本文へスキップ

技術士協同組合は1976年設立の文部科学省認可の事業協同組合であり、 技術士法で定められた職業倫理を遵守する厳正中立な組合員、ネットワーク会員で構成されています

 シニアのコラム:シニアからの旅行記、エッセイなど


 シニアのコラム 2024.3.10 我が国ならではの「組織対応」によるプロジェクトマネジメントは、メリットが無く弊害ばかりです(澤田雅之)

私は、我が国でのプロジェクトマネジメントのあり方、特に、プロジェクトマネージャの役割に極めて疑問を感じております。我が国では、「組織対応」と称するボトムアップにより部分最適化を図るプロジェクトマネジメントが殆どであり、この場合のプロジェクトマネージャの役割は、関係する各組織の「まとめ役」、つまり、コーディネーターに過ぎません。他方、海外では、プロジェクトマネージャのトップダウンにより全体最適化を図るプロジェクトマネジメントが当たり前であり、「組織対応」といった概念や用語は存在しないところです。

ところが、「組織対応」によるプロジェクトマネジメントには何のメリットも無く、弊害ばかりなのです。例えば、大阪・関西万博は、来年4月からの開催に向けた「雲行き」が、凄く怪しくなってきています。ここでの最大の問題は、かくも多岐に渡る巨大プロジェクトを、我が国ならではの「組織対応」で運営していることに尽きます。つまり、責任を持ってプロジェクト運営を司り、トップダウンにより全体最適化を図る権限を有する「真のプロジェクトマネージャ」が何処にも居ないため、関係する組織ごとのボトムアップによる部分最適化に任せた野放図なプロジェクト運営しかできていないのです。

しかし、我が国でも、プロジェクトマネージャのトップダウンによりプロジェクトの全体最適化を実現した成功事例が、数は非常に少ないのですが存在します。そこで私は、9年前に技術士事務所を開業して以来、プロジェクトの全体最適化の成功事例や失敗事例について具に研究して参りました。下記は、noteというブログに掲載した事例研究の一部ですが、ご笑覧賜れば幸甚に存じます。

◯ 大規模なプロジェクトを確実に成功させるには、グローバルスタンダードな性能発注方式の取り組み方が必要です。
https://note.com/tender_echium832/n/n53b63d4b9ba2

◯ 三菱スペースジェット開発失敗の根源的要因は、経済産業省と国土交通省と三菱重工業のいずれも、性能発注方式の取り組み方ができなかったことです。
https://note.com/tender_echium832/n/nb94dd41875c2

◯ 零戦の大成功と後継機「烈風」の大失敗 ー プロジェクトの全体最適化 成功と失敗の事例研究(1)ー
https://note.com/tender_echium832/n/n1ff9cc558c23

◯ 仕様発注方式で失敗・破綻し、性能発注方式で復活・成功した新国立競技場整備事業 ー プロジェクトの全体最適化 成功と失敗の事例研究(2)ー
https://note.com/tender_echium832/n/n6daa1d93c3be

◯ X線天文衛星「ひとみ」の大失敗と小惑星探査機「初代はやぶさ」の大成功 ー プロジェクトの全体最適化 成功と失敗の事例研究(3)ー
https://note.com/tender_echium832/n/n441b132a71f4

 シニアのコラム 2024.1.15 インフラ老朽化問題で顕在化した自治体の技術職員不足は、包括的民間委託の手法で解決できます(澤田雅之)

令和6年1月10日付の日経電子版記事「老いるインフラ、地方で放置深刻。橋の6割未着手」、令和6年1月1日付の日経電子版記事「インフラ修繕、自治体が共同で。国交省が支援」、令和5年12月21日付の日経電子版記事「インフラの老朽化対策、霞が関の壁取り払え」によれば、全国の約4分の1の市町村では、土木・建築分野の技術系職員が1人もいないため、事務系職員が老朽インフラ対策工事の発注事務を担っているとのことです。
全国の自治体では、老朽インフラ対策工事を全て仕様発注方式(設計・施工分離発注方式)で実施しています。
しかし、仕様発注方式では、設計発注段階での成果物(設計図書)の確認や、施工発注段階での監督及び検査について、事務系職員が実効的に行うことは困難です。
それゆえ、仕様発注方式による契約の履行上欠かせないこのような発注者としての確認・監督・検査は、外部の業者に「ほぼ丸投げ」で委託せざるをえないところです。
つまり、発注者でありながら、発注している具体的な内容を殆ど掴んでいないまま、老朽インフラ対策工事を自治体は発注しているといっても決して過言ではありません。
このような問題を抜本的に解決するためとして、上記の3つの日経電子版記事では、土木・建築分野の技術系職員の確保が欠かせないとしています。
しかし、技術系職員はスペシャリストですから、建築分野の職員は土木分野に疎く、土木分野であっても橋梁を専門とする職員はトンネルや道路に疎いと言えます。
自治体が抱えている老朽インフラは、橋梁、トンネル、道路、公共建築物など、多岐にわたります。それゆえ、仕様発注方式による契約の履行上欠かせない発注者としての確認・監督・検査を実効的に行うには、当該契約に係る技術分野を専門とする職員をそれぞれ確保しておく必要がありますので、技術系職員を何とかして1人確保すれば済むといった話ではありません。

ところで、令和5年3月22日付の国交省の報道発表資料『「インフラメンテナンスにおける包括的民間委託導入の手引き」を作成しました。
「地域インフラ群再生戦略マネジメント」の推進に向けて』によれば、国交省は、橋梁や道路などを別々に維持更新するのではなく、自治体での導入事例が増えている包括的民間委託の手法を用いて、老朽インフラ対策を包括的、合理的かつ効率的に推進しようとしています。
包括的民間委託では、仕様発注方式による業者選定ができないため、必然的に性能発注方式(設計・施工一括発注方式)による業者選定となります。
性能発注方式では、「受注者にどのような結果を求めているのか」について、受注者が設計と施工を行う上で必要十分となるように分かりやすく示した要求水準書を作成することが肝要です。
このような要求水準書であれば、自治体の事務系職員であっても発注内容を十分に理解することができますし、対価支払いに先立つ検査についても、「設計図面通りに寸分違わずできているか」ではなく、「受注者に求めた結果が全て達成されているか」を確認すればよいので、事務系職員でも十分に対応できます。
上記の3つの日経電子版記事では、自治体での老朽インフラ対策の推進には技術系職員の確保が欠かせないとしていますが、全国の約4分の1の市町村では技術系職員が1人もいない実情に照らせば、「百年河清をまつ」が如くの夢物語です。
それゆえ、事務系職員や専門外の技術系職員でも十分に対応できる包括的民間委託の手法の全面的な採用こそ、自治体の老朽インフラ対策における人材に起因する問題の抜本的な解決策となります。

ちなみに、自治体が老朽インフラ対策工事を発注する際に用いる契約書は、中央建設業審議会決定に基づく「公共工事標準請負契約約款」を雛形としています。
この「公共工事標準請負契約約款」は、仕様発注方式の工事仕様書を前提としたものであるため、包括的民間委託に欠かせない性能発注方式の要求水準書とは整合が全くとれません。自治体では新庁舎整備事業等において、詳細設計付き工事発注方式や設計・施工一括発注方式による事例が増えているところですが、「公共工事標準請負契約約款」に基づく建設工事請負契約書を用いざるをえないため、契約書の条項と要求水準書の記載内容には放置できない乖離や矛盾が至るところに生じます。
それゆえ、包括的民間委託による老朽インフラ対策を進める上で、性能発注方式の要求水準書と整合する工事請負契約書の雛形を早急に示すことが求められています。

 シニアのコラム 2023.12.17 万博パビリオン建設契約の状況(澤田雅之)

本日(12月16日)、NPO法人建設技術監査センターは、プロポーザルデザインビルド研究会(会長は澤田雅之)を開催しました。この席上、私からは「万博パビリオン建設契約の状況?プロポーザルデザインビルド方式の利用動向」について説明しましたので、プレゼンに用いた資料につきまして、ご参考までに下記添付のファイルによりお送り致します。

追伸 : 国内パビリオンは、今年の9月までにほぼ全ての建設契約が締結できました。しかし、海外パビリオンは、12月15日現在、51館中の24館で建設業者が決まっておらず、着工できた海外パビリオンはゼロです。海外パビリオンの建設契約締結がなかなか進まない最大の理由は、外国政府の海外パビリオン建設発注関係者と、国内のゼネコン等建設業者との間で、建設契約についての認識が大きく隔たっている(全くずれている)ことです。万博協会と経産省は、今年の8月以降、@経産省等の現役・OB幹部職員を万博協会の対外折衝役に任じる、A万博貿易保険を創設する、B外国政府と国内建設業者を引き合わせる会合を数度にわたって開催する、といった海外パビリオンの建設契約締結に向けた促進策を講じていますが、これらの促進策が効果を発揮して国内のゼネコン等建設業者との契約締結に至った事例はほとんど見られません。つまり、これらの促進策は空回りしている、と言っても過言ではないと思います。この原因は、前記の「外国政府の海外パビリオン建設発注関係者と国内のゼネコン等建設業者との間における、建設契約についての認識の隔たり」を埋めていこうとする努力・試みが全く見られず、認識の大きな隔たりが残ったままとなっていることに他ならないと言えます。

 シニアのコラム 2023.4.20 菅野淳 技術士(情報工学部門)

 令和3年度技術士第2次試験合格者の出身大学別(最終学歴)合格者の一覧がHPにありました。
トップは九州大学で102人、次が京都大学で99人です。合格率で分類すると、大阪大学、東京大学、京都大学の順です。
また、技術士1次試験の合格者のトップは東京大学で173人、次が京都大学で166人となっています。合格率で分類すると、東京大学、京都大学、大阪大学の順です。
 技術士の合格者は偏差値の高い大学や、卒業生の多い大学が上位を占めており、弁護士試験や、公務員総合職試験と同様に、 技術分野の主要な国家資格としての地位が定着してきたようです。
 技術士の資格を取得してどの様なメリットがあるのかということはよく聞かれます。
一部の建設関連業種を除いて、技術士資格は特別な業務独占はなく、会社からの資格手当も出ない企業が大半です。
 それでも何故技術士資格を取得しようとするのでしょうか。大企業の終身雇用制度は崩れてきており、逆に副業を認める企業も増えてきている今日において、人生設計のバックボーンに技術士資格があるという認識は、波乱の多い企業生活での精神的な支えとなるものです。
 会社が倒産して失業した、会社と衝突していずらくなって独立自営しするという従来型の独立自営のパタンから、最近では技術士1次試験の合格者の傾向から見られるように、会社に縛られない本職としての独立自営の技術コンサルタントを目指す方が増えてきているようです。
 技術士協同組合は、資格取得者の独立自営の支援や、コンサル業務に欠かせない人脈形成に役立つ活動をしております。

 空飛ぶクルマ  2023.3.22 澤田雅之 技術士(電気電子部門)


「空飛ぶクルマ」とは、ありふれた自動車のごとくに、誰でも手軽に利用できる「空を飛べる身近な乗り物」を意味しています。我が国では、2025年に開催される大阪・関西万博での商用運航を目指して、世界的にも他に類を見ない「国を挙げての取り組み」をしています。つまり、「空の移動革命に向けた官民協議会」を2018年に立ち上げて、昨年の3月には「空の移動革命に向けたロードマップ」の最新版を発表しているのです。我が国のこのような「国を挙げての取り組み」は、世界中の「空飛ぶクルマ」の関係者に注目されていますが、その中身は、「空飛ぶクルマ」自体の技術開発のロードマップの他、「空飛ぶクルマ」の日常的な運航に欠かせない事項、例えば、「空飛ぶクルマ」の離着陸場の整備、航空管制システムの整備、運航事業の制度整備のロードマップなど、多岐に渡っています。その中でも、実用化に向けた鍵を握るのは、何と言っても「空飛ぶクルマ」の技術開発です。
「空飛ぶクルマ」を開発する上で、「空飛ぶクルマ」を特徴付けるのは、電動であること、将来的には自律飛行できること、垂直離着陸できること、の三点です。この三点から直ぐにイメージできるのは、ドローンを大型化して人が搭乗できるようにした「マルチコプター型」ですが、これまでに実現できたのは搭乗者が2名程度、航続距離が数十km程度、最高速度が100km/h程度の「空飛ぶクルマ」です。そこで、米軍の垂直離着陸輸送機「オスプレイ」を電動化して小型化したような「推力偏向型」や、離着陸用ローターと推進用ローターを別々に設ける「リフト・クルーズ型」が開発され、搭乗者は4?7名程度、航続距離は100?200km程度、最高速度は200?300km/h程度の「空飛ぶクルマ」が実現して試験飛行しています。
そこで、講演では、「空飛ぶクルマ」の技術開発の現状を中心として、その実用化(商用運航)に欠かせない離着陸場の整備などを含めた今後の展望についても説明しました。
「空飛ぶクルマ」の実用化に向けた技術開発等の現状と今後の展望

 文部科学省に提出した意見  2022.12.23 澤田雅之 技術士(電気電子部門)


【件名】 X線天文衛星「ひとみ」の分解事故の教訓は、事前審査を仕様発注方式から性能発注方式に改めることです。

【内容】
米国航空宇宙局や欧州宇宙機関等との国際協力ミッションであったX線天文衛星「ひとみ」は、2016年2月の打上げ成功の約40日後に、ソフトウェアのバグとデータの誤入力が直接の原因となり、衛星軌道上で異常回転を生じてバラバラに分解してしまいました。
その代替となるX線分光撮像衛星は、当初は2021年度に打上げ予定であったところ、衛星搭載機器に生じた原因不明事象により、未だに打上げられていません。
「ひとみ」の所管はJAXAの宇宙科学研究所ですが、その前身である東大宇宙航空研究所以来の伝統を引き継ぎ、衛星の製造は仕様発注方式(この設計どおりに作ってくれといった、我が国独自の発注方式)のままです。
具体的には、発注に先立ち開催する設計審査会において、メカニカルな設計の細部にわたって事前審査を行い、設計審査会をパスした設計図面に基づき製造発注するものです。
東大宇宙航空研究所の時代は、衛星の機能と性能がメカニカルな設計の良し悪しに大きく左右されていたため、設計審査会での設計細部にわたる審査は大きな意味を持っていました。
しかし、今日では、ソフトウェアが衛星の安全性や信頼性などの機能と性能を大きく左右するようになっています。
しかし、目には見えないソフトウェアについての事前審査を、従前どおりの設計審査会で行うことは極めて困難であり、ソフトウェアのバグを予見することも不可能です。
このことが、「ひとみ」の分解事故に直結しています。
つまり、「ひとみ」は、設計審査会の事前審査で衛星本体の安全性や信頼性が殆ど確認できないままに製造発注され、打ち上げられてしまったのです。
今日では、ソフトウェアが機能と性能を左右するようになっていますから、この設計どおりに作ってくれといった仕様発注方式では適する筈もなく、このような機能と性能を備えたものを作ってくれといった、グローバルスタンダードな性能発注方式でなければ対処できなくなっています。
それゆえ、設計審査会を要求要件審査会に変更して、衛星の設計と製造を請負う企業に実現してもらいたい機能と性能についての要求要件(衛星の安全性や信頼性を確保すること、X線天体観測の精度と時間を確保すること、など)について、要求水準書に具体的かつ必要十分に規定されているか否かを事前審査する仕組みとすることが肝要です。
以上を、意見として具申致します。

 角川武蔵野ミュージアム  2022.12.19 高堂彰二 技術士(総合技術監理部門、上下水道部門)


角川武蔵野ミュージアムに行ってきました。
一つは本棚劇場の写真です。いまにも落ちてきそうな本がびっしり積まれています。
もう一つは、約2万枚の花崗岩を使用したという隈研吾の設計した角川武蔵野ミュージアムです

本棚劇場の写真


角川武蔵野ミュージアムの写真

 国土交通省ホットラインステーション(総合政策関係)に提出した意見  2022.11.26 澤田雅之


国や自治体の契約に関する法令は、会計法、予算決算及び会計令(予決令)、地方自治法、地方自治法施行令の4つです。
この中で、予定価格の策定方法の規定は予決令のみにあり、他の3つの法令では「予定価格の制限の範囲内で」とする運用方法の規定のみです。
予決令では、第七十九条と第八十条で(予定価格の作成と決定方法)が規定されていますが、要するに「予定価格は、仕様書、設計書等によって、適正に定めなければならない。」ということです。
また、4つの法令のどこにも「積算」という文言はありません。
それにも関わらず、国土交通省は、「予定価格は、確定した詳細仕様に基づく緻密な積算に依るものでなければ法令上の規定に反する」といった勘違いをしています。その結果、国土交通省は、緻密な積算による予定価格の策定ができないとして性能発注方式(グローバルスタンダードな方式)を忌避し、確定した詳細仕様に基づく工事仕様書で施工を発注する仕様発注方式(昭和34年の建設事務次官通達を根拠とする我が国独自の方式)に固執しています。
問題は、国土交通省の「勘違いに基づく固執」が全国に浸透しているため、仕様発注方式に起因するトラブルが頻発していることです。
2020年10月に発生した「外環道大深度地下トンネル工事による調布市内陥没事故」も、仕様発注方式に起因しています。
この事故は、現場状況を直視できない難工事での安全確保に欠かせない「情報化施工(センサーで取得し解析したデータを即座に工事に反映させる最先端の工法)」の欠落が原因です。
直径16mの超大型シールドマシンが地下47mを情報化施工抜きで掘進した後には、地盤の緩みや複数の空洞(いずれも陥没事故発生後の調査で判明)が、掘進中は全く気付かないまま残されてしまったのです。
仕様発注方式では、設計を別途実施して詳細仕様を確定させた工事仕様書に基づき施工を発注します。
このため、設計段階で詳細仕様を確定できる「熟して枯れた技術」による施工しかできません。
つまり、仕様発注方式では、現場状況の変化に即応できる「最先端の情報化施工」が、詳細仕様を確定できないため使えないのです。
それゆえ、現場に即した「情報化施工」を要する難工事では、性能発注方式を用いて、要求水準書に示す性能要件の一つとして「現場に即した安全性の確保」を規定するしかないところです。

 総務省へのご意見・ご提案 2022.11.20 澤田雅之 技術士(電気電子部門)


全国の自治体のごみ処理施設整備運営事業で1者応札が頻発する原因は、予定価格の策定方法についての勘違い

公共事業の発注に先立ち策定する予定価格について、確定した詳細仕様に基づく緻密な積算に依るものでなければ法令上の規定に反する、といった勘違いが全国の自治体に蔓延しています。このような勘違いは、自治体が発注する公共事業において、1者応札が全国的に頻発する事態を招いています。

具体的には、ごみ処理施設整備運営事業について、平成26年から今年までに入札等の結果がネット検索により判明した30件(X吉野川市、X長崎市、敦賀市、豊橋市、宝塚市、X県央県南広域環境組合、福井市、X志太広域事務組合、枚方京田辺環境施設組合、X山辺県北西部広域環境衛生組合、霧島市、X北九州市、X福山市、佐賀県東部環境施設組合、西知多医療厚生組合、我孫子市、立川市,千葉市、X八王子市、守山市、出雲市、浜松市、宇佐高田国東広域事務組合、X糸魚川市、見附市、X町田市、大磯町、X船橋市、X城南衛生管理組合、上越市)を調べたところ、全体の4割に当たる12件(Xを付加)が1者応札でした。いずれも、積算による予定価格の策定ができるように詳細仕様を規定(特定の業者しか対応できなくなります)した「とんでもない要求水準書」を用いています。

ところで、自治体での契約を規定する地方自治法と地方自治法施行令では、「予定価格」は「その制限の範囲内で」とする運用方法の規定のみであり、「積算」はその言葉すら見出せません。従って、「予定価格は、確定した詳細仕様に基づく緻密な積算に依るものでなければ法令上の規定に反する」といった認識は、勘違いも甚だしいと言えます。それゆえ、上記の1者応札の問題を抜本的に解決するには、これような勘違いを是正(つまり、予定価格は、積算に基づく必要は無く、適切な要求水準書に基づく見積書の適切な徴収査定で策定できること)した上で、価格と技術の両面での競争原理が働く「理想的な要求水準書」(つまり、受注者に実現を求める「機能と性能の要求要件」について、受注者に委ねるべき設計には決して立ち入らず、受注者が設計施工する上で必要十分に記載した要求水準書)を作成することと、このような要求水準書に基づく見積書(要求水準書の要件全てが計上されていること)の徴収と査定を適切に行って予定価格を適正に策定することが必要不可欠です。このため、このような勘違いを是正して頂きたく、お願いする次第です。

 私がキヤノンで25年間やってきたこと 2022.10.30 渡部利範


私がキヤノンで25年間やってきたこと

1. キヤノンはカメラと複写機等の事業部の集まり
キヤノンは、カメラ、複写機、レーザープリンタ、インクジットプリンタ、医療機器、半導体製造装置等の事業部の集まりの大きな会社です。カメラ部門は祖業と言いまして大切に扱われています。人材豊富でエリートの事業部のような気がしておりました。いっぽう複写機部門の1990年代は中途採用の人が多かったです。私も中途採用です。
 カメラは売り切りが基本です。故、厳しい基準で設計します。キヤノンのカメラは信頼性が高い。複写機は市場で故障したら直しながら、お客様に使用してもらう文化です。
 複写機がすごく売れてよかったのですが、国内外での故障・事故が続きました。カメラ部門は、複写機の市場故障でキヤノンブランドの精密・緻密さに傷がつくとお騒ぎするのも当然と思います。私を含め複写機関係者は肩身が狭い思いをしたと思います。
 複写機の故障が発生しましたが、困ったことに海外現地生産のための部品採用基準もなかったのです。複写機部門は、再発防止を目的にして本社品質本部と共同で複写機の第1版の安全技術基準を作成しました。しかし、故障・事故はなかなか減少しませんでした。社をあげて懸命な改革(変革)に努力を要することが明らになりました。

2. 私は安全規格部門から外れた
そんな時、私は本社の安全規格部門から外れ、複写機部門と共同で複写機部門の故障・事故対策に専念せよという指示が出ました。その時は、カナダの安全規格の認証機関CSAから私のサインで認証しても良いという許可をえた直後で、すごくうれしかったですが--。
 気を取り戻して、複写機の故障・事故対策を1年間考えて計画を練りました。複写機部門の困りごとを解決して、市場事故を一掃しようと決めました。その時の部下は、3人で
した。まもなく、複写機部門の事故対策の責任者が本社部門に異動になり、私の上司になりました。
 その上司のもと、まず複写機、レーザープリンタ、インクジットプリンタの事業部に声をかけ、製品安全基準を共に作り出しました。基準は、再発防止、各国の安全規格、市場トラブル等を考え、基準の構成に工夫をこらしました。作り終えたあと、二人で各事業部、国内と海外工場等を何度も周り、製品安全の大切さを訴えました。社長から、かならずやれ、こうしろかといことはなく、二人でコツコツやった事が全社基準になり、かならず守るという全社基準になった原点です。
 
3. 重要安全部品
市場で発火事故をおこし大きな炎を上げる部品とヒータ連続点灯を防止する安全部品を
特定し徹底的に研究しました。その一つが発火しない一次平滑用アルミ電解コンデンサの開発です。それ以外の部品は、雑音防止用フイルムコンデンサ、バリスタ、トライアック、加えて温度ヒューズ、サーモスタットです。
この6部品は、品質本部と事業部とで内部構造の工夫、安全性試験を充分行い、キヤノン専用の部品に近い仕様です。品質本部が特定の6部品のメーカ指定の極めて厳しい技術,仕組みの認定部品制度を作り,安全性と信頼性を保証しました。全事業部の電気設計者がこの6つの電気部品の採用時に伴う安全評価の負担、リスクはありません。
この部品認定制度はキヤノン製品の安全性の基本となりました。1991年から2000年にかけてコツコツ達成してきた認定制度。現在まで事故がないと聞き及んでいます。特にキヤノン専用に近い6部品は、複写機、プリンタ等の安全性を飛躍的に高めました。

4. 製品安全技術基準と電気信頼性基準を統括
 キヤノンでは、製品安全は品質保証ルールとは独立した位置づけで運用します。私が所属する本社部門の製品安全技術部は、製品安全技術基準を作成した部門であり管轄元でした。
 もう一つの重要な電気信頼性基準は、複写機、プリンタ等の標準統括部門から担当者を引き継ぎ、製品安全技術部は二つを統括する部門になりました。その後、デジタル革命でカメラ部門も電気信頼性基準を遵守することがきまり、二つの基準は、キヤノンの全製品はMUSTで遵守することが社のルールになりました。
 製品安全技術部が二つ基準の改訂、修正の提案をすることになり、キヤノン全製品の製品安全性と信頼性を統括する部門になりました。
 
5.最終的なキヤノンの製品安全性と労働安全性
私は半導体製造機器部門の基準を支援した際、労働安全性の重要性を見いだしました。人事部に働きかけ、オールキヤノンの工場の労働安全に力を入れました。社長にその大切さを伝え2006年に仕組みが出来ました。「日経産業新聞フォーラム2006 ものづくり安全と企業経営」で公開しました。
 このようにして、複写機、レーザープリンタ、インクジットプリンタ、カメラ、医療機器、半導体製造装置部門のキヤノンの全部門を相手になしながら製品安全性と労働安全性の大切さをコツコツやってきました。
 電気製品の安全性と信頼性、工場で働く人の怪我や感電防止、これらをまとめ上げたのが2006年10月です。この時には、電源品質関連で世界18カ国を訪問するという仕事も無事終わり、キヤノンでの製品安全の25年の仕事をやりきったという感じでした。私は、2007年8月に58歳で早期退職し、技術コンサルタントの道を歩みました。 

 シニアのコラム 2022.9.16 澤田雅之


私は、1953年に愛知県の生まれで、現在69歳です。警察の情報管理部門や情報通信部門で技官として35年間勤務しましたが、この間に16回引っ越しして、北は宮城から南は宮崎まで9都府県で仕事をしました。
 ここで、是非ともご注目頂きたいのは、私が九州管区警察局宮崎県情報通信部長を務めていた1996年当時の出来事です。
「仕様発注方式(このとおりに作ってくれという発注方式)」が当たり前の我が国で、戦後初となる「性能発注方式(このようなものを作ってくれという発注方式)」により、「宮崎県警察本部ヘリコプターTVシステム新規整備事業」を、非常に合理的かつ効率的に完遂することができたのです。
この時の希有な経験と実績を、私はその後、大いに活かしました。つまり、2013年に警察大学校警察情報通信研究センター所長を退職するまでの17年間に、土木・建築工事を含む数百件の整備事業を私は手掛けましたが、その全てを「性能発注方式」で合理的かつ効率的に完遂したのです。
この間に会計検査院の会計検査を4回受検しましたが、4回とも「(性能発注方式は、)適正に経理されている。」旨の講評を頂いています。
 ところが、中央省庁や地方自治体では何処もかしこも「仕様発注方式でなければ会計検査(会計監査)で引っ掛かる」と確信している状況下でのことですから、私は退職するまで、警察情報通信部門内でも「仕様発注方式を用いようとしない異端者」の扱いを受け続けてしまいました。
しかし、「仕様発注方式」に比べて圧倒的な「性能発注方式」のパフォーマンスを実感していましたので、異端の扱いを受けてそれで終わりでは誠に勿体無いと常々思っていました。
 そこで、警察を退職した2013年に技術士一次試験に挑戦し、翌年には技術士二次試験に挑戦し、その甲斐あって2015年3月に技術士資格(電気電子部門)を取得できたので、直ちに技術士事務所を開業した次第です。その目的は、何と言っても「性能発注方式」のパフォーマンスの良さを広く理解してもらうことでした。
 事務所開業後は、「性能発注方式」の警察での実践と成功で得た知見を社会に幅広く還元していくため、国土交通省、地方自治体、民間団体等での数多の講演の他、「性能発注方式」についての執筆を行っています。直近では、書籍『「性能発注方式」発注書制作活用実践法?DX、オープンイノベーションやプロジェクトマネジメントを成功させる鍵』が、(株)新技術開発センターから今月に発売されたところです。
我が国では、「仕様発注方式」の取り組み方や考え方が「常識」として国中に浸透してしまっていますので、「性能発注方式の啓蒙による世直しの書」のつもりで執筆しました。この類の書籍は、我が国では一冊も出版されていませんので、私の数十年来のライフワークである「性能発注方式」を集大成したこの書籍が、これからは私の「アバター」になってくれることを内心大いに期待しております。

 シニアのコラム 2021.11.19 森田裕之

18日には、働き盛りのベテラン・大塚君に、高堂君と一緒に晩飯をごちそうになりました。
大塚君は、群馬の三洋電機のOBで、地元では技術コンサルタントとして著名人、東京にも事務所があり、娘さんが仕切っている。
これから独立しようと、いろいろ考えている諸君は、大塚君のような先輩に、相談したらいいと思う、遠慮なく、組合の後輩だと名乗ってコンタクトすることをお勧めする。

 シニアのコラム 2021.10.13 森田裕之

アメリカに移住して30年くらいになる長男が、仕事で来日して泊っているので、久しぶりで話すと、いろいろ面白い。
特に、競争という人間の避けがたい原理原則が、アメリカという国で生きていく連中にとって、かなりしんどいんじゃないかねえ。
長男坊でのんびり屋だった男が、結構シビアなビジネスマンになっているので、安心してよさそうだ。

 シニアのコラム 2021.5.21 菅野淳

 令和2年度技術士第2次試験合格者の発表があり、出身大学別(最終学歴)合格者のトップは京都大学で99人、2番目が東京大学で88名、3番目が日本大学で74名です。
 技術士の合格者は偏差値の高い大学や、卒業生の多い大学が上位を占めており、弁護士試験や、公務員総合職試験と同様に、 技術分野の主要な国家資格としての地位が定着してきたようです。

 技術士の資格を取得してどの様なメリットがあるのかということはよく聞かれます。
一部の建設関連業種を除いて、技術士資格は特別な業務独占はなく、会社からの資格手当も出ない企業が大半です。
 それでも何故技術士資格を取得しようとするのでしょうか。大企業の終身雇用制度は崩れてきており、逆に副業を認める企業も増えてきている今日において、人生設計のバックボーンに技術士資格があるという認識は、波乱の多い企業生活での精神的な支えとなるものです。
 会社が倒産して無くなった、会社と衝突していずらくなった、自ら終身現役を目指して独立開業する等、人生の節目で技術士の資格は支えになるものです。

 技術士協同組合は、資格取得者の独立自営の支援や、コンサル業務に欠かせない人脈形成に役立つ活動をしております。

 シニアのコラム 2021.2.28 森田裕之

私の母方の叔母は、107歳で健在である、年賀状をもらったので、土浦の従弟の家に顔見せに出かけた、日本の宝物のような婆さんだ。
土浦には車で行くのだが、高速を使わずに利根川の土手を、延々と海に向かってドライブするのが楽しみだ。
私はドライブが好きで、大抵のとこなら車で出かけることにしている、若い頃にはアメリカでもあちこちドライブに出かけたが、20年くらい前に山の中の崖から転落して、山岳救助隊の厄介になり、ロスに住む長男にも迷惑をかけたので、アメリカでは運転しないことにした。
日本には国中に神社・仏閣があって、ドライブの楽しみだが、最近は日帰りの近場にしている。

 シニアのコラム 2021.1.19 森田裕之

副島隆彦さんの講演会があり、出かけてきました、この人のアメリカ・ウォッチャーぶりは、大したもので、いつも傾聴に値する話をしてくれます。
今回は、トランプ対反トランプの歴史的な経緯や、これからの未来予測を縦横無尽に語ってくれました、私が昔、5大湖周辺のアメリカの会社と仕事をやっていたころは、アメリカの地域による、色々な違い、ドイツ・オランダ系、フランス系、イタリア系、中国系、韓国系等々、思い出がたくさんあります。

 シニアのコラム 2021.1.2 森田裕之

年賀状にはいろんな情報が書いてあって、面白い。
笑ったのは、いよいよ大学からも辞めなきゃならなくなって(定年らしい)独立しますという挨拶が書いてあった。
私なんかは、若い時から、出来れば独立したい(会社を辞めたい)と思って暮らしていたが、出来ればいつまでも務めていたいと考えている奴が居るんだね。
明日(3日)くらいまで、年賀状を書いた人を思い出しながら、退屈しのぎができるのも、お正月の楽しみである。

 シニアのコラム 2020.12.20 森田裕之

「喪中につき年賀状は遠慮します」というハガキがぽつぽつ舞い込む季節になった、自分が年取ったことを忘れているので、教えてもらった気分になる。
新潟の中山さんから、「ほくりく技術士50」という3cm もある厚い記念誌が送られてきたので、ぽつぽつ読んでいるが、結構面白い、地方の技術士の先輩方の奮闘ぶりが書かれている。
最近、月例の会合がパソコン会議になり、参加してみたが、実際に会う会合とは、まったく違い、面白くない。
コロナのお陰で、毎年やっていた30日の餅つきも中止で、いつもの楽しみが無くなり、面白くない、どうやら老年性の鬱病の始まりかも知れない、何か元気が出そうな話があったら、是非聞かせてください。

 ダイヤモンド・プリンセス乗船とその後の思い 2020.12.17  仲佐博裕

バイオサイエンス通信13回に「ダイヤモンド・プリンセス乗船とウィルス感染隔離」の記録を載せて頂きました仲佐博裕です。その際に、いろいろと不平不満の数々を披露したのですが、今年も後僅かになっても、未だに当時の思いが消えるどころか、ますます燃え盛る状況にあります。ここにまた改めて、偏屈になった頭の固い小生の思いをまとめて、バイオサイエンスの関係諸氏からのご批判・ご叱正を頂ければ幸いと存じます。

* ダイヤモンド・プリンセス下船当時の思い:
 横浜帰航の2020年2月3日の時点で、時の政府、というか維新革命好きの長州出の前首相が乗客全員を上陸不可とするという、まともでは考えられないとんでもない大失策をして、その後のコロナ禍の拡大、そして〇〇兆円という巨大数字が飛び交うような国難に至る事態に追い込まれている。あの時に、余計な政治干渉をせずに、船側の予定通りに乗客全員を下船させていれば、こんな現状の日本には決してならなかった、との強い思いは未だに解消していない。そもそものスタートが間違っていたとしか考えられない。それ以降、スタート時の初期対応の失敗を懸命に修正・糊塗しようとしても、所詮ダメなものはダメ、悪い方へ悪い方へ引きずって行く悪循環の繰り返しとなって、事態をどんどん悪化させてきている。

* 新型コロナウィルス感染症が何故特別なの?
 大雑把に計算して、1億人の日本人が平均寿命100歳とすると、1億人/100年で、年間百万人の人が何らかの病気や事故などの苦しみを経て、この世から去って行っていることになる。その中で、何故、死亡者数が圧倒的に少ない新型コロナウィルス感染症だけをこれ程までに特別視するのか。何度でも言いたいのは、日本の現状のコロナ禍は、単なる風邪やインフルエンザに過ぎない。単に感染力が強いと言われてきただけである。その初期症状を一生懸命見つけ出して、今日は何処そこに感染者が何人出た、と馬鹿な数値を手間暇かけて調べ広報しているのは全くのナンセンス。しかも、その無意味な数値を基にして旅行や集会の制限など、経済的にも社会的にも文化的にも国民生活を痛めつけている。こんな政治的に無駄な努力をしているのは何故、全くの茶番劇で、アホくさい限りである。

* 行動制限の無意味さ:
 風邪でもインフルエンザでも、体調が悪い時は自宅で寝ている。中にはどうしても仕事に行くといった公共心に欠ける働き蜂や、義理人情に欠けたくないとして無理に人混みに出掛けようとする人もいない訳ではない。しかしこれらの人々は少なくとも死に損なっているほど体調不良ではないはずである。真に身体衰弱している人は外に出掛けられないし、また自覚して自重しているはずである。普通の健康な人なら、コロナウィルスを含めて諸病原体に対して十分な耐力を持っている。自由な行動をしても良いが、そこには無症状感染者とか濃厚接触者とかで数日間ホテルや病院などに監禁されるヘンテコリンな規則があり、仕事上でも生活上でも大きな足かせとなっている。しかし、これも、役には立たない初期症状の人数の検出だけに目を向ける勝手な取り決めに過ぎないのではないか。不本意ながらその規則に従った無症状感染者や濃厚接触者の拘束事情を、もっとしっかり調査すれば、こんな拘束が如何に無意味であるか、の大事な現場のデータが集められるであろう。

* マスクの要否:
 テレビを見ても何をしても、コロナ、コロナで、政治家も経済人も、芸能人も文化人も一体何を騒いでいるのか?そんなにコロナ禍が怖いのか。その怖さは何時まで続くと思うのか?今のままでは、多分このままずっと続いて終わりが無いのと違うのか?
 そもそも、新型コロナウィルスの美しい写真がいけない、マスク着用によって、口からの唾液の飛沫を綺麗に撮影した動画なんかがいけない、100%防護どころか数十%しか防護効果が無いマスクが生活に欠かせないものとした自分本位の研究者がいけない、昔の日本人の感覚では、人前でマスクをしているのは、風邪を引いているか、変なデモにでも参加するか、花粉症で苦しんでいるか、など恥を忍んでマスクをしたのである。それが今は何故、何処にでもマスクをしなければ何もできない、という全くアホくさい状況である。真に感染の危険が存在する病院内ならいざ知れず、通常の日常生活ではマスクを着けないという良識ある礼儀を持つことこそが、コロナ禍の終焉のスタートになると思っている。

[2020年12月16日 仲佐博裕記]

 シニアのコラム 2020.12.13 森田裕之

年賀状を書く季節到来、なかなか始まらない、喪中につきというハガキがぽつぽつ来るので、気が進まないせいもある。
今年は、コロナのお陰で、30日の餅つきをあきらめたし、今更旅行も行く気になれず、元気が出ない。
プール仲間と、正月も区役所にプールをオープンしてくれればいいのにねえ、とぼやいている。

 シニアのコラム 2020.11.30 森田裕之


土曜日の会合で、西山君・神戸製鋼所と立ち話をしました、私は長男がアメリカ・ロスで神戸製鋼の営業マンをやっているので、シェールガスの発掘の話など雑談をしました。
私は大学を出てすぐの就職で、川崎製鉄に行き、神戸の寮に入って、関西地区の川鉄の工場を軒並み研修させられたので、土地勘があり、会社も鉄鋼素材と機械加工の会社なので、話が尽きませんでした。
大きな会社に就職したサラリーマンが、独立に興味を持つのは、大いに歓迎するが、なかなかとっかかりが無いんだろうと思う、長い目で我々と付き合って、無理しないで独立とサラリーマンの垣根を低くすることができればいいんだろうね。

 シニアのコラム 2020.11.17 森田裕之

ラストベルト 3 州(ペンシルベニア、ミシガ ン、ウィスコンシン)は、私が昔アメリカで仕事をしたエリアで、日本の製造業者がこぞって工場を建てて、メーカーに納入した地域だ、最近、バイデン氏が奪い返した。
アメリカは東海岸沿いは、ヨーロッパとの付き合いが多く、西海岸はアジアとのコネが多いが、真ん中あたりのラストベルトは、ドイツ・フランス・オランダあたりからの移民からなる気質が顕著で、製造業者的な気質(保守・頑固)が強くて、東西の海岸べりの(腰の軽い)アメリカ人とは、まったく違う連中だった記憶がある。
アメリカが分断しているというのは、具体的には、東西の海岸寄りと、真ん中のアメリカのことだと、経験上理解している。

 シニアのコラム 2020.11.16 森田裕之

一年ぶりくらいに、香港に住む高校の同級生・上田君から電話があった、彼はもてる男で、離婚した後に、中国人の若い女性と一緒に、香港に住んで、tradinng commpanyを営んでいる。
若い頃、彼と一緒に、アルゼンチンや中国を旅行した経験があり、勤め人ではない身分の面白さを教えてもらった、得難い友人である。
独立・自営をしていると、外国旅行をするときに、同級生で外国勤務をしている奴を調べて、連絡を取りながら出かけると、具合がよろしい。
ロシアやオーストラリア・ニュージーランド、アフリカといった、あまり知らない世界に旅ができたのも、上田君に教えてもらったおかげだなと、今更電話を切ってから気が付いた。

 シニアのコラム 2020.10.26 森田裕之

我ながら年をとったなあと、思い返してみても、学術会議のメンバーと言う人にあったことがない、大学の先生なんかでも、謙虚な普通の人は、肩書にメンバーであることを、アピールしないのかもしれない。
名刺にありとあらゆる肩書を、書いている人が居るが、いささかどうかと思っている、本当に偉い人は肩書だと思っていないのかもね!

 シニアのコラム 2020.10.15 森田裕之

このところの一月は、何処へも出かけず、クラスターに参加しなかったおかげで、どうやらコロナウィルスにとりつかれずに済んでいる。
日課として、午前中は車で20分のプールに出かけて、20分泳いで30分水中を歩く運動をして、帰宅後は、パソコンの前で居眠りをしている。
プールの帰りに、本屋に寄り、週刊・月刊の雑誌を買い込んで、ためた古雑誌をアメリカの息子、カナダの友人、イタリアの妻の同級生の3人に送ることにしている、これは大変喜ばれている。

 シニアのコラム 2020.10.1 森田裕之

会合に、その道のシニアを参加させておくメリットは、歴史を体験しているから、役に立つと言うことだ。
副島さんのコラムによると、シニアがそれを自覚して発言すると、会合がうまく運営されるとのことだ。
会合にその道のシニアを参加させるのは、会合の企画者の常識と考えていい。

 シニアのコラム 2020.9.28 森田裕之


コロナのお陰で、会合が出来なくなり、会話不足で元気が出ない、年をとったせいか、ネットで知り合ったり、親しく会話するなんてことが、出来ないので、しょうがねえなと、あきらめている。
見学会なら、マスクをしていれば、伝染は防げるだろうから、見学会を企画してくれないかねえ。

 シニアのコラム 2020.8.23 森田裕之

私の従弟で、四国の西側で九州に一番近い半島に住む、似たような年齢の爺さんから、たまに魚がどっさり送られてくる、びっくりして電話すると、趣味の釣りの成果で、食べ方を色々教えてくれる。
釣りの趣味なんてのは、人に喜ばれる、良い趣味だなと、いつも食べた後にしみじみ考えてしまう。

 ダイヤモンド・プリンセス乗船とウィルス感染隔離 2020.8.10  仲佐博裕


 昨年8月末に体調不良を経験しましたが、その後、快復して却って元気になったお祝いに、客船クルーズをまた楽しみたいと思い、ダイヤモンド・プリンセス東南アジアクルーズを楽しむことにしました。そのクルーズ期間は、2020年1月20日から2月4日までの16日間、ちょうど大寒の入りから節分までの極寒の時期であり、避寒も兼ねて早速バルコニー客室を申し込みました。この船は、三菱重工長崎で製造された後の2004年の処女航海から何回も乗船している馴染みの客船であり、横浜大黒埠頭からの出航日に、ベランダ付き客室がある最上階12階のアロハデッキ後方右舷のA703室に家内と二人で乗り込みました。

 1月20日横浜大黒埠頭を出航、22日鹿児島、25日香港、27日ベトナム・チャンメイ、28日同ベトナム・カイラン、31日台湾・基隆の各寄港地を巡り、それぞれの地での観光と共に船内の諸行事を楽しんだ後、2月1日最後の寄港地の沖縄・那覇港に午後早く13時半頃に着岸しました。しかし日本への入国審査が猛烈に時間が掛かり、暗くなりかけた夕方18時頃になってようやく下船できた状況でした。沖縄での入国手続きは長時間掛かることは以前から聞いていましたが、こんなに長く掛かるとは思いませんでした。ただこの時点では、台湾寄港前の1月30日正午のNHKニュースで、千葉、大阪、東京での新型コロナウィルス感染が放送されたことと関係しているのかと軽く考え、入国審査をきちんとしているのなら仕方がないと思っていましたが、3日後の横浜帰航で乗客全員が再入国禁止にされるとは思ってもいませんでした。

 2月3日、翌日の横浜下船準備としてそろそろ荷物整理をしようかと思っていた13時50分に船長放送があり、横浜でのコロナウィルスの検疫の関係で今夜中に帰航すべく速度を上げているとの由。実際、暗くなりかけた頃には東京湾に入り、20時半過ぎには航行中の船に検疫官が乗船してきました。21時頃再び船長放送とその後の配布資料で、新型コロナウィルスの感染者が乗船していた詳細が発表されました。その感染者は香港在住の80歳男性、1月20日に娘2人と横浜乗船、25日香港で平熱で下船、発熱した30日に地元香港の病院で検査を受け、2月1日深夜に陽性と診断され、直ちに香港公衆衛生当局が発表したとのことでした。一方、船は横浜港には着岸できず、沖合で停泊、その間に乗客体温の遠隔測定による検疫を深夜に亘って最上階12階の客室から実施するので各自客室で待機するよう厚生労働省によって指示されたと報じられました。このため寝るにも寝られず、朝方、海ホタルを遠景にして美しい日の出を眺めるまで検疫を待っていました。

 2月4日、巡回検疫の待機で不眠状態で朝を迎えたので、フロントに問い合わせたところ、すぐ下の11階バッハデッキ前方のB401客室が臨時の医務室になっており、そこで検疫をして下さい、と指示されているとのことでした。何故、この船には立派な医務室があるのに、狭いベランダ付きの客室で検疫をするのか、少し不思議に思いましたが、早速9時前頃、家内と二人で出向きました。そのB401客室前の狭い廊下には10人ほどの白人船客が順番待ちをしていましたが、その後に並んで待つことにしました。その後日本人船客がぞくぞくと集まってきて、体調の悪い人たちも含めて長い列となりました。早めに出てきて列の前の方に並ぶことができ良かったと思っていましたが、とんでもない。前列にいる白人連が医務室に入っていくと何故か1人10分位出てこない。何と1時間半も狭い廊下で3密(密閉・密集・密接)状態下に置かれたことになりました。ようやく我が夫妻の番になって入室すると、遠隔体温測定をして僅か2分位で検疫終了。そこでマスク等の防護具もしていない検疫官に対して、外の狭い廊下で多数の乗客が行列していることを話すと、即座にそれは大変と慌てて室外に出て行き、暫くすると体調異常者以外は自室に戻り待機するよう船内放送が流れました。真夜中の全客室検診は後回しにして、現場の状況も知らぬまま大きな顔をして船に乗り込んできたのか、と厚生労働省のお役人仕事には腹が立ちましたが、その日はその後、船が着岸できぬまま、下船準備もする気にならず従来通りの船内生活を楽しんで過ごしました。

 2月5日、朝7時半に船長放送があり、新型ウィルス保菌者10名が下船すること、日本政府指示により、船客全員が2週間下船を許されず、客室に待機して室外に出ないよう求められていること、が報じられました。冗談じゃない!長い船旅で疲れている上に、ようやく横浜まで戻ってきて、自宅に戻って通常の日常生活を早く取り戻そうとして、荷物をまとめ下船準備が万端整っているのに、一体どうなっているのだ、という思いが湧き出しました。この船は英国ロンドン船籍、船会社は米国のプリンセス社、船内はすべて国王相当の船長の指揮下にあるのに、ご維新好きの長州出の日本国首相くんだりの出る幕じゃない、また上からの命令には弱いお役人の厚生労働省やおべっか使いの大臣が、客船の現場や実態も分からぬまま、船内を勝手に支配しようとしているのは許せない、この船は病院船でも軍艦でもなく、主にお年寄りの遊びのための客船であるのだ、とますます腹が立ってきました。その後、客室から出られぬ軟禁状態のまま、BS放送しか見られないテレビでトランプ米大統領の年頭演説を聞きながら、客室ベランダに出てみると、多数のヘリコプターが飛来しており、これから始まる世界的大事件の真っ直中にいるという実感が持てました。その後の感染者の爆発的な増加と救急車の多数待機の状況は、船内の限られた情報よりも、通常の地デジのテレビ放映などで船外の一般の人たちの方が詳しいことと思います。

 船は2月5日の正午過ぎに隔離投錨をされていた横浜港を離れ、東京湾クルーズ、そして荒海の銚子沖の外洋まで航行して船内用水の給排水処理をした後、翌朝6日9時前に横浜大黒埠頭にようやく着岸、食材等詰込み作業を行うと共に、更に感染をした10名の保菌者の救急車での病院への搬送がなされました。この状況は16時半の船長放送で報告され、また客室からの外出散歩を順番制にして行う予定であり着用マスクが配布されました。実際、翌7日には窓無し客室の乗客たちから、船内特定エリアへの散歩外出が少しずつ始まりました。なお、体温測定も指示され、各自に電子体温計が配布されました。この頃の船客にとっての大問題は、手持ちの常備薬が切れてきて、それを申請しても受領できないことでした。これも船内放送の常套語「厚生省のご指示により」のお役人仕事の為せる業として自分自身は我慢することでストレスフリーの状態を保つことに努めました。

 東京湾クルーズと外洋水処理クルーズは、この後も、2月8日の朝9時半頃に出港し翌朝9日8時半帰港、また2月11日夕方に出港し翌朝12日帰港と3回行われました。この最後の3回目の外洋クルーズ以降では、それまでの右舷着岸方向を逆転し左舷着岸となり、右舷12階の我が客室のバルコニーの風景は、大黒埠頭側から夕日の美しい横浜港ベイブリッジ側へと逆転しました。この外洋クルーズの終了は、2月10日に船側のクルーにも感染者が出たことによるものと思われますが、右舷の船側に水処理用の艀が張り付いての左舷着岸は、その後最後まで続きました。

 以上のように、客室内軟禁状態ではあるものの、豪華客船のバルコニー付き客室で、のんびりとした生活が楽しめ、また予期せぬ余録の東京湾・外洋クルーズが3回も楽しめました。更にバルコニーからは、当初の右舷着岸時には大黒埠頭での活発な救護活動を直接眺められ、またその後の左舷着岸時からはベイブリッジの上下の交通、自動車の流れや大小様々な船舶の往来と夕日の富士山や落日などが眺められ、1週間ほどは優雅な日々を過ごすことができました。また、2月11日の建国記念日には、長女と孫娘がレンタカーで大黒埠頭へ、更に船側の真下までやって来て12階上のベランダ上の我々夫妻と直接話ができ、また船の慰問品受付を通して待望の常備薬や日用品を差し入れてくれました。ただ、この間にも、2月9日には体調を多少壊して、咳や黄色痰が少し出て体温も一時37.2度Cまで上がったりしましたが、手持ちの風邪薬を飲みトローチを舐めて就寝したら回復しました。

 2月10日16時の船長放送で65名の感染者が出て、その内の5名がクルーであることが報じられた後、80歳以上と高熱者の乗客用の検診があり喉の粘膜の採取をされました。その検診結果は三日後の2月13日の夕刻に電話で知らされ、妻の方がプラス、夫はマイナスとのことでした。予想とは全く逆でした。当日は、東京湾と三宅島沖までの外洋クルーズから帰ってきて大黒埠頭に逆向きに着岸した二日目であり、久しぶりに許可された7階プロムナードデッキでの一人散歩の後、夫婦でベイブリッジ下に見える快晴の落日とその横の富士山の美景を楽しんだ直後のことでした。呆然としている内に、家内は、身の回り品のみで、迎えに来た防衛医大のドクターに引き連れられて下船。その後、救急車で神奈川県の市立病院に入院させられました。当方は、濃厚接触者として独り客室に取り残されて、その後の厚生労働省からの下船不可の通達に従わざるを得ないまま、2月22日の下船指示まで単独での船内蟄居をし続けました。

 幸か不幸かチョンガー生活を強いられることになった翌2月14日はバレンタインデー、先ずは夕方、厚生労働省支給のアップルのスマホの新品が各客室毎に配布され、次に夜にはプリンセス社からのバレンタインの贈り物として、真っ赤なバラの花、チョコレート、虎屋の饅頭、ビタミン剤などが配布されました。スマホの方は、これまで老いた指先では巧く操作できないことと細かな字が多くて見えないことで一切触れたこともない素人であったものの、かくなる上はこの機会に物にしようと孫娘を先生として、その後の軟禁生活での良き友とはなりましたが、帰宅後は、もうこりごりと同じ理由でスマホとは決別をしています。

 その後、2月22日に下船を通達されて、横浜大黒埠頭を後にして送迎バスで埼玉県の税務大学校和光庁舎若松寮へ搬送されるまでの間の毎日の船内での独身生活は、独り寂しく暮らしましたが、客室テレビでのNHKBS放送やスマホでの電話やメール、2日置き程度の許可エリアでのちょっとした散歩、日本のクルーズ客船ぱしふぃっくびいなすや横浜港を行き交う様々の船舶と富士山の展望、などでストレスフリーを保っての体力維持に心掛けました。この間、食事も船員食で味は今一ながら良好の食材での好みの料理が出たり、アルコールが解禁となって世界のビールがたらふく味わえるようになったり、結構優雅なチョンガー生活を味わえました。また、2月17日には、娘の姉妹が母親の見舞いに入院先の病院へ訪問した帰途、横浜港一周の遊覧船マリンルージェ号でダイヤモンド・プリンセスを遠望できる距離までやってきて電話通話でのお見舞いもして貰えました。

 外国船客が、2月17日の米人客の帰国から始まって、カナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人、香港人、更に2月20日の南アフリカ人を最後に、だんだんと減ってきて周りが閑散となってきました。日本人船客も、ウィルス感染を免れ濃厚接触者にもならなかった正常者たちが2月19日463名と20日273名下船して、21日には残留乗客は約200名となりました。これは静かな環境の下にまだまだ客船生活が楽しめると喜んでいたところ、どっこいそうはさせぬと17時のブリッジ放送、「2月23日正午で全ての船内サービスを停止する」とのこと。冗談じゃない、それでは船内には残れなくなるじゃないか、それとも濃厚接触者として現在残留している乗客は皆下船して帰宅させて貰えるのか、とその翌日の下船と税務大学校への移送とかの身の振り方も分からないまま、支給されたハイネッケンの瓶ビールを飲みながら美味になってきた船内食の海老グラタンの夕食を楽しんで、船内最後の夜を過ごしました。

 一方、この日2月21日は驚きのニュース、入院中の妻の桂子が2回のPCR(ポリメラーゼ連鎖反応Polymerase Chain Reaction)検査でマイナス判定となり、即退院、その夜の内に帰宅したことが、レンタカーで迎えに行った娘からの電話で知らされました。何のことはない、全く健康で感染検閲もマイナスであった我が身が、ただ濃厚接触者だとして、その先行きも分からないのに、2月13日に検閲結果がプラスで入院した家内の方が2回の検査で無菌であったとして、病院から「コロナウィルス感染症が軽快」という退院証明書を貰って既に帰宅しているとは一体何事かと、妻の帰宅は喜びながらも、医者の権威と役人の無能さ、ウィルス検査の頼りなさ、に腹が立ちました。実際、それまで船内では日本医師会の健康調査として2月15日に東京医科歯科大医師の対面訪問、16日には埼玉県医師の喉液採取が行われていましたが、その結果は何も知らされず、ただただ健康に留意しているだけで無為に日々が流れていることが残念でした。

 2月22日朝7時に紙袋に入った朝食が配られ、直ちに荷物を整理して客室外に出せとの放送、そして10時45分に下船開始の放送がありました。荷物は2月4日の横浜帰航のために殆ど整理したままの状態ではあったものの、家内の荷物との二人分から当面必要な身の回り品を選り分けて送り出しました。人影も無くなった船内を通って下船口へ、簡単な下船手続きをしてから、船側に横付けされていた、窓にカーテンが張り巡らされた大形バスに直行させられました。バスは、日本人と外国人混ぜて約20数名ほどが乗車した後、11時半に大黒埠頭を出発し、12時45分に埼玉県和光市にある税務大学校和光庁舎若松寮に到着し、その第2棟818号室の個室に入り、2月29日に離寮・帰宅するまでの7泊8日の間、軟禁生活を強いられることになりました。

 この寮生活では、室内からは廊下にも出ることは許されず、入り口扉の前に置かれる食事を取りに行く時かゴミ出しをする時以外は、扉の開け閉めもせず、他人との顔合わせは一切できないような完全な軟禁状態が続きました。ただ、狭いながら三角形のベランダがあり、そこからは遠くに東京スカイツリーやサンシャインシティ、高島平団地の遠景が眺められ、晴れた日にはスカイツリー近くに朝日が昇るのも見ることができました。また、入寮当日の22日にauのGalxyスマホが貸与され、それ以降は家族との電話連絡や親戚、友人、知人へのご無沙汰の詫び電話を掛けまくりして、孤独感も無く過ごすことができました。プリンセス社からは、ご丁寧にも慰問品の差し入れも届きました。この税務大学校の個室には、船内と異なり、小型ながらテレビがあり、地デジもBSも全てのチャンネルが楽しめました。また船室にシャワーしかなくプールやジャグジーも禁止されていた船内生活に対して、ユニットバスの浴槽での全身入浴もでき、更に食事も天丼や鰻丼などの和食弁当のご馳走も出て、こちらの寮生活でも官費旅行の独身生活を満喫することができました。

 2月も末の29日ようやく軟禁状態から解放され、迎えに来た娘と孫娘の運転のレンタカーにダイヤモンド・プリンセス乗船以来の沢山の荷物を積み込んで、1月20日からの41日目にして無事に我が家に帰ってくることができましたが、既に梅の花も散る時期となっていました。しかし、自宅には戻ったものの軟禁制約はまだまだ終わってはいませんでした。拘束期間は、基準となる日の翌日をゼロとして、それから2週間の14日間を拘束するとのこと、2月13日の濃厚接触者となった翌日14日をゼロとして28日まで船内と寮内に監禁、そして何故か29日の帰宅日の翌日3月1日をゼロとして2週間目の3月15日まで自宅内軟禁となりました。この間は毎日、厚生労働省の指令を受けた文京保健所から電話での在宅確認と体温・体調の聴取があり、何時電話が来るかと待っていて自由に散歩や買い物にも行けない日々が続きました。その間も相変わらず体調は良く体温も常温、健康そのものの毎日なのに、保健所の方も通常の業務を差し置いて、馬鹿馬鹿しいとお互いに思いながらも、上からの指令で仕方なく電話をしていることを気の毒にもなりました。実際、コロナウィルス感染症で入院までした家内が2月21日に帰宅して以来自由に生活しているのに反して、最初から健全であった我が身が何故何時までも拘束されなければならないのか、事のスタートから何か間違っているのじゃないかと、との思いがだんだんと増幅して行くようになりました。

 3月に入り桜の季節になって行く内に、新型コロナウィルスの感染が拡大して、学校学園や遊園地の閉鎖、更に3月20日の志村けん氏の新型コロナ感染死去を契機に、春の彼岸過ぎには、都立公園や博物館・美術館をはじめ諸施設の閉鎖や諸行事の中止、と発展して行き、経済・社会・文化の崩壊が始まりました。また、世界的にも新型コロナウィルスの感染が拡大し、3月11日にはWHOがパンデミック(世界的な大流行)を宣言して対策強化を促すことにもなりました。我が国では、その後4月7日には、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づいて「緊急事態宣言」が発令され、4月16日に緊急事態宣言を全国に拡大、更に5月4日にはその5月6日までの期限を5月31日まで延長する、というとんでもない進展を辿ってきています。

 しかし、本当にこの新型コロナウィルスの感染が、経済や社会を破壊するほどそんなに大変なことなのでしょうか、ダイヤモンド・プリンセス乗船からずっと健全状態を維持してきた我が身には、まるで理解し難いことです。「ステイホーム」と在宅が強いられ、街に出れば、風の吹く晴天の通りを歩行者のほぼ全員がマスクをしているのは何故なのですか。通常のマスクは、ウィルス感染防御には無力です。それに、この新型コロナウィルスは感染力は驚異的であっても、それほど強力なものではなく、健康で耐菌力を持っていれば、そんなに恐れることはないと思われます。実際、ダイヤモンド・プリンセス乗船者では、PCR検査の陽性者が721名、その中の651名が退院しており、また船内で最後まで濃厚接触者にもならずに下船できた健全者は1457名、残りの200名ほどが濃厚接触者として下船軟禁されました。不幸にも13名がお亡くなりになりましたが、耐菌力に欠けていた方か、帰航時直後の船内拘束で病院にも行けずに病状が悪化してしまった方も居られたことと思います。PCR検査の陽性者で退院された方は、解熱剤や鎮咳薬が投与され、ウィルスによる熱や咳などの症状が緩和される中に、ウィルスに対する抗体ができ、ウィルスが排除されて治癒しています。

 新型コロナウィルス感染症が恐れられたのは、抗ウィルス薬やワクチンが未確立であったことでしたが、その状況下でも死亡に至る人たちは、少なくとも日本では、意外なほど数少ないことです。これまでにも似たようなコロナウィルスが原因の感染症が流行したことがありました。2003年に中国で流行した重症急性呼吸器症候群SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)や2012年以降発生し2015年には韓国で大流行した中東呼吸器症候群MERS(Middle East Respiratory Syndrome)ですが、その際にも日本には被害はありませんでした。外国で猛威を振るっているウィルス感染症も、それぞれの国の医療体制や人種、風習、文化、などで影響は異なります。それなのに今回は、人の命が何よりも大事として、何故ここまで経済や社会を破壊しなければならないのか、施政者のトップやそのお取り巻き、担当のお役人たちの責任が重いことは、今後の歴史で明らかにされることを期待しています。

 ダイヤモンド・プリンセスの横浜帰航の2月3日の時点で、余計な干渉をせずに、船側の予定通りに乗客全員を下船させていて、その際に体調異常者を適切に対処すると共に、新型コロナ感染症に対する予防法を周知させておけば、その後の展開は今とは全く異なっていたと確信しています。国民全員に10万円を支給するとは何事、生活や事業困窮者に資金援助と勝手に言っているけれど、そのお金は一体何時誰から集めるのですか、その国力低下は我々やその子孫からの税金から補完せざるを得ないのでしょう。何故そのような国難と言っている事態に追い込まれたのですか、どうも、そもそものスタートが間違っていたのではありませんか、との思いが未だに解消していません。このような経済や文化の破壊までして、全人口から見て僅かな数の病気持ちの老人の命の方が大事であるとはとても思えません、というのが今の思いです。

 シニアのコラム 2020.7.20 森田裕之


息子と孫が、庭の池の底にたまったヘドロを掻い出して掃除してくれた、池を作って以来初めてのことなので、ヘドロが沢山たまっていた。
私が、朝起きてエサをやるのだが、魚が増えて、品の良い金魚なんかは、とっくに「淘汰」されて居なくなり、今はいわゆるフナみたいな川の雑魚に占領されている。
人間の社会と似たとこあるなあ、というのがシニアの感慨である。

 シニアのコラム 2020.7.12 森田裕之

シニアの強みは「経験」である、今回のウイルス騒ぎにしても、そういえば昔「なんやら風邪」という風邪に似た流行病があったなあと、軽く受け止めて、あまりびくびくしないのが、年寄りの強みだ。
仕事のことでも、大抵のことは経験済みだと、あまり動じることが無いのが、シニアの強みで、若い人は仕事をするときに、仲間に一人シニアを入れておくと、リスクマネージメントになることが、知られている。

 シニアのコラム 2020.6.21 森田裕之


今月に入って2度の葬式があった、近所に住む親せきのシニアで、長い付き合いだったので色々な感慨がある。
学校を出てから、大きな組織に勤めて、定年を迎え、長いシニアライフを楽しんで、子供・孫たちにも恵まれて、亡くなった、羨ましいような生涯だ。
我々の親の世代は、戦争があったので、色々な物語りが語られる葬式だったが、最近死ぬ年寄りには、あまり面白いエピソードの無い、サラッとした一夜だった。

 シニアのコラム 2020.5.31 森田裕之

商社勤務の甥っ子が、アフリカのヨハネスブルグから一時帰国で話を聞いた。
かなり物騒なところで、奥さんや子供は日本に置いたままの単身赴任とのこと、若い人は大変なんだと、今更ながら、俺は無事にお爺さんになれて、運が良かったなあと思った次第である。
日本が世界と付き合うフロントには、多くの危険や落とし穴があって、若い日本人が苦労しているんだと、実感した次第、感謝しなくっちゃいけないね。

 シニアのコラム 2020.5.8 森田裕之


独立以来世話になっている会計事務所に、決算の書類を届けた、ここは代変わりになり、息子が跡継ぎをして、面倒を見てくれる。
息子はここ何年か、会計士の試験を受けているんだが、受からないので、父親の友人会計士の名義を借りて、私の会社の決算書類をやってくれる。
士(さむらい)の仕事に理解があるので、私としては有り難い付き合いである。

 シニアのコラム 2020.4.28 森田裕之


今朝、ラジオ体操をしていてふと昔、組合の仲間と旅行した時、朝起きてみたら先輩の、黒沢豊樹さんや本田直士さん達がラジオ体操に参加して、キビキビ動いていたのを思い出した。

朝ごはんの時に聞いたら、士官学校のOBの本田さん曰く、子供の頃から兵隊さんになりたくて、毎朝体操をして士官学校を受験したけど、負けた国の兵隊になるのはあきらめて、早稲田に行ったんだと話してくれた。

黒沢さんの事務所は、新宿にあった技術士の派遣会社と同じビルにあり、我々後輩に派遣会社との付き合い方を、色々教えてくれた得難い先輩だった。

これから独立を目指す諸君は、長いこと独立・自営をやっている先輩が会合に出てきたら、捕まえて、色々教えてもらうことを、お勧めする。

 シニアのコラム 2020.4.16 森田裕之


独立を考える技術士が、考えなきゃならないのは、人材派遣業者との付き合い方である。
芸能人が派遣会社の吉本興業といざこざを起こして、週刊誌に書かれることがあるが、技術士諸君もよく考えて、人材派遣会社と付き合ったほうが良い。
自分でクライアントが見つけられない、自信のない人で、人材派遣会社に転職したような気分で、名刺を配っている人が居るが、いただけない。

 シニアのコラム 2020.3.25.森田裕之

私は相撲の炎鵬という、白鵬の土俵入りで太刀持ちをしている小柄なお相撲さんのファンである。
我々とあまり変わりのない体で、巨体の相手とまともにぶつかり合って、勝負をするのは、まことにかっこいい。
今場所初めて負け越したが、これまで連続勝ち越しで来たというのも、凄いお相撲さんだと思う。

 シニアのコラム 2020.3.18.森田裕之


コロナウイルスの伝染になかなか歯止めがかからない、人間が外国と往来しているのを止めるわけにはいかないのだから、まだ当分の間は治まらないだろう。
は我々のようなシニアは、家に閉じこもって、TVに向かって悪口を言っていれば済むが、若い諸君は、世間を動き回らなければ、生きていけないので、汚染される機会が多くて気の毒だなあと思っている。
観客の居ない相撲をTVで見ていて気が付いたんだが、相撲でも野球でも観客が居ての娯楽なんだなあと、今更ながら感じ入っている次第。

 シニアのコラム 2020.3.1.森田裕之


コロナウィルスのお陰で、学校や役所まで休みになり、世の中がストップしている、皆が家に閉じこもってTVを見ている異常な世界になってしまった。

私のひねくれた意見だが、ウィルスに積極的に感染して、体の抵抗力を総動員して免疫を作り、菌を飼い殺しにするのが、人類が生き延びてきた歴史だと信じて、ウィルスの感染を恐れずに、日常生活を続けてみるのが、正しい対処法だと思うが如何?

 シニアのコラム 2020.2.17.森田裕之


庭で日当たりの良い梅の木に沢山の実がなるので、例年梅干しを仕込むのだが、今年は梅干し大好きだった義兄が亡くなり、少々張り合いが無くなった。
例年の行事というのは、大抵、かかわる人間に由来したもので、思いをはせるのは、年寄りの楽しみというものだ。
組合の行事にも、始めたころの先輩諸氏の顔が思い出されて懐かしい、5月の独立開業セミナー
には、色んな講師諸君の思いが込められていて、私はスタートした時から、みんなの話を聞いてきたが、いつも楽しみにしている。

 シニアのコラム 2020.2.10.森田裕之


コロナウイルスでクルーズ船内に閉じ込められた旅行客は、本当に気の毒だ。
私は大人になってからは、こういう理不尽な経験はないが、誰に文句を言ったら良いんだろうと、さぞかし腹立たしいことだと、同情する。
でも考えてみれば、満州で生まれた私と家族が、敗戦の何日か前に、突然現れたロシアの兵隊に追い立てられて、天井の無い貨物列車に詰め込まれて、1か月に及ぶ日本帰国の旅を強いられた75年前の、私のおぼろ気な6歳の記憶も、そんなものだった。
汽車が止まると、用足しのために、何人かが汽車を降りて、原っぱにしゃがみ込む光景や、帰国の船の階段を踏み外して、宙ぶらりんになって、助けてもらった経験は、忘れることができない。

 シニアのコラム 2020.2.1.森田裕之


日本技術者連盟の井戸田さんは、技術士は技術分野のコメンテイターをやったらいいんだと、会うたびに論戦を仕掛けてくる。
技術士資格者は、井戸田さんが言うような広い技術分野は苦手で、見識が無いのは、自分で反省してみても、気が付く。
ただ、これから色んな会合で、意識して勉強してみようと提案する。

 シニアのコラム 2020.1.17.森田裕之

相撲の初場所が面白い、私は小さい相撲取りが好きで、少し前だと舞の海、今は炎鵬が好きです。
車も小さい車が好きで、スズキのハスラーとベンツの170があるけど、9割がたハスラーに乗っている。
クライアント会社も小さいほうが好きで、独立したころは大会社と付き合っていたけど、今じゃ小さい会社ばかりである。
孫も小さい頃は可愛いが、成人過ぎると、憎たらしくなり、可愛いとは感じない。

 シニアのコラム 2020.1.11.森田裕之

年賀状を見ていたら、土浦の母方のおばちゃん、富野・とみのさんは、107歳で土浦での最高齢ということらしい、頭もしっかりしていて、年賀状にサインがしてあった。

 シニアのコラム 2019.12.31.森田裕之


30日の餅つきを無事に終了しました。
イタリアからの旅行者、日本で勤務しているドイツ人など、国際色も加わり、私の息子の世代も子供が沢山来てくれて、賑やかに、海苔巻きやあんこ、大根おろし、黒豆などの日本のお正月の料理とお餅ちの組み合わせを楽しみました。
天候も、天気予報より少々いい天気で、少しパラパラ降ってきたけど、みんなの念力で無事に今年も無事に終わりました、感謝。

 シニアのコラム 2019.12.23.森田裕之


卒論の同期で、長崎の三菱造船に勤めた友人・野村君が亡くなったという知らせがあった。
電話でおしゃべりする、数少ない友達だったので、がっかりしている。
風車の設計者として世界に知られたエンジニアだった、私は長男がロスに居るので、ラスベガスにはよくドライブしたが、途中の山の上に、三菱長崎製の大きな風車があり、ラスベガスに電気を供給していると言うことだった。
巨大客船の世界的な供給者でもあった長崎造船は、巨大風車の世界的なメーカーでもあり、鉄板の大型構造物では、多分世界一のメーカーなんだろうと思う。
実家が立川で、学生時代は立川から通っていた、よく一緒に山登りをしたり、旅行に出かけた仲間だった。
卒業旅行で、九州の武田のあたりを一緒に旅行中に、昭和の天皇と美智子さんの結婚があり、列車イッパイの新婚旅行者・群に囲まれた記憶がある。

 シニアのコラム 2019.12.18.森田裕之


昨日、卒論の時の仲間と「忘年会」を銀座のビアホール・ライオンで開催した。
毎年やってきたが、年々参加者が減って4人だった、昔話よりは今の話に花が咲いたように記憶している。
郷土がある、上京して就職した連中が多いので、田舎の話(墓じまい)や家族の話に花が咲いた。
久しぶりの銀座で、帰路一回りしたが、さすがは日本の一つの看板・地域だけあって、気分が良かった。
案外外国人らしきグループは、見かけなかった、日本の田舎から出てきた団体のほうが、目だったような気がする。

 シニアのコラム 2019.11.22.森田裕之


ひとつ前のシニアのコラムを見たとのことで、上田に住む古い友人の山本君から電話があり、組合のホームページをたまに見ては、私のことを気にかけてくれていたらしい。
山本君は、現役時代は、社会主義圏と付き合いのある商社に勤めていて、私の高校時代の友人もその会社にいたものだから、当時交流がありました。
そのころ、私がロシアの見本市を見に行ったときに、クイズに当たって、各国一週間の、東欧5か国旅行のバウチャー(旅費・宿泊費)をもらったので、彼から色々情報をもらって楽しい旅行ができた思い出があります。
今回はリンゴを送ったとのことで、楽しみにしています。

 シニアのコラム 2019.11.09.森田裕之


このところ、恒例になっている、イタリアからの妻の友人・湯崎芙紗子さんとアニェーゼ同行で、今年は信州・上田の別所温泉に2泊して、近隣の神社・仏閣を散歩して、朝昼晩と温泉三昧を楽しんできました。
湯崎さんはイタリアでは有名な粘土・アニメーションの作家で、最近では日本のNHKが、子供番組の看板に利用するので、毎年今頃再契約のために、NHKに行くことになり、ついでに日本の温泉巡りをするので、我々が付き合うことになっています。

 シニアのコラム 2019.10.20.森田裕之




独立したころ、アメリカの仕事が多くて、ラジオをよく聞いていたが、最近当時のアメリカの流行歌の録音が見つかり、懐かしく聞いた、カーペンターズとかジョーン・バエズとか、今でも英語の歌詞がスラスラ出てくるので、我ながらびっくりしている。
付き合っている日本人が全部会社員だというアメリカ人に、「俺は独立した技術コンサルタントだぜ」と言ったら、「日本にもそんな人種が居るのかよ!」と嬉しそうに、仲良くしてくれたアメリカ人のことを思い出している。

 シニアのコラム 2019.10.13.森田裕之



12日・土曜日は組合の勉強会2つが、台風襲来のお陰でキャンセルになり、終日TVとパソコンのにらめっこの一日だった。
台風の通り道の被害が次々とTVで見ることになるが、私の住んでいる浦和はこれまでにあまりやられることのない、運のいい地域で、いつもTVやじ馬で過ごしているのは、申し訳ない気分になる。
親戚や知り合いの住んでるところが、被災地になると、お見舞いの絵葉書を送ることにしている、これまででは、直撃を食ったという知り合いは無いのが、有り難い。

 シニアのコラム 2019.10.09.森田裕之


日韓の技術士会議というグループ活動で、10年くらいお互いの都市で交互に大会を開催してくれたおかげで、韓国の主な都市は見物することができた。
特に田舎は、日本の田舎とそっくりだし、言葉は通じないけど人間も似たようなもので、親しみを感じた記憶が残っている。
最近のマスコミの論調が、日韓の関係がとげとげしい様子を、これでもかと伝えているが、私はあまり気にすることはないと、判断している、時間が経てばまた昔の関係に戻るに違いない。
仕事で韓国と付き合っている技術士仲間の話を聞いても、マスコミがあおっている話と大分違うようだし、心配はしていない。

 シニアのコラム 2019.9.26.森田裕之


午前中に出かけるプールでの出来事を2つばかり、浦和に寄宿しているらしいロシアのラグビーチームの連中が、10人位2レーンを借り切って泳いでいた、TVで試合を見ていたので、すぐに判ったが、筋肉隆々の凄い体をした連中だった。
毎朝来ている、昔の美女から、会うたびに「おはようございます」とあいさつされるのはうれしいのだが、あまり何回も初対面のように「おはようございます」と言われても、もしかして「認知症?」と考え込んでしまう。

 シニアのコラム 2019.9.7.森田裕之

久しぶりに、車に乗せてもらって箱根を往復したが、乗せてもらうドライブもなかなかいいものだなあと、感心した。
私は運転大好き人間なので、年中ドライブしているが、助手席で眺める景色は、運転しているときと全然違うんだ、ということがいまさら実感した次第。

 2019.8.21森田裕之

シニアのコラム 2019.8.21.森田裕之
森田裕之です、お盆になると、友人の古田淳一郎君と電話で話をします。
彼は、広島で被爆して、背中に大きなケロイドがある爺さんだけど、元気で、最近はペタンクという鉄の球を投げるゲームに凝って、近所の仲間と遊んでいるとのことです。
医者無料の原爆手帳の保持者は、古田に言わせるとみんな元気で、あまり医者にかからないのが、仲間内でひそひそ囁かれているテーマなんだそうです。
放射線は体にいいんじゃないのかねえ?原爆手帳の統計的な履歴を、調査したらどうなんだろうね。

彼の娘は、日経新聞の科学部の記者で、たまに記名記事を書いていました。

 2019.7.14

シニアのコラム 2019.7.14..森田裕之
久しぶりに浅草に出かけた、ウンコ・ビルを見ながら麦とろを食べて散歩した。
半分くらいが外国からの観光客と思われる、近くに道具屋が密集している町もあり、日本国中から人が集まるように進化してきた街なんだ。
昔は、地方から出てきた友人と、銀座までぶらぶら散歩してものだが、今はとてもそんな元気はなく、道路にはみ出している喫茶店で、コーヒーを飲みながら雑踏を観察するのがお楽しみである。

 2019.7.2

シニアのコラム 2019.7.2.森田裕之
独立自営を始める諸君の年齢は、世間的には立派なシニアになっているが、組合のメンバーから言えば、会合での発言を聞いて「まだまだ若いねえ」と思うことがしばしばある。
独立・自営には定年がないと言うこともあり、年齢で先輩・後輩の判断されるようなこともないので、わりに気楽な付き合い方が成立している。
私も、昔会社員だった頃は「年齢差」を意識する世界で暮らしていたが、独立以来、あまり初対面の人の年齢は気にしないことになっている、独立・開業セミナーに参加した諸君と、話をしていて、ふとそんなことが頭に浮かんできた。

 2019.6.17

シニアのコラム 2019.6.17.森田裕之
ジビエを食う会で話題になったのだが、私は自分の歯が全部あり、見たところ汚らしくはあるが役に立っている。
理由は多分、生まれてこのかた、歯磨きをしたことがないからだと思う。
敗戦後2年間、満州から日本に帰国する2年間、普通の家庭生活が出来ず、今でいう避難小屋・収容所をあちこち転々として、学校へも行かずに暮らしていたころに、歯磨きをしなくなってのだと思う。
たまに、近所の歯医者さんに診てもらってはいるが、クリーニングしかしない。

 2019.5.29

シニアのコラム 2019.5.29.森田裕之
今日は卒論仲間4名で、芝の増上寺を散歩してきました、浜松町の東京よりに集まり、大門あたりの居酒屋でさんまの焼いた定食を食べ、増上寺で沢山並んでいるお地蔵さんの居る道をぶらぶらして、東京タワーの周りもついでに散歩して帰りました。
この散歩グループは、主として私がプランして年に3−4回は出かけているが、このところ代々木上原のトルコ風のモスクや、神田のニコライ堂、目白のノートルダム風のモスクなど、回教やキリスト教の大寺院を散歩した後だったので、もう一つの大宗教・仏教もすごいなと感心した。
東京には世界の宗教のお寺があり、地方に住む友人んがうらやましがっているが、それだけいろんな人が居るんだと、感心している。

 2019.5.16

シニアのコラム 2019.5.16.森田裕之
独立して、シビル・公共事業の分野で仕事をしたいという諸君は、組合の先輩に、色んな勉強会を紹介してもらい、勉強会に顔を出して勉強するのが一番だが、koukyou@cea.jpという所で議論されているテーマは重要なので、チェックしてください。

シニアのコラム 2019.4.23.森田裕之
21日の夕方、次・三男一家を引き連れて、横浜の中華街で晩飯を食べてきました。
最近、浦和から横浜へは電車のアクセスが良くなって、横浜駅から横浜港を船で横断して中華街へのルートが早くて、一時半に家を出て3時半には予約したレストランについていました、客の居ない店を独占してのんびり食べて、帰りは地下鉄経由で座って帰れました。
昔、親父の満州時代の友人が、中華街に住んでいたので、子供の頃から来ていたけど、街の様子は相変わらずで、大勢の家族ずれがにぎやかに歩いていて、お土産屋や中華の道具屋、レストランがひしめいています。
日本人の我々には、日本の中華街の料理が一番うまいような気がします、中国やアメリカの中華街の料理よりね。

シニアのコラム 2019.4.19.森田裕之
ノートルダム大聖堂の火災というニュースが、繰り返しTVで報じられている、私は先週、卒論仲間のシニアグループで、目白にある椿山荘の隣の、東京カテドラルを散歩してきたばかりなので、印象深い。
シニアの散歩は、数年前から神社・仏閣を巡ってきたが、最近回教のモスクを散歩して、面白かったので、神田にあるロシア正教のニコライ堂もあらためて、中に入って見て、色々感心するところがあった。
東京カテドラルの庭には、ルルドの聖水のレプリカがあり、昔、フランスに観光旅行をした時に観光ルートに入っていた、キリスト教聖書の中の名所、湧き水の出るルルドという村を思い出した。
大聖堂は石で出来ているという印象だったけど、どうして火災になるのか不思議だったが、修理していた材木の足場やカバー、修理道具を動かす電線などの現場からであれば、火災は納得だ。
たまたま、高木、澤田、高堂君達がkoukyou で議論しているテーマの実例が出現したようなので、新聞を読むのが楽しみになった。

シニアの世界 2019.4.10.森田裕之
我が家の長男一家は、ロスアンジェルスの南側のサンディエゴに近い、ニューポートコーストという所の高級住宅街に、もう10年くらい暮らしている。
メキシコとの国境に近いので、シビルの仕事、上下水道、道路、ごみのシステムのオペレーターはメキシコ人で、住民の半分は世界中の金持ちの別荘があり、日本人には理解できない都市のインフラ・警察や軍隊がうろうろしている。
私の息子もその嫁さんも、日本の大企業の現地採用の社員で、転勤もなく、孫たちも日系アメリカ人として、ぼちぼち大学卒業して就職する頃になった居る。
彼らは日本に帰る気はさらさらないらしく、これからこういう若い人が増えていくんじゃなかろうか?

シニアのコラム 2019.4.4.森田裕之
元号・令和の騒ぎが一段落したが、これも日本の景気を持ち上げるイベントだった。 私の高校のOB会が麗和会という名前で、由緒は知らないが、蘊蓄のある先輩が昔々に命名したんだろうと思うと、感慨深い。

習字をやっている友人や俳句や和歌が趣味の人たちには、今回のイベントはわくわくしていたんだろうと思うと、シニアになったら何か趣味をもたにゃいかんなア、と思う。

シニアのコラム  2019.3.23.森田裕之
私は就職して初めてのボーナスで、スバルー360を買って以来、スバルー1000、BMW,ベンツ、スズキのハスラー、に乗っているが、買うときの決定権は妻が握っていて、いつの彼女の好みの色や格好になる。
多分メーカーの経営は良く世の中の実態を理解していて、車の性能や耐久性を売りにしていない、かっこいいかどうか、虚栄心を満足させるかどうかが、問題なのだ。

シニアのコラム  2019.3.17.森田裕之
足利の渡良瀬川で、養魚場をやっている漁協の役員の石井君のリクエストで、カワウを追っ払いたいノウハウの勉強のために、東松山の森林公園の岡田さんという責任者の方のお話を、現場で伺いました。
養魚場では嫌われているカワウが、公園ではスターなので、まあ人間の都合で嫌われたり、可愛がられたり、おかしな話ではあるけど、樹の二股になった部分に巣を作るとか、糞で樹の幹が真っ白になり、掃除が大変だとか、公園の大変さと、養魚場の大変んさ、の違いによって、カワウが評価されているのがおかしく、シニアらしい勉強になった。

シニアのコラム 2019.2.27. 森田裕之
25日には、久しぶりにコンペックスの会合に出席したら、世話役の向井くんから、コンペックスの設立当時の話をしてくれとのことで、三菱油化の役員を辞めたばかりの高嶋直一さん・化学部門と、業界誌・プラスティックの編集長OBの石坂賢さんと3人で、プラスティック成型加工業界の技術者、材料の化学会社、成型機械の機械会社、製品の自動車や電機の部品の会社等の広い分野の技術者および会社OBが、情報交換をする月例会をやろうと言うことで、始めて40年くらい続いている会合である。
スタートしたころは、プラスティック化の初期の時代だったので、大きな部品が金属からプラスティックに置き換わる、プラ業界の黄金時代だったと、思い返している。
最近の話を聞くと、材料も混ぜ物が多く、細かい用途に対応する、成熟したマーケットに会社も対応している様子だった。

シニアのコラム 2019.2.21.森田裕之
埼玉の北部にある、稲荷山古墳に関する講演会があり、懐かしさもあり聞いてきました。
親父の実家が近くの川里村という所にあり、従弟が居るので、電話で久しぶりに長話をしました。
このあたりや、もう少し西にある東松山なんかは、朝鮮からの渡来人の開拓民によって、人が住むようになったと記憶しているが、従弟の話では森田の先祖は、何処からか享保年間に今の川里村に来た一族だそうで、古墳には関係ないとのことだった。
埼玉の北西部には山が多くて、山すそには神社が沢山あり、山を背にした部落が
沢山あり、関東平野を開墾したをのが、渡来人たちだったことが、記録されている。

シニアのコラム 2019.2.11.森田裕之
会社や役所では定年ということで、独立・自営の会合に参加する諸君を見ていると、「若い」というのが、最近の私の印象で、「まだまだ先は長いぜ」といつも心の中でつぶやくことになっている。
今夜お通夜の河面君なんか、70歳ということで、突然の訃報に組合の仲間たちもビックリで、若くして独立した大企業OBの先輩として、後進の育成にリーダーシップを発揮してもらいたいと、期待の人材だったので、残念至極というのが私の心境です。

シニアのコラム 2019.1.29. 森田裕之
高嶋直一さんが102歳で亡くなられました、高嶋さんはシベリアで長く抑留されて、戦後大分たってから四日市にあった三菱油化の研究所に就職して、所長を経て役員になり、東京・吉祥寺の井の頭公園そばの高級マンションに住んでいたが、ある時会合で、故郷の岐阜に帰りたいと言い出し、私は「やめた方が良いと思います」と反対意見を述べた記憶がある。
戻られてしばらくしてから、油化の昔の部下諸君と一緒に、長良川の鵜飼いのホテルに出かけて、高嶋さんに話を聞いたが、故郷ではあんまり歓迎されていなかったようだった。
組合では唯一、役所に勲章の申請をしてあげた記録がある、藍綬褒章だったと思う。

シニアのコラム  2019.1.19.森田裕之
トランプ大統領のツイッターを見ていたら、「現時点で、全世界に建設された大規模あるいは重要な国境壁は77ある、壁を作っていたり計画中の国は45カ国」とあった。
日本は海に囲まれて恵まれているんだと、改めて感心している。

シニアのコラム 2018.12.31.森田裕之
我が家の恒例行事の30日の餅つきは無事に終了しました、多分48回目になると思うのだけど、快晴の天気に恵まれ、100名ほどの人が集まってくれて、女性が台所と男性が餅つきの仕事に参加して、20KGのもち米を食べつくした。
実際の力仕事は息子たちとその友人たちがやってくれて、私は親族の年寄りどもと、技術士の友人たちと、おしゃべりに専念しました。
50年近くやってきて、一度だけ急に雨が降ってきたことがありましたが、例年、30日はいつも快晴で、太陽が当たるとポカポカする絶好の日和になりました。
初めて参加した後輩が、今団体活動で人集めが大変なんですが、どうしてこんなに人が集まるんですか、と真面目な顔で聞かれたんだけど、私にも今年は大分増えたなあとしか考えることが無く、日本人は神武以来餅つきが好きなんじゃないかねと、返事をしておきました。

シニアのコラム 2018.12.13.森田裕之
大学の友人達と恒例の銀座・ライオン(ビアホール)での忘年会をやりました、今年は3人が亡くなり、運転免許を返上したとか、財布を無くした(これは私)とか、元気が出るような話があまりないが、今年は神社仏閣の散歩で、代々木上原にあるにある回教の教会・東京ジャーミーと、御茶ノ水のニコライ堂の散歩は、大いに面白かった、明治の開国のころに、神社仏閣の国日本に、回教やロシア正教(キリスト教)の信者である外国人が、日本に自分の宗教を広めようと、巨額のお金を使って、東京の真ん中に大きな教会を建設したという事実は、宗教の力がすごいというか、歴史を読み直してみたくなるような、面白い散歩だった。

シニアのコラム 2018.12.2.森田裕之
11月の30日に、大塚政尚君の出版記念パーティ・が太田市にあり、技術士仲間何人かとともに参加・出席してきました、盛大な会で、太田や大泉の政治・行政・企業のお偉いさんが、ざっと見て100人くらい来ていました。
私との付き合いは、彼が三洋電機の冷凍機・コンプレッサーの設計者で技術士を取って、組合に入った頃からの付き合いで、私が当時、「独立をそそのかした」ということを、今でも若い後輩たちに話しているようだ。
ベンチャー企業の上場、企業の売却という経験を生かした、コンサルタント業を営むと同時に、技術士が企業経営に参加することを推進する運動を、やっており、そのうち我が組合でも、大塚君が世話人の勉強会を、スタートさせたいと思っている。

シニアの世界 2018.11.20 森田裕之
18,19,20と山形市内と小野川の温泉巡りをしてきましたので。
イタリア在住で、日本で知られていないけど、イタリアでは有名な、妻の同窓生の湯崎芙紗子さんが、「粘土細工を少しずつ動かして、ミニドラマを作る」というNHKの子供の番組の仕事で来日するので、このところ毎年の年末行事になっているが、日本国中の日本的温泉を訪ねることになっている。
山形は上杉家の領地で名君として知られている、謙信や鷹山公の神社やお墓があり、領民に余程慕われてきたんでしょう、観光客を沢山引き付けているようです、加えて、色んな種類の温泉があちこちに出ていて、の温泉好きのシニアを楽しませています。

シニアのコラム 2018.11.18.森田裕之
15日の見学会で、名刺交換の時に財布がないことに気が付いて、タクシーに電話してもらったら落ちていたとのこと、ボケ寸前のシニアには、日本は住みやすいところなんだと、あらためて感謝した次第。
見学が好きなので、スケジュール優先して参加しているが、以前は関東地方なら車で行くことにしていたが、最近は電車で行くことにしている、余裕を見て早めに行く心配もなく、帰りの込み具合の心配もないので、家族も安心しているようだ。

シニアのコラム 2018.11.12.森田裕之
最近、代々木上原にある、トルコ文化センター(モスク)を散歩してきたけど、初めての回教の寺院のは、壮大で建築的にもすごいんじゃないかと感心した。
回教は他の宗教と違って、偶像崇拝をしないから、彫刻や絵画を崇拝する代わりに、モスクが宗教施設として壮大で立派なものになるんだそうである、13日には御茶ノ水のニコライ堂を、シニアのグループで散歩する予定だが、ここは確かロシア正教の教会のはずだ。
東京には案外外国の宗教施設があるんだね、お楽しみです。

シニアのコラム 2018.11.7.森田裕之
大先輩の長友正治さんから電話があり、今住んでいる高輪のマンションあたりが、山手線の駅の新設により再開発されることになったので、技術士会館が作れないだろうかとのアイデアを考えたので、相談できる人は居ないか、とのことなので、元・港区長で技術フォーラムの主催者の原田圭美君が最適だと思い、早速紹介の電話をかけてお願いしておきました。
長友さんは、多分100歳に近い年齢になっていると思うが、頭脳・言語が明晰で、電話じゃとても年齢を感じられない話しっぷりでした。

シニアのコラム 2018.10.23.森田裕之

森田裕之です、大分昔の話だけど、私のアメリカでの州のPEとの付き合いの記憶では、公共事業のための専門の役所は無くて、道でも橋でも事業の企画から設計まで、州の認可のPEが競争入札でやって、第2位のPEが1位で実施されるPEの企画・設計をaudit・監査するというやり方でした、州の税金は使うんだけどね。
日本は開国の頃から、国・役所が公共事業をやってきたという歴史があるので、監査が内部監査になるのは、致し方ないのかもね。

シニアのコラム 2018.10.1.森田裕之
シニアの楽しみの一つに、工場見学がある、私は見学が私のスケジュールの優先イベントになっている。
見学には、なるべく車で出かけることにしていて、早めに出かけて見学先の周辺をうろうろしてみるのも楽しみの一つだ。
先週の椿本チェインの飯能工場でも、何回目かの見学だったが、あの周辺には以前に見学した工場があり、国産のハムの先駆者であるサイボクハムも近くにあり、久しぶりで昼飯にサイボクハムのサンドウィッチを食べて気分良く椿本の見学をした。
椿本もチェインの会社だが、ゴムと一体化したベルトの世界一のメーカーになっており、日本のものずくりの凄さを感じた見学会だった。

シニアのコラム 2018.9.13.森田裕之
大学同期の5人のシニアが、フーテンの寅さんで有名な、柴又を散歩してきました。
さすがに、あまり外国人は見かけず、地方のシニア・グループが沢山来ていました、駅には寅さんと妹のさくらの彫像があり、商店街も映画の背景で知られているとうりだから、映画の影響力は凄いなあと、驚きです。
肝心の「帝釈天」にお参りしてから、少し歩くと、河があり、「矢切の渡し」、とこれも有名な歌謡曲にある渡し船が、100円で対岸に連れて行ってくれました。
外国の名所・旧跡の旅もいいけど、日本にも近いところに、行ったことのない神社仏閣の素晴らしいところがあるもんだと、お楽しみです。

シニアのコラム 2018.9.3.森田裕之
私は組合の仲間との会合で、書き物にすると問題になりそうなテーマについては、なるべく本音で喋っているつもりである。
特に、第一週の土曜日にやっている、独立支援の会での、参加者の自己紹介を聞いていると、一席ぶちたくなることが多い。
もう何十年も独立前の、企業内の技術士のパターン化された独立プランを聞かされているので、飽き飽きしているというのが、本音だ。
それというのも、おおむね定年前後の年代の諸君が大多数を占めているので、たまには、若くて独立してみたいという、元気のいい人の話を聞きたいものだ。

シニアのコラム 2018.8.26.森田裕之
25日のJEF会議室での業務委員会・上野世話人では、JEFの井戸田専務の、「サウジアラビアの、女性のものずくり参加への、日本の技術者(男性・女性を問わない)からの提案」
を具体化するための議論をすすめている。
最近の、産油国としてのサウジの立場の変化を横目て見ながら、日本としてどういう提案ができるか、これまでのサウジとの付き合いなんかを勉強しながら、議論するのは、なかなか面白い。
こういう巨大テーマは、色んな分野の専門家の参加が不可欠で、興味ある人は、是非この最後の土曜日の15時ー2時間ぐらいに、溜池・山王駅前のアドレスるビル・5階の、JEF会議室に様子を見に参加してみて下さい。

シニアのコラム 2018.8.21.森田裕之
78歳のスーパーシニアのボランティアの迷子探しの鮮やかな成果が、マスコミを賑わせている、素晴らしい話だ。
なんといっても、私なんかは体はまあ丈夫で、毎日プールでひと泳ぎをしているくらいだが、この尾畑さんのようなボランティア精神は無くて、我ながら「自己中な爺さん」である。
尾畑さんの生活ぶりが判るにつれて、その「利他的な精神」と日常生活ぶりの徹底さには、感動するよりびっくりした、人のために生きることが自分を生きるということなんだね。
凄い人が居るもんだ。
キリストや親鸞のような、宗教の始祖には、かならず尾畑さんのような無私の利他的なエピソードがある、教祖になっても不思議じゃないね。

シニアのコラム 2018.7.23.森田裕之
第1回目のAI&IoTの講演会が、21日15.00−からあったが、会場が椅子がなくなるぐらいの参加者があり(20数名)、はやりの言葉でもあり、興味を持っている諸君が多いことが判り、感心しました。
私にはまだよくわからないテーマではありますが、世話人の平田君以下の最近独立・自営を宣言したステアリング・メンバーの、春山君や舘泉君達のために、色々協力したいと考えています。
当面、ものずくり分野ということらしいので、上智大・名誉教授で工作機械分野では有名なコンサルタントの清水さんや、日本技術者連盟・JEFの井戸田専務理事に、色々と指導してもらうことになっています。

シニアのコラム 2018.7.13.森田裕之
いつも見ているTVは、火野正平のこころ旅という、自転車で国中を回る番組で、昔行ったことのある地方を見るのが楽しい。
プレバトという俳句の番組も好きで、ここの先生の評価はいつも気分が爽快になる、四国松山の出身らしく、子規伝統の町が生んだ素晴らしいおばちゃんで、俳句を知らない私も、欠かさず見ている。
球技が苦手なものだからスポーツ番組はあまり見ないが、相撲は欠かさず見ている、力士の名前の読み方が難しく、メモしておくんだが、すぐ忘れてしまう、シニアは困ったものです。

シニアのコラム 2018.6.29.森田裕之
最近ある女性から、マウンティング・https://seikatsu-hyakka.com/archives/32718という言葉を教えてもらった、最近女性間で話題になっていることだが、昔からあることで、「上から目線」とか「アドバイスしたがる」とか、対人関係で相手より上位にあるよ、と誇示する態度を言うようだ、サルが相手のお尻りに乗っかっている態度を比ゆ的に表現しているらしい。

私も組合の会合では、最年長に位置するもんだから、マウンティングそのものだろうと思う、嫌われる立場・年齢になっていることに違いはない。
TVで大きな組織のお偉いさんが、申し訳ありませんと、頭を下げているのを見ると、「かわいそうに、運が悪かったねえ!」とか「奴隷の親方で、沢山ため込んでいるんだろう」とTVに向かって、ぶつくさ言うことにしている、たまにその会社のOBが独立しましたと、会合に出てくることがあるが、からかいたくなるのは、あまりいい先輩じゃないと、自覚している。

シニアのコラム 2018.6.18.森田裕之
17日(日)には、恒例の副島隆彦さんの講演会が、田町の労働会館であり、「北朝鮮処分」後のアジア及び世界の今後を考える」という時局的なタイトルで面白かった。
副島隆彦さんの本は、大抵読んでいるし、ホームページでも読んでいるけど、そういうフアンを裏切るような、驚かせたいという、気分が横溢している講演会でした。
田町の駅前の本屋で、私の大好きなもう一人の近未来を教えてくれる、長谷川慶太郎さんの新刊・「習近平の真意」を買って、待ち時間に半分くらい読んでの後だったので、面白さが倍増しました。
帰路駅前で、菅野君に声をかけられました、菅野君も副島フアンで半年に一回やっている講演会では、大概姿を見かけます。

シニアのコラム 2018.6.8.森田裕之
田吹君から、本田尚士さんの追悼集が、弟子だった平野君達によって出版されたという情報がメールされてきました。
私も、稲門の先輩でもある本田さんには、色々思い出があります、3年くらい前に、イタリア在住の妻の友人達と、霧島温泉巡りをした後で、鹿児島空港へ行く道すがら、国分という地名が表示されていたので、本田さんの隠居先だと閃いて、レンタカーを返却する時間を削って、30分ばかり寄って、本田さん夫妻と雑談してきました。

それ以来、日本の伝統として、田舎に故郷を持つ、「田舎の秀才は、東京や京都の学校を卒業して、就職して都会に住むが、年をとると、例外なく故郷に帰りたくなる「症候群」に罹病はする」という法則があることを発見した。
症状を促進しているのは、明治・大正・昭和・平成という時代を歌うはやり歌・流行歌で、いつの歌も「故郷を恋しいという、明治以降の日本の普通の人たち誰もが、若い頃田舎から都会に職を求めて出ていき、年をとって故郷が恋しくなった」ということだ。

本田さんは、その夢を実現した人で、故郷にも、環境にも恵まれた先輩だという印象だったが、奥様から大いにぼやかれて、先輩も大変なのかもしれないなあと、少し?・マークが残りました。

シニアのコラム 2018.5.30.森田裕之
ここ2−3日は日大のアメフトのニュース・解説ばかりで、如何に日本のグループ活動のネガティーブな面の典型的な事例なものだから、誰でも思い当たることがあるので、話題が尽きない。
私には、学校卒業後勤めた、川鉄の千葉の圧延部整備課という職場で、初めて下っ端の奴隷的な経験して、驚きあきれて、1年2か月で辞めて、自宅の近所の小さな機械屋に設計者として、雇ってもらい、上役の居ない勤め人を10年やり、会社が潰れて独立した歴史がある。
 この小さな会社では、30人の町工場だったが、潰れたときには400人の会社に成長していて、私には40人の部下がいて、サッカー部や将棋部を作り、仲人も4回やり、いい意味での日本的組織・グループを意識して運営していた、これは川鉄という大企業での経験を反面教師として、我ながら楽しいグループ活動を経験した、今でも当時の諸君とは仲良く付き合っている。

大会社だった川鉄の経営者・総務が、従業員を奴隷扱いしたのが「顕在化」したのが、会社で食べる弁当の扱いだった、この件は、私があちこちで喋っているので、ここでは繰り返さないが、そのおかげで、ご飯とおかずが別の容器に入れられるようになり、当時の川鉄の仲間たちから、感謝されたことが思い出である。

シニアのコラム 2018.5.19.森田裕之
正月が終わった頃から、「親知らず」がぐらぐらし始めて、噛み合わせの無い歯ではあるが、食べ物を右側の歯で噛むという「舌」の動きが自動化して、100日くらいたって、日曜日にようやく歯が取れました。
私は、歯を磨かないことと、虫歯が無いことが自慢だったけど、この親知らずにはいささか影響を受けました。
歯医者さんに通ったおかげで、汚い歯を大分きれいに掃除してもらいました。

シニアのコラム 2018.5.12.森田裕之
10日のMNB研究会のあと、佐々木世話人の快気祝いと、春山君の独立祝いを兼ねて、津田沼駅の近くのサイゼリアで祝杯を上げました。
研究会の年間計画では、微粒子研・大久保世話人とのコラボ発表会をやることになり、産学のイベント作りのモデルとして、組合の諸君の参考になる先輩のグループ活動・仕事である。
私は気体のMNBが、液体の中で、固体の微粒子と同じような性質を示すということに、非常に興味がある、微粒子研とのコラボでは、是非そのテーマの話が聞きたい。

シニアのコラム 2018.5.5.森田裕之
4月24日には周辺技術研の見学で、茅ヶ崎にあるアルバックという真空機械の会社に行ってきました。
大分前にも見学した記憶があるが、大発展して大きな企業になっていた。
真空の応用というのが、色んな分野に広がっていて、そのための専用機械を提供してきた歴史がある、これまで見学した工場でも、印象的で覚えているのは、食品や薬品の工場で汚れを嫌うプランとは、真空と包装の組み合わせがあったし、半導体工場ではプラズマなどの表面処理の雰囲気は真空だったし、現在組み立てが終わって出荷前の大きな機械が試運転していたが、大きな真空の箱・部屋が、ロボットでレールの上を回転したり、コンベア搬送されていた。
真空技術を武器に、ユーザーの最先端開発部門と付き合いながら、応用機械を市場に展開している経営は、日本的な物作りの典型的な成功物語だと再認識した次第。

シニアのコラム 2018.4.20. 森田裕之
独立・自営を希望して組合の会合に出てくる会社の定年前後の諸君は、世間ではシニアと思われ、自分もそんな気分になっているようだが、私のような80のシニアから言えば、まだまだシニアとしても未熟だし、先が長いぜと言いたくてむずむずしている。
同年配の友人達で、木彫りの仏さんを彫っている奴も、俳句をやっているのも、私のようにプールで泳いでいるのも、4−50歳代からやっている趣味は続いているが、定年になってから何かやろうというのは、案外続いていないのが実態のような気がする。

シニアのコラム 2018 4.7. 森田裕之
私は小・中・高の同級生とは、あまり付き合いはないが、大学の卒論の仲間とは、年に何回か近隣の神社仏閣を散歩することになっている、昨年来では、目黒不動、築地本願寺、西新井大師などに出かけた。
同期の連中を見ていると、自分の老いぼれ具合が、冷静に、客観的に見ているようで、大いにためになっていると思う。
足腰や肺の病気持ちは、来なくなるが、がん系や私のような血管系は、よく出てくる。

シニアのコラム 2018.3.26. 森田裕之
22日に、銚子の近くにある工業団地の、エーザイの工場見学がありました。
周辺技術研究会・伊藤世話人の見学会で、阿部君の紹介で15名くらいの参加者がありました。
薬の工場なんてのは、なかなか見る機会が無いけど、機械屋的な見方からすると、食品の機械と共通点があるので、判りやすかった。
工場の清潔さの追求は徹底していて、汚染は人間が持ち込むしかないとのことで、見学者も頭から靴の先まで白衣に包まれて、移動した。
ゴミの分析で多いのが、人間のまつ毛だそうでびっくりした,まつ毛は新陳代謝するものなんだね。

周辺技術研の見学会は毎月工場見学を企画しているが、見学先の在庫が増えず、伊藤君が苦労しているので、ceaM/Lの諸君は、是非知り合いの会社の見学先の確保に協力してください。

シニアのコラム 2018.3.19.森田裕之

私の知る大秀才は、副島隆彦さんで、最近は近未来の預言者をみずから宣言して、
『米軍の北朝鮮爆撃は6月! 米、中が金正恩体制破壊を決行する日』
(光文社)

という本を出版した、金正恩がこの表紙を見て、方針を変更してアメリカの言うことを聞くようになると、予言は外れるけど。

シニアのコラム 2018.3.9.森田裕之

高齢者の免許書き換えの講習会に行ってきました。
多分高齢者の事故の統計に乗っとった教育ビデオなんだろう、自転車やバイクに気をつけなさいと言う内容で、説得力がある良いテーマだった。
私は最近、家の近くで2回、高校生の自転車にぶつかり、謝られた経験があり、新聞の事故の記事で、高齢者が自転車やバイクにぶつけたという事故の何倍かが、反対にぶつけられているんだと思う。
警察官のOBである、自動車学校の先生に、私の推測を質問したら、経験上正しいと思います、という返事をもらった。
マスコミは、特に年配者の事故を取り上げて、認知症とか動作の遅くなる老化現象と結び付けて、記事にしているきらいがあると思う。
時流に乗せられて、簡単に免許の返上なんてことをやるシニア諸君の気が知れない。

シニアのコラム 2018.3.2.
若い春山君から、「独立しました」、という挨拶メールが来ました、私の本を読んだのがきっかけだそうで、私としても若干責任を感じて、群大の先輩でもあり、ベンチャービジネスのスノーバーを上場させた大塚君に、以下のメールを出して、気にかけてやってほしいと、お願いしておきました。

貼り付けー

大塚政尚君、森田裕之です、以下のキャリアー登録のコピーの春山君から独立の挨拶メールが来ました。
群大だし、若いし、君の分野と重なるところもありそうなので、面倒見てやって下さい。
このメールは彼にCCしておきます、東京でも群馬でも、君のところに呼んでやって下さい。

貼り付け終わりー

シニアのコラム 2018.2.15.森田裕之
暮れに卒論仲間との散歩会で、築地本願寺と築地構内の昼飯を楽しみました。
本願寺の設計は、妖怪が居ることで有名な、斎藤さんという建築家の作品だと、後輩に教えてもらい出かけました。https://matome.naver.jp/odai/2138923269319306201

シニア・ボランティアの案内人もよく知らないという妖怪を何匹か見つけて、楽しみました。
築地や銀座は、本願寺の門前町だったんだと、改めて昔の地図を見てみると、徳川家康が開拓したころの東京湾が判って、神社・仏閣の散歩もまんざらじゃない楽しみがあると、勉強する気になっています。

シニアのコラム 2018.2.3. 森田裕之
技術士会の会議室が使えなくなったおかげで、芝の機械振興会館に講演会を聞きに行きました。
帰りに、久しぶりに増上寺にお参りして、大門あたりを散歩しました、この辺りは、昭和電工に友人が居たり、SME(アメリカの製造技術者協会)の日本支部があったり、高嶋直一さんの技術士事務所があったりで、一昔前だけど、土地勘があり、うろうろしたところです、懐かしかった。
高嶋さんはシベリアに6年抑留されて帰還した兵隊さんで、満州帰りの私は親父位の年の差があり、年をとったら何に興味があるのかを、色々観察したり、教えてもらいました。
いまやっているコンペックスというグループ活動や、ナノ構造プラスティック研究会、工場見学に特化している周辺技術研究会などは、30年くらい前の先輩方・シニアを観察して、私が組合の仲間に提案して始めたグループ活動です。
会社の定年ですっかりシニアの気分になっている諸君が、独立・自営を目指して組合の勉強会に来てみると、組合の先輩たちから「若い人扱い」されて、びっくりしている光景を沢山見ていますが、独立・自営がうまくいっている技術士の諸君は、年を聞いてびっくりするような人が多いのも事実です。

シニアの世界 2018.1.24. 森田裕之
周辺研を含めて、見学の機会があると、何をおいても優先して参加することにしている。
これまで見た工場で、印象に残っているのは、歴史のある会社の、業界での競争に勝ち残り、淘汰された中で生き残った製品の工場だ、2−3の例を述べる。

群馬にある新潟鉄工の船のエンジン工場では、クランク式のクラッシックなエンジンをたくさん作っていたが、世界中の港のタグボートのエンジンでは、圧倒的な市場競争力があるとのことだった、つまり、小さな船で大きな船を曳きまわす力があるという、特殊なエンジンらしい。

千葉にある宇部興産の工場では、高圧法ポリエチレンの製造工場で、エチレンガスを高圧に圧縮して作る方法で、現在は一般的な石油から触媒で作るやり方の以前からある、古典的な方法らしいが、世界中が止めてしまった後も、止めた工場から部品を譲ってもらい、継続してきたおかげで、利益率の高い工場だとのことだった。

昭和電工の大町の工場では、カーボンの電柱のような柱を作っていたが、これは電気炉のカーボン電極で、世界中の電気炉の消耗品であるカーボン電極のメーカーとして、競争力が強いという話だった。

AIとかロボットというような先端分野の技術の追求ばかりが、生きていく道じゃない、というようなシニアの意見です。

シニアのコラム 2018.1.21. 森田裕之
19日の夕方に、機械部門の大先輩の長友正治さん・95歳から電話があり、今夜あるところで講演するので、聞きに来いとのことだった、私は予定があっていけなかったが、長友さんと言えば、満州重工業に勤めていたころに、穴掘り機械の設計をやっていて、2000メートルの穴掘り機が出来なかったので、満州からは石油が掘れず、日本の軍隊が南の油田を確保するために、第2次世界大戦がはじまってしまったのだ、という秘話を話してくれたことがある。
20日・本日は、プラスティック・ボンベの研究会で、JXエネルギーの曽我くんが、シェール・ガスがアメリカのベンチャーによって大量に発掘されるようになって、サウジアラビアがぐらつき、中東の政治状況が一変して、不安定になり、戦争前夜の状況らしい話をしてくれた。
時代は変わっても、石油やガスの資源が戦争の原因になるんだと、気になる話だ。

シニアのコラム 2018.1.1.森田裕之
独立・自営は個性の産物である、先輩が残した方法論は、あまり参考にしないほうが良い。
世の中には「教えたがり」という人種が居て、新規参入者を惑わすが、丁重に無視してください。
私が独立した(会社が潰れて)頃には、戦後に就職できなかった・しなかった技術者で、グループを作り、自らを「野武士の会」と称した先輩達が生きていて、自宅に訪問すると、喜んでくれ、あけすけに、いろんな話をしてくれました。
逗子の海軍住宅に、独立のあいさつに出かけたときに先輩が、海軍の将校で敵艦に大砲を打つ時の狙いを定めるのに、OR(operations research)という技術を使ったが、今はORを会社の経営に応用するコンサルタントをやっているんだと、色々教えてくれた。
今でも若くして独立したいという諸君は迫力あるが、9割がたが定年後の暇つぶしのコンサルタント希望者だから、迫力ないねえ。

シニアのコラム 2017.12.24.森田裕之

今年の暮れは「不祥事」が目立った年の暮れと、歴史に残りそうだ。
役所や大企業、相撲界など、あまり関係ない世界の話なものだから、野次馬根性が働いて、少々面白半分に物語として、上から目線で話題にしているきらいがある。
ところが、我々の研究会に参加している、技術士じゃない大学の先生が、大学から懲戒免職になったというニュースが飛び込んできた、また本人からは、所属とメール番号変更のお知らせと、大学とは見解の相違があり辞めましたという、言い訳なのか強がりなのかわからない内容の文章が書いてあった。
なるほど、世の中は、不祥事の当事者の言い分など、発表されていることが無いので、単純に素人判断で当事者が技術者として、倫理・法律が身についていないからだ、と決めてかかってしまう。
私は今回の事件の詳細は判らないが、免職された人とは今後お付き合いをしないという判断をして、シニアのコラムに記すことにした。

シニアのコラム 2017.12.14.森田裕之
このところ恒例になってきた、イタリア在住の妻の同級生の湯崎芙紗子さん・粘土アニメ作家と年末の温泉巡り、今年は伊豆の下田に行ってきました。
海岸で日の出が美しい旅館と、山に囲まれた川べりの割烹旅館に泊まり、3日間日本料理を朝昼晩食べて、温泉を堪能しました。
生まれ育った故郷を離れて、年をとると、望郷の念が強くなり、本当に帰郷した先輩が、故郷に入れられず、パッとしない老後を送っているという話は、よく聞く話だが、湯崎さんのように、年末に、それは日本料理と温泉を堪能することで、解決するというのが、賢いやり方なのかもしれない。
お陰で、我々夫婦も、日本で有名な温泉地には、ここ20年くらいの間に、毎年同行して楽しませてもらっている。

シニアのコラム 2017.12.8.森田裕之
喪中につきというはがきを頂く季節になりました、普段は自分が年をとっていることを忘れていますが、それぞれのはがきに、感慨があります。
そういえば、プールメイトも、同級生の神社仏閣散歩の会も、メンバーが段々減ってきて、その都度寂しい思いをします。
同年配の養老孟司さんが「遺言」という本を出したので、早速買って読んでみました。
なかなか難しい本で、動植物や文化・文明の寿命と私の寿命について、考えさせられました。
日ごろの付き合いは、独立・自営の技術士の育成を主張しているおかげで、若い後輩たちとの付き合いが多いので、養老さんののような「先生」の話は、色々考えさせられて、気分が一新したみたいで爽快です。

シニアのコラム 2017.11.29. 森田裕之
相撲協会が暴力沙汰という不祥事に右往左往しているのを、マスコミで見るにつけ、産業界での大企業の不祥事の対応とまったく同じで、野次馬的には面白い。
たまたま我々のM/Lでも、企業の不祥事と技術士の立場について、澤田君が問題提起してくれたおかげで、私が企業内の諸君やOBでも最近まで会社員だった人に、見解を聞かせてもらって、ますます相撲取りとおんなじだと感じている。
事件になると、法律や業界の決まりや倫理要綱が論じられるようになるが、新人が相撲・仕事を覚えるのは、親方の部屋・会社や役所に入って、先輩諸氏に教えてもらい、やがて一人前になるので、法律や倫理要綱は騒動を起こしたネガティーブな状況を回復させるには、説得力があるが、相撲取りや技術者を一人前に育てていくには、相撲でいえば部屋・親方という単位、会社でいうと、部だとか課というような小グループで、先輩・後輩の間柄から、教育がなされていくのが、世の中の正解というものである。

シニアのコラム 2017.11.22. 森田裕之
卒論の仲間に、川越を案内してもらったが、近くに住んでいるのに、知らないことが沢山あり、特に喜多院には、500羅漢を始め沢山の木彫があり、その中で、創始者の天海僧正の顔が、凄い顔で、顔にひかれて、中村晃著・天海という本を読み、ついでに、隆 慶一郎著・影武者・徳川家康 上・中・下をアマゾンで買って読み始めた、これが抜群に面白く、世良田次郎三郎という野武士で鉄砲の名人が(失業している技術士みたい)体形がそっくりなので、家康の側近に家康の影武者に採用され、本物が関ヶ原で殺された後、側近に支えられながら、家康として天下を統一して、徳川300年のシステムを構築していく話である、しばらくは読書の秋を楽しみたい。

シニアのコラム 2017.11.13.森田裕之

11日午後の組合の会合に、久しぶりに、実家のある九州と東京の自宅を往来している田吹君が出てきたので、3月に九州・国分で亡くなった本田尚士さんの「サムライぶり」の話になりました。

私も去年の夏に、イタリアからの友人たちと、九州の霧島温泉巡りをした帰りに、鹿児島空港の近くの国分に本田さん宅に2時間くらい滞在して話をした。

本田さんは田吹君には、「パテントを出した技術でお金が入るので、もう少し大きな家を建てるんだ」と言ってたそうだ。
私には「森田は未だ日韓の会議に出ているのか、俺が引っ張って入れてやったんだけど、辞めたきゃ辞めていいぞ」(要するに、本田さんは、最近の韓国は気に食わないとのことでした)とのことだった、私はとっくにいかなくなっていたが、黙ってうなずいておきました。
薩摩隼人の子孫である本田さんは、今度戦争したら勝たなきゃいかんのだ、と言っていました。

シニアのコラムコーナー 2017.10.30.森田裕之

このところ我が家では、電気製品が次々と故障して、エアコン、冷蔵庫、洗濯機は部品の取り換え、TVはネット会社のサービスマンが接続ケーブルを取り換えてくれてOKと、部品の寿命というものを実感した。
人間も多分似たようなもので、血管なのか、内臓なのか、脳なのか、年齢とともに故障することは、避けられないのだろう。
人間は電気部品と違って、病気という敵も年齢とともに増えてくるのだから、大変だ。
私は特に健康のために何かやっていないが、独立したころ、暇なもので近くのプールに出かけていたのが習慣になり、今でも毎日午前中はプールで25分泳ぎ、25分歩いている、80,90歳のプールメイトも居て、行かないと次の日にどうしたのと、聞かれてしまうのです、元気な爺さん・ばあさんが沢山来ています。

シニアのコラム 2017.10.24.森田裕之
恒例のIPF・プラスティック見本市に出かけました、稲毛の幕張は昔、川鉄に勤めていたころ、1年ばかり住んでいたので懐かしく、バスでぐるぐる回って、あのまま川鉄に居たらこの辺に住んでいたんだという気分に浸りました。
見本市は毎年見ているので、既視感があり、あまり立ち止まらずに、歩き回って知り合いの会社に名刺を投げ込んで、コーヒーを飲んでいたら、九州の福崎君から携帯に電話があり、人材派遣会社と独立自営の技術コンサルタントの話を、大きな声で延々と論じました。
2月か3月には、月初めの土曜日の定例会で森君が新人の前で、自説を述べてくれることになっています、楽しみだね。

シニアのコラム 2017.10.17.森田裕之
定年後時間が経ってみると、元気の良いのは、絵を描いたり、俳句をやったり、定年以前から趣味でやってきた連中が、その後も継続している。
独立・自営もその一つと考えると、判りやすい、定年かなり前から組合の会合に顔を出して、独立した先輩連中と付き合いをしてきた諸君は、その後長く続いている。

シニアのコラム 2017.10.5.森田裕之
10月3日には、周辺技術研究会とガスボンベ研究会の共同の見学会で、上田にあるフロンティアという、プラ業界では名の知れた、ペットボトルの機械・金型・成型など一連のシステムの開発をやっている会社に行ってきました。
この地域は、プラ業界ではよく知られている、私よりは少し上の世代の青木固さんという事業家が築いた、日精樹脂、日精ASB研、青木研、という射出成型機、射出ブロー成型機の機械とその応用技術の世界に誇る拠点で、フロンティアの経営陣も青木さんのお弟子さんたちだと説明を受けた。
ペットボトルの材料メーカー、ペットボトルに充填する内容物のメーカーは、それぞれ日本の巨大メーカーだし、ボトルメーカーも吉野工業とか、先月見学した北海製缶なとの大メーカーが目立つが、空ボトルを運搬するのはコストアップにつながるので、内容物の工場に専用のボトルラインがあるのが常識の様で、小型機から大型機までのラインが、生産されていた。
この業界の技術者は、成型加工、プラスティックの材料、成型物の表面処理、ボトルの設計、内容物の充填エンジニアリング等々、幅広い専門分野をカバーする必要があり、独立・自営の技術士に適した業務分野じゃないだろうか?

シニアのコラム 2017.9.27.森田裕之
卒論の仲間たち6名と、川越の喜多院周辺を散歩してきました、4−5KM歩いて、徳川の3代目くらいの頃に活躍したと言われている、怪僧・天海和尚(すごい顔をした彫刻があった)によって作られたと言われる神社仏閣、3代家光の生まれた部屋とか、春日局の部屋とか、色々な建築物や五百羅漢の彫刻があって、飽きさせない。

シニアになったら、近隣の神社仏閣だというテーゼは、日本国じゃ大当たりで、近いので知っていたような気分だったが、時空を超えて遊べるのは、まことにありがたく、今度何処に行ってみようかという楽しみが増えた。

街を歩くグループは、すべてアジアのどっかからの見物人たちで、ピーチクパーチクやかましい、工業製品じゃ稼げなくなってきたようなので、我慢するしかないのだろうか?


シニアのコラム 2017.9.12.森田裕之
我々は、ある専門技術分野での技術コンサルタント業者であるが、自分の専門以外の相談を受けることがある、私は最初から先輩のアドバイスのとうり、知り合いの紹介に徹している、「問題解決できるかどうかの責任はとれませんが」という前提条件での紹介である、直接話し合ってご自分で判断してください、ということである。

営業とか商売に敏感な人の中には、いわゆる「人材紹介業」を自分の専門とは別に、法人を作ったりして始める向きがあり、私に言わせれば「ご苦労さん」としか言いようはないが、長い目でこの技術士資格者による、技術コンサルタントの業界を見てきた私に言わせると、良い結末を聞いたことがない。

専門分野の隣接部門の人たちとグループを作り、問題解決の仕事をすることは、独立・自営業の日常業務であり珍しくないが、会社を作ったりNPOを作ったりすることは、せっかく会社を辞めて、独立・自営業者になった原点を無視することになることを、忘れないでもらいたい。

シニアのコラム 2017.8.26
森田裕之です、今年もまた夏休み恒例になりつつある、箱根のパビーラという藤田君のお世話による、ホンダの保養所で、8月24日・25日にマイクロナノバブル研と大気圧プラズマ研合同の研修会がありました、どちらも千葉工大の尾上教授の指導による研究会で、組合のメンバーはステアリング委員として協力している。

真正面に富士山とそのすそ野が地平線の半分くらいを占める、素晴らしい景観にあるホテルで、4時に集合して委員会をそこそこに、晩ご飯を食べてカラオケルームに集合、10時ごろまで全員が熱唱・絶唱、大笑いが続発の楽しいひと時を、過ごしました、藤田君、岸君の奥様も参加、思いがけない英語の歌や地方民謡まで飛び出し、参加者の思いがけない一面が見えたことも楽しかった。
こういうイベントは、思いがけない参加者の色々な側面が飛び出すし、プライバシーも見えてきて、付き合いが深くなる、定例の会合での真面目な議論も悪くはないが、機会があればぜひ参加してみてください。


シニアのコラム 2017.8.11.森田裕之
私は20年前にバイパス手術をしたおかげで、身体障碍者の赤い手帳を持っている、石原さんが知事の時の政策で、美術館が介添え者と2人無料にしてくれる。
先日、バベルの塔の絵を見に行って、絵葉書を買ってきたので、しばらくぶりに「暑中見舞い」をばらまいたら、結構反応があり、こういう年中行事というのは、やった方が良いんだなと改めて感じ入ったしだい。
赤い手帳は、水戸黄門の手形みたいで、高速道路や長距離の鉄道運賃も割引があり、大いに助かる。

シニアのコラム 2017.7.26.森田裕之

近隣を乗り回すのに、私はスズキのワゴンーRに10年くらい乗っていたが、先週車検でバイパスにあるスズキの販売店に出かけたときに、展示場にあったハスラーという新しいタイプが気に入って、買い替えてしまった。
妻を含めて周りからは、一体いつまで車に乗る気なんですか?と責められているが、車の運転が好きなので、あまり深く考えたことがありません。
さっそく、足慣らしに、日高にあるサイボクハムに行ってきました、ここは昔は豚の牧場だったのが、肉屋ー食品スーパーーレストランー温泉レジャーランドと、発展してきた面白いところで、我が家も子供が小さいころから、よくとんかつを食べに行ったものです、今でも家族ずれが主で賑わっていました。
日高には、色々行くところがあり、高麗神社はじめ神社仏閣も多く、日本建国の頃に今の朝鮮・高麗から大量の移民・難民が入植したと言われる「関東平野」=多分当時は関東大湿原と秩父山脈の、要・かなめの部分が日高だったんだと思う。
私の親父の田舎は、サイボクハムからは車で30分くらい東にある、稲荷塚古墳の近くにあり、よって我が家の先祖は高麗からの難民で、関東平野の開拓農民一家だったに違いない。
立川の出身で、三菱長崎に勤めて定年退職して長崎に居を構えている友人・野村君は、車で九州の神社仏閣を探索するのが趣味で、たまに電話で色々喋るが、年寄りの暇つぶしには、神社仏閣の散歩と歴史探索が良いと思う。

シニアのコラム 2017.6.18.森田裕之
大きいほうの車は車検だが、小さいほうの車・軽を買い替えた、何時まで車に乗るつもりですか?と言われそうだが、最初の給料でスバル・360を買って以来、スバル・1000、スバル・1100、ホンダのブルドック・4駆、ワーゲンゴルフ、BMW3、ベンツと乗り継いだが、近場は10年くらい前からスズキのMRワゴンに乗っている、これが故障無しで調子が良い。
車が好きで、車メーカーに就職しようと、機械科を卒業したのだが、ユーザーのほうが色んな車に乗るるんだと気が付いて、メーカーに行くのを辞めた経緯があった。
近所のスズキの展示場に出かけたら、赤と黄色の彩りの派手なのがあり、黄色を選んで、気分良く帰宅した、これなら駐車場ですぐ見つけられるし、ファナックの工場の色だし、気に入った。

シニアのコラム 2017.5.15.森田裕之
卒論仲間で年に何回か旅行していたが、最近は近場の神社仏閣がふさわしくなっている。
私自身も、外国は御免被るし、今更外国の名所旧跡には、興味が無くなった、不思議ではある。
さて先日、おばあさんの原宿で有名な巣鴨を散歩しようと、出かけました。
噂にたがわず、シニアの女性の買い物の店・ブティックが並んでいて、面白くないのでどんどん歩いて行くと、懐かしいチンチン電車があったのでこれに乗り、早稲田のほうにいくと、「鬼子母神」という駅があったので、瞬間的に神社だろうと下車して行ってみると、なんとお寺で、お坊さんがうろうろしていたのには、驚いた。
日本が神仏混交であることは、常識として知っていたし、大抵の大きな神社の近くには、お寺があり、大きなお寺の近くには神社があるということは、最近の散歩で判ってきた。
ただ、鬼子母神のように、神さまを祭るお寺があるんだということは、びっくりだった。

シニアのコラム 2017.4.20.森田裕之
第一土曜日の午後一にやっている、新規開業支援の会に新しく参加する諸君の自己紹介を沢山聞いているが、世間でいうとかなりの年配の人が急増している。
団塊の世代の諸君が、会社を定年になり、顔を出し始めたということらしい。

私の世代から言うと、60−70くらいの諸君は若いと思うが、案外爺さん臭いのにびっくりすることがある、かなりのばらつきがあるのが現実の様だ。

岡君は世話人をやったり、開業支援の講師をやったり、色々組合の活動に寄与してくれた後輩だが、駅で転んだり、車をぶつけたりしたという話を聞いたばかりの最近、仕事も辞めて、外出はしないという連絡があった、残念だが周りがしっかりしているので、しょうがないと思う。

私自身のことも含めて、シニアは周辺の人達が、しっかり観察していて、本当のことを本人に知らせることが理想的なんだが、なかなか難しい。

最近、仕事がらみで、私に怒り狂ったメールをくれた組合員がいるが、経過をよく聞いてみると、自覚症状のない半ボケのシニアがM/Lから顔を突っ込んできたということらしい。
私は、昔から技術士の名簿やリストから、仕事がらみの付き合いは無理がある、と主張してきた。
仕事の紹介は、技術コンサルタントの重要なテーマだから、名簿の情報程度で軽々にやるべきではない、と先輩ずらしている。

シニアのコラム 2016.4.7.森田裕之
3月29日に、同じころに独立・自営を始めた技術士仲間の、松本俊次さん・千代田化工OBと高橋宏太郎さん・大和製缶OBと、新宿の京王プラザホテルで、昼ご飯を食べておしゃべりをしてきました。
高橋さんは当時・1973年ごろから、タイ国にコンビーフの缶の中古の製造機械を持ち込んで、缶を作り日本のお客に販売している、今では世界でコンビーフの缶は高橋さんの独占なんだそうです。
84歳になりながら、初めから単身赴任で今でも自炊しているし、暇なときは絵を描いていると元気はつらつとしたシニアである。
いつ死んでも良いように、タイ人の社長を育成し、新事業として、ガスコンロのボンベを、同じように日本の機械をそのままタイに移設して、缶を日本に送るビジネスプランを打ち合わせていると言っていました。
ガスボンベのプラ化の計画は話していません。

シニアのコラム 2017.3.11.森田裕之
卒論の仲間と2−3か月に一度の散歩をすることにしている、昔はグアムに行ったり、外国にも出かけたが、最近は近場の神社仏閣である。

この半年では、成田不動、高幡不動、川崎大師、目黒不動、先週には巣鴨のとげぬき地蔵=おばあさんの原宿に行ってきた。

神社仏閣そのものにも、結構故事来歴が歴史を考えると面白いし、門前というか周辺の街の歴史もなかなか深い関係があって、出かけた後に図書館に行って調べたりして楽しめる。

神社と仏閣が必ずと言っていいほど「近くにある」というのも面白い、神社が自然の山とか川とか大木とか岩とか、自然に対する畏怖がご神体で古く、お寺は神社よりだいぶ後になってから、人間の悩みの解決を主とした役割で建てられているというのが、原則みたいだ。

別に遠くに行かなくても、日本には沢山の神社仏閣があるので、歩ける間はこれがシニアの暇つぶしの花形だね。

シニアのコラム 2017.1.8.森田裕之
私が出した年賀状に、餅つきに「延べ100人の参加者」と書いたが、私の関係者20名(技術士と学友)、妻の関係者(絵と太極拳)20名、親戚30名(私3人兄弟、妻3人姉妹)息子どもの友人30名で、半分は台所と家の中、半分は庭と、本当に大勢来てくれました。
その年賀状を見て、「100人とはすごい、地域おこしだね」というメールをくれた同級生が居た。
残念ながらピンボケのコメントで、地域・近所の人は一人も来なくて、四方隣の家には「うるさくしてすみません」とお餅をもって、挨拶に行ったくらいであった、これは48年前に始めた、私の道楽が、たまたま毎年続いたので、人が沢山来るようになったということなのだ。

私が始めた、独立・自営支援のための組合活動も、技術士のためとか、社会のためという見方は間違っていて、自分が独立・自営で食えるようになったので、道楽で始めたもので、あまり崇高な目的意識があったわけじゃなく、かといって、後輩に仕事を斡旋するような業者を目指したものでもないのが、実態である。
色々世話人を引き受けてくれる諸君が増えて、まことにありがたいが、そういう連中も、私の道楽に共鳴してくれているんだと、あまりお礼を言ったことがないが、本当は有り難いと思っている。

シニアのコラム 2016.12.24.森田裕之
人間は歴史上、北半球では北から南にしか民族の移動は無いんじゃなかろうか?
それだけ人間は寒さに弱い動物で、先日、内田君からアフリカのヨハネスブルグの話を聞いて、さもありなんと思ったのは、寒いオランダ、ドイツ、フランスといった旧・宗主国から、植民地だった、温かいアフリカに大勢の人間が移民してきているという事実である。
ロシアの昔から、ほっておけば人間は「南進」してくるので、あれだけたくさん人のいる中国が、国境を築いているんじゃないだろうか?
敗戦時のどさくさにソ連が分捕った4島は、帰ってきたら帰島するという数千人の皆さんには気の毒だが、沢山税金から弔慰金を払って、ロシアに差し上げたらいいと思います。
お前はそんなこと言える立場かと聞かれれば、我が一族は満州に親父が築いた資産を、放り出して帰国して、戦後をやり直しました。

シニアのコラム 2016.12.10.森田裕之
何時の頃からか、年末は過去との付き合いを思い出すことが多い、昔の信州の知り合いからリンゴが送られてきたり、四日市の後輩からお菓子が送られてきて、しばし色々思い出している。
年末の散歩や忘年会で、具合が悪くて参加しない奴が出るが、体の具合かどうか心配してしまう、これも皆シニアになった証である。

哲学者の吉本隆明がどっかで書いていたが、10歳以下の子供は無条件で可愛い、私も人類が人種を問わず、地球を制覇したのは、人間のDNAがほかの動物よりも、他人の子供もかわいがるという知性が、付加されているからじゃないかと考えている。

私は、小さい子供を2人、3人自転車に載せてよろよろ走っているお母さんをよく見かけるが、年取ったらわかるけど、10歳くらいまでの子供を育てているときが、長い人生で一番幸福な時期だったんだと、シニアの爺さんとしては、つぶやいているのである。

シニアのコラム 2016.11.16.森田裕之
卒論の仲間とは、最近は近隣の神社・仏閣の散歩をしているが、会話がどうしても「病気自慢」になり、寒くなると元気がない。
そういえば、アメリカを旅行したころ、フロリダ半島を車で南下していると、海岸に高層の住宅が沢山あり、住人は北のカナダあたりの年寄りが、冬の半年は移り住んでいるというコンドミニアムということであった。
アメリカというのは、今度の大統領選挙でもへーと思うような議論があるように、我々にはびっくりするようなことがあり、車でのんびり旅をしないと分からないようなことが多い、日本人はあまり群れていないが、年寄りばかりの村とか、ベトナム村とか、酒を飲まない村とか、特殊な宗教を信じている家族しかいない村なんて言うのがある。

私は、なるべく自分とは違うタイプの連中が、沢山居るグループ活動が面白いと思うが、つまり会社勤めには不向きな性格だが、独立・自営に興味を持つ、第一土曜日の会合に参加する諸君の大半は、organization-man的な、組織大好き人間が多くて、いらいらすることがある。

シニアのコラム 2016.9.26.森田裕之

毎日のプールと読書は、若いころからの癖なので、今でも欠かさずやっているが、最近は俳句が面白そうだなとは思うものの、年齢を考えると無理だとあきらめている。

会社の定年くらいの年齢の若い諸君は、ぜひ何か趣味を始めて、継続することをお勧めする。
仕事が趣味などと言う奴が居るが、仕事は自分だけで作れるものじゃなく、必ず相手が居るのが常識だ、年齢コードというのが世の中には厳然とあるのが、シニアになってみないと分からないのです。
 
 自分一人で暇つぶし=趣味ができることを、1−2始めておいたほうが良いよ。

シニアのコラム 2016.8.10.森田裕之
今年の4月になってすぐに、妻が自宅の前の電柱に、左側のバックミラーをぶつけて、修理に出したのを皮切りに、息子に貸したら左側を端から端まで10CMくらいの幅で擦られ(100%先方が悪いらしいが、保険では7対3)修理したところで、大宮の氷川神社に出かけて「お祓い」をして、厄を落としたつもりでいた。
7日の日曜日に、三郷のコストコに買い物に出かけて、なんと今度は私が駐車場で中国人のおばちゃんの運転する車に、バックで衝突して、バンパーをへこませてしまった。
連続して保険屋に頼むのも腹が立つので、イェローハットに現金を払ってきたが、帰宅したら天皇陛下がTVでお話をされていて、身につまされ、しゅんとしている。

シニアのコラム 2016.7.7.森田裕之
今月の周辺技術研究会は、6日に狭山にある「八千代工業」という、本田の部品やプラスティックのガスボンベのメーカーということで、米森君や藤田君などの技術士仲間が5−6名、全部で20名の参加者が、主としてプラスティックのガソリンタンクやバンパー、インパネ等の大型部品工場を見せてもらった。

私は大分前の新聞をにぎわした,再審事件「東大阪殺人事件」での私が裁判所に出した「仮説・ガソリンタンクの注油口からの漏れが、風呂のガスバーナーの種火に引火した」の話や、鉄板からプラスティックに変わった頃の、化学会社や機械メーカーの協力話をした、シニアはどうしても昔話をして、嫌われるんだよね。

周辺技術研究会は、始めてから5−60社を見学しているので、在庫が不足しています、新しくネット会員になった諸君は、ぜひ見学させてくれる工場を、紹介してください、技術士は大抵現場が好きで、見学会でもないと現場が見られないシニアは、最優先で参加するし、出来るだけ同業者お断りなんて言うせこい対応をする総務の人を避けたり説得して、同業者の技術者同士の付き合いを、増進してやろうという野心もあり、最優先で参加しています。

シニアのコラム 2016.4.12 森田裕之
10日(日)の夜10時ごろ、満州帰りの大先輩・長友正治(満州重工業で石油掘削の機械を作っていた)さんから電話、一関に原発の見学に来て泊まっているんだとのことでした、90数歳の爺さん元気です。

話は、エンジニアには地質や資源、鉱山というような山屋が沢山居るはずだから、役所も会社ももう少し資源開発に突っ込む風潮にならないものかねえ、というシニアの嘆き節で、100年前と今で日本は地政学的には何も変わっていないわけで、自動車やロボットで稼いだお金を、資源国との友好関係にどしどし使って、山屋を世界中に派遣することを真面目に考えられないものか。

JEFの井戸田さんに提案してみよう。

シニアのコラム 2016.3.10.森田裕之
9日、APP研・プラズマの見学会・旭硝子鹿島工場に参加しました、OBになりたての米森君のアレンジで、千葉工大・尾上教授以下10数名が、巨大な板ガラスの製造現場を案内してもらいました。

基本的な建設資材としての板硝子は、溶かして置いておけば、重力によって水平な板のなるという、判りやすい原理にもとずいて一貫ラインで生産されていて、輸入された原料ヤードから溶解炉、4M幅の板が熱風ガス(重油)炉の中を、延々と転がされながら3mmの板になっていた。

主たる発注者は建設会社・ゼネコン・建築設計者だから、最近40年くらいの美しいオールガラスビルの技術的な下支え(・強度・省エネ・ゆがみのない表面・)の当事者であったことが、よくわかった。

私の妻は絵描きで、40年くらい前の5年くらい、カラスビルに映る隣のビルを含めた風景・特に海辺のテーマに打ち込み、新橋・お台場に始まり、バルセロナ、サンフランシスコ、ニューヨークの写生旅行に付き合わされた記憶が強烈で、当時、いったいガラスビルを考えたのは誰なんだろうと調べたいと思っていた。

73年に独立・自営の技術士事務所を始めたころ、日本の自動車部品の会社を、ミシガン・イリノイ・オハイオあたりに案内する仕事が沢山あり、シカゴに宿泊する機会が増えて、市内観光にもよく出かけた、そんなころ、シカゴの町中を流れて湖にそそぐ川端に、多分シカゴ市のイニシャティーブで、世界の建築家の発案する新建築ビルが並んで立っていて、シカゴ大学のOB教授が案内人で、ガラスビルを熱心に説明してくれた。

旭硝子の案内者の話では、板ガラスの中国など外国からの競合は、輸送コストや性能面でレベルが圧倒的に違い、問題が無いんだそうです。

東京駅からの鹿島行きの高速バスは、一時間弱の快適なドライブで、帰路、米森君のアレンジで東京駅近くのイタリアンで10名、病気回復の尾上先生も参加して、ワインを飲みピッザを食べ、ご機嫌で帰宅しました。

シニアのコラム 2016.2.6.森田裕之
昨日、コンペックスの月例会がありました、20数名の参加者があり盛会でした、プラスティック業界のシニアの会合で、化学分野のエンジニアが多数を占めていて、講演もその手のメーカーの現役の新製品開発の担当者を連れてきて、用途開発の苦労話を聞くというテーマが続いたので、私は世話人に、ユーザーの話や公害・ネガティーブな話にも、講演者の範囲を広げてほしいと、要望した。

前回の会合で、コンペックスを始めたころの話を聞かせてくれという、世話人のリクエストに応じて30年くらい前のことを思い出したついでに、当時の人集めは、プラスティックのメーカーはもちろん、ユーザー、成型加工の会社、成型機械の会社、外国のメーカー等々いわゆる関係者を網羅していたように思う、それが今は化学会社のOBが多数を占めるグループになっている。

べつに現状が悪いとは言わないが、講演者をもう少しバラエティを持たせて、幅広い参加者を求めるのが、初心に帰ることだろうと、世話人にお願いした。

シニアのコラム 2016.1.2.森田裕之
いつの頃からか年賀状は、いただいてから出す習慣になっている、短い文章から顔を思い起こしながら、返事を書いている。

元気な先輩で、90になっても海外旅行を年間60日やっているなんて、超人的な人への返事に、私はもう海外の旅行はおっくうになり、最近は近場の神社仏閣の散歩です、などという賀状を出している。

毎年5月にやっている独立・支援の会の参加者で、独立して食えるようになったという賀状の近況報告がメモされているのを見ると、良かったなあと嬉しくなる。

私は、独立したいと思いついたら、あまり畳の上の水練はやらずに、始めてから試行錯誤することを主張し続けている。
誰でも試行錯誤は避けられないので、若くして始めたほうが有利であることも、私の主張である。

一番気になるのは、同年配の知り合いの賀状で、家族や体の状況が短い文章に込められていて、気になってしまう。

森田裕之です、室井さんは簡単に言うと、日本の化学工場は産業遺跡になると、言ってるのです。

私が独立した1973年は石油の暴騰の石油ショックだったが、これからの日本は石油安時代の逆石油ショックになるということらしい。
資源国でものずくりして、大消費地がるというのは、アメリカが大復活をするということじゃないだろうか?

ポリエチレンが3分の1でできたら、自動車がオールプラスティックになるね。
アメリカで工場やるしかないだろう。
-----------------
森田 様
室井です。

私の日本の石油化学への危惧をご理解頂きありがとうございます。
これを脱却するにはグローバリゼーションしかありません。
日本の石油化学は欧米と比べると完全にグローバリゼーションに遅れてしまいました。
日本国内で良い物を作るという時代はとうに過ぎてしまったようです。

ご理解頂きありがとうございました。

シニアのコラム 2015.9.2.森田裕之
 今日は、コンペックスの会合で、室井高城さんという化学触媒の専門家に、「シェールガス革命の与える日本の石油化学への衝撃」という講演を聞きました。

このテーマは、私がマスコミなどで知って、私なりの危機感を覚えて、コンペックスの世話人など何人かの知り合いに、話をしてくれる人を物色した結果、著書もある室井さんにお願いしました。

コンペックスのメンバーは、大手の化学メーカーのOBで占められており、出身の会社の石油化学プラントが「産業遺跡」になるかもしれないという「危機感」に満ち満ちた質疑応答になった。

工業製品、自動車や電気製品の、大ユーザー・加工組み立て工場・部品会社・が世界一あるアメリカで、シェールガスというエネルギーであり、化学品の原材料が2分の一、3分の一の値段で採掘され出てくるというのは、歴史の皮肉としか言いようがない。

世界中に出ているアメリカのメーカーが、自国に戻ってもの作りに励むであろうことは、政治的にアラビアから手を引くとか、アジアからも手を引くという予測がされているが、政治と民間の事業家とが奇しくも同じ方向を向いているので、間違いないだろう。

近未来予測での「アメリカ製造業大復活」という昨年来の私の仮説は、ほぼ間違いないという確信を持つにいたった。

シニアのコラム 2015.7.4.森田裕之
30日に税金の支払いで銀行からお金を下ろし、帰宅途中の新都心の本屋とスーパーで買い物をして、市役所に行ったら、督促状とお金の入ったクリアーファイルが無い、いよいよボケが始まったのかと、がっくりして帰宅、もう一度一回りして税金を払い、妻にも話せずしょんぼり落ち込んで、パソコンの前で本を読んでいました。

7月2日のコンペックスの会合にも参加する意欲が起きず、ぶらぶらしていたら新都心の交番から電話があり、本屋からお金と税金の書類が届けられていますよと言うことで、受け取ってきた。

本屋のレジの客側の棚に置き忘れてきたらしい、こんな風にボケが始まるんだ、と言うことと、日本は素晴らしい国なんだと言うことが交錯していて、今週は機嫌がよろしい。

シニアのコラム 2015.6.9.森田裕之
総会が終わりほっとしているところだが、このところ地方・名古屋、福岡、神戸の若い技術士から、独立した、独立したい、技術士協同組合が独立・自営グループであることを、私の本や組合のホームページで着目していた、という話を聞いて喜んでいる所だが、これまでの独立希望者はおしなべて、田舎の秀才が上京して就職し、定年なので独立を考えると言う人が、圧倒的に多かった。

この人たちは、都会の住宅地に家を買ったと言う大きなハンディをしょっており、心情的にも田舎に帰りたいというハンディもあり、迷いの多い選択支で気の毒だったが、最近の地方の秀才は地元で就職して技術士を取り、地元で独立・自営をスタートするという、経済的には楽な環境にある。

問題は地方で仕事が確保できるかと言うことだけで、これも政治状況が地方の自立を促しており、企業も海外生産のリスクが増えることが予想されるので、時代に沿った生き方と言える。


シニアのコラム 2015.5.12..森田裕之

最近の独立・自営支援の会に参加する諸君は、60ー65歳の団塊の世代が多い、1970年ごろの私が独立したいと、技術士会に出入りしていた頃の仲間は、30-40歳の会社員が多く、時代の違いなんだろうと、気にしていなかったが、先週の飲み会のあとに『ハタと気がついたこと」がある、それは当時と今では「寿命」がかなり違っていたのじゃないか?と言うことだ。



最近、会社定年後の15年の独立自営の技術コンサルタントの第2の定年を宣言した、石川君の例を考えても、つじつまが合うような気がしてきた。 

シニアのコラムー見学会が一番面白い .森田裕之

周辺技術研究会・伊藤世話人は、見学会に特化していて、毎月見学をやってくれる、シニアにとって見学が一番面白いし、勉強になると思う。
3月24日には、筑波にあるベンチャー企業の、マイクロフェースと言うカーボンナノチューブのメーカーを見学した。

社長の大田さんが筑波大の先生で、通常は石油から作るカーボンナノチューブを、ガスから作る方法を発明して、用途開発を企業化するために、大学を辞めて会社を作ったと言うことでした。

半球型のガラスのドームの中で、半導体の板の上に触媒を塗り、ドーム内にガスを充満すると、見てる間に、板の上に髪の毛のようなナノチューブが生えてきて、これをかきとり回収していた。

太田さんの技術はこの製造にかかわるところで、出来たナノチューブを何に使うかと言う所は、通常の自動車や電機の部品に用途開発を求めているわけだ。

前の月に見学した、東邦大学の鈴木先生の「エンジンのデトネーション現象」を利用した、超高圧・高温(液の充満した狭い空間での)の用途開発もまったく同じで、既存の部品作りやシステムに使えないものだろうか?と言うことになる。

私は、見学会は毎月やっていると、種切れになり、私なりに懸命にあちこちの知り合いにお願いして、なんとか続けてきているが、今後はうまく発展している所ばかりでなく、用途開拓に新鮮な他分野の連中にも、門戸を開いて見学してもらう、という説得をして、見学先の拡大をしたいと思う。

ceaM/Lの諸君、見学先の推薦に協力して下さい。

「最近の宗教について」2014、3
                                    坂本國輔(工化)
最近の仏教の傾向を見ていると、その欠陥ばかりが目についてくるようになりました。私は見かけは仏教徒ですが、心はとうに無宗教になってしまいました。
宗教はもともと、生きている人々の苦しみを救うために大偉人が知恵を授けたものです。大偉人の一人のお釈迦様はあの世のことには一切ふれていません。教えの全ては、この世の悩める人々に「如何に生きていくか」について知恵を授けたものです。お釈迦様は、弟子それぞれの能力やバックグラウンドに応じて、理解しやすいように教えました。また、同じ説教を聞いても、経歴の違った弟子たちの頭を通じて伝わったものですから、弟子によって、それぞれ理解が違うのが当然です。更に、お釈迦様は、教えを書物にしなかったために、真の教えは、時代とともに変わって、だんだん歪められた宗教になっていったのです。
仏教は、まずは、小乗仏教と大乗仏教にわかれました。大乗仏教が主流になっていますが、大乗仏教にも、宗派が幾つも出来ています。どの宗派も、お釈迦様の触れてない「あの世」の存在を考えて、発展してきました。
奈良時代、平安末期の頃の真言密教では、女子は不浄なものとして成仏ができなかったのです。いくら修行しても極楽にはいけないのです。たとえ、男の自分は極楽にいけても、お母さんは地獄で永久に苦しむのです。当然、仏に仕えるお坊さんは妻帯は許されませんでした。これも時代が下ると、公然の秘密として妻を持つのが、常識となりましたが、ただ、親鸞は、堂々と妻帯をしたために、旧仏教からは猛烈な迫害を受けました。一遍上人以降、親鸞が、人間の平等を唱え、男も女も、念仏を唱えれば、悪人すらも成仏ができるといって、浄土宗や浄土真宗が一世を風靡しました。更に時代が下って、江戸時代には、商売気が入り、現在のお金儲けの葬式宗教の根源となっていきました。今の仏教は、あの世を舞台にした金儲けの葬式仏教の何者でもありません。本来の生ける者の悩みに知恵を授けている仏教は、ほとんどみあたりません。いずれも金儲けの宗教に陥っています。 
この程度なら、まだ害は少ないのですが、「お前は、この世ではこの程度の生活だ。あの世に行けば、もっと快適な生活が待っている。アラーの神様のためになることをこの世ですれば、来世ではきっと幸福になれるよ。アラーの神様は絶対神だから、他の宗教の存在を認めない。他宗教の文化圏を混乱に陥れれば、アラーの神様は喜ぶよ。」と言えば、爆弾を抱えて喜んで、飛行機をビルにぶつけることもできるのです。

さて、私を完全な無宗教にしたのは新聞に挟まった鎌倉のお寺めぐりの1枚のチラシです。参加費は5,000円でした。その内訳は、2700円が法話代なんです。私は、本来、法話は無料で聞かせるものだ。法話が済んだあと、お布施の形で、感謝の気持を表せばよいと思っていたのです。「ありがとう」の一言でも立派なお布施です。このチラシの場合、間に業者が入っているとは言うものの、先方から金額を示さるとは、全く意外でした。仏教も、ここまで堕落したのかと、目を疑いました。
戒名はなんのために付けるのか知っている人は少ないのではないでしょうか。戒名をつけるのは、しきたりになっているから、殆どの人は疑問さえ持たないのではないかと思います。ある和尚さんによれば、「あの世では、今の世の名前・俗名は通用しません。あの世の名前で通用する名前・戒名を付けてあげましょう。ついてはお金を頂きます。ステータスシンボルが高い戒名ほど値段が高いのです。居士は信士よりも、位が上です。大居士と大が付けば地位が高くなります。また、戒名の文字数が多いほど、ステータスシンボルが高いのです。それが高いほど、戒名の値段も高いのです。」と言いました。なるほど、徳川家康の戒名は20文字程度はありそうです。親鸞は「人間は、男も女も、貴貧も、悪人も善人も、皆平等です。」と言いました。それが、あの世では階層があり、しかも、この世で前もって差をつけるとは一体何事でしょう。
5,6人の友達と雑談している時、私が、「戒名の相場は30万円ぐらいかな。」言いましたら、その仲間の2人が、とんでもない、100万円だと言いました。あの世を見たこともないお坊さんが、どうしてあの世での戒名を決めることができるのでしょう。
今の仏教によれば、死んだ人は、死んですぐには成仏できません。魂は修行を積んで35年目で成仏するのです。死ねば、先ずは、戒名をつけ、葬式が始まります。十王様のお裁きが初七日から始まり、7日毎に行われます。49日目の閻魔様の裁き、初回忌、3回忌、、、、35回忌まで幾つかの法要があり、その度に、魂が成仏できるようにお経をあげてもらいます。それなりに費用もかかります。35回忌でやっと成仏できるそうです。成仏してしまえば、後は、「成仏」という成仏目的のお祈りの法要、念仏は無いはずです。ところが、江戸時代に、ある宗派は、もっと稼ごうじゃないかとの考えから50回忌を作りました。鎌倉の覚園寺のお坊さんのお話です。
 更に、江戸時代に士農工商に対して檀家制度が完成し、どの人もお寺に属さねばならなくなりました。当時は今で言う戸籍謄本はありませんでした。しかし、幕府としては、住民を一人残らず知る必要があったのです。それで、お寺の末寺に情報を集めさせ、それを本山が纏め、本山から幕府へ伝わるような制度をこしらえました。こうして、お寺を通じて、住民全員の戸籍が明らかになりました。このようにして、お寺は幕府の権威と結びついて、ステータスが確固たるものとなりました。その名残が今も続いているのです。
お坊さんの中には立派な考えの人も居ます。親鸞です。彼は「死んだ人が一番喜ぶことをするのが本当の法要であり、母親なら、一番して欲しかったことは子供が立派な人間になることです。」と言ったそうです。子供はいつも仏壇に手を合わせ、お母さんのことを偲びながら、お母さんの意向に沿うように努力すると思います。これが本当の法要です。寺で法要をしてもらうことではないのです。お坊さんの意味の分からない念仏なんて、なんの意味もありません。眠気を誘うだけです。
お釈迦様の意図された現世での悩みを救ってくれるはずの本来の仏教は、現在では、お金儲けの葬式仏教に堕落してしまいました。私なんかは魂の存在を信じていませんから、もともと、葬式を含めた一切の法事は必要ないと思っています。私には、鳥葬や水葬が最も似合っていると思います。毎日、禽獣、魚の命をいただいてきたのですから、野菜だって命があるのです。せめて死んだら、この体を、鳥獣や魚に食べていただいても良いと思っています。野菜の肥料になってもいいのです。ちなみに、日蓮は水葬にしてくれと言ったそうです。
 私は、死んだ世界のことよりも、現世での生き方や悩みにヒントを与えるもののほうが、人のためになると思っています。今の金儲け主義の葬式仏教にはそれを期待できないならば、何も宗教じゃなくてもいいのです。
 例えば、東京都の老人研究所の元所長の今堀東大名誉教授は、就任挨拶で「生物の世界では、子供を作ったら役目は終わりです。鮭を見てご覧なさい。卵を産んだ翌日は、死ぬ運命にあるんです。人間も例外ではなく、子供を作れば、死のプログラムが発動するのです。その1つが癌です。これが自然の法則です。老人になっても生かされている、あなた達は大いに感謝しなければなりません。」と言いました。私の頭の中には、40年余り、この言葉がこびりついて離れません。実際、鮭以外にも、このような例はいくらでもあります。雄蜂は交尾の瞬間が、死の始まりです。カゲロウは成虫になった時から、消化器官はありません。あるのは、生殖器官だけです。1日足らずの命です。
私には葬式仏教よりも、この世の自然ルールを教えてくれた生物の先生のほうが、生きる上での知恵を授けてくれたと思います。死期がくれば、これが自然の法則だと思えば、自然の法則に逆らって、悩みながら過ごすよりも、おとなしく自然のルールに従って、死を甘んじて受ける方が利口だと思います。幸いにして、医学の進歩により、緩和医療が発達していますから、苦しまずに死ぬことができるようになっています。慶応大学の医学部の近藤隆先生の書かれた「医者に殺されない47の心得」の、癌になったら、手術をしたり、抗癌剤を飲んだりして、無駄な(先生は有害なと言っています。)抵抗をして苦しむよりも、放置した方が癌の死亡率が低いという記述を見て、安らぎをおぼえました。「百歳まで生き、ガンで死のう」市川平三郎、講談社、も生き方の参考になりました。市川さんは癌研の初代所長です。癌は治るから、頑張って百まで生きられる。癌が見つかっても、その時から、少なくとも、半年以上は生きられるから、その間に死の準備をしなさいと言っています。その半年の間に、本を急いで3冊も書いた人を紹介しています。
「仏教の教えよりも、自然の掟のほうが、理系の私には役に立ちそうです。老稚園に入って、衆人の眼に、老醜を晒そうとは思いません。」 


(第2部)
今世紀後半の課題                   
 2012年吉日・
                              坂本国輔
 自然の知恵を調べ、下記の2つの自然の法則を中心に突き詰めて行くだけでも近未来の問題点が浮かび上がってくるのではないかと思います。

(1)生物の種は、如何に繁栄し、如何に長く存続するかが、唯一の目的であり、自然現象は全て種の存続を優先に働いている。
(2)すべての種において、個体数のマキシマムの後は必ず激減する。

「生物の世界では、個体数がマキシマムになると、激減するのがこれまでの生物の世界です。北欧のレミングという鼠の仲間は増えすぎると、リーダーが率先して集団自殺をします。いわゆる、人間世界で言う社会的ストレスが高じた結果だろうと言われています。バッタの異常発生の翌年は個体数が激減します。セイタカアワダチソウは毒素を出して他の植物を傷め、自らの繁栄を図りますが、増えすぎると自らの毒で勢いがなくなります。「個体数がマキシマムになると、その種が激減するのが生物界における例外のない法則です。どうして人間だけが例外といえるのでしょうか。」と山階鳥類研究所の部長さんの話でした。
自然界は、常にその種ができるだけ、存続するように仕組まれているように思います。子供を作ったら、親はお役目御免で、早速死のプログラムが始動します。その極端な例が鮭でしょう。産卵の翌日には死ぬ運命にあります。蜂の世界はもっと厳しいのです。春先に、女王蜂が巣を出て空に舞い上がると、雄蜂は群れをなしてそれを追い空中で交尾を行います。雌蜂には体に精嚢があり、それが一杯になるまで、多くの雄と交尾をします。そして、地上に降りると、早速巣作りを行い、多くの子供の産めない雌の働き蜂を産みます。そして、蓄えた精子が無くなるまで、数年間、働き蜂を生み続けるのです。蓄えた精子がなくなってくると、初めて女王蜂と多数の雄蜂を産み、新しい蜂の社会を作って世代交代をします。気の毒なのは雄で、雄は空中で交尾をした瞬間に死が始まるのです。幸か不幸か交尾に失敗した雄蜂は巣に入れてもらえず、蜜のとり方を知らない雄蜂は餓死するしかありません。いずれにしろ雄はせいぜい1月足らずの命です。この例からわかるように、種の保存という立場から見れば、蜂社会には少しのムダもありません。人間の社会だって、子供が生まれれば、本来は人類の種としての役目は終わったのです。子供を作った後も生き長らえるのはその種としては全く無駄なのです。人間の場合も、子どもを作れば、死のプログラムが働きます。癌は死のプログラムの代表的なものでしょう。病気にはならなくても、生きながらえている限り食料を消費します。何十億年もかけて蓄えてきた石化原料を始めとするエネルギー資源を消費します。人類の初期には、エネルギーは再生可能な光合成から作られる木から取り出していました。これでバランスがとれている間は良いのですが、人口が増えて、それだけでは間に合わくなってくると、長年月掛けて蓄えた資源を使うことになります。いずれ地球が蓄えた資源を使い尽くして資源の枯渇を来すのです。さらに、個体数が増え、自然のバランスが崩れるようになると、個体数のマキシマムの時点で激減するのです。人類にはその個体数のマキシマムの時期が近づいてきています。

山階鳥類研究所の部長さんは生物の専門家の立場から、また、東大の渡辺教授は化学の立場から地球が養える人口は,図らずも同じ100億人と言っています。それも今世紀後半に来ます。2050年には91億人になるだろうとの一般予測もあります。20年前は50億人でした。今は65億人です。百億人になるのは、そう遠くありません。何が引き金になるか判りませんが、過去にはマヤ文明が絶滅した例があります。今世紀後半には人類が激減する何かが起こるのではないかとの気配を強く感じています。
 先ず考えられるのは食糧難です。近々食糧難が来ます。現在は地球人口の半数が、栄養失調と言われていますが、この上、人口が増えるとどうなるのでしょう。また、13億人の中国人、11億人のインド人の人口が増え、食生活が豊かになると、今、食料輸出国の中国が、近々食料輸入国になるのは明らかです。中国は一人っ子政策だから、人口は増えないと言えるでしょうか。中国は、工業化が激しく、労働者が必要です。一般家庭でも一人っ子が死ねば、親の面倒を誰が見るのでしょうか。福祉政策でカバーできない心の問題もあります。また、漢民族以外の多様な民族にこの政策が浸透していません。また、彼らの食料は年を追って、贅沢になり、肉類を食べる食事が増えてきます。
1kgの牛肉を作るには11kgのトウモロコシが必要なのです。「一日玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、」と宮沢賢治の詩「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」にあり、そして、彼は人のため世のために尽くすのです。これが明治、大正時代の日本人の平均の食事だと思います。戦前でも、私の家庭では、すき焼きは、年に一度のお祭に食べたくらいです。中国の辺地でも、贅沢な食事になれば、食料需要は急速に伸びるでしょう。
中国は大豆を数年前から、トウモロコシは、近年、輸入をするようになりました。明治、大正時代には、鰊は海の色が変わるほど大群をなして、北海道に押しかけてきましたが、今の私達には信じられない話です。今はマグロ1匹が、今年の初売で5649万円の値がつきました。近い将来には食料全般にわたって、不足することが予想されます。
現在、食料輸出国である中国・韓国でさえ、将来の食糧難の到来を予測して、その時に備えているのです。韓国はアフリカに東京都と千葉県ほどの農地を買っています。中国はその数倍の土地をアフリカに手当しました。日本は植民地政策反対の立場からそのようなこと行っていません。かたや、アメリカはトウモロコシから液体燃料を作り始めています。
現状でも飢えに苦しんでいる人は世界人口の半数はいるとの報道があるくらいですから、2050年ころは大変な食糧難になることは覚悟しておかなければなりません。
中国が食料輸入国になれば、最初に影響を受けるのは、日本であることは間違いないでしょう。日本は外国に農地を買っていません。むしろ、中国人に日本の土地を買われているのが現状ではないでしょうか。

地球の資源が枯渇しています。可採石油埋蔵量は、通産省のデータによれば、後30年ぐらいと言われて、すでに10年以上たっています。オイルサンドやメタンシャーベットがあるではないかと、良く言われますが、経済が拡大すると、オイルサンドが実用になってもガソリンの値段は高騰するでしょう。日本周辺海域の2000mの地下のメタンシャーベットは固体で散在しています。これを掘り出して実用になるまでには時間と金がかかります。そのコストは、シェルガスの30倍と言われています。たとえ、コストが下がっても、今世紀後半に間に合うのでしょうか。大いに疑問です。
また、石化原料を使う限り、炭酸ガスが増えて地球温暖化が心配です。原子力発電は、今後危ぶまれていますが、再生可能な太陽光電池、風力発電、地熱発電などで、電車が動くでしょうか。国内の大工場を稼働できるのでしょうか。原子力発電が自由に行えない現状で今後のエネルギー政策に期待が持てるでしょうか。
今は、あまり話題になっていませんが、生物が生きていくために必須なリンは、2050年頃にはなくなると予測されており、アメリカは燐鉱石の輸出を禁止しています。リンは農業の三大必須元素の1つです。野村證券のレポートでは、中国は最大生産国で、現在は30%のリンを生産しています。リンは身の回りには豊富にあるようですが、回収は極めて難しいのです。資源枯渇になった時、リンやレアメタルを生産する中国の今後の動きが心配です。

 アンデルセンの童話の鏡の国に「赤の女王」が登場しますが、彼女は立ち止まることができないのです。立ち止まれば、直ちに死んでしまいます。普通に歩いていて、周りの景色が変わらないのです。動く歩道を逆に歩いているようなものです。人間とヴィールスの間には{赤の女王}の関係があります。新しいヴィールスが出てくれば、人間は知恵を使って薬を開発し、医療を発展させます。しかし、突然変異で薬の効かないヴィールスが1個でも残れば、そのヴィールスは20分後には2個になります。1時間で8個になります。1ケ月後には30兆個になるのです。新型のインフルエンザやエーズなどの例からわかるように人類には常にヴィールスとの戦いがあるのです。人間は立ち止まれないのです。最終的に「人間の知恵」と「ヴィールスの世代交代の速さ」とどちらが勝つでしょうか。最後に残るのはヴィールスだと言い切るその道の先生もいます。

社会的ストレスがレミングを集団自殺に追いやったと書きましたが、私達の普段の生活を見ても、その兆しがいくつか見られます。私達の小さい頃は殆ど無かった殺人事件、尊属殺人事件が最近は毎日のように起きています。結婚しない若者が増えています。人間の精子の数が減っているとの情報もあります。
年寄り優先の電車の優先席には若者が座っています。立っている年寄りの前に子供が座っていてもお母さんは注意をしません。宮沢賢治は、一日玄米四合と味噌と少しの野菜を食べて、「デクノボウ」とまで言われて、人のために尽くしたのです。あの素晴らしいもったいない精神を始めとする大和心は一体どこに行ったのでしょうか。
最近の中国やロシアの領土問題を見ても、第三次世界大戦が起こり人類が放射能まみれになることがあるかも知れません。

今世紀の後半は、上記課題が山積していますが、悲観してばかりはいられません。これらのことは、間違っていれば幸いですが、危機管理の要諦からいえば、最も厳しく考えて、最も安全な方法を取ることですから、これらのことを無視しないで、この条件下で最も良い方法を今のうちから考えなければなりません。実際の準備も必要ですが、心の準備も必要です。そのときになって慌てても遅いのです。自然は種の存続をするように仕組まれていますが、それだって、何時かは終わりがあるのです。私たちは種の存続など考えないで、個々の時点で、たのしくすごせるように知恵をだすべきではないでしょうか。知恵を出すことこそ、人類に与えられた、特権であることを忘れてはなりません。

シニアのコラム 2015.2.9.森田裕之
6日のコンペックスの定例会に、古くからのメンバー・坂本国輔君が久振りに参加して、今回限りで研究会参加をリタイヤすると、挨拶をした。

見かけは、昔と変わらず、赤いほっぺでつやつやしていて元気そうだが、本人曰く、耳が聞こえなくなったし、軽い脳梗塞も患い、足元が危なくなってきたと自覚しているんだそうです、そのくせ、新橋駅から技術士会まで歩いてきたとの事だった。

最近、石川君・電気も研究会を引退すると表明したので、組合の月例会でその心境を語ってもらうことにしている。

シニアのコラム 2014.12.28.森田裕之

私の年末の反省を組合の投稿したので、転送します。

最近、組合の独立支援の会合の月例会に出てくる新人諸君は、ほとんどが定年退職したけど、技術士資格があったので、看板を出して世の中の役に立ちたい、というシニアばっかりで、30−40歳台の若くて独立したいという人があまり居ないので、私は面白くありません。

私は、技術士という資格は、独立した技術コンサルタントになるための手段だと、若い頃に思い込んでいたので、32歳で合格して34歳で独立しました、以来の顧客は100%民間の機械関連の会社です。

役所は嫌いですから、技術フォーラムは、私と理事長の原田君が創立のメンバーなので管理職的には協力していますが、役所相手の監査やコンサルタントというフォーラムの仕事自体には、私自身は興味ありません。

独立して3年経って、飯が食えると自信がついたときに、後進の育成を考えて、協同組合の構想を独立している所先輩に提案して、奉加帳を回して作ったのが1976−7年ごろでした。

組合には120名くらいメンバーがいますが、3割くらいがシビル関係・建設、土木、水道、電気、情報、なもんだから、技術フォーラムという別法人を作って、役所に対応しています。

私は、グループを作るのが趣味で、技術士の関係でもずいぶん沢山のグループを作りました、盛んなグループ、しぼんじゃったグループ、色々あります、私以外のステアリング、世話人、で熱心な人が居ると、うまくいっているみたいです。

シニアのコラム 2014.12.28.森田裕之

「シニアの反省」

暮れの年中行事がおおむね終了して、遅すぎた嫌いがあるが、名実ともにシニアになったという自覚が生まれている。

独立したての頃に、技術士の独立・自営の先輩方を色々観察していたが、「一寸いやみな先輩だなあ」と敬遠気味だった先輩と、そっくりな自分が居る事に気がついた、困ったことです。

あからさまに自慢するわけではないが、「引退していない、現役であること」をさりげなく会話する、「健康であり、何処も悪い所がない」話しをする、「色んなグループで活動している」証拠のパンフレットなどを、関係ない人にも配る、等のことは、他人がやっていると気になるが、結構自分もやっているだね。

最近、我家の近所の知り合いのシニアの3人が、アメリカの国立公園で谷に転落して亡くなり、パリの街中で絵を描いていて脳卒中で倒れ、北浦和の駅のトイレで亡くなった、とたて続けにお葬式があった、団塊の世代の私より一回り下の知り合いなので、ショックである。

シニアのコラム 2014.12.13.森田裕之

私と同じ年で、同じ満州生まれ、旭化成OBでプラスティック業界では著作もある伊澤君が、どういう風の吹き回しか、シニアの会というエンジニアの年寄り連中を会員にした、月例会のようなものを、私と共同提案にしてくれと、頼んできた。

彼は最近、中国人に好きな友人が沢山いるけど、中国のことが嫌いになったと、私との永年の論争に白旗を掲げたので、協力することにした。

5日に交恂社で、副島門下の石井君に、何故日本だけ植民地にならなかったのか、というテーマで、福沢諭吉などの明治の賢人達のグローバル対応の話を、聞きました。

NHKのドラマなどでも、明治の話は沢山あったけど、最近副島隆彦さんが弟子達と共著で、『フリーメイソン=ユニテリアンが明治日本を動かした』 という本が、当時の世界情勢と日本の開国をよく捉えていると思ったので、歴史好きになるシニアの諸君に、聞いてもらった所,非常に好評だったので、13日のシニアの会でも話してもらった、

今回はフリーメイソンというグループの過去ー現在の立場の変遷を話してもらい、ミケランジェロやロダン、ベートーベンやバッハという芸術家から、アメリカのこれまでの大統領は全部、若いときにその洗礼を受けているという話でした。

私が、1973年に独立した時に(会社が潰れたので、独立せざるを得なかったのだが)技術士会の機械部会の 当時部会長だった新井政太郎さん・確か海軍中佐に挨拶に行ったら、先生の仲間と2人で、銀座・交恂社に推薦して入れていただいたのは、もしかしたら、フリーメイソンの仲間を増やす時の伝統儀式だったのかもしれない。

シニアのコラム 2014.10.17.森田裕之

15日に、沖津君・化学の案内で、ロボットの立石君や関君・機械グループの諸君と横浜・パシフィコの医療機器の展示会を回ってきました、マイクロバブルの世話人の佐々木君が農大のコマに居て、色々教えてくれました。

見本市の季節がやってきて、プラスティックの展示会も近日中にあり、古くからの知り合い達と飯を食う約束を、複数しています。

見本市と言う催しは、長い間定期的に見ていると、業界の様子が良くわかり、独立・自営のコンサルタント業の情報源として欠かすことが出来ません。

歩き回るので草臥れるけど、面白いことが色々あるので,やめられない。

シニアのコラム 2014.10.5.森田裕之
4日のcea・定例会で、久振りに出てきて近況を喋ってくれた、力武君・情報の話を聞いていて、我家のLA在住の孫娘・20歳と13歳の男の子の教育問題・英語に関する、私の意見を思い出した。

皇太子妃・雅子様のご苦労の記事を見ると、いつも切なくなるが、バイリンガルは脳の病気であると思う、物を考えるのは言葉で考えるのだから、同時に2カ国の言葉が出てきたら、脳は分裂していると思う。

私は、息子夫婦に孫たちは日系アメリカ人として、英語で暮らしたらいいと主張してきた、大人になってから、日本と関係のある仕事にでもついたら、たどたどしく日本語をスタートすればいいのさ。

最近の私の研究での、老人になって「故郷に帰りたがるのは、これも脳の老化の問題である」ことが、わかってきている。

私は40歳くらいの時の思い込み、技術士資格は独立・自営のためのパスポートであり、ある分野のエキスパート・専門家であることは、世の中に認められており、私の経験上、後輩諸君にコンサルタントを目指すことを、期待し・希望している。

シニアの世界 2014.9.17.
森田裕之です、今日は何年かぶりに、ディズニーランドに息子一家につれられて行ってきました。

ディズニーは凄いね、いたるところに「here is a happiness」(・ここに幸福あり)と書いてあるのに驚きました。

確かに、ここを闊歩しているのは、小さい子供を連れた夫婦と若いカップルで、私の経験・持論の『子供は10歳くらいまでが可愛い」から振り返ると、生涯の幸福なひと時をひきつけるランド・島を作り、進化続けてリピートさせるんだから、たいしたものだ。

我々夫婦のような老人はまったく見かけませんでしたが、今日は少々若い人たちから happiness を分けてもらって、楽しみました。

ただ子供連れの夫婦ばかりでなく、子供連れじゃない若い男一人、中年女複数、老若女連れ、老夫婦女連れ、と言う不思議な風景があり、想像力が働いて、退屈しませんでした。

シニアのコラム 2014.9.11.森田裕之

10日に埼玉技術士会の見学会で、日本エレベーターという工場見学をしてきました。

あらためて埼玉の技術士諸君とグループで会うのが初めてだったので、10人くらい名刺交換をしました、会社員と定年の技術士が半々くらいでした。

何十年ぶりの古い人や組合の諸君も3人居たし、私のことは技術士会でも最古参の独立自営の先輩であると言う認識はあるらしく、世話人も私にいつもの私の持論(出来るだけ若いうちに独立しろ、顧客の技術者の上司・先輩・株主・市民じゃない、コンサルタントというサービス業者である)を喋らせてくれました。

川口で機械設計事務所を始めていた国井君が、当時私が機械設計のコンサルタントをやった方が良いよ、とアドバイスしたことを覚えていて、あの頃は理解できなかったけど、今は良くわかります、と言いました、今は完全にコンサルタントだとのことです。

技術士の専門家としての能力が優れていることは、当然だけど、機械設計技術者の教育や企業の設計部門の育成のコンサルタントは、専門家として図面を売るよりも、レベルの高い仕事(・価値が高い)じゃないかと思ったんだよね、当時。

昔を知るシニアの諸君と久振りに話していると、私は組合設立した1976-8年ごろから、同じことを繰り返し話して居るらしい。

シニアのコラム 2014.7.29.森田裕之
100歳の高嶋直一さんをお祝いに、ナノ材料研究会のメンバー7名で、岐阜の長良川沿いにある観光ホテルに、会席料理を食べに行って来ました。

高嶋さんはタクシーで出現、タクシーで帰りましたが、会席料理は全部平らげ、すたすたホテル内を歩き、コンペックスを始めた頃の石坂さんの記憶を語り、油化をやめてのんびりしていたら、森田が色んなことを相談に来て引っ張り出してくれたお陰で、定年後の暇つぶしが出来るようになった、と、組合の付き合いとネットワークを、今でも高く評価している様子だった。

勲章も組合で申請したしね。

油化OB以外の青葉君、浅野さん、荻野さん、堀さん、のことを思い出して,いろいろ語ってくれました、私の顔を見たら1970頃を思い出したようでした。


シニアのコラム 2014.7.2.森田裕之
「続・国策(マスコミ論調)と言うリスク」

ある同年輩の大学教授の若い頃の回顧録に、いささか腑に落ちない時代認識が書かれていたので、私の記憶を書いておく、国策と言うより流行というか、マスコミの論調と言うことかもしれない。

私の浦和高等学校の同級生で、いつも大学進学の模擬試験でダントツの一番だった、木村実君は、体操の選手でもあって色んな大会に参加していたヒーローだった。

東大の理学部に入って、大学院の頃に、突然中国に亡命したと言うことだった、噂では、台湾の大学に来ていた中国の女子大生と一緒に、中国入りして帰ってこなかったということです。

時代は1960年代前半で、我家の近所にも北朝鮮に行ったきり帰らない女子大生が居て、時代は中国・北朝鮮は教育・病院は無料で、誰でも勤めるところが国に用意されており、失業者の居ない、働く人の天国だと言うマスコミの論調だった。

未来の予測が普通の人よりも見えそうな、頭の良い人が、案外判断をミスることがあるのだろうか、そろそろおしまいに近い年齢になった、私の判らないことである。

240529森田裕之
「国策と言うリスク」

私の両親は、1930年代の日本の国策であった、大東亜共栄圏と言うコンセプトに心酔して、満州で国策の銀行に就職し、敗戦になり財産をなげうって、りゅっくさっく一つで帰国した。
私が高等学校の頃には、今の北朝鮮への移民のブームがあり、学校や病院は国営で無料、清潔で蚊や蝿が居ない天国みたいな国だと言うことだった、私の学年で一番の秀才と言われた(模擬試験が一番)木村君は東京大学在学中に、北朝鮮に亡命した、ガールフレンドの後を追っかけたのだといううわさだった。
25年くらい前に、シルバーコロンビア計画という、リタイヤ層の第2の人生を海外で送ると言うプログラムを、当時の通産省が提唱した。
私の世代か少し先輩の知り合いが、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、スペイン、インドネシアに移住したが、ほぼ全員今は日本に帰国している、何人かに『どうして?」と聞くと、「日本で死にたい」と言うことであった。

シニアの一人として、あまり国策とか、マスコミでのはやりに惑わされないように、信頼・議論の出来る友人との付き合いを大事にした方がいいと思う。

240501
森田裕之です、ドイツ在住の同級生・桜井君からの最近のヨーロッパのレポートです、ヨーロッパの人たちのロシアに対する感覚が、日本とずいぶん違うなあ、という印象です。

貼り付けー

ウクライナ危機とプーチンの戦略
ジュネーブ合意後、一向にウクライナ情勢の解決の兆しがないどころか、キエフの暫定首相ヤツェニックは第三次世界大戦の可能性の示唆する言葉を口にする混乱ぶりは、いかに西側が途方に暮れているかを物語っています。西側の経済制裁(今のところ旅行制限と銀行口座の凍結)の脅しも全く口先だけの事である事は、プーチンも十分承知しており、今回のプーチンの戦略(ソチのオリンピック後に現れた素顔)は、オバマにとってもロシア通のメルケルにとっても寝耳に水だったのです。旧ソ連崩壊後、東方からの危険はもうテーマでなかったのです。それにかわって、世界平和を脅かすのは、イラン、北朝鮮、アルカイダが新たに登場しました。東西間の冷戦の時代には、第二次大戦の東部前線で大敗したドイツは、軍事競争にヒステリックな恐怖心を抱き、国内の左翼過激派に向かっては、”死ぬよりマシだ”とし、戦後の再武装気運では敵はモスクワでなく、むしろワシントンどいう声が強まりました。80年代末、90年代初めにかけて旧ソ連が崩壊すると、モスクワからの軍事的恐怖は一挙に姿を消したと錯覚し、ゴルバチョフの平和気運に酔って、ロシアの熊の恐ろしさをすっかり忘れ、折も折欧州の国家財政再建の最中で国防費削減が推進され、兵舎は閉鎖され、軍事力も減少し、徴兵制度も廃止されて、”東方を眺めても、どこにも危険はない”と考え、”平和はただではもらえない”事をすっかり忘れたのです。NATO の先頭に立つUSA も2001年9・11のテロ攻撃以来EU から防衛力を縮小し、そのかわりにイラク・アフガニスタンへの数十億ドルに達する冒険へ踏み込み、ドイツはドイツで同盟国としてのUSA に背を向け、対米関係は80年代米国ロケットのドイツ領域への設置紛争や2002年イラク戦争介入拒否ですっかり冷え込み、現在はNSA スキャンダル(メルケルの携帯盗聴)で、友好国間での関係ではなく、ただ事務的性格のものとなったのです。この間、元ドイツ首相のシュレーダー(SPD)はプーチンとタイアップ(プーチンとは俺・お前の関係)して、(ウクライナ領土を回避して)バルト海を通過するロシア天然ガス輸送用海底パイプラインのプロジェクトを推進させ、これでますますドイツや欧州のロシア産天然ガス供給への依存度を高め(ロシアはもう俺たちの仲間だ!)、その反面ではプーチンはチェチェンやグルシアでの反逆勢力を弾圧し、国内での基盤を着々整備するとともに、膨大な防衛支出で軍事力を強化させ、2016年までに現在の国防費を500億ユーロから710億ユーロへ拡大させ、英国を抜いて米国・中国に次ぐ第3位に浮かび上がってしまうという野心を抱いているのです。
今の時点で、第三次大戦の危険を口にする事は、いかにウクライナの暫定政権が絶望的であるかの証拠でしょう。ウクライナの東部では、キエフから派遣された11000人の反テロ部隊に囲まれて2000人の新ロシア武装勢力が立ち向かっており、事態は既に内戦状態。ウクライナ国境ではロシア部隊が集結して(2万から2万5千人の兵士と重機械部隊)軍事演習を展開しており、親ロ反逆派からの要請があればいつでもプーチンの一声で越境する用意があり、いつプーチンが ”平和援助隊”の名でロシア軍を派遣しても不思議ではありません。しかもウクライナ東部はロシアにとっても重要な重工業地帯(ロケットエンジンなどの軍事技術製造拠点)で、プーチンがロシア住民保護を口実にして軍隊を派遣しても不思議ではありません。この事実はクリミア併合戦略で自明であり、親ロシア住民の権利を断固として保護することを口実に西方への領土拡大(帝国主義)はプーチンの持つ夢である事は欧州の軍事専門家の見方です。
いまや事態は深刻であり、もはやウクライナの防御だけが目下の課題でなく(ウクライナはNATO 加盟国でないのでNATO からの軍事援助は不可能)、クレムリンの次の犠牲の候補は、モルドバからグルジア、さらにはEU とNATO の加盟国であるバルト諸国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)に及んでいます。EU は軍事紛争の場合には、集団防衛権行使の準備はあるものの、これら旧ソ連邦領域は親ロシア少数派の共存とロシアへの高いエネルギー依存度のために、いつロシアの攻撃の的になっても不思議ではありません。モルドバ共和国は、ウクライナとルーマニアに挟まれた国で、1991年に旧ソ連から独立した欧州でもっとも貧困な国ですが、EU への接近を望んでおり、数週間後にEU と加盟条約に調印する予定です。しかしこうなると同じようなEU への接近政策でロシアとの紛争に巻き込まれたウクライナの運命が懸念されるのです。という理由は、モルドバ共和国内にはガガウス自治国(gagausien)という親ロシア系の州があり、ここではモルドバ中央政府の意に反して住民投票を行い(クリミア半島と同様に)、住民のほとんどがロシアとの関税ユニオンに賛成したのです。ガガウスの存在は、プーチンにとって好材料であり、ここを拠点に反政府勢力の暴動を勃発させてモルドバの情勢を不安定化できるからです。25000人のガガウス人がロシアでモルドバの外国人労働者として働いており、その仕送りでガガウス住民の生活を支えており、モルドバがEU でなく、ロシアの関税ユニオンに加盟すればロシアからの天然ガス料金の値下げもあると経済的メリットが魅力なのです。最貧困国モルドバをめぐっては、EU とロシアが奪い合い競争を展開しており、モルドバがEU 併合の決断をすれば、ロシアはモルドバ産ワインの輸入禁止、ガス供給の規制をすると脅し、EU はモルドバ人のEU 域内旅行の自由(バイオニックスのパス持参で)を約し、EU 併合期日を6月に前倒しするなどして、ウクライナ危機のモルドバへの波及防止に懸命です。ロシアは既にウクライナとモルドバの国境沿いに位置する反逆勢力派のトランスニストリア共和国(Transnistrien)、別名幻のソ連が生きている国に1500人規模のロシア兵を、公式には平和援助隊の名で駐在させており、モルドバ中央政府はこれを平和の威嚇と見做し、トランスニストリアはクリミア半島同様にロシアへ併合され、モスクワはさらに軍事兵力を拡大し、ロシア軍によりウクライナ東南部を通過する回廊をトランスニストリアまで切り開き、モルドバの分割と関税ユニオンの拡大を意図していると恐怖しているのです。
グルジアは、南オセチアとアジャリア問題で6年前にロシア戦争の経験があり、その結果、自治地区となっていますが、ロシアは現在までに数千人のロシア兵を進駐させ、ロシア系住民の利益が損害されるならば、それは反ロシア行為としてそれ相応の反応もありうるとロシア外相が述べており、クリミア半島と同じ運命に晒される危険は十分にあるのです。
1990年91年まで旧ソ連に属していたバルト諸国は、ロシア政権下での苦い経験を二度と繰り返したくないとしていますが、天然ガスは100%ロシアパイプライン経由の供給に依存しており、クリミア半島のロシア併合以来パニック状態に陥り、国内のロシア系少数派保護の口実でロシアの影響下へ入れられる事を懸念して、(独自の空軍を持たないので)NATO に集団防御を要請し、ドイツをはじめNATO 加盟国が定期的に警戒飛行を実施中です。
こう見ると将来図はウクライナに限定されず、プーチンの旧ソ連を夢見たロシアの西方拡大構想は、西はモルドバを横断してルーマニア国境へ、南はグルジアを再併合してトルコ国境へとプーチン帝国の形成でしょう。
昨日メルケル首相と緊急協議したポーランドのツゥスク首相もウクライナ東部南部へのロシアの侵略とバルト諸国への威嚇を警告し、EU メンバー国28各国でのエネルギーユニオンの構築を提案し、天然ガスの共同調達とエネルギー備蓄の共有によってエネルギー危機の克服を提案しています。
ウクライナばかりでなく西側でも、信じがたいような無遠慮で、我慢ならないような冷笑主義で紛争のエスカレートを演出するプーチンに直面して目下絶望感が支配的であり、今後EU とNATO は長期的に対決する心構えが必要で、このためにはこれまで以上に断固たる結束力が望まれます。

(参考資料:Frankfurter Allgemeine, Sueddeutsche Zeitung, WAZ, DPA 等)

貼り付け終わりー


「私の視点」投稿原稿
2014.4.10.   奥野浩智
「STAP論文」問題の報道姿勢

小保方晴子氏がFirst AuthorであるSTAP論文の「疑惑問題」が、連日ジャーナリズムを賑わせている。
「STAP細胞の存在問題」については、世界の研究者が自発的に行う数多くの再現実験の結果によって結論が出る、という真ともな論調がようやく出てきた。
しかし「論文の不正疑惑問題」については、小保方氏の記者会見を、朝日新聞では紙面第1頁トップで扱い、しかも、あたかも科学的に重大な事象、現象を取り扱っているが如き報道態度である。
この「論文の不正疑惑問題」の核心は、世界の関心を集めたNature誌2014年1月30日発行の「Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency」論文が、科学論文して認められるものであるかどうか、また、世界の学界常識から見た、このことに対する投稿者の対応はどうあるべきか、という事にある。
先ず、この論文が科学論文して認められるものであるかどうかについてであるが、理研の最終報告で不正とみなした2点については、小保方氏側も認めており、それが不注意であれ未熟に寄るものであれであれ、根幹の証拠に不正なものが含まれている論文が、科学論文して認められるものではない事は自明である。

次に、小保方氏側の不服申立てでは、「捏造とされた写真は取り間違いであり真正な写真は存在し、2014年2月9日付でNature誌に送っている」と説明しているが、これは何の意味も持たない。
一体、申立者は、Nature誌がその真正とする写真を受け取り、2014年1月30日発行の「Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency」論文の写真と差し替え、それを科学論文して認められるものにする、などという事が有り得ると考えているのだろうか? 
もしそんなことが有り得るなら、先発見、先発明の功のため、仮の証拠での論文を投稿し、受理されてから真正証拠を送り差し替えて貰うという事が起こるだろう。
Nature誌が、その様な自らの権威を貶すことになる行為を、投稿者に許す訳がないのは、これも自明である。とすれば、他の共著者が表明している通り、科学論文して認められない論文は一度取り下げ、真正な証拠を用いて新たな論文として投稿しなければならないことは、これも自明なことである。

この様に、この問題の決着は既についている。理化学研究所の研究論文の疑義に関する調査最終報告、それに対する小保方氏側の不服申立て以降の、「これは悪意の行為である」、「いや悪意(一般社会での)はなかった。未熟ではあった」、「STAP細胞はあると信じる」、「論文は取り下げない」等との報道は、もはや科学的な現象、事象の議論の報道ではない。
当事者の面子、地位保全などに関わる訴訟的興味報道であって、紙面第1頁トップを飾るような問題、事象では全くない。

新聞ジャーナリズムでの「紙面投書(声)欄」の掲載判断の責任について
                     2014.4.7. 奥野浩智


新聞社の読者投書欄には、読者のいろいろな考え・意見が掲載される。しかし、新聞社が紙面に載せる以上、それらの文書が、各々の立場の主張として筋道の立ったものであるかどうか、を新聞社が責任を持って判断したものでなければならない。新聞紙面は、街角の支離滅裂な演説の場ではない。
2014.4.6.朝日朝刊7ページの声欄、「「STAP」は組織全体の問題」(会社役員 菊本昭一)の掲載内容は、朝日新聞の編集能力に疑問を抱かせるものである。それは、『今回の「STAP細胞」論文の不正疑惑について、理研は「STAP細胞の発見の事実とその証明」という本質を離れて、小保方氏の論文や実験の不備ばかりを指摘しているが、これは個人の責任ではなく、実験ノートを含め、研究員の仕事、成果のすべてに責任がある組織全体の問題』という主旨である。
今回の「論文の不正疑惑事件が小保方氏個人の責任か理研組織全体の責任か」又「研究員の仕事や成果のすべての責任と栄誉を組織の長が担うか」どうかについては、各人異なる意見が有るのは当然だが、それを主張するには筋道の立つ論拠が必要である。しかるに、菊本氏が述べている事柄は、何の論拠にもなっていない。
1.菊本氏は、今回の事件の本質は「STAP細胞の発見の事実とその証明」をすることである、と述べているが、全く異なる。今回の事件は、小保方論文により世界一斉にスタートした時間と費用を要する「STAP細胞の発見が事実かという証明」という再現研究が、「「STAP細胞」論文の不正疑惑」により、それはまったく意味がないのではないか、という根本疑念を引き起こした事件であり、その「論文の不正疑惑の解明」が本質である。 
2.氏は、「博士研究員として米国大学に行った初日に、ノートブックを渡されて説明を受け、身の引き締まる思い。それに従い、実験方法、経過、結果を記載し、同僚に署名をもらった。」との事である。
とすれば、小保方氏が、ハーバード大に研究員として留学してこれらの研究員としての基本的トレーニングを受けている筈なのに無視している、と主張したいのか、それとも、菊本氏が「身の引き締まる思い」をした研究態度を、小保方氏が無視しても問題なしと主張されているのか、まったく不明である。
というように、77歳の博士で会社役員である由の菊本昭一氏の投書は、論旨の筋道はまったく不明である。このような見出しだけの投稿を採用し紙面に載せた朝日新聞の編集能力と意図に、大きな疑念を持つ。
?
「参考」

菊本昭一氏の「「STAP」は組織全体の問題」なる「声」欄掲載の文
朝日新聞 2014.4.6.付朝刊 12版 7頁

・・・・・・・・・・・

「「STAP」は組織全体の問題」 会社役員 菊本 昭一 (神奈川県 77)

35年ほど前、博士研究員として米国のある州立大学に赴任した初日に、教授から厚い表紙のノートブックを渡されました。
 見開きには「このノートは大学の財産である」と書かれ、記載方法の詳細な説明を受け、身が引き締まる思いでした。研究員や学生は実験方法や経過、結果などを記載し、一日が終わると最後に署名し、同僚に確認と意見を求める署名をもらいました。
今回の「STAP細胞」論文の不正疑惑について、理化学研究所は「STAP細胞発見の事実とその証明」という本質を離れて、小保方晴子ユニットリーダーの論文や実験ノートの不備ばかりを指摘しています。しかし、これは個人の責任でなく、実験ノートを含めて研究員の仕事や成果に全ての責任を持つ組織全体の問題であるはずです。
 先進的で自由な研究を若者にさせることを口実に、問題を個人の責任に帰するような理事長はじめ幹部、調査委員会の態度はどうしても見過ごすことはできません。
                                     
・・・・・・・・・・・

「STAP論文の調査委員会最終報告」に関する新聞記事に関して  
2014.4.2. 奥野浩智 技術士(情報工学)
   
本日4月2日の各朝刊には、昨4月1日の理化学研究所発表の「STAP論文の調査委員会最終報告」に関する記事が大きく載っている。
私が読んだのは「朝日」、「日経」であるが、それらの論調は、偉そうに、この最終報告書と理研の研究組織の欠陥を大きく指摘、批判しているが、新聞ジャーナリズムが現時点で問題にし報道すべき事柄は、このような事と違う。

今問題にすべき事柄は、小保方論文が科学論文として信用できる体裁が整っているかどうか、という問題である。一般的に、新しく大きなインパクトを与える思われる事象が、真実かどうか正しいかどうかは、多くの人の多大の労力と時間とを要して決着するのであって、すぐに解決するものではない。
今回の理研の最終報告書のポイントである「今回論文の中心の画像が、他の細胞由来の画像と思われる博士論文の画像と酷似している。その由来は追跡できなかった」との指摘に対して、小保方氏側の反論は「取り間違えた単純ミス。真正画像は存在している、捏造の必要はない。」、「ネイチャーには、14.3.9.付けで訂正写真を出している」とのことである。とすれば、新聞社が、学者や当事者に任せられないとして、又小保方氏側がその真正画像なるものの一般公開を拒否しているのであれば、今新聞ジャーナリズムがやるべきことは、この真正画像なるものを徹底取材し入手すること、そして専門家、専門機関に、それが信用できる真正画像なのかどうか、を取材し記事にすることである。それでこの問題の決着はつく。現在の新聞ジャーナリズムには、この基本的行動・姿勢が皆無である。

ところで、「朝日」の紙面は、A)1頁目に、編集委員・田村健二との署名入りの解説に「イ)理研が論文に捏造があったという決定的な判断をしたなら、誰でもSTAP細胞は無かったと思うのが普通。ロ)理研が1年掛けて有るか無いかの検証をするというのは、理研がSTAP細胞が存在すると信じたいという意向があるからだ。ハ)最終報告は出ても疑問は幾つも残る。理研自身の対応も含めて何があったのか丁寧に明らかにしなければ、STAP検証結果も社会から信頼されないだろう。」との何を言いたいのか訳の解らない解説記事がある。B)3頁目には「理研の組織検証、国が要求」の見出し記事で、「理研という組織としての監督責任を明らかにして欲しい。」としていた大臣(文部科学)が報告書を突き返したことで、指定(特定国立研究開発法人に)は不透明になった。」との記事がある。
Bの記事は、理研の野依理事長が、最終報告書を下村文部科学相に報告したことの記事で、そもそも本件最終報告書は、提案書・計画書などが受け取れないとして拒否されるようなものではないし、大臣が最終報告書の受け取りを拒否するという馬鹿げた事もなかった。
この様な噴飯ものの「捏造記事」を書いて、得々としている記者、それを見逃しているデスクの管理体制は、真摯な反省と見直しが必要なのではないか。
又、「日経」の1頁目にある「春秋」という社としての意見を述べるカラムには、「ようするに理研の調査は論文のチェックに終始している。・・・ STAP細胞の存否確認は「調査委のミッション(任務)を超える」そうだ。」と、全く見当違いな事をしたり顔に書いている。

こんな体たらくでは、記事は「社会から信頼されないだろう」し、一応自らは危機感を持っていると表明する新聞ジャーナリズムの衰退に、拍車が掛かるであろう。

シニアの世界 2014.3.31.森田裕之

ほぼ毎朝行っている桜区のプールで、今日(日曜日)は帰りがけにコーヒーを飲んでいたら、突然いつも見かける同年輩の爺さんに「チョコレート」を一枚貰いました、一言くらいしか喋ったことのない人ですが、ハモニカの名手で、あちこちに呼ばれて演奏しているらしい、荒川の河川敷で模型飛行機も飛ばしているそうで、NHKの埼玉支局の番組には、よく映されているとのことです。
私は単純に50分間行ったり来たり泳いでいるけど、最近歩いてみたら結構草臥れるのに気が付いて、一日おきに少し浅い所で歩くことにしています。
後期高齢者の会合の話題は、頭と身体のテーマが半分くらい占めるのが普通で、あとは家族、安倍さん、オバマ・プーチンさんと言う順番になっています、私の最近の主張の「経験上、子供は10歳まではとことん可愛がり、10歳を超えたらほったらかす」ということを、尊敬する哲学者の吉本隆明の本のなかに見つけて、わが意を得たり、と喜んで話すことにしています。
世の人が皆これを実行して100年もすれば、若者も歳よりも精神に異常をきたす所が無く、家庭内の暴力や崩壊の連鎖が無くなり、日本がもっと良い国になるに違いない。

シニアのコラム 2014.2.17.森田裕之
何年ぶりかの大雪で、家に閉じこもり、雪かきをしたりTVで映画を見たり、留守番をかねた半日を過ごし、楽しかった。
車は車庫から出したり入れたりが出来れば、道路は問題ないのだが、車庫周りが雪かきの労働を必要としていて、草臥れる。

最近の私のスローガンは「元気な爺さん」である、暫くぶりにかかってきた近藤君の電話に、私のスローガンの由来を、お喋りしたけど、暫く新潟に転居すると言う近藤君も、是非むこうで「元気な老人・爺さん」をやってほしいと、希望しておいた。

脳の化学を勉強している知人が、脳は新しい記憶の部分から老化が進んで、最近のことは忘れるが、古い脳の部分の記憶は最後まで残るので、「故郷に帰りたがる、望郷の念と言う奴に惑わされない方が良い」と言うのが、私の最近の見解である。

シニアのコラム 2014.1.31.森田裕之
病気の話

私は、15年位前に、心臓のバイパス手術をしている、血管系に弱点があり、去年の暮れにはふくらはぎが痛くなり、手術して血栓を除いてもらった、薬を飲んでいる。

以前から会議中に居眠りをする人が居て、話がつまらないからだろうと、気にしていなかったが、樋口大奉君があまりに盛大に居眠りをするので、注意した記憶があるが、彼はそれからわずかして、脳卒中で半身不随意になり、それでも不屈の男だから、特殊な自動車に乗って、我が家の餅つきには必ず現れている。

このことで、「私は会議中に居眠りする人は病気である」と決め付けることにしている、医者に行ったほうが良い。

本田尚士先輩は、たしか豊田の大学に講義に行った帰りに、豊田の駅で倒れて、入院して頚動脈の血栓を除いて以来、出かけるときは必ず奥様が同伴されていたのを、覚えている人は多いだろう。

何時の頃からか、同級生の仲間と、東京散歩をするのが楽しみになっていて、2月の6日には、靖国神社の参拝と科学技術館での昼飯を、企画している。
足腰が痛いとか、がんの手術をしたとか、病気の話題に事欠かないが、頑張って参加する連中である。

シニアのコラムー銀座の交恂社 森田裕之
足利の石井君が、地元の産業や日光の温泉観光地の歴史を調べていくうちに、アメリカ開拓の移民の思想的な背景に、ヨーロッパのカトリックに反発した新教徒・プレスビテリアンの民主主義・資本主義の担い手の根幹を見抜いた、福沢諭吉達の明治維新の影の功労者の行動に気がついたという話を聞きました。

私が独立した1973年頃に、機会部会の部会長だった新井政太郎さんという佐官級の軍人OBのおじいさんが、「森田君は若くして独立したので、交恂社を紹介して入れてあげるから、自宅を事務所にして、人と会うときには交洵社を活用しなさい、貧乏くさい事務所を構えるなんてことは、考えない方がいいよ」と教えてもらい、以来技術士諸君との会合にも利用しています。

ここの歴史は、2−3年前に135周年の記念事業をやっているので、なかなか面白いが、簡単に言うと、欧米での元々のこういったクラブは、強大なカトリック教会に謀反を企んだ独立・自営の石工の技術者集団を軸に色々な中小企業の団体が集まって談合するために作られたものらしい。

福沢は、欧米に出かけていって、資本主義のインフラである、保険業や銀行、証券会社のような産業を沢山作ったが、談合のためのクラブも不可欠な装置として考えていたようです、銀座と言う場所は、役所から少し離れていて、産業団体が沢山あり談合に便利だったと聞きました。

私は何年か前から、クラブハウスサンドウィッチに凝っているが、このクラブは港にある船員のためのクラブの食事で、男の料理が起源であり、レタス、ベーコン、卵焼きの基本素材に、コーンビーフや魚の缶詰を開けて追加するシンプルな料理です。
私は発展的に、東芝のパン焼き機を買い込んで、朝飯はいつもパンを食べています。

石井君の勉強のために、来月あたりに交洵社で事務局を紹介するのと、ご飯を食べる予定です。
------------
森田裕之です、プレスビテリアンじゃなくて、ユニテリアンだったね、原田君はプレスビテリアンのライス大学卒だといっているけど、今はフルブライト奨学金OB会の会長です、一度イベントに参加したことがあるけど、おばさん、おばあさん達が9割を占めていて、元気にやっているようでした。
明治期でも、案外女性が地方では、帰国子女として色々活動していたんだろうな。

---------- 転送メッセージ ----------

森田さま
いろいろとメールを有り難う御座います

私は、副島隆彦という大天才をそばで見たというのが、私の一生の財産です
同時に、この人の近くに長くいすぎる、被曝してしまうとおもいました(笑)。
(以前、副島先生が機嫌のいいときに、そう伝えたら、笑ってました)

副島先生に直言できる森田様の独立不羈には敬服しております。
そして、人とのつながりの大切さを森田さんから学びました。

いま、農業自給率の嘘っぱち,(要は農業弱体化を国民に煽ることで農水省官僚の予算獲得になる)
を暴いている著者の本を今やってます。面白いので、できたら献本します。

石井さんには、しばらくあっていないので、時間会えば、ぜひ同席したいです。

追記:
北浦和駅の埼玉大学がある出口の、赤羽寄りの路線ぞいに、十勝平野というジンギスカン屋があります。
オーナーが浦和高校柔道部OBで、不動産屋をやってる武笠くん。
高校時代、柔道の合宿で仲良くなった友人がやってますかなり、美味いです。

小暮周吾

バナースペース

技術士協同組合

〒101ー0062
東京都千代田区神田駿河台2ー1ー19ー308(大治法律事務所内)

TEL 03-3233-2061
FAX 03-3292-7498