のやり方を考えたものである、これは35年経った今も変わっていない。
以来私の個人会社は、なんとか生きながらえてきた、景気の良い時期、悪い時期は資本主義の世界に生きていく以上是非も無いことだが、お陰で3人の子供を一人前にしたし、家も建てたし、今の所は我が家のB/S・P/Lは、健全である。

1976−現在
自分がなんとか独立・自営でやっていけそうだと言う気分になった1976年に、同年輩の独立仲間、先輩方に協同組合を創りましょうという提案をした。
私の憧れの先輩の和田先生が、すぐ回状を回して、30人位の組合員を集めてくれた、独立・自営というメンバーは、それぞれが一国一城の主である、組合・集団として一体何をやるのか?と言うテーゼは、30年前も今も、実はよくわからない。
一つだけ最初からやって欠かさずやっているのは、第一土曜日午前10時からやっている「独立・自営を新規開業する人を支援する研究会」である。
この研究会は、「先輩が自分のビジネスを、後輩に正直に話してもらう」ことが基本形で、「これから独立・自営を始めたいけど、先輩はどう思いますか?」というようなケースもありの研究会である。
後進の育成に一番の力をそそいでいるお陰で、多分世の中に沢山ある、技術士のグループの中では、若・中・老のバランスがいいのではないだろうか。
最近では、個別技術の研究会、大きなテーマである生産技術研究会、技術監査人研究グループ等、思いがけない方向への発展が見えてきた、私の仮説は「独立・自営業者と勤め人との壁・バリアが、低くなってきたのか、なくなってきたのか」とにかく、世の中が大きく変わってきたとしか解釈できない。
会社員も顧客が一社しかないが、気分は会社から自立している人が増えてきたような気がする。


続・シニアは身体を鍛えよう」森田裕之 Yuji Morita 080808

8月7日、NPO・産業技術活用センターの講演会で、聖マリアンヌ大の後藤勝正先生の「加温式筋肉増量方法」の講演は、非常に面白かった。
私は、今日も午前中は、桜区の市民プールで30分泳ぎ、20分歩いて、運動にこれ勤めている、バイパス手術をしてくれた自治医大の先生に、運動で体調を維持するように教えてもらって、拳々服膺してきた、おかげで体力は維持されていると、今日まで思っていた。
後藤先生の筋力と年齢のグラフによると、20歳前半の体力ピーク時に比較すると、70歳は腕立て伏せ・閉眼片足たちで20−25%、ボール投げ・酸素摂取量・脚筋力・垂直とびで50%、握力で80%に落ちている。(そういえば長友先輩は、握手が好きで、別れ際に、必ず力いっぱい握手をする趣味があるが、85-6歳のくせに、案外力があるのは、統計的に正しい、握手が一番衰えない筋力なんだ)

帰りがけにエレベーターで後藤先生と一緒だったので、TV体操の話をしました、非常に効果的な老人向けの体力維持法ですと、言ってくれました、私は知人の実例から、昔のスポーツマンだった老人は、「運動をやりすぎて、足腰を痛めてしまう」という話をしたら、先生は「若いときの体力の記憶が、グラフにある現在値を無視してしまう傾向にあり、トレーナーの必要性を、教えてくれました。
私の桜区・市民プールメイトの田澤君も同じ様なことを言っています、同じ様な年齢の知人が「酔って階段から落っこちたり」「太ももの筋肉を疲労断裂させたり」「食事療法で3ヶ月で25KG痩せて、皺しわ爺さんに変身したり」「手が出ないで顔面から倒れて、鼻の骨を折ったり」と、あまり良い話を聞きません。

私は、高齢者に対して、至れり尽くせりと周りが寄ってたかって、お金を使うことが、老人福祉社会だとは思いません、元気に自立する老人が一人でも多いことが、国家の目標にすべき政治の原点だと思います。


「シニアは身体を鍛えるべし」 2008.06.11.森田裕之 Yuji Morita

2週間ぶりに、桜区のプールで田澤勇夫君に会いました、彼は奥さんと一緒に来ていました。
立ち話ですが、良い話を聞かせてくれました、彼は水泳は最近のトレーニングだけど、元々ウェイトトレーニング,(正確には、パワートレーニングと言うんだそうですが、)をやっているそうです、そういえばかなりの筋肉マンで、良い身体をしています。

私が最近の何件かあったお葬式での、亡くなったシニアの共通して持っていた3種の薬、「血圧降下剤、便秘の薬、睡眠薬」は、年寄りの運動不足が原因だと思うと話したら、田澤君は直ちに賛成して、トレーナー付きの「筋肉トレーニング」が良いと説明してくれました。

私は60歳でやったバイパス手術後に、運動で健康を保持しようと、昔とったキネズカで、水泳を50分/2KMか、又は15000歩/2.5時間を可能な限り、毎日やっている、最近は年齢の割りに若干やり過ぎかなとも思うが、もう10年は過ぎた。

トレーナーの居ない危険性は、友人の斉藤勝政北大名誉教授が、最近メタボリックなお腹をへこまそうと、お正月頃に、スポーツクラブの歩行器で自己流で歩き始めたが、やりすぎて疲労性の太ももの筋肉断裂で歩けなくなり、リハビリに5ヶ月かかってまだ杖を突いていた、歳をとると回復が相当遅くなるらしい。

私は、昔夏休みに子供がやっていたラジオ体操を、シニアが近所の学校で集まってやったら良いと思います、社会運動にしたいくらいだ。

そんなことをぶつぶつつぶやいていたら、妻が朝6時半から10分間、NHK第2TVで、TV体操やってますよ、と教えてくれた、これを始めてまだ10日位だが、以外に調子が良い、大体年とってくると、起き抜けや、パソコンの前で固まっていると、関節が強張っていて、ほぐれるのに時間がかかる、子供の100倍くらいは「柔軟性」が悪くなっているね、癪に障るけど。

そんな訳で、老人と言うのは、脳みそも体も、ほうっておくと、年齢並みの劣化が進むらしい、多分止めることは出来ないが、若干の無理を強いて、新陳代謝を上げることで、劣化を遅らせるという試みをやってみようと思っています。


シニアのコラム 2008.05.29.森田裕之 Yuji Morita

聞いた話です、シニアには60歳前後、67歳・厄年、70歳後などの生き残りの山があるらしい、早めに自覚して老人の身体に適応する人や、歳に抵抗して年齢の割りに若さを残そうと頑張る人が居ます。

身体のほうはともかく、問題は頭で、なかなか社会的な自己の立場・ポジショニングが定まらず、と言うか納得できずに、フラストレーションの溜まったシニア・年寄りが沢山居る。
私は好奇心もあり、なるべく色んなグループに顔を出しているが、いわゆる「困ったチャン及び困ったチャン予備軍」が直感的にわかるようになってきた。

見分け方の一つは、「役所・会社で出世するのはゴマスリのうまい奴だ」と本気で思っている人、「弁護士・弁理士のような法律に裏ずけられた業務のある資格商売は飯が食える、技術士は無いから食えない」等と本気で考えている人、「独立・自営の商売も、営業力のある人が成功する」と、本気で思っている人等などが、実は私のような長年やってきたベテラン・技術コンサルタント・業界人にとっては「困った連中」なのです。

本気で調べるなり、その道の人に聴けばすぐ判ることですが、弁護士だろうが弁理士だろうが、会計士だろうが、ガンガン稼いでいる人も居る代わりに、食いはぐれている人も沢山居るのです、技術士だって同じことです。
先日大塚君が技術士会のある部会で、「年に2−3千万稼がなくちゃ、独立・自営の成功者とは言えないでしょう」と、割りと正直な感想を述べた所、それを聞いた何人かの諸君から、私に感想・コメントが寄せられました。
どうやらその会合の出席者は、会社員現役とOBになりたての諸君だったらしく、まともな独立・自営の人が出席していなかったようでした。

大塚君は自分の会社を創業・上場・売却した経験者ですから、普通の技術士資格者よりは、金銭感覚が鋭く、彼から見れば、普通の色々な立場の技術士諸君が、もう少し経営感覚を磨いて、技術コンサルタント業に励めば、うんと稼げるポテンシャルを持った若い人が居るはずだ、と言うつもりで、技術士会の会合で、講演したのだと思います。
「講演者より聞くほうの人たちの問題である」と言う気がしてきませんか?


シニアのコラム 2008.04.09.森田裕之 Yuji Morita

とある技術士会のM/Lに、会に入会を勧誘する文章が書かれていたが「何もしていないシニアの名刺の肩書きとして、最適である」と書いてあったのには、大いに笑わせてもらった。
会社員のときは、技術士はプロフェッショナル エンジニアで、コンサルティング エンジニアじゃないと、主張してきておきながら、会社を辞めて、肩書きが欲しくなり、CEの先輩方が長年かけて作り上げた「技術士事務所」という独立・自営者の看板を、名刺の肩書きに利用しているシニアが量産されつつある。
勿論60歳を過ぎても、本気で仕事をしてやろうとか、若い人に協力しようと考えているシニアもいることでしょう、そういう人は、態度が全然違います、私は40年近く技術士資格を持つ人と会ってきましたが、最近は自分の直感で篩い分けることにしています。
案外、定年までに社業に専念して、技術士資格を取りそこなった技術者シニアのほうが、謙虚だし素直なので、付き合いやすい傾向にあることも事実です、グループ活動にはこういう人が向いている。


シニアのコラム 2008.01.21.森田裕之 Yuji Morita

1月19日のサンセット研究会(島田君世話人)に、名手さんが山梨大学の管野教授(先進医用工学分野)と、その卒業生3名による新会社・センシング研(ベンチャービジネス)のメンバーをつれてきて、会社の説明をしてくれました。
名手さんはラスベガスで、scoreというシニアによる若いビジネスマンの育成組織の仕事をボランティアしているので、そこに日本から勉強に来た管野先生方を、我々に紹介してくれたわけです、我々はscoreのような歴史のあるベンチャー育成組織ではないけど、やや似た所があります。

私がお話したコメントは、

0.我々技術士のグループは、大企業の定年OBが大部分を占めていて、こういうアーリー・ステージの会社の経験者は皆無と言って良いでしょう、技術コンサルタント経歴の長い私・森田でも、顧客は売り上げ数億円以上の会社ばかりです。
よって、我々と付き合っても、実質的な良いアドバイスは、期待できないと思います。


1.何か定常的な仕事を見つけて、キャッシュフローを作らないと会社ではない、補助金やスポット的な顧客会社の技術問題解決を仕事と思わないこと。

2.「技術者」は、学校を出た「技術者の卵」が、5-10年会社で先輩・メンター(師匠)によってしか生まれない、今の会社のメンバーは「技術者の卵」ばかりなので、技術的問題解決は難しいから、菅野教授の研究室OBネットワークに、外注するのが得策です。

3.大学での菅野先生の所で生まれた「なにごとか」を実現するために、生まれた会社であると思うが、ビジネスプランでは良くわからない、なんか世を偲ぶ仮の会社みたいですね。

以上です。

それにしても、若いというのはいいことだね、本人も偉いが、私は良い親御さんに恵まれた学生達だと、感心しました。


シニアのコラム 2007.11.17.
森田裕之 Yuji Morita
JETO・技術経営責任者協議会のステアリング委員会で、3年目になるので、どうしてもこれまでの活動の総括的な話題になります。
はっきり判ったことは「大企業の定年技術者は、今更中小企業を経営したり、勤めたりする気力が無い」という事実です。
JETOとは表裏一体で、会社の経営や人事・総務部門に営業活動を始めた、株式会社の技術経営機構では、技術者の流動性に関わるセミナーや講演会を沢山計画している、どうやら会社を出た人を対称にするより、会社に居る人をターゲットにせざるを得ない。
つまり、これからは、比較的若い企業内ベンチャーや、企業内技術士を会社の外に引っ張り出すこと、定年後の技術者には、自分の住んでいる地域の技術監査人の職域開拓を目指してもらうような、啓蒙活動が我々シニアの役割では無いだろうか?


インド訪問記
2007/07/09
福島 晴夫 
技術士 建設部門(トンネル)
E-mail: fukushima@cea.jp

JICAのインド貨物鉄道FSで、5月15日から1ヶ月半ほどニューデリー近郊に滞在した。
インドは、BRICsの一国で、IT産業に優れ、高度成長の真っ直中で、近い将来、中国とともに日本経済に取って脅威の存在になるだろうと言われており、団塊世代を標的としたインドの成長産業への投資が盛んに宣伝されている。しかし、私の感じたインドは、日本の新聞記事とはかなり異なった印象だった。
<民衆の暴動>
 5月の終わりに、ニューデリー近郊の約200km範囲内で、民衆による暴動が発生した。もちろん、日本外務省の海外安全情報には載っていない。たいした暴動でない証拠に、誰も死ななかったようだ。この地域が、プロジェクト調査地域の一部になっていたので、現地調査が1週間程度延期になった。JICAインド支局によると、暴動の原因は、戦闘カーストの一部が、「割の良い仕事をよこせ」と暴動を起こし、道路封鎖と車を焼いたらしい。
 このとき初めてカーストが、細かく分かれていることを知った。Wikipediaによると、「カースト(caste)、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。紀元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。カースト制度によって定められる個々の身分もカーストという。カースト制度は基本的にはバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの4つの身分(ヴァルナ)に分けられているが、その中で更に細かく分類されている。」で、長い歴史があることは、一般に知られている。しかし、戦闘カーストなるものがあることは、インドを研究している人でなければ解らないのではないか?
 カースト制度には、既得権があるようだ。日本の港湾荷役なども過去の封建制度に立脚した既得権があるらしいが、カーストの既得権はインド社会に深く染み渡っており、何人も侵すことが出来ないもののようだ。ハウスボーイは掃除だけ、洗濯女は洗濯だけ、コックは料理だけなので、担当者が来なければ、部屋中ゴミだらけ。最も、ホテルに泊まらなかったことが悪いと言われればそれまでだが、ニューデリー近郊のホテルの宿泊費は、7年前に来たときに比べると高騰し、200USDでも、泊まることが出来るホテルは、2つ星程度になっている。
 ITが、何故、発展したのかというと、ITは、カースト外の仕事だからだそうだ。要するに、カーストの区分にない新しい職業は、能力があるならば、誰でも一攫千金を夢見ることが出来るらしい。ただし、路上で生活し、施しをたかっているカーストは難しいと思うけれど。
<非効率>
 マーケットで買い物をしてレジに行く。別に変わった風景ではない。ところが、レジで20〜30分待たされる。トルコ、カタール、ベトナム、中国でかなりな期間滞在しているが、このような国は初めてだ。いらいらしてもしょうがないので、待たされる原因を観察してみた。
 買い物カートの品物をレジで精算する。バーコード方式で、日本と変わらない。時間によっては、多くのレジが開いているので、それほど時間がかかるはずがない。よく観察すると、支払いをマーケットの金券で支払う人が多い。たぶん、金券は、ディスカウントティケットなのだろう。1,000Rp以上の買い物をする人が多かったが、ほとんど金券で支払っている。この金券が、10〜20Rp程度のこまかい金券で、レジの人が、いちいち枚数を確認し、記帳する。当然、時間がかかるのは当たり前。1Rpでも違っていれば、最初から数え直す。こんな情景を30分以上見ている私も暇人だが、なんとかならないのか?例えば、現金専用レジを設けるとか、買い物の品数によりレジを分けるとかの方法があるだろうが!
 レジの人もカーストの一部に帰属し、効率を考えるのは別のカーストなのだろうか?インドに進出した鈴木自動車も、たいへん苦労したらしいが、非効率がまかり通っているインド社会が、日本のように効率を追究しすぎた社会に追いつくことは出来ないだろう。
<インドにファーストフードが必要なわけ>
 わずか1ヶ月半の滞在で、ひどい下痢を3回経験した。あまりにひどいので、2日以上の絶食に追い込まれた。原因は、現地調査時に町の食堂やパン屋で食べたカレー。早い段階で下痢に見舞われたため、その後は、出来るだけファーストフード店で昼食を取るように心がけた。マックやフライディ、サブウエイなどがあるので、かなり助かった。日本料理屋、中華料理屋、韓国料理屋もあるが、毎日の昼食用に利用できる値段ではないし、距離も遠い。
 ここで解ったことだが、インドは、一般の流通整備が著しく遅れており、コールドチェーンはほとんど無い。当然のこと、品質管理って何?と言う世界だ。その点、アメリカ流のファーストフードチェーンは、曲がりなりにも品質管理をしているようだ。マクドナルドの店頭は、日本と変わらない風景が見られる。とにかく、インドに行ったときには、強力な胃腸薬が欠かせない。最も、インドで市販されている胃腸薬は、日本の薬よりも数段強力のようだが。

 今回のJICAプロジェクトのテーマは、大型貨物輸送網の整備だった。インドの道路網整備計画は、2013年までに主な路線の整備を完了することになっている。しかしながら、インドは交通ルールがない。たぶんあるのだろうけれど、誰も守らないし、「我先に」が当たり前。カタールで、インド人の運転手や労働者がむやみに逮捕されて、1週間ほど投獄されると私のインド人運転手がぼやいていた。インドの実情を見ていると、強権で従わせるというカタールのやり方は正しいように思える。訳の分からないカーストという社会秩序が、海外におけるインド人の信用を失墜させているように感じる。


安達真夫さん(82)が先週の土曜日に亡くなり、23日・金曜日に五反田の葬儀場でお通夜があり、行って来ました。
ほとんど患うことなく、自分でカバンを持ち入院して、そのまま2日後に急性肺炎であっという間に亡くなったそうです、通夜に参列した技術士仲間は全員、羨ましい死に方だと言うことになりました。
安達さんは、生産管理・食品の技術士で、商売柄食べ物や酒に薀蓄があり、宴会では良くお付き合いをしました、cea・組合では若い人たちに「男のダンディズム」を講演して人気が有りました、本人もふさふさした銀髪をオールバックにして、ブルーストライプのワイシャツに赤いネクタイと言うお洒落を決めていました、かなり(かっこいい年寄りを)意識していたみたいです。
日韓技術士会議の宴会だけ出席する特権を維持していましたし、食品のグループでも遊ぶ所だけの参加者だったそうです。
戦友だった芦川鯉の助先生はじめ、技術士仲間が20名ほど参加していました、いまどきの82歳の年寄りの葬式としては、賑やかな、爽やかな葬式でした。

森田裕之 Yuji Morita(3/24)


インシャラーの世界IV− <エンジニア:その2>
技術士 建設部門
福島晴夫
URL: http://homepage2.nifty.com/Lithosphere_Tec/
b) エンジニアスタッフ
工事開始時期に約半年のタイムラグがある2件の電力ケーブルプロジェクト(GTC5 & GTC22)を受注した。2006年の4月にドーハのQATAR Cable Project Officeは、総勢20名以上の大所帯となり、日本やUAEからの出張者を含めると、30人以上になることもあった。
エンジニアスタッフは、電気系8名、建設系9名で、総延長30km以上の高圧ケーブル敷設工事を担当する。アラビア語Native Speakerのローカルエンジニアスタッフは、電気系2名(エジプト、パレスチナ)、土木系は1名(スーダン)で、残りはインド人が主体である。もちろん、インド人もアラビア語を話すが、ややこしい問題が起きるとnativeの助けが必要である。
アラビア語圏は、アラビア半島からアフリカ地中海地方の広い地域にまたがっており、エジプト、パレスチナの公用語、スーダンやヨルダンの主な公用語である。
プロジェクト開始段階は、現地の状況に詳しいローカルエンジニアを雇用し、現地で実績のある下請け業者を探し出して契約しなければならない。もちろん、契約金額、契約範囲や責任関係に関する取り決めが、重要な課題である。
現地乗り込み当初、右も左も解らない日本人スタッフに、アブダビ事務所のPMと土木のエンジニア(ヨルダン)が手助けに来た。彼らの助言は、「とにかく、信用できるアラビア語のnative speakerを雇え」と言うことだった。これは、海外プロジェクトで共通することである。また、この地域のエンジニアは、能力に関係なく、プライドが高いというコメントも付け加えた。
余談ではあるが、電気担当のエジプトのエンジニアとアラビア語圏の文化について話した時、「ゼロの発見は、エジプトで、プラトンやアルキメデスはエジプト人だ。」と誇らしげに話していた。私の知る限り、「ゼロ発見はインドで、プラトンやアルキメデスはギリシャ人。」と記憶している。クレオパトラとローマ帝国のシーザーの話は有名だが、彼の感覚では、シーザーもエジプト人なのだろうか?それ以上の議論は、彼のプライドを傷つけると思い、避けることにした。
湾岸諸国のプロジェクトで難しいことは、当該国のエンジニアを雇用することができないことであろう。カタール人は、建設工事のような3K(きつい、汚い、危険)の仕事に従事しなくても、国から十分な収入を受け取ることができる。
アブダビ事務所で高圧ケーブル工事の経験のあるスタッフに、カタールのプロジェクトの担当を要請したが、アブダビのスタッフは、同国のIDを取得しており、カタールに移転するための手続きが煩雑で、時間がかかることから断念せざるを得なかった。このため、新規に海外からの出稼ぎエンジニアを雇用することになる。
海外工事でエンジニア雇用に際して注意すべきことは、発注者に対する業務経歴(CV)の提出である。大規模な工事で、エンジニアやSVに対するプロジェクト適正をCVにより評価することは当然である。KAHRAMAAでもこの方式を採用し、電力ケーブル工事経験のないエンジニアは、認めない。私も、このような工事経験はなかった。最初に発注者に挨拶に言った時、経験年数を尋ねられた。30年以上と答えたら、エジプト人のプロジェクトチーフが目をむいた。私は意味がわからなかったが、すかさずPMが、「彼が、メンバーの中で一番年を取っている。」とフォローしてくれた。直ちにCVを提出し、Civil Managerに任命された。経験不足のCVでは、工事の管理に不的確と判断され、帰国を余儀なくされる可能性もある。
プロジェクトの看板であるMCの名前が魅力的だったのか、募集広告を新聞に出し、短期間で数人のエンジニアが応募してきた。応募者のCVは、一様にPMの経験が書いてあり、適切な評価が難しい。また、日本と異なり、建築工事と土木工事の境目が無いため、土木工事の管理能力を判定できない。ダムや橋梁のような大規模土木工事の少ない国では、基礎掘削のように小規模な土木工事の経験をアピールしても、実績として認められないのかもしれない。
エンジニアスタッフの選定は、工事経験が豊富で現地の状況に通じていることが条件である。先行するGTC5プロジェクトの土木担当として、スーダンのエンジニア1名と、インドのエンジニア、スーパバイザー(SV)を計3名雇用したが、彼らが働いていた企業の退職手続きに時間を要し、プロジェクトに加わるまでに約1ヶ月を要した。
プロジェクトが始まって1ヶ月ほど経過した頃、大変なことに気づいた。ルート設定や出来型の確認、出来高判定に必要な測量部隊がいない。下請け業者に依頼したが、下請け業者の測量部隊も弱小である。取り敢えず、一時的に測量専門業者に外注する。今後発生するであろう外注の予想頻度から外注費用を推定すると、非常に高額になる。また、外注では、発注者の気まぐれによる様々な要望を満足できない。測量機器を購入し、経験の豊富な測量技術者を雇用することで、プロジェクトの品質と工程を確保することができた。しかし、当初の測量の遅れにより、短い工期が更に厳しくなり、工程管理と工程確保に多大な努力を要した。
エンジニアやSVの雇用待遇は、月収25万円〜30万円と、東南アジアやトルコに比べて非常に高額である。ベトナムや中国は、所得水準が低いので比較できないが、同じ中東地域のトルコのPMクラスに相当する高給である。更に、砂漠を走るために欠くことのできない4WD車が貸与される。住宅費用は、所得の中に含まれており、自己負担だが、待遇は非常によい。
湾岸地域は、日本と大差がないほど物価が高い。年間を通じて高温多湿で、日中の気温が30℃〜50℃の環境下で、全長13.5kmの広範囲に及ぶ現場を効率的に管理するために、車は必需品である。
エンジニアを能力の面から比較すると、東南アジアに比べてかなり見劣りがする。特に湾岸地域に出稼ぎに来ているインド人は、前述の発注者に雇用されているエンジニアやインスペクターと同様、能力レベルが低い。更に悪いことに、階級社会で育ってきたため、自分の担当範囲の仕事しかしない。エンジニアが、SVの仕事を進んですることは滅多にないし、命令してもSVの仕事だと行って逃げる。やたらにプライドだけは高く、業務の区分けをする。いつまでたっても仕事が進まないので、私が動く。そうすると、彼らもやむなく、担当業務以外もするようになる。“ボスが動くと群れ全体が動く”という状態は、まるで動物の世界ではないか!
ベトナムでも、工事当初、同じ状況があった。ただし、スタッフのエンジニアは、ベトナム政府に選抜されて旧ソ連に留学し、工学博士号を取っている。当然、プライドは高い。最初は、彼のプライドを気に止めなかったが、ある時、「プライドを捨てろ!俺がボスだ。言ったことを守れ。お前の必要とする専門知識は、すべて教えてやる。」と怒鳴りつけた。現在、彼は、ベトナムのトンネルとGeo-techniqueの専門家として活躍しているようだ。
カタールでも、同様な方法で若いSVを教育したが、彼が最後に言ったことは、「この程度の能力は最初から持っていた。」だった。Dr. Kumarがmailに書いていたことを思い出す。意味もない(彼らは思っていない)プライドは、切り捨ててもらいたい。
スーダンのエンジニアは、交渉面で優れた能力を発揮した。契約当初、彼のCVを発注者に提出した所、電力ケーブル工事の経験がないということで、発注者から認められなかった。おそらく、発注者のインド人エンジニアが、自分たちの仲間ではないアラビア系を嫌ったのだろう。
工事が最盛期になると、道路局や関連コンサルタント、市政府の管理部門、警察などから様々な規制が入る。道路掘削許可取得、安全標識の不備、昼間の作業時間帯規制などで、違反すると当然のことながら作業停止で、PMに担当局から呼び出しがかかる。たちの悪い輩もいて、袖の下を要求することもある。
Native Speakerの土木担当はスーダンのエンジニアしかいないので、彼が忙しくなった。警察や市当局のマネージャーには、スーダン人が多い。彼は、窓口の担当者を飛び越して、マネージャーと直接交渉し解決する。彼は、交渉術に長けているが、同国人で無ければ、まねのできない能力だ。人のコネクションが非常に重要である。
工事が終わりに近づいた頃、彼は、発注者のプロジェクトチーフ(エジプト)から認められて重宝に使われるようになった。様々な会合や交渉に呼び出され、プロジェクトの現況と今後の状況について説明する。説明内容は、アラビア語なので知るよしもないが、適切な対応を行っているようだった。常識的に考えると、不得意な英語で討論するよりも、native言語で討論すれば、意志が率直に伝わることは、当然である。
道路の設計は、道路局から委託されているコンサルタントが行う。工事到達地点に近づき、歩道下に上下水道と電気の本支線が複雑に計画されている区間があった。道路コンサルタントとの交渉に、たまたま出張で来ていたアブダビのPMが付き合った。先方の担当マネージャーと話している内に、お互いの名前のルートをたどったら、遠い親戚だと言うことが解った。これを契機に、コンサルタントは、いろいろな相談に便宜を図ってくれるようになった。砂漠で生き残るためには、血族の関係を維持することが重要なようだ。日本では、核家族化で、親さえも面倒見ない輩が多いが、これも高度工業化社会の弊害だろう。




インシャラーの世界 IV− <エンジニア:その1>(12/1)

 世界を旅していると、様々なエンジニアに出会う。
 イギリス、ドイツなどの先進国におけるエンジニアとの付き合いは、自分の専門とする分野の大学教授や研究者が多く、世界の最先端の技術についての討論を楽しみ、多くの技術的な知見を得ることができた。入札や設計支援のために滞在したシンガポール、中国、台湾では、各分野の専門家を担当者に割り当てており、技術検討にレベルの差を感じたことは少ないが、海外先進国で学び頭でっかちの上級技術者と、現地で感と度胸で仕事をする労働者の間に立ち、工事全体をマネジメントする中間技術者の乏しいことが今後の改善課題であった。
HPで紹介しているインドの発電所工事では、インド政府機関の技術力の高さに驚かされた。ベトナムや台湾では、日本の進んだ土木技術を自分のものにしようと目を輝かせて講習会に参加した若い技術者が非常に印象的だった。
ヨーロッパ先進諸国の技術者は、自分の技術が最高だと錯覚している感がある。トルコ、アラブ諸国の技術者は、自分が学び体験してきた技術に固執し、新しい技術や現状の改善方法について示唆しても、うるさいと言わんばかりに無視する。言い方は悪かもしれないが、日本と類似した宗教圏(仏教・儒教・Hindu地域)で育った技術者は、何となく付き合いやすい。
東南アジアの企業は、日本のような終身雇用制ではないと思うけれど、長期に渡り雇用されている人材が多い。東南アジア地域の雇用がどのような報酬形態を取っているか定かでないが、経済発展段階における長期雇用は、企業の技術力向上を図るために必要であろう。
トルコやカタールの建設技術者は、プロジェクト毎に契約で雇い入れている。他のアラブ諸国も同様だろう。技術者のレベルは、各国の国情により様々に異なるので一概に比較はできない。特に、カタールやアラブ首長国連邦のように、海外からの出稼ぎに頼っている富裕国は、高学歴の技術者がマネジメント担当の中間管理職になり、現場を管理するエンジニアは、教育レベルの低い外国人が担当している。
今後、建設技術者は、仕事を求めて放浪する流浪の民になるのではないかと心配する。先進国では、政府と建設コンサルタント、建設業者の癒着による税金の無駄遣いを、まるで泥棒の首を取ったのごとく騒ぎ立てている。官発注の建設工事は、上流側から、官僚、建設コンサルタント、建設業者の順番で流れており、コンサルタントや天下りという輩が仕切っている。官庁の役人やコンサルタントは、現場を知らない。所詮、保身主義者か金の亡者だ。
人間社会の反映に寄与することに誇りを持って働いてきた建設技術者にとって、烏合の衆が訳のわからない議論をすることは、非常に寂しい。堂々と裏金がまかり通っている発展途上国の方が、ある意味で、よほどまともかもしれない。

<カタールのエンジニア事情>
 工事終了後、インド人技術者のレベルがあまりにも低いので、インドのナスパジャキリ水力発電工事で、私のアシスタントエンジニアとして働いていたDr. S. Kumarにmailを送り、インドの土木技術はこの程度なのかと質問した。彼は、すぐに返事をよこした。
 「アラビアに出稼ぎに来る技術者は、金が目当で教育レベルはかなり低い。アメリカ、ヨーロッパで働いているインド人技術者と接触してみれば、インドの技術レベルが理解できるだろう。」と、大いに憤慨したようだった。
a) 発注者のエンジニア
 今回担当したケーブル敷設工事の発注者は、カタール水電力公社(KAHRAMAA)の電力部門で、電気関係のエンジニアがProject Chief、土木関係のエンジニアは、いくつかのプロジェクトを担当し、実際に現場で請負者に指示を出す技術者は、インスペクター(Inspector)である。
インスペクターは、ベトナムのトンネル工事で15名ほど指導した。政府から選ばれた大卒の技術者だが、ベトナム初の長大トンネル工事に役立つ経験に乏しいことは当然である。最初の段階では、かなり文句を言ったが、次第に仕事に慣れたことと、自分たちがベトナムを代表する大工事に関わっている技術者であることを自覚し、粗末な生活環境の中で驚くほど勉強していることは尊敬に値する。
このような好ましい経験があったので、カタール水電力公社でケーブル工事を担当しているエンジニアやインスペクターは、ある程度、技術的な内容がわかるものと考えていた。この期待と私の理解は、大きな間違いだった。
発注者の雇用している技術者は、エンジニア、インスペクターともにアラブ系とインド、パキスタンなどの開発途上国で、教育レベルは、日本の一般的な建設技術者と比べると格段に低い。インドのエンジニアが多く雇用されており、彼らは、Dr. S. Kumarのmailに書いてあるように金目当てできているのだろうか?
最初にインスペクターが現場のチェックに来たのは、ルート測量時だった。一般に日本のゼネコンでは、測量を入社早々の若い技術者の仕事とし、概ね3年の経験を積んだ技術者は、測量業務から離れる。更に、最近の測量機器は電子化され、私のように機械式のトランシットで測量を学んだものにとっては、現在の測量機器について行けない。ただし、測量の基本は覚えているつもりだが?
インスペクターが現場の視察に来てはじめて口にしたことは、測量機器はどこにあるかということだった。次にベンチマークの位置を質問された。カタールに来て間もない時期で、状況を十分に理解していなかったため答えられない。下請け業者がその場を繕った。
アラブ諸国で経験を積んだ日本の電気技術者が一緒にいたが、建設工事に何が必要か理解していなかったようだ。また、カタールで最初に受注した工事であり、発注者や下請業者に関する十分な情報に不足していた。残念なことに、現地の建設技術者の募集している時期であった。現地の状況の解るエンジニアがいれば、状況が飲み込めただろう。
測量については、その後、何度と無く問題が発生したため、PMに頼んで測量機械の購入と測量技術者を雇用してもらった。工事管理をする現地雇いのエンジニアは、測量ができない。また、発注者は、測量専門技術者の常駐を要求してくる。測量技術者は、長期にわたり雇用されるのではなく、プロジェクト毎に契約を結んでいる。この状況は、トルコでも同様である。このため、高給で雇用される測量技術者は、GPS等の最新測量技術を理解し、かなり勉強をしているようだ。
工事開始当初は、技術的な内容でかなり強硬な技術的要求をしていた発注者のProject Chiefや土木のエンジニアは、ある技術的なRecommendationの提出を境に、技術的な議論を避けるようになった。
高圧電力ケーブルの地中埋設では、通電時の温度上昇により、ケーブル自体が溶融することと、周辺の埋設物に対する熱の影響が問題になる。防止策として、熱伝導率の高い媒体でケーブル周辺を保護し、熱拡散を促進する必要がある。
高圧電力ケーブルは、トレンチに一定の配列で埋設される。トレンチは、幅1m程度で、ケーブルは、直径10cm、本数は3本である。従って、トレンチ内は、ケーブル敷設後、十分な空間が残り、この空間を媒体で充填する。媒体は、Dune Sand(砂漠の砂)、CBS(Cement Bearing Sand)、FTB(高流動モルタル)、ベントナイトなどが用いられる。熱抵抗率(熱伝導率の逆数)の低い媒体でケーブルを保護することが請負者の契約上の義務である。
発注者は、含水率ゼロのベントナイトの熱抵抗試験を要求してきた。ベントナイトは粘土鉱物で、結晶構造に水を含んでいるため、含水率をゼロにするためには、磁器のように1,000℃以上の高温で焼成することになる。しかし、高温下では、ベントナイトの結晶が変化するので、含水率ゼロの試験は無意味である。このような低レベルの議論は、地質学を知らない技術者でも容易に解ることであろう。この点を技術的なコメントとして提出した。この件に関して、発注者からの回答は来ていない。いつの間にか、熱抵抗試験は、話題に乗らなくなった。
KAHRAMAAの土木エンジニア(インド人)は、ラスラファンに計画中の発電所構造物基礎に関する質問をしてきた。技術サービスとして相談に乗った。少しは、日本の土木技術を認めたようだった。
工事が終点のPOGに近づいた所で、POGの中に引込む水道幹線がケーブルの計画ルートに入り込んできた。道路局の指定したコンサルタントと入念な打ち合せを行って決定したケーブルルートに他の埋設物が入ってくるなど考えられないことだが、水道幹線は、道路局の指定したルートを無視して勝手に敷設したものだった。不思議なことに、この水道幹線の所属は、同じ発注者の別部門だった。
カタールのように高温多湿の砂漠の国では、水も電気も生活に欠かすことのできないものである。電気は無くても生活できるが、水がないと死活問題である。水も電気もKAHRAMAAの管理下である。KAHRAMAA内部では、水の管理部門が強力な力を持っているようだ。
請負者としては、工期内に工事を完成することが第一条件なので、水道幹線に隣接してケーブルトレンチを掘削した。この結果、水道パイプが露出することになり、KAHRAMAAの水道部門から強烈なクレームが電気部門に送られてきた。とにかく、元の状態に戻せと言う。
技術的に考えると、埋設してある水道管を露出しても上載荷重の除去だけで何ら影響はないはずだ。線形だけ考えれば良い。水道部門のエンジニアと話合った結果、計算書を提出することになった。水圧による鉄管の変位は、厚肉円管式で簡単に計算できる。円管に作用する土圧は、土留め矢板の計算をすれば良い。翌日、計算書をmailで送付し、担当部署のSenior Engineerに説明に行ったが、内容に関する討論は全くない。ただ、日本人は約束を守り、技術力が高いとお世辞を言われただけだった。
こちらで提出した補修図面に基づいて対策工を施工した。しばらくして、水道部門のインスペクターが来て、改善しろと言う。パキスタン人だった。こちらは完全に無視し、計算書と図面をよく確認してから出直してこいと怒鳴りつけた。ケーブル工事は、KAHRAMAAの発注だが、水道部門ではない。
インスペクターが、Senior Engineerに御注進したらしく、水道部門のDirectorからPMにクレームのmailが来た。あまりにも馬鹿馬鹿しい話しなので放置しておいたら、電気部門のProject Chief(エジプト人)が文句を言ってきた。何故、計算書を提出し、了解を得て実施した防護工に文句をつけられなければならないのか?最終的に、電気部門のDirector(カタール人)が現場に来て、水道部門のエンジニアに質問した。水道部門のエンジニアは、改善について一言のコメントもなく、十分な対策であると結論づけた。ちなみに、水道部門のエンジニアは、スーダン人で博士の称号を持っているらしいが、何の博士だろう?権力で自分の専門外の技術について口を挟む輩は、技術者か?
さらなる問題は、発注者のエンジニアやインスペクターは責任を取らないと言うことである。その割には、自分たちは絶対権限を持っていると誤解し、不条理なことでも押しつけてくる。Variation Order項目や契約書類に書いていない業務でも平気で押しつけてくるので、対抗策としてConfirmation Letterを送付するように要求すると、直ちに上司に御注進。上司から当方のPMに直接電話がかかってくる。発注者に対し、「契約書に書いていない条項なのでClaim Letterを送付して良いか?」質問すると「”No Problem” 後で処理するから、とにかく言ったとおりにやれ」との回答。しかし、Claim LetterやConfirmation Letterの回答は来ない。よけいなことで、自分の立場を危うくすることを嫌うのはどこの世界でも同じだ。
私のスタッフであるスーダンのエンジニアは、スーダンコネクションを使って簡単に解決する。技術スタッフで、Arabic Nativeのエンジニアは、彼だけだ。どこの国に行っても、信用できるNative Speakerを雇用することが、工事をスムースに進めるこつだろう。
KAHRAMAAのインド人インスペクターが、はからずも言っていた「“I don’t want to take any risk”」。これが彼らの本音で、自分の技術力を向上することより、いかに自分のポジションを死守し、カタール人におべっかを使って昇進するかが、彼らの最大の課題だろう。カタール人の印象を害したら、その日からお払い箱で、国外退去になる可能性もある。
全くDr. S. Kumarのmailに書いてあった通りだ。