新規開業技術士支援研究会


社団法人日本技術士会登録 新規開業技術士支援研究会の会合は公開で、色々な感覚の人が来るのは大歓迎です。そこで、来場者から疑問が出されたら、どなたでも、親切にお答えします。 「新規開業技術士支援研究会」の大きな目的は後継者の育成であり、毎回、独立自営の先輩がその経験を語る講演があり、多種多様な経験を聞いて、新規開業者には必ず役に立ちます。是非何度も参加して下さい。
新規開業技術士支援研究会の目的は後継者の育成と公表しています。次のポイントがあります。
1.色々な感覚の人が来るのは歓迎で、疑問には親切に答える。
2.独立自営の先輩がその経験を語る。多種多様な経験を聞いて、新規開業者には必ず役に立つ。
このページにある全ての活動は、個人の自由が前提です。
具体的な行動は自由競争しかなく、師匠が弟子に真理を説くようなことは原理的にありえません。
●区分:会員以外の方の参加も可
●年代別進路研究/開業道具案内/独立ノウハウ/インタ−ネット活用/人材派遣情報/資格情報/海外業務情報/中高年再就職情報/スモールビジネス情報/補助金情報/出席者業務案内
●出席自由
●個別カウンセリング併設/受験・登録・開業・再就職等は個々の事情勘案の必要有
●倫理研究/会社員コーナー他
本研究会は:菅野淳(情報工学)が運営(ステアリング)委員長で、運営委員に大久保俊彦(機械)、根本泉(建設)、高堂彰二(水道)、田吹隆明(情報工学)、福島晴夫(建設)、岡 孝 夫(建設、情報工学)、河面英則(電気電子)、の各氏で構成されています。
●「自己紹介」と討議内容例
1.PE(日本的解釈による)的独立(期間限定のパート就職、専業下請け等)か?、マルチクライアント・CE的独立か?
2.メーカー・ユーザー・産学連携いずれの出身か?
3.定年前・定年後、あと何年働くか?
4.専門分野の学会・業界団体は?
5.異業種との付き合いは?
6.奥さんへの2-3年分の家計費用分の貯金は?
7.勉強会・研究会への参加、または自分が作る?
8.独立・自営している自分の理想的自画像は?
9.先輩・メンターはいるか?
10.身体を鍛えているか?

●新規開業技術士支援研究会282回(予定)
1.日時 平成23年7月2日(土) 13:30〜15:00 
2.会場 早稲田大学西早稲田55号館S棟 4階410室 
3.講師:宮原宏氏(建設)、斉藤孝史氏(電気電子)

●新規開業技術士支援研究会281回
1. 日時:2011年6月4日【土】13:30〜15:00
2. 場所:葺出第2ビル5階A会議室
3. 出席者(敬称略):11名
4. 独立開業事例の紹介と討議:
(1)講師:YANG技術士事務所 井出川 洋 氏(応用理学部門)
(2)事例紹介:


 井出川さんは総合電機メーカーでセンサー開発を専門に担当され、分析装置、原子力発電所用のセンサー、半導体評価装置、鉄鋼関係の計測器、昇降機の遠隔監視装置などの開発に携わってこられた応用理学部門の技術士である。メーカーに勤務されている時に、社内の標準化委員会の委員長として、PL法を意識した安全設計指針を作成された。定年退職前に技術士を取得されたあと、現在製造物責任技術相談センター(PLセンター:日本技術士会登録グループ)に所属・活動されている。今回は、PLセンターの活動内容を中心としたお話をしていただいた。
 PLセンターは電気、建設、機械、化学、応用物理等々の各種部門の技術士が参加し、事故状況受託業務(8年間で約400件受託)、定例会・セミナー、公開講演会等の活動を行っている。
事故状況受託業務は主として損保会社からの事故原因の調査であるが、この活動の目的は犯人捜しではなく、原因を捜して保険金を支出することの妥当性を調べることである。
2008年以降、都営住宅のエレベータ事故以来、エレベータのブレーキ系の見直しの認定・審査業務を実施した。この業務は責任重大なので、日々研鑚が必要であると実感している。
近年、リスクアセスメントが問題になっているが、許容されるリスクを把握し、観念論ではなく定性論に展開することが重要と考えている。この業務はやりがいがあるが、場合によっては
裁判の法廷に出廷することもある。その場合には原因と結果の合理的な分析が必要である。
以前、日比谷線の電車脱線事故のときに、はじめてPL問題の専門家として、技術士がマスコミに取り上げられ、社会の認知度が上がってきたように思う。
 PL法にはアメリカ流とヨーロッパ流があるようで、日本はヨーロッパ流に近いようである。
PL法の裁判においては、法律と技術をどう結び付けるかが大事であるが、法律家に理解してもらうことはかなり難しい。 近年のトラブル事例には一概にユーザーの誤使用に起因するといえないものも多い。設計作業や要素作業(ハンダ付けやカシメ)に起因するトラブルが多発しているように思う。また、PLセンターへの積極的に参加して欲しい。
−以上−
●新規開業技術士支援研究会280回
技術士独立開業セミナー
1.日時 平成23(2011)年5月7日(土) 9:30〜18:40 
2.会場 ちよだプラットフォームスクウェア5階会議室 
3.内容 独立開業するためのノウハウ・事例の紹介、及び講師も参加する少人数グループでのディスカッションと個別カウンセリング
4.出席者18名
内容:
個人事業主としての手続き、税務申告の仕方、名刺の作り方、各種独立事例(成功事例、失敗事例)個別指導など
1.「独立自営の心構え」  独立40年の経験による「目から鱗」の独立自営秘話
2.「独立自営の事例」   定年前・定年後の独立のやり方、先輩の貴重な経験談
3.「独立自営のための組織活用法」  独立自営をサポートする、組織の紹介と活用法
4.「独立自営のための準備」   保険、年金、経理処理などの事務所開設の勘所
5.「独立自営のキャリアプログラム」  受講者のプラン発表と講師からの対話形式によるアドバイス
6.「懇親会」         本音をぶつけて、人的ネットワークづくりに活用!
講演風景


グループディスカッション


懇親会



●新規開業技術士支援研究会279回
1. 日時:平成23年4月2日【土】10:00〜12:00
2. 場所:早稲田大学理工学部55号館S棟410号室
3. 出席者(敬称略):11名
4. スピーカ:芦ケ原さん、河面さん
(1) 芦ケ原治之さん(化学部門)


・芦ケ原さんは長年電気電子材料やファインケミカルの商品開発に関わってこられ、昨年独立された化学部門の技術士である。
\b・社会に出られてから、外資系の企業を含めて3回転職をされたが、最初に勤められた会社が吸収合併された経験から、(会社の)看板を外しても使える技術者になることを目指して、技術士資格を取得し、いつかは独立する希望を持っておられた。
\b・主な実績は、LEDなど半導体封止材の開発、導電性ペーストの技術導入と開発、高エネルギー電波吸収体の開発、特殊フィルムの用途開発等々であるが工場管理(品質管理、品質保証、衛生、安全環境)の経験の他特許戦略と案文作成も多く経験しており、独立後にも役立っている。独立前にはNEDOの補助金を貰って、産総研と共同で粒状シリコン型太陽電池開発の自社側の研究責任者を担当。その後特徴あるフィルムの加工技術開発による新商品のビジネス化の見通しを見届けてから独立した。 
\b・ダーウィンの「唯一生き残るのは変化できるものである」という言葉が好きである。すなわち、「周りの変化」に耐え、自らも変化し対応し、乗り越えてゆくことが重要と考えている。もちろん自分勝手でよいということではない。これは個人についてだけでなく、国家についてもいえることで、これからの日本が豊かさを維持、発展させてゆくには「物作り」から「物創り」への転換が大切である。具体的には、研究者・開発技術者への手厚い成功報酬制度やきめ細かな表彰制度の拡充などを通して、彼らに対してもっと敬意が払われ、多くの子供たちの憧れる職業のひとつになるような社会環境の整備をしてゆくことが重要である。これは子供たちの理科離れへの対策であり、すなわち我が国が伸びてゆくための根源的対策である。
\b・独立してからの方針は、「信頼・信用・感謝の気持ち」である。技術士法でも規定されているが秘守は現在の自分の信用を守ることに直結する。その代り積み上げてきた実績と経験と人脈は大いに次の仕事の肥やしとして活かすことが可能であり有用である。
\b・事務所のコンサル内容は、「省エネ」「特許」「商品開発」「EA21・ISOなどマネジメントシステムの構築支援・審査」「労働安全」を柱としている。これらは組み合わせによる相乗効果もある。例えば、「省エネ診断、改善提案」と「EA21やISO14001・9001」と「労働安全コンサルタント」など、同時並行かつ相互補完的な視点で順法性も含めた工場管理の支援が可能である。得意分野は「商品開発」で「特許」は当然関係が深いが、「省エネ」、「環境」、「安全」を軸にした視点での商品開発へのアドバイスにも役立っている。
\b・40歳からの米国企業(国内勤務)で苦労した英語は、体験を基にしたコラムを添えて「技術英語の聞き方・話し方」(共著:オーム社)で「失礼なく通じる英語」をコンセプトに出版。これは好評で、台湾にて「中国語−英語」版も出版されている。
\b・このほか著書は「ISO品質・安全・環境早わかり」(共著:日本規格協会)を研究会から出版。
\b・資格はサラリーマン時代の勉強の手段として利用。数は20を超える。経験も含めてこれらも組み合わせ効果がある。例として「エネルギー管理士」+「省エネ診断経験」+「指定講習会修了」で「東京都指定地球温暖化対策事業所の技術管理者」の資格が備わり、独立した現在この業務が受託可能になった。(連絡先:yoshigahara@cea.jp)
\b・省エネルギーセンターの仕事の機会があり、感じていることは、そこには世界に誇れるレベルの膨大な技術蓄積とノーハウそして多くの人材を有するすばらしい組織であるということである。「省エネ技術援助による世界貢献」は日本が世界から感謝され敬意をもって迎えられるものの一つで、国はこれを今、外交カードとして使用する時期であると考えている。
\b・次世代への啓蒙、提案も我々世代の任務であると思う。


(2) 河面英則さん(電気電子部門)


 河面さんは電機メーカーに勤務後、8年前に独立した電気電子部門の技術士である。
河面さんの経験から、"Passive"に独立する人が多いようである。
しかし、切羽詰まった環境下でやってみないとわからない状況で決断して独立すると、捨てる神あれば拾う神ありとはよくいったもので、どうにかなるものである。
ただ、本当に助けてくれる人は独立した人間同士の付き合いから生まれると思う。
昔の仲間(会社)は大事であるが、あくまで情報源として活用すべきである。
独立するのに金はかからない。
自分は事務所を借りているが、月10万円ほどかかり、無駄である。
人間、将来が不安だから資格を取ろうとするが、資格は役に立たない。
しかし、このような(独立支援研究会)仲間に入りやすさはある。
世間から「余暇を楽しむための技術士」と受け取られないように、何かを引っ張るという意識をもつことの重要性は強調したい。
したがって、
1.よく観察すること。
2.人脈を作ること。
3.仲間を取り込むこと。
4.独創性をもつこと。
が大切である。これまでにいろいろな仕事をこなしてきたが、たとえば、中国で企画実行した技術者教育セミナーの場合、補助金が7割出たが利益を出すためには経費を含めて7割以下で仕上げないとならなかった。
結果はトントンであったがこういう仕事はもうやりたくない。
(世の中の人には)いろいろな個性を持った人、つきあいにくい人もいるので、そこは自分で判断しなければならないと思う。
コンサル料に相場はない。
結局は相手が(その金額に対して)どう思うかが重要である。

●新規開業技術士支援研究会278回

新規開業技術士支援研究会:議事録
1. 日時:平成23年3月5日【土】10:00〜12:00
2. 場所:葺手第二ビル5階会議室
3. 出席者(敬称略):11名
4. スピーカ:橋本さん、高堂さん

(1) 橋本孜さん(機械部門)

 橋本さんは昭和15年、樺太・豊原生まれで、早稲田大学卒業後、日本製鋼所に入社され、
 プラスチックの成形加工機(押出機等)やマグネシウム成型の技術に携わってこられた。
 現在は、多摩市に在住されており、技術士会の活動だけでなく、多摩市の文化活動も積極的 
 に主宰されている。橋本さんの考えは、「物つくり」という言葉が広く使われているが、物と 
 は動物、植物、鉱物、人物の4つの要素からなっており、さらには、物の相(気、固、液)
 が相互に関わっている。したがって、半導体や液晶もその関わりで存在している。
 プラスチックは可塑性を持つ分子量10,000以上の高分子物質のことをいい、熱可塑性樹脂 
 と熱硬化性樹脂がある。日本国内のプラスチックの生産量は年間1400万トンであるが、鉄との比重差を考えると。ボリュームは鉄と同等量といえる。プラスチックには射出成形とブロー成形の2種類の成形方法がある。プラスチックの成形品の応用範囲は広く、いろいろな分野に使われている。(液晶パネルの導光板やビデオテープが回覧された。)
 近年、マグネシウムが従来のプラスチックの成形加工品分野にも使用されるようになった。
 元々、マグネシウムは海水中に大量に存在し、人体中の7番目に多く含まれる元素である。
 マグネシウムの成形加工品はMDケースやPC筐体として使用されている。マグネシウムの特性として軽量、強度、放熱性が優れているので、薄型のパソコンや携帯電話に応用されている。マグネシウムの特性はその他にも注目されており、「マグネシウム文明論」(矢部孝、山路達也、PHP新書)が出版されているので、一読を勧められた。

(2) 高堂彰二さん(上下水道、総合技術監理)

 高堂さんは独立後8年になる技術士である。技術士の仕事は他の資格に比べると競合しない仕事であると思う。仲間を増やしていくと、口伝えに仕事がくる。森田さんの語録は役に立っている。すなわち、1.独立するのは若ければ若い方が良い。2.顧客に投資する。(時間、労力、気遣い、忍耐)3.コンサルとは技術を指導することにあらず、一緒になって考えること。4.仕事を作れる人が求められる。5.マニュアル化できない仕事をする。6.コンサル先の社員ができることはやらない。等々。
 独立にあたっては、家族の了解(特に、妻)が必須。独立する前に1年間準備期間をおいた。
 ISO9000、ISO14000の審査員補の資格を取ったが、丁度ISOが下り坂で、審査会社に所属しないと審査員になれないのであるが、どこの審査会社も雇ってくれなかった。
 要は、人脈作りが重要である。技術士会の研究会、環境マネージメントセンターなどに参加している。 現在は、技術鑑定、海外業務、技術監査、執筆、NPO活動を主体に仕事をしている。事務所は持たず、自宅を事務所にしていて、これは森田さんのアドバイス通りであった。独立するには、「畳の上の水練」よりは飛び込んでみて、泳ぎを覚えるような気持が重要と思う。 技術士の仕事は「オールマイティ」よりは「得意分野を持つ」方が良い。

●新規開業技術士支援研究会277回
開催月日:平成23年2月5日(土)10時
場所:早稲田大学西早稲田55号館S棟 (予定)
講師:根本 泉氏(建設)、外山幸雄氏(機械)
1.日時:2010年2月5日【土】10:00〜12:00
2.場所:早稲田大学西早稲田キャンパス55号館S棟4-410
3.参加者 10名
4.講演:
(1)根本 泉氏(建設)


根本氏は建設会社勤務を経て、2005年に独立開業された、建設部門の技術士である。
独立開業して感じることを述べられた。
@開業して重要なことは、営業である。人に指図されないが、人的ネットワークが大事である。
A信条は、「誠実な生き方をすると意義のおある仕事ができる」。
B開業してからのインフラは技術士会をメインとしているが、他にもTAMA産業活性化協会に参画している。
CEBRD(欧州復興開発銀行)のTAM(Turn-around Management)の仕事も経験したが、たいへん面白い仕事だった。
D各種研究会に参加すると知り合いが増える。
E現在の主要な仕事は、技術経営コンサル(業界の将来を予想してビジネスモデルを作る)、事故調査・監査、海外コンサルであるが、
  マニュアルい従った仕事は不可。教養お下地にした仕事をするという気持ちが大事である。
Fこれからの時代コンサルのあるべき姿を考える時代にきているが、自分の立ち位置、自分が周囲からどう見られているか、何を求められているか客観的に見るようにしなければならない。
その他、開業時の登記、税金の話など有益なコメントをいただいた。

(2)外山幸雄氏(機械)


外山氏はポンプメーカー勤務を経て、2007年に独立した機械部門・総合技術監理部門の技術士である。
独立開業されて、3月で丸4年になるにあたって、感ずる事を述べられた。
@開業していくつかのコンサル業務を行ってきたが、結局、自分の強み(ポンプと英語)を生かした仕事だった。
A仕事は理不尽な内容でない限り、断らない。しかし、顧客のニーズは聞くが、妥協はしないことを信条にしている。
Bいくつかの団体に所属しているが、情報収集が重要で、知り合いに勧められてHPも自作した。
C家族の意見は現実的でありたいへん大事。
Dこれまで「他の人とは違ったことをやってきた」(会社勤務時に海外セミナー講師を経験したり、トラブル処理を担当したりしたこと)
  ことが強みになっており、将来は「世界No.1のポンプコンサルタント」になることを目標にしている。
5.次回:3月5日【土】10:00〜 葺出第2ビル。


●新規開業技術士支援研究会276回
開催月日:平成23年1月8日(土)10時
場所:技術士会C会議室
講師:島田正義氏(電気電子)、伊藤寛氏(機械)
参加者:11名

島田正義氏


島田氏は今年67歳、
専門:プロジェクト・マネージャー
信条:70才までは元気に技術屋生活
と自己紹介された電気系ベテラン技術士である。
2002年からの独立後は、太陽電池設備・血液検査装置など幅広い業務に携わり、現在はJTTAS(日本工業技術振興協会)の活動に重点を置かれている。

講義では、独立自営に役立つ100ヶ条など紹介いただき、
非労働人口/労働人口の割合が大きくなる日本で、エンジニアも定年後も働くべきだとの考えをお持ちである。
シマウマは最も早いライオンよりも早く走らなければ食べられてしまう。
ライオンは最も遅いシマウマよりも早く走らなければ飢え死にしてしまう。
私達も常に早く走れるように努力しよう。
という話で講義を締めくくられた。
おすすめいただいた書籍「エンデュアランス号大漂流」は
プロジェクト・リーダーが失敗したときに執るべき行動を教えてくれる名書とのことである。


伊藤寛氏


伊藤氏は近い将来、独立を予定されている海外関連業務の経験豊富な機械系の技術士である。
技術関連資格として、技術士(機械)の他、エネルギー管理士、建設業法・監理技術者を取得されている。
これまで新規事業に携わることが多く、潜熱蓄熱システム関係の仕事に主として関わられた。
サウジアラビアでのポリエチレン収集機器用のヒートポンプ、樹脂製の球カプセルをもちいた潜熱蓄熱などの事例を紹介された。
(技術士)コンサルのごまかしのない自信を持った仕事のやり方に憧れがあり、サラリーマンとの違いを次のように考察されている。
1.断定的な物言い
2.知識の幅が広い
3.姿勢が良い
エネルギー利用技術でコンサルを行いたいと考え、今後の次の準備を行う。
1.資金を貯える。
2.独立コンサルタントをよく知る。
3.経営・知財の勉強
4.英語の勉強

今回講演された島田氏は同じ会社の先輩にあたり、社内には技術士の方が多くいて、資格取得の刺激になったということである。

●新規開業技術士支援研究会275回
開催月日:平成22年12月4日(土)10時
場所:ちよだプラットフォームスクェア500室
講師:濱田裕氏(化学)、井戸本 武士氏(機械)
参加者:7名
井戸本 武士氏


井戸本氏は大手重電メーカを経て人材派遣会社に在籍する34歳の若手技術士である。
本研究会に参加している理由として、下記のものを挙げている。
・技術・ビジネスのセンスを磨く
・問題解決のための人脈を築く
・研究会のとりまとめなどの勉強をする
技術背景として、風力発電、運搬機械、自動車用エアバック、中国教育事業
等を取り上げて説明があった。
風車の羽の設計、石炭搬送コンベアの話があり、さらに自動車用エアバック開発の経験の説明があり、
安全性のためにはできるだけ新しい車に乗り換えるのが良いとのことである。
今後のプランとして、10年後、20年後、30年後・・と、84歳まで技術者として現役でありたいとのことであった。

濱田裕氏



濱田氏は今年71歳のゴムの専門家で、趣味・経歴からゴムの専門家としての活動まで幅広い話があった。
小中学校の時は、顕微鏡や写真、真空管やダイオードなどの科学に興味をもち、高校の時に化学部で周期律表を暗記し、
大学の卒論で「ゴムの分析方法」を取りあげ、以来現在までゴムの専門家として活動している。
大手ゴム会社を定年退職した後に10年以上に渡ってゴムという狭い技術分野のコンサルタントとして活躍している。
ゴム業界はローテクで3K+Y(危険、汚い・・給料が安い)の業界であるが、自動車業界の隆盛と比例しており、売り上げの70%以上が自動車向けとなっている。
IT技術は数年で価値が減少するが、ゴム技術はローテクで、そのコンサル価値は継続している。
電気自動車になってエンジンがモータに替わってくると機械屋の活動分野は狭くなってくるが、ゴムに関してはタイヤやパッキングの使い方が変わってきて、コンサル活動が広がってくるとのことである。
最近はインドの会社でコンサルを行っているとのことで、グローバルな活動もしている。
コンサル業務には雑学が大事で、指掛け算の例などを教えてもらった。
「ほんものつくり」の日本になるには、ダントツの技術を持つことが必要とのことである。

●新規開業技術士支援研究会274回
開催月日:平成22年11月6日(土)10時
場所:ちよだプラットフォームスクェア506室
講師:坂部雅也氏(経営工学)
参加者:8名
坂部雅也氏

大手化学メーカを定年退職した後に独立自営し、70過ぎた現在も複数の会社とに対してラスチック成型関連の技術コンサルタントを行っている。
「私の技術コンサルタント業」と題して下記の内容で話していただいた。

目  次
1.ある週の行動スケジュール
2.背景としての技術経歴
3.業務展開
4.クライアントの種類と仕事の内容
5.韓国ビジネス留意点
6.日常の留意事項
7.現在の感想

1.ある週の行動スケジュール
(11月1日〜7日)
o [月]A社技術指導(10時〜16時)
o [火]囲碁研究会 五反田ゆうぽうと(13時〜)
o [水]資料整理(第3四半期決算:青色申告用)
o [木] B社技術指導(13時〜17時)
o [金]資料整理(研究会準備)
o [土]研究会(10時〜12時)
o [日]在宅 囲碁講座(NHK)
        ゴルフ練習

2.背景としての技術経歴
o 機械工学専攻    ⇒化学会社 研究所

o プラスチックの基礎 〜  応用
   (樹脂研究所)     (応用研究所)

o プラスチック一筋
 (研究部門・新規事業部門・関連会社)
 
3.業務展開
@在職中、知人(元上司)の紹介でテクノエクスパート(茨城県)登録
 そのルートで2〜3年中小企業の技術指導実施
A友人の紹介で某社の技術顧問の誘い
   ⇒1回/週、半日ぐらいならOKと返答
Bその他、友人、知人の口コミで、中小企業、自治体等との接触ができ、その中の幾つかがビジネスとして結びついた。

4.クライアントの種類と 
仕事の内容
o 中小企業;新製品開発支援、社員教育
o 中堅企業;新製品関連の顧問業
o 官庁・自治体;特許マップ作成、中小企業  向けアドバイザー(千葉県、東京都)
o 海外関連;韓国中小企業技術指導
o 技術士受験塾;添削、面接指導

5.韓国ビジネス留意点
o 韓国経済の現状
o サムスン電子・現代自動車
o 中小・ベンチャー企業
o 強さの秘密と今後の課題
o ビジネス留意点
韓国のGDP成長率
日中韓の輸出入の流れ
日本の対韓国貿易収支

サムスン電子−規模でパナソニック、ソニーを上回る
主要製品で高いシェアーサムスン電子ー
サムスン電子の売上高、利益の推移
10年間で売上げは倍増、利益は4倍に(LG電子の業績推移)
リチュウムイオン電池
インドで「三強」の一角の地位確立ー現代自動車ー
韓国を支える中小ベンチャー企業
ベンチャー企業が増えている

強さの秘密
なぜ強い?韓国経済
o 財閥オーナーによるスピード経営
o 大胆な開発投資・設備投資
o 製品・サービスの安さから高品質への転換
o 新興国開拓のための積極的な取り組み
o 旺盛なハングリー精神
大胆な投資戦略‐サムスンと日本企業の半導体関連投資額の比較

今後の課題
o 基礎技術の蓄積不足
o 中堅企業の力が弱い
o 貧富格差の拡大
o 超少子化
公的社会保障が手薄
主要国で出生率が最低レベル
ビジネス留意点(韓国人気質)
o 自己主張が強い
o 手抜き上手
o 掛け値主義
日韓ビジネスの比較

6.日常の留意事項
o 人との接触・交流:個人的交流、諸団体への参画(日本技術士会、技術士協同組合等)
o 見聞を広める:講演会、見学会への参加(学会等)
o 文字情報を拾う:新聞、雑誌、専門書、特許等から幅広く
o 新しいものに目を向ける:過去の蓄積に拘らず
o クライアントの欲しているもの:的確な把握が肝要。必ずしも専門に拘らないを提供する
o 提案課題を探す:現行或は新規クライアント向け

7.現在の感想
o 専門的且つ総合的な応用能力が最も問われるようだ
o 自分が役に立つマーケットはまだ結構あると思われる。ただ、それに出会うこと、見つけることが重要(それが問題)
o 独立技術士が活躍できる場は、今後広がっていくだろう

●新規開業技術士支援研究会273回
開催月日:平成22年10月2日(土)10時〜12時
場所:ちよだプラットフォームスクェア
講師:黒澤豊樹氏(電気電子)、伊東祐孝氏(情報工学)
参加者:8名
伊東祐孝氏

伊東氏は現在51歳で、情報処理関連の企業・専門学校講師を経験している。
これまでに、大型汎用機やUNIXサーバを主としたシステム開発を経験しており、この紹介や技術解説があった。
資格は技術士の他にシステム監査、ベンダー資格、大型トラック、アマチュア無線など数多く取得している。
現在、元職場からの受託開発をしており、また大学と共同で海外ビジネスの立ち上げを計画している。
健康のために、関東ふれあいの道(総計1600km)の日帰り徒歩を実践している。

黒澤豊樹氏

黒沢氏は現在77歳で、これまでも3回ほどこの支援研究会で講演していただいている。
今回は「Think & Think!  Act & Act!」という表題で、
老いと技術士、これからやりたい事などを話していただいた。
・アナログ思考が大切で面白い
・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の東大での授業が双方向で有意義(NHKで放送)
・長命先輩として、伯野氏(103歳)、久保田氏(95歳)、山本氏(84歳)の例を説明
・メーカでなくエンドユーザー(需要家)側の技術が大切
・大規模リハビリ、レジャー施設として、シニアのためのディズニーランド構想
黒髪がしっかりとあり、大変若々しく、
85歳を経て92歳まではしっかりと後輩を育てていきたいとのことであった。

●新規開業技術士支援研究会272回
開催月日:平成22年9月4日(土)10時〜12時
場所:ちよだプラットフォームスクェア地下プレゼンルーム
講師:橋本良昭氏(建設)、渡辺芳照氏(経営工学)
参加者:10名

渡辺芳照氏(経営工学)

渡辺氏は大手食品メーカ勤務に二十数年勤務後に食品関係会社に転職している50代後半の管理工学を専門とする技術士である。
「サービス業でIEを実現」、「厨房の工業化」等について経験を語られた。
ブラジル工場の立ち上げで3年ほど単身赴任され、ものつくりの基本として
・人つくりの大切さ、人間性と生産性の同時追求、QSC向上を実践した。
QSCとは“Quality”、“Service”、“Cleanliness“の頭文字をとったもので、“品質”を高め、“サービス”を向上させ、店内を“清潔”にする。
お客さんに気持ち良く帰ってもらい、また来たいなという気持ちを持ってもらえるにするという外食産業の常識である。
さらにトヨタ生産方式(JIT)の食品への応用、食品劣化の防止、テーブルレストラン作業の標準化の具体例を話された。
コンビニ弁当などの食品残渣の処理ニーズが高く、この関係の研究会を立ち上げるとのことであった。


橋本良昭氏(建設)

橋本氏は鉄橋等の専門家であり、NPO日本技術経営責任者協議会の事務局長を務めている。
建設部門は斜陽産業であり、この部門での独立自営は難しいとのことである。
できるだけ会社にしがみついているのがよく、独立した場合は会社を設立しないと仕事の受注が困難とのことである。
(1)身に着けるものとして、
・PCスキル、
・経理の基礎知識、
・2年は食べていける資金、
・文章力(報告書作成)、
・健康
(2)心掛けることとして、
・休日はない、頼まれた仕事は断るな(断ると次からの仕事が来なくなる)、
・売掛倒れもある(仕事をしても収入につながらない)、
・あくせくしない
(3)趣味として、
・海外旅行、ヨット
これらの写真を交えて経験談を披露してもらった。
技術士は中小企業診断士と比べて顔が怖い(小沢さんみたい)そうである。
その後の質疑応答では、建設部門の若手(50前後)で成功している事例の紹介があり、
独立自営の方法は個人の資質、環境で千差万別であるようで、このような先輩の経験を数多く知ることが大切である。

●新規開業技術士支援研究会271回
開催月日:平成22年8月7日(土)10時〜12時
場所:日本技術士会A会議室
講師:郷俊治氏(情報工学)、河相雅史氏(機械)
参加者:16名
郷俊治氏(情報工学)

郷俊治氏
郷氏は長年自動車メーカに勤務し、この春より独立自営した情報関連の技術者である。
これまでの自動車メーカでの経験業務を話された。
・トラックのデータ解析
・市場データ収集システム
・ブレーキ系解析
・駆動系レイアウト設計支援
・開発管理、設計変更業務フロー改善
・生産管理システム
・走行シミュレーション
など、多岐にわたっている。
IBMの汎用大型機(S370)の時代から、自動車に数十のマイコンが搭載される現在までの情報処理関連の技術の流れがよく理解された。
技術士の資格は18年前に取得し、それ以前に特種情報処理技術者などの資格を取得している。
自転車や登山が趣味で、先月も富士山に登ってきたとのことである。

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河相雅史氏(機械)
河相氏は40代後半で、機械メーカに勤務後に4年前から独立自営している。
現在は、
・コンサル先の企業での非常勤(週3日)勤務
 会社には兼業許可を得て仕事をしており、社会保険が活用できるメリットがある
・技術士資格試験指導
 キャリアプランの見直しなどで受講生が成長しているのが良かった。
・技術士数名との共同事業
 10年後に完全独立した時の布石として、中国環境ビジネスなどを手掛ける
・その他
 技術士会、機械学会やNPOなどでの人脈つくり

会合の後で、森田裕之氏(技術士協同組合 理事長)とメールのやり取りがあり、参考に掲載する。

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第一土曜日の定例会で、最近独立した機械部門の後輩の河相君が、「独立志望者・10人位の前で、その奮闘振りを正直に話してくれました」、独立前の不安な状態の諸君には、大いに参考になったことでしょう、せっかくの出会いですから、仲良くなって相談に乗ってもらったら良いと思います。
私は、独立・自営40年のベテランですから、河相君のような初級者から、どうしたら中級者レベルにいけるようになるかを、アドバイスしておきましょう。

その一、
君は、頼まれて仕事をするというスタイルが好きのようで、実際は仕掛けた仕事も、頼まれてやると言う言い方をしています。
頼まれて受ける割りには、先方から「利益相反」を楯に会社に入ってくれ、などと理不尽な事を受けているらしい。
早く、専門家レベルのコントラクト・エンジニアから、コンサルタントの契約が取れるよう、先輩に教えてもらうことです。
私は、契約までが仕事で、契約したら、仕事はしないことにしています、私は一度たりとも、利益相反などという交渉はしたことがありません。
機械部門の先輩で、フィルター専門家の故・海崎英蔵先生は、自分から「利益相反をしたくないので、御社の社長の給料の倍のコンサルタント料をくれれば、契約します」とフィルター大手3社に交渉したと、自称しておられました。

その二、
沢山の会社と付き合って、便利屋みたいな立場でスポット的に仕事をしていると言う印象を受けました。
どこかで、提案するエンジニアに変身して、これまで付き合った良く知っている会社に売り込むテーマを、じっくり考えてみたら良いと思います、ネタは研究会を自分が作るか、仲間の研究会に入れてもらって、見つけることです、もう十分試行錯誤はしたと思うので、俺の本をよく読んで、立派な技術コンサルタントになってください。

その三、
ゆっくり時間をかけて、身体を鍛えた方が良いと思います、決して遅くは有りません、君の身体は脆弱な、しまりの無い印象を受けました、コンサルタントの付き合いは、長いことを、私は実感しています。

その四、
技術士仲間の付き合い方も、あまり上手じゃないみたいだね、年寄りの暇つぶしに、利用されないように。


河合君、坂部君(三菱化学OB)から聞いた話を、思い出したので、参考の為に返事します。
彼は、韓国のS社から、自動車バンパーの樹脂レシピを教えてくれと、「頼まれた」時に、「樹脂バンパーを自動車会社に収める為の、体制作りのコンサルタントなら引き受けます」と言って契約し、月に2-3日で3年くらい韓国に通っていました。
長期間現場に居なければ、仕事にならないというのは、社員にならざるを得ないでしょう?
退職後と言えど、レシピを教える(指導する)ことは、技術者倫理的にも、出来ない話です、君の言うconflict of interests の問題でもあるしね。

●新規開業技術士支援研究会270回
開催月日:平成22年7月3日(土)10時〜12時
場所:日本技術士会A会議室
講師:大坪氏(機械)、内田守彦氏(機械)
参加者:14名
講師:内田守彦氏(機械)



内田氏は57歳で、大手音響メーカを9年間に早期退職して、独立開業した。
@射出成型技術、AISO9001,14001審査員、B精密機械設計
という異なる3つの業種でリスク分散しながらコンサルタントを行っている。
専門分野の精密機械設計では独立当初は大手家電メーカとのコンサルで多くの収入を得たが、長くは続かなかった。
射出成型では、独立後に技能検定1級の資格を取得し、JETROの関得連で南アフリカで年2回講演やコンサルを継続している。
また、「射出成型加工の周辺機器選び方・使い方」(日刊工業新聞)他を出版した。
これらの仕事の獲得や、本の出版等では技術士の人脈が大きく影響しているとのことである。
今後は仕事のスタイルを見直して、インターネットを利用した製品開発のコンサルなどを目指している。
シニアのコメント:「あきらめないこと、夢を見ること、楽しくやること」

講師:大坪氏(機械)


大坪氏は、先月独立したばかりで、現在ハローワークに通いながら、仕事の創出・獲得を行っている。
詳細内容は別途掲載する。


●新規開業技術士支援研究会269回
開催月日:平成22年6月5日(土)10時〜12時
場所:日本技術士会AB会議室
講師:大森政義氏(機械)、近藤信竹氏(電気電子)
参加者:10名
講師:大森政義氏(機械)


技術士協同組合ということでは今回が初めてである。協同組合の掛川さんからコミッショニング研究会に出てみないということで一緒になったのがきっかけで,今回の講演ということになった。
自己紹介:

62歳まで,日立製作所,日立関連の会社で仕事をしてきた。

1999年に技術士を取得したので,技術士を取って11年目である。その前の30から50歳までの間,海外生活が長く,約10年くらいは海外で生活をしていた。たまたまサウジアラビアの仕事で仕事をしているとき,サウジのお客さんの中で出てくる人に,サウジアラビア人でなくヨーロッパの人が出てきた。どんな人だったかとういとイギリスではChartered Engineerという人で,ヨーロッパからサウジへの出稼ぎの技術者であった。日本でそれにあたるのが技術士だということで,興味をもっていた。

 転勤で,53歳で東京に出てきて,ちょうど良い機会だということで技術士の資格に挑戦をした。そして55歳で技術士の資格を取得した。

 技術士事務所は2000年に開業を行い,今年で10年経った。
今,10年も個人事務所をやったので,株式会社でもやろうかなと思っており,掛川さん達と2009年5月より計画を作り,名前と定款はまではつくった。なんでそんなことをはじめようかと思ったかというと,現在省エネを東京都が進めており,そして第三者検証機関に立候補して,排出権取引に参入しよとするためである。そして3人で第三者検証機関のための試験を受けてきた。なかなか合格さしてくれない。また合格したらいってもパットとできるかというと,既にできた第三者検証機関はすべて一流であり,我々が合格してつくったとしても,東京都が認めてくれないんじゃないかいう2つの問題がある。いまだに挑戦を続けている。

 事務所を開くときに,私は清水の出身であることより,清水市では1年間はただの経理士から教わることができ,青色申告などやり方を教えて頂き,2000年から始めている。現在では弥生というPCソフトで貸借対照表から月々の事務処理が簡単にできるので,事務所の運営をやっている。

首相が菅さんになり,現在温暖化対策基本法案が廃案となりそうだが,多分国会の会期が延長され,成立すると思われている。今日は「排出量取引制度の最近の動向」について話したい。今回は自分も勉強しながら資料を作ったというのが実情である。「温暖化ガスの削減の現状」と「排出量取引」について話したい。
温室効果ガスについての説明は,ニュートンに非常にわかりやすい解説があった。赤外線に強く反応する気体分子が大気を暖める。温室効果ガスはCO2含めて6分類が指定されており,京都議定書で対象となっている。地球温暖化係数はCO2を1とするもので,SF6(六フッ化硫黄)がCO2の23900倍もある。量は少ないが係数が高い。フロンの代替ガスであるHFCs(ハイドロフルオロカーボン)もオゾン層は破壊しないが,温室効果ガスである。温室効果ガスが,太陽からの赤外線を受け酸素とか窒素を振動させるということだそうだ。

温室効果ガスの現状ですが,速報値から6ヶ月くらい経つと確定値となるのですが,確定値については2008年が最新で,2009年はまだない。2008年では日本ではCO2換算で12億8200t排出しており,ほとんどの内訳はCO2である。

 京都議定書では削減目標は2008年から2012年の間に1990に比べて6%削減となっているが,2008年の確定値では全体で1.6%は増えているが,森林で−3.5%,海外から政府の購入で−1.6%,電力会社が購入して−5%で,6%削減については初年度は守られている。2008年度は景気の影響と,原子力発電が止まっていた影響もある。2009年もこのレベルであるだろうといわれている。新聞にはチョコットしか出ないのであまり知られていないが,2012年までは日本は守れるくらいまで確保できたと言われている。

 省エネ規制の方向がどうなるかということですが,省エネ法でしばりがかかっており,2010年4月より施行されて強化されている。

 前は工場単位であったが,今年の4月から企業単位(事業者)となった。そのため規制の対象事業者が増えた。対象となると,エネルギー管理企画推進者というのを,設けなければならないが,これは外部委託も可能でエネルギー管理士ならなれるので,これもビジネスチャンスである。チェーン店も対象となる。

各企業が自分で計算して国に出さなければならない。それをしないと後でいろいろ問題が起きる。しかし国の場合は,罰則規定があんまりないみたいである。

東京都の場合は,罰金がある。国が規制が甘く,排出量を生産量で割るので,生産量が増えた場合,増えてもいいよというものである。しかし世界の趨勢は,総量規制であり問題があるところである。国にはエネルギー消費原単位ということで出す。工場単位が事業者単位となり,エネルギー使用量が1500kL換算で対象となるが,公式にはその数はまだ出ていない。
 排出権取引の世界の現状ですが,今実際にやっているのが世界で3箇所と言われている。

最初にやったのがEUで,域内排出権取引で2005年より開始している。総量削減を中核とする,キャップ&トレード方式である。対象は発電所や製鉄などである。

 2番目にやったのがアメリカで2009年より開始。キャップ&トレード方式である。ただオフセットプロジェクトなどで柔軟な対応がある。

 日本の場合は,排出権取引について先月衆議院を通過した。参議院にて審議中であるが,国会の延長がなければ廃案になるだろうといわれている。総量規制でなく原単位規制であるため骨抜き法案といわれている。

 東京都が世界で3番目であり,排出権取引が今年の4月1日から始まっている。東京都の考えは,キャップ&トレード方式で総量規制である。東京都はお金をかなりかけており,我々にとってビジネスチャンスがある。東京都はもう始めており,研修会や募集は毎月2か3回くらいある。東京都では1332事業所が対象となっているがどこかは未公開である。東京都も原油換算で1500kLを対象としている。

新丸ビルでは,青森県の風力発電を買ってきているというのが,新聞に出ていた。2013年くらいから始めてくれというのを地方(東京都)から国に提案している状態で通常とは逆である。
 我々の資格を使ってできるのは,技術管理者というのがある。技術士の資格でできる。

第三者検証機関は技術士でできるが,試験もある。現在第三者検証機関の試験の解答の公開がない。何も公開がなく,受ける方としては困る。6個くらいの区分があり,すべて講習を受けて,試験に合格しないと資格がもらえない。8割くらい取らないとだめで,5000人受けて,受かったのは50人くらいで,1%くらいかな。法律条文の解釈の問題など理系にはなじみの少ない試験である。

 東京都の場合は,ビル単位でもやる。2010年度から始まっており,2016年度までに,ビルだと8%,工場だと6%削減義務。達成してなければ金で買ってきなさい。それもだめなら罰金がある。

 会社には統括管理者と技術管理者を置きなさい。技術管理者は5社まで可能である。技術管理者はエネルギー管理士,技術士だとなれる。また研修には終了試験がない。
質疑応答

国や電力会社が買い取った排出権取引の金額はどのくらい。

具体的な金額は出ていないと思う。数億円の単位ではなかったかと思う。結局は,税金と電気料金となり,国民が払うということになる。
運輸関係はどうなっている。

運輸関係は別の施策でやっている。運輸部門と家庭部門は別である。
技術管理についてですが,技術士だったらなれるということですが。

@エネルギー管理士か,技術士だったらなれる。それ以外に必須としてA省エネルギーの診断の実施する能力があること。過去の物件を提出する。また必須としてB研修を受けることで,これは終了試験がない。東京都の場合は@からBのすべての条件が必要。国の場合はエネルギー管理士だけでもできる。また第三者検証機関だと東京都では1物件50万というのが出ていた。量としては1週間でできる量である。なぜ東京都がこんな難しいことを考えたかというと,排出量取引にはお金が動くからであろうと思われる。

講師:近藤信竹氏(電気電子)


 専門は無線である。今回でここでしゃべるのは3回目である。独立自営の技術士という意味では反面教師ということで参考にして頂きたい。

 技術士になった動機としては,独立しようということでなく,定年後に自分が所属するソサイエティが欲しいということで資格を取った。技術士はかっこよく,男のダンディズムということで資格を取った。

現役の頃はほとんど営業をやっていた。ただ学校をでてから6年間は船の無線通信士をやっていた。外国航路だった。

その後関西の無線機メーカで1年半くらい開発を行っていたが,勤務地が関西であったため,東京に来て営業担当して35年勤めた。

 7年前に定年となり,現在は社団法人日本工業技術振興協会に所属している。日本工業技術振興協会は昭和46年にできた協会で,政府のお声がかりでできた。その当時は,技術振興,技術移転に関する機関がなくて,3代目の西堀栄三郎の頃に非常に大きくなり,90年くらいまでは日本の開発計画の基礎調査をほとんどやっていたが,80年代位から学校。NEDO,産総研などいろいろな部門が技術移転を受けもつようになった。現在は大学の先生の研究会の事務局とか,仲間の作った研究会の事務局,融資先の技術評価などの仕事をやっている。事業の支援もやっている。新しい事業として,未来農業,企業継続の研究会もやっている。独立自営で動きたいんだけれど,組織を上手い具合使いたい場合には社団法人の我々の中に研究会をつくり,それを窓口にして利用するというのも進めている。現在NPOも入っており同居している。また協会には13,14人くらいを収容できるスペースがあり,打ち合わせで使っている。西新橋,日赤ビルの裏にあり地方から集まりやすい場所にあり,霞ヶ関にも近く,インスタントコーヒーも出しますし,簡単なコピーもできる。社団法人は使い勝手も良いので利用して下さい。
生まれは,愛知県豊川市で,東三河で温暖でありいいところである。北条時頼が著したといわれる「人国記」に紹介されており,非常にいいことが書いてある。「人国記」では,山の地域は良く書かれているが,漁師の町は辛らつなことが書かれている。

11人兄弟である。詫間電波高等学校出身で,詫間電波高専はロボコンで有名なところだが,去年詫間電波高専と高松高専が一緒になって香川高専となっている。当時,学校は赤い建物1つ以外は海軍の設備をそのまま利用したものだった。運動場は月見草が生えていて,体育の時間は草刈をやらされていた。現在はりっぱになったが,なくなってしまった。

途中で無線通信士の試験が変わり,120人くらいの卒業生で,25・6人は合格していたが,全然受からなくなり,最初の試験では全国で1人しか受からなかった。私の受けていた頃も1回の試験で2.5%くらいだった。
きょうの主題は,テーマが特にはない。この前46年使ったラジオが壊れた。前は1万6千円位で1月分の給料だったが,今ではちょっとした飲み代で買える。船を紹介するのですが,物の大きさがどのように変わったかを基調にして話したい。
学校を卒業して三井船舶に入った。M型船といって8000tクラスの船に乗ったが,効率が良くかせぎ頭であった。しかしそういった船はかたぐるしいところで,おもしろくないところであったため,一生勤めるところではないと早くから感じ始めており,6年で計画的にやめることになる。

これは当時,自動化船といっていたが,ブリッジでエンジンの動きを制御できるだけであったが,その頃では画期的であった。

この写真は昭和14年の船で強襲艦のはしりでアイディアとしては良かったが,工業力の差で日本では2隻しかつくれなかった。これは昭和34年の同じ大きさの船であるが,昭和14年の船は20ノット出たが,昭和34年の船では16ノットくらいしか出ない。戦前の国威と経済復興を果たそうといっていた頃でもまだこのくらい差があったということで,おもしろい例だと思う。

学校を出た後,最初は2500tクラスの貨客船に乗り,東京・釧路間であった。その後北米航路, アメリカの5大湖航路に乗ったが,すごくきつい仕事だった。その後12000tくらいのタンカーに乗りインドネシアに行ったが,その時海賊に会った経験もあった。ニューヨークとか世界一周の船に乗った後,大阪商船のメルボルン丸という船に乗り南アジア,ペルシャ湾に行った。通常の民会の会社で,6年間でこんなに職場が変わるということはないでしょうが,船の場合はそういうことがあるため,特に職場の意識が違う。どの船に乗っても,同じような感じにするためにどの船に乗ってもその会社特有のカラーがある。大阪商船のメルボルン丸船に乗ったとき感覚,待遇まで違い,そのことが良く分かった。昭和39年に三井船舶と大阪商船が合併して商船三井になったが,一体化するまで20年かかるといわれたが,やっぱりそれくらいかかった。

 最後はもうやめようと思って,計画して賃金の高い25000tくらいのタンカーに乗った。ものすごく楽な船だった。

その当時,無線通信士は船1隻に3人乗っており,全国で3500人くらいいた。何をやっていたかといと,当時ほとんどトン・ツーの世界で,24時間で局長と次席と三席で行っていた。

どんな仕事をやっていたかというと,電報,他の船からの無線中継で電報を受けて送る,気象を受け天気図に落とす,新聞を受け新聞に加工するような仕事をやるなど4時間びっちりあった。今では通信も全部自動化となり,だれもいじらなくても待っていれば情報を得ることができ,片隅にあり非常に小さくなった。やめる頃の設備と現在の設備では非常に違う。AIS(Automatic Identification System)という自分の位置と進行方向を示す装置もある。

 船の本体が高価であることより,船の通信システムというのはエレクトロニクスにしても3・4千万くらいのをすぐ買うことができた。そのため技術的導入は早い。昭和40年代頃から既にチャート上に自分の位置を印刷するXYプロッターとか,ブラウン管方式にて電子チャートでメーカが作ったものをプロッティングしていくというのをやっていた。AISの考え方などは,自動車の出会い頭の衝突に防止に使えるなど,船は非常に保守的ではあるが,わりかしお金をかけて技術導入は早い。
質疑応答

どのくらい船に乗っておられたのですか

20から26歳まで乗っていた。結婚は30直前である。
なぜ船籍リベリアの船で荷主が日本というのが多いのか

事故が起きたときなど,日本の船だと大問題となるが,外国籍の船だとあまり世間では騒がれない。この前,船の持ち主が日本で,乗組員26人全員死んだとしても,新聞にちょっとしか載らない。大問題とならない。船籍がまたロシアはキプロスと親交があり行き来に便利だというようなこともある。
燃料,航行中の電力の管理とかはどうやって管理しているのでしょうか。

運行コストにすぐにきくから,厳しく管理しているはずである。


●新規開業技術士支援研究会268回(技術士独立開業セミナー)
●開催月日:平成22年5月1日(土)9時半〜19時
場所:ちよだプラットフォームスクェア501+502室
講師:研究会ステアリングメンバー他9名
参加者:21名

連休の合間に開催されたセミナーで、大分、高知、山口、神戸、長野と遠方からの参加者が多かった。 60歳前後の定年前後の方が多いが、30代の方が2名、40代が1名参加された。 懇親会の後に2次会も開催され大いに盛り上がったセミナーであった。

会場風景



森田氏



田吹氏



菅野氏



福島氏



岡氏



大久保氏



高堂氏



根本氏



河面氏



終了証授与



懇親会


独立開業セミナーアンケート集計2010
Q1:独立開業セミナー開催について、何処で知りましたか?
@ 技術士会の広告 3
A 新規開業支援研究会 4
B  技術士仲間の情報 1
C 技術士協同組合のHP 2
D その他(共同組合mail) 2
Q2:セミナー参加動機
1.技術士資格の有効展開
2.定年と事務所開設。定年後の独立準備。
3.独立に関する具体的勉強
4.技術士集団による技術の事業化に興味を持った。
5.独立に関する情報収集。
Q3-1:講義内容について
@ 満足できる程度だった 5
A ある程度、納得できた 7
B 参考にならなかった
Q3-2:どの講義が今後の進み方に対する参考になりましたか?
@ 独立自営の心構え 6
A 独立自営のための事例 7
B 独立自営のための組織活用法 4
C 独立自営のための準備 5
D 独立自営のキャリアプログラム 8
Q4:今後の仕事に役立つと思われる分野のテーマの意見
1.技術監査
2.独立自営のための留意点
3.会社設立の具体策
Q5:共同組合の活動に興味ありますか?
@ 組合活動に参加したい 6
A NPOに参加したい 2
B 情報入手手段として協力したい 6
C あまり興味ない
D その他
Q6:セミナー料金について
@ 高い 1
A 普通 11
B 安い
Q7:セミナー開催時期  上旬 中旬 下旬
@  4月  4 2 1
A 5月連休 7 1
B 5月連休外 1 1
C 6月
D その他
Q8:今回のセミナーは有意義でしたか?
@  有意義だった 10
A 参考になった 2
B 有意義でない
C その他
Q8:具体的な理由
1.実体験談などの具体的な話を聞くことができた。
2.事務所開設などの事務的要素の解説が欲しかった。
3.独立時期と独立までの具体的な活動について理解した。
4.今後の方向性、活動のきっかけが得られた。
5.グループディスカッションが参考になった。
6.情報収集方法を理解できた。
7.今後の仕事に関する有効な示唆があった。
8.開業場所に関する具体的な意見を伺った。
Q9:意見・希望
1.グループ討議で隣の声がうるさいので、分離等の措置が必要。
2.失敗事例もテーマにしてもらいたい。
3.グループ討議が最も参考になった。
4.自由討議がもっとあっても良い。

●新規開業技術士支援研究会267回
開催月日:平成22年4月3日(土)10時〜12時
場所:ちよだプラットフォームスクェア502室
講師:滝沢利治氏(化学)、藤原信浩氏(電気電子)
参加者:8名
講師:滝沢利治氏(化学)




滝沢氏は長野県出身の団塊の世代で、出光興産を2年前に退職して独立自営した。
経歴は、1970年に東工大応用化学を卒業し、出光興産に入社し、16年間徳山工場で石油化学プロセスの設備計画を行った。
その後、中央研究所で14年間研究テーマのFSや工業化検討を行い、米国SRIに留学も経験した。
最後の7年間は潤滑油研究所で品質保証関連の仕事を行った。

開業準備として、会社の先輩の紹介で2003年に技術士の資格を取得し、開業支援研究会や開業セミナーに参加した。
70歳以降も社会と接点を持って働けること、中小企業の支援で世の中に役立てることなどが動機である。

開業後の2年間の活動として、@ものづくり現場の問題解決、Aエネルギーと環境の技術支援、B品質管理と経営品質に取り組んできた。
研修講師や、会社技報の編集、技術評価などを行い、最近は排出権取引のビジネスを立ち上げようとしている。

感想として、@間口を広げておく、A業務はつながりと展開、ひょんなことから仕事につながる、B継続する仕事が少ない、C公私混同できる、D趣味の時間をもてる。などがあり、楽をしなく無理をしないで働くとのことである。


講師:、藤原信浩氏(電気電子)



藤原氏は早稲田大学理工学部出身でソニーを5年ほど前に退職して技術士事務所を開業した。
昨年秋より横浜市発のシニアベンチャーである叶謦[技術情報総合研究所を立ち上げて社長に就任した。
リチウム電池関連のコンサル業務を主として行っている。

リチウム電池は1991年にソニーが初めて商品化をしたのであるが、この電池のサイズ(18650)や電池の出力(4.2V)は現在業界のデファクトスタンダードになっている。
電池の市場は国内で8500億円でリチウム電池は4000億円であり、ニッケル水素電池、鉛電池などが続いている。
自動車などに使われる大型リチウム電池の効率は、携帯電話の15年前の効率であり、今後の大幅な改善が期待できる。
リチウム電池の製造では、封止やエージング工程が重要とのことであり、またリチウム資源がチリに集中し、原子力資源も50年で枯渇するとの話は面白かった。
用意されたプレゼン資料はノウハウの詰まった大変貴重なものであり、他の研究会や技術士会等の会合でも披露してもらうことを要望した。

講演後の意見交換では、
・定年後の技術者はじたばたしないで、工場見学や情報収集を楽しめばよい
・シニアベンチャーなどで新聞に取り上げられると、ここからむしり取る人が集まってくる
・出光興産は定年がなく、勇退という形で辞める
●新規開業技術士支援研究会266回
●開催月日:平成22年3月6日(土)10時〜12時
場所:技術士会葺手第2ビル 5F D会議室
講師:吉原伊知郎氏(機械)、大久保俊彦(機械)
参加者:16名
講師:吉原 伊知郎 氏(機械部門)



「粉,粒を扱う技術」と私
 私はまだ開業していなくて,現在企業内技術士である。昭和26年生まれでして,現在58歳,今年で59です。私は奈良機械というところに勤務しており,粉・粒を扱う会社として特化しており,創業86年くらいである。大学を卒業して,縁あってこの会社で粉,粒を扱ってきた。会社の先輩に技術士の方がおられ,いつかは技術士を取れよ言われて,「はい」と言った記憶がある。私も41歳の時に資格を取った。技術士としての経験は長いが,企業内技術士であることより,もっぱら社長の言われた通りの仕事をしていることがほとんど。今は技術部というところにおり,粉,粒を扱っている。その先輩も定年退職後は技術士事務所をつくられた。機械部門の部門長を2期くらいやられたと聞いており,尊敬する先輩でもありますので,私も技術士事務所を開いて,社会貢献をしたいと思っており現在準備中であり,この会も4回か5回くらい参加している。

今日は私の分野と,前回先輩のお話をお聞きしまして,自分固有技術だけでは食べていけないということで,自分のエッセンスとしてどういうことが自分にできて,何をすれば社会貢献ができるかを考えながら今日の資料を作った。

私は粉・粒を扱う会社で技術を担当しているが,実は日本粉体技術協会という協会がありまして,その中の乾燥と粉砕,造粒という部門で,また会社でいろいろやっておりましたので,その時の経験と粉体,粒体を扱う現状を話させて頂く。それと組織の中の専門化ということで,自分としてどういうことが扱えるかということ。また東京農工大学を卒業したのですが,化学工学科,今は資源工学科になっているが,その中で山登りをやっていまして,会社の中でチームワークということについてよく話す。個人の力を発揮するためにあるチームというのを考えておりまして,会社で話しをする場合には,チームワーク,リーダシップ,メンバーシップの話をしておりまして,それが仕事にどのように関係しているかの話しをして,最後に自分にできることについて話したい。

 まず,三つのことについてよく先輩から言われまして,今も私は後輩に言っているのですが,「何が好きか」「何ができるか」「何をやっている自分が,社会に貢献していると自分が思えるか」ということで職業を選ぶとということをよく先輩に言われた。必ずしも何か好きなことでは職業にならないのですが,いくら山が好きでも社会には貢献できないということがありまして,自分にできるということ,自分が貢献していると思えることをしてきました。私は3人娘がいますが,長女と次女は自分で職業を持っておりますが,三女が今度4年で職業を探しておりますが,社会に貢献していると自分が思えるかを中心に選べよ言っている。私も面接をしておりますので,うちの役員が質問することに答えられるように話はしてはいる。

私の関係する学会,協会というのは日本粉体工業技術協会というのがありまして,粉・粒を扱っているメーカとユーザとそれに関わる先生方,三者がメンバーであり,ホームページもある。1971年できた協会。分科会もありまして,ある分科会の幹事をやるのですが,こういった粉体を扱う協会,粉体工学会,化学工学会。また粉体を扱っていますと物質移動,熱量移動,攪拌等との運動エネルギーの移動。大学時代に学んだ先生が移動論の専門でして,私も移動論を駆使して,サイズをスケールアップするのでなくて,現象をスケールアップして希望する装置を納めることを盛んに提唱している。化学的観点から無次元数を駆使したスケールアップをやっている。後は機械学会。こういった学会,協会に良く顔を出している状況である。

 現在は奈良機械製作所,150人くらいの会社ですが技術担当役員,チームαの部長も兼任している。日本粉体工業技術協会の造粒分科会,昨日泊り込みで造粒部会の勉強会があり,代表幹事をしている。11人くらいの先生をお呼びして,造粒,最近は粉体を扱った微粒子の粉体の物性を利用した新しい技術も出てきており,そういったことの話をおききしている。

 今年59歳になる。東京農工大学化学工学科を出まして,1976年から奈良機械製作所に入っている。実験室開発部,どういうパラメータで運転をして,装置を買って頂く方のご希望の要求事項を満足するか,基本設計,プロセス設計の担当をしている,粉砕,造粒,表面改質をもっぱらやっている。また世界で当社の技術を買って頂ける会社に技術供与をする。インド,オランダ,アメリカ,韓国に技術輸出をした。その時技術を担当して,ライセンシー指導も担当した。

1994年,ドイツ支店の立ち上げをした。化学装置はドイツが発祥の地であるが,先代の社長が,いずれはドイツで商売をしたいという夢がありまして,今の社長の代にケルン市に当社の支店を作ってドイツ人スタッフを採用して,私は初代支店長をした。2001年に帰国した。

 趣味は山登りと機械いじりである。

 粉体はでいろんな分野ある。もっぱら私は粉砕と造粒と乾燥,輸送,供給。またバルクハンドリングの知識も必要。スペックを実現してくれるような周辺器,供給器をしっかりとした打ち合わせをして実現することが大事。分離,集塵ということも出てくる。製品になるものは取って後は,原料に戻したり捨てたりする,分離,集塵も大切。液中における粒をとることも入ってくる。また分析,解析,評価ということもある。

最近は,電池関係は元気がいい業界だが,電池には微粒子設計,粉砕してつくる,焼結にて微粒子をつくるなど粉体技術で新しい電池ができている。粉体技術も大事な分野になってきているというのが我々の認識である。

 日本粉体工業技術協会の組織図の中で造粒の分科会で代表幹事をしてかれこれ十年。造粒以外にも,微粒子ナノテクノロジー,電池製造技術,リサイクル技術,電子写真技術などのの分科会がある。

 当社はいろんな分野にまたがった装置を提供している。医薬品の粉砕をしたり,肥料や飼料の粉砕をしたりしている。私が一番専門に扱っているのは攪拌しながら混合してバインダーを入れて粒にする混合造粒器,特に医薬品で口腔内速即崩壊錠,紅茶の顆粒,コンパクト洗剤に使われている。

 表面改質,サーフェイスモディフィケイション,実はこの装置をつくったので,今までにヨーロッパにない装置ということでドイツに支店の展開ができた。粉末トナーはこの装置を使っている。表面を改質したトナーというのは最近多い。ナノミクロンでの粉砕は液相粉砕,レーザアブレーションも当社から出た技術である。

 先輩に言われた言葉,また新入社員にいう言葉として「粉体は世にでるまでの仮姿」,あまり粉体そのももの製品はない。食品とか化粧品くらいである。

最近注目されている技術について。

最近食品では米粉というのがブームだが,当社の技術者が10年くらい前から盛んにPRしていが,ここ2年くらい農水省が食品自給率を上げたい,減反政策をやめてお米をたくさん作ってもらって,輸入している小麦粉を駆逐して,パンの業界はお米でもできるということで,そういうパンが立ち上がっている。

 また口腔内速崩壊錠,錠剤を呑むのが非常に苦痛ということで,お年寄りでも子供でも飲める,錠剤なのですが溶けてすぐ飲めるといのもブームである。

SAP(Super absorbent Polymer,高吸水性ポリマー),高齢者用おむつなどのサニタリー商品として利用されている。砂漠とかに水を保持して乾燥を防止するなどの利用法もある。

 セラミックなどの触媒。粒をコーティングする技術。

 バッテリー業界,機能性粒子,木質バイオ燃料,エタノール発酵,粉砕してリグニンを溶かして行きながらエタノール発酵をさせる。バイオ燃料のかすも今捨てられないので,乾燥させて有効利用をしよう。焼酎,コーヒー,お茶がらのかす,バイプルダクト,副製産物を乾燥させるにも粉体を扱う技術として当社の乾燥機が使われる。

一瞬にして動く電車などは,キャパシタンスの優秀さが非常に大事なことから,微粒子でもってコンデンサー,バッテリー,キャパシタンスは粉体を扱う技術が重要となってくる。

 人間の五官,感性関わるものものとして,コーティング技術も重要であり,色がどうなるか,真珠カラー,虹色のカラーがですが,化粧品(小顔用のファンデーション),香料,スパイス,痛みをなくす医薬品など,また宇宙食,香料。水性多彩模様塗料などの応用も注目されるある。

 34年間の会社生活で一生懸命だったのはトラブル解決であったと思う。粉体であるがためのトラブル解決というのが重要であり,特に粉砕,乾燥,造粒というのは工程中に物性が変わる。スラリー,キャピラリー,ペニキュラー,ペンジュラーと分けてどういうふうにすれば,装置を扱うのに良いか検討をつける。原料の形態から分ける。また望ましい形態からも分類するというようなことで装置の内容を説明するというようなことをしている。

 言葉の内容というものはあまり伝わらない,よく社内ではどう言ったか,何を実行したかが大事で,何を言ったかはあまり大切ではないと言っている。技術供与とか支店をつくるうえで大切なこと。アメリカ,インド,オランダ,韓国に技術提供をした,私を通じて技術を売ったという経験がある。アメリカ人,イギリス人の英語よりもドイツ人の英語の方が良くわかる。最初の3分間は日本人だと相手も意識しているが,3分経つと日本人だということを覚えていない。日本人だからもう少しゆっくり話してくれとお願いするという経験をする。装置の原理とか,実験手順とか,かならず当社の技術供与をしたものを,彼らの技術でスケールアップしたが,トラブルがあったというときには,我々の方にヘルプが来て,スケールアップの話をしたり,トラブル対策の話をして指導することが多い。

 1994年からドイツに行き,最初は4人くらいでしたが,8人になって全部ドイツ人である。ドイツ人と議論をしていて,日本人の意思が伝わらないというのが苦労であった。ドイツ人はすべて文章にできると信じている。ハンドブックにすべて書けると信じている。日本人はノウハウを話して伝えたり,行動を見て伝えたりするが,ドイツ人はすべて文章にしないとポリシーは伝わらないと思っておりずいぶん議論した。2001年までいたが,その時のメンバーは今でも残っている。

自分の役割分担をしっかり実行する。与えられたことをこなしてリーダーになっていく。リーダーシップとメンバーシップについて会社にて話している。仲間を信頼できるようになる。いきなり顔を合わせて山に登るのでなくて,お互いに信頼できる関係をつくってその人間の力量を良く見るチャンスをつくってから山に登るということが大事。絶対最初の人とは山に行かない。チームをつくって信頼関係をつくることが大切。

粉体を扱うときもできるだけわかりやすく表現しようということで,詰まる,くっつく,磨耗する,もれる,流れる,飛んでいく,蓄熱,発火,粉塵爆発ということを当社のエンジニアには言っている。事前に手をうてるようにしておく。バイオ関係では蓄熱,発火が問題である。ヨーロッパでは粉塵対策をするルールができている。

最後に,技術士事務所をつくった場合にどういうふうな考え方から,自分は社会に貢献できるかということを考えた場合,私の場合は3つ

1.粉,粒に関わる操作システムの設計

2.粉,粒であるが為のトラブル解決

3.海外支店との外国語による「コミュニケーション不足問題」の改善

があると思っている。

 私は山に登ったり,自転車で脚力を積んでおり,東海道53次とか中仙道,奥の細道に行った。今は奥州街道を登っている最中ですが,神社があると狛犬を撮影するのが趣味である。右は阿像で「あ」といってサンスクリッド語で宇宙の始まり,物事の始まり,左は吽像で「うん」。サンスクリッド語で,安定終焉を表している。それを見ながらなるたけ阿吽の呼吸で,トラブルなしで装置がでていったらなと思っている。
質疑応答:

趣味が山登りとうことですが,どのへんの山を登られました。

日本の3000m級の山で登ってないのが2,3あるくらい。ほとんど全国で登っている。

先月は茅ガ岳に登った。日本の百名山を書かれた深田久弥さんがなくなられた場所。先週は曲岳に行った。登っていくことが楽しみ。
これから伸びると思われる分野は。

今3つあると思っている。新エネルギー関係で,電池,木質バイオ燃料,副生産品でつくるエタノールとかメタンが伸びている。食料品関係では輸入品を減らし自給率を上げるという方向での食料品関係。また高年齢化にかかわるような食料品。もう一つは機能性の材料,画像,ナノ粒子,携帯電話での電池などは粉体関係から見ると伸びそうである。
大手3つくらいしかないということですが,景気に影響されるか。

どこかの業界に特化している業界は影響される。粉粒関係でプラスティック関係は停滞している。食品関係,医薬品関係はあまり下がってないようである。食料,医薬品は景気が良い,バイオに装置を納めているメーカも景気は悪くない。複数の業界に関与しているメーカは景気の影響を受けにくい。
海外の技術と日本の技術を比較した場合のレベルはどうか。

表面改質,微粒子技術では日本は非常に良い。バッテリー技術で日本がいいのは,表面改質,粒子設計,微粒子ハンドリング技術が進んでいるから。日本の微粒子を扱っている会社は世界から評価されている。

講師:大久保 俊彦 氏(機械部門)


 独立自営講演ということでやらして頂きたい。

 現在の活動:

ここに書いたことで現在活動している。一つめが事故原因究明ということで事故関連のことをやっている。クライアントとしては損保,弁護士,裁判所である。事故で損害を被ったので,事故原因を解明して当事者に賠償を請求,責任を追及するということに使われる。最初に取り組むには重い話かなと思いますが,やってみて慣れてくると人の役に立つものであり,だんだん楽しいものになってくる。交通事故とか産業被害とか火災,車であったり家電製品であったりの事故原因を調査する。

 二つめは産学連携支援。クライアントは大学であるとか,支援機関(産学連携を支援する機関),中小企業振興公社,埼玉県新産業財団,新しいビジネスを始める上で支援している団体。技術移転,共同研究。個人でフリーランスでもできることですが,埼玉大学の中では産学連携の機関があって,新規オープンイノベーションセンタ昔の共同研究センタに週2日くらい行っている。

三つ目は技術評価。クライアントはJTTAS,金融機関,リバーベルさんが技術評価の仕事を取ってくるので機械関係をする。ベンチャーとかある企業が新規事業を立ち上げるというときに,金融機関からお金を貸すときに,この技術にお金貸していいかの評価をする。市場性などの目利きをする。

四つ目が技術面からの経営評価。クライアントは中小企業,ベンチャー企業。新事業をする目処,生産性など。これが技術コンサルタントの標準的仕事である。こんなことも一部やっている。

4つ分野を入れ替わり立ち代りやっているというのが現状である。

ここにいたるまでの背景:

昭和53年 日産ディーゼル(現在のUDトラックス)に入社。車の研究開発を担当。技術士というのは大学で,小西六の人でカメラなどの精密機械の授業があり,その方が技術士であった。その人が技術士は自由で楽しく面白くできる仕事ですよとおしゃていた。それが頭にあった。受験資格になったと同時に受験した。最初は面接などで若造が来てどうすんだという感じで,3回目で合格できた。会社に気がねなく登録すればいいんだといわれるが,当時会社のなかでの技術士は登録しづらい状況だった。結局日産ディーゼルにいる時は登録できなかった。

 そのうち協同組合理事長の森田さんと同級生の方がおられて,せっかく技術士とったんだったらおもしろい会合をしているから参加してみたらと言われて参加しだした。

 設計図面しか知らないのも技術者としては物足りないということで,製造部門もやりたいと言って移動させてくれと上司には言っていた。

 日産ディーゼルがつくった物流研究所で研究員を2次募集していたので応募して開発部門から出た。

平成4年 物流研究所に移動。外販するということで技術士資格も生かせるということで 技術士登録できた。技術士協同の会合に参加してきた。サラリーマンの時代に大変勉強になった。リコーのOBで電気の鈴木しょうせいさんという事故原因の調査をする方がおられて,新規開業支援の中でお話をされて,そのやり方をみんなで勉強してやりましょうよということで,協同組合のプロジェクトの中に,鈴木PL協力会ができて有志が集まった。この時のクライアントは弁護士。サラリーマンをしていながら,鈴木さんの協力を得ながらケーススタディ的に勉強していた。その時は技術士鑑定意見書という言葉にしてアウトプットとして裁判所に出していた。

平成7年 技術士会入会 PL法施行された。

平成8年 ロジスティックティックを強化するということで,日産ディーゼルの物流企画に戻る。不景気となる。

平成9年 技術士協同組合入会。事故鑑定関係の仕事からのお金をもとに出資金を出した。

リエゾン研究会,産学連携の活動にも顔を出していた。

平成10年 会社の業績が非常に悪くなった。会社週三日くらいの休みになる。不況業種に指定。会社もリストラ策出す。10人のうち3人出すという話もあった。毎日面接のようなものがあり,会社に嫌気がさしてきた。それで思い切ったというところもある。

平成11年 休職制度があり,1年間研修などして力をつけるための制度。1年間自由にやってください。給料8かけ,ボーナス6かけ。そのかわり一年間経ったら辞めて下さいという制度であった。研修テーマも会社に申請する必要があり,会社のCADでなく一般的の勉強をしますという名目で,CADソフトを買ってもらった。CADのセミナーなどに参加し,独立のためのスキルをつけた。

平成12年 独立。事故調査などが続けていければなという感じで,100%食べていける自信はなかったが独立した。早大でTLOを立ち上げるというタイミングもあり,ソフトランディングができた。2年間知的財産センタで,私は特許流通アソシエイトとなった。

平成14年 TLOも面白そうだったが,早稲田の理工総研に移った。できればお金を取ってきてくれということで,月で50万くらいフィーが出るということで,申請書を出して,NEDOフェローになる。ところがひどい制度で,サラリーマンと同じで完全にNEDOの職員となるようなものであった。サラリーマンからすぐに独立としてやるにはいいかもそれないが,他の技術士の仕事ができなくなってしまう。そのため3年間の制度だったがすみませんということで,1年でやめて自由になった。TLOがリエゾンとなり産業技術活用センタとなるなどいろいろなところに移った。

また鈴木PL協力会の活動内容が固定的になってしまい,会合を改善していく必要があるのかなということで,鈴木PL協力会から技術問題調査会へと発展的に変わった。PLに限らず,幅広く技術問題を扱うということになり,世話役をやり出した。文系の方,技術を知らない方に技術問題という切り口で提供していくビジネスとなる。その中からは,今やっております微粒子ゴミの話とか,こういうところにつながっている。

事故技術研究会。損保会社がクライアント。埼玉県技術士会などにも顔を出す。高堂さん,河面さんなどとともに森田さんに理事長になってもらってNPO埼玉技術士ネットワークというものを作った。埼玉県,さいたま市から仕事を請けて組織として契約をするという形になる。また最近は週2日ですが埼玉大学に通い,産学連携のことをやっている。

H18年 東京地裁専門委員をする。交通事故,自動車関連の裁判での専門委員などもやり始めている。また更に調停委員などもするようになった。

 事故原因,産学連携,技術評価などの仕事をやっており,脛をかじられている身なので,なんでも一生懸命やっているのが現状である。

 またCADを利用したり,作図・力学計算だけでなく,ものによっては模型を作ったりなどをして解説・報告書を作ると,弁護士の方などに対しては,もっともらしいものとなる。

事故現場をけんぶんするときなどには,自分だけでなく,異分野方との協力例えば,金属部門の方,水道部門の方などとすることもある。一面的な見方ではだめということをよく言われるが,異分野の方と協同ですることにより,いろいろな見方ができる。

出身企業との関係で,それなりのことをしといたほうが良いのかなと思う。退職あいさつはかなりの人にした。第三者(特に文系)は,出身企業を重視するので,大切にしていた方がよい。先ほどの吉原さんも言われたように,貴重な情報を得ることができるといこともある。

 ハローワークにお世話になり,4,5ヶ月失業手当を頂いたが,早稲田に再就職しますという形だったが,手続きの関係からか再就職手当てがもらえなかった。専門職の募集情報を利用するのもいい。けっこう細かい専門的な仕事,魅力的なものがあり,役に立つ。茨城大学などの公募で行った人がいた。

事務所の設立して,個人事業であり白色申告をしている。青で苦労しなくてもできる。家の事務所でいいのではないか。

 国民年金,国民基金にも入っているが,NEDOの関係で脱退しなさいといことがあり,再加入のロスがあったので注意されたら良い。

 一つの開業例ということで講演させて頂いた。
質疑応答

大学の組織などにはいっていくことには,先生,図書館など以外にメリットは。

私の場合個人の事務所で,自宅ですが,外の事務所てきものが,安くできる。フィーはそれほど良くはないのですが。デスクはある,文献もある,各超専門の先生とも話す機会があり,知っている企業ともつなげることもでき,コンサルタントの仕事である。


●新規開業技術士支援研究会265回
●開催月日:平成22年2月6日(土)10時〜12時
場所:ちよだプラットフォームスクェア503室
講師:吉井一寛氏(機械)、中村博昭氏(化学)
参加者:12名

講師:吉井一寛 氏(機械部門)


自己紹介:

 三洋電機にずっと在職していた。

’73年に群馬県にある東京三洋電機に入社。吸収式冷温水器の開発で技術を担当。

 27年間ずっと吸収式冷温水器の開発設計を担当してきた。最初の頃はドラフターで鉛筆で書いて,湿式のアンモニアの臭いのするコピー機を使い,右手を真っ黒にしながら図面を書いた。途中東京三洋と三洋電機が合併。

’00年 空調部門だけを一括した独立の三洋電機空調とし子会社をつくった。吸収式推進部の統括となり設計・製造・経理・原価・総務を含めた事業全体を統括するようになった。技術的な仕事はもうないなと当時感じて,27年間技術をやってきた証として,50歳のとき国家試験としの技術士の受験をした。運良く1回で合格した。入社した頃から資格マニアのところがあって,入社していろんな資格は取ってきたが,その中に技術士の資格は意識していた。しかし受験資格として7年の経験が必要であることより,受験はできなく,7年後の頃には仕事が忙しくなり,技術士のことはすっかり忘れていた。

’02年 PEC推進トレーナ養成講座を受講した。今やっている仕事と関連がある。物づくりである,トヨタ生産方式をやっているPEC産業教育センタの研修の受講を,会社で最初に受けた。

’04年 三洋東京マニュファクチャリング叶ン立された。製造部門の事業所だけを三洋電機から切り離したところで,地域限定社員にして給与を15%くらいカットした。取締役に就任して収支を見ろといわれた。社員の士気が低下していたが,PECのやり方で叱咤激励してきた。

’05年 ハンガリーに会社を作れといわれ,場所さがしから現地の協力会社を探したりするため,設立前より月1回程度ヨーロッパに出張するようになり2年かけて,当時20億くらいをもらい全部使って設立した。三洋ハンガリー空調鰍フ社長となった。そこは4方向の空調をつくる会社であり,1号機を作った。最初は3年の任期といわれて行ったが,1年ちょっとで帰って来いといわれた。工場を作ったからもういいということで。私は,吸収式の設計だけをやっていたため,パッケージエアコンはよく知らなかった。専門家の詳しい社長と代わった。日本に帰ってきたが,当時海外から帰ってきた者は窓際になってしまう。ハンガリーの後方支援という仕事をしていた。

’07年1月 早期退社に応募して三洋電機椛゙社。実は2002年からPECのコンサルを受けていたが2007年に会社もそのコンサルを止めるという結論が出たようだった。会社を辞めることについて,PECの山田日登志先生に言ったら俺のところで手伝えという話が出た。それから現在の仕事に入っていった。

’07年4月から9月の半年間は,使い者になるかどうかPECでただ働きの手伝いをした。ただ失業保険はもらっていた。

’07年9月 PECの所長が使い者になりそうだから会社をつくれと言われ,吉井技術経営研究所を設立した。会社設立したので失業保険を切った。

’07年12月 新規開業技術士支援研究会の1回目の講演をした。会社つくりました。これからですというお話をした記憶がある。

’10年1月 2年経って,新規開業技術士支援研究会の2回目の講演。

本日は,PECで手伝いをしてからその後およそ2年間何をしてきたかについて話してくれといわれ,2年間についての話をしたい。
ネットで調べてみると会社設立は個人で簡単にできることがわかった。手続きは一人でやった。定款のモデルがあり,作成して公証役場に認証をしてもらい,法務局に提出して登記すればよい。

法人化のメリットととしては,費用が経費で落とすことができる。サラリーマンは損である。うまくすればなんでも経費で落とすことができる。1000万程度の収入だったら税務署もへとも思わないという話もある。社長でありながら会社から給与をもらう形になっている。PEC産業教育センタとは年間契約で年俸制である。年俸を12で割ったお金が入ってくる。そこから給与をもらうが半分が給与。女房も会社員にしており,扶養家族の範囲内にしている。給与を抑えて必要経費にするとメリットがある。青色申告をするが,青色申告は,BS,PLで十分であり,小さい会社であるからバランスシートはいらない。通常は税理士が必要だが,書類は私がつくっている。エクセルで簡単にできる。それを税務署に持っていくと,最初はいやな顔をせずいろいろ教えてくれたが,2年目からまだ税理士を使わないのかと言われたことはあるが,問題はない。会社設立後7年間分の赤字は持ち越せる。300万円の資本金だと7年間で300万円までの赤字は出せる。もっと赤字増えると増資が必要だが。赤字なので法人税は払わなくても良い。黒字になってもその赤字を食べていけるので当分の間法人税を払わなくても良い。

しかし,最近この考えを改めてきた。コンサルを受けて企業に入っていると,もうけて税金を払っているのが企業だと一生懸命言っている。言っている本人が一生懸命こんなことをやっているとだめだなということで,1円でも2円でも法人税を払おうかなと思い始めている。

法人化のディメリットとしては,私の場合は,県税2万,市町村税5万の年間で合計7万を支払う。法人になっている限りは払う。決算書を税理士に作成してもらうとおおよそ1年に1回で15万円くらいかかる。年間で契約していると税理士に2から5万くらい1ヶ月取られる。私の仲間で年間60万円くらいかかるという人がいる。青色申告だとこういうディメリットがある。
私の業務:

現在PEC産業教育センタと年間契約をしている。トヨタ生産方式を用いて,企業のムダ排除を行っている。最初今回の講演のお断りをした理由には,技術士とは関係ないということ。中小企業だと技術士は何だといわれる。大企業へ行くとわかるが中小企業がメインである。国家試験のひとつであるという程度で説明している。

現在は,個人で個々の企業に出向いてコンサルタントをするという業務と,研修講座の推進で,契約によりPEC産業教育センタで2つの講座を持っている。コンサルタントで月1泊2日を6回と研修で3日間を2回で一月のうち18日はうまってしまう。

仕事の特徴としては,契約書は作らない。見積書だけ出す。指導料の他に交通費と宿泊費の請求をする。報告書はつくらない。技術士のレベルだと必ず報告書がいるだろうが,私の場合はない。改善内容とまとめは企業側で作成,報告をしてもらい,自分では宿題がない。宿題がないため月に6社回ることができる。

報告書を作ったことはあるが,産業支援機構から頼まれたときで,指導料は安く,半分支援機構から,半分は企業側で負担する。負担が半分な為,どっちかというと負担が少ないので指導に行っても本気で聞かない。自分たちである程度お金を払わないとだめであるというのが私の経験である。

中小企業を中心に経営コンサルタントを行い,工場現場が主である。毎月1回行って工程改善,作業改善をする。遠方の場合は1泊2日で,夜は懇親会があり,改善を行った人達にも懇親会出席してもらうが,その懇親会が重要である。お酒を一緒に飲むことに意義がある。

指導料の目安は,理事長が言われるたように,中高卒業生の初任給としている。安くてもいかんし,高くてもいかん,このくらいが目安だと教えて頂いた。6社もつと結構いいお金がもらえる。指導に行ってもらったお金はすべてPECに行くが,PECには私を含めて10人くらいいるが,おおまかな目安として3割は上納しろということになっており,7割は返す。研修で得られたお金はすべてPECが持っていく。研修はただ働きである。後で話すが,研修にもメリットがある。

実績が出るまでに時間がかかる。先ず仕掛かり在庫の削減を行う。仕掛がたくさんあるとしばらくこの企業で稼げるなということになる。BSに現れるのにだいたい1年かかる。中小企業の場合,決算のときにやっとわかるというのが普通。在庫が減るとキャッシュが増える。やっと在庫を減らすという意味がわかる。半年でこなくていいよという企業もあるがその時はさっとあきらめるのがポイントである。

企業からの研修を担当するが,半年間で6回,月1回で年間2回すことになる。研修生は30名前後,20万から30万頂く。6回のうち4回は企業に工場現場を提供していただき,実際に工程改善,作業改善を行う。指導を行っている企業から研修生を出してもらい,研修生を主体に改善行動を行う。改善のまとめをやって頂いて,翌朝発表をする。私が担当している6社から研修生を出してもらい,私がその会社に行った時は,その研修生を使えるのでメリットがある。

新規の企業から研修も申し込みがあると,その会社に行ってみる。その会社に行って改善をすると効果が出て,顧客になる。効果が出るのには,1年くらいかかる。BSが出たところで結果が良くまた続く。ただそこまでいかないで終わるケースもあるが。

毎回話題を提供する。旬の話題を提供しないとあきられる。
業務推進のポイント:

 仕事は自分から動かないと取れない。知人・友人の多くから紹介してもらう。紹介してもらわないと話しにならない。実績が出るまでが厳しい。実績が出ると,他の企業を紹介してもらえる。

仕事を取るためにはコミュニケーション能力が必要である。話ができない人は,コンサルはできない。飲食時には楽しい雰囲気にもっていくことが必要である。聞き上手になることである。私は話すことばっかりであったが,実はそれより重要なのは聞き上手になることである。

種々の情報を入れて,そしていつも独自の見解を持つことが重要。

得意分野,専門分野だけでは仕事は取れない。社長がその気にならないと企業改善はできない。

中小企業は社長でもっていることが多い。社長のことは徹底的に調べて行く。社長がその気にならないと従業員は動かない。社長が言うといやいやながらも動く。

新しい会社に行くときは,十分に調査をして行く。業界について調べておく。

資格はたくさん持っていても役に立たない。特にお金にならない資格は技術士,中小企業診断士ではないか。他の資格も同じではないか。それよりも,話し方教室の方が良いのではないか。

トヨタ生産方式はJITと自働化だけではない。人間としてのやりがい,働きがいを見つける人間教育,人間を育てることを重要視している。研修のときにこれを徹底的に叩き込む。

集大成としてコンサルタントは,体が資本で,健康第一で仲間づくりが重要である。

運動と食べ物が重要である。
質疑応答:

 トヨタ生産方式により在庫を削減した後,次ぎはどうする。
 先週行った企業は,残念ながら赤字だったが,在庫を1億減らして,赤字1000万だったが,キャッシュが9000万増える。すると自己資本率が高くなる。赤字だが銀行から融資の話しがくる。そうなると従業員の意識が変わる。中小企業だと経理を公表せず,秘密であることが多いが,組織を縦割りにして縦で全部責任をとらせなさいと指導する。部門別収支を作って公表するようにする。部門別で活人して外注品を取り込む。すると目に見えて良くなる。良い方に回り出す。そこに行くまでが大変である。
 技術士の仕事ではないといわれるが,PECと契約してまさに6社とクライアント契約して技術士の仕事である。
 最初に契約したクライアントのところは安い。しかし見る目が養われてくる。すると行った時に,早く改善ができる。10万だとずっと続くが,30万だと半年で切れる。その辺のさじ加減がすべて自分にかかってくるところが,おもしろいところでもある。
トヨタの生産工場に実際に見に行ったことがある。それまでは,下請けいじめだ,出入り業者泣かせだと思っていた。行ってみてびっくりした。見方が変わった。すばらしいと思って帰ってきた。
 私も2002年にトヨタに見学に行った。三洋電機のエアコンの組み立てスピードと全然違う。速い。これはなんとかせんといかんなと思った。しかし同じ時期に組合の人間が見に行ったが,あんな過酷な仕事は三洋電機の従業員にはさせられないだっだ。受け入れられない。その時組合の執行部に言った。考え方がおかしい。トヨタの人たちは嫌がってしているように見えましたか。喜んで仕事をしているんじゃないですか。三洋の従業員は,遅い仕事を嫌がってやっている。やりがいをいかにもたせるかである。

講師:中村博昭 氏(化学部門)


 私は今年で65歳,定年まで会社にいた。独立して今年で5年経つ。もともとは富士写真フィルムの会社にいて,生産技術の担当をしてきた。専門は生産技術の開発,コストダウンとかではなくて,今までにない生産技術をどうやってつくるかを専門にしていた。会社に入った時から生産技術に携わった。しかし主な仕事は入社して5年で終わり,5年以後は繰り返しだけだった。5年以後は自分の持っている生産技術のポテンシャルを,フィルム会社にいたんですがそれ以外の業界に技術を活用していきたいという思いがずっとあって,会社にいるときから外部の人との接触を持っていた。定年退社後はそのことで飯を食っていこうと思っていた。

具体的には紙の業界に展開すればどうかと思っていた。写真会社の中で生産技術をやってきた人間から見ると,紙の業界はもうからない事業で,紙の仕事にいくと終わりかと思われるくらい嫌われた業界で,富士写真フィルムの中では紙の業務は元気のない人たちの分野であった。写真のフィルムを毎分300mのスピードで作り出すと,世界全体にあふれてしまう。その次の開発というのは生産技術の進歩は十分で他の業界に移すことを考えていた。他の分野に移すことが重要だと考えていた。紙の生産ラインのスピードはフィルムより10倍速い。6年間で蓄積した技術をどう紙に生かすか,退社後には紙をやろうという思いがずっとあった。

紙というのが世界中どこにもある。紙のない世界はないので,紙の技術を世界中にコンサルすれば仕事があると思っていた。

 富士写真フィルムはどんな会社かというと,昭和9年にできた会社でもともと軍需目的につくられた会社だった。戦艦大和の時代。いかに相手の状況を偵察するか,爆弾の威力を評価するか,つまり写真の技術がないと軍需産業は成り立たない。日本がこれから戦争をするという場合,フィルムはどうしても国の使命としは欲しいということで,それまでフィルムは全部輸入であったが,戦争が始まると国内でそういうものがなければ絶たれてしまうということでできた。

他の会社は戦争で負けてしまって自由がきかなくなったが,私のいた会社は終戦後すぐに動き出した。私のいた会社はフィルムを扱っていたので,火災でも燃えないように消火設備は整っており燃えない,軍需なので従業員は戦争にいかない,材料も手に入る。終戦後でもすぐに稼動した。それは映画で日本を明るくするという名目で,民需でやるということをマッカーサに言った。そういう流れの中で恵まれた企業であった。

私の父も戦争に行かず,私自身も恵まれた環境で育ってきた。あまり苦労をしらず生死にかかわるようなことがないことが欠点かと思う。大学は東大にいこうということで1浪して無事卒業した。

 昭和43年に就職をしたが,今と違い就職の悩みというのもなく,好きなところに入れるという時代だった。社長との面接で新しいことをやりたいということで,生産技術をやりたいということで当時生産技術というのはなかったが,光学研究室に入り,写真フィルムをどう作るかというものをやってきた。

 写真というのは光が当たったらまずいので,暗いところで作る。検査しないで出さないといけない。光をあてることができない。どうやるかということを全部自分らで作った。他の生産ラインとは違い,真っ暗なところで,いかに完璧な商品を作るかを5年間やった。もともと日本にはそういう生産ラインはなかったということで,マッカーサの肝いりで,アメリカの先進技術を素直に入れてもらえた。

 もともと写真の技術はドイツからであり,日本と違いそういう技術は強い国だったが,ドイツは戦争に負けたため,公開していいものはどんどん公開され,当時ドイツな高度の写真をつくる為にはなくてはならない要素技術が,レポートととしてどんどん入って来た。

 そういうお手本があり,生産技術の人間はまじめにやったので,みんな習得。ただアメリカに出さないと製造業は生き残れないという状況であった。また写真といえばコダックだった。いいものを写そうと思うとコダック,安いものでよいということだと日本製であった。アメリカの市場にどうやって入るかということをもっぱらやっていた。

 だんだん時代が下ってきて日本の方もずいぶんがんばってきたので,いい利益を上げているが,関税に守られていた。コダックも伸びるためには,日本の市場に入りたいということで圧力もあり,関税がだんだん引き下げられて,我々も技術力をアップしていき,関税ゼロでも戦える体質をどうやってつくるかを考えていた。

基本的な比較をすると,日本の写真会社とコダックと比較したときの格差は利益率が50倍であり,先進技術開発はむこうである。どうやって技術を盗むかであった。いいお手本があった。

われわれの技術も進歩して,コダックが新しいレントゲンのフィルムを出すという情報が入ると,本体より先回りして市場が変わる前に出す。研究開発といってもコダックのやることを見て,それよりも速く出すということで追いついてきた。

富士写真フィルムは業界に最後に入ってきたメーカだったが,コダックを手本としてやってきたが,残ったのは日本では富士写真フィルムとコニシロク,ドイツのメーカとコダックだったが,コダックもほとんどなくなった。写真ほとんど富士写真フィルムしか残っていない。

インスタントカメラについてコダックとポラロイドと特許で戦争をしていた。富士写真フィルムはその戦争を横で見ていた。コダックはポラロイドとの特許の戦争でやられてしまった。アメリカの政策の変更で,プロパテント主義となり,特許を持っている方が強いということになった。アメリカは軍配をポラロイドに上げた。コダックもインスタントカメラの工場を世界に持っていてそれが閉鎖となり,更に賠償金の保証の問題もあった。コダックはそれで力が半分となり,ディジタルで後れを取り,ポラロイドもインスタントカメラでは利益を得たが,事業に問題があった。現在はインスタントカメラは,富士のフォトラマだけが生き残った。

富士写真フィルムは,暗闇で仕事をするということで,センサ,レーザについても経験があり,レジストの分野,ゼロックスとも提携して電子写真の分野でも日本で早く先進技術の分野をみることができた。

写真の分野でなく,紙の分野でこの技術をどう展開することをやってきて,情報記録材料ということでやってきたが,富士の技術は紙会社に対して技術ライセンスをしていた。富士の中で,技術ライセンスをして事業が成り立っているのは紙の分野で,私たちの部門しかなかった。

最大では15社の紙会社と付加価値が上がるといコンセプトで技術ライセンスをしていた。ロイヤルティが入ってきた。そういう事業を30年くらいやってきて,今でもその時のお客さんと連携がある。

その時のポイントは,その業界のありとあらゆる情報を提供する。競争会社のやっているラインをぶつ切りして提供する。かれらのラインを新しくモデルチェンジして,生産ラインするという仕事してきた。

最近紙も難しくなってきて,中国が入ってきて,私も中国にこういったビジネスチャンスがないかと思って,オリンピック前に大連から入って,紙会社はたくさんあったが,中国人はヨーロッパ人と違って技術ライセンスの価値観の持ち方が違って合わなかった。

その後日本の紙会社もこれからは中国市場ということで,王子製紙,日本製紙も立ち上げて,事業として成功するかどうかわからないがそういうことをやっている。

私としては,生産技術の分野をもっと広めたいなということで,豆腐の特殊な作り方の技術,春巻きの作り方の技術,うどんの作り方の技術なども我々の技術を使えば違うものがができるんじゃないかとうことで相手とお話はしたが,文化が違うのか,具体的な仕事には結びついていない。

現在技術士会として,技術士の仕事の開拓ということで技術士活用促進委員会というところに入っており,技術士業務の新規開拓の仕事を始めている。自分たちで提案して,技術士の仕事として開拓しようということで,今大学等に対してこういったコンサルティングをしようとメンバを集めている。ポイントは,各技術士は独立をしており専門家であるということ。そういう分野をやる競争相手がいない,電気,化学,情報の専門技術を持った人が組織をして支援をしますというコンセプトである。提案型をしようとしている。4月から技術士会の収益事業を開拓しようと提案している。

技術士はどんなランキングかというと,いろんな資格はあるが人気度は第6位である。技術士は仕事のできる集団であるということにならないかなと,3位を目指そうということで,活用促進委員会でメンバに働きかけている。

コミュニケーション能力,レポートを書くということが得意でないということが私の弱みであり,そこのところを磨かないとより広い分野での仕事はできないかなと思っている。

製品を世の中に出したけど,クレームで戻ってこないための生産技術とはなにか,それがないと新規分野の生産技術,品質保証はできない。そういうことに力を入れていきたい。

例えば有機のELとは非常におもしろい分野で,どうやって作るか富士写真フィルムが作った有機ELとかなり似た技術。サーマルヘッドでカラープリントの絵を作る。映画のフィルムと同じで,等分割された各層で光らせるフィルム上でつくる。今はガラス基盤上で作っている。写真の場合は10層くらいあるが,10回の工程をかけたのでは儲からない。一発でやることによってやる発想でやらないと物にならない。
質疑応答:

 興味が幅広いですね。
Web Siteをつくりました。ITは自分の存在をアピールする重要なツール。自分はあまりITは得意でなかったが,技術士になったときHPをどうやってつくるか,今その中にいろんなものが入っている。わたしの仕事はHPからアクセスして仕事をしている。HPだけで仕事ができるという実証をしたと思う。自分の思っていることを入れている。


●新規開業技術士支援研究会264回
●開催月日:平成22年1月9日(土)10時〜12時
場所:技術士会葺手第2ビル 5F A会議室
講師:杉崎 喬氏(化学)、前坂清富氏(機械)
参加者:12名
杉崎 喬氏(化学)

杉崎氏は大手製缶メーカを定年退職した後にプラスチック成形関連のコンサルティングを行っている。
今回は「清涼飲料用PETボトルとキャップ」という表題で、PETボトルに関してのこれまでの経験や関連技術の紹介をしていただいた。
PETボトルの樹脂、容器の形状、成形加工、キャップからリサイクルなど詳細の説明と解説があった。
PETボトル業界は日本では成熟しており、年間150億本、60万トンの市場規模である。
生産が60万トンの内、50万トンが回収され国内や中国でリサイクル再利用されている。

前坂清富氏(機械)

前坂氏は大手自動車メーカを10年前に50歳で早期退職して、独立自営された。
独立自営までの準備や、独立後の経緯、現在の仕事などの話があった。
独立前後の体験的差異に関して、20項目程度の表にまとめて説明があった。
サラリーマン時代と独立自営時代を比較して、銀行との付き合い、アパートの契約、お金に関する考え方、人の見方など比較対照して大変参考になった。
坊主と乞食は3日やると止められないといわれているが、コンサル業も同様で、もとの職場に給料を増額の条件で誘われても戻りたくないとのことである。

●新規開業技術士支援研究会263回
●開催月日:平成21年12月5日(土)10時〜12時
場所:港区新橋生涯学習センター203室
講師:谷口雄三氏(機械)、棚橋博昭氏(機械)
参加者:6名

講師:谷口雄三氏(機械)

 自己紹介:

この研究会で話しするのはこれで3回か4回目だと思います。60歳も過ぎたということで,この春から事務所に変更しました。技術士は機械部門ですがもともとは精密機械屋です。団塊世代の真ん中で昭和23年生まれ。中学の時は18クラス,高校では12クラスありました。神戸の高校では村上春樹が,同級生だったらしいのですが友達はだれも知らなかった。文科系と理科系との違いということもあってか,まったくわからなかった。

 73年に修士課程を出て,日立製作所半導体事業部,日立武蔵という,バレーボールの強いところに配属された。自動化する前であり女工さんを集めなければならず,名前を売らなければならないということで,地方から人をたくさん集め,女子寮がたくさんありました。今はあとかたもなくマンションとなっている。

当時にやっていたのは半導体工場の自動化である。自分で設計して,動かす,製造装置の開発にもっぱら従事していて,当時から精度は0.1μm未満の機械を扱っていた。今ではnmであるが。だから普通の機械を見ても驚かなない。それが役に立っている。また半導体工場ではゴミが問題となるためその対策,ラインの管理のシステム化,SPC,SQCは30年前半導体工場では当たり前のことだった。

 44歳くらいから自分のところで開発する設備がなくなってきて,本社の生産技術,今はものづくり事業部と名前が変わっている全社を統括する部門に移り,社内のエレクトロニクス関係の相談役になれといわれ,社内コンサルタント,また社内の技術プランをやり,半分くらいは工場を回っていた。半導体,液晶,プラズマ,実装,プリント基板他,電子部品中心に社内工場,半導体関係の工場を担当した。部品は大量生産であり,ゴミの話,不良の話,設備の問題などいろんな問題があった。今では部品もやめ,半導体も切り捨てられ,当時液晶工場も毎週のように通っていたが売られた。プラズマはかなり開発も遅れて,一年くらい担当して通いつめ,なんとか立ち上がりよそも買ったが結局失敗した。当時22工場あったが,17〜18工場,関連会社も含めて27〜28工場を回った。そこらへんが独立する動機となった。

 50歳で独立し,12年目になる。きっかけは早く独立したいという思いもあったが,定年までいるとそのうち窓際になってしまう,ヘッドハンティングの話などもあったことにもある。その話があった会社にコンサルティングを最初にやった。最初の頃3年目くらいまでは昔の知り合いからの仕事であったが,知らないところからも声がかかるようになってきた。知り合いのいる大きな会社も付き合っていたが,その人がいなくなると継続できなくなる。オーナー会社の場合は長持ちする。月1回とか,月何回とかの会社もある。

日立でやってきたこと以外には,光通信関係もやっていたが,ITバブルの崩壊で切れた。光学フィルム関係では,工場は立ち上がったが,ゴミだとか精度の問題があったりして品質が上がらない。射出成形の部品に印刷したり塗装したりする会社などもあった。

物づくり全般の専門家であり,専門技術は精密機械であるが,主に2つのの内容があり,品質のコンサルタントとJITなど生産をみるコンサルタントであるが,どちらかとういと品質を見るコンサルタントが多い。生産をみるコンサルタントは,品質を見ているときに生産方法など品質を上げるためにリードタイムを短くしろなどの内容のこともある。

付き合っているのは部品会社が多いので,ゴミの問題,精度の問題が多いが,半導体の世界ではあたりまえの話で,会社に入ったときからやっている。設備の改善,作業改善などもやっている。

やっていることのほとんどは,統計的にきちんとデータをとることであり,精度のデータ,不良のデータ,工程のデータ全部のデータを取らせている。統計の先生をやっているようなものである。生産技術屋の立場から品質管理屋に教えている。品質管理屋は物づくりの経験のない人が多く,管理だけをしている。どこを管理していいかわからない。大事なところを管理せず不良の検査をしているだけである。機械の精度,部品の管理,材料の管理などきちんとしていない場合が多い。

 外注監査をなどもやっており,もろもろのことをやっている。

 20社以上つきあっている。海外は3,4社で,一番遠いところはイタリア,インドではひどい目にあったが,東南アジア,韓国,中国は当然であるが,ホームはやはり日本である。大きいところは10兆円以上の企業から10億円未満の会社まで,工場も50以上回っている。

法律関係の分野も独立してからつき合いがある。特許関係の所有権関係など技術問題は,かなり良い仕事である。裁判など起こり,会社間において不良の責任問題はどちらにあるか,立ち会って評価するということもしている。先月も困っている会社があり仕事をした。

 最近のコンサルティングの話題:

監査の話があり,自動車会社がある。自動車会社が新しいサプライヤーを選ぶ時,必ずその工場の監査をする。現地では監査員が育っておらず,中国,韓国の工場から供給を受ける場合,工場の監査をする。一人でしたり,お客の担当者と行ったりする。工場では品質的問題はないかなどすみからすみすみまで,管理体制・教育・不良など全工程をチェックする。その自動車会社では独自のチェックリストは持っているが出さない。自分のチェックリストを作って監査を行なった。OKが出たところみると,自分のチェックリストで良かったのだろう。

仕事は英語でやるが,リスニングが苦手で,台湾の工場のときには,台湾人が経営,フランスのある電気機器メーカが発注して,代理店が広東にある。英語がフランス訛り,中国訛り,韓国訛りがありかなり疲れた。しかしやってみるとおもしろい。しかし去年の11月から仕事もなくなってしまい,再開されるかどうか今度問い合わせるつもりである。

品質問題であるが,最近増えてきた。部品メーカがお客様に部品を納める。メーカがセットして製品を売ったが,責任はどちらにあるかである。たいていはセットメーカが部品のことを知らずに問題が起きていることが多い。プリント基板会社が日本の本社に納めていた。海外に展開した際,プリント基板を日本国内と同じ方法で梱包した例がある。その調査内容についての報告書の表紙に,「技術士 谷口雄三」と書く。そんなときに「技術士」は役に立つ。光学器メーカでオートフォーカス用のレンズを納めたが誤動作した。部品の不具合については,EMCの仕様を部品メーカに伝えていなかった。電車内で使用したとき誤動作が発生する。部品メーカではどんなところで使用するかはわからない。画像処理のコピーライトについても扱った。

現在コンサルティングの仕事は,日本ではだめである。いくら品質がかなり良くなったとしても,注文がないとだめである。

今までは,黙っていても仕事は来たが,これからはまじめに営業しなければまずいかなと思う。営業については,これからは海外かなと思っている。日本はこれから開発試作工場の場所になるだろう。量産は海外で,中国あたりが狙い目かと思っている。

その他参考事項:

知らない人の判断基準は,信用,実績がすべてである。信用は元いた企業,技術実績,学歴,資格,講演著作などの実績などしか判断基準はない。自分が一流と思っても認めてもらえない。ホームページは必須になる。個人情報は何でも出す。

有名人になる必要がある。お金にはならないが講演,執筆はできるだけ積極的に受ける。ただ現在はセミナー会社も景気がよくない。

問い合わせがあったときは,全く縁がないからといって,できないとは絶対に言わない。まずお会いしましょうという。私の場合,クライアントに会う前に国会図書館に行って2,3日フルにその分野の勉強をする。するとだいたいわかるようになる。要素技術は共通である。ものづくりの基本はどんな製品でも共通である。例えば溶射の場合などは,専門技術はできないが,不良対策,品質管理はできますと言う。

仕事を続けながら守備範囲を広げていく。大概どこの工場に行っても大丈夫である。会社にいた時より倍以上に能力はあがったと思う。各社の工場の経験より,問題点がわかるようになってきた。開発でないので経験がものを言う。ライン見て,設備見れば大体わかるようになった。

 独立した時は,工場・会社との接し方を変えないと上手くいかない。会社にいてその会社の工場に行った時と,独立して工場に行くときは違う。独立した時はやさしく教えるようにする。相手は病人であるから。最初はなかなかうまくいかなかった。OBのなかで,威張ってやめさせられた技術士はたくさんいる。

感情でやらないで理屈つめでやるしかない。

まず現場を見る。そらから部分的に考えていく。

知り合いを増やす。期待しない時にいい話がくることもある。

この仕事は非常に波がある仕事である。忙しいときはめちゃくちゃ忙しい,土日は資料作りばっかりということがある。しかし10月には暇だったりして,すごく波がある。
講師:棚橋博昭氏(機械)


 今日は,自己紹介と溶射の概要と溶射についても私が考える問題点についてお話したいと思う。

 自己紹介:

1974年に大学の機械工学科を卒業。団塊の世代の一番最後である。大隈鉄工所に入り10年ほどいた。最初の5年は本社にいて新しい無人化工場,FMC,FMSラインの立ち上げの時期で,徹夜をしながら仕事してきた。

 その後,その技術をもってアメリカニューヨークに5年ほど駐在した。当時はちょうど工作機械が立ち上がり,日本が全世界を網羅した時期である。大隈,森,ヤマザキの3大メーカが全世界を網羅した。アメリカの工作機械メーカが縮小してきた時期であった。

1985年にプラクスエア工学に入った。溶射の専門メーカである。昔はユニオンカーバイトという名前であったがその一事業部である。おもしろい技術ということと外資系であるということより入社した。最初は生産技術と改善を担当した。品質管理,トヨタ生産方式にもとづいてやってきた。最近はLeanである。

その後,韓国の工場に行った。溶射というのはセラミック,金属の表面処理をしていくものだが,業界の移動に伴ってついていくものである。当時日本では繊維業界が落ち込んで,機械自体が韓国に移ったことにともない,韓国に工場を作った。その時にプロジェクトマネージャとして,工場立ち上げをやった。JIT今ではLean,シックス・シグマのブラックベルトの資格を取得して社内に展開してきた。

その後兵庫県の工場に工場長として赴任して,実際の工場の運営・管理をした。

戻ってきて営業を担当し,持っている技術などを伝達してきた。

今年の9月に退職して,現在は無職で職業斡旋業者を通じて就職活動中である。

関わってきた技術としては,シックス・シグマのブラックベルトの資格,工場長の経験から,生産ラインの品質改善,Lean,SQCDがあるが,先程のお話のように,この分野では日本ではもうあまりないだろう。そこで溶射協会の溶射管理士として,溶射設備の導入・立ち上げなどの拡販,コンサルタントぐらいしかないだろうということで探している。

また微粒子研究会にオブザーバで参加していおり,逐次広げてゆきたいと思う。

溶射の概要:

 溶射とはコーティング材料として,セラミックであったり金属であったり,金属とセラミックの混合サーメットであったりを加熱,熱によって溶かして,ぶつけて皮膜を作る。基本的に20μm以下のパウダーに熱を加えて加熱,運動エネルギーを加えて,被射体にぶつけるというメカニズム。皮膜の状態としては,基材に対して溶射層,パウダーの半溶融状態のものをぶつけて皮膜をつくる。半溶融状態のものが,セラミック,アルミナ,ジルコニアであったり,タングステンカーバイトであったり金属とセラミックの混合体であったりする。

 溶射の目的としては,溶かせるものほとんどのものは皮膜にできるので用途は広がると思うが,今現在,耐腐食,化学プラント,鉄鋼,建設,海洋関係に使われている。簡単な例で言えば,瀬戸大橋の橋はペイントでなく溶射でやっている。耐磨耗については,かじりとかすべり色々な形態があるが,それによって材料は変わるが,一般機械の摺動部であったり,製鉄ラインの自動車用鋼板の亜鉛めっきに利用するロールの耐磨耗であったりする。間隙調整,タービンなどのすきま調整で,かぎりなくゼロにする調整にも使われる。母材を守るための遮熱。また電気関係では絶縁体として,また材料を半電導体にしてヒータとしての利用もある。

 溶射しているメーカが溶射皮膜として売るだけでなく,いろんな業界が使っていくことによって,いろんな副産物として出たものをまた使うことにより,まだまだ用途は広がると思うが,今ところこの程度である。

 溶射の特徴として,PVD,CVDに比べて皮膜の生成が速いということがある。溶けるものであればなんでも皮膜として付けることができる。冶金学的な結合でないので,付くものの上ならばなんでも皮膜ができる。プラスチックスの上,ガラスの上に付ける方法も開発中であり一部使われているものもある。どんどん可能性が広がってきている。溶射は機械的な結合であるために,剥がすことができる。溶射の部分だけ剥がして,また使うことができ,母材が高価な場合には経済的である。

ロボットとかターンテーブルを利用すれば,大面積,複雑形状のところにも利用できる。PVD,CVDだとチャンバーに入る大きさにしか皮膜はできない。PVD,CVDは鉄鋼ロールなど巨大なものにはできないが,溶射だと大気中なので皮膜可能である。ドライプロセスなので,集塵などで回収ができる。橋梁などのように現場施工ができる。

 主に使われている分野以外に,人骨にあえて気孔率を上げて溶射ができないかという研究もあった。Tiが肉とからみあっていくからという理由である。

 溶射方法に色々ある。爆発溶射,プラズマ溶射,HVOF法などあるが,用途によってはあえて気孔を求める場合もある。

 航空機エンジン,産業ガスタービン,発電機用タービンの場合には耐熱性,耐磨耗製,高温酸化を防ぐなどの目的がある。飛行機の機体のフラップレールは,重要部品である。エンジンは1個止まっても墜落はしないが,フラップの場合は1個でも故障すると飛ばなくなるため,最重要保安部品である。製鉄ラインにおける自動車用鋼板の連続焼鈍処理のためのロールにも使われている。鋼板に傷をつけなくするために,ロール表面に材質を組み合わせて溶射する技術は,今までは日本が一番進んでいるが,中国,韓国に流れている。鉄鋼の世界一はインドであるが,それはほとんど建材用である。しかし今後インドで自動車の生産が進むと,インドへもこの技術が流れる。化学関係,プラスティックへの用途もある。プラスティックへの適用は新しい技術で,ここ十数年で日本では急速に使われている。韓国でも今溶射皮膜を使っている。

 今後について:

 溶射に関するコンサルティングで何をやっていこうかなということですが,溶射技術を使って環境改善に利用できないかということがある。ひとつには,溶射はまだまだ一般産業に認知されていない。溶射で補修ができるということを知らないお客さんが多い。既存部品の改善。摩擦係数を減らすことによってエネルギーの節約。また自動車関係にはトライはしているが,なかなか入り込めていない。ルマンでマツダが優勝したとき,ロータリエンジンの内面はすべて溶射をしている。3年かけてテストした。燃費の改善でなく摩擦係数の改善であった。

 耐薬品,耐磨耗ということで溶射があるということをお客さんが知らないことがある。メンテナンスフリーなどお役さまにアドバイスできないかと思っている。

 溶射をする立場としては,歩留まりが悪いということがある。実際パウダーの10〜15%程度しか製品として使われてない。それ以外は全部廃棄されている。再利用,再生化できないか。溶射の材料には高価なものを使っていることがある。

 溶射に使っているエネルギーもまだまだ効率がよいものとはいえない。

 上智大学清水先生の微粒子問題研究会にも参加していきたい。粒径をどうやって管理していくか。施工中だと重金属,Cr,タンタル,Niを使っている吸引設備とか健康診断とかの問題もある。

 また施工後だと修繕と廃棄物関係などの研究分野もある。

 また溶射以外に,得意としている分野としては工場改善があるが,就職活動にいくと今日本では難しいようである。溶射はあまり認知がされてないことより,まだまだ入り込む余地があるのかと思っている。
●新規開業技術士支援研究会262回
●開催月日:平成21年11月7日(土)10時〜12時
場所:神田錦町ちよだフラットフォームスクェア502室
講師:高橋政治氏(金属部門)、関 貴司氏(建設部門)
参加者:10名

講師: 高橋政治氏(金属部門)

 今回は私を知って頂くということを第一に考えて,私が何をやってきたかと,これから何をやりたいかについて話していきたいと思います。

自己紹介:昭和46年生まれで,千葉県出身。早稲田大学大学院理工学研究科資源及び材料工学専攻を修了。石炭,石油,鉱石など資源を研究するところで,所属していたところでは資源のリサイクル,石炭の化学的処理の研究するところで,石炭からいらないものをうまく除去する学問だった。平成9年に新日鉄に入社して,製銑部に配属され,毎日ヘルメットをかぶって現場のおじさん達とともに仕事をするところだった。平成15年に退社して特許事務所に入所,平成21年にその事務所を退所して,4月に自分で事務所を開業して現在に至っている。

 新日鉄での業務:ダストリサイクルプロセスを担当して,特許を出すこと以外は,特許とはまったく関係ない技術者だった。ダストリサイクルの内容を技術士の経験論文として技術士になった。

まず鉄鋼プロセスについて説明したい。オーストラリア,ブラジル,インドなどから鉄鉱石と石炭を船で輸送して持ってくる。鉄鉱石は焼結工場,石炭だったらコークス工場で5mmからにぎり拳大の大きさに焼き固める。その焼結鋼と石炭を高炉に入れて,溶けた鉄を得る。その後転炉にて成分などの調節して,調整された後に鋳造などいよりきまった形のものを作る。

製鉄工場内では多量のダスト粉が出る。数μmから200μm程度鉄鉱石を含んだダストであり,技術的に高炉で使うのは難しいもので,ほとんどものは埋め立てられており,君津では30万トン/年を埋め立てていた。ダストには50%は鉄鉱石,10%は炭素分が含まれているおり,従来から使いたい,リサイクルしたいという要望はあったが,ダストは高炉では反応できないため使えなかった。

 ダストは,高炉で再利用するのがコスト面から一番良いということで高炉にて再利用することにし,プロジェクトが組まれ,再利用するプロジェクトの一員となった。高炉にてダストの利用は世界初の試みであった。高炉で使うには,ある程度の強度と粒度が必要である。設備を作るチームと動かして操業レベルまでもっていくチームの2つのチームに分かれ,操業レベルまで動かすチームを担当していた。製鉄所内のいろいろなところで発生するダストをためて,粉の性質ごとにある比率で分けて混合する。そして還元したペレットを製造して高炉でにて再利用することとなった。その設備の敷地は,300m×200mくらいのもので,製鉄工場内の設備としてはそんなに大きなものではない。

ペレットが割れてしまい粒度が確保できないという問題であり,技術開発の中での一番のポイントととしては,割れない還元ペレットを得るという技術開発であった。

原油換算で2万キロリトル/年の省エネ,輸入してくる鉄鋼石等の原料購入費の削減,ダスト埋め立て費削減など大幅なコスト削減を実現した。

この仕事で私が得たものとしては,平成13年度には日本鉄鋼協会での省エネルギー優秀事例全国大会にて発表して「ダストリサイクルプロセスの技術開発」で経済産業大臣賞を受賞したことである。特許出願も十何件か出願した。

その後,平成15年10月に特許事務所に入所した。

資格:現在役にはたってないが日商簿記2級を持っている。技術士の1次試験は衛生工学部門で,2次試験は金属部門で資格を取得。平成20年の試験で弁理士も合格した。

現在行っている業務は弁理士の業務が主である。特許出願,特許に関する鑑定,知的財産に関する相談,講演,特許を意識した仕事ができるようにするための特許に関する社員教育などを行っている。

 今後行いたい業務として,ぜひやりたいこととして,私の特徴は技術士と弁理士の2つの資格を持っていることより両方を生かし,技術開発して発明をして特許の利用したいと考えている。また出版もしたい。どうしようか迷っていることとしては,NETIS(新技術情報提供システム)申請代行業務ができないかと考えている。NETISは国土交通省の管轄しているシステムであるが,手続きが大変であるわりには代行している人がいない。ただ書類提出には,行政書士の資格が必要であるようである。また特許流通,TRIZの利用などの業務もできなかと考えている。


質疑応答:

新日鉄に入っていて日商簿記の資格を取ったのは何か動機があったのか。

「独立することを考え、資格をとるのが一番であると考えた。独立自営ができる資格としては,弁護士,弁理士,税理士,公認会計士ぐらいである。技術士は,取っただけでは独立自営はできない。その中で一番簡単にとれそうな税理士をめざすため,簿記の資格をとった。 」
簿記を勉強したことにより貸借対照表がわかるようになり,経営診断に結構役に立つ。アドバイスなどできる。

 税理士の試験を受けるには,簿記1級の資格が必要である。商業,工業簿記とか商法など結構範囲が広い。税理士にはなれなかったが,今となっては,損はなかったと思う。
資源工学科を出て,税理士になろうと思って,資源リサイクルの内容で技術士を取られ,弁理士にもなられて独立自営という道を歩まれたプロセスはすばらしいと思う。

 看板が特許と技術士を掲げていることより,弁理士と技術士両方で稼ぐという意気込みだった。まだ技術士でかせいだことは一度もない。それが悩みであり,なんかそういう方向でいけないかと模索している段階で,この会に出席するようになった。
私は定年になって5・6年になるが,定年の前に2,3件特許を出した。最近その結果について知らせがあった。特許とはそんなに時間がかかるものか。

出願してから審査請求するのに3年の余裕がある。審査請求してなんらかの結果が出るのに2年から2年半かかる。それからの反論などのやり取りがあり,出願してから6年半くらいが普通である。8年だとちょっと長いかなというくらいである。
先ほどの話しと関係することとして2つあって,大企業で利用されていない特許については,産業技術活用センタというのがあり,我々の仲間である。また簿記の資格を生かすということでは,NPOで地域と行政を支える技術フォーラムというのがある。その中で,公会計で自治体のPL/BSを研究しようというところがある。
他の高炉メーカではダストはどうしているのか。50%鉄分があるのにもったいない。

多分捨てているだろう。利用方法としては,焼結,高炉または転炉があるがコスト的には高炉への利用が一番よい。
対設備投資効果についての結果についてないことが多いが

投資効果に対しての評価がないのは,企業情報としてその内容を出したくないからだと思う。


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講師: 関 貴司氏(建設部門)

独立して2年経っている。今日は,現在の業務についてはクライアントとの関係で言えないので,自転車を持ってきて,それを題材として擬似的に話をしたい。その他に,模型も持ってきたのでそれも題材にして話したい。

 これは一般的なロードレースマシンと呼ばれるもので,普通の自転車と違うところがある。フレームがカーボンモノコックでして,今ではあたりまえだが,これは25年前のアメリカ製であり,2kgくらいしかない。一般的にはフレームはハイテンション鋼で,パイプをろう付けするのが普通あり,それが起源ある。これはろう付けとは違い一体構造としたものである。自転車のタイヤですが,ハブにはベアリングがあり,リムがあり,ハブとリムを繋ぐということでスポークがある。スポークは糸でもよいが,真円度を出すための復元力と衝撃を吸収するという役割がある。次の世代としてリムの形状を変更して剛性を高めてスポークを減らすことにより,スポークにより発生する空気抵抗を減らすというものもある。その次に出たのが円盤にして乱流を発生させない。ディスクホイールというもの。またスポークをケブラ糸にしたものもあったが,いっときはやったが,調整が必要でそれが大変で使われなくなった。その次にスポークの代わりにモノコックにしたものがアメリカで作られた。アメリカ製のもので軽いが高くなくなっていった。今はスポークを減らすというのが主流。フレームに関しては高いものはモノコックで,安く一般的に出回るものはラム構造はやめ,ろう付けでなく溶接構造である。材料としてはクロモリパイプ,アルミ,カーボンパイプである。

私は独立する直前に,クライアントから技術開発研究の協力依頼があり,私の提案したものについてオファーがあり4年の契約を頂き,現在はそれで生計を立てている。その会社はコンクリートの会社で,特に危ないというわけではないが,先々の種にしたいということでいろいろやらせて頂いている。

現在2年経過して,現在5件目の特許を出す予定で,あと2件を1年以内に出そうかと思っている。今後は特許をもとに商品化のプロセスを進めたい。

自転車ですが距離を走ること,速く走ることよりまず軽くしなければならない。研究開発で何をしているかというと,今まで市場にあるものを見直して,必要なものだけを残して,いらないものを捨てるということをしている。そのたとえとして自転車を持ってきた。人間がエンジンであるから,車ほど力は出せないので,自転車は効率良くしなければならない。例えば,通常の自転車はギアを4×9段であるのものがあるが通常の使用条件では使わない。そこで7×1段に見切って用途を絞って見直す。

また人間が扱うものであるが,人間の指先感覚は大変敏感であり,人間の接する部分は大変ナイーブである。それを製品開発に持ち込みたいと思っている。これは変速機の同じレバーだが,片方は私が加工したものである。

 30年,40年は使いたいということがあるが,使い易さと同時に耐久性,メンテナンスのし易さなどの要素として考えている。

プロフィール:昭和35年生まれで,先ほど高橋さんの1世代前である。昭和54年日本大学理工学部土木に5年間在学した。昭和59年に卒業し,新日鉄のグループであるトピー工業に入社。1年もしないうちに出向となり,大阪に3年間出向,施工会社であるトピー建設に3年間出向,また出向してそこに12年くらいいた。その間に他社の研究所と関わることがあり,日本軽金属の研究所にてアルミに関していろいろやり,またトピーメタルにてのレーザ溶接,プラズマを利用したメタルスプレーによる擬似合金の皮膜をつくる開発もした。その最中にたまたま阪神・淡路大震災があり自転車にて現地視察も行った。それを教訓とした仕事を2年程度。そんな仕事をトピー関係ではさせて頂いた。その後トピーの協力部門で名古屋にも10年位いた。

平成19年に思うところあって退社して独立した。

資格としては平成7年に技術士1次,施工管理1級,仕事など忙しかった関係で技術士2次は平成14か15年に合格した。その他溶接技術士2級はあったが,更新してないので失効している。

 現在の業務はクライアントに4年契約で技術開発の契約をしており,大学の先生も参加して頂いて技術スタッフは5名である。

 また橋梁の設計は今でもやっている。また趣味の延長として,自立型ロボットの頭の部分の模型などの製作,また自分の工房にはフライス盤,ボール盤,旋盤等を持っており,1日中いたりする。食べていけるというわけではないがアルバイト的にやっている。車の模型もつくっており,生活の糧になればと思っている。

これから目指すこと:技術士という資格は職位だと思っており,仕事をするための糧だと思っているので,それをできるだけ生かす方法を考えたい。理事長にも2度とサラリーマンには戻るなと言われており,教訓として生かしたい。現在5件特許出しており,1件目が来年やっと形となる。4年間の契約をまっとうできるようにがんばりたい。

組織ではないので1人でできることは限られているので,皆さんの協力がなければできない。スタッフの人と手を取りながら,いろいろ教わりながら進めていくことを忘れてはいけない。頭に置いておかなければならない。


質疑応答:

根が器用なのですね

仕事しているのか趣味なのかいつも怒られる。新日鉄に出向しているときでも橋梁を自分で設計して,工場へ行って生産管理,工程管理をしてつくったものを自分で施工することもずいぶんやらされた。設計室にいるだけでなくて,現場に行って収めて来いというのが自分に合っていた。
風の抵抗というのがあったがどの程度インパクトがあるのか

風の抵抗というは実はスペシャリストの人の話。40km/hとかいうのではまったく関係ない。電車の前面も80km/hを超えないと空気抵抗という話は出ないらしい。トライアスロン,ロードレースなどだと関係する。コンピュータシミュレーションが発達してない頃は形とか材料で決めていた。経験則,バランス感覚など大切にできないか,技術開発に利用できないかなというのがある。
軽量化というよりも空気抵抗を減らすということの方が,メリットがあると思う。形状によってもある程度コントロールできる。

実は高速の自転車にはある。検討された時期もあったが,屋外だと風は変動があるということと,形状によっては走行時に第三者に危険でということがある。人間の0.8馬力をどこにどう使うかということで,空気抵抗より,タイヤの転がり抵抗,ベアリングの抵抗などを落とす方にかけた方がいいのではないかというのがメーカの判断である。小径ホイールとか,前面だけ小径にするということも試されている。いろいろな要素のバランスということになる。自転車は奥深いものがある。自動車などもあるが,1g軽くすることにより一番メリットがあるのは自転車である。


●新規開業技術士支援研究会261回
●開催月日:平成21年10月3日(土)10時〜12時
場所:神田錦町ちよだフラットフォームスクェア505室
講師:熊坂治氏(経営工学)、金谷秀紀氏(電気電子)
参加者:11名

講師: 熊坂治氏(経営工学,総合技術監理)

本日は,これまで何をしてきたか,これから独立技術士としてどうするかについて話したい。
大学は工学部応用物理学科出身で,技術士受験は応用理学部門にしようと思っていたが,受験科目に地学必要であったことより経営工学に変更した。
 経歴:
 パイオニアに入社した当時はレーザディスクの黎明期であり,100人くらいの同期のうち三分の二くらいはLDだった。ディスクグループに配属され,製造プロセスの開発や生産技術を担当した。入社以来海外で仕事したと思っていたが,海外に工場を建設するというプロジェクトで工場企画を一年間担当したが、結局実現しなかった。
’その代わりに米国法人へ92年から駐在して品質保証、設備のメンテナンス関係,最後はDVD技術の日本とのリエゾンを行った。
’97年に帰国してディスク製造装置の技術営業を3年した。
’99年本社の研究開発本部に移り,総合研究所内で電子ビーム記録装置の事業化を2年ほどやって,記録装置に関する論文を書いたところ,映像情報メディア学会で奨励賞を頂いた。
’03年からは、微小電子源の事業化の調査と研究を行った。
 ’05年,山梨のPDP事業部に異動し、開発用パネルの試作を行い,実験計画法,品質工学活用支援を行った。この時の経験が技術体験論文の詳細になったが、会社は昨年PDPのパネル製造から撤退した。
 ’その後は品質工学普及と推進を担当して、社内コンサルティング的なことをした。しかし業績不振のため’09年7月希望退職プログラムに応募し、9月末退社した。
技術士を受験した動機:
会社は53歳で役職定年なので、49歳の時にその後何ができるかを考えた。自分のリソースの中で使えそうなのが品質工学であり、品質工学の私の師匠が静岡の森さんという金属部門技術士の方であった。品質工学は,製品を安定してつくるには非常に効果的だが、独学で使いこなすのは難しい。現在の品質工学はさらに進歩して第三者の指導が必須であり、コンサルテイング需要がある。55歳頃の独立をなんとなく考えて、技術士を取った。
技術士以外の資格として,経営品質協議会認定セルフアセッサー、知的財産管理技能士2級,ビジネスキャリア検定の生産管理プランニング1級,生産管理オペレーション1級があり、先月受けた品質管理検定1級も多分合格していると思う。
所属団体は、山梨県技術士会、技術士協同組合,品質工学会評議員、品質管理学会など。また山梨県品質工学研究会を3人の仲間と立ち上げ現在40人くらいで幹事をしている。日本TRIZ協議会,MPUF?QFD研究会/USIT研究会などにも所属。

技術士事務所の開設について:
顧客の声にこたえる製品企画で使うQFDで事務所の計画を立てた。
ビジョンとしては,ものづくり工学で山梨の産業を支援し,活力向上に貢献する。ものづくり工学の手法をケースバイケースで組み合わせ、全体最適で課題を解決していきたい。
また戦略マップを使い、4つ視点で運営を考えた。教育,プロセス,顧客の視点そして最終的に財務を良くする。
重要成功要因を2つずつバランスよく指標をとり,BSCとして6ヶ月毎に評価して何をしていけばよいかを考える。
自信をもって教えられる品質工学を中心に,QFD,TRIZ、品質マネジメント、TOCなどを活用していく。
今年の品質工学発表大会で,ものづくり課題解決マトリクスを発表した。技法を横に並べ,ものづくりの課題を縦にしたもので,技法の選択肢が一覧できて好評だった。
ホームページデザインは,専門家の姪に頼んだ。

今後の活動:
一社で品質工学の指導契約交渉中。また某セミナー会社,某大学での生産マネジメント講師,某コンサルタント会社など打ち合わせ予定。山梨県内では品質工学研究会,県庁・大学関係組織などで情報を交換してゆく。
今後の学習計画として,経営工学部会で先ほどのマトリックスをロジスティックス,営業,安全環境などへの拡張版を作成中で,最終的に本にまとめたい。年に2つくらいは論文発表をしたい。来年そんなに忙しくなければMOT大学院に入りたい。

質疑応答:
Q1.手法があまりにたくさんありすぎる。どういうところに役立つかなどまとめた本,ブレークダウンした本が必要かと思うが。どこで使っているかも知りたい。
A1.むかし技術士会で作り,現在は廃版になっているというものがあるらしい。ひとつにまとめるものがあってもよいのではないかと思っている。ひとつひとつの技法だけでも一冊の本となるので,まともにまとめるとすごく厚いものとなる。

Q2.熊坂さんのスピリッツを作っているものは,アメリカでの仕事の経験ではないか。アメリカ流でやるとビジネスのやり方が適合しているのではないか。アメリカを何だと思うか。
A2.アメリカに行ったのは非常に良かった。行く前は几帳面であったが,良い意味でのいいかげんになった。日本は均質だがアメリカは混ざっていない。阿吽の呼吸がなく,コミュニケーションが必要。きちんと説明しないと海外では大変である。

Q3.プラズマディスプレイは先駆者だったが松下に集約された。特許なども松下に売ったか。
A3.全部売ったと聞いている。

Q4.これからの商売で,損益分岐点に到達できるのはいつ頃と考えているか。
A4.2年くらいは勉強の期間と考えている。MOTに行く予定もあり,2年くらいは皆が使えるツールの構築をしていきたい。

Q5.MOT大学院の勉強と仕事は両立できるのか。
A5.平日は夜の6時過ぎスタートで2コマ,土曜日は終日の講義で、そのうち半分くらい取れば2年で修了できる。最悪,週に1,2日しか行けなくても,3年くらいで取れると考えている。

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講師: 金谷秀紀氏(電気電子)



  私は技術士協同組合の行事の中では若輩者の昭和42年生れで後厄の年齢だ。電機業界の不況により昨年末から人員削減があり今年3月末の人員削減に遭った。
前から独立自営に関心がありいずれ独立しようと思っていたので,これは天命だろうと思った。屋号をヒデ・ラヂオシャックとした。

 自己紹介:
 「無線通信専門の電子回路技師」ということにしている。無線機屋でハード設計の仕事をしてきた。無線機はというと高周波ということにだが,通信機以外のものもある。無線機屋というのを簡単にまとめると,高周波回路に通信理論を応用した機器をつくる仕事である。高周波回路はディジタル化が容易でない領域が多くアナログ回路で組むものが多い。アナログ回路で残るものとしては増幅器が良い例である。また技能的要素もある。うまく動いてないときに故障を感知する能力など。いかに早く気がつくか。
 私の仕事を大きく括ると無線通信回路ということになる。無線通信回路は
 アナログ回路>高周波回路>通信回路>無線通信回路
となっており大枠で括るとアナログ回路となる。
電磁気学が基盤となっている。電磁気学をもう少し具体化すると,電気工学・電子工学となる。もう少し企業へもってくると,高周波・低周波・電源とかの回路設計となる。無線機屋はどういう領域の仕事かというと,通信機と情報機器と通信・情報(信号)理論を扱ったものである。高周波は他に誘導加熱,誘電加熱,プラズマ装置などもある。また一般のアナログ技術は,通信である情報(信号)理論と回路技術,電気・電子工学が領域である。
高周波技術となると更に電磁気学が必要となる。世の中の需要はそんなに多くはないがいないと困るというものである。
過去の経験:
最初はスペクトラム拡散通信方式の機器開発及び設計を8年半間担当した。その後会社を移って5G帯無線LAN機器の設計を行い,それはPCカード,ミニPCIカードなどモジュール物であり6年間行った。その後将来は営業の知識も必要だろうということで,アメリカ半導体メーカの営業技術を2年半経験した。そこで首になった。アナログの要素のあるICということと,営業も必要であるいうことより選んだ。
まとめると技術の現場に15年,営業現場に2年半ということになる。
 以上の経験より自分の特長は,5GHz帯までの無線回路の設計経験があり,無線分野のアナログ技術者である。同じ年代の技術屋と比べて営業技術の経験がある。外資の仕事をしたことより,英語を使う仕事の経験があるということになる。
業務分野:
 今のところは,エキスパートそして仕事をせざるをえない状況であり,現場に近い仕事となる。
第一の目標は,コンピュータシミュレーションを活用すると設計開発時間の短縮を図ることになる。その環境つくり,手引きをする。シミュレーションについては,先ほど話されたタグチメソッドと同じように,雑誌などの内容は出ているがすぐにはできず,立ち往生してしまう。本には出ているがすぐにはできない。それらシミュレータの利用のための手引きをする。対象としては,電磁界シミュレーションとしてSonnet,回路シミュレーションとしてSpice,そしてシステムシミュレーション,一般数値計算ソフトとしてScilabを考えている。以外に簡単にできるということを例示したい。
自分にとっての業務方針(心がけ):
 複数の顧客を持つこと。長期にわたるフルタイムの仕事はとらない。コンサルタント業務になるようにすることを常に考えるである。
想定顧客:
まだアプローチはしてないが,自社ブランドの製品を持つ中小電子機器メーカが一番の顧客と考える。しかし現実には自社ブランドを持っているようなメーカは少ない。
うまくいかないだろうと想定している会社としては,設計外注専門メーカ。仕事の依頼が来ることはあるが,下請けになることより断っている。また部品メーカも見込みがないと考えている。ただ下請け的OEM専業メーカもあるが,設計外注と違い設計外注に加え製造能力がある点で,顧客の可能性もあるかもしれない。大企業は,人材が活用されているかは別として人材があることより顧客とはならない。
活動はこれからと考えており,すぐには客がつかないだろうと思っており,長期戦で考えている。現在どう動いていいのかわからない状態である。電気業界は一番お金になりやすいと考えられる設計外注も前に比べれば減っている状況である。
質疑応答:
技術士はどういう経緯で取得された。
おととし取得した。組合の行事に出るのだったら,技術士のグループとお付き合いするようになったということで,技術士の取得をした。会社にいる間は登録しなかったが,フリーになったので登録した。
自分の力をアピールする場として,学会などでの発表で人脈づくりはどうか
お知り合いは作れるが,5から10年のレンジになると考える。仕事は趣味でやってきたが,高周波無線の業界は細くて狭い。技術士は大きなテーマを持たないといけないと言われるが,また大きな仕事はできないだろう。また日立で半導体をやっておられた鐘ヶ江さんもソフトなど違う仕事をしておられる。
想定顧客のメーカをリストアップして回ってみるというのはどうですか。
意外とメーカがわからない。中小で自社ブランドを持っているメーカは少ない。下請けをやっているところばっかりである。
ホームページなどは有力ではないか。ブログからも仕事がくる。
ホームページからお客が来ることは少ないと思う。ただ日本語と英語両方で公開をしている。ブログを毎日更新するということが意義はあると思う。まだ積極的にホームページは宣伝していない。
若いうちからで非常にうらやましい。すばらしいと思う。

独立している人はいるが,セミナーと本ばかりの仕事をやっている。電気業界で独立している人は少ない。見本になる方がなかなか見つからない。田澤さんのような人もおられるが見本になる人が少ない。

●新規開業技術士支援研究会260回
●開催月日:平成21年9月5日(土)10時〜12時
場所:日本技術士会葺手第2ビル5階A会議室
講師:田原 譲氏(金属)、渡辺国昭氏(機械)
参加者:14名

講師:田原 譲 氏(金属部門)



 「後半人生に夢を託して」

新規開業技術士支援研究会に参加するようになって約1年経つ。会社は今年3月31日に59歳で辞めた。ほとんど準備をせずに辞めてしまった。まだ独立して仕事の実績はない。今日は気持ちを話したい。

 今まで,可もなく不可もなくの山あり谷ありであった。80歳までこのまま過ごすのはもったいない。ゆとりをもちたい。努力をすることによって満足を得たい。心豊かな人生,年金だけでなく,経済的な余力を持ちたいという気持ちがある。放送大学,知り合いで通っている方もいますが,晴耕雨読,・・などの生活もあるが,私としては技術士としてやっていきたい。

 自分に何がもとめられるか,自分に何ができるか,自分は何をしたいかについてまずクリアにしていきたい。

 自分に何がもとめられるかについて考えるとき,重要なこととして選挙ではないが,地盤,看板,鞄がある。地盤とは人脈・ネットワークのことで,大切であることは今まで先輩諸氏から共通に言われていることである。看板については知名度・肩書きであるが,今の私にはないので,ゼロからのスタートとなる。鞄は資金力であるが,技術士の場合はゼロでよいのではないか。自宅でよい。更に知力というのもあり,専門性・情報力も必要である。また気力・マインドも必要である。協同組合の理事長にも言われるが,年をとって始めるとあきらめてしまう。挫折をしてしまう。年金でも良いやと思うとへこたれてしまう。少々のことがあっても耐える忍耐力が必要である。

 次に自分に何ができるかについてですが,大学では冶金を専攻し,非破壊検査会社に就職後,ホンダの研究所にて材料開発・鉄鋼部品・破壊検査の仕事をやってきた。このような仕事ができる。

 次に自分が何をしたいかですが,IPCC(特許),SAITEC(埼玉の技術士),PE,技術監査,技術経営責任者・・・に参加してきたが,私は金属分野という限定された分野であり,自分に活躍できることができるのかと思うことがあった。

 業務のパターンとして,攻めの業務と守りの業務がある。守りの業務として,個々のテーマの日雇い的業務は必要だが,一生そうなってしまう恐れがある。攻めの業務として,理事長が日頃からおっしゃるように,研究会テーマとしてみんなでやる長期的展望テーマである。

 技術経営責任者の講習会で,理事長の大塚氏よりお話があった。技術士会で一千万以上稼ぐ人はほとんどいない。技術士五万人の中で,コンサルタントで食べている人は三百人くらい。会社を定年となって技術士である人がほとんどである。技術士は技術だけではだめである。一番は営業,二番は管理,三番目が技術である。また人は上からひっぱってもらわないと才能は開かない。実力があれば,媚を売らなくても,必ず評価されるという考えは傲慢であるという話があった。私の考えとしては,額に汗して,足に豆して,歩くことかなと思っている。

 人には,超エリートで,技術士でもサラリーマンでも成功する人がいる。平均的凡人では,技術士でもサラリーマンでも大成しない人もいる。また技術士で成功する人は個性派であり,若くして独立する人が成功する。若いことが必要である。しかしこのタイプの技術士は私とは違う目標である。

 技術士の資格を取ればないかいいことがあると思ったが,ギャップがあることがわかった。

 今は,独立をして数ヶ月の現状であり今回の発表はここまでにしたいが,2年後にどうなったか再報告させて頂きたい。
質疑応答:開業したといったら失業保険はもらえないのではないか。

働いて収入があったら正直に収入があったことを言えばよい。収入があった時に言う。開業したといったらもらえない。失業したことにはならず,仕事を探していることにはならない。
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講師:渡辺 国昭 氏 (機械部門)


 技術屋として何をしてきたかについて話をしたい。

 略歴:

1945年生まれで,現在64歳である。1968年にホンダに入り,研究開発専門の子会社で四輪エンジン設計部門に配属された。1974年に二輪のエンジンの設計・二輪の技術評価を担当するようになり,1975年に二輪エンジン設計部門に移動,1995年に二輪車技術評価部門に移動した。2000年に技術士の資格を取得し,2005年定年後,部品メーカに技術指導契約をして就職,2009年3月に部品メーカを退職した。

過去の仕事:

 入社して最初四輪車用新エンジンの開発設計を行い,部品図,試作から市場品質対応まで行ってきた。四輪車用として軽自動車エンジン360cc,輸出用エンジン600cc,軽貨物車用エンジン360ccなどの開発をした。また二輪車としてモトクロス工場でレーサ用として,空冷2サイクル125cc等の担当をした。また量産移行後の市場クレーム・コンプレーン対応も行ってきた。

 その後二輪の設計部門に移った。空冷・水冷を含めて新エンジンを担当し,また改造エンジンも担当して,排気量のアップ,ダウン,法規制対応を行ってきた。また特別プロジェクトとして,交換インターバルの見直し,中国とベトナムの大学での講演を行ってきた。それ以外にPL問題が発生した場合,もうけがふっとぶこともあることより,アメリカでのPL問題の対応として,ハードとソフト対応,パテントの文言の対応をした。PL問題対応を20から25%させて頂いた時もあった。

 その後二輪車技術評価部門に移った。そこでは二輪車,ATV(All Terrain Vehicle),

PWC(Personal Water Craft),航空機レシプロエンジン,ライディングシミュレータシステムなどの要素技術の技術評価を技術評価部門で行ってきた。また新車開発プロセスにおける開発システムの構築・改善も行ってきた。開発品質向上の推進として,FMEA(failure mode effect analysis)とFTA(fault tree analysis)の習得もした。海外の二輪車の使用実態調査,市場品質改善の推進も担当した。

 定年退社後,部品メーカの技術指導の業務を行ってきた。ちょうどベルトからドライブ用のチェーンに移動する時期だった。

 そこでは,四輪車用カムチェーンシステムの開発の指導を行った。指導を行った部品メーカはチェーンの単体売りしかしておらず,仕様を細かく分けて対応していたが,他社ではガイド・テンショナを含めたセット売りを行っていたことへの対応である。

 また設計道具・治具の計算も担当した。カム軸駆動トルク・クランク軸回転変動理論計算プログラムを自分でVBasicにて作成,市販のADAMSを利用したカムチェーン張力シミュレーション計算開発も行った。また機械要素の分野として,ネジ締結のマニュアル,圧入マニュアルも指導した。

自動車メーカでは必ずFMEAとFTAの要求をされるが,その部品メーカでは,故障と不良の混同,故障と故障モードの混同,FTAでは抽象表現のため展開がぼけるというようなことがあったが,それらの指導も行ってきた。

システムでビジネスをする場合,チェーン以外の物のコスト管理も必要で,設計部門ではコスト計算をしておらず,部品コストの計算の指導も行ってきた。

 長年の開発業務で学んできたこと:

 設計という内容に関しては,設計の考え方(思想)を持つことが重要。例として,誤組み防止設計,ばかよけ設計,重大事故より機能不全設計などがある。現場・現物の確認も必要である。また嫌味な批判も尊重し,思い込みを排除することも必要である。

 市場品質という内容に関しては,やはり現場の重要性,事実に隠された真実の顕在化,プライドを守るよりも迅速なアクション,ユーザの使い方の所為にしないなどがある。

 技術士としての今後社会に貢献できること:

 長年,ガソリンエンジンの設計・開発業務に携わり技術蓄積はできたが,電動化の傾向があり,ガソリンエンジンの設計開発技術はあまり必要ないのではないと思っている。しかし,部品メーカでの経験より,軸受け,ネジ締結,シールガスケット,図面品質向上,FMEA,FTA,ワイブル分布を利用した品質・信頼性向上,技術評価とそのシステムの開発などに貢献できるのではないかと思う。
質疑応答:

・開発システムの構築・改善とあるが,デザインレビューのことか。

デザインレビューはもっと下の部分に相当する

・ベルトからチェーンに移るとは,定期交換を減らす傾向があるということか。メンテ項目が減るということのアピールか。

ベルトとチェーンは,機能はほとんど同じである,ただチェーンの場合,交換はまず必要はない。新エンジンの場合は,ベルトはなくチェーンで設計を行っている。ただチェーンには伸びるという欠点がある。

・今後の技術士として活躍する時のキャッチフレーズがあるか。

 今はない。先ほど述べた諸々の活躍はできる。四輪を担当した場合非常に狭い分野しか担当しないが,二輪の場合は広く浅く担当するため,二輪も経験したことより広い分野の担当できると考える。

・退職後に営業活動はしたか

 していない。定年5年前に技術士をとり,無給かボランティアで活動した後にしようと思っていたが,部品メーカに行ってしまったことより行わなかった。


●新規開業技術士支援研究会259回
●開催月日:平成21年8月1日(土)10時〜12時
場所:日本技術士会葺手第2ビル5階D会議室
参加者:14名
講師:岸敦夫氏(機械)
岸氏は大手機械メーカを定年退職した後に、文部科学省の外郭団体で産学連携活動を行っている。
会社員時代には自動車関連の部品の設計開発を行っていたが、Aランクの事故を多数起こした経験を持ち、左遷も経験したが、腹が据わって、最後は会社幹部で定年を迎えた。
産学連携のコーディネータとして現在活動しているが、独立自営の入り口(モラトリアム)としては適した仕事である。
大学や企業と付き合ってマッチングを行うのであるが、この仕事は技術コンサルタントの業務開拓に繋がるとのことである。


国沢照男氏(電気電子)
国沢氏は国鉄に入社し、民営化を経て関連の移動体通信会社の幹部を歴任した。
国鉄入社時には全ての職種を経験し、座席予約システムの開発などを行い、民営化の新会社では改札の機械化を進めた。
その後、関連のホテルの支配人を経て、移動体新会社の副社長を平成18年まで勤めた。
技術士の資格は昭和60年ごろの民営化で将来が見えないときに外でも有効な資格として、他の無線技術士の資格などと供に取得した。
中小企業やベンチャーなどを支援するメンター制度に興味を持っている。


●新規開業技術士支援研究会258回

開催月日:平成21年7月4日(土)10時〜12時
場所:日本技術士会葺手第2ビル5階D会議室
参加者:19名
講師:河相雅史 氏(機械)
自己紹介:
 最初は,機械&自動車部品のメーカに勤務した。容積型の圧縮機の設計とともに先行技術研究と作業標準の作成等も行い研究開発と併行して担当した。その後商品開発も担当し,病院関係の水の殺菌をする仕事のチーフをやり出し,それがメインとなってきた。その後メータ関係の仕事も見だした。業務が多岐にわたるようになってきたため,仕事を流量計の開発のリーダに絞った。流量関係といっても対象はガゾリンスタンド関係であったため,防爆の必要があり勉強して防爆関係の開発リーダをした。
 その後NEDOとの共同でCNGの充填装置の開発・設計・施行などの業務を担当した。
 親会社との合併時とともに,圧縮機の技術営業と開発指導,社内技術研修所の講師と運営をするようになった。
 その後,他の会社である自動車部品メーカ勤務の研究開発部門に転職した。そこでは,プレス,プレス金型等と知的財産の担当をした。
その後独立をした。認証・評価技術・実験技術・計測管理指導をしたり,容積型圧縮機・自動車部品の設計指導,講師等受託(企業・大学での設計工学・技術士受験指導),技術史及び技術者倫理の執筆活動したり,中小企業への技術移転などを行っている。
独立までの経緯:
 学校を出たのは病気の関係で少し遅れた関係で,最初の頃は興味は持っていたが技術士の道は遠いと思っていた。しかし社内での国内留学推薦が不可となったことを契機に,技術士を目指そうと思った。当時はプロジェクトリーダを3つ持った状態でだったため,一部の人以外にしかそのことを話さず独自に勉強を開始した。平成8年に技術士の資格を取得しそれは社内では初めてであった。その後社内の部課長でも技術士を取ろうとする人が出た。技術士の資格を取得したおかげで,機械設置工事業主任者などの新たな仕事・業務の機会を得た。
 自動車部品部門では,高次の技術者が部品会社にいることを顧客が嫌うため,部署によっては技術士資格自体が問題になることがあり,2種類の名刺を用意していた。
 親会社に部門が合併し,営業技術と総務(若い人の指導)を担当したが,技術営業をメインとして行っていた。
 その後転職をした。転職時の条件としては,単身赴任が前提であった。しかし体を壊し持病により半年に1回の割合で救急車に運ばれるようになってしまった。そのため単身赴任が難しい状態になった。コンサルタントの話もあり退職した。
余談:
 もともとシャイな性格であった。しかし企業内で業務をしていたことで,商品化研究・技術企画の他に,設計部署や製造部署などの困りごとの解決をする場面が多かった。しかし正論とはいえ,感情や実績の前では非力であり,前に立って説明することに自信が中々持てなかった。鈴本や浅草演芸ホール,地域の落語会に休みや就業後に出かけて観察した。話を覚えることで話し方を改善していった。現在でも落語の新作もしゃべることもできる。また騒音の測定を行うこともあったため声が大きくなった(おかげでちょっと難聴でもあるが)。また話のつくり方は,TRIZや特許書面のフォーマットに似ており,創作行為の類似性も認められる。
これらの影響で,今でも話し方に上方落語的影響があるといわれる。

独立した時の動向:
 大勢の人に助けられた結果現在の私がある。仕事で縁のあった独立先輩技術士の方から,生々しい話を聞くことでビジネスモデルに独自性が必要と感じた。また企業内にいた時偶然にネットで知り合った中小企業の団体からの勉強会に行った時,技術指導の実績を作ったとともに,現場の息吹も感じた。古い機械をオーバーホールする技術指導をしていた先生の手伝いもした。
 製造物の悪用・似非科学的製品の企画への関与,指導法と企業倫理との相克もあり,技術者倫理問題に対して悩んだ。技術士の社会的宿命として技術者倫理と指導手法の研究を本格的に実施し,機械学会の学術団体に知己を得た。
 単発受注が多いが,少額でもよいから種々のところから仕事をもらうのが良いと考えている。一社にどっぷりつかる場合は兼務規定に反する場合もあり,これに反さなければ常勤でもよいとは思ってはいるが。
 官庁関係は単発受注を多く手がけ,今も継続しているが顧問契約には直接受注は成り立ちにくい。法人格がないと仕事をもらえないこともある。技術士同士でLLC(合同会社)を立ち上げ法人格を持たせ,業務分担をしながら,大きな仕事を分担受注している。
 技術士会の機械部門の幹事としてお手伝いをさせてもらっている。友人もまだ会社におり,仕事を頂くが,汗を出さないと検収ができないという場面もある。昔お世話になった中小企業からも単発的な指導の仕事もある。しかし,経費回収がぎりぎりのところや,起業直後の企業がほとんどで,道義的に高額の費用が出せないところが多く,規定の0.7かけくらい。ただその企業に業界全体のネットワークがある場合,その業界では高い信頼性が得られる。
 情報交換を頻繁に行うことにより,自分の経験は環境関係の仕事にも役立つようになった。携帯電話番号からしかわからず,携帯電話だけから連絡を取ってきたという人もいる。携帯電話の番号は変えない方が良い。
 役所の認証を取ってくれというところもある。LLCで仕事を分割受注している。
 大学の技術士会,企業の技術士会,機械学会などで人脈をさらに広げるように努力している。
現在の仕事:
 圧力容器をつくったことのないメーカが多く,単発で圧力容器・防爆技術・計測器選定・保守に関する指導をしている。ガスの質量流量に関するものも多い。技術士研修業務,試験対策などの仕事もしている。海外のコンサルタント会社と組んで,5〜6人くらいで火力発電後の再利用についての仕事もしている。技術者倫理・技術史と設計工学の2つについて執筆をしている。国連が認める環境・技術者の認証はエネルギー管理士,計量士,技術士である
 今は,幅が広くなったので,間口を絞りたい。
今後の問題:
 コンサルタントは胡散臭いという社会的にはイメージがあるがそれを払拭することが鍵である。「あんたはコンサルタントだから・・・」という話をよく聞く。企業にはコンサルタントOKというところと,コンサルタントは胡散臭い(技術力のある企業が多いが)という2種類がある。コンサルタントの場合,トップにも現場にも話すことが必要となることがある。作業服を用意して,実際に機械などの下に潜り込み,服を汚すことで現場での信頼が得られ,後のコミュニケーションが上手くいく。ただクールビズがあるところもあり,溶接など半袖では危ない職場もあり半袖と長袖両方用意し着替えることもある。
 会報の2月号に,技術者倫理について論文が書かれている。これは苦労した経験からきたものである。

質疑応答:
・企業勤務時に,似非技術として倫理的に悩んでいたということだが,どんなものか。
 水の循環・活性化について。実体の科学と似非科学の境界のようなもので,データが出ず特許・営業で上手くいかない。やってもいいけどリスクが大きいということで,販売を引き上げたことがある。
・来年独立開業したいが,退職された時複数の依頼がすでにあったということだが,収入の見込みはどうだったか。
 当時,週1回病院に行かなければならず,週一くらいの仕事で,1回7万として7×4=28万を目指していた。妻の収入も見込んでいたので普通の人とは違うのかなと思う。
・飛び込み営業というのがあったが,それはどんなものか。
 ホームページからの問い合わせである。キーワードが技術士と計量士さらに防爆ということでひっかかるようである。ホームページも使い方によっては有効である。

講師:大坪 氏(経営工学) 経歴:
 現在56歳(昭和27年生まれ)で,技術士の部門は経営工学である。本来は機械部門であるはずだが,受験の資格条件として7年の実績が必要なため,前の会社での経歴が必要であったため,経営工学部門で資格を取った。
 精密工学の出身で,プラント事業部,セメント関係,海外プラント関係の業務を経て,貨物ターミナルを担当した。その後大手航空機の技術研究所に移った。その後装置本部装置企画部に移り,その後磁気浮上の研究業務を担当した。また子会社に出向して企画部,調達部,整備事業部,子会社の整備システム事業部と経験している。
 世界をまたにかけ,幅がひろい経験をしている。
 セメントプラントはイラクのヒットとキルクークで建設した経験もあり,アラブ通でもある。関空の貨物ターミナルの設計を担当していたことより,大手航空機会社に移り技術研究所にてCGTなどロボットで機体を洗う業務を担当した。整備企画部では,施設要件作成と建設発注業務を担当した。磁気浮上では成田と羽田間を結ぶということであったが,最終的には名鉄に売却した。愛知万博ではその磁気浮上の列車が走った。その後,本社移転プロジェクト,航空機施設設備,親会社からの業務移管,子会社同士の合併などの仕事をした。調達時代には全社削減プルジェクトにて除雪車等を含むリース化を実施して費用の削減を実現した。
 独立自営とは西安の都の城郭から外に出るようなものである。城郭内では不自由・不満足ではあるが安全である。城郭の外は自由・満足ではあるが危険である。人生設計も考えて外にでることが必要である。
気づき事項:
 独立開業セミナーは大変参考になる。特に「べからず集」と先輩の話は良い。先輩の話は役にたち「守・破・離」の考えで独自の形態を確立していくしかない。それは修行に近いと思っている。
 健康管理が重要である。体力をキープすることが必要で歩くことがベストである。いろいろ試してみたが,ゴルフはカートに乗るために歩かない,テニスは上手いと肩か膝を壊す。水泳は中耳炎になり,塩素で消毒するため菌がなくなることより体に良くない。また大手航空会社で長生きをしている人を調査した結果,実践していたのが自転車であったが,前かがみの姿勢より圧迫するため前立腺によくない。フィットネスも膝を痛める。結局歩くのが安くて簡単である。寺とか駅など明確な到着点が必要で,自分で設定して自分で到達する点は,仕事と良く似ている。

質疑応答:
・各国で計量標準が違うことより,各国ごとに提携先を決めておく方がよい。
・工作機械のモディファイができるパートナーを作ると,国内でも商売ができる範囲が広がるのではないか。

●新規開業技術士支援研究会257回
●開催月日:平成21年6月6日(土)10時〜12時
場所:港区立新橋生涯学習センター205号室
参加者:16名
講師:橋立昭武 氏(機械)

 65歳となり会社を退職したが,1社よりも少額でもよいからいろんなところから仕事をもらう方が良いという森田理事長のアドバイスより,現在4社と顧問契約をしている。
昭和42年から平成20年までの42年間についての私の歩みについて話したい。
不遇をかこっているなという気はするが,「人生塞翁が馬」である。
最初NTTの入社試験に落ちた。会社が東京にあれば地方にいかなくてもよいだろういう思いもあり,結局当時従業員数が200名から300名だった牧野フライスに入った。入社後2年間は組み立ての実習を行った。当時牧野フライスはマシニングセンタを最初に開発した会社であり,最新技術に触れることができた。
その後設計に従事するようになった。当時のクレームとして,熱変位対策,切削時のびびり,反転精度が悪いことによる主軸精度不足があった。切削時のびびりについては他社では加工できるのになぜできないというものであり,また当時中ぐり盤と同じ構造であったことによる反転精度不足があった。熱変位については,雨の日で環境温度変化が0.5℃しかない時には精度がよいことをデータで示し,環境対策が必要であるということも示した。また局所最適ではだめで全体的なバランスが必要であることも実感した。
その後計4名でMC60の開発を行い,ATCユニットの開発を任された。日本で初めてのセンタヘッドの機械で,開発には1年半かかり,JIMTOFに出展した。当時早送り速度が10mm/minは画期的であった。300台から400台くらい売れた。
4年後に横型MCグループから金型用の縦型MCグループに移った。そこで倣いスタイラス装置の改良を行った。けずりは横,倣いは縦のタイプであるHシリーズ(橋本のHではない)と名付け,量産となり大ヒットした。またその装置は対象製品の重量が変化していっても変形しないように,半浮上装置を備えた画期的なものであった。
その後古巣の横型マシニングセンタに復帰した。そこでは高剛性マシニングセンタである開発機種名MCiシリーズの開発をした。NO50のテーパ主軸で,15000rpmを実現した。高剛性と高速性を兼ね備えた機械の先駆けとなった。
また部品加工用横型マシニングセンタAシリーズの開発にマネージャーとして携わり,制御関係3名,機械関係3名の自立型プロジェクトを任された。金型は形状精度が重要であるが,部品加工は金型加工の場合と違い,寸法精度が重要でかつ高速性が求められ,当時は日立精機の研究をよく行った。結局600台から700台売れた。
昭和60年,牧野フライスを退社して遠州,ソディック,56歳で双葉電子の3社を渡り歩く流浪の旅が始まった。 双葉電子は65歳で退職し,平成20年7月に4社と技術顧問契約を結んだ。その4社は昔から知っている会社であり,おかげさまで現在でも忙しい日々を送っている。
大勢の人に助けられて現在の私がある。

質疑応答:
・何社か渡り歩き独立自営に役に立ったか。
 牧野フライスの時は部長をしていたので,コピー・出張の手配など,何でもしてもらっていた。ところが他社に移ってからは,CAD,ワープロ,Excelなど何でもかんでも全て自分でしなければならず,自分のことは自分でできるようになった。ただ人の名前を覚えるのが大変だった。

・多くの開発を経験してこられたが,他人よりも問題解決能力が優れていると思うか。
 そうは思わない。ただ仕事をするときは人に頼るタイプで,オープンにしてなんでも専門家に聞いた。そして試行錯誤により仕事を進めた。どろくさいテストの積み重ねであった。

・工作機械そのものの歴史みたいだが,何かこだわりはあったのか。
 大切にされているかどうか。牧野フライス時代には,常に世界最高のものを作るという思想を植えつけられた。


講師:田澤勇夫 氏(電気,電子)  田澤R&D技術士事務所

 最初は経歴からの紹介。
1970年代後半にスタート。電力会社で無線設計者となった。1980年代にベンチャー企業でディジタル化技術を担当,その後石油会社でインテリジェントセンシング技術を担当した。2000年8月に独立した。
 最初の電力会社では,マイクロ波無線回路設計を担当,設計と実践を兼ねる仕事であり,雪崩などで死亡者が出るような冬山の山頂での実践もあった。
 次のベンチャー企業では世界初のオールディジタル温度・湿度計の開発を行った。ディジタルということではカシオも同様であった。
その後日本鉱業の材料研究所に転進し,そこはじっくり研究ができる環境であった。その研究所では,材料から電子回路設計まで統一的に扱うことを目指していた。そこには13年間いた。
2000年に独立をした。センサ・高精度計測を中心として電子応用機器の研究開発と技術コンサルタントを目指し,精度0.05℃,0.01℃,0.001℃の温度計開発を行い,更に校正のための標準機の自作も行った。自分で作ったときのノウハウは非常に得るものが多く,買ったものを利用するだけでは単にオペレータに過ぎない。半導体の製造には高精度温度計測が必要である。また温度が高精度に測れるようになると思わぬものが見える。例として微量な不純物による水の氷点温度の違いがわかり,不純物の入り具合がわかる。
住宅における温度・湿度計測もおこなっている。オーディオ視聴&応接室がある那須だと下手に換気ができない。温度・湿度を計測することにより,窓を開けるタイミング,床下換気のタイミングを知ることができる。
真空管アンプの研究にも着手している。高精度になると電源から来るノイズが問題となりノイズ対策は精密計測に役に立つ。
研究所用の用地として確保してある土地の雑草対策として,大豆と蕎麦の栽培を始めた。大豆は土地に合ったようで品質のよいものができた。現在は豆腐作りまで手がけている。

独立について。
2001年に起業家としての方針として,自主開発,共同開発を経て最終的にベンチャーということにしていた。4年くらい経ち,計画通り自主開発も終えベンチャーへの思いが残っていた。力がついたらベンチャーを起こすことにしていたが,ベンチャー企業を経営するのは大変であり自分はベンチャーを起こすのは向いてないと思うようになった。そして技術士は独立自営が合っているし,自分に向いていることがわかってきた。今考えると2001年での企画書自体が会社の流れにしばられているようなものであった。
共同開発・委託開発をする上では契約の問題がつきまとい,どうきちんと契約をするかが重要である。契約問題はきちんとしようと思っており弁護士と相談することにしている。会社時代は,契約は法務・総務の仕事であった。仕事の契約に関しては妥協せず,精神的に負担が大きくなるので,合わなければ断ることにしている。
外注のソフトを依頼するのは限界があることがわかった。システムエンジニア的な仕事はやめて,本人ができる仕事だけに絞り,他はアドバイザー的な役割にとどめる事にした。
今後は技術士協同組合を利用して,独立自営を目指していきたい。
自分から発想せずに待っている状態となり,外からの刺激を与えられることが癖になってしまう。世の中に役立つ仕事,世の中の為になる仕事という感性が落ちてくる。そんな大組織にいた癖をなくすようにする。

質疑応答:
・埼玉の自宅と那須とはどのくらいの割合。
 今までは半々くらいであった。

・今後本当にやりたいことは。
 午後に紹介する熱画像のプロジェクト。ニーズに基づいた技術コーディネータが重要ではないか。これからはニーズに密着したものが重要である。

・技術顧問,コンサルタントをする人もいるが,自分から技術開発をする人もいる。ベンチャーに向く人とはどんな人か。
 若さが必要である。年とってからのベンチャーでの失敗は取り返しがきかない。能力以上に若さが必要である。

・自分で会社をつくることにより独立したことになると思うが,お話された「独立自営」とはどこが違うのか。
 受託開発はクライアントが主である。本質的な所では独立自営ではない。私のローカルな考えでは,だれにも命令されない,命令しないが独立自営だと思う。

・現在の経済危機は影響しているか。
 やはりもろに受けている。特に自動車関係から連絡が来なくなる。半導体関係もそんな感じである。企業側としても新しい道を切り開かないとまずいと思って人が多いのではないか。10前とは違う。

・ISOの審査はどうか。
 ISO14000の資格は取ったが,暇がなくてやっていない。
●新規開業技術士支援研究会256回
新規開業技術士支援研究会の独立開業セミナー
日時:平成21年5月9日(土)9:30〜19:00
参加者:8名
内容:各種独立事例(成功事例、失敗事例)、個人事業主としての手続き、税務申告の仕方、個別指導など
岡 孝 夫氏


田吹隆明氏


菅野淳氏


福島晴夫氏


高堂彰二氏


根本泉氏


河面英則氏


懇親会




●新規開業技術士支援研究会255回
●開催月日:平成21年4月4日(土)10時〜12時
場所:日本技術士会葺手第2ビル会議室
参加者:17名
講師:梶 克広 氏(機械 )、國井 良昌氏(機械 )
梶 克広 氏
梶氏は大手機械メーカを昨年退社し、独立自営を始めて5ヶ月の段階の世代である。
者和49年入社し、大型タンカー、原子力関連の機械設計を経験し、液晶検査装置、薄膜太陽電池関連の開発設計を手がけてきた。
平成13年に技術士の資格を取り、現在チャマテックコンサルティング事務所を開設した。
英検1級や通訳案内士、甲種高圧ガス機械責任者、第1種冷凍機械責任者など多くの資格を保持している。


國井 良昌氏
國井氏は54歳で、昨年末に大手事務機器メーカを早期退職して独立自営した。
設計コンサル、セミナー講師、大学非常勤講師、書籍執筆出版などの仕事を行っている。
退職の10年ほど前から社内外コンサル活動や本の執筆を行っており、これらの仕事が立ち上がってきたので
独立自営をしたとのことである。
アパート収入があったり、奥様の収入があったりして、ある程度の収入の確保ができない人には独立自営は勧めないとのことである。
住宅ローンや子供の教育費負担がある中、奥様の後押しが大きかったようである。


今回も初めて参加する方も含めて自己紹介があった。
森田氏からは、コンサルタントは論理的に進めるものではなく、人間的・なまくら的なものであるとの指摘があった。
サラリーマンの平均収入に対してコンサルタントはどうだとか割り切れるものではなく、
長いコンサルタント生活の中で、多額の収入があって税務署の査察があったりすることもあるが、ほとんど収入が無いときもある。
自由主義、民主主義社会でのコンサルタントとはそういうものだとのことである。

●新規開業技術士支援研究会254回
●開催月日:平成21年3月7日(土)10時〜12時
場所:キャンパス・イノベーションセンター5階、501
参加者:13名
講師:高橋洋之介氏(化学 ),宮原宏氏 (建設)

講師:高橋洋之介氏 (化学部門) テクノスペースP&C代表 工学博士
 独立して現在2年半であり,この経験をもとに,技術の陳腐化・現役技術者との競合・仕事をどのように見つけるかについて過去を振り返りこれからについての考えを述べる。
 企業勤務時代には,新規ホトレジストの開発,CD-Rの開発(世界初),ディジタル製版材料(カラー印刷用ディジタルカラープルーフ,現在でも通用している)などを担当した。その後(財)工業所有権協力センター(IPCC)に出向して特許審査業務のための先行技術調査を担当。技術士化学部門に合格し,その後定年退職。技術士事務所を開設し現在に至っている。
 技術士受験は,技術を通して面白いことに関係したい,80歳まで,できれば90歳まで現役でいたい(趣味のマラソンと同じ)との希望より。
自営前後の活動としては先輩技術士との付き合い,知人・友人(出身企業など)との付き合いが有益であった。
 現在仕事のドメインとしては化学を中心として,コンサルタント,Co-operation,コーティング,Photo,特許分野である。
 コーティングでは,「有機ELと色素」についての月刊誌への連載,技術支援として中小企業にて潤滑層コーティング(スパッタ),塗布装置関連企業へのコンサルタント(液晶ディスプレイ関係では,韓国,台湾)を中心に活動をした。潤滑層のコーティングでは,技術士は設備,組織もないので地方自治体の工業技術支援センターを利用している。
 特許関連の仕事としては,外資系企業が中心で,日本支社で発生した発明の権利化,国境を越えた企業連携の技術契約などが主である。知材と安全は日本の法規制などに合わせて,日本の大企業並みの管理が必要であり,アウトソーシングとなりやすい。
 陳腐化する技術に替わる武器・現役技術者と競合については,企業内技術者は商品企画・設計,機能性材料・材料設計などのイノベーションの世界が主で陳腐化しやすいが,技術士は,生産技術・塗布・加工,特許戦略,安全・環境など特許公報の世界では把握できないノウハウ主体(実践・経験に裏打ちされた洞察能力)であり,それが企業内技術者との違いである。
 安定した経済基盤を得るには,継続的な仕事(顧問・アドバイザー)を一つもつ(低報酬でも積極的に,我慢も必要)。また収入を得つつ,最先端の情報を得る方法の例としては,特許庁の特許分類付与業務がある。報酬は高くはないが最新の技術を知ることができる。
次の仕事への準備としては特許を中心に進めている。技術開発の活動と経営活動との触媒として・支点(視点)としての機能であり中小企業などには必要で,その分野の活動もしたい。
また特許データベースを生かした戦略を進めたい。世界で最も強力な特許データベースは英語と日本語特許データベースである。今までは,勉強のため特許を見たり,特許を出すための見方する人がほとんどではないか。技術の発展的リサイクル(昔の技術の再利用),横並びの技術開発から相互補完の技術開発などに利用できるのではないか。
日本技術士会の専門として,経営,情報,総合技術監理と並んで,知材は横糸のひとつとなるのではないか。
参考書として「技術士独立自営のススメ」,実務中心として「独立を目指す人のための「技術コンサルタントガイドブック」」がある。
質疑応答で,契約をどうするかと聞かれたときは報酬についての写しを予め準備しておく。また外資系のアウトソーシングについては比較的安定しているのではないかということであった。


講師:宮原宏氏 (建設部門) ミヤハラコンサルティング・エンジニアーズ主宰
 一級建築士,建築構造士
「ひげとはげ」で覚えて頂きたい。残り少ない戦争を知る世代である。設計事務所に勤務時に事務所がなくなった後,サラリーマンにはもうならないと決意し,いろいろなところからの誘いはあったが独立した。その後海外の仕事をする機会を得ることができた。 仕事は追いかけない方がよい。過去にまじめにやった仕事は誰かが必ず見ているもので,オンリーワンでいき,忘れた頃に依頼がくるものである。2から3年は食べていけるように準備しておく。
企業の人と会うときは,創業社長と会うべきである。外国の企業は,権原が任されていることが多いが,日本の役員などは権限があまり任されていないことがある。また外国とはビジネスモデルが違う。Yes,ButでなくNo,Butである。その方がおおしろく印象が残るとのこと。
専門学校の先生をしながら,仕事も行ってきた。先生だけの仕事をして,世間がわからないようでは生徒には教えられないとの考えより。また先生の時には一般教養も教えていた。国際競争力をつける上で役に立つという理由より。
また工事監査の草分け的仕事をおこなってきた。国などの活動よりも,地方自治体の活動に参加した方が,小回りがきくし,後々仕事につながることが多い。
視点の持ち方としては,男の目線,女の目線,おっちゃんの目線などで見ることが必要である。また70%は個人生活品であり,5W1H以外にwhomを大切にしたら良い。
HP,Blogを見るのは,なにか事件が起きた時に見るほうが良い。なにか大きな事件が起きた時は,もうかるチャンスである。
技術士とは人を幸せにする仕事であるが,人を幸せにする仕事は儲からない。医者,弁護士など人を不幸にする仕事が儲かる。医者は病人をなおすが,病気もつくる。
質疑応答で,技術士は役人の入り口ではないかについて,英米ではコンサルタントは民間の資格である。資格があるということは,能力があるといことの証明であるにすぎない。


講師:田澤勇夫氏 (電気・電子部門) 田澤R&D技術士事務所
センサー・ネットワークについてはトランジスタ技術2009年3月号に「温度・湿度計測システムの設計と製作」に掲載している。
超小型・安価な熱画像装置(サーモトレーサー) 今までの熱画像装置は非常に高価なものでありなかなか応用が進まなかった。エアコンで温度検出に応用されている例などがある。
まもなく10万切るような熱画像装置システムが可能となる技術が進んでいる。安価となることにより,今後の応用分野としては,農業分野,インフルエンザにかかっている人の認識,部屋の温度コントールなど幅広く利用できる可能性がある。
質疑の中で,現在技術問題研究会の「ロボットセキュリティ」にまさに応用できるのでないかとの意見があった。


●新規開業技術士支援研究会252回
●開催月日:平成21年2月7日(土)9時半〜12時
場所:日本技術士会葺手第2ビル5階D会議室
参加者:16名
講師:藁科茂氏(電気電子)

藁科氏は,電力会社に勤務後4年前からビル管理会社に勤務中である。
電力会社勤務中は電力設備の点検・保守・運用から電力設備の計画,電力系統負荷特性の研究,電力の需給調整の業務などに携わった。現在ビル管理会社にて,省エネ診断の業務への参入中である。
技術士協同組合にて不動産評価研究会,ニューシビル研究会に参加しており,今後の計画として,実際に使える技術として電力供給高信頼度設備・省エネ診断等,個人でできる仕事の準備として電気,QC関係講師・技術士関連業務などを考えているとのことだった。

菅野氏:独立自営のステップとして「産学連携関連」の説明があった。


●新規開業技術士支援研究会251回
●開催月日:平成21年1月10日(土)10時〜12時
場所:日本技術士会葺手第2ビル5階会議室
参加者:10名
講師:佐々木久美氏(化学)、柴田 格氏(電気電子)

柴田氏は大手自動車メーカで燃料電池等の研究開発を行っている。
これまでの経歴や専門技術の紹介とともに、自分の強みや弱みの自己分析を示し、
これからの独立自営に向けた関心ごとを語った。
柴田 格氏


佐々木氏は大手洗剤メーカを昨年春に定年退職し、技術士事務所を開設して半年になる。
この間、身体を壊して入院をしたが、現在専門の界面活性剤関連のコンサルの他に、千葉工大の先生とナノバブル研究会を立ち上げし、
さらに技術士会のプロジェクトチームとして知財コンサルティングセンターの設立準備をしている。
佐々木久美氏


●新規開業技術士支援研究会250回
●開催月日:平成20年12月6日(土)10時〜12時
場所:キャンパスイノベーションセンター5階
参加者:20名
講師:森 豊氏(機械)、仲原啓二氏(金属)

森氏は大手機械環境関連メーカに30年ほど勤務し、今年の7月より独立開業した。
家庭用コジェネレーション機器の開発を主導し、この経験などを話された。
現在は、コンサル会社で週2日ほど働き、その他セミナー講師や技術調査などを行なっている。
仕事の依頼は、大学時代の知人・友人から紹介され、また関係団体からの紹介であり、これからは
得意分野の技術が生かせるコンサルを開拓したいとのことである。
森 豊氏


仲原氏は大手自動車部品メーカに勤務しており、物つくり関連の研究会活動を推進している。
会社では、大学や関連企業との共同開発の企画、推進を行っており、
コンサルタントとして本社技術の革新を提案していきたいとのことである。
独立自営のためには技術以外の新兵器が必要とのことで、経営能力が必要な診断士などに興味を持っている。
仲原啓二氏


今回初めて参加した方が5名ほどおり、静岡や富山など遠方からの参加者がいた。
この他、技術士会の知剤コンサルティングセンターや組合のサバイバル研究会の新設の案内があった。

シニアーのコメント
・待っていても仕事は来ない
・すぐやる、必ずやる、できるまでやる
・当たり前のことを愚直に続けること
・会社で出世する人がコンサルで成功するとは限らないが、コンサルできる人は会社でも出世する。


●新規開業技術士支援研究会249回
●開催月日:平成20年11月1日(土)10時〜12時
日本技術士会葺手第2ビル5階D会議室参加者:11名
講師:沖津修氏(化学)、堀内義康氏(CMfgE)
沖津修氏(化学)
沖津氏は43歳で大手製薬会社を今年3月に退社して、独立開業した。
退職前は、大型のプロジェクトを一人で管理し、職員の採用から終了後の就職の斡旋まで行った。
技術士、薬学博士の資格を持っており、大学等からの就職の誘いもあったが、独立自営を選択した。


堀内義康氏(CMfgE)
堀内氏は65歳で金型の専門家であり、大手電気メーカの嘱託を勤めている。
現在5社とコンサルタント契約をしており、毎月中国に技術指導に行っている。
現在、型内塗装の新規プロジェクトに参加している。


●新規開業技術士支援研究会248回
●開催月日:平成20年10月4日(土)10時〜12時
場所:キャンパスイノベーションセンター5階
参加者:11名
講師:清水隆男氏(化学部門)、高橋義徳氏(衛生工学)

清水隆男氏
清水氏は今年の4月に、50歳を期にコンタクトレンズメーカを早期退職して独立自営をした。
透明性樹脂関連の技術開発や特許関連の業務を得意としている。
先輩技術士の指導を受けて、安心・安全・配慮をテーマとした新規業務の開拓を目指している。


高橋義徳氏
高橋氏は環境エネルギー関連の資格を多数保有しており、3年前に定年を期に独立自営を始めた。
この3年間の経験を話してもらい、独立自営のビジネスプランについて詳しく説明があった。
これまでの実績は当初計画よりも拡大して進展しているとのことである。



●新規開業技術士支援研究会247回
●開催月日:平成20年9月6日(土)10時〜12時
場所:技術士会葺手第2ビル5階C会議室
参加者:16名
講師:掛川昌俊氏(衛生工学)、井上里志氏(衛生工学)

掛川昌俊氏
掛川氏は45歳で、今年の6月に独立開業した。
駐車場換気ファンでの省エネ事例の紹介があり、また現在、これからのコンサル業務について話した。
独立自営に向けて、家族の説得や開業資金の貯蓄に励んできた。
省エネ診断の他に、技術監査、技術鑑定、海外技術指導などを行っていく計画である。


井上里志氏
井上氏は55歳で大手機械メーカで環境保全・防災関連の仕事をしている。
アスベストやPCBなどの廃棄物処理について詳しく説明があった。
資格は技術士の他に中小企業診断士、博士を取得しており、会社生活を有効に活用している。
独立自営のコンサルタントとしては「産学連携」、「技術経営」をキーワードに取り組んでいくとのことである。


●新規開業技術士支援研究会246回
●開催月日:平成20年8月2日(土)10時〜12時
技術士会葺手第2ビル5階D会議室 講師:小野實信氏(機械)、井口勝啓氏(機械)
参加者:18名
小野實信氏(機械)は大手製菓メーカ関連会社を定年退職した後に、6年前より産総研の産学連携コーディネータを勤めている。
超臨界流体技術とその応用について話された。
超臨界水は374度C,22気圧でなり、超臨界炭酸ガスは31度C,7気圧で超臨界状態になる。
超臨界炭酸ガスの方が安価に応用でき、ドライクリーニングや、塗装分野で実証評価が進んでいる。


井口勝啓氏(機械)は大手機械メーカを早期に退職し、独立自営して十数年になる。
押出し成型加工が専門であり、普通のサラリーマンの典型的な開業の事例を示された
営業活動は特別にやっておらず、セミナー講師や専門誌投稿などから顧客の依頼があるとのことである。
これまでの実績や報酬、税務処理、情報入手、出身企業との付き合い方など詳細に渡ってノウハウ・経験を開示していただいた。


●新規開業技術士支援研究会245回
●開催月日:平成20年7月5日(土)10時〜12時
場所:キャンパスイノベーションセンター4階ラウンジ
講師:尾本 健氏(情報工学)
参加者:16名
尾本氏は日立関連会社を3年前に定年退職し、日立技術士会の世話役を引き受けている。
日立技術士会は会員が740名ほどで、その内OBによる特別会員は300名である。
日立技術士会の活動として、
・情報交流会(2ヶ月毎に開催)
・研修会・見学会
・技術士受験指導
などであり、OB向けの中小企業への業務開拓事業も行っている。
日立の庄山会長が日立技術士会の会長であり、運営は会費(年会費5000円)とグループ会社からの支援があり、事務局がしっかりサポートしていて委員会の活動がしやすいとのことである。
日立技術士会の会員は電気電子部門が1/4、機械が1/4、情報工学が1/5程度で、その他ほとんどの部門をカバーしており、企業内技術士会としてはわが国で最大であるとのことであり、退職後の支援も含めて大変参考になった。
参加者から、他社の企業内技術士会の事例の紹介もあったが、ゼネコン以外の会社ではほとんど企業内技術士会の活動が無いようである。
企業内技術士会の充実が、技術士の知名度を向上につながっており、多くの会社で企業内技術士会が活発に活動することが望まれている。


●新規開業技術士支援研究会245回
●開催月日:平成20年6月7日(土)10時〜12時
キャンパスイノベーションセンター4階ラウンジ
講師:坂本文夫氏(建設)、黒澤豊樹氏(電気電子)
参加者:21名
坂本文夫氏は建設コンサルタント会社に勤務しており、今年の秋に定年退職の予定である。
2年ほど前より技術士協同組合の活動に参加しており、3つの関連NPOの活動にも参加している。
独立自営を目指すために、次のことを心がけている。
・先輩の話を聞き、活動を研究する
・自分の営業センスを磨く
・社会経済の動向を注視する


黒澤豊樹氏は74歳で三十数年前の技術士協同組合設立の発起人の一人であり、
日本技術士会の副会長を2回勤められ、今年から労働安全コンサルタント協会の会長を務めている。
出身地の秋田県小坂の話題:小坂鉱山に日立の創業者の小平波平氏が勤めており、明治40年には秋田県の8倍の収入を上げていたなどの話を
「秋田・小坂を旅する」:JRトラベル5月号を参考に話された。
これまで40年間の独立自営人生で心がけていたことは、次の3点である。
・プラス指向
 すべてを捨てて原点に帰る:般若心経を長年読んでいる
 マイナスのイメージを重ねるとリスクが増える
 ストレスは癌の基
・先見性
 鳥瞰図的先見性:PFドラッガーの著書を愛読している
・リスクを獲る
 リスクを避けるのではなく、獲る:逃げない、避けない、楽しむ、乗り越える、慣れる
 リスクは機会、富の源泉:自由業で見えてくる
 リスク(生活上、経済上、健康上)を最小にする努力は大事である