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技術士協同組合は1976年設立の文部科学省認可の事業協同組合であり、 技術士法で定められた職業倫理を遵守する厳正中立な組合員、ネットワーク会員で構成されています

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究

新規開業技術士支援研究会は独立自営コンサルタント後継者の育成を目的としています。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2024年3月2日(土)
2.場所:北とぴあ803会議室、ZoomによるWeb会議
3.講師:袴谷達氏(電気電子、上下水道)、米森重明氏(化学)
4.出席者: リアル7名、リモート10名
5.事例紹介:講師と事例

(1)袴谷達氏(電気電子、上下水道)
  

(2)米森重明氏(化学)
  

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2024年2月3日(土)
2.場所:北とぴあ802A会議室、ZoomによるWeb会議
3.講師:松隈裕之氏(水産部門)、中村昌允氏(化学部門)
4.出席者(敬称略): リアル10名、リモート8名
5.事例紹介:講師と事例

(1)松隈裕之氏(水産部門)
  

松隈氏は水産部門の技術士で、大学の水産科を卒業後、現在も勤務している水産加工会社に就職した。会社は主にエビを扱っており、インドネシアに漁の拠点とエビの加工工場があり、松隈氏もインドネシアに赴任経験がある。

インドネシアの工場での次の業務内容についての説明があった。
 ・病原性細菌の汚染リスクの排除について
 ・エビフライ生産工程の立ち上げについて
 ・Ph調整剤侵漬作業の効率化について
 ・日本向け以外の米国、EU、台湾向けなどの輸出について

インドネシアにおけるエビ漁業の状況についての説明があった。
 ・エビトロール漁法について
 ・保有する船舶について
  (エビトロール船11隻(うち操業7隻)、冷凍運搬船1隻)
 ・トロールで漁獲後に2時間以内で船内のコンタクトフリーザーで凍結するため高鮮度
  (高級エビとして高価格で売れるが、燃料費等の原価もかかっているとのこと)

インドネシア・アラフラ海が世界有数のエビ漁場となった理由について、松隈氏自身の考えの詳細な説明があった。主な理由は、
 ・赤道の南経度付近に位置し、広大な浅瀬が広がる
 ・赤道湧昇、沿岸湧昇の効果が最大となるニューギニア島南岸の位置と形状
 ・ニューギニア島の高山から栄養塩に富んだ雨水が、無数の河川から
  アラフラ海に注いでいる。
とのことである。
また、自身の漁場での体験の説明があった。

インドネシアでは2015年から6年間、トロール漁が全面禁止となっていた。その経緯について説明があった。また、その間の事業継続に有効であった施策についての説明があった。

日系漁業会社がインドネシアで活動する意義について説明があった。船長ほか現地の漁業従事者を育成し、船舶の保守等の技術、漁業、食品加工技術を現地に技術移転していくことで、双方にメリットのあるようにすることが大切と考えているとのことであった。

最後に、技術士として今後やりたいこととして、「今までの経験を活かして国内・海外の食品加工工場、国内水産物の輸出のお手伝い、マリンエコラベルの認証委員など、魚に近いところで活動できれば」との説明があった。

(2)中村昌允氏(化学部門)
  

中村氏は化学部門の技術士であり、東工大の特任教授を務めている。1968年にライオン油脂(株)(現ライオン(株))に入社。1988年からプロセス開発研究室長を務めていたが、1991年6月に自身が責任者として設計して導入した設備が、稼働3ヶ月で死者の出る爆発事故を起こした。

この事故をきっかけに安全に関する仕事に関わるようになった。その経験から事故が起きる共通要因として、
 ・事前調査が足りなかった
 ・機械が壊れる等のリスクアセスメントが足りなかった
 ・現場の改善を導入するときの検討(変更管理)が足りなかった
というものがあるとのことである。

本日は、「京葉人材育成会」の説明があった。これは、かつて千葉県産業振興センターが行っていた「京葉臨海コンビナート人材育成講座」を民間で引き継いだもの。
千葉県が実施していた時代に受講していた人の所属企業を分類すると、
 Aグループ:自社で教育できる企業群
 Bグループ:自社だけでは教育しきれないので利用したい企業群
 Cグループ:千葉県外から受講している企業群
となっていたそうである。

この構造からAグループの企業の協力を得て、主にB、Cグループの企業の関係者を対象とした講座を開くという構造とした。これは、コンビナートは多くの会社で成り立っているため、たとえAグループの会社は自社独自で教育できるとしても、Bグループの会社の社員教育不足で事故が発生したら、コンビナート全体が止まってしまうため、Bグループ社員を教育することはAグループの企業にとってもメリットがあるから、ということであった。

講座の現状の説明があった。
人材育成構想の基本は、
 現場で活かせる知識  →あたまで理解する
 現場で使える技量   →体で覚える
 現場で発想できる感性 →心から納得する
を身につけるということ。これを目的に組織を作り講座を実施した結果、県が実施していた頃は400人/年の受講者数が、現在は800人/年となっている。

これからの技術開発の考え方について説明があった。
技術には業界共通の「技術基盤」と各社の「独自技術」がある。
これからは各社が協調できる基盤技術領域を増やし、業界共通の基盤技術の上で、各社が独自技術を競い合っていくという形が望ましいとの考えとのことであった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2024年1月6日(土)
2.場所:北とぴあ第2和室、ZoomによるWeb会議
3.講師:高橋義徳氏(衛生工学)、福ア昌宏氏(金属部門)
4.出席者(敬称略): リアル15名、リモート7名
5.事例紹介:講師と事例

(1)高橋義徳氏(衛生工学)
  

高橋氏は衛生工学部門の技術士。1970年に大手空調設備会社(熱学会社)に入社、定年退職を機に独立した「年金エンジニア」との自己紹介があった。

会社では設計施工一筋。「社内ベンチャー」的な業務を勝手にやっていた。顧客への一貫対応を基本とした仕事を自分で創って自分で対応していた。2002年6月に技術士登録。社内にいると自分の技術レベルが分からない。そこで、自分のレベルを推し量るために技術士試験を受けた。1回で合格したのでコンサル開業の自信につながった。

2005年3月に定年退職。退職後、開業までは「サラリーマン根性」の脱却と顧客開拓に努め、同年10月に開業した。「サラリーマン根性」とは『仕事は会社が用意するもの』という受動的意識。会社員時代からこれを「自営的意識」、すなわち『仕事は自分で創るもので会社は働く場を用意するだけ」という能動的意識に変えるように努めてきた。

当初の心配をよそに、開業したとたん仕事が向こうから舞い込んできた。いわゆる「ご祝儀相場」だと思った。これが5年くらい続いた。その後、安定期には2社との顧問契約と3社との継続的スポット業務をこなしていた。現在は、2社との顧問契約と、たまにスポット業務を行っている。

開業時にはビジネスプランを次の3段階のアプローチで考えた。
 ・第一ステップは、自分に何ができるかを箇条書きにまとめる。
  このとき、その事項が人より優れている必要はない。
 ・第二ステップは、事業コンセプトの作成。
  列記した箇条書きに「てにをは」を加えて文書化する。
  それが事業コンセプトとなる。
 ・第三ステップは、ビジネスプランの作成で、初年度目標と中期計画書の作成。
  そして顧客ターゲットを定める。この時、気張らずに「ニッチベース」を求める。
なお、独立時の不安払拭には、頭に浮かぶ思いを全て箇条書きにしてみるとよいとのことであった。

仕事をしてきた上での所感の説明があった。
 1.仕事で絶体絶命のピンチに陥っても、不思議と「ホワイトナイト」が現れて
   ピンチを脱することがあった。(捨てる神あれば拾う神あり)
 2.情けは人のためならず
 3.上ばかり見ているヒラメ社員は足元の宝に気付かない
 4.会社組織の本流に対して支流を作り、それを分流ではなく本流に注ぎ込むように
   構築した。支流がいずれ本流に化ける可能性も秘めている。
 5.会社員時代のモットーは、和して同ぜず、来る者は拒まず、去る者は追わず。
 6.開業したら、成り行きで向こうから仕事が飛び込んできた。
 7.独立して気付いたが、大企業は日常業務のレベルが非常に高い。零細小企業では
   低レベルな事に結構悩んでいる。そこにアドバイスすれば何らかの報酬が
   得られる。(ニッチ志向)
 8.会社員時代に培った技術は会社からの生涯年収とツーペイであり、年金もあった
   ので、独立後はボランティア色の強い報酬でも十分であった。ただし、
   足元を見透かす人には要注意していた。
 9.顧客からの依頼に対し、付加価値の伴う提案型で提供すると、次の依頼に
   結びつきやすい。
 10.高度成長期に業界最大手と知らずに入社したが、未だに業界内の
   ネームバリューは際立っている。「腐っても鯛」で、そのおかげで
   独立後も受注の恩恵を受けている。
 11.資格は、会社員時代は価値がよくわからないが独立すると御利益が甚大である
   から、会社員のうちに取得することをお奨めする。
 12.妻の縁の下の支えがあったからこそ今日まで継続してこれた。

現状は「健康第一、仕事第二」。会社員時代から30年弱に及ぶボランティア活動の紹介があった。
(2)福ア昌宏氏(金属部門)
  

福崎氏は独立開業6年目の金属部門の技術士で、1980年生まれの43歳。大学院金属工学専攻を修了後、2005年から金属加工メーカー、2013年からは建設機械メーカーに勤務。2017年に技術士を取得し、2019年に独立開業した。

会社員時代の経験は生産技術や研究開発で、金属材料の新製品開発、品質改善、生産ライン立ち上げなどに携わった。専門としては、先端技術というよりは基礎的な分野が多かった。

現在の専門分野は「金属分析」で、実際の業務内容は、「金属疲労や腐食などのコンサル・分析調査」、「金属材料についてのセミナー講師」、「執筆活動」、「事故調査」などとのことであった。

営業には「待ちの営業」と「攻めの営業」があるが、看板を掲げてお客が来るのを待つ (HP、ブログ、展示会出展など)待ちの営業が自分のスタイルとのこと。
ホームページやSNSのほか、なにより「人とのつながり」が大切。「技術士の集まり」
「地域の起業家の集まり」「商工会議所」「専門家登録機関」などで人と会うようにしているとのこと。

大切と思っているのは「正解を当てるよりもハズレを避ける」こと。
 ・どんな情報を元に顧客が来るか分からない
 ・思いつくことを色々やってみる
 ・効果がないことは辞めていけば良い
 ・お金をかければ良いわけでない
 ・情報発信を続けることは大事
 ・できるだけ負担にならないことを続ける
との説明があった。

想定した顧客と実際の顧客には違いがあり、開業初期に想定した顧客やコンサルは、「小企業の困りごと解決」、「社内の技術者育成」であったが、実際の顧客は、「中企業の困りごと解決」「機械や電気の実務経験から新しく金属を扱う人」「新卒・営業など技術的経験のない人」だそうである。

これまでの活動実績の紹介があり、独立開業4年目で会社員時代の収入を超えたとのこと。また、2023年は売上が10万円以下となる月がなくなったそうである。なお、1時間あたりの報酬の説明があり、質疑応答時に他の技術士と実情についての情報交換があった。

セミナー講師の業務のノウハウ、本の執筆の実績についての説明があった。また、展示会への出展もしているとのこと。これは商工会議所の援助を受けて出展しているとのことで、より短い時間で自分をアピールするのが難しく、自己PRの勉強になるとのことである。

大事だと思うことは、
 ・1つ1つの仕事を誠心誠意、丁寧に行う。
 ・はじめはヒマで当たり前。結果はすぐに表れない
 ・一番知っているのは顧客である。
 ・とりあえずでも、どんな形でも続けること
 ・人と会う
 ・無理、できないことはしない
 ・何でも継続していると次第に認知されて仕事にもつながっていく。
との説明があった。

また、失敗体験として、
 ・何かあったら連絡するといってそれっきりはしょっちゅう
 ・断られること、仕事がないことを失敗と思わなくなる
 ・この人合わないなぁという人とはだいたいそれっきり
 ・継続して仕事するときは、契約条件よりも人間性の方が重要
 ・収入ゼロが続くと精神が不安定になる
 ・技術士倫理を問われるようなことは今のところなし
との説明があった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年12月2日(土)
2.場所:北トピア807会議室、ZoomによるWeb会議
3.講師:田中芳親氏 技術士(機械)、田原 譲氏 技術士(金属)
4.出席者(敬称略): リアル9名、リモート10名
5.事例紹介:講師と事例

(1)田中芳親氏 技術士(機械)
  

田中氏は機械部門の技術士で、1962年生まれの61歳。1987年に大学院の機械工学専攻を修了後、大手電気メーカーに就職。1990年に鉄道会社に転職して現在に至る。
鉄道会社では、これまで主に
 ・新幹線車両保全方法の開発、装置導入
 ・浮上式鉄道システムの試験計画、安全性・信頼性評価
 ・鉄道車両保守作業管理
に従事した。

浮上式鉄道(リニアモーターカー)について、原理の説明のあと、自身が担当した「安全性評価」と「保全手法開発」について説明があった。

安全性評価について、その手順の説明があった。手順は原子力発電の手法を基に検討。その他、航空機や宇宙開発の手法も参考にしたとのこと。
浮上式鉄道システムの保全手法開発では、主に「低温システムの保全手法の開発」を担当。これは、車載の超伝導コイルを冷却するシステムの保全に関する開発を行ったもの。光ファイバを使った温度測定や内部確認の手法について説明があった。

また、保守作業管理の業務に関し、作業者教育について説明があった。

これらの経験から、自身の強み弱みを分析すると、
強みは、
 ・システムの解析、評価
 ・試験、測定、分析
 ・教育、指導
弱みは
 ・専門が分散(ユーザー側技術者の特徴でもある)
 ・ニーズの高い分野の経験不足
となるとのこと。
これらの経験から、自身の思いとしては、
 ・科学技術の発展に触れながら可能なことは寄与してゆきたい
 ・技術の原理を理解して適用、応用を考えたい
とのことであった。具体的には、
 技術コンサルタントとして
 ・機械システムの開発、評価
 ・部品・装置の選定、システムへの適用
 講師として
 ・機械保全
 ・作業安全、交通安全
 ・技術者倫理
などを行っていきたいそうである。

(2)田原 譲氏 技術士(金属)
  

田原氏は金属部門の技術士で1950年生まれの73歳。2010年に自動車メーカーを退職して独立開業した。

専門は鉄鋼材料であるが、今日は輸出管理の話。「輸出管理」というと文系の仕事のように思えるが、技術的な面を問われることも多々ある。

1.世界の状況
  →絶え間なく紛争が起きている。
   途上国も、兵器を持っている。先進国がお金のために売るから。
2.世界の管理体制
  →国際条約(拘束力あり)とレジーム(拘束力はない)で規制。
3.我が国の管理体制
  →外為法で規制
4.国内法体系
  →外為法の下に輸出令(貨物の輸出)と外為令(技術の提供)がある。
5.リスト規制・キャッチオール規制
  →リスト規制15項目、キャッチオール規制1項目
   リスト規制に該当しないことを判定するのが「該非判定」
6.判定フロー図
  →リスト規制に該当しないことを確認後、キャッチオール規制に該当するかを
   判定する。
7.該非判定
  →貨物の輸出:輸出しようとする貨物がリスト規制貨物に該当するか否かを判定する。
   技術の提供:提供しようとする技術がリスト規制技術に該当するか否かを判定する。
8.リスト規制項目
  →具体的な規制項目の紹介
9.輸出違反事例
  →・3次元測定器を無許可で輸出。(性能をごまかして輸出した模様)
   ・無人ヘリコプターを中国企業に輸出
   ・「ジェットミル」のほか、混合器、測定器など関連機器をセットで北朝鮮に輸出
   ・スプレードライヤを中国と韓国に不正輸出したとして外為法違反で起訴。
    しかし、公判直前に起訴取り消し。(違反していなかったと判断された)
  最後の例は大変シリアスなケース。このようなことが起こらないよう、
  技術士の判断能力を活用して、役に立てたらよいと考えている。

該非判定を行う技術士の団体である「CP&RMセンター」で使っている具体的な「該非判定書」の書式等の説明があった。

CP&RMセンターのメンバーも年齢が上がっているので、技術の伝承を含め、若い人に参加をして欲しい。また、CP&RMセンターではテキストも作成、発売しているので、興味のある方はぜひ読んでいただいて、CP&RMセンターに参加して欲しい、とのことであった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年11月4日(土)
2.場所:北トピア807会議室、ZoomによるWeb会議
3.講師:石川憲治氏 技術士(機械部門)、櫻井俊郎氏 技術士(情報工学)
4.出席者(敬称略): リアル7名、リモート5名
5.事例紹介:講師と事例

(1)石川憲治氏 技術士(機械部門)
  

石川氏は機械部門の技術士。1971年に造船会社に入社し、2015年、65歳で定年になるまで技術者として勤務。その後、特許庁(特許調査審査員)などを経て2018年に国際的な遊戯施設会社に入社。本年2023年5月に退社し、技術士事務所を開業した。

技術者として仕事に恵まれ、また、ちょうどコンピュータの発達の時期と重なり、その恩恵を受けたとのことで、各時代に担当した仕事の紹介とともに、それらの仕事で使ったコンピュータの紹介があった。

入社後は、まず、船用エンジン設計を担当。数年後、船舶部門に異動し、大型船舶のプロペラ及び動力軸の設計。機関部の設計に携わった(設計係長として)。
この時期、「保証技師」を経験。保証技師とは、竣工引き渡しをした船に船員とともに乗船し実際に航海に出て、もし、不具合が見つかったら会社へ連絡する担当者。自分が担当した部分だけでなく、船の全ての部分について会社を代表して対応しなくてはならないため、船のあらゆる部分についてレクチャーを受けることとなり、大変勉強になる良い機会だったとのこと。
また、この部門では自衛艦のための低雑音プロペラの設計などにも携わった。

その後、船舶部門在籍中に特機部門からの依頼で水陸両用車の機械系の設計も担当。その仕事が終わった後、特機部に異動となり、船舶装備品の設計、各種製品の設計を担当(設計部長として)。そして、新型水陸両用車の開発に技術責任者として携わった。

担当した業務の詳細説明として、
・船舶の種類とエンジンについて
 (船は、2サイクル低速ディゼルエンジンが一番効率が良い。)
・貨物船などの軸系について
・水陸両用車の開発について
 (車両としての性能と、船舶としての性能の両立)
・水に関する遊戯施設の開発について
 (推進抵抗減少のために、水陸両用車開発のノウハウを使って
 模型実験を行うなど)
の説明があった。


(2)櫻井俊郎氏 技術士(情報工学)
  

櫻井氏は情報工学部門の技術士で、現在、中堅商社のネットワークセキュリティ関係の社内カンパニーのカンパニープレジデントを努めている。
1978年に大手電気メーカーグループのコンピュータハードウエア、ネットワーク会社へ入社。ハードウエア、ネットワーク開発や、コンピュータSE業務を担当していた。

1995年に米国シリコンバレーのシンクタンクへ研究員として社費で留学。これが転機となった。日本へ戻った2000年からは、大手電気メーカーグループのIT企業で、役員としてサービス型新規事業立ち上げ、モバイル・クラウドなどの新技術導入を牽引した。

2016年に現在の会社(商社の社内カンパニー)の立ち上げに参画しカンパニープレジデントに就任。セキュリティ企業の経営者として企業セキュリティ対策の分析・支援を行っている。

米国シリコンバレーのシンクタンク研究員の経験から、シリコンバレー成功の理由の分析があった。また、中国のシリコンバレーと呼ばれる深センについての考察があった。

また、セキュリティソフト、製品はイスラエル製が多く、これまで、イスラエルに何度も赴き、現地企業との連携を図ってきた。その経験から、なぜイスラエルが優れた先端技術と優秀な人材を次々と輩出するのかについての解説があった。

現在、社内カンパニーの他、数社の社外取締役・アドバイザーとしても活躍。「コーチ」としてシリコンバレーの名だたるCEOを成功へ導いた『ビル・キャンベル』に感銘を受け、彼のようなアドバイザーを目指しているとのことである。

今後、コンサルティング・サポートできることとして、
 @海外企業とのオープン戦略立案、推進支援
 Aベンチャー経営者支援/アドバイス
 Bサイバーセキュリティ対策支援
があり、これらを進めていきたいとのことであった。

  
会場風景

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年10月7日(土)
2.場所:北トピア1602会議室、ZoomによるWeb会議
3.講師:中山 雄之氏 技術士(総合技術監理・上下水道)(生物工学)(衛生工学)(機械))、櫻井勝利氏 技術士(経営工学部門、生産・物流マネジメント)
4.出席者(敬称略): リアル10名、リモート8名
5.事例紹介:講師と事例

(1)中山 雄之氏 技術士((総合技術監理・上下水道)(生物工学)(衛生工学)(機械))
  
中山氏は5部門の技術士資格を持ち、大手鉄鋼メーカおよび大手機械メーカを経て、2年間前に独立開業をしました。
大学は農学部出身で鉄鋼メーカではバイオエンジニアリングや下水処理に関する業務で生物部門や上下水道の技術士資格を取得しました。
その後機械メーカに転職し、業務に有効な資格を順次取得していきました。
資格を法的根拠から 国家資格、自治体資格、民間資格に分類され(公的資格という表現は定義が曖昧で不適切としている)、これを名称独占、業務独占の観点で説明されました。法的根拠がある資格は全て名称独占であり、業務独占は業務許可という見解が良いのではとのことです。
また資格に挑戦することにより、自分自身の知識や技術のブラッシュアップと棚卸しになる。そして資格は取得という結果だけでなく、有効利用して成果を出すことが大切であるとしています。

(2)櫻井勝利氏 技術士(経営工学部門、生産・物流マネジメント)
  
櫻井氏は大手電子部品メーカから超音波関連のベンチャー企業を経験し、現在中堅の機械メーカに勤務しており、来年独立開業の予定です。
電子部品メーカでは10年ほど超音波の技術開発を行っていたが、この部門が廃止になり会社の先輩とベンチャー企業で超音波応用製品開発を8年ほど経験しました。
その後機械メーカに転職し、品質管理の責任者として、経営工学の技術士資格を取得しました。
今後の抱負として、製品開発の効率向上支援や、品質マネージメント関連等のセミナー講師などのビジネス展開を希望しています。

  
会場風景

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年9月2日(土)

2.場所:北とぴあ808会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:上野 仁氏(情報工学)、中村博昭氏(化学)

4.出席者(敬称略): リアル14名、リモート10名

5.事例紹介:講師と事例

(1)上野 仁氏(情報工学)
  
上野氏は情報工学部門の技術士で、現在、東京情報デザイン専門職大学の教授を務めている。

会社員時代は、大手電気メーカーでメインフレーム(大型コンピュータ)のOS開発を担当していた。その後、現在の「クラウド」の先駆けとなるようなシステムの事業、SAN(ストレージエリアネットワーク)の開発などを経て、PCサーバー用仮想計算機の開発に携わった。

技術士事務所開設後は、親戚関係で紹介された技術調査会社の調査の仕事の他、プログラミングや人材会社の教育担当など、技術士協同組合の“つて”による仕事がメインとなった。そして、「とことんやさしいブロックチェーンの本」という書籍を執筆出版したが、これも技術士協同組合の講演がきっかけであった。

博士号を取ってから大学の教員を目指しており、独立開業数年後に第一工科大学 東京上野キャンパス 教授となった。この学校で昨年度まで教授を務め、本年度から東京情報デザイン専門職大学の教授となった。なお、この大学の教授職も技術士協同組合の業務委員会のつながりで話が来た。そこから発展し、現在、技術士協同組合の3名が同大学の教授となっている。

大学での研究テーマは、「シート形圧電センサを利用したウェアフリーの高齢者見守り情報システムの研究」。高感度のピエゾフィルムセンサーを用いて生体情報を取得し、その生体情報に異常があったら確認に駆けつけるなど、ひとり暮らしの高齢者の見守りサービスなどに応用できるものとのことである。

技術士協同組合では「業務委員会」のまとめ役を担っている。
業務委員会は、毎月第4土曜日 日本技術者連盟の会議室(赤坂)にて開催。イノベーションにつながる技術動画の作成などを呼びかけるとともに、日本技術者連盟の井戸田専務理事から寄せられる海外技術移転ほか様々な技術案件の検討、対応をしている。井戸田氏の話は大変エネルギッシュで、元気の出る話が聞けるとのことである。

まとめとして、
・技術士事務所としては成功していない
・仕事は人のつながりから得られる。
・技術士協同組合はつながりを作る道具の一つ
・とりあえず、非常勤講師で収入を得る方法も(JREC-INで検索)
といった説明があった。


(2)中村博昭氏(化学)
  
中村氏は1944年生まれの79歳。1968年に大学の化学工学科を卒業後、写真フイルム会社に入社。工場で新規生産技術開発業務に携わる。同社の4大工場全ての設備更新を経験したとのことである。
1999年?2004年東京本社、法務部CP&RM室に勤務。この時に、その後、技術士として活動する準備ができたとのことであった。

会社を退職後、日本技術士会の「総監技術士活用促進委員会」にて「安全保障貿易輸出管理業務」の開拓を提案。「CP&RMセンター」という技術士会登録活動グループを作って活動を開始した。
その後、技術士会の協力が芳しくないことから、技術士会を退会。そのため、登録活動グループからは外されて現在に至っているそうである。

「安全保障貿易輸出管理業務」を受注するにあたり法人格が必要なため、企業等の「安全保障貿易輸出管理業務」を定款に掲げ、株式会社を設立した(2007年12月7日)。国公立大学も安全保障貿易輸出管理業務」ができていないので、その入札に応募するため、入札資格(全省庁統一資格)も取得。

しかし、実際には、なかなか落札できなかった。NICTの「安全保障貿易輸出管理業務」の監査の仕事、同じくNICTの「『安全保障貿易輸出管理業務』を行うソフトウエアを評価する仕事」を落札した程度であった。

「安全保障貿易輸出管理業務」とは何かについて、詳細な説明があった。これは、もの及び情報を輸出する(海外に出す)にあたり、それが輸出に関する各種法令に抵触していないかどうかを判定する仕事。抵触していないという判定(該非判定)には必ずダブルチェックが必要という考のもと、輸出する会社が社内でチェック後にダブルチェックのために技術士のところに来る、という仕事の流れを期待しているそうである。

CP&RMセンターについて説明があった。該非判定業務の他、輸出管理のテキストの出版、「安全保障貿易輸出管理業務」セミナーの実施、関連の試験の受験指導もやっているとのことである。

近年、米国のEARの規制の判定も最近求められるようになったりと、輸出に際して必要な判定をどこに頼んだら良いかわからない会社が多くあり、そういったところがJICA等に相談した結果、CP&RMセンターが紹介される例が多々あるそうである。仕事の内容は技術士にふさわしいものであり、業務も増えているので、興味のある方はぜひ、我々のグルーブに入って欲しいとのことであった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年8月5日(土)

2.場所:北とぴあ802B会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:杉田謙一氏(機械)、榊 勲氏(原子力・放射線)

4.出席者(敬称略): リアル9名、リモート11名

5.事例紹介:講師と事例

(1)杉田謙一氏(機械)
  
杉田氏は2021年に機械部門の技術士を取得。2022年4月に技術士事務所を設立し2023年4月に合同会社を設立した。事故による障がいで車椅子での生活となり、本日も車椅子での登壇である。

大学では下水管の汚れについて生物学的観点からの研究に携わった。就職して、半導体製造装置の開発・市場投入・コストダウンに携わる。その後、電力業界でボイラの冷却水の熱流動に関する調査研究に従事したのち技術士事務所を開業した。

半導体製造装置業界での経験について説明があった。専門はシリコンウェハの平坦化(CMP)。会社では洗浄ユニットを担当。洗浄に関する技術の詳細な説明があった。
また、CFD(熱流体解析プログラム)についての説明があった。

技術士としてやりたいことは、「中小企業、スタートアップ、大学の研究者などに対する事業、研究、開発、設計の支援」であるが、現実は粗利は出るものの販管費を含めると赤字。周囲を見ると、前職での人脈や技術士間の人脈で仕事をもらってやりくりしている人が多いように見受けられ、「技術士の独立自営に夢はないのか?」という問題提起があった。また、独立自営すると「経営者としての恐怖」(収入が見通せず常に資金繰りを考えなくてはならない)がある。一方、中小企業やベンチャーは技術より経営に関する悩みの方が深そう、という現実もある、とのことであった。

そして、業務独占資格は社会のニーズがあり独立自営が可能であるから、技術士にも独占業務があるべきとの考えから、次の提言を行いたいとの説明があった。
 1.技術士法を改正し、公共の安全に関わる技術文書は、技術士のサインを必須とする。公共の安全を脅かす行為などに関与した技術士は、資格取消処分とする。
 2.業務独占資格である米国PEを取得し、世界各国当局に提出する許認可向け技術資料のアセッサーとして活動する。
これらに賛同する方がいればぜひ連絡が欲しいとのことであった。

質疑応答では、独占業務などなくても独立自営で稼いでいる技術士は技術士協同組合内にも多くおり、独占業務獲得を目指すよりもクライアントに対し意見を堂々と述べて納得させるスキルの獲得(多分に慣れの要素もある)が大切であるとのアドバイスがあった。

(2)榊 勲氏(原子力・放射線)
  
榊氏は原子力・放射線部門の技術士であり、1982年に社会人となり、
 ・高速増殖炉のプラント動特性解析
 ・原子炉のシビアアクシデント解析
 ・沸騰水型原子炉(BWR)のアクシデントマネジメント策の摘出
 ・シビアアクシデント時の溶融炉心(デブリ)とコンクリートの相互作用の研究
 ・確率論的リスク評価
 ・沸騰水型原子炉(BWR)のデブリ冷却システムの研究
などに携わった後、2016年に定年を迎え、2018年に技術士事務所を開設した。

「アクシデントマネジメント策」とは極めてまれにしか発生しない、想定を超えた
アクシデントが発生した場合でも事態を収束させるための策のことで、実例を踏まえた解説があった。福島第二原発が大事故に至らずに収束したのは「アクシデントマネジメント策」が奏効したとの説明があった。
また、確率論的リスク評価についての詳しい説明があった。

東電福島原発事故の際、避難住民の一時帰宅者支援プロジェクトにボランティアとして参加した際の様子の説明があった。地域一帯津波で流されてしまい一時帰宅しても何も残っていない地域があったり、酪農中心の地域では避難時に開放した牛などの家畜が野生化して街をうろうろしていたりと、痛々しい状況を目の当たりにしたそうである。

原発に関する最近の話題として、小型モジュール炉の開発状況の説明があった。かつて2000年代にエネルギー需要の拡大と環境問題から原子力が脚光を浴び「原子力ルネサンス」が起きたが、2011年の東電福島原発事故で消滅した。その後、2020年頃からウクライナ戦争によるエネルギー危機などにより原発の必要性が再認識され「原子力ルネサンス」が再来している。今回は、安全性が高く初期の建設費用を抑えることができる小型モジュール炉に注目が集まっているとのことである。

小型モジュール炉についての詳しい説明があった。非常時に炉心冷却ポンプが止まっても炉心損傷に至らない設計ができること、工場で作って現地搬入が可能であることなどの特徴の説明があった。中国で実証炉の建設が進んでいるが、日本は新規導入の具体的な活動はなく遅れているとのことである。
今後、どのようにしてビジネスとして成り立たせるかが課題とのことであった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年7月1日(土)

2.場所:北とぴあ803会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:金田和博氏(応用理学)、佐藤一彦氏(情報工学)

4.出席者(敬称略): リアル7名、リモート11名

5.事例紹介:講師と事例

(1)金田和博さん(応用理学)
  
金田氏は応用理学部門の技術士で、山口県内の公立大学の教授である。1961年生まれで大学院の物理学専攻を修了し1986年に大手電気メーカーに就職した。関西のメーカーだったが関東の筑波に研究所を作ったのでそこに行けるかも、という期待で入社した。が、現実には、平均すると3年に1度は転勤することとなった。

大学では酸化物超電導体を研究。その関係で就職後も酸化物をずっとやっている。大学での研究は酸化物の高温超電導体が発見される直前で、当時はマイナーな分野だったそうである。その後、会社を49歳で退職して大学の教員となった。
博士(理学)は2006年に取得、技術士は2013年に取得。応用物理部門の「物理及び化学」で取得。大変マイナーな選択科目で、受験生もとても少なかったそうである。

会社での主な研究の説明があった。
「X線リソグラフィ」は半導体製造装置のための基礎技術で、結論的にはものにならなかった。この技術は未だに実用化の目途が立っていない。論文は書けたが、成果にはならなかった。
「オゾンの発生」については、水の電気分解でオゾンを発生させようというもの。電気分解に使う良い電極がなかったので、効率の良い電極を見つける研究をした。

現在の業務であるが、大学の教員としてJABEEの対応をしており、学生に対して技術士になるメリットをどうアピールするかについて悩んでいるそうである。
また、大学教員は公務員であっても兼職ができることを活用。技術士として損保の鑑定・コンサルタントの仕事を中心に活動している。この仕事と今までの仕事との違いは、
 ・データが不十分でも判断を求めらること
 ・文系の人(弁護士など)に分かってもらう必要があること
とのこと。特に後者が最も大切とのことである。

今後については、オゾン関連技術指導等は続けたい、鑑定・コンサルタント業務は増やしていきたいそうである。そして出席者に対して「技術士って何ができるのでしょうか?」という問いかけがあった。

(2)佐藤一彦さん(情報工学)
  
佐藤氏は情報工学部門の技術士で、1957年生まれの66歳。大学の物理学科を卒業後、1980年に大手通信機器メーカーに就職し、ブリンターの研究開発に25年間従事した。その後、無線通信システム開発、防衛関連機器保守などに15年携わった後、2019年3月に退職。別の通信機器メーカーに嘱託で1年勤務した後、独立の技術士となった。なお、現在は家族の介護のため実家の岡山に在住している。

会社員時代の仕事として、プリンターの開発、手掛けた製品の紹介があり、レーザープリンターの原理と売り出すまでの過程について詳細な説明があった。

2000年頃に会社で大幅なリストラがあり、その様子の説明があった。部門によっては1000人以上の人が別の会社に転籍した。このリストラの理由は、コンピュータ機器のダウンサイジングにより、安くて小型の製品を製造するメーカーと競合して利益が出しにくくなったことによるとの分析であった。

独立後の仕事は、
 ・計測システムの試作ボードの開発、評価(2020年から継続中)
 ・特許調査
 ・事故調査
がメインとのこと。家族の事情で泊まりの出張等が難しい中、リモート会議等を活用して業務を行っているそうである。

自身が携わったコンピュータ関連技術の1980年頃から現在までの技術の推移として、
 ・携わってきたCPUの紹介
 ・40年間のCPUの集積度向上(約100万倍となった)
 ・ムーアの法則
 ・将来、シンギュラリティが起きる?
 ・AIの発展
についての説明があった。
参加者からは「技術変化が本当に早い分野である」との感想がでた。
  
研究会会場風景

2023年春 新規開業技術士支援研究会の独立開業セミナー

1.日時 2023年6月24日(土) 9:30〜17:15 (懇親会 17:30〜18:30)
2.場所:北とぴあ803会議室、ZoomによるWeb会議
3.内容 定年前、定年後に独立開業するためのノウハウ・独立事例の紹介、及び講師も参加する少人数
グループでのディスカッションと個別カウンセリング
4.参加者 講師:8名、受講生:リアル4名、リモート1名 合計5名

定年前、定年後に独立開業するためのノウハウ・独立事例の紹介があり、その後3時間にわたる個別カウンセリングとディスカッションに続いて、受講生個人個人による自己紹介動画の作成がありました。
3年ぶりのリアルでの開業セミナーで懇親会ではアルコールも入り、本音のやり取りがあって受講生からは大変好評で、 参加者全員から大変満足という評価を頂きました。

本日の運営方法や開催時期、受講料等、何でも結構ですので、お気づきの点やご意見、ご感想等がありましたらお聞かせください
・皆様よりアドバイスを頂き、大変参考になりました.有難うございました.受講料は安価だと思います。(もっと高くても参加するつもりでした。)
・近くに独立開業した知人も少なく事業内容から準備の方法など多くのことを具体的に理解することができた。
・本研究会の別のセミナーにも参加してさらに知見を深め人脈を広げたいと思います。
・今回は、個人的にいろいろとあり(業務・会社内での状況変化)、参加を見合わせようかとまよいましたが、参加してよかったです。もうしばらくして、自分の立ち位置が定まって来たら、新しい武器を携えて独立に向かっていこうと思います。今回はありがとうございました。
・ホームページの作り方、動画の重要性が、とても参考になりました。


 

石川憲治氏動画
田中芳親氏動画
櫻井俊郎氏動画
櫻井勝利氏動画
澤井清人氏動画

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年6月3日(土)

2.場所:北とぴあ802会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:平田俊明氏(情報工学)、 澤田雅之氏(電気電子)

4.出席者(敬称略): リアル12名、リモート5名

5.事例紹介:講師と事例

(1)平田俊明氏
  
平田氏は1961年生まれ。情報工学部門の技術士で、大学院の計測工学専攻を修了後、大手電気メーカーに就職。システム開発研究所他に勤務の後、独立系ソフトウエア会社に転職。2022年に博士(工学)の学位を受け、2023年4月から東京情報デザイン専門職大学情報デザイン学部教授に就任した。

電気メーカーでは、通信制御ソフトウエアの研究開発、メインフレームやUNIXでの通信方式の開発、ネットワークシステム管理ソフトウエアの開発に従事。その紹介があった。独立系ソフトウエア会社では、AI/IoTソフトウエア開発とR&D部門の立ち上げを行った。

AI/IoT研究開発事例の説明があり、そのうち「飼料プラントの監視システム」の事例紹介があった。AI/IoTの開発プロセスと技術選択の留意点として、「小規模実験」、「データ収集速度」、「全体システム設計」がカギであるとの説明があった。

これまでの業務で心がけたことは、
 ・動くものを見せて周囲の理解を得る。
 ・未知の分野に興味を持つ。
 ・新たな論文をウォッチする。
 ・外部に仲間を持つ。
で、これらの重要性について説明があった。

AI/IoTの社会実装に向けては、
 ・現場技術者とデータサイエンティスト、ITエンジニアの共同作業
 ・AIを本当に使う必要があるのかをよく検討する。
 ・利用時の目標精度と運用の明確化(保守運用を含めて)
 ・段階的な開発
が重要であること、これまでの実体験から、課題は、前段階にお金をかけてくれないお客さんが多いことであるとの説明があった。

自身の今後の展開として、
 ・引き続き、AI/IoTの応用研究、製造業DXの推進を支援
 ・ディジタルツイン、メタバースの活用
 ・生成系AIの活用(画像、音声など)
 ・現場技術者と連携した課題解決
を行っていきたいとのことであった。


(2)澤田雅之氏
  
澤田氏は元警察庁の技術者で、定年退職と同時に技術士(電気電子部門)を取得し開業。警察庁時代にやり残したことは「性能発注」方式の普及で、昨年9月に「性能発注方式」に関する書籍を出版した。

「性能発注」方式については、技術士協同組合の「発注者のエンジニアリング研究会」「ニューシビルの会」での発表成果をあちこちにPRした。「技術士協同組合」の研究会で発表、議論した内容、であるということは大変な「はく」となるとのこと。この8年間にのべ15回ほど雑誌等に執筆、セミナー等も多数実施したとのことである。

性能発注方式について、仕様発注方式との違い、メリットデメリットについての説明があり、「仕様発注」により成功した零戦での事例が詳細に紹介された。

なぜ、日本は「仕様発注」方式一辺倒となったのか、そして、仕様発注にこだわっている我が国の現状について説明があった。澤田氏自身は各自治体へ「性能発注」の提言を多数行っており、その結果について報告があった。結論的には成果は出ておらず、その原因についての解説があった。

製造業分野で「仕様発注」方式にこだわった結果、上手くいかなかった事例として、
 ・H3ロケットの打ち上げ失敗
 ・三菱スペースジェットの開発失敗
の例、また、ソフトウエア開発での失敗事例として、
 ・DXに伴う基幹系システムの開発失敗
の例の解説があった。参考として、米国ではどのように発注が行われているかの事例の紹介があった。


  
会場風景

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年5月6日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:藤井隆満氏(応用理学)、 藤川博巳氏(情報工学)

4.出席者(敬称略):藤井、 藤川、澤井、長谷川、石川、鐘ヶ江、本間、窪田、伊藤隆、中村、森島、村田、坂口、野田、佐藤、伊藤、渡部、梶屋、大久保、菅野、小林、他: リアル9名、リモート12名

5.事例紹介:講師と事例

(1)藤井隆満氏
  
藤井氏は2020年に独立開業した応用理学部門の技術士である。大学院を修了後、大手ガラスメーカーに就職。1年半ほどで大阪ガス傘下の受託研究企業に転職。さらに2000年に大手フイルムメーカーに転職後、2020年に独立開業した。

最初に就職したガラスメーカーでは1年間は研修期間で現場にいた。現場では研究所の悪口などを良く聞いた。その後、研究職となった際に、現場で悪口を言われない研究をしようと思い、生産までを考慮して開発する、と考えるきっかけとなった。

入社1年半ほどで受託研究をする会社へ転職。理由はガラスメーカーの保守的な社風に飽き足らなったため。この会社での研究受託契約からプロセス完了までの流れを説明。研究に「コスト意識」を持つという点が大変勉強になったとのこと。

2000年に大手フイルムメーカーに転職。大企業で予算のあるところで研究してみたかったというのが転職理由。
最初に取り組んだ製品は、当時は市場が小さく開発はビジネス的に失敗に終わった。次に取り組んだ製品は開発費が少なかったので前職の経験を活かして低予算での開発に成功。続いて取り組んだ製品は難易度が高く、無理だから撤退しろと言われつつも土日返上で研究を続け、出来上がった製品はシリコンバレーの子会社で即採用。プリンター等に広く使われ開発は成功した。

その後、52歳で独立。大企業は動きが遅い、定年してからでなく動けるうちに独立したい、本を書きたいなどやり残したことがあった、というのが独立の理由とのこと。独立前に2社ほど仕事のあてを作ってから会社を辞めた。
その2社のうち1社は報酬の不払いがあり、すぐに契約を打ち切ることとなった。ただし、コンサルタントのやり方はこの会社で学んだ。

独立自営となってから仕事を受けるパターンは、「知人紹介」「紹介会社経由」「自身で営業」のいずれか。セミナーによる集客は上手くいかなかったそうである。
紹介会社は「大幅にピンハネされる。」「ニッチな分野は仕事がない。」が、営業をやってくれるメリットがある。課題解決型の業務は短期の仕事になりやすい。顧客は解答を求めているのでそれを教えると仕事が終わってしまう。
一方、新規事業開発は継続することが多い。化学メーカーの新規事業のコンサルが起点となった「陸上養殖」の例の紹介があった。

これまでの仕事は、専門の「プラズマ」から始まってそれが発展したものが多い。専門分野の仕事は知り合いから紹介されることが多い。一方、新規事業案件は紹介会社経由が多い。いずれにせよ、人とのつながりで新しいこと、面白いことが出てくるとのことである。

(2)藤川博巳氏
  
藤川氏は情報工学部門の技術士で、2001年に54歳で独立した。1972年に大学卒業後、情報システム会社に就職。出向などもさせられたが、その分、コンサルタントの勉強にもなった。

1990年にCADソフトを開発している会社に転職。CADを基にメーカーの業務プロセス改善の仕事を行った。この頃、各種学会や社外の人材と交流。学会で知り合った大学教授に勧められて1999年に当時珍しかった「プロセスチェーンマネージメント」の本を出版。さらに2001年に中小企業診断士を取り、外資系ネットビジネスコンサルタント会社へ転職した。

ところが、そのコンサルタント会社が転職後すぐに日本から撤退。54歳のため再就職は無理。困っていたところ運良くトヨタのCADの子会社のコンサルタントの仕事があり、自営コンサルタントとしてその仕事を引き受けた。

その後の自営コンサルタント活動の紹介があった。
2017年からはJ-SCOREで、それまでの20年近いコンサルタント経験を活かし「人材活用事業部」を立ち上げ、技術士のコンサルタントのマッチングなどの仕事をしている。J-SCOREでの新事業プロデュース事例の紹介があった。

現在は、年齢的に自身でコンサルタントとして新規事業に取り組むのは難しいので、若い世代の人が新規事業のコンサルタント取り組んでもらえるよう、企業とのマッチングや提案などの活動をしている。これによって、開業したての技術士にも新事業のコンサルタントができるようにするとともに、自分も生涯現役を実現している、とのことであった。


  
会場風景

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年4月1日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:西角井造氏(経営工学部門)、澤井 清人氏(建設/総合技術監理)

4.出席者(敬称略):西角井、澤井、長谷川、中山、石川、、日高、鐘ヶ江、山本、本間、谷、金田、曽我、押見、吉原、佐藤、宮内、清、岸、飯島、柴田、坂口、藤井、菅野、小林、他: リアル10名、リモート14名

5.事例紹介:講師と事例

(1)西角井 造氏
  
西角井氏は独立開業している経営工学の技術士である。大学院建築学専攻を修了しマンション分譲販売会社に入社。新築マンションの設計・監理に携わった後、関連の不動産管理会社へ出向・転籍。マンションの大規模改修や設備営繕に携わった。
マンションの住民に対して「サービス」を提供するサービス業で、形あるものを作る仕事ではない。その「サービス」業の特徴について説明があった。
特に不動産管理業業務の特徴として、お客さん(マンション等の住民)に対して正確な報告ができていなかったとのこと。その改善のための「保守点検の業務報告システム」を作成した。

学生時代「少年サンデー」にマンガを書いていた。サービス向上活動の一環としてマンション管理人さん向けのパンフレットなどを作ったが、自分でイラストを描くなどマンガを書いていた経験が役立ったそうである。

独立自営をした際にありがたいと思った諸先輩方のアドバイスは、
・まぁ、あせらずやんなさい。
・金々って言うんじゃない。
・仕事を楽しんで下さい。
・仕事を受けすぎて迷惑をかけないように
・(金は)なんとしてもつくる
といったことだったそうである。
そして、心を若く持つことが大切で、そのためには「恥をかくことを恐れない」「積極的に恥をかく」ことが必要とのことであった。
最後に、売上高の推移の説明があり、会社時代の先輩のアドバイスで「伸びそうな業務」に集中した結果、それが大きな収入につながっていること、法人化のメリットなどの説明があった。

(2)澤井 清人氏
  
澤井氏は1991年に大学院土木工学専修を修了し、建設コンサルタント会社に就職。海外赴任から帰ってきたらその会社が倒産してしまい、再起をかけて技術士を取得、再度建設コンサルタント会社に就職の後、現在は地質調査会社に勤務している。子供の頃から土木技術に魅せられ、憧れの先生のいた大学に入ってその先生の研究室に入ったそうである。

最初の会社での業務の詳細について説明があった。様々な業務を経験するなかで、「心がささくれた」時期が3度あり、3度目の時はあまりに業務が過酷なので退職しようとしていたら「アルジェリア」への赴任命令が出て海外勤務となった。
現地に行ってみたらあらゆる設計がバラバラに行われていて全く整合が取れておらず、その相互調整を行わざるを得ないことになった。この経験は「技術者としては一流ではないが、これまで多くの経験をしてきたことが報われた」と感じたそうで、その後会社が倒産したこともあり、この海外勤務が転機となったそうである。

現在は高速道路関連の「地震時の盛り土安定解析」の業務を手掛けているとのこと。NEXCOでは「ニューマーク法」という通常より手間のかかる手法で解析することとなっていて、その手法について説明があった。

自分の強みは「カバーできる技術の範囲が非常に広い」ことで、極端な「くし形人材」とのことである。一方、自分の弱みは「器用貧乏」であることで、何でも知っているといっても全てが二流選手程度と分析しているそうである。

子供の頃から尊敬している、パナマ運河建設に関わった唯一の日本人技士、青山士氏の言葉「私がこの世を去るときには、生まれてきたときよりもよくして残したい」という言葉を自身の指針としているとのことであった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年3月4日(土)

2.場所:北とぴあ808会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:柴田進洋氏(情報工学)、渡部利範氏(電気電子)

4.出席者(敬称略):柴田、渡部、長谷川、澤井、日高、鐘ヶ江、山本、本間、竹下、村田、押見、榊、伊藤、吉原、野田、佐藤、宮内、藤井、清、八文字、大久保、菅野、小林、他: リアル9名、リモート12名

5.事例紹介:講師と事例

(1)柴田進洋氏
      柴田進洋氏ビデオ動画

 
柴田氏は情報工学部門の技術士で、現在、大手光学機器・カメラメーカーに勤務している。大学院の多元数理科学研究科(いわゆる数学科)を修了し、1999年に大手FA機器メーカーに就職。CNC(数値制御装置)ソフトウエア設計に従事した。
2002年から現在勤務する大手カメラメーカーにてカメラのメカ制御ソフトウエア設計に携わっている。これまで特許を50件出願し、25件が登録されているとのことである。

学生時代の研究テーマについて説明があった。学生時代はNavier-Stokes方程式(流体運動方程式)を研究。修士課程修了時、博士課程に進学するか、就職するかで悩んだ。博士課程に進学するとつぶしが効かない、ということで就職することにした。その体験から、日本の博士課程進学者・博士号取得者の少なさについての考察の説明があった。なお、数学科の修士修了者70名のうち、メーカーに就職したのは自分ひとりだったとのことである。

最初に就職した会社での仕事について説明があった。従事したのは、CNC(工作機械の数値制御装置)のソフトウエア設計。自身が設計した機器のマニュアルを数式中心で作成したところ、お客さんから使い方についての問い合わせが殺到してしまった。挙動を一般化した数式ではなく、事例を多数載せるべきであった、とのことである。

現在勤務する会社では、カメラ一筋20年。入社から数年は電気関係の仕事に従事した後、
 ・モーターの制御
 ・オートフォーカス機能、手ぶれ補正機能のアルゴリズム
のソフトウエアを担当しているとのことである。
フォーカスモータ制御について、オートフォーカスのアルゴリズムについて、手ぶれ補正についての説明があった。
ソフトウエア部門にいる感想として、メカ、電気などの担当者には「最後はソフトが何とかしてくれる」と思われている、と感じているそうである。実際には限界があって設計の手戻りが発生することになる。その防止には日常のコミュニケーション頻度を上げるのが有効で、とくに、一般化された話よりも特殊化された話(具体的な話)をすると分かってもらえることが多いそうである。

技術士を取得して、今までの自分を振り返るターニングポイントとなったそうである。
今までニッチな分野を歩いてきたので技術分野を拡大すべきと思っていること、現職も日々課題は溢れていることから、成長の機会は溢れていると感じていることなどが説明された。

今後やっていきたいこととして、
・セミナー講師
  →相手の要望とのマッチング
・専門書の執筆
  →需要がある分野の見極め
・技術コンサルタント
  →ビジネスの視点を最優先
などがあるとのことであった。

(1)渡部利範氏
      渡部利範氏ビデオ動画

 
渡部氏は電気電子部門の技術士で、2007年8月に58歳で大手カメラ・複写機メーカーを早期退職し、現在16年が経った。新規開業技術士支援研究会での発表は4回目ということで、今回はメーカー勤務時代の業務についての説明があった。

なお、会場(東京都北区王子)近くの飛鳥山は思い出の場所とのこと。その昔、弁理士を受験していた際にお参りに行ったそうである。

説明のあった、会社での仕事は次のとおり。
・カメラと複写機の設計思想の違いについて
  →カメラは売り切りなので壊れないように厳しい基準で設計。
   複写機は市場で故障したら修理しながら使ってもらうという考え方。
・安全規格部門から複写機の故障・事故対策の専任に
・複写機、レーザープリンター、シンクジェットプリンターに共通する製品安全基準を作る。
  →各事業部、国内外の工場を回って製品安全の大切さを訴え全社基準に。
・重要安全部品の特定
  →発火しない電解コンデンサ、難燃バリスタ、複写機、レーザプリンタに使用する
   専用のサーモスタットの開発を行った。これにより10年かかったが、
   安全性が飛躍的に向上した。
・製品安全技術基準と電気信頼性基準を統括
  →製品安全性と信頼性を統括する部門となり、「実質安全性」(法律などをベースに
   実際のお客様の立場を想定して安全性を確保すること)の確保を図った。
・製品安全性と労働安全性
  →グループ全社の工場の労働安全性に力を入れた。合わせて、産業機器における
   実質安全性の確保を図った。
・電力品質に起因する障害防止による安全性・信頼性の確保
  →国によって電力品質が違うことで、過電圧、電圧歪、サージによる障害が起きていた。
   その対策のため、世界18カ国40都市を訪問して実際に電力品質の測定。
   その結果を製品の安全性、信頼性向上に活用した。

世界中の電力品質調査が自身の電気技術者としての集大成と感じ、2007年8月に58歳で早期退職し、技術コンサルタントとなったとのである。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年2月4日(土)

2.場所:北とぴあ802A会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:木崎 洋氏(電気電子、経営工学、総合技術監理)、石川 弘毅氏(建設部門、環境部門)

4.出席者(敬称略):木崎、石川、長谷川、梶屋、澤井、日高、鐘ヶ江、山本、岸、本間、坂口、竹下、村田、小田、押見、榊、岸、伊藤、柴田、小松、織田、大隅、大久保、菅野(記): リアル8名、リモート15名

5.事例紹介:講師と事例

(1)木崎 洋氏
       木崎 洋氏ビデオ動画

  木崎氏は現在65歳で大手通信会社を定年後の再雇用を経て昨年独立自営をしました。社外副業を勤務先に認めてもらうのに苦労したが人事に掛け合って認めてもらったそうです。技術士は就業規則に縛られて独立に消極的な人が多いのですが、法的には社外副業は認められており、多くの公益に資する技術士が勤務しながら社外副業を経験し、その後の独立自営を目指してはどうかということである。
2021年6月に個人事務所を登録し、技術士試験の受験指導(二次試験、口頭試験)や安全セミナー、職長研修の講師、受託業務(GPSトラッキングの技術営業)などを行っている。
また、日本人としての精神の根源に興味を持ち、実語教の例を示された。
・山高(やまたか)きが故(ゆえ)に貴(たっと)からず木(き)有(あ)るを以(もっ)て貴(たっと)しとす
・人(ひと)肥(こ)えたるが故(ゆえ)に貴(たっと)からず智(ち)有(あ)るを以(もっ)て貴(たっと)しとす
・富(とみ)は是(これ)一生(いっしょう)の財(ざい)身滅(みめっ)すれば即(すなわ)ち共(とも)に滅(めっ)す
これに対し、コンサルタントの極意としてアンチテーゼを示すことで、クライアントの獲得につながるという意見が出ていた。

(2)石川 弘毅氏
       石川 弘毅氏ビデオ動画

  石川氏は現在49歳で大手電力会社の関係会社に勤務しており、花火の研究で博士(工学)取得を取得し、建設や環境部門の技術士の資格を保有している。今回は土休日を利用した、エネルギーや環境分野などの社外活動についての経験を話してもらった。環境技術者として防災対策と教育を考えるということで、初等教育向け防災の授業について会場との質疑応答を交えてこれまでにない対話型のプレゼンであった。
体験出前教室講師として「ソーラーランタンを作ろう」、「小学校初等教育向け 防災の授業」、「過去の震災の教訓をどのように伝えるか」、「すべての子どもは大切にされなければならない。一人の例外もなく。」
など本来業務以外にもこんなこともできるのだと気づかせてもらった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2023年1月7日(土)

2.場所:北とぴあ806会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:日高倫明氏(機械部門)、鐘ヶ江正巳氏(電気電子)

4.出席者(敬称略):日高、鐘ヶ江、梶屋、名取、黒澤、渡邉、山本、岸、川村、高堂、宮内、白柳、本間、落合、清、大島、浦井、坂口、平田、外館、斎藤、大久保、菅野、小林(記)他: リアル10名、リモート14名

5.事例紹介:講師と事例

(1)日高倫明氏
       日高倫明氏ビデオ動画

 

日高氏は1966年生まれの56歳で、機械部門の技術士である。1988年に航空機メーカーに入社、1996年に自動車メーカーに転職し、現在も同社に勤めている。

航空機メーカーでの業務として、日本版スペースシャトルHOPEの小形着陸実験機の構造概要設計の説明があった。

自動車メーカーでの業務として、
 1.プレミアムカーオーディオ商品の研究開発
 2.自動車の空力デバイス研究
 3.自動運転システムの開発
 4.故障診断システムの開発
についての技術的な説明があった。
3の自動運転システムの開発では、それまで機械設計を担当してきたのでシステム開発の経験がなく、システム開発のセオリー「V字プロセス」を学んで応用し、システムを進めたそうである。また、流行の「MBSE」について、説明があった。とても良い手法ではないかと取り入れたが、
 ・記述が想定以上に大変
 ・せっかく多くのモデルを用意しても下流側は参照しない
 ・モデルをモデルベース開発(MBD)に活かせない
などの問題点も実際に経験して分かったそうである。

これまでサラリーマンとして35年、色々と経験できたが、会社の都合で技術領域が何度も変更となった。技術の幅は広い一方、これといった深い専門が無いと感じており、独立して技術士としてやっていけるのか、不安を感じているとのことであった。


(2)鐘ヶ江正巳氏
       鐘ヶ江正巳氏ビデオ動画

 

鐘ヶ江氏は1951年生まれで、独立して30年弱となる電気電子部門の技術士である。1075年に大学院の電気工学科を修了して大手電気メーカーに就職。半導体開発に従事した。1987年に技術士登録、1994年に43歳で独立開業した。

独立準備として、会社員時代から技術士仲間を中心に研究会(勉強会)を立ち上げた。その際、自分が活躍する「業界」というものを考えて自分で(勝手に)作り、その「業界」にどうやって売り込んでいくかを考えた。これがコンサルタントとして独立するには一番大切とのことである。

2000年に中国に会社を作って、データ入力をする仕事を始めた。黒竜江省ハルピン市に会社を作り、最大400名を雇っていた。この会社は後に売却した。

2005年には大気圧誘導結合プラズマ技術及び装置開発を技術士協同組合の研究会をベースとして行った。

今のビジネスは、「センサとIoT」ビジネス。2013年頃、これから「IoT」が発展すると聞いて、これをやりたいと思って会社を作って手掛けたそうである。

医療関係への展開を考え、開発したセンサーを使って生体情報を集め、集めたデータを解析、AIを使って分析する、などを行っている。いずれも、自分ではいままでやったことのない技術だそうである。
これまでも、アイディアは自分で出すわけではなく、勉強会の中などで出てきたものをプロジェクトリーダー的にまとめてビジネスに発展させていくのが自身のやり方だそうである。

「人生五分割」ということを考えていて、
 ・教育時代     0?20歳 学校教育
 ・社会訓練時代  20?40歳 会社で技術を学ぶ
 ・自立(独立)  40?60歳 コンサルタントとビジネス構築
 ・社会貢献    60?80歳 「センサとIoT」を志望(興味のある仕事を行う)
 ・なすがままに  80?100歳 不明
という人生計画を考えているそうである。自分としては、生きていくお金は60歳までに蓄財したので、今は、興味のある仕事をやっているとのことであった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2022年12月3日(土)

2.場所:北とぴあ601会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:宮内憲一氏(金属)、舘泉雄治氏(情報工学)

4.出席者(敬称略):渡辺、野田、日高、飯島、武内、山本、金谷、谷、伊藤、宮内、舘泉、大久保、菅野、小林(記)他: リアル7名、リモート13名

5.事例紹介:講師と事例

(1)宮内憲一氏
       宮内憲一氏ビデオ動画

 


宮内氏は1964年生まれ。早稲田大学理工学部金属工学科大学院を1990年に修了し自動車メーカーに入社。2016年に自動車の解析会社へ転職した。2021年に技術士(金属)を取得し、技術士事務所の開設準備中である。

自動車メーカーでは材料技術部門の配属となり、主な業務経験として、
 ・摺動部品材料の耐表面損傷性能評価技術の確立
 ・金属部品の高強度化
 ・鉄鋼部品のコスト低減
 ・グローバル調達推進における金属部品の品質評価
 ・市場不具合となった金属部品の破損原因調査
について説明があった。
特に、金属部品の破損原因調査については、会社のリコール隠しもあり、技術者として公正な分析と判断が求められ、印象に残った業務だったそうである。

現在の自動車車体の解析業務について、特に、接着剤による車体の接合についての説明があった。車両の構造体に接着剤を使用することについて、日本はヨーロッパに対して遅れているとのことで、接着の強度経年劣化の把握などについて説明があった。

技術士を取得した理由は、会社が外資系となり親会社製コンポーネントのチューニングがメインの仕事となったため、このままでは真の技術屋を全うできなくなるという違和感を感じたからだそうである。また、外資系にありがちな、いつ首になるか分からないという不安もあり、技術者として仕事をするために技術士を取得したとのことである。

車メーカーに在籍しつつも専門は「金属材料」であるため、金属屋さんは「何でも屋さん」と思われて頼られる存在で、やりがいもあったそうである。これを自分の強みとしてアピールしたいとのことである。

今後の抱負は、
 ・生涯ものづくり社会に貢献し続けたい
 ・若手技術者育成に貢献したい
 ・技術者倫理についてもコンサルタントしたい
 ・顧客の立場に立って、コンサルタントしたい
とのこと。
想定する顧客は、自動車関連の他、金属部品を扱うメーカー、試験・評価会社などと考えている。しかし、技術コンサルタントを要望する企業は大企業なので、自分のような個人に仕事を出してくれるのかという不安があるとのことであった。


(2)舘泉雄治氏
     舘泉雄治氏ビデオ動画

 

舘泉氏は情報工学部門の技術士で、現在、東京高専 電気工学科 教授である。自身も高専を卒業し、世界初のパソコンを開発したXEROXのパロアルト研究所(PARC)に憧れて富士ゼロックスに就職。レーザープリンターの開発に従事したが、3年ほどで高専時代の恩師に口説かれ、高専の教授となった。

高専では、1992年頃に当時最先端だったバーチャルリアリティを研究。sgiのonyxというコンピュータを使ってシミュレーションをした。米国のsgi社まで出向いて技術者と意見交換したこともあるそうである。

インターネット黎明期の1994年には、いち早く高専のホームページを立ち上げた。専用のサーバーがない中、事務処理などでも使っているサーバーのリソースを使って、自力で環境を構築してホームページを立ち上げたそうである。

2004年に全国の高専が1つの独立行政法人にまとまった際には、全国の高専をつなぐ「財務会計システムネットワーク」の構築を担当。全国の各高専でバラバラのシステムを使用していたので話が進んでおらず、2004年度には運用開始をしなくてはならないのに2003年5月に構築の依頼が来た。構築期間が極めて短く、額も大きなシステムで、しかもひとりで授業の合間の時間を使って担当したので、本当に大変だったそうである。

最近では、技術士協同組合の鐘ヶ江技術士が社長を務める会社との医療関係のIoTサービスの共同研究で、アマゾンのクラウドサービス(AWS)上にアプリを展開することなどを行ったそうである。

また、学校でAI人材の育成に取り組んでおり、Jetson NanoというミニコンピュータでAIをはじめる、という授業をおこなっているそうである。

定年後、独立したいと思っているそうで、これまでの経験からサーバーの構築が得意なので、サーバー構築、セキュリティなどに仕事があるのではないか、と考えているそうである。


日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2022年11月5日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:清孝雄氏(情報工学)、中谷明浩氏(農業部門・農芸化学/食品化学

4.出席者(敬称略):清、中谷、平田、渡辺、野田、日高、飯島、米田、武内、中野、澤井、井上、村田、梶屋、宮内、坂口、尾崎、吉原、大久保、菅野、小林(記)他: リアル7名、リモート17名

5.事例紹介:講師と事例

(1)清孝雄氏
     清孝雄氏ビデオ動画

 
清氏は来春(2023年4月)に独立開業を予定している情報工学部門の技術士である。県の職員(公務員)として情報システム等に関する業務に長年携わってきたが、「本当のDX」普及を目指し開業を決意したそうである。

学生時代及び社会人になってからの経験として、
 ・コンピュータ、インターネット、ソフトウエア言語(Pascalなど)との出会い
 ・著作権法、特許法との出会い
 ・SWOT分析、BA(ビジネスアナリシス知識体系ガイド)との出会い
などの説明があった。

また、業務で携わったことでマイナンバー法、個人情報保護法と出会い、経済産業省の「DXレポート」も読んだ。その結果、日本ではDXが上手く行っていないのではないかと感じるとともに、ビジネスチャンスなのではないかと思ったとのこと。その後、コロナ禍となったことで生活様式が変化したことを踏まえ、アフターコロナを見据えたビジネスとしてビッグチャンスであろうと考えたそうである。

このことから、来春(2023年3月)の開業を決意し、それに向けて税金や保険の手続き、資金繰りシミュレーション、ホームページ作成の準備などを行っているとのこと。また、開業は出身の京都で行う予定とのことである。

開業後の業務は、
 ・技術コンサルタント
 ・知財コンサルタント
 ・セミナー・講演
を想定しており、まずは、セミナー講師をやっていきたいそうである。そのため、パンフレットを作り、営業活動につなげたいとのことであった。


(2)、中谷明浩氏
     中谷明浩氏ビデオ動画

 
中谷氏は1973年生まれで現在49歳。独立開業して4年余りとなる農業部門の技術士で、専門は食品である。現在、札幌に在住し、事務所も札幌に構えている。会社員時代は横浜に住んでいたが、独立と同時に北海道に移住した。
経歴は、
 ・1993年に大手食用油脂メーカーに入社。
 ・生産技術部門に8年
 ・研究開発部門(研究所)に10年
 ・知的財産部門に7年
在籍した後、2018年9月に独立開業した。

独立の経緯は、30代後半?40代前半になると会社での将来も見えてきた。世代的に先輩社員の人数が多く、社内にチャンスが少ないと感じた。また、定年まで会社に在籍することへの違和感を感じていた。
2011年に技術士を取得、独立開業の研究を始めた。その結果、早く独立した方が成功する可能性が高いと判断して独立したとのことである。

独立の準備としては、コンサルティング専門分野のブラッシュアップに努めたとのこと。また、横浜から札幌へ移住した理由は、
 ・首都圏にいなければならない理由が見つからなかったこと。
 ・移動手段が発達して安価で早く移動可能なこと。
  (これは、その後コロナ禍でWeb会議システムの利用が急速に浸透したのも追い風となった。)
 ・地域のビジネスを視野にいれたこと。
 ・国内各地へのアクセスの良い地域都市へ移住し全国で活躍することを考えたこと。
などだそうである。

独立後は「食用油脂と特許実務の水先案内人」をキャッチフレーズに、「技術マーケディング」「技術開発支援」「技術コーディネート」を主な業務として、「セミナー」「技術支援」「知財・ビジネス」の3分野を展開しているそうである。2020年に書籍を出版し、現在も2件、共著で執筆中とのこと。

独立後、「専門は食用油脂」と専門をあえて狭く絞って表示している。もちろん、専門の周辺分野の仕事も実際は広く出来るのであるが、分野を絞って名乗った方が「何の専門家」であるかが分かりやすいからだそうである。

セミナーについては、セミナー会社へ自ら売り込んだそうである。セミナーは「マーケティングファネル」を考えると、セミナー会社が営業してくれるため効率が良いとのこと。セミナーの講師を数多く行うことで本の執筆、オンデマンド講座につながる。そこから、クライアントさんのオファーにつながっているとのことである。

これまでの活動経験から、
・独立後、すぐにコロナに襲われ、依頼やセミナーがすべて中止になったが、
 諦めずに活動を続けていた結果、認知度の向上と共に様々なオファーがくるようになった。
・技術士に適したマーケティングとその実行が重要
・独立技術士はサービス業であることを忘れない
という点が肝要とのこと。また、今後の予定として、来年、法人化を考えており現在準備中、とのことであった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2022年10月1日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:竹下照雄氏(電気電子)、竹内利一氏(機械部門)

4.出席者(敬称略):竹内、竹下、吉岡、平田、渡辺、野田、日高、橋本、白柳、芦ヶ原、伊藤、外館、梶屋、宮内、斎藤、長谷川、日高、本間、金谷、坂口、黒澤、澤井、大久保、菅野: リアル7名、リモート17名

5.事例紹介:講師と事例

(1)竹下照雄氏
     坂口英之氏ビデオ動画

竹下氏は静岡在住の電気電子部門の技術士で、地元の大手測定器メーカに勤め、今年定年で開業した光計測の専門家です。
在職中に博士号を取得し、ベンチャー企業を設立したが中断し、今回の独立開業に合わせてベンチャー企業を再開しました。
会合では、これまでの職歴や専門技術の紹介の他に、下記の様な独立開業にあたっての悩み・相談事があり、これに対しての質疑応答がありました。
・仕事の報酬はどの様に決めたらよいか
・顧客との関係
・社長の給与はどう決めたらよいか
・製造業は成り立つか
・今後の戦い方、ブランド戦略


(2)、竹内利一氏
     坂口英之氏ビデオ動画

竹内氏は数年前に大手電機メーカを退職して技術士事務所と合同会社を経営しているロボット周辺装置の専門家です。
製造工ストの低減や新製品開発等で複数社と顧問契約をしており、協調ロボット等のセミナー講師や、大学非常勤講師、執筆等を手がけており、サラリーマンの時よりも多くの報酬を獲得しているとのことです。
コンサルタントからセミナー事業への展開、セミナーからコンサルタントへの展開など独自の業務開拓の事例を紹介されました。
技術士は業務独占がないとぼやくのではなく、名乗ったほうが勝ちという名称独占のメリットを示された。



日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2022年9月3日(土)

2.場所:北とぴあ803会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:坂口英之氏(原子力、福ア昌宏氏(金属)

4.出席者(敬称略):坂口、福ア、山本、吉岡、平田、川村、渡辺、尾崎、岸、野田、日高、橋本、佐藤、梶屋、村田、澤井、吉原、竹下、大久保、菅野、小林、: リアル6名、リモート15名

5.事例紹介:講師と事例

(1)坂口英之氏
     坂口英之氏ビデオ動画

坂口氏は原子力部門の技術士で、1996年に大学院の原子核工学専攻を修了し電力会社に入社して現在も同社に勤務中である。

入社後は、まず、原子力発電所の原子燃料、炉心管理に従事。その後、2003年から約3年間、青森六ヶ所村の原子燃料リサイクル施設に出向した。

原子力発電所の基本的な仕組みと、燃料管理方法について解説があった。使用済み核燃料の95?98%は再利用可能。エネルギー資源の有効利用、廃棄物量の低減という2つの観点から再利用を行っている。そのための再処理について説明があった。

2011年の東日本大震災による福島第一原発事故の際はその対応のため現地に応援に行き、主に住民の避難支援活動を行った。具体的には、住民の避難時検査(衣服等に放射性物質が付着していないかなどの検査)や車両の除染作業などを行ったそうである。この経験により、原発で重大事故が発生したらどうなるのかを身をもって痛感した。また、これらの作業のため2011年4月にJヴィレッジにいたところ、視察に来た当時の菅首相と遭遇したこともあるとのことである。

応援から戻った後、自社の原発の安全対応(新規制基準対応)を行った。その内容について、具体的な説明(自然現象対策の強化、電源の強化、注水の強化、フィルタ付ベントの設置など)があった。

原発の現状と今後の見通しに対する見解として、原発54基中、再稼働したのは10基のみで21基が廃炉を決定している。この状況で国のエネルギー基本計画による2030年の原子力発電の割合20?22%を確保するのはとても高い目標と考えているとのこと。一方、原子力発電所を動かす上で、熟練した技術者の高齢化、原子力部門の希望者の減少などにより人材不足が深刻化しているとのこと。

そこで、今後の抱負として、原子力のイメージアップ、人材の育成に貢献していきたい、とのことであった。

(2)福ア昌宏氏
     福ア昌宏氏ビデオ動画

福崎氏は1980年生まれの42歳。2019年に独立開業し現在独立4年目となった金属部門の技術士である。2005年に大学院の金属工学専攻を修了、金属加工メーカー、建設機械メーカー勤務を経て独立した。

会社を辞めて独立した理由は、会社員を続けても「経済的リスク」があると感じていたこと。昇給も見込めず、退職金も年金もあてにならず、退職したら数年で貧困老人となることがほぼ確定していると感じていた。そこで、早めに自分の名前だけで生活する力を身につける必要があると考え独立したそうである。

営業方法として、@ホームページ、ブログ、AFacebook、B技術士の集まりに参加、Cセミナー開催、D執筆活動、E展示会出展、参加について、実情の説明があった。営業活動については、「正解」を当てるよりも「ハズレ」を避ける方が良いとのことであった。

また、すべての活動が仕事になるわけではないので、優先度を決めておく必要があるとのこと。自身では「つまらないけど仕事になる」ことよりも「仕事にならないけれど楽しい」ことを優先しているそうである。

開業当時に想定した顧客と実際の顧客の違い、自身の「差別化」について(「差別化」は顧客が決めることかも)、顧客は「満足」を買っている、という点について説明があった。

活動実績の説明では、分析調査の実績、セミナーについて(準備の心得、セミナーのPDCAについて)、執筆実績、売上実績などの説明があった。

独立して思ったことは、
 一つ一つの仕事を誠心誠意、丁寧に行う。
 はじめはヒマで当たり前。結果はすぐに表れない。
 一番知っているのは顧客である。
 とりあえずでも、どんな形でも続けること
 人と会うこと
特に、とにかく続けることは大切であるとのことであった。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2022年8月6日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:荒川 純氏(応用理学、総合技術監理)、平田一成氏(金属)

4.出席者(敬称略): 荒川,平田,大庭、石川、保泉、宮内、寺垣、谷、野田、日高、曽我、橋本、長谷川、坂口、梶屋、山本、本間、村田、澤井、吉原、飯島、白柳、竹下、大久保、菅野、小林、:リアル11名、リモート14名

5.事例紹介:講師と事例

(1)荒川 純氏
   

荒川氏は1979年生まれ。現在、企業に勤める応用理学・総合技術監理部門の技術士である。
大学院のエネルギー科学研究科を2005年3月に修了し、公共放送に記者として入局。報道取材などに取り組んでニュース原稿の作成(約3年間で1200本あまり)や記者解説での出演などを経験した。その後、2009年に大手総合重工業メーカーへ入社し現在も勤務している。

同社では海外プラント工事などの品質管理(2009?11年)、マーケティング業務(2011?14年)、研究開発、技術開発業務(2015?18年)などに従事。このうち、研究開発で携わった石炭火力発電所向け「CO2分離回収技術」について説明があった。また、会社に勤めながら大学院の博士課程にも進学し、2015年3月に博士(学術)を取得した。

2020?21年度にはNEDOに出向し、カーボンリサイクル技術開発プロジェクト取り纏めを担当。今後技術士として活動していく上で大変良い経験になったそうである。そして、2022年に出向元に戻り、脱炭素化技術の国際標準化業務などを行っているとのことである。

自身の思い・ビションは、「エネルギー問題解決に貢献したい」「科学と社会をつなぎたい」「人々を幸せにしたい」とのこと。そして仕事への基本態度は、@社会に影響を与えたい、A挑戦したい、B自由に生きたい、C創造したい、であるとのこと。A、B、Cは独立した働き方の方が実現できそうだが、@は組織にいる方が良いこともあると考えているそうである。

そんな中、幸運にも2021年に会社で兼業を認める制度が整備された。この制度を利用し、「組織人」+「独立人」の二足のわらじ型での働き方を目指し、今年(2022年)9月に個人技術士事務所を開業予定とのことである。

開業後は、「CO2分離回収、カーボンリサイクル技術等の検討支援」「世界エネルギー市場動向の動向調査分析など」の業務を想定している。注意事項として、会社と個人間の情報管理、ワークライフバランスなどを適切にしないといけないと考えているそうである。

(2)平田一成氏
     平田一成 氏ビデオ動画

平田氏は1966年生まれ。大学院機械工学専攻を92年4月修了し、金属素材会社に入社。その後、子会社への出向・転籍となり、さらにその会社が買収されたなどの経緯で現在は歯車を鍛造で製造する会社に所属している。現在の会社で作っている「かさ歯車」の用途等について説明があった。

業務経歴は、技術屋として約20年務めた後、管理職になった。現在は営業の担当となって技術営業のほか、担当顧客も持つ営業もしている。このような経歴から「今までの技術者としての経験を形にして残したい」と思い技術士の取得を目指し、2011年に合格した。

技術士として独立に向けて何が出来るかを考えたところ、技術者としての立ち位置は、「上流、下流工程に知見の広い部品屋」と分析した。そして、独立後の仕事として
 ・部品開発、製造技術のコンサルティング
 ・TSコアツール
 ・安全衛生のコンサルティング
 ・環境のコンサル
 ・その他、よろず技術相談屋
を想定しているとのこと。その際の懸念点として、これまで「部品屋」一筋で技術分野の幅が狭く、部品会社に需要はあるのか、という点があるそうである。また、現在勤務している会社で担当している仕事もあり、会社を辞めた後も、個人事業主として業務委託を受ける、といったことが出来ないかも考えているそうである。

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2022年7月2日(土)

2.場所:北とぴあ803会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:本間憲之氏(建設)、木戸ゆかり氏(応用理学)

4.出席者(敬称略): 長谷川、坂口、梶屋、平野、山本、高堂、本間、木戸、村田、澤井、吉原、佐々木、佐藤、飯島、白柳、平田、外館、竹下、大久保、菅野、小林、:リアル12名、リモート9名

5.事例紹介:講師と事例

(1)本間憲之氏
     本間憲之 氏ビデオ動画

本間氏は建築部門の技術士で1956年生まれ。1980年大学の土木工学科を卒業後、造船会社に就職し、化学プラント部門で石油化学プロジェクトに従事。2000年過ぎから新規事業開発部門に勤務し、その後、知財関係の部門で働いた。60歳以降も雇用延長となっていたが、今年、2022年3月に定年退職した。

石油化学プロジェクト従事期間は海外向け石油化学プラントの業務が中心。世界各地で仕事をしたそうである。この部門に約20年勤務したとのことである。

その後、事業開発部門へ異動。ここでは、土壌環境事業、遺棄化学兵器処理事業、セルロース系バイオエタノール製造事業などに携わった。

事業開発部門の廃止を機に希望して知財部門へ異動。知的財産権の価値評価などを行いつつ、「財産権と独占禁止法の関係」という、技術と競争の法的構造についても興味を持ったとのこと。そして、この間の2021年に弁理士の資格を取得した。

これまでの体験として、技術士と米国PEの違いについての説明、1985年?86年のフランス留学時期のこと、海外赴任で行った色々な国の事情、縄文海進時の地図を元にした地球温暖化に対する見解、海外ファッションブランドにおける知的財産権の扱い、など、実際の経験に基づく幅広い分野の説明があった。

技術士・弁理士としての今後の抱負として、知財権の経済価値評価、知財権と独占禁止法の関係、ファッションやデザイン・意匠に関する知的財産権などに興味があるそうである。

そして、今後の「夢」としては、1.もう一度フランスで仕事をしたい。2.自転車で日本のあちこちへ旅行に行きたい、ということであるとの説明があった。


(2)木戸ゆかり氏
     木戸ゆかり 氏ビデオ動画

木戸氏は地球物理学が専門の研究者で、国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)に所属している。30年ほど前に博士号を取得しているが、技術士は2021年の試験に合格した。

JAMSTECは海洋、海底に関する研究開発、それに関連する地球物理学研究開発のための研究機関。地球深部探査船「ちきゅう」や有人潜水調査船「しんかい6500」などを保有し、木戸氏は研究者としてこれらの運用を行う業務に携わっている。

海底に地震計を設置するときの様子の紹介があった。また、地球深部探査船「ちきゅう」の運用実績紹介があり、東日本大震災の翌年には、震源域を掘削して海底で断層が滑った際に発生した摩擦熱の実測にも成功したとのことであった。ただし、南海トラフの研究では掘削が大変困難で、研究が予定通りに進まなかったそうである。そのほか、海底掘削の歴史について説明があり、「ウェーブグライダー」、「ドローン」などを活用した最近の海底探査の方法についての紹介があった。

現在、世界の海底地形図を2030年までに100m×100mメッシュで作ろうとしているとのこと。現在は500m×500mメッシュが出来ており、200m×200mも何とか作られているそうである。すべてを探査しきれないため、最近では機械学習を使って推測をすることも行われているそうである。

技術士を取った理由は、産学連携の会議に参加されていた女性の技術士がかっこよかったからとのこと。技術士取得までの過程(苦労)やエピソードの紹介があった。技術士二次試験の面接で「このような経歴なら、技術士ではなく博士を取得された方が良いのではないか」(実際には博士号は約30年前に取得済)と言われたことがあるとのことであった。

今後の展望についての説明があり、船を運用する費用を調達しないといけない、という状況になっているそうである。国の予算が減る一方、基礎研究に投じられる民間資金も減少しているとのこと。海洋、海底の研究に興味ある企業があれば、ぜひ、共同研究等をしたいとのことであった。

2022年春 新規開業技術士支援研究会の独立開業セミナー

1.日時 2022年6月25日(土) 9:30〜17:00 (懇親会 17:00〜18:00)
2.会場 Web会議
3.内容 定年前、定年後に独立開業するためのノウハウ・独立事例の紹介、及び講師も参加する少人数
グループでのディスカッションと個別カウンセリング
4.参加者 講師:7名、受講生:4名

今回は初めて、受講生によるビデオ動画の自己紹介を行いました。
アンケート結果を見ると、「グループ討議」や「SNS、動画の活用」など、
少人数の参加者だったのできめ細かく対応でき、大変満足していた結果となっていました。
別途、受講生によるビデオ動画はHPで公開する予定です。


セミナー風景

日本技術士会登録グループ 新規開業技術士支援研究会活動内容

1.日時:2022年6月4日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:黒澤 之氏(建設、衛生、応用理学、環境)、青葉 堯氏(化学)

4.出席者(敬称略): 黒澤、青葉、長谷川、坂口、谷、高堂、根本、本間、竹下、井上、村田、澤井、川村、上野、舘泉、吉原、大久保、菅野、小林、:リアル19名、リモート12名

5.事例紹介:講師と事例

(1)黒澤 之氏
     黒澤 之氏ビデオ動画

黒澤氏は1962年生まれ。政令指定都市の市役所で技術系職員として勤務し、2022年3月に定年を迎えた。技術士は2002年に建築部門を取得したのち、現在まで5部門を取得。また、2019年3月に博士(工学)も取得した。

市役所及びその外郭団体に計39年11ヶ月勤務。その間の各業務の紹介があった。
環境事業局の土木担当の技術職員としてキャリアをスタート。都市計画局では、市営地下鉄の開発計画などを担当。また、道路に関連する都市計画では、住民参加の道路づくりに計画段階から参加した。技術士を取得したのは下水道局に勤務するときであり、当時の下水道の設計について説明があった。

外郭団体は「まちづくり協議会」で、当初の目的を達成したため株式会社組織を解散する方針となっていたが、その地区内の企業からの要望で一般社団法人化して規模を縮小することで存続させるという業務に携わったとのこと。

その後、市役所の危機管理室に戻り、強震計(地震計)ネットワークの整備や職員安否参集確認システムの整備に携わっていた。そして、この部署に在籍中に東日本大震災発生。市内で液状化しないであろうと思われていた場所が液状化した。このため、大学の研究者等に自ら直接伺って協力を求め、、新たな地震被害想定を策定したそうである。

2013年からは駅の周辺整備などの業務に携わり、また、環境影響評価などの業務を経て、本年3月に定年退職したとのことである。

政令指定都市の市役所は県と同様の権限があり、業務は大都市としての面白さがあったそうである。また、大規模なプロジェクトとなるため、各界の権威の方と仕事が出来たのがとても良い経験だったそうである。

役所の業務への技術士の参入チャンスについて説明があった。行政の構想や基本計画審査など上流域での業務や付属機関委員などは大学の先生等が多いが、ほとんどが人づてで紹介してもらい委嘱していることが多いそうである。技術士であれば、学会理事等の肩書き、技術士会の委員の肩書き等、公的な立場のある方も多く、それを利用して計画への参画や委員等への就任も可能なのではないかとのことであった。なお、その際には「役所の性格」(最高権威は庶務部門、財政部門も権威。技術的判断をする職員は、財政部門等を説得する苦労があること、など)も考慮する必要があるとのことであった。

(2)青葉 堯氏
     青葉 堯氏ビデオ動画

青葉氏は、1960年に大学を卒業し東芝に就職。1974年に37歳で技術士(化学)を取得。1990年に53歳で東芝を退職(定年退職扱い)。1994年12月に57歳で米国のCMfgEに合格した。技術士会会長表彰、大韓民国技術士会功労賞などを受け、現在、日本技術士会名誉会員である。

東芝では家電製品の開発などに従事。家電製品は直接消費者が使用するものであるから、絶対に失敗できない。その「失敗しない方法」のノウハウが現在の業務に活かされているとのことである。

エンジニアとは何か、について説明があった。日本と違い、欧米は技術職も「階級社会」とのこと。エンジニアはその一つの階級であり、エンジニアとテクノロジストとテクニシャンは別の階級であるとのことである。

日本のものづくりにおいてはそのような階級はない。日本のものづくりの基盤は細かい気配りである。他人の弱点を突いて自分だけが利を得ることよりも、お互いに気配りして共存共栄を図ってきた。日本の製造業の多くは中小企業であり、そのほとんどが家族経営で、会社で一致団結して仕事をしている。そして、日本はできるだけ継続的に仕事をする、という特徴がある。

これらのことから、日本のものづくりは職人の技能が本体である。新たな技能取得には少なくとも1年はかかる。したがって、新しい技術や製品が出来た際、職人が技能を取得する1年間は技術を秘密にしておけば、常に1年分のアドバンテージを得ることとなり、日本のものづくりは負けない、という説明があった。

質疑応答時、「絶対に失敗しない方法」とはどんなことか、という質問があった。答えとして、「絶対に失敗しない方法の本質は『現場での細かい気配り』である。現場にいる気配りの出来る人たちがトラブルの予兆を察知し、大失敗に発展するのを防いでいる。」との説明があった。

1.日時:2022年5月7日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:吉岡 謙氏(化学)、長谷川俊一氏(機械)

4.出席者(敬称略): 吉岡、長谷川、飯島、井上、村田、梶屋、黒澤、寺垣、澤井、岸、吉原、野田、福崎、白柳、伊藤、三矢、小林信也、大久保、菅野、小林、:リアル10名、リモート11名

5.事例紹介:講師と事例

(1)吉岡 謙氏

     吉岡 謙氏ビデオ動画

吉岡氏は1963年生まれの59歳。昨年、2021年11月に技術士事務所を立ち上げ独立した、化学部門の技術士である。

1986年に大学の合成化学科を卒業し化学メーカーに就職。5年あまり在職した後、神奈川県の公的研究機関に移り、15年弱在籍。2008年に長野県の電子部品メーカーに転職し、2021年7月末に退職した。その後、東京の環境分析会社に入社するも技術に対する考え方の違いからすぐに退職し、2021年11月に技術士事務所を立ち上げ、独立した。

3つの業界を経験して学んだことは、
化学メーカーでは、
 ・スケールアップ、物質収支、熱収支の大切さ
公的研究機関では、
 ・日本の中小企業の技術力の高さが国際競争力になっていること
 ・情報開示の大切さ
電子部品業界では、
 ・日本の電子部品は国際競争力が高いこと
 ・独自の材料から独自の製品を作っているところが強いこと
であったそうである。

これまでの人生で影響を受けた人は、吉岡氏のお父様(小形貫流ボイラーを発明し会社を経営されていた)、本田宗一郎氏、林主税氏、野茂英雄氏とのこと。また、福沢諭吉、二宮金次郎、北里柴三郎、山本五十六、本田宗一郎、西堀栄三郎各氏の言葉や著作の影響を受けたそうである。このうち西堀氏の著作「技士道 十五ヶ条」について「機会があればぜひご一読を」とお薦めがあった。

これまでの技術的な業績の詳しい説明があった。
化学メーカー時代の事例として「HIPS(耐衝撃性ポリスチレン)製造プロセスの開発」、公的研究機関時代の代表的事例として「ナノ粒子技術の取り組み、光触媒コーティング液の開発」、電子部品メーカー時代の代表的な事例として「各種抵抗素材の開発、圧膜チップ抵抗器の材料、保護膜の開発」などについて、技術的な詳細が説明された。

今後の活動予定であるが、急遽、技術士事務所を立ち上げることとなったため未定の部分も多い。現在、1社で技術顧問を行っているが、技術コンサルタントとして複数社での顧問を目指し、他の技術士ともコラボしていければ、との抱負が語られた。

(2)長谷川俊一氏



     長谷川俊一氏ビデオ動画

長谷川氏は1954年生まれの67歳。1980年に大学院の機械工学専修を修了し、トラックメーカーに入社。2015年に定年退職した後、独立系の自動車開発・受託試験会社で勤務し、2021年に技術士を取得、技術士事務所を開設した。

大学院ではディーゼルエンジン燃焼を研究。トラック会社に入社後は、研究開発部門で操縦性・安定性の研究、製品部門で騒音・振動対策、品質保証部門で市場品質についての業務などに携わった。

これまで担当した技術分野の紹介として、トラックの騒音振動対策、操縦安定性、品質保証についての詳細な説明があった。特にトラックの騒音振動対策では、自動車騒音の法規制の歴史として、1971年から2001年の間に騒音を10デシベル、エネルギーにすると1/10に減らすよう順次規制が厳しくなったこと、その対策として、エンジンルームを遮へいして騒音を減らす方法、タイヤから出る騒音についてなどの説明があった。

技術士は以前から取りたいと思っていたそうであるが、定年後に勤めた会社も契約終了が見えてきた2020年の試験で実際に取得。翌2021年8月に事務所を開設した。そこから活動を始め、2022年4月に埼玉県支部の登録相談員に登録、中小企業119にも登録申請し、承認待ちとのことである。

今後の抱負として、「地域産業に貢献する保有資格を増やし、対応できる技術分野を広げる」「生涯、現役で過ごす」といったことを考えているそうである。


1.日時:2022年4月2日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議

3.講師:山本 哲氏(電気電子、機械)、飯島 正氏(機械部門)

4.出席者(敬称略): 村田、飯島、山本哲、石川、平井、井上、大久保、菅野、小林、寺垣、本間、吉原、野田、梶屋、福崎、白子、曽我、芦ケ原、谷、長谷川、リアル9名、リモート11名

5.事例紹介:講師と事例

(1)山本 哲氏

     山本 哲氏ビデオ動画

山本氏は本年5月に独立開業予定の電気電子、機械、総合技術監理部門の技術士である。1982年に大学院修了後、大手電線メーカーに就職。入社後は電力ケーブル関係の開発に従事。その後、光ファイバ関連の業務に移り、主に光ファイバをセンサとして利用した計測(温度計測など)を担当。この分野が自身の中心業務となったそうである。

2004年に電気電子部門で技術士取得後、機械部門、総合技術監理部門の技術士も取得。2012年に関連会社であるビルシステム会社に移り、ビル中央監視システムや入退室管理システムなどを担当。また、技術士の資格を活かし、建設業専任技術者(電気工事)も勤めた。

これまでに携わってきた技術の説明があった。
 ・電気分野では、高電圧、大電流通電、電気絶縁
 ・光分野では、光利用計測、光ファイバ、レーザ応用
 ・センサでは、温度、磁界、電流、ひずみ、加速度
などが主な内容とのこと。また、これらの適用分野として、
 ・電力関係では、ケーブル、架空送電線、バスダクト
 ・河川関係では、堤防、水位
 ・プラント関係では、高温炉、LNG
などがあり、他に、
 ・道路、鉄道、自動車、
 ・ビル
への適用もあるとのことである。

これらの技術のうち、自身のコア技術である「光ファイバによる温度計測」について、詳細な説明があった。
「光ファイバ温度分布センサ」に関し、
 ・測定原理の説明
 ・従来方式との違い
 ・センサー用光ファイバについて
 ・光ファイバを利用した電力ケーブルの温度分布測定の実例
 ・ビル電気設備の温度管理の実例(スポットセンサーの応用)
 ・原子力発電所内温度分布計測
などについて解説があった。

開業に向けての活動は去年の5月くらいから開始したとのこと。まずは、昨年の5月の技術士会の研修会、技術士協同組合の開業セミナーに参加。協同組合のセミナーで「あちこちの研究会などに積極的に顔を出すとよい」と聞き、色々な会合に顔を出しているそうである。

他には、講演会、展示会をリサーチしているとのこと。展示会では、自身の業務と関連する会社と知り合う機会もあったそうである。また、学会にも参加。最新の技術を知るとともに、自分が最新技術について行けることも確認できて安心したそうである。


(2)飯島 正氏

     飯島 正氏ビデオ動画

飯島氏は1957年生まれの65歳。本年(2022年)2月末に会社を退職し、今月、技術士として個人事業主の申請をする予定である。1980年に大学の船舶工学科を卒業して大手建設機械メーカーに就職。エンジン開発に従事した後、社命で米国へ留学して機械航空学部修士を卒業。帰国後エンジン開発に戻ったところ、ディーゼルエンジンの排ガス規制の波が押し寄せ、排ガス対策先行研究を牽引する立場となり、これが自身のキャリアの中で中心の業務となった。

第2次排ガス規制対応では、規制をクリアしつつ、業界ダントツの高出力・高効率エンジンの開発に成功した。ところが、その後、開発したエンジンに採用した燃料噴射系に不具合が続発。この噴射システムを採用し開発を進めた者として対応に追われ、大変苦労したそうである。この経験を基に、続く第3次排ガス規制対応では、燃料噴射系に頼らずに燃焼を改善するために、新しい燃焼室を開発した。その際には燃焼シミュレーションを活用したとのことであった。その後の第 4次排ガス規制対応では排気ガスの後処理装置を導入したが、これには技術課題が満載。解決にはエンジンと後処理のバランスを取るのが重要だが、それぞれの開発者間の調整に苦労したそうである。しかし、クリーンディーゼルを実現するためには、あらゆる技術を組み合わせる必要があるとのことであった。

カーボンニュートラルの動向について説明があった。世界全体でカーボンニュートラルの流れが加速しているが、過酷な場所、条件で使用される建設機械すべてを電動化するのは難しく、ディーゼルエンジンの脱炭素化が必要であろうという見解が示された。方法として、
 ・バイオ燃料の使用
 ・合成燃料の使用
 ・水素エンジン化(既存のエンジンを水素燃料で運転する。)
の説明があった。これらの方策で内燃機関の生き残る道はある、との見解であった。

独立開業に向けた歩みであるが、2010年代後半から第2の人生を考え始め、2020年3月に63歳で技術士(機械部門)を取得。得意分野である「ディーゼルエンジン研究開発」を活かし、やりたい分野として「内燃機関の脱炭素化」「内燃機関へのAI/IoT応用」などを考えているそうである。そして、独立開業後は、仕事も余暇も充実した生き方をしたい、とのことであった。

1.日時:2022年3月5日(土)

2.場所:ZoomによるWeb会議

3.講師:寺垣彰夫氏(機械)、川村智氏(情報工学)

4.出席者(敬称略): 寺垣、川村、村田、山本哲、橋本、本間、外館、平田、澤井、吉原、飯島、岸、野田、梶屋、渡辺、福崎、吉岡、尾崎、外山、逸見、長谷川、石川、大久保、菅野、小林、他計24名

5.事例紹介:講師と事例

(1)寺垣彰夫氏

     寺垣彰夫氏ビデオ動画

寺垣氏は機械部門の技術士で1958年生まれ。大学を卒業して大手ポンプメーカーに就職。2021年12月末に41年勤めた会社を退職し、今年2月24日に個人事業主としての開業届を出した。

会社時代の業務内容について、時間を遡って説明があった。

会社員としての最後の職務は知的財産と品質保証の責任者を務めた。
その前は、カスタムメードのポンプの事業責任者。これは「経営者」の立場での仕事であり、利益と成長を目指す仕事であった。この時の経験で「経営者には向いていない」と感じたことも、個人事業主として開業した一つの理由とのことである。
その前は工場長を務めた。安全第一に努めたとのこと。また、原子力発電用のポンプなども手掛けていたが、工場長時代に東日本大震災が起こり、状況が大きく変わってしまったそうである。

それ以前は、ポンプの設計に従事しており、横軸の多段ポンプなどを担当していた。この時代、1886年〜2010年が一番充実していたそうである。それは、ポンプの場合、設計担当者自身がキックオフミーティングから設計、製造、現地工事、試運転、トラブルシューティングまで責任を持って見ることが出来るからとのこと。また、自分のいる工場で自分の設計した機械が組み立て、試験されるのを見ることが出来るのも技術者として嬉しい経験だったそうである。

遠心式高圧ポンプの市場について説明があった。火力発電所のボイラ給水、オイル&ガスプラント、ケミカルプラント、製鉄所のスケーリング、海水淡水化プラントなどで使われているとのことで、その詳細な説明があった。

この頃の仕事を通じて分かったのは、「市場は顧客や社会のニーズから生まれる」こと。それを実現する技術を開発するのがエンジニアである。また、製品や技術に「まぐれ」はない。すべて必然である、とのことである。

海外出張の経験について説明があった。一番多く行ったのはインドで、30〜40回は行った。初めての海外出張はカリマンタン(ボルネオ島)で日本との電話もままならず、自分で考え判断して決めなくてはならなかった。今にして思えば自分で決める喜びと責任を体験できた良い経験だったそうである。

趣味では、最近、DIYに挑戦しており、電気工事士の資格も取ったとのこと。DIYも資格取得も分からない時の先生は「YouTube」。大抵のことは見つかるそうである。

技術士取得のきっかけは知り合いのお父さんが技術士で格好いいと思ったからだそうである。今後技術士としてやりたいことは、会社時代に経験したことや得られた知識を求める人がいれば、世の中に役立てたい、ということ。また、回転機械、特にポンプの設計や開発等に関わる技術的な支援を行っていきたいそうである。


(2)川村智氏

     川村智氏ビデオ動画

川村氏は情報工学の技術士で、1960年生まれの61歳。現在も大手メーカー系情報ソリューション会社に勤務している。趣味はラジコン飛行機やドローン。ラジコン飛行機やドローンは今年からすべて国の登録制になった。その登録制度の紹介があった。

技術者にはその経験内容・年数によって「守」「破」「離」の段階があるとのこと。
「守」は、指導者の教えを忠実に守り、聞き、模倣する段階。自身では1984年〜1991年の間で、当時携わった、鉄道の制御システム、メインフレーム用リレーショナルデータベース開発、英国へ駐在しての証券情報システム設計などの説明があった。
「破」は、指導者の教えを守るだけでなく、自分の考えや工夫を模索し試みる段階。自身では1991年〜2000年の間で、その当時携わったLinuxクラスターシステムの設計などについて説明があった。この頃はLinuxクラスターが本当に業務で使えるのかという疑念を持つ人が多く、それを払拭するため日経の雑誌などに記事を連載するなどし、技術のPRにも努めたそうである。
「離」は、指導者から離れ自分自身の形を作る段階。自身では2001年〜現在がそれに当たり、空港の監視カメラのビデオサーバー技術を放送局向けに展開したり、医療映像配信システムなどに展開したりしたそうである。また、2015年からは事業企画部門、マーケティング部門で新規事業開発の仕事に携わっているそうである。

各業務についての詳細説明があった。
 ・COMTRAC(新幹線運転管理システム)
   →やりたかった仕事であったが、1982年のIBM産業スパイ事件の影響で
    途中でデータベースの仕事に移った。
 ・リレーショナルデータベース開発
   →世界最速のデータベースを実現。
 ・証券情報システム
   →イギリスに赴任しての開発経験。
 ・通信網の障害分析システム(広域分散システム)
   →阪神淡路大震災の障害対応で、まだ調整中だったにもかかわらず
    本システムが活躍。公衆への安全確保に役立ち、エンジニアとしての
    生き甲斐を感じた瞬間であった。
 ・Linuxクラスターシステム
   →本当に使えるのか?という偏見との戦い。技術雑誌に記事を連載したり、
    テレビでの紹介に出演したりと啓蒙活動をするとともに、ビデオ監視
    サーバーでの実績を積んだ。

これらの経験から、良くも悪くもお客様の評価がエンジニアを育てるとのこと。また、夢や理想を共有し、実現に向けてベクトルを一致化するのが「エンジニアとしてのリーダーの姿」であるとの説明があった。


   
会場風景

1.日時:2022年2月5日(土)

2.場所:ZoomによるWeb会議

3.講師:小林信也氏(電気・電子)、熊坂 治氏(経営工学、総合技術監理)

4.出席者(敬称略): 小林信也、熊坂、村田、山本哲、寺垣、本間、黒澤、外館、平井、澤井、伊藤、中道、金谷、飯島、吉原、三矢、飯島、岸、野田、梶屋、渡辺、福崎、佐藤充、長谷川、石川、大久保、菅野、小林、他計28名

5.事例紹介:講師と事例

(1)小林信也氏

     小林信也氏ビデオ動画

小林氏は電気電子部門の技術士で1958年生まれの63歳。2021年8月に会社を退職し現在求職中。
1983年に大学院の機械工学専修を修了し、大手電気メーカーに入社。大学院では産業用ロボットを研究していた。当時、ロボットに夢のある時代で、鉄腕アトムのようなロボットを作りたかったそうである。

会社ではレーザープリンターの開発に従事。高速プリンターの研究開発を行っていた。
99年にプリンター部門が関連会社に移り転籍した。会社の環境が変わったことで、それまでは会社の組織を基に仕事をしていたことに気付き、自分一人では仕事ができないことに焦りを感じた。そこで、自身の技術力を示す資格として技術士を取得した。技術者としての自信をなくしかけていたが、技術士を取ったことで自信になった。

2004年にブリンター部門が別の大手メーカーに買収された。しばらくそこで働いたが2011年に仕事がなくなったような状態となり退社。2012年から2021年まで外資系の会社2社で知財管理業務に従事した。

会社の業務で書いた論文などは退社してしまうとネットなどからアクセスすることはとても難しくなる。しかし、出願した特許はすぐに検索して内容を見ることも出来る。これまで221件(1982年?2017年)出願したが、これらはおそらく未来永劫その内容が自分の名前とともに残るので、特許出願は技術者自身の記録としても良いものであると思っている。ただし、いい加減な出願をすると、それも未来永劫残るので注意が必要とのことである。

レーザ(電子写真)プリンタの技術について詳細な説明があった。また、インクジェットプリンタの原理と、レーザプリンタとの違いについての説明があった。レーザプリンタ開発における自身のテーマは中間調再現。中間階調の「むら」をどうやってなくすかの開発が中心で、この技術で初めての特許を取得した。
パターン認識による斜めの線をスムースにする技術で2番目の特許を取得。この特許が最も会社に貢献した。

その後、外資企業で知財管理業務を行った際の印象として、日本での特許の価値は、自社の製品にどう役立つか、というのが主眼となる。しかし、外国、特にアメリカでは他社でその特許の技術を使いたいと思うか、ということが主眼となる。(他社が使いたいと思わない技術を特許で独占しても意味がないため。)このため、その技術が今後どのように発展応用されていくかがシビアに問われる。特許は今後、より、そのような方向に向かうであろうとのことであった。

(2)熊坂 治氏

     熊坂 治氏ビデオ動画

熊坂氏は経営工学の技術士で、1956年生まれ。技術士、博士、技術経営修士(MOT)の3つを持っている。

1979年に大学の応用物理学科を卒業して大手オーディオメーカーに就職。レーザーディスク黎明期でディスクの製造プロセス開発などを担当。その後、英国、米国駐在も経験。97年に帰国後、DVDディスクの海外技術営業、事業企画などを経てプラズマディスプレイパネルの試作室長に。ところが2008年に自宅のある山梨の事業所が閉鎖。本社で品質工学の社内コンサルティングをしていたが、翌2009年に早期退社制度を利用して退社し独立した。この早期退社制度の発表日と総監の合格日と新規開業技術士支援研究会での発表日がすべて重なり、運命の日であった。

技術士事務所を開設し、会社員時代に作った「ものづくり課題、解決マトリクス」を使った問題解決をコア技術とした。前職の会社との契約、大学の客員教授、セミナー講師など、滑り出しは好調だったが、その後、仕事が増えなかった。

「ものづくり.com」というサイトを作り、専門家を紹介する事業を開始。山梨産業支援創業ファンドから助成を受け、55歳で株式会社を創業した。しかし、なかなか収益化できず。ただし、後で考えると、なかなか収益化できないということは、それが参入障壁となって新規参入がなく、逆にいいビジネスだったと考えているとのこと。

2013年8月、ベンチャーキャピタルから投資を受け、突然ベンチャー企業となった。若い起業家と付き合うこととなり、周りに影響され、外部のプッシュで動くことでビジネスも成長した。従業員も雇用し、サイトの改修なども劇的に早くなった。ベンチャーを目指すなら、キャッシュフローを見ながら増員すべきとのことであった。

ベンチャーキャピタル参入後、「事業のExit(出口)」を強く意識するようになった。ベンチャー企業の出口は3つで、一番は「株式公開」、次は「M&A」、うまくいかないと「精算」となる。(事業休眠は最悪。)最終的に2021年に事業譲渡が完了し、2番目の「M&A」でExitした。

結論として、独立開業する際には、開業の目的は何か?「お金」が欲しいのか、「社会的立場(「先生」と呼ばれるような立場)」が欲しいのか、「自由」(時間、仕事内容、働く場所など)が欲しいのか、を明確にすべき。そして、
 1.自分の幸せを定義する。
    →これが目的。この目的が決まらないと活動の方向が定まらない。
 2.幸せになるための活動を計画、実行する。
    →やってみたら、ちょっと違うな、ということもある。
     そうしたら修正すれば良い。
 3.ある程度実現できたら周囲の幸せのために活動する。
 4.ある程度実現できたら、日本の、世界の、宇宙の幸せのために活動する。
というのが良いのではないかとのことであった。

そして、自身の今後の活動予定として
 ・山梨県内中心の産業支援
 ・次世代教育
 ・企業支援
 ・学会、委員会、研究会、同窓会活動
 ・ヴァンフォーレ甲府のサポート
 ・趣味人としての本領発揮
といった計画の紹介があった。



1.日時:2022年1月8日(土)

2.場所:北トピア106会議室、ZoomによるWeb会議併設

3.講師:三矢 輝章氏(機械):リモート参加、 吉原伊知郎氏(機械)  

4.出席者(敬称略): 村田、井上、山本哲、高堂、根本、本間、保泉、吉原、大久保、菅野、小林、Web参加者:曽我、三矢、白柳、飯島、岸、高橋、野田、南部、梶屋、大島、長谷川、渡辺、中村、計24名

5.事例紹介:講師と事例

(1)三矢 輝章氏

     島田敏幸氏ビデオ動画

三矢氏は機械部門の技術士で現在64歳。現在は会社勤務であるが、本年9月で再雇用も終了となるので独立を意識している。得意分野は熱工学、デジタルプリンティング、Virtual設計である。

1980年に大学を卒業し日立製作所に入社。家庭用ビデオの設計に従事したが、1982年に退職して大学院に入学。1984年に大学院の機械工学専攻を修了し、再度新卒として日立製作所に入社した。

日立製作所ではレーザープリンタの開発に従事。非接触のトナー定着の開発に携わり、1年後には製品化した。今考えると極めて短期間での開発成功であった。その後は超高速ブリンターの開発などに従事。定着技術をほぼ網羅した。

一方、大学教授になりたいという強い想いがあり、その実現のため1997年に博士(工学)を取得。指導教官には「博士取得後一定数の論文を発表すれば、どこかの大学の教授職を紹介する」と言われていたのだが、その先生が急逝されてしまった。一般公募に数多く応募したが採用に至らず、夢破れてしまった。それで技術士を取得した。

また、そのころ、プリンター部門の移管とともに会社を移ることとなり、1995年に日立工機、2004年にリコーに移った。

日立は独創性重視、カスタマイズが得意という会社の特徴があり、リコーは一般化(マニュアル化、ルール化)重視、ロバスト性が得意、という特徴がある。リコーでの新しい取り組みとして、機能設計において、体験価値を本当に向上させる機能を実現する手法を考えた。

また、マネージメントも重要と考え、経営資源の創造的○○を提唱した。他にオープンイノベーション活動としてイスラエルからの技術導入に取り組んだ。学会活動では、日本画像学会で現在、副会長に就いている。大学の講師も中央大学、山口大学など多くの実績がある。

今後の展望では、長年の夢である大学での教育・研究について、設置申請中の大学の教授職に内定しており、夢が叶いそうである。併せて、技術士の資格を活かしてコンサルタント活動も行いたいとのことであった。

ただし、問題点として、コンサルタント実績がない、実績が技術開発に偏っている、クライアント獲得方法を知らない、といった点があり、大学教授とコンサルタントが両立するのか不安であるとのことであった。これに対し質疑応答で、技術士協同組合メンバーでも教授職とコンサルタントを両立しているメンバーがおり、実現は可能であろうとの意見があった。

(2)吉原伊知郎氏
     島田敏幸氏ビデオ動画

吉原氏は独立開業して7年目となる機械部門の技術士である。1976年に大学の化学工学科を卒業し粉体処理装置メーカーに入社。技術担当取締役部長、ヨーロッパ支店長、フェローを経て退任し、2015年に独立開業した。

入社した会社の尊敬できる先輩が技術士で、海外出張に同行した際にフランクフルト駅前のレストランで「吉原君、君は技術士になれ」と言われたことが技術士を取得したきっかけになったそうである。

技術士事務所を運営して6年が経過し、現在の業務としては、技術指導顧問(定期・不定期)を数社のほか、セミナー講師を10回程度/年行っている。このセミナーでは自作の「粉体挙動確認スケルトンモデル」を使い、粉体処理装置内で粉体がどのような挙動となるのかを実演し好評を博しているとのこと。この「粉体挙動確認スケルトンモデル」は吉原氏がオリジナルで開発したもので、各種の粉体処理装置の模型を透明アクリルで作成し、装置動作時の内部状態を観察可能とする(「見える化」する)ことを目的としたものである。この装置を各種セミナーで使っていたところ『化学装置』という雑誌から展示会での展示を誘われたのがきっかけとなり、装置の製作販売の仕事にもつながったそうである。なお、この「粉体挙動確認スケルトンモデル」は商標登録も取得済みとのことである。

独立に際しては会社に勤めながら準備を行った。内容は、
 1.セミナー会社でセミナー講師を務める
 2.専門雑誌への投稿
 3.学会等の幹事役
 4.分科会で見学会や講演会を企画し、人脈構築
 5.他の分科会の講演を聞きに行く
などとのことであった。

独立開業してからの活動では技術士協同組合の森田理事長の著書「独立自営のススメ」にある「森田語録」が大きなヒントになっているとのことで、参考となった語録の紹介と吉原氏の解釈の説明があった。主な語録は次の項目。
 1.自分の専門の「上流側と下流側」を攻めよ
 2.技術士はみんな異なる経験を積んでいる。自分のスタイルを「試行錯誤」してつかめ。
 3.自己否定の原理
 4.マルチクライアントの原理
 5.嫌われることを避けてはいけない。
 6.大局観のない技術者は消えていく。

現在の製造現場において吉原氏が感じている課題は、いかにして現場で働く若い技術者にトラブル対応経験を積ませ、問題解決能力を向上させるかということ。国内設備が減少し、現場でトラブルに遭遇してそれを自力解決する機会が減っている。このため定常運転はできても非定常事態に対応する自信のない若い技術者が増えているとのこと。この対応策として、AIやVRなどの技術を使って現場経験を積ませることができるか、という点にも関心があるとのことであった。

1.日時:2021年12月4日(土)

2.場所:北トピア地下多目的ルームB、ZoomによるWeb会議併設

3.講師:島田敏幸氏(衛生工学)、曽我正美氏(資源工学 )

4.出席者(敬称略): 島田、曽我、村田、井上、吉岡、黒澤、長谷川、山本哲、石川、大久保、菅野、小林、Web参加者:三矢、吉原、飯島、岸、高橋、野田、橋本、川村、大島、山本亮、谷計22名

5.事例紹介:講師と事例

(1)島田敏幸氏
     島田敏幸氏ビデオ動画

島田氏は衛生工学部門の技術士で、1973年に大手建築設計会社に就職。2009年に定年退職し、子会社の役員を経て2012年に独立開業した。
独立して2年ほど経った頃、集合住宅の給排水管などの老朽化更新に関するコンサルタント業務の依頼があった。この仕事を行ってみると、マンション等の給排水管老朽化更新の仕事はたくさんあるもののコンサルタントが居ないことがわかった。マンション等の管理組合の役員は大抵この分野に疎くとても困っていた。実際、最初の仕事が終わった後、口コミで次々と仕事が舞い込んできた。その結果、現在までの7?8年の間に2600戸分ほどを手掛けた。

集合住宅の排水管改修計画について、詳しい説明があった。
1.調査について。実際の各種の劣化現象の紹介とその原因について説明があった。
2.各種改修工法と工法の比較について。工法には更生工法と更新工法がある。
 ・更生工法は既設配管の劣化を補修し継続使用するもの。10年程度しか持たないため、
  10年ごとに行う必要がある。
 ・更新工法は配管を新しいものに取り替える方法。配管の部材は、以前は主に
  海外製のものが使われていたが、最近は日本製の良い材料が出てきているとのこと。
3.給排水管改修工事計画の全体概要について。マンション等に人が居住しながら配管を工事するため、断水やトイレ等が使えなくなることに対する対策が欠かせないとのこと。
4.住戸内排水管、給水管、給湯管改修計画について。マンション等の各住戸内の配管改修は、配管スペースの制約等への考慮が必要とのこと。
5.住戸内給排水管改修工事工程について。工事期間中に水が使えなくなることに対する対応方法などについて説明があった。

これらの給排水管改修計画の調査、工法決定、業者選定、工事計画などのコンサルタント業務を管理組合・住民の立場に立って行っているとのことであった。

(1)曽我正美氏
     曽我正美氏ビデオ動画

曽我氏は資源工学部門の技術士で、1972年に石油会社に就職。最初に排水処理技術を学んだ。その成果として、1975年に製油所の年間10万トンの排水を止めるということを実現した。
その後、車のオイルの開発に従事。寒冷地の冬場でも暖機運転をしなくて良いようにするため、1979年に車用の流動性の高いギアオイルを開発した。
車のガソリンの開発にも従事。ガソリンの性能についての説明があった。自身は1989年にGP-1プラスというガソリンの開発を行った。
その後はガソリン、軽油の価格決定に関連し、軽油の国内最大手販売店との価格交渉も担当。深夜に及ぶような価格交渉を何度も経験したとのこと。
そして、アジア向け原油がなぜ高いのかという研究に従事。これらの経験を踏まえ、最終的には日本に超巨大地震が起きて製油所の40パーセントが稼働できなくなっても石油等が不足しないような対応をしたいとのことである。

石油製品需要の見通しについて説明があった。EV自動車の影響で軽油は減っていくであろうとのこと。一方、ナフサの需要が大きくなると予想されているとのことである。
製油所の今後10?20年の投資については、石化シフトと製油所・製品のCO2削減への対応が必須になるとの説明があった。
日本の製油所の運営はますます難しくなっているとの説明があった。さらに、日本は超巨大地震という特殊性を考慮する必要があるとのことで、その対応策の説明があった。

1.日時:2021年11月6日(土)

2.場所:北とぴあ806会議室、ZoomによるWeb会議併設

3.講師:村田雅尚氏(電気電子)、渡部利範氏(電気電子)

4.出席者(敬称略): 村田、渡部、井上、梶谷、吉岡、大久保、菅野、小林、Web参加者:吉原、飯島、岸、押見、高橋、野田、上野、中村、芦ヶ原、計17名

5.事例紹介:講師と事例

(1)村田雅尚氏
     村田雅尚氏ビデオ動画

村田氏は電気電子部門の技術士で、1961年生まれ。先月還暦を迎えた。大学の理工学部電気工学科を卒業後、1984年に大手光学機器メーカーに就職。1994年に技術士登録をし、本年7月に技術士事務所を開設して独立開業した。30年前「Tech-Being」という雑誌の匿名のキャリア診断記事に「40歳で独立」と書いたが、そこから20年遅れて独立を果たした。

これまでの人生で「ルビコン川を渡る」(後戻りできない決断をする)経験が3度あり、それは
 ・技術士の資格を取ったとき
 ・社内で製品開発の仕事からグループ会社全体の企画開発の仕事に希望を出して移ったとき
 ・独立開業したとき
であったとのことである。

会社員時代、80年代から90年代の間は、日本は強いデバイスを持っており、電子部品の小型化、LSI化で次々に新しい商品を実現した。大変であったが面白い時期であった。しかし、当時から戦略的には諸外国に負けているのではないかと感じていたそうである。その考えから企画開発の仕事を希望し、技術マネージメントで優位に立てないかと考えていたそうである。
その体験を元に「若い人には海外の経験を」という説明があった。欧米の文化、精神、仕事の仕方、考え方を知ることは成長の糧になるとのことである。
また、特許取得についての説明があり、特許を取ることは技術者としての証になるとのことであった。

会社で主に携わってきた医療機器産業についての説明があった。医療機器産業は世界で35兆円規模。半分がアメリカで日本は全体の10%程度で中国市場がここ数年延びているとのことである。
日本は輸入が輸出より大きく、輸出は5年で1.6倍の伸びで1兆円規模であるのに対し、輸出は5年で1.9倍伸びて2.7兆円規模になっているそうである。

技術とお金に関する説明があり、技術士の仕事は「MBAレベル」であるとの解説があった。MBA取得者はシミュレーションで失敗の原因やその対策に関する考え方を学び、鍛えられたプレゼン力でそれを説明するが、技術士なら実際の体験でそれらを語ることができるとのことであった。

戦略とは何かという説明があり、不変のミッション、ビジョンに対し、その実現のため環境変化に合わせて戦略を再構築していくものとの説明があった。目標達成にはリソース管理が大切とのことである。

最後に、技術と倫理について技術士会の会報「技術士」21年11月号の巻頭言の紹介があり、昨今の社会風潮に対する疑問が呈された。

(2)渡部利範氏
     渡部利範氏ビデオ動画

渡部氏は電気電子部門の技術士で、中堅複写機メーカーを経て1982年に31歳で大手複写機メーカーに入社。品質本部で製品安全性、PLなどを専門としてきた。2007年8月に早期退職、2008年に58歳で(株)テクノクオリティを設立して独立した。この独立に際し、技術士協同組合の独立セミナー、新規開業技術士支援研究会が大変役に立ったそうである。

独立しての仕事はお客様の信頼が大切で、信条は「信頼の輪」であるとのこと。約束を守り感謝の気持ちを持って仕事をして信頼を得れば、困ったときには逆に助けてもらえるとのこと。仕事の確保と継続の鍵は「徳、引き、運」であり、独立する場合、技術と経験があっても紹介がないと仕事が来ない、との説明があった。

技術的にはぶれない専門分野の確立が必要とのこと。渡部氏は「ローテク」に的を絞り、基盤産業(長寿命企業)をターゲットとした。また、独立後は自分の立ち位置を変えたとのこと。すなわち、自分は「完成品メーカー」にいたのでその立場の気持ちは良くわかる。そこで、完成品メーカーに部品を納める「部品メーカー」の顧問になって納入先がどんなことを希望しているかを考えながら仕事をすることにしたとのこと。立ち位置を変えるというやり方は、この「新規開業技術士支援研究会」での森田理事長の言葉からヒントを得たそうである。

顧問先企業での故障解析の仕事についての説明があった。最終的に顧問先企業の売り上げ向上に貢献する仕事となったとのことである。

独立して仕事を続けるためには、心身共に健康であることが必要。健康維持のために休日に早朝体操へ参加しており、その様子の紹介があった。開業して14年、心身の健康が一番大切とのことである。

これからの夢として、80歳以降は、家族で学校を開きたい、とのこと。人生100年となり、サラリーマン人生とその後の人生は同じ長さがあるので、60歳までを第一の人生、80歳までを第二の人生、80歳からが第三の人生と考えて、80歳以降の夢は家族企業の「渡部商店」として、蓄積した技術などを教える学校を作りたいとのこと。そのために自分の技術をビデオにまとめておきたい、といった構想の紹介があった。
 渡部利範氏ビデオ動画


1.日時:2021年10月2日(土)

2.場所:北とぴあ807会議室、ZoomによるWeb会議併設

3.講師:高橋俊晴氏(原子力・放射線部門)、西山 毅氏(化学)

4.出席者(敬称略):押見、高橋、山本哲、白柳、保泉、大久保、菅野、小林、Web参加者:橋本、尾崎、松井、寺垣、三矢、飯島、芦ヶ原、梶谷、吉原、澤井、平田、岸、渡辺、野田、22名

5.事例紹介:講師と事例

(1)高橋俊晴氏
     高橋俊晴氏ビデオ動画

高橋氏は本年2021年1月に会社を退社し3月に開業した原子力・放射線部門の技術士である。なお、原子力・放射線部門は専門分野に原子力と放射線があるが、高橋氏の専門は放射線である。

1979年に大学の理学部化学科を卒業。臨床検査技士として病院に勤務した後、1993年に臨床検査会社へ就職し、環境と安全に関する業務に28年間従事した。特に放射線取扱主任者として放射性同位元素の利用と管理が主な業務であった

最近のトピックスとして、東京オリンピックのドーピング検査についての説明があった。以前勤めていた会社がアンチドーピング機構に認められた検査機関となっており、指定の検査エリアで放射性同位元素を使った検査を行う必要が生じたが、そこには放射線を扱う施設がなかったとのこと。対応策を提案し、ドーピング検査の規定を満たしつつ安全に検査を行うことができ、結果として東京オリンピックに技術士として貢献できた。

東日本大震災に関する福島の復興支援活動について説明があった。福島の復興支援活動として、内部・外部被曝測定、放射線教育などの活動を行ってきたとのこと。この復興支援業務を通じて、地元住民との信頼関係を築くこと、相手を尊敬すること、聞くこと・対話すること、共同で事実を発見することなど数多くを学んだとのこと。また「安全の説明」は被災者の心理では「危険の説明」になることなどに気づいたそうである。

技術士開業のための基本方針として、「細く長くエイジレス」「複線化」「雇用形態にこだわらず多様な雇用ポートフォリオ」「やりがい・出世から自律へ」などについて説明があった。また、離職後の活動として、失業保険について、青色申告についてなどの実例が紹介された。技術士事務所開業後の取り組みのうち、非常勤業務への応募や地元自治体の開業支援金の応募について、ホームページの作成について説明があった。ホームページから直接仕事は来ないが、信用を得るために必要であり、会社のパンフレットにもなるとのことであった。

現在・今後の活動として、クライアントとなり得る会社のリストを作って売り込みを行っているとのこと。他に、Zoomを用いた放射線取扱主任者試験講習なども行っていきたいそうである。そして「技術士は生涯現役」との説明があった。

(2)西山 毅氏
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西山氏は化学部門の技術士で1968年生まれ。大学の理学部化学学科を1992年に卒業し鉄鋼会社に入社。現在も会社員である。

会社では、最初の10年は、新規事業の研究開発(NOx除去触媒、衛生材製造)に従事。中間の10年は、官公庁向け営業(企画持ち込み)を経験。現在までの最後の10年は、特殊廃棄物処理設備の操業などを担当しているとのこと。また、弁理士を目指して受験中で短答試験は合格済み。論文試験の結果待ちとのことである。

今後の人生計画として、これから子供を授かって、その子供が成人するには80歳まで現役である必要があり、技術士として独立して仕事をしていく必要があるとのこと。その際の強みは、次のように分析している。
(1)深さより幅がある。
  R&Dから現場管理までの経験、専門以外の生物工学や応用理学の経験、
  海外赴任6年、営業経験10年の経験、そして、現場での経験から
  現場の人の感覚の凄さをわかっていること。
(2)知財全般についての知識。
(3)10人くらいのチームでこれから起こる未来を予測し、作戦を立てることが大好き。
(4)黒子に徹することに喜びを感じる。

独立開業した際の業務スタイルとモットーは次のように考えているそうである。
・業務スタイル
  化学を中心とした技術及び知財の知識により、逆境の中がんばっている
  小規模な企業が経済的に成功できるように裏方としてフォローしたい。
・モットー
  善因善果。すなわち、良い行いをしていると感じる方を裏方からフォロー
  することにより経済的な成功に導き、その結果、自分も経済的に成功する。

興味がある未来社会として、
 1.アンモニア社会
  ブルーアンモニア製造等では触媒が使えることなど。
 2.超高齢化社会
  がんばっているバラアスリートの方々への共感。
  バイオセンサー機能を医療に使えないか、など。
の説明があった。


1.日時:2021年9月4日(土)

2.場所:ZoomによるWeb会議

3.講師:鈴木孝氏(化学)、白柳春信氏(原子力)

4.出席者(敬称略):押見、高橋、山本哲、白柳、尾崎、松井、中石、徳田、寺垣、三矢、飯島、村田、金谷、岸、渡辺、野田、大久保、菅野、小林、Web参加者28名

5.事例紹介:講師と事例

(1)鈴木孝氏
     鈴木孝氏ビデオ動画

鈴木氏は2019年に独立開業した、42歳の化学部門の技術士である。
2004年に大学院の有機化学専攻を修了、化学会社に入社した。2011年の東日本大震災で工場が被災。工場移転のプロジェクトリーダーとなり、そのまま工場長に就任した。

2019年に技術士に合格。同年3月に同じ年齢の技術士が講師を務める技術士開業セミナーに参加。その講師の活躍ぶりが輝いて見え、触発されて開業へ進んだ。

開業後のマネタイズであるが、独立するというのは自分で事業を興してお金を稼ぐということ。したがって事業計画書を書くのが良いと思っている。何を、誰に、どのように売るのか、を事業計画書にまとめておく必要があるとのこと。
そして、ビジネスの鉄則は多角化。現時点では、コンサル業、講師業、自分の技術を基にした技術士とは違うビジネスの3本立ての業務にしている。また、それぞれの業務もさらに3つの内容に分けて、多角化を図っているそうである。

そして、ほんのわずかずつでも良いので、複数の収入源を確保すべきとのこと。ちょろちょろと「石清水」のような収入でも多く集まれば大河になる、との説明があった。また、たとえ月2万円であってもコンスタントな収入があると、精神的にとても楽になるそうである。

現在の業務の紹介で、セミナー講師についての事例紹介があった。多くの技術士が取り組む業務でお薦めであるが、これだけに依存するのは危険とのことであった。
また、スポットコンサルタント業務について、1年目の技術士が腕試しに取り組むのに最適とのことであった。ただ、これも長年続ける業務ではないとのことである。

開業してやるべきことは、とにかく仲間作り。応援と助け合いに仲間は必須。一方、県や国の専門家登録はお奨めしない(むしろ、やってはいけない)とのこと。

ほかに、直感は超重要で嫌いな顔の人とは付き合わない方が良いこと、とにかく自ら行動することなどの説明があった。そして、焦らず、力を抜くことが必要とのことであった。


(2)白柳春信氏
     白柳春信氏ビデオ動画

白柳氏は原子力・放射線部門の技術士で1955年生まれ。1981年に大学院の理学部応用物理学科を修了し、電力会社へ入社。原子力発電関連の部署を中心に2014年まで在籍した。

会社では原子力発電部門内の数多くの部署を経験。典型的なゼネラリストのキャリアを歩んだ。大規模組織のマネジメント経験も豊富で、福島第二原子力発電所の技術部長や福島第一原子力発電所の副所長をしていたこともある。なお、東日本大震災の時は原子力発電の世界組織の事務局長をしており、原子力発電所の仕事に直接は携わっていなかったそうである。

原子力発電について、まず、原子力の物理的な側面からの解説があった。放射線は浴びる量が多いと有害であるが、目に見えず、体感もできないため少量でも避けたいという心理が働き、不安を感じさせる要素となっている。また、歴史的経緯もあって不安視されやすいことなどの説明があった。

一方、エネルギー源としての原子力についての解説があった。日本のエネルギーは90パーセント近くを輸入に頼っているが、化石燃料等の供給安定性は国際情勢に敏感であるとのこと。原子力発電は、原子炉に燃料を装荷すれば5年程度は使用でき、備蓄燃料の役割も果たすとの説明があった。
また、ウランの利用率も高速増殖炉を使えば60倍以上になるとのことであった。ただし、今ある高速増殖炉は廃炉が決まっている。

エネルギーコストの比較では、太陽光発電の発電端コストは原子力よりも安くなったが、単独での電力安定供給ができないため、他の電源と組み合わせた場合のコストは、まだ、太陽光発電が一番高いそうである。
原子力発電はほとんどが設備費で燃料費はほぼ0と見なせるとのこと。したがって、できるだけ一定出力の運転を長時間続けることで発電コストが下がる仕組みとのことであった。

原子力発電の安全管理の考え方についても説明があった。特徴的なのは、原子力発電では設備を作ったメーカーなどではなく、使用者、運転者(電力会社)が安全管理の全責任を負っていること。これは、原子力発電所の中でも徹底していて、運転部門が補修部門などに安全管理上の指示を出すことになっているそうである。(ちなみに、火力発電所などでは運転部門と補修部門は対等であり、原子力発電所とは違う関係になっているそうである。)この安全管理の考え方は、世界中の原子力産業の規律となっているとのことであった。


1.日時:2021年8月7日(土)

2.場所:ZoomによるWeb会議

3.講師:長野整氏(機械)、押見匡貢氏(電気電子)

4.出席者(敬称略):長野、押見、高堂、高橋、山本哲、白柳、尾崎、白子、植村、松井、高畑、谷、平田、金谷、岸、渡辺、野田、大久保、菅野、小林、Web参加者27名

5.事例紹介:講師と事例


(1)長野整氏(機械)




長野氏は2020年に会社を退社し2021年8月に合同会社を立ち上げた機械部門の技術士である。
1984年に大学院の機械工学専攻を修了し大手ガラスメーカーに入社。入社当時は工場設備の保全と設備改善を担当。1991年頃からは新プロセス設備の設計から設置に携わり、その後、工場建設などにも従事し、工場長も務めた。
また、台湾のプラント建設なども経験した。
独立するにあたり、1つの会社だけでなく他の会社も経験した方が良いであろうと考え、2019年5月にガラスメーカーを退職後、大手工作機械メーカーに入社。設備改善などを手掛けた後2020年3月に退社。
これまでの業務経験をまとめ、「システム安全」に関する論文を大学にて執筆。論文をまとめたのち2021年8月に合同会社を立ち上げた。

現在の対応可能な業務は
 ・設備開発、設計とプロジェクト管理
 ・工場の安全管理
 ・工場のコストダウン・効率的運営
 ・技術者の養成
とのこと。
そして、現在の日本の企業の抱える技術、設備に対する課題は、
「自社の課題を正しく捉えていない(特に中堅・中小企業)」ことで、
 ・なんとなく、他社もやっているので自動化、ロボット導入
 ・技術になっていない。技能のまま(技能と技術の区別が出来ていない)
 ・恐らく、適切な更新投資、最新技術導入が出来ていない
    →ある時期から投資をケチりだした
と分析しているとの説明があった。

現在、顧客開拓のため、顧問紹介会社、転職会社登録数社へ登録しているとのこと。そこでセミナー講師等を勧められたが、ゼネラリスト的な経歴を積んできたのでセミナーなどでもテーマが絞りきれない、顧客へのアピールが難しい、と感じているそうである。
また、これらの紹介会社は失注時の連絡が来ないのも問題とのことである。

これまでの業務のうち、論文にもまとめた「システム安全と本質的安全設計論」について説明があった。
 ・システム安全とは何か
 ・システム安全と従来の安全活動との違い
 ・本質的安全設計を考慮した設備設計の流れ(機構が本質的に持つ危険源の評価、
  本質的安全も含めた要求仕様の評価表の作成)
などについて詳細な説明があった。

発表後の質疑応答で、顧問紹介会社等と付き合う場合の注意、セミナー等の開き方のノウハウなどについて出席者から意見・提案があった。


(2)押見匡貢氏(電気電子)



押見氏は電気電子部門の技術士で1977年生まれ。現在コンピュータ機器のメーカーでLSIの設計業務に従事している。
1999年に大学の電子情報工学科を卒業し、現在勤務しているコンピュータ機器メーカーに入社した。入社当時はHDD(ハードディスク)を用いたコンピュータの記憶装置に関する設計を担当。入社3年目からLSIの論理設計、検証、評価を担当し現在に至っている。

すぐに独立を考えているわけでは無いが、定年後に独立して働きたいと考えているとのこと。その際、現時点で想定している業務の「柱」は、
 柱1 セミナー講師
 柱2 企業との顧問契約
 柱3 企業への技術支援
 柱4 技術士試験の講師
とのことである。

LSIの設計、特にLSI設計の効率化について説明があった。
以前は回路図をCADで描いてLSIチップに実装していた。しかし、ゲート数(回路規模)が膨大となった現在ではその手法では時間と手間がかかりすぎるため、より抽象度の高い、高級な言語(ソフトウエア)を使ってLSIを設計しているとのこと。これにより、上流設計、検証とも短時間で行うことができるようになったそうである。

資料を用いて、以下の項目について詳細な説明があった。
 ・LSIとは何か
 ・LSI設計手法について
   最近の設計手法
   手法のひとつであるRTLの説明
 ・LSI開発の現状
 ・ESL言語について
 ・SystemCのメリット
   抽象度を高めた上流設計
   抽象度の高い検証
 ・SystemCのデメリット
 ・SystemCのコーディングについて

質疑応答では、最近のLSI、半導体の微細化に関する動向などについて質問や議論があった。

1.日時:2021年7月3日(土)
2.場所:北トピア807会議室、Web会議併用
3.講師:井上義之氏(衛生工学)、高堂彰二氏(上下水道)
4.出席者(敬称略):井上、高堂、高橋、山本哲、山本光一、大屋、白柳、保泉、大久保、菅野、小林、Web参加者14名(全25名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)井上義之氏(衛生工学)
     井上義之氏ビデオ動画
井上氏は衛生工学部門の技術士で1961年生まれ。1985年に大学の環境化学工学科を卒業し、空調設備の設計等を行う熱学会社に入社。2020年より同社関連の空調機器メーカーに出向中である。公害、環境の問題に取り組みたくて大学に入り、環境の仕事をする会社に入社したそうである。

2022年に技術士として独立開業予定。35年間会社員として環境の仕事に取り組んだので、2020年を折り返し地点と考え2055年93歳まで現役の予定とのことである。
2002年に技術士登録。会社では海外の仕事が長かったが、海外ではPEを持っていないと仕事上不利であったため技術士を取得したそうである。技術士の立場で海外現地法人の経営に携わることが出来たのは大変良かったとのことである。

衛生工学部門の「空気調和設備」とは何かについての説明があった。シンガポールではクリーンルーム、中東では熱源設備などの担当を経験したが、これらも空気調和に関連する設備となるそうである。また、省エネシステム(電気・熱の有効利用)なども対象とのこと。これまでの経験から技術コンサルタントとしての問題解決領域は広いと考えているそうである。

今後、業務を進める上での「自己分析と反省」が語られた。
反省点は、希望的観測で開発を進めて頓挫し、関係者に多大な迷惑をかけたことが多数あること。アイディアはいくらでも出るが、それがすべて実現できるとは限らない。そのことを今後は顧客等に十分に伝える必要があると考えているとのことである。

性格的に、コンサルタントの適性はあるが専門職PEの適性は無いと考えているとのこと。したがって、独立後は技術コンサルタントとして「問題解決能力」「仕事を作る能力」を発揮したいそうである。これまでの経験を活かし、日本とシンガポールをベースに活動予定とのことである。

事例紹介として、業務用大型空気清浄機の開発(コロナ対策のためにHEPAフィルターを用いたもの)、長岡技術科学大学(国連が定めるSDGs9の唯一のハブ大学となっている。)の客員教授としてアジア各国との交換留学や技術交流に関する仕事について紹介があった。

(2)高堂彰二氏(上下水道)
     高堂彰二氏ビデオ動画
高堂氏は上下水道部門の技術士で1957年生まれ。大学の土木工学科を1981年に卒業し水道等のコンサルタントを行う会社に入社。2003年、45歳で独立開業した。

これまで数多くの本を執筆してきた経験の紹介があった。
執筆のきっかけは「技術士 独立・自営のススメ」という本。新規開業技術士支援研究会に参加していたメンバーで企画して執筆した。理事長の森田さんがWebに書きためたエッセイの内容が良いという編集者の判断でそれが中心の本となった。

NPO法人地域と行政を支える技術フォーラムのメンバーで執筆をした「技術には専門の監査が必要だ」という本を作った際、日刊工業新聞社の書籍編集部長と出会った。その縁により、その後、執筆が広がった。

その後日刊工業新聞社の本は、
 技術士受験対策本「上下水道部門 二次試験」
 「トコトン」シリーズ
  「トコトンやさしい水道の本」(2011年11月)
  「トコトンやさしい下水道の本」(2012年10月)
  「トコトンやさしい水道管の本」(2017年7月)
などを執筆。「トコトンやさしい水道の本」を出版したおかげで水道の専門家として様々なテレビ番組に出演(「たけしのニッポンのミカタ!」(テレビ東京)、「この差って何ですか?」(TBSテレビ)、「ひるおび」(TBSテレビ)、「シュシュ(chouchou)」(テレビ朝日))するなど思わぬ仕事が舞い込んだ。

他に、「水はどこから来るのか」(PHP研究所)の監修を行ったり、NPO法人環境技術ネットワーク仲間との執筆(「トコトンやさしい土壌汚染の本」「トコトンやさしい環境汚染の本」)ではSkype(スカイプ)やDropboxを用いて共同執筆をすることも経験した。

本の執筆を通じて、
 ・まず、ためらわずにやることが大切
 ・仕事と仕事の間を埋めることが出来る
 ・自分の本が書店や図書館に並ぶとうれしい
 ・増し刷り等で思わぬお金が入ってくる
 ・人と人との繋がりが大切
 ・初対面の人に最初から信用を得ることができる
 ・思わぬ仕事が舞い込むことも
などの経験の説明があった。

1.日時:2021年6月5日(土)
2.場所:Zoom会合
3.講師:武藤功二氏(電気電子)、鈴木敦男氏(電気電子)
4.出席者(敬称略):武藤、鈴木、金谷、長野、人見、松井、中道、山本哲、山本竜、佐藤和、中村央、黒沼、蓮沼、渡部、小野、窄頭、顧、渡辺国、岸、吉原、谷、白柳、野田、澤井、大久保、菅野、小林(全27名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)武藤功二氏(電気電子)
     武藤功二氏ビデオ動画
武藤氏は1980年に大学の電気工学科を卒業。ビルオートメーションの会社に入社。1991年に日本国際通信(株)(ITJ)に転職。インターネットサービスの立ち上げにも従事し、シリコンバレーに1年駐在も経験。
1998年にNTT国際通信(現NTTコミュニケーションズ)に転職。国際VPNサービス、NTTヨーロッパ駐在を経験した。2013年55歳で役職定年となり、その後、外資系の会社を数社転職、現在は英国のデータセンターサービス会社に所属している。

1990年代から現在までの海底ケーブルの技術の変遷についての解説があった。当時、ケーブルトラブルが度々あり、その際には衛星経由の通信への切替などを行っていた。2011年の東日本大震災や台湾沖地震でも海底ケーブルは大きな被害を受けたそうである。
1990年代当時の伝送速度は560Mbpsであったが、今は60Tbpsにまでなっている。その他、近年のGAFA(巨大IT企業)による海底ケーブル網敷設状況などの紹介もあった。

最近思うこととして、日本のIT競争力の後退についての考察があった。
 ・GAFAの席捲
 ・ITリテラシー不足
 ・英語対応力とマネージメント力不足
 ・発注者側のIT人材、SKILL不足
 ・問題解決能力の低下
 ・なぜなぜの未浸透、原理原則へ戻る習慣の欠如
などが関係しているのではないかとの考察があった。

トラブルシューティングについての手法についての解説があった。NTTコミュニケーションズ時代は「トラブルシューティングのプロ」を自称していた。原理原則から論理立てたトラブル解析が大切。そして、最後は「思い」が大事、とのことであった。

カタール駐在時の経験について紹介があった。カタールは通信インフラがあまりない状態から5Gなど最新のITインフラが一気に普及した状況になっているとのことであった。

(2)鈴木敦男氏(電気電子)
    鈴木敦男氏ビデオ動画
鈴木氏は電気電子部門の技術士で、30歳台前半に技術士を取得し独立を目指したが、当時は経験等から難しいだろうと助言されて一旦見送った。現在48歳となり職歴・経験も積み再度独立を目指している。今は、所属している大手電気会社に副業申請をして技術士事務所を開設している。

専門は「データセンター」であり、主な業務経歴の紹介があった。現在の会社へも大型データセンター設計経験を活かして転職した。データセンター建設のほか、データセンターの発注者支援の業務も行っている。

データセンターの専門家として、建物からデータセンター内設備全般をカバーし、その運用や、老朽化した設備の診断や改修計画までカバーしているとのことである。

データセンター技術の紹介があった。ミッションクリティカルなシステムで、いかに可用性、信頼性を保てるかというところにノウハウがある。経験の少ない技術者が設計すると、可用性や保守性に乏しいシステムになることが多い。
非常用電源や空調、耐震免震などのほか、セキュリティなどにもノウハウがある。さらに、サーバー機器等の並べ方など細かなノウハウも必要。また、省エネ対策も必要で、これらがコンサルティングのポイントになるとのことである。また、新規開拓したい分野として、グリーン電力があるとの説明があった。

独立自営に要する税務、契約、会社法に関する検討状況の説明があった。将来的には法人化も考えているとのことである。

心がけたいこととして、「アリの目で詳細まで気を配り、タカの目で全体最適を」。専門分野の第一人者として最新潮流に精通していること、全体最適のためにシェア・強み・弱みなどを意識して、商売としての付加価値を意識したいとのことであった。

2021年春 新規開業技術士支援研究会の独立開業セミナー

1.日時 2021年5月22日(土) 9:30〜17:00 (懇親会 17:00〜18:00)
2.会場 Web会議
3.内容 定年前、定年後に独立開業するためのノウハウ・独立事例の紹介、及び講師も参加する少人数
グループでのディスカッションと個別カウンセリング
4.参加者 講師:7名、受講生:8名

1.日時:2021年5月1日(土)
2.場所:Zoom会合
3.講師:梶屋伸之氏(電気電子部門)、加藤秀昭氏(機械部門)
4.出席者(敬称略):渡辺国、岸、芦が原、吉原、加藤、谷、石川、梶屋、白柳、野田、押見、松井、澤井、平尾、大久保、菅野、尾崎、小林(全18名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)梶屋伸之氏(電気電子部門)
     梶屋伸之氏ビデオ動画

梶屋氏は電気電子部門の技術士で、今年1月に60歳で電気メーカーを定年退職した。現在は、資格(第2種電気主任技術者)を活かし、ビルメンテナンス会社の契約社員として働いている。

会社では、1979年の入社から25年間、原子力機器の生産技術部門を経験した。特に配管関係が専門で、配管の曲げ加工の技術から始まり、海外の原子力発電所の機器、配管製作指導のため現地に赴いたこともある。当時「配管を制するものは原子力を制する」と言われていた時代だったとのことである。

80年代の原子力全盛時代に原子力に関わり、原子力の危なさも実感しつつ2005年に原子力の仕事から離れた。その後に起きた福島第一原発事故に関し、政府事故調の委員長であった畑村洋太郎氏(「失敗学」の提唱者)の「小さな事故を起こさないために神経を集中させていたが、一旦事故が起こった後のことを十分に考えてこなかった」というコメントが紹介された。最近起きた柏崎原発での不正入室の事例を見ても、福島の事故を経験してもなお、不測の事態が起こった後のことを考えない体質は変わっていないと思っているとのことである。

その後、風力発電設備の生産技術部門などを経験したのち、2010年からは直接的な「ものづくり」から離れ、工場の設備を担当。電気主任技術者業務や省エネなどに携わり、工場の大型電気設備の更新などを手掛けたそうである。

定年後の働き方として、生産技術部門での経験、あるいは、技術士や電気主任技術者などの資格によって自らの優位性を活かすことが出来ないかと考えとのこと。しかし、このコロナ禍で、顧客とのマッチングは困難と考え、独立は難しいと判断したとのこと。

座右の銘は「生涯現役」。今後も顧客とのマッチングに向けて、
 「国家資格・業務経験と顧客とのマッチング」のために『資格レベルのアピール』
 「コンサルタント業の顧客マッチング」のために『技術ネタの見える化』
 「顧客マッチングのための人脈作り」のために『紹介してもらえる信用の獲得』
を行っていきたいとのことであった。

(2)加藤秀昭氏(機械部門)
     加藤秀昭氏ビデオ動画

加藤氏は2017年に独立開業した機械部門の技術士である。1984年に大学の物理学科を卒業し、プラスチック成形加工会社に入社。技術士を2011年に取得し、2017年に会社を辞めて独立開業した。

勤めていた会社はプラスチックの精密射出成形を得意とし、高精度な大量生産技術で付加価値の高い製品を生産していた。入社してからしばらくは液晶用のバックライトの開発・量産・事業化に従事。伸び盛りの分野に早い時期から関われたので、社会人としてとても良い経験をしたそうである。

その後、研究所にて精密成形の金型、成形技術の研究開発に従事。40歳になった頃からは、管理職として研究所の統括責任者と、事業責任者に交互に就いていた。管理職としてはその後、利益の見込めない子会社の廃業・リストラも経験。さらに、廃業した子会社を親会社に吸収した後、その残った事業部でテレビ用途のLED用照明レンズを開発して事業化を果たし、世界市場占有率60〜80%を占めるまでに成長させた。

50歳を過ぎて、事業計画、予算計画、予算獲得が主な仕事となり技術から離れたため技術士として独立を決め、2017年3月末に退社して独立。同年10月に開業した。

開業当時、「自分の商品価値が分からない」「自分の何に顧客がお金を支払ってくれるのかが分からない」ということが課題だったとのこと。そのため、色々な仕事を受ける、ということを行った。安くても営業活動として件数を受ける。多くの仕事を受けてみることで、当初は自分では分かっていなかったが、こういう仕事、ニーズがある、ということが分かって来たそうである。

独立して会社のしばりがなくなったことで、かえって人間関係が広がったとのこと。また、無駄な時間が減ったと感じている。会社的な会議(経営会議、予算会議、品質会議など)で1/3位の時間を取られていたことが良くわかった。

最近はコロナの影響でコンサルタント仕事は休止になっている。そのかわり、大学の研究員として週2回働いているのと、雑誌等の執筆が増えた。また、セミナーの仕事はオンラインに移行しているとのことである。コロナ後には今の大学の仕事などを終わらせて、次の仕事にかかりたいとのことである。

独立して後悔はなく、楽しく仕事をしている。大変なのは会社員を続けても辞めても同じ。ただ、独立するなら体力、気力のあるうちが良い。60〜65歳になって定年で辞めたのでは今のような活動は出来なかっただろうと思っているそうである。

1.日時:2021年4月3日(土)
2.場所:北トピア802A室
3.講師:澤井清人氏(建設)、阿部 修一氏(電気電子)
4.出席者(敬称略):澤井、阿部、保泉、黒澤、高橋、平田、川村、吉原、橋本、白柳、大久保、菅野、森田、小林(全14名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)澤井清人氏(建設)
    澤井清人氏ビデオ動画
澤井氏は建設部門の技術士で現在さく井工事(井戸などを掘る工事)や地質調査などの専門会社に勤務している。これまで一貫して地質に関する仕事に携わってきた「土、地盤」関係の専門家である。
1991年に大学卒業後、建設コンサルタント会社に入社。軟弱地盤上の盛土構築のための地質調査立案、軟弱地盤解析、設計などに従事。この仕事が現在まで最も得意な分野とのことである。
ほかに、火力発電所の設計などにも携わったとのこと。そして、アルジェリアの高速道路工事の仕事で現地赴任もした。

このアルジェリアへの赴任中、ビザ期限の関係で何度か日本と現地を往復していた。あるとき、またビザの期限が迫ってきたので日本の所属会社に連絡したところ、突然連絡が途絶えてしまった。ビザ期限が切れるため帰国したところ、所属会社が消滅してしまっていたそうである。
突然の失職に戸惑ったが技術士を目指していたこともあり埼玉県技術士会(現日本技術士会埼玉県支部)の事務手伝いを行いつつ準備をして技術士を取得した。

2011年に建設コンサルタント会社に再就職。発注者支援業務の監理技術者、下水道台帳システムなどを担当。さらに2016年に現在の会社に再々就職。ボーリング調査業務などを担当している。

アルジェリアでの業務について説明があった。「アルジェリア東西高速道路工事」は工区ごとに複数の国が建設を担当。日本の工区は約400km。澤井氏はこのうち「アンナバ」という都市付近の約120km分の設計を担当したそうである。
具体的な業務は切土、盛土の安定検討。解析ソフトに日本製のソフトを使用する許可を得るのに多大な労力を必要としたとのこと。また、土質係数の求め方がフランス式で、日本の方式が認められず仕事がやり直しになったこと、圧密沈下検討では、先行調査の契約上の問題で、データ数が少ない、手書きFAXのグラフデータしか無いなどの問題があり、大変な苦労と工夫で設計を進めたことなどの説明があった。

(2)阿部 修一氏(電気電子)
    阿部修一氏ビデオ動画

阿部氏は電気電子部門の技術士で昨年、2020年11月に独立開業した。
事務所は自宅に構え、名前は「阿部計装技術士事務所」とした。「計装」と入れたことで自分の専門が相手にすぐ伝わり、名刺交換をしたあるメーカー担当者にも「計装の専門家」とすぐに分かってもらえたことがあるそうである。

大学卒業後、1994年に計装会社に入社。核燃料サイクル関連施設の計装工事の設計施工管理、検査などを担当。2004年に系列のコンピュータソフトウエア会社に異動となり、製薬会社へ常駐して工場の計装関係の設計から保守、PLCプログラム開発などを行っていたとのことである。

独立の目的は「26年携わってきた計装技術の素晴らしさ、これを世の中の発展のために広げ、そして、その技術を次の世代に継承していきたい。」という思いから。技術士は「生涯現役」であるので会社員でいるよりも自らの思いを実現できると考えているそうである。

事業の中心は「計装技術コンサルタント」と「医薬品コンピューター化システムバリデーション(CSV)実践指導」とのこと。計装技術、CSVについて説明があった。どちらも設備導入後の「運用」を考慮することが大切。16年間の工場常駐経験から実際の「運用」を熟知していることも阿部氏の「売り」とのことである。

現在は、これまで所属していた会社との委託契約により技術指導・サポート・提案などを行っている。ほかに、製薬会社との調査業務、コンサル契約、セミナー講師、これまでつきあいのあった設備工事会社との業務、また、地元の茨城鹿行地区業者との連携なども行っていきたいとのことであった。

1.日時:2020年12月5日(土)
2.場所:北トピア808室
3.講師:石川 弘毅氏(建設部門)、木戸 ゆかり氏(理学博士,応用理学)
4.出席者(敬称略):石川、木戸、澤井、今井、川村、飯島、保泉、武藤、吉原、橋本、白柳、大久保、菅野、森田、小林(全15名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)石川 弘毅氏(建設部門)
   石川 弘毅氏ビデオ動画

澤井氏は建設部門の技術士で現在さく井工事(井戸などを掘る工事)や地質調査などの専門会社に勤務している。これまで一貫して地質に関する仕事に携わってきた「土、地盤」関係の専門家である。 1991年に大学卒業後、建設コンサルタント会社に入社。軟弱地盤上の盛土構築のための地質調査立案、軟弱地盤解析、設計などに従事。この仕事が現在まで最も得意な分野とのことである。 ほかに、火力発電所の設計などにも携わったとのこと。そして、アルジェリアの高速道路工事の仕事で現地赴任もした。 このアルジェリアへの赴任中、ビザ期限の関係で何度か日本と現地を往復していた。あるとき、またビザの期限が迫ってきたので日本の所属会社に連絡したところ、突然連絡が途絶えてしまった。ビザ期限が切れるため帰国したところ、所属会社が消滅してしまっていたそうである。 突然の失職に戸惑ったが技術士を目指していたこともあり埼玉県技術士会(現日本技術士会埼玉県支部)の事務手伝いを行いつつ準備をして技術士を取得した。 2011年に建設コンサルタント会社に再就職。発注者支援業務の監理技術者、下水道台帳システムなどを担当。さらに2016年に現在の会社に再々就職。ボーリング調査業務などを担当している。 アルジェリアでの業務について説明があった。「アルジェリア東西高速道路工事」は工区ごとに複数の国が建設を担当。日本の工区は約400km。澤井氏はこのうち「アンナバ」という都市付近の約120km分の設計を担当したそうである。 具体的な業務は切土、盛土の安定検討。解析ソフトに日本製のソフトを使用する許可を得るのに多大な労力を必要としたとのこと。また、土質係数の求め方がフランス式で、日本の方式が認められず仕事がやり直しになったこと、圧密沈下検討では、先行調査の契約上の問題で、データ数が少ない、手書きFAXのグラフデータしか無いなどの問題があり、大変な苦労と工夫で設計を進めたことなどの説明があった。


(2)木戸 ゆかり氏(理学博士,応用理学)

   木戸 ゆかり氏ビデオ動画

木戸氏は地球物理学が専門の研究者で、現在は海洋研究開発機構(JAMSTEC)に所属し海洋調査に従事している。

JAMSTECが2005年から運用を開始し、木戸氏も乗船している地球深部探査船「ちきゅう」について紹介があった。この船は「海底の地下がどんな構造になっているか」を調べるため、水深数1000mの深海の海底をさらに数1000m掘り進み、そこから試料を掘り出したり、掘った穴に観測装置を設置したりする能力があるとのこと。

海底掘削による研究テーマの1つに地震研究があるとのこと。東日本大震災の後には、東北地方太平洋沖の震源の近くで実際に海底の地下の地層が大きく動いたと推定される地点を掘削し、その痕跡を直接観測することに成功したとのこと。また、南海トラフの海底を掘削し、地震計などの観測装置を設置する活動も行っているそうである。

また、「ちきゅう」の船上には多種の測定装置があるそうで、例えば「古地磁気測定」を行う設備も搭載されている。この設備は「チバニアン」の測定にも寄与したそうである。

その他、海洋調査手法の紹介があった。「しんかい6500」による有人の深海観測についての説明があった。また、新しい観測機器である「ウェーブグライダー」を用いた無人の観測についての説明があった。

なお、木戸氏のお父様は技術士協同組合の組合員でもある技術士の仲佐博裕氏であり、2020年1〜2月に「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗船していたとのこと。新規開業技術士支援研究会に引き続き行われた「インキュベーション研究会」にて、その時の様子の説明があった。
なお、仲佐氏の「体験記」は技術士協同組合ホームページの「シニアのコラム」に2編を掲載中である。

1.日時:2020年11月7日(土)
2.場所:北トピア802A室
3.講師:西村裕司氏(応用理学)、関 貴司氏(建設)
4.出席者(敬称略):西村、関、平井、石川、野田、西山、行川、池田、磯、吉原、橋本、白柳、大久保、菅野、森田、小林(全16名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)西村裕司氏(応用理学)
   西村裕司氏ビデオ動画

西村氏は2019年に独立して会社を創業した応用理学部門の技術士である。京都大学の大学院を修了後、1985年に日立に入社。会社ではHDD(コンピュータに使うハードディスク)の開発やビジネスをリードしてきた。

コンサルタントは「面白い」とのこと。コンサルタントになって良かったことは、
 1.お客様から感謝の言葉をもらえたこと
 2.クライアントを獲得する過程を楽しむ
 3.ニーズが隠れているのを掘り起こす
この3点を楽しんでいるそうである。

起業するに当たって「わたしは何ができるのか」と、これまでの技術を棚卸しした結果、できることは、
 1.製品開発のコンサルタント
 2.プロダクトマネージャー
 3.開発管理職
と分析。このうち「プロダクトマネージャー」は忍耐が必要、「開発管理職」は「あれがやりたいか?」と考え、1の「製品開発のコンサルタント」を行うことにした。

「製品開発のコンサルタント」になるにあたり、株式会社を設立した。これは以前より社長になって「自分の城の主」となることを夢見ていたので、損得勘定よりも夢の実現を優先したとのこと。独立に際しての最大の不安はクライアントの確保であったので、勤務していた会社の先輩で既に退職した方20人くらいに相談した。その結果、その人脈から顧客獲得に繋がったそうである。

実際に会社を設立するに際しての手順についての紹介があった。また、顧客獲得に向けて実践した戦略の紹介があり、その戦略を立てる手段として、SWOT/TOWS分析の説明があった。

今後のチャレンジとしては、
 1.大手以外に中小企業などへの展開
 2.セミナーを通じて「教える・教わる」こと
 3.SNS等の活用
を考えているとのこと。

コンサルティング業務の中心である「リーン生産方式」「リーン製品開発」について解説があった。

最後に、
 1.コンサルタントって面白いです。
 2.お客さんの抱えている問題を見つけてそれを解決する。
 3.提案に対して「いいね」をいただければ最高。
というまとめがあった。


(2)関 貴司氏(建設)
   関 貴司氏ビデオ動画

関氏は建設部門の技術士で、独立して17年になる。個人事業主になって良かった、と思っているそうである。

独立したのは40歳を少し過ぎたときだったそうだが、その際「せめて40歳までに独立しないと成功できないだろう。君は遅すぎる。」と言われたそうである。また「独立するには3件の顧客を獲得し継続死守する努力をしろ。」とアドバイスを受けたとのことであった。

技術者倫理についての見解の説明があった。技術士の問題点として、
 ・個人技の光る業種に技術士が多く存在しない。
 ・大抵、営業がヘタである。
 ・外から見え難いポジションで仕事している。
と感じているそうである。諸外国に比べても技術士が少なく(日本の技術士の数は80,000人程度)、そのほとんどが企業内技術士という状況で技術者としての倫理を全うしていくのは難しいだろうとのことである。

守秘義務についての説明があった。とくに独立して技術士として仕事をしていく上では、技術者倫理とともに、守秘義務について自ら考えて行動することがとても大切とのこと。説明資料ひとつであっても、使い回しなどには慎重さが必要であるとのことである。

技術士の役目として専門的な内容を分かりやすい言葉で正確に伝えるということがある。中央高速道路に架かる橋脚の「手抜き工事」の新聞記事を例に説明があった。

最後に、仕事は会社のためでなく「自分のため」に行うこと、個人事業主になったのだから「遊び」ができないとつまらない、といった考えが披露された。

1.日時:2020年10月3日(土)
2.場所:北トピア807室
3.講師:近藤信竹氏(電気電子)
4.出席者(敬称略):近藤、吉原、橋本、夏原、梶屋、澤井、白柳、大島、渡辺、大久保、菅野、森田、小林(全13名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)近藤信竹氏(電気電子)
   近藤信竹氏ビデオ動画


近藤氏は1942年(S17年)生まれ。会社を定年退職後独立開業した電気電子部門の技術士である。

1962年(S37年)に国立詫間電波高等学校本科を卒業後、船舶会社に入社。国内、海外航路の船に通信士として乗船した。その後、1667年(S42年)に船舶ほかの通信機メーカーに入社。高速道路の料金収受機、コンピュータデータ入力用の紙テープパンチャー、明石大橋工事などを担当。営業も担当した。

50歳くらいになり、会社の業績から定年まで勤めるのは難しいだろうと考え、自分のための勉強を始めて各種資格に挑戦。工事担任者資格(アナログ種、デジタル種、総合種)、第一種電気通信主任技術者、第一級無線技術士などを取得した。1997年(H9年)に役職定年となり、1999年(H11年)に技術士(電気・電子部門、情報通信種目)合格。2002年(H14年)3月に定年退職して、同年4月に「技術士近藤事務所」を開設した。

技術士事務所を開設してすぐに(社)日本工業技術振興協会の会員となり、2004年(H16年)から3年間、同協会の役員を務めた。業務は、地方自治体が補助金を出す先の企業の技術や事業の評価書の作成等が中心。役員を退いた後も会員として技術評価事業、国の補助金事業などを担当した。

2008年(H20年)4月からは、奥様の介護のため技術士事務所の業務を縮小。メール対応のみで可能な事業に限定した。2013年(H25年)頃からはご本人の健康にも変調を来たし、不整脈がひどくなってたびたび失神するようなこともあったそうである。2018年(H30年)10月に奥様が亡くなり、現在は仕事からは一切離れ、悠々自適の一人住まいとのこと。

奥様の介護のお話し、ご自身の健康のお話し、お孫さんの病気のお話しなど、シニアになってからの経験談が披露された。

数年間の奥様の介護生活で足腰がすっかり弱ってしまい、歩くのが苦痛で長距離を歩けなくなってしまったとこと。介護生活を終えてからは室内での体操や荒川でのウォーキングで体を鍛え直し中で、現在は大分回復したそうである。来年にはテントと寝袋を担いで、東北など北の地を放浪できると期待しているとのことであった。

1.日時:2020年9月5日(土)
2.場所:北トピア807室
3.講師:斉藤 孝史氏(電気電子)、橋本良昭氏(建設)
4.出席者(敬称略):斉藤、保泉、野田、吉原、橋本、西山、松本、石川、渡辺、大久保、菅野、森田、小林(全13名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)斉藤 孝史氏(電気電子)
斉藤 孝史氏ビデオ動画

斉藤氏は電気電子部門ほかの技術士で、現在、日本電気に勤務している。
会社でこれまで携わってきた主な業務は、
 1993年〜 ATM(非同期転送モード)方式を中心とする装置設計、トラフィック
 2003年〜 IP-PBX構築SE/施工管理(プロマネ)
 2011年〜 新事業創出と社内「駆込み寺」対応活動
などである。
技術士は2006年に電気電子部門を取得。2007年に総合技術監理部門、2013年に情報工学部門も取得した。その他、情報処理関係の資格も複数取得済みである。

所属している会社の技術士会であるNEC技術士会の会長を2018年10月より務めている。
NEC技術士会は、社内、グループ企業の横断的団体として、技術セミナーなどを開催してグループの技術力の底上げを図るほか、年一回の総会を始めOBと現役の連携、懇親の場にもなっているほか、他の企業内技術士会との交流にも会長として参加することがあるそうである。なお、今年はコロナの影響で総会ができなかったとのことであった。

これまで会社で関わってきた業務の解説があった。「ATM(通信技術)の開発と技術研究」では特許を5件取り論文発表もした。また、技術士取得の際の経験論文のネタもこのときの経験を基にしたそうである。
「IP-PBX構築SE/施工管理」では社内で貴重な監理技術者として活躍したとのこと。「新事業創出と社内「駆込み寺」対応活動」は、お客さんから聞いたニーズと社内のシーズをマッチングさせる業務で、鳥獣被害対策サービスの例の解説があった。

会社で40歳のワークライフバランス研修を受け、人生を日の出から日没に例える話を聞いた。まだ太陽が輝いているうちに何ができるかと考え、経営というものへの興味も出てきて、技術士として独立も思い描いた。ただし、会社という冠なしで仕事が来るか、また、業務上のリスクなど独立に対する不安も大きいとのことである。
さらに独立に際しての障壁として経済面もあり、60歳まで勤めるか、独立起業に向かうか大いに悩むところとのことであった。

(2)橋本良昭氏(建設)
橋本良昭氏ビデオ動画

橋本氏は建設部門の技術士で80歳を過ぎた今でも、施工管理等の仕事のオファーがあるとのことである。

今回はリベット接合技術についての解説があった。
かつて、鉄骨の接合はリベット(かしめ)で行われていた。その例として、エッフェル塔、東京タワー、ゴールデンゲートブリッジ、かちどき橋、戦艦大和、若戸大橋などの例の説明があった。

実際のリベット打ち作業の動画の紹介と解説、そして、リベット打ち作業(かしめ作業)で使われる作業機器の紹介があった。なお、かしめ作業は6人1チームで作業するとのこと。

作業環境は極めて過酷で、その昔、構造物内部での作業では、大量のリベットから発生する熱に耐えられるよう座布団を体にくくりつけて作業をしたが、内部から出てくるとその座布団が煙を上げていることがあり、みんなで水をかけた、といったエピソードが紹介された。その他「カシメ屋あるある」と題して当時の現場でのエピソードの紹介があった。

橋本氏は日本橋の上を走る首都高速の設計にも携わったとのこと。今その場所を見ると、目に付くところは「皿リベット」を使って目立たなくするなどの工夫の跡が見られるとのこと。しかし自分が製作図面を書いたはずなのに、あまり覚えていないそうである。

リベットを打つとリベットの頭の分だけ重くなるし表面積も増える。設計でその増加分の計算をするが大変だった。というのは、膨大なリベットの数を図面から数えるだが、何回カウントしても本数が合わなくなることが良くあったとのこと。間に合わなくなると2回数えた平均を取ったりしていた、などの当時の設計のエピソードが紹介された。

1.日時:2020年8月1日(土)
2.場所:北トピア802A室
3.講師:西田知弘氏(電気電子)、大久保俊彦氏(機械)
4.出席者(敬称略):西田、保泉、野田、吉原、田中、窄頭、谷、梶屋、佐藤、橋本、上野、大久保、菅野、森田、小林(全15名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)西田知弘氏(電気電子)


西田氏は電気電子部門の技術士で、2018年に38年務めた電気通信会社を退職し独立開業した。

会社員時代に携わった衛星通信の仕事の紹介があった。茨城にあった通信所に勤務していたときには日本で初めてアメリカからの衛星テレビ中継を受信したパラボラアンテナが敷地内にまだ残っていた。そのアンテナが解体され、近くに新たなアンテナが建設された。大規模アンテナの建設はめったにないので貴重な体験であったとのこと。

その後、1年間アメリカのジョージア工科大学に留学。数万人収容のフットボールスタジアムや50m屋内プールなど、施設が充実していて驚いたそうである。なお、そのプールは後にアトランタオリンピックでも使われたそうである。

会社に戻り、衛星通信の国際組織に関わる仕事を担当。国際衛星の組織であるインテルサットの仕事では本部(ワシントン)に4年半駐在した。
そのあと、横須賀のYRPへ出向し、ITS実現のための情報通信技術開発プロジェクトに携わった。

技術士は2013年に登録。2018年の退職を前に参加した技術士会の講習をきっかけに、「バリューエンジニアリング(VE)」に興味を持つ。VEの概要や「機能系統図」の説明があった。

技術士の活動としては、2019年3月に個人事業主の届けを出した。事業所名称は「ゆめのりさあち」。ロゴマークも作った。
現在、NPO法人 産業技術活用センター(ITEC)の「経営者メンタークラブ事務局長」を行っているがコロナの影響で本来の形での活動はできていないとのこと。とはいえ、ITECでの活動を通じてコンサルタントに少し近づいた気がするそうである。

電気電子関連の技術は移り変わりが激しく、もっと変化の少ない技術をやってみたいと思っていたそうである。とは言え、いろいろ考えると専門はやはり電気電子の技術であるとも感じているとのこと。
技術士同士の繋がりに期待もし、ありがたさも感じているそうで、「悩みを伺い、一緒に考えるコンサルタント」が良いのではないかとITECの活動から感じているそうである。


西田知弘氏ビデオ動画


(2)大久保俊彦氏(機械)


大久保氏は1956年生まれ。1978年に大学の工学部を卒業しトラックメーカーに入社。車体設計などを担当した後、社内公募に応募して1992年に物流研究所(シンクタンク)に出向。96年に生産管理部に復職したが、その後トラック業界が構造不況となる。そこで99年に研修休職をとり、2000年に技術士として独立した。

会社員のときから技術士協同組合の研究会に参加していた。独立前に「PL協力会」の活動に参加。その後、会を引き継いで「技術問題調査会」に発展させた。それが現在のインキュベーション研究会につながっている。そこから、技粒子ゴミ研究会、大気圧プラズマ研究会などが生まれた。

現在の業務内容は、
・事故原因究明、ダメージ範囲の解明、対策提案
・産学連携支援
・技術評価
・技術面からの経営支援
など。

機械部門技術士の活動例の紹介があった。機械部門で独立して活躍している技術士は大手メーカーの研究部門出身の方が多いとのこと。専門性を活かした業務(技術顧問など)から応用性中心の産学連携コーディネーターやプロジェクトマネージャーなどまで幅広い例がある。

技術士活動の一環で行っている、裁判所専門委員活動の紹介があった。
この制度は国民の司法参加の一環でH16年に制定。(裁判員制度より先)当事者が出してくる主張や証拠の専門用語などについて裁判官に説明するもの。争点について専門委員の意見を求めるものではない。また、専門委員の意見は訴訟資料や証拠資料とはならない、と規定されている。とは言え、実際は、裁判官から意見を求められたり相談を受けたりすることも多々あるそうである。

専門委員の裁判への関与状況(仕事の流れ)の説明があった。自身での活動経験は30件。立会は1回〜最長22回まで様々ある。最近は一流企業同士のトラブル案件が増加しているとのこと。これは企業の実情把握に有効。

専門委員の活動自体はほとんど収入にならずボランティアといえるが、裁判官や弁護士の考え方を知ることができ、自分のコンサルタント等の業務に役立つそうである。また、自分の技術を世の中に役立てるという社会的意義もあると考えているとのことであった。


大久保俊彦氏ビデオ動画


1.日時:2020年7月4日(土)
2.場所:北トピア801室
3.講師:尾内敏彦氏(電気電子)、野尻昭夫氏(化学)
4.出席者(敬称略):尾内、野尻、保泉、阿部、吉原、川村、中村、窄頭、澤井、上野、大久保、菅野、森田、小林(全14名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)尾内敏彦氏(電気電子)


尾内氏は電気電子部門の技術士で、2018年から筑波大学教授として研究職に就きつつ、2019年に技術士事務所を開設している。

1988年に東工大大学院を修了して光学機器メーカーに入社。中央研究所で光通信デバイス及びシステム、その後、複写機光源開発を行っていた。その後、2003年より現在の専門となるテラヘルツイメージングの研究開発に携わった。そして2016年に知財部に移った。

この間、2002年に東工大で博士(工学)を取得。2005年に技術士、2013年に弁理士を取得している。また、2004年には理化学研究所チームリーダーを兼務した。

55歳で早期退職し2018年に筑波大の教授に。元々独立したかったということもあり、2019年には「Tera-eyes技術研究所」という名称で技術・知財コンサルタントを行う技術士事務所を立ち上げた。

会社の研究所で携わった、
 ・複写機用レーザー光源開発
 ・テラヘルツイメージング開発
に関する技術の紹介があった。また、大学で行っている「アントレプレナー教育」に関する説明があった。

このうち、現在も専門としている「テラヘルツ」技術に関する詳細な説明があった。テラヘルツ技術は1960年代にブームがあり、2000年過ぎに再度盛り上がって、現在はプラトー状態とのこと。特徴は、
 ・これまで見えなかった内部情報を安全に可視化できる。
 ・他の周波数帯で実用化されている技術をテラヘルツ帯独自の特徴を活かした
  新しい産業へ応用が見込まれる。
とのこと。具体例として、「危険所持物イメージング」(空港の危険物探知機など)やバイオ技術への応用などの説明があった。

「Tera-eyes技術研究所」については、現在はセミナー中心の活動。コンサルタント業務を行いたいが、セミナーからコンサルタントの顧客につなげるということはまだ実現できていないとのことであった。

尾内敏彦氏ビデオ動画


(2)野尻昭夫氏(化学)


野尻氏は独立開業している化学部門の技術士で1940年生まれの80歳。早稲田大学の応用化学科を1964年に卒業し日東紡に入社。当時、石油化学全盛の時期で、プラスチック繊維の研究を行った。その後大学院に入り直して博士課程まで行き、古河電工へ入社。ポリエチレンなどの発泡体を作る仕事を行っていた。

50歳近くになり本屋で技術士の問題集に出会ったのがきっかけで1990年に技術士を取得。技術士協同組合に入って色々な研究会活動をした後、1995年に会社を辞めて独立した。

独立後は中小企業へのアドバイザーやISOの審査員、また、特許庁の関連で早稲田大学のTLOのアドバイザーとして技術移転の仕事を行った。これは、会社員時代に縁のあった早稲田大学の先生がアドバイザーに推薦してくれた。また、客員教授として大学に籍を置くことができ、研究会活動の拠点として大いに役立った。

2004年に「産業技術活用センター」を設立。早大技術移転研究会による議論が発端となったもの。
設立当時、当初考えた使命は、
・新産業創出
・中小企業活性化
・知的財産の普及・啓蒙、セミナー
その後、ビジネスマッチング支援事業が中心となり、最近は、企業と中小ベンチャーとの連携を主に行っている。「大企業が作り出した技術が移転されると良いね、中小企業の技術が大企業に展開できると良いね」という考えの受け皿機関となる活動とのこと。

また、産業技術活用センターの活動の大きな柱である「経営者メンタークラブ」の紹介があった。これは、経団連メンター研究会が基となっており、2005年に経団連が米国ベンチャー視察団を派遣し、その後研究会として6回会合を開いた。それを2008年に引き継いで2009年2月に「ITECメンタークラブ」として発足。途中、名称を変更して現在に至っている。

メンターは大企業の経営幹部経験者など約50名。メンティー会員企業は中小企業50数社である。メンターはメンティー企業の孤独な経営者のサポート役となり、仕事や諸活動について信頼関係に基づき高度な助言、専門レベルの助言を行っている。

今後、技術士として独立する人に向け、独立にあたりメンターを見つけて指導を受けると良いのではないかというアドバイスがあった。

野尻昭夫氏ビデオ動画


1.日時:2020年2月1日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:保泉真一氏(機械部門)、松下滋氏(金属)
4.出席者(敬称略):保泉、松下、顧、今井、寺垣、佐藤、橋本、野田、大島、渡辺、早瀬、横田、平田、早瀬、大久保、菅野、森田、小林(全18名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)保泉真一氏(機械部門)


保泉氏は大学院(電気工学)を修了後、1980年に重電メーカーに就職。40年近く火力発電所のシステム計画の仕事をしたのち2019年に退職。同年11月に開業した機械部門の技術士である。

メーカーでは一貫して火力発電所のシステム計画を担当。その間、1985〜86年にアメリカ駐在、2001〜2003年及び2008〜2010年にドイツ駐在を経験した。

帰国後、2011年に東日本大震災が起き、津波で被害を受けた火力発電所の復旧、また、電力不足に対応するため緊急の発電設備確保に奔走したそうである。

その後、2012年からは中国に赴任。2014年には発電部門の合弁会社ができた関係で中国赴任のまま、その合弁会社に移籍し、2019年に帰国した。その年の9月に退職し、11月に開業した。

日本の電力事情、石炭火力発電所の仕組みなどの解説の後、手掛けた発電所の紹介があった。火力発電所は最初の計画から運転開始まで7〜8年、受注からは3〜4年かかる仕事だそうである。

その他、最新の発電所(ガスタービン・コンバインドサイクル発電、石炭を使ったコンバインドサイクルなど)や燃料電池(IGFC)の紹介、現在の電力業界を取り巻く環境についての解説があった。

技術士としての今後の活動は、
・火力発電所を手掛けた経験を活かせるバイオ、地熱発電への新規参入事業者への技術協力
・海外の発電所、工場設備の高効率化、低炭素化への支援
・工場等の設備の高効率化、省エネ
などを仕事としていきたいとのことであった。

保泉真一氏ビデオ動画


(1)松下滋氏(金属部門・総合技術監理)


松下氏は金属、総合技術監理部門の技術士で、2019年に会社を退職し独立した。

大学の理学部を1985年に卒業し京セラへ入社。切削工具用セラミック、超硬合金の商品・工程設計を行ってきた。会社員時代は家庭を顧みず仕事に打ち込んだそうである。

とても良い会社で定年後も会社へ残る道もあったが独立することに決め2019年3月末で退社、独立開業した。技術士事務所開業への想いは、
 ・技術士の力で活力ある日本を
 ・グローバルで活躍できる質の高い技術士を増やす
 ・技術士の国際社会への貢献力向上を図る
とのことである。

技術士事務所コンセプトは、
・日本に埋もれている宝物を掘り起こし、世界平和を実現する。
であり、技術士事務所の3つの柱は
・ボランティア
  →同志を増やす+人材育成
・業務
  →稼ぐ
・商品・事業提案
  →クライアント企業での事業化を支援する
とのこと。
現在、顧問として4社に関わっているが、顧問は「アドバイザー、コンサルタント」から始めて「コーディネーター、プロデューサー」の役割を求められる。専門分野に停滞せず、大きく考えることが必要とのことであった。顧問をやっている「STANDARD社」の紹介があった。

今年のテーマは「発信強化」とのこと。これは「同志を創る、増やす」からはじめて、刺激、気づきを発信することで「社会を変える」につなげるためとのことであった。

日本技術士会での活動「YES-Metals!」(金属部会若手技術者の会)の紹介があり、そのスローガン『人の命に限りはある。正しい思いは時を超える。』が紹介された。

松下滋氏ビデオ動画


1.日時:2020年1月4日(土)
2.場所:北トピア807室
3.講師:谷 徳造氏(機械部門)、沖津 修氏(化学)
4.出席者(敬称略):沖津、橋本、保泉、今井、福崎、戸館、吉原、中村、渡辺、早瀬、横田、曽我、谷、大久保、菅野、森田、小林(全17名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)谷 徳造氏(機械部門)


谷氏は機械部門の技術士で、機械設置業の監理技術者として現在の会社に所属している。1982年に大学の航空宇宙学科を卒業。技術系商社で技術営業に3年間携わったあと85年に自動車部品メーカーに転職。その後、2007年からはモーターのカーボンブラシ等を製造する会社に勤務した。一貫して工場での生産技術の技術者として働いてきたとのこと。

2007年に入社した会社では、2009年3月から中国(昆山)に駐在。2019年に帰国するまで10年間中国で仕事をしていた。

中国駐在10年間の経験とそこで得た知見について説明があった。
 ・自動車部品メーカー時代とモータ・ブラシメーカー時代に作っていた製品の紹介
 ・10年間で何が変わったか(2009年と2019年の中国の状況の比較)
 ・自転車社会から自動車社会へ
 ・交通問題・自動二輪車の恐怖
 ・中国のスモッグ
 ・大雨、大雪、環境異変、環境改善の努力
 ・経済発展、中国、昆山の教育事情
 ・中国の医療体制とワクチン問題
 ・昆山爆発事故、工場火災と消火訓練
 ・中国製樹脂成形機の問題(保守技術、金型など)
 ・工場における雇用、人材問題と、それに起因するトラブル
 ・手のひら返しの人間学
 ・「東郭先生と狼」に見る中国人
 ・台湾との関係
 ・政治、外交
 ・日本企業と中国企業
 ・中国と日本の未来
 ・日本の対抗策
 ・中国で話題に困ったときは「ジャッキーチェン、福山雅治、福原愛」の話を


谷 徳造氏ビデオ動画


(2)沖津 修氏(化学)



沖津氏は化学部門の技術士で、独立自営13年目となる。1991年に大学院の理学研究科化学専攻を修了。2008年に42歳で独立開業した。

現在の業務の内容は、
1.技術調査、技術開発、製品化、事業化、販路開拓
2.化学分析、バイオ分析、品質管理、統計解析
3.化学品のコンプライアンス(事故防止、環境対策、法規制、化学物質管理など)
4.その他(商品開発、事業開発)
とのこと。
1は、事業のアクセルとなる事項についてコンサルティングをする。
2は、「分析を制するものが化学を制する」という教えにもとづき、化学のベースとなる仕事。
3は、企業の守りの仕事
4は、次の商売の種をつくる活動。
と位置づけているそうである。

開業当初は、中小企業連携による技術と商品の創出と事業化の仕事を目指した。そのなかで技術士事務所はハブ機能を担当する、ということを想定して仕事をしていた。
当時の独自商品として、排水処理剤、グラウド材、熱交換器スケール除去剤、除染剤、ゲル化剤、セラミックの油中分散技術などを手掛けた。

これらの商品開発を中小企業と連携して行っているときに、各企業の現場の作業員に薬傷が多いことに気づいた。これを何とか改善できないか、そんなコンサルができないかと考えた。その延長で、科学技術のマイナス面にどう対処するかを最近考えるようになったとのことである。
これに関連して、化学物質の関係する火災や爆発事故、健康障害の事故の例の紹介があった。これらを何とかするためのコンサルティングも手掛けているそうである。

今後の計画として、技術開発と事業化、サービス開発と事業化、現行事業の継続とメンテナンスなどを考えているとの説明があった。

独立希望者に対しては、
1.事業の基本は、商品・サービスの提供によって適切な対価を得ること
2.同じパフォーマンスなら若い人ほど有利(したがって、早く独立した方が有利)
3.技術士は能力の証というより、コンプライアンスの証
といったアドバイスがあった。


沖津 修氏ビデオ動画


1.日時:2019年12月7日(土)
2.場所:北トピア808室
3.講師:坂元直孝氏(繊維)、藁科茂氏(電気電子)
4.出席者(敬称略):坂元、藁科、橋本、保泉、今井、窄頭、福崎、井上、栗原、谷、西村、顧、野田、大久保、菅野、森田、小林(全17名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)坂元直孝氏(繊維)


坂元氏は現在52歳。繊維機械会社に29年間勤務した後、2019年8月に退職して独立開業した繊維部門の技術士である。独立の動機は、技術の一線から退き管理職となって仕事に魅力を感じなくなったこと、いずれ退職するならできるだけ早くから活動したかったこと、そして親の介護などとのことである。
技術士の繊維部門は糸を作るところから洋服作り等まで「縦に長い」ジャンルであるが、専門は「紡績紡糸」であり、繊維機械の仕事に携わってきたとのことである。

国内の繊維産業は、1991年には約11兆円の出荷額であったのが2015年には約3兆円と1/4に減少。また、衣類の輸入率も1991年には約50%であったものが2017年には約98%にまで増加している。この状況を考えると繊維だけでは、技術士として食べていけないと考えているとのこと。

一方、専門である繊維機械の特徴は、原料の種類が多いこと、工程が多岐にわたり機械の種類が多く歴史が古いこと、24時間稼働で10〜20年と長期間にわたって使用する信頼性の高い機械であること、などが挙げられる。したがって、繊維機械の設計は機械設計の中でも「すごい」技術があると考えられ、これを繊維以外にも展開していきたいとのことであった。

繊維機械の紹介として、糸ができるまでの工程、紡績機の技術の紹介、織機の技術の紹介があった。現在、織機で使われている「エアジェット方式」という糸を空気で飛ばす方式は、日本の豊田自動織機が実用化したものだそうである。

独立後に心がけたいこととして、「生き生き生活のための『かきくけこ』」という標語の紹介があり、
 か:感動 き:興味 く:工夫 け:健康 こ:恋
を大切にしたいとのこと。そして、期待に応えられるよう仕事をすることを心がけたいとのことであった。


坂元直孝氏ビデオ動画


(2)藁科茂氏(電気電子)


藁科氏は電気電子の技術士であり、電力会社の出身。会社を54歳で定年後に建物管理会社に入社し、69歳になる現在でもそこで嘱託として働いている。

資格としては技術士の他に、第1種電気主任技術者、エネルギー管理士という電気関係の資格を取得済み。また、技術士の資格を活かして監理技術者の資格も持っているとのこと。監理技術者は当該分野の技術士を持っていれば講習で取れ需要も多いが、会社に直接雇用されていないと仕事ができないというネックがあるとのことであった。

電力会社を定年になる際には、電気主任技術者の資格を活かすべく現場経験を積もうと建物管理会社に入ったとのこと。そこでは、電気主任技術者の仕事の他、建設会社関係の建物管理会社であるため、電気関係法規対応や公官庁対応など、電気主任技術者業務を支援する、コンサルティング業務も行っている。他に、ISO9001(設備品質管理)の立ち上げ、iDC(データセンター)管理業務の指導、太陽光発電所管理業務、なども行っているそうである。また、エコチューニングビジネスモデル事業の立ち上げも行い、構想・計画・試験運用など3年かけて立ち上げたそうである。他に、会社の仕事とは別に電気関係資格取得の講師も行っているそうである。

今関心があるのはエネルギーと環境問題とのこと。それに関連し、九州で太陽光発電や風力発電などの再生エネルギーをなぜ抑制しなくてはいけなくなっているかの解説、北海道で発生した「ブラックアウト」(大停電)の発生メカニズムなどの解説があった。


藁科茂氏ビデオ動画


1.日時:2019年11月2日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:土屋 和氏(農業)、佐々木久美氏(化学)
4.出席者(敬称略):土屋、佐々木、永澤、大屋、保泉、大園、八角、窄頭、顧、平田、吉原、今井、南、鈴木孝、野田、外館、福崎、佐藤一、村上、渡辺国、大久保、菅野、森田、小林(全24名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)土屋 和氏(農業)


土屋氏は農業部門の技術士。今年60歳を迎え、雇用延長で週数日勤務しつつ技術士事務所を兼業で立ち上げた。大学の園芸学部(修士)を修了後、農業資材会社に就職。約25年間、施設園芸の技術開発及び知財管理の仕事に携わった。その後、公益法人で大規模施設園芸、植物工場等の調査・支援の業務を7年間行い、本年4月に兼業で技術士事務所を開業した。

49歳で技術士登録し、54歳で総監も登録。技術士協同組合理事長の森田さんの「技術士独立自営のススメ」という本に影響され技術士協同組合の各研究会等に参加。その結果、独立開業には様々な形態があることがわかり、自分でトライアンドエラーしないとダメだと分かった。
また、メンターであり、指導を受けたのは農学者で技術士でもある板木利隆先生。技術士試験は他流試合。技術者は書くことが大切、と教わった。

開業準備としては、
・開業、コンサル業の情報収集
・業務棚卸し
・専門誌執筆、受験指導・研修講師
・個人ホームページ、ブログ開設
  →マインドセット(自己責任での自己PR)が必要
などを行った。また、セミナー・研修講師については講師歴を公開することも大切と感じた。

開業後は、
・技術士事務所HP、受験HP、動画、メルマガ立ち上げ
・コンサル業務
・セミナー講師、執筆
・顧問、アドバイザー委嘱
・技術士受験指導
・アグリバイオという雑誌への記事執筆
など、一通りやれることをやってみた。

兼業で開業して良かったことは、兼業でリスクを低減できる。(小さな失敗を数多くできる。)、時間を自己管理できる、など。また、自分のリソースを整理し、公益活動とプライベート活動、オーガナイザーとエンジニアの領域のバランスを取って活動できることなど。

課題は、引き合いからの成約率の向上、価格設定の難しさ、本業と兼業のバランス、サービスのメニュー化(頃合いの良い助言を目指す)、コミュニケーション能力の向上(情報提供より相談力)などとのことであった。



土屋 和氏ビデオ動画


(2)佐々木久美氏(化学)


佐々木氏は化学部門の技術士。高専卒業後油脂会社に就職し、研究所で新製品開発研究に約30年間従事。その後、特許技術情報管理の業務に携わった。2008年に60歳で定年退職し技術士事務所を開業した。

会社に在籍中は、リーダーとして約20品目の新製品を開発。特許も約40件(うち90%は筆頭発明者)取得。この数は化学系では多い方とのこと。また、英語も得意で実用英語検定一級を取得しており、英語での論文投稿もある。

技術士としての自分の強みは、研究開発力、マーケティング知識、知財の3点。業務獲得ルートとしては、人脈・展示会・マッチング企業等を通じた業務開拓のほか、政府・地方自治体関連の公的事業への支援協力などがある。中小・ベンチャー企業への支援実績の紹介があった。

開業を目指す方へ次のアドバイスがあった。
・独立準備は会社に辞表を出す数年前から開始し、パートナーの了解を得ておく。
・技術士のグループ活動に参加して先輩のやり方を学習、独立の心構えを確かなものにする。
・技術士のグループ活動に参加し、雑用をいやがらない。独立後に仲間から業務を紹介される可能性が高くなる。
・技術士の中には数多くの資格を取得している人があるが、資格が多くても仕事に結びつかない。

また、開業初心者に対し、業務開拓に関して次のアドバイスがあった。
・当初は専門にこだわらない。
・仲間から信用を得ると仕事を紹介してもらえる。技術士同士は専門が異なり競合はしないもの。
・業務課題によっては仲間とのグループ対応を考える。
・コンサルトは技術を指導するのではなく顧客とともに考えて行動する。
・顧客の競争相手とは付き合わない。

実際の活動として、技術知識経営支援センターの活動紹介、微細気泡(ファインバブル)技術研究会の活動概要の紹介があった。

佐々木久美氏ビデオ動画


1.日時:2019年10月5日(土)
2.場所:北トピア807室
3.講師:黒田雄一氏(電気電子)、伊藤寛氏(機械)
4.出席者(敬称略):黒田、伊藤、野本、横田、斎藤、外館、宇田川、工藤、福崎、保泉、大屋、今井、永澤、佐藤一、佐藤充、村上、橋本、渡辺国、大久保、菅野、森田、小林(全22名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)黒田雄一氏(電気電子)


黒田雄一さん(電気電子)
黒田氏は電気電子部門の技術士のほか弁理士の資格を持ち、独立して9年。主に知財関係の仕事を中心としている。

1977年に大手電気メーカーに就職。無線装置、レーダー装置、航空管制システム、衛星通信システムの開発・設計に従事。
この頃の仕事として、航空管制シミュレータの紹介や、羽田空港沖展開に伴うレーダー管制システムのトラブル解消の仕事などの紹介があった。
2002年から関連会社にて知財業務に従事。国内外の特許出願などに関連する仕事をした。

技術士は1999年に登録。2003年に弁理士を登録した。そして、2010年に独立して特許&技術士事務所を開設。開設直後は川崎市内中小企業のマッチング支援の仕事と弁理士会の仕事として発明相談室の相談者の仕事をした。発明相談室の仕事では、相談に来た方がそのままお客さんになった例もあるとのこと。
他に、開業から1年半ほど異業種交流会に参加。直接仕事に結びついたものは少なかったが、「自分を知ってもらう」ということのやり方などが体験できた。

独立してからの仕事の準備作業として、見積、価格表、契約書のひな形などが大切になる。知財の仕事では特許が取れなくても費用がかかる。そのことを理解してもらい文書にしておくことが大切。これは技術コンサルタントでも同様で、何が成果なのかをあらかじめはっきりしておかないと後でもめる。また、請求と回収の管理をしないと取りっぱぐれる。

知財に関して、大学の先生の発明をアメリカで特許化した事例の紹介があった。アメリカでは現在、ソフトウエア関連発明、数学的手法の応用発明は特許を認めない方向にある。要するに、抽象的アイディアは特許適格性を認めてもらえない。この事例でも一度拒絶されたが、拒絶理由に対する反論をまとめて特許を取った。
今後、取った特許を世の中に実装していくという仕事は、技術士とタッグを組んで進めていこうと考えているとのことであった。

黒田雄一氏ビデオ動画


(2)伊藤寛氏(機械)


伊藤氏は機械と総監の技術士で、2015年に30年余り勤めた会社を早期退職し、建設系コンサルタント会社に転職し、現在も勤務中である。
大学院を修了し81年に油化会社に入社。94年に関連のエンジニアリング会社に出向転籍した。
会社では、まず、化学プラントの計画設計に従事。その後、海水熱源ヒートポンプ設備の設計計画や、カプセル式蓄熱システムの技術導入などに携わった。
社内に技術士は元々20名ほどいたが、2010年に新規事業開発スタッフとなった頃には数名に減ってしまった。社内では技術士を取っても特にメリットがなくなっていた。

自分が技術士としてどのレベルか、技術士とはどういう人たちか、ということが知りたくて、2009年頃から技術士会の勉強会に積極的に参加し、「地域と行政を支える技術フォーラム」にも参加した。これにより、自分の得意不得意が分かったのと、報告書をまとめるのに技術士試験の経験が参考になることが分かった。

2015年に建設系コンサルタント会社へ転職。現在は、国の有害化学物質の処理・処分に関するプロジェクトで「マスタープラン作成」「有害化学物質処理設備の技術評価」「廃棄物処理に係る技術探査」「プロジェクト計画作成」「プロジェクト監理」などをやっているとのこと。この分野は経験者が少ないため新技術へのチャレンジも多く、充実感があるとのこと。ただし、国の予算カットで仕事がなくなるリスクもある。

今後の展望として、今の仕事をメインに独立して技術コンサルタントとしてやっていけそうと感じている。また、以前の顧客から設備診断の依頼もあり、これも仕事になりそうとのこと。

独立に向け、色々と勉強したいと思っているそうで、遅ればせながらパソコン(Linux)の自作に取り組んでいる。また、10年前に太陽光発電を自宅へ導入した経験に基づき、昨今流行の蓄電池に関することも含め、10月末に講演を行うとのことであった。

伊藤寛氏ビデオ動画


1.日時:2019年9月7日(土)
2.場所:北トピア807室
3.講師:春山周夏氏(機械)、平田政司氏(金属)
4.出席者(敬称略):春山、平田、滝口、大木、鈴木、外館、顧、福崎、平田俊、吉原、保泉、窄頭、村上、永澤、佐藤、大園、野田、大島、大久保、菅野、森田(全21名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)春山周夏氏(機械)


春山氏は2004年に大学院の機械システム工学科を修了し、重電メーカー、鉄鋼会社系列の物流会社、大手電気メーカーを経験した後に、昨年独立開業した40歳の機械部門の技術士である。

 就職氷河期に就職した重電メーカーでは7年半ほど勤めた。設備の設計から立ち上げまでを経験し、技術者としての基礎を身につけたとのこと。しかし、ある時期にあまりに暇となり不安を感じ、技術士の資格を取得し、転職したそうである。
 次の物流会社では4年半ほど勤め、工場の災害復旧の仕事を経験した。その後の大手電機メーカでは2年半ほど勤めたが、定年までサラリーマンをして、その後年金で暮らすことは考えられず、2018年3月に開業した。
サラリーマン時代に特許出願や論文執筆、学会発表などの経験はなかったが、森田裕之氏の「独立・自営のススメ」という本を読みこれに触発されて独立自営に踏み切った。

 独立開業して1年半ほどであるが、仕事は複数顧客をもつマルチクライアント方式で、サラリーマン時代の収入を上回っているとのことである。奥さんからみると開業前の暗い顔が、明るい顔に変わったとのことである。

 技術士協同組合ではAI/IOT研究会の世話役をしており、仕事の開拓に役立っている。
現在の仕事に関係してセミナー講師を一緒にする方を求めており、希望者は春山氏に連絡をしてほしいとのことである。

(2)平田政司氏(金属)


平田氏は塗装不良改善が専門で、独立して十数年目の技術士である。大手金属メーカーで塗装技術を経験して、2005年に46歳で独立した。
 独立前にはマーケティングを研究するとともに、自分の将来予想を描いた年表を作成し、子供の成長や、景気の変動、収入の増減などを説明してもらった。独立自営をした時は、高校生から小学生の3人の子供がおり、かなり不安であったが、仕事は順調で、現在は子供たちは皆大学を出て社会人になっており、これが自分にとっての最大の成果であったとのことである。

 営業活動は主としてブログや、ユーチューブ、ホームページ等のITツールを使用している。ブログやホームページのアクセス数と仕事量は相関があるとのことで、具体的な数字で説明された。またアクセス数は更新の頻度に比例しており、このために多いときは毎晩2時間程度パソコンに向かって分析・更新作業をしていたそうである。

 コンサルの活動は塗装関連で「見える化」を行うことを特徴としており、このためデジタルマイクロスコープやパーティクルセンサー等のツールに数百万円を投資して保有している。一度クライアントになった客に対しては町医者のような定期診断のリピートオーダーが来ており、安定収入につながっている。

 58歳の時にがんの手術をして、現在は3か月ごとの経過観測しているが順調で、仕事も変わり行っているとのことである。その後仕事中心の生き方を見直して、趣味として野鳥の会の活動を行っている。バードウオッチでの写真も見せてもらった。


平田政司氏ビデオ動画

1.日時:2019年8月3日(土)
2.場所:北トピア601室
3.講師:横田宗泰氏(機械)、山本亮一氏(応用理学)
4.出席者(敬称略):横田、山本、顧、福崎、高橋、土屋、保泉、峯尾、南、渡辺、大久保、菅野、森田、小林(全14名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)横田宗泰氏(機械)



横田氏は機械部門の技術士で、昨年12月に会社を退社。現在、独立の準備をしている。
大学卒業後、1980年にニコンに入社。測量機部門の配属となる。希望は天体望遠鏡だったが、大型のものは既に設置が終わっていて需要がなかった。当時の測量機は完全に機械仕掛け。機械設計部門でセオドライト水平角目盛盤の精度解析、セオドライトのマイクロ機構精度の改良などを行った。

その後、ソフトウエアがやりたくなり、1982年、三菱スベースソフトウエアに転職。そこでは軍事部門の配属となり、日本初のコンピュータ制御型地対艦ミサイルの開発に関わった。

1984年に元の会社に再入社。ソフトウエア技術者が足りないということで声がかかった。入社後、液晶用露光装置の開発を担当。初期は年間20億円くらいの規模だったが、今は、500〜1000億円くらいの規模になった。また、液晶のガラスサイズも当初は300mm角くらいだったが、いまは3m角くらいとなった。この大型化のため、2000年頃にマルチレンズシステムの開発を行った。担当していた装置は、2012年に「ものづくり日本大賞」を受賞した。
露光装置は納入後のアプリケーションサポートが大切。納入後1〜1.5年くらい、お客さんと一緒に問題解決に当たっていたそうである。

2014年末に、三星ディスプレイに入社。液晶パネルの高精細化を目指す仕事をし、露光工程の技術革新、重ね合わせ計測器に取り組んだ。ただし、スマホ用製品の生産設備は飽和状態だそうである。

昨年12月に会社を退職後、5月にコンサルの依頼があり、6月に個人事務所を開設。8月にコンサル業務を始めるべく準備中とのことであった。


横田宗泰氏ビデオ動画

(2)山本亮一氏(応用理学)



山本氏は2013年に独立開業をした応用理学部門の技術士である。
1985年に大手フイルムメーカーに入社。2000年頃から会社の事業が変わり、社内失業状態となる。
2001年に技術士を取得し、2003年に退社。群馬産業技術センターに入る。ここで独立の準備と博士号の取得を目指した。博士号は2009年に取得。結局10年在籍して2013年に独立した。

技術士協同組合では色々な研究会に参加。現在、大気圧プラズマ研究会の世話人をしている。

現在の主な仕事は、横浜国立大学の産学連携コーディネータと、技術顧問を3社。独立当初から「マルチクライアント」を目指しているが、目標までは未だ届かず。

また、売上の変遷は、独立してすぐは下がったが、その後はサラリーマンの時よりは上がったとのこと。ただし、東芝ショックで顧客が倒産に瀕し、大きく売り上げが下がったことがある。これが自営のリスクと分かった。この時に「マルチクライアント」の重要性が身に染みたそうである。

自分の得意技は、
 ・産学連携の経験で、人・物・金の開発リソースをコーディネート。
 ・表面処理や金属・セラミック・プラスチックなどの技術。
とのことである。

現状を総括して、
 ・楽しくはやっているが事業成長にはなかなかつながらない。
 ・ブランド確立は難しい。
 ・しばらくは産学連携×補助金が生きる道。
と考えているそうである。

山本亮一氏ビデオ動画

1.日時:2019年7月6日(土)
2.場所:北トピア802B室
3.講師:栗原光一郎氏(化学)、井戸田 勲氏(一般社団法人日本技術者連盟 専務理事)
4.出席者(敬称略):栗原、井戸田、松本、顧、野田、窄頭、福崎、横田、石川、峯尾、黒沼、吉原、松下、大久保、外館、菅野、森田、小林(全18名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)栗原光一郎氏(化学)



栗原氏は化学部門と総合技術監理部門の技術士で、2019年1月に会社を定年退職し独立した。1984年に大学院を修了後日立金属に入社。携帯電話用電子部品の開発に長く携わり、知財部門も経験。知財部門には約10年在籍し、それはそれで奥が深かったが、もっぱら書類をやりとりするだけで実際の製品に触れる仕事ではなかった。やはり、ものづくりの現場に近いところの仕事がしたいと思い、開業した。

会社員時代に携わった携帯電話用電子部品の開発について、その構造や製造方法などについて説明があった。この部品は月産1,000万個規模の仕事になった。

続いて、知的財産部門での仕事について説明があった。特許の担当では、特許出願等の定型業務の他、非定型な業務も担当。
一つは、中国特許対策。中国で出ている特許について、新規性が無いという資料等を国内外で集め、中国特許庁へ情報提供し、日米等にすでにある技術に対して中国国内で特許が認められることのないようにする業務を行っていた。
もう一つ、他社からの特許侵害警告への対応を経験した。この件は警告者が主張する特許に新規性がないと判断。それを立証するために様々な検証を行い、最終的には市場から当該特許に関係する古い製品を集めて解析し、その内容を記載した事実実験公正証書を作成。これを基に交渉して少額の金銭で決着させた。

開業後のコンサルタント業務として、
 ・セラミック部品等に関する製品のQCD改善指導・支援
 ・製造プロセス設計、量産化支援
 ・知財関係の支援
を考えているとのこと。

開業直前から現在までの活動として、会社ではしばらく知財関係の仕事をしていたので、ものづくりの感覚を取り戻すため、積極的に展示会の視察を行っているとのこと。また、開業に際しホームページを作成したが、この作成費用に対してIT導入補助金を獲得した。また、各種公的機関の専門家登録を行ったり、民間の専門家登録、ネットの専門家登録も行った。その繋がりで中国の企業と契約交渉中であるとのこと。そして、日本技術士会の各種会合に参加し、そこから鳥取工大の「技術者倫理」の講義も担当することとなった。

今後は、顧客獲得、契約成立に向けての活動を進めるとともに、知識のキャッチアップ、陳腐化防止をしたいとのことであった。

栗原光一郎氏ビデオ動画

(2)井戸田 勲氏(一般社団法人日本技術者連盟 専務理事)


井戸田氏は、一般社団法人日本技術者連盟という団体を作り、専務理事を務めている。40年以上前から日本の技術専門家が海外で活躍する場を作っていく仕事を手掛けており、自身は技術士ではないが、いわば「技術士の応援団」という立場とのことである。

技術や技術者の海外展開事業では、収益性の他、公益性も重要。株式会社は収益性を追求し、社団法人は公益性を追求する。この両方のバランスを取りながら事業を進めているとのこと。

現在、WKX(Web Knowledge Xpo)という、インターネットの動画を使ったB to Bの技術紹介サイトを展開中。1週間で約1万アイテムの技術動画が投稿されており、B to Bの技術動画ではWKXが世界で唯一。

かつて、1990年代のアナログ時代に衛星を使った「ハイテクシャワー」という企業向け技術映像を配信する事業を9年間行っていた。アメリカにスタジオを構え、多くの現地スタッフを抱えて取材と企業からの持ち込み映像の編集をし、日本へテープで送って通信衛星で配信するというスキームだったが、当時は莫大なコストがかかった。さらにユーザーからは「オンデマンド」(見たいときに見ることが出来る仕組み)が良いと言われたが当時はできなかった。要するに、早すぎた。

その後、インターネット動画技術で、かつて目指したものが簡単に実現できるようになった。ちょうどYouTubeができた頃で、創業当時のYouTube社も見に行った。YouTubeはC to Cと分かったので、技術動画についてはNTTと提携し9年前にWKXを始めた。

WKXは展示会をネット動画で実現しようというのが狙い。実際の展示会で一人の来訪者が訪問するブース数は、ある調査によると平均3.5ブースでしかないとのこと。また、海外からの視察者も減少している。出展する立場からすれば、実際の展示会ではなく動画による紹介でも6〜7割はカバーできると考えている。さらに、技術士等の人材の紹介も動画なら可能である。

WKXは1000万/月viewを目指している。日刊工業新聞でも24万部。既にそれを超えている。また、EGS(環境・社会・ガバナンス)に力を入れている企業であるというPRも動画なら効果的。今後「EGS投資」が拡大していく中で、投資家へのPRにもB to Bの動画サイトは有効である。

さらに、シニア人材動画投稿サイト、研究者の動画プラットホームも作った。研究論文を動画にして発表するプラットホーム。研究者が自分を売り込んだり、企業が研究者を探す場は少ない。デジタル(インターネット動画)で広報して、アナログ(実際に会って)でマッチングする。JEFはデジタルを担当する。事務局の役割は視聴者を増やすこと。1000万view/月を目指す。

ものづくりについても、オンラインでものづくりの動画を提供。ものづくりは英語で説明できると強い。しかし、日本の技術者は英語によるコミュニケーションが壁になっている。これは技術士も同じ。中国や東南アジアの技術者はきれいな英語でなくても堂々と講演や議論をする。日本人はきれいな英語にこだわって萎縮してしまう。きれいな英語でなくても良い。相手に通じれば問題ない。一歩の前進の先に大きな宝がある。技術士も、もっと海外へ踏み出して欲しいとエールが送られた。

井戸田 勲氏ビデオ動画

独立開業セミナー
1.日時 2019年6月29日(土) 9:30〜17:00 (懇親会 17:10〜19:00)
2.会場 北とぴあ8階701会議室 東京都北区王子1-11-1(最寄駅:JR京浜東北線・地下鉄南北線王子駅)
3.内容 定年前、定年後に独立開業するためのノウハウ・独立事例の紹介、及び講師も参加する少人数 グループでのディスカッションと個別カウンセリング
4.出席者(敬称略):受講者12名、講師8名、傍聴者1名(日経BP記者)








1.日時:2019年6月1日(土)
2.場所:北トピア802B室
3.講師:中谷明浩氏(農業)、井上義之氏(衛生工学)
4.出席者(敬称略):中谷、井上、舘泉、高堂、関根、鶴見、野田、上野、川村、関本、西澤、大屋、窄頭、福崎、渡辺、佐藤一、顧、横田、平田、大島、大久保、外館、菅野、森田、小林(全24名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)中谷明浩氏(農業)


中谷氏は農業部門の独立開業技術士で、昨年(2018年)9月に開業したばかりである。
1993年に食用油メーカー大手のJオイルミルズに入社。生産技術、研究開発部門、知財部門を経験してきた。
独立開業技術士としてのミッションは、「食用油脂、生産技術、知的財産・技術調査を通じて、よりおいしく、安心安全な製品作りと作業プロセスの効率化」とのことである。
独立の理由は、2011年に技術士登録をしており、定年を待つよりもフットワークの軽いうちに独立した方が有利であると考えたためとのこと。また、定年を意識した技術者活動をしたくなかったからだそうである。年齢的に会社員としての先も見えてきたとのことで、昨年、独立を果たした。
出身は北海道で、会社員時代は横浜に住んでいたが、独立を機に札幌へ移住。理由は、首都圏への一極集中に一石を投じ、地方でも独立技術士としてやっていけることを示したかったからとのこと。実際、独立している技術士の活動を見ると、首都圏だけでなく海外を含め色々な地方へ出かけて仕事をしている方が多い。札幌に近い新千歳空港は国内外へのアクセスが良く、LCCも充実している。LCCを使えば東京への飛行機代は東京〜名古屋間の新幹線代よりも安いくらいとのこと。さらに、Skype、ZoomなどのWeb会議システムをフル活用すれば、会議や面談による移動が不要となり、地方在住のデメリットはほとんど無いと判断し、札幌で開業したそうである。
独立後はセミナーへの出席、北海道人脈の開拓、独立技術士との情報交換などを積極的に実施。また、ホームページを作成するにあたり、専門分野のブラッシュアップを行い、何の専門家なのかを分かりやすく整理したそうである。
食品産業に現状についての解説があり、食品安全に消費者の目が厳しい一方、製品の利益率の低い業界で、労働生産性は欧米に比べても低く、給与水準も低いため人手が集まらないとのこと。さらに、食糧自給率は38%で主要先進国の中で最低。また、食品ロスが多く、年間650万トンに及ぶとのこと。これは日本の米の一年の生産量に匹敵する規模で処理費用も2兆円かかっている。このような産業でコンサルタントとしてどう食い込めるか、考えているところとのことであった。

中谷明浩氏ビデオ動画

(2)井上義之氏(衛生工学)


井上氏は衛生工学部門の技術士で、1985年に高砂熱学に入社。現在も同社に勤務している。
1990年から2016年まで26年間、海外で勤務をした。主な勤務地は、アメリカ、ペナン、シンガポール、ハノイ、アブダビ、インドネシアなど。海外の現地法人の立ち上げなどを数多く経験したそうである。
2002年に技術士を取得。日本の技術士を持っていると、海外ではPEかチャータードエンジニアと見なしてくれる。これはとても権威があり、初対面でもエンジニアとして信用してもらえる。海外では技術士は大変役立つ資格だそうである。
空調技術について解説があった。空調はこれまでは建築の一度と見なされてきた。しかし、これからは、環境の分野として提案をしていきたいとのこと。熱エネルギーの最適化と電気エネルギーの最適化のトータルとして、ECOプラント化を考えているそうである。
現在取り組んでいる環境に関する実例として次の3件の紹介があった。
 1.藻から原油を作るプロジェクト
    技術的にできることは確認されたが日本では採算が合わない。
    インドネシアで40円/リットルを目指して研究開発を実施中。
 2.急速土着菌増殖乾燥システム
    3〜6ヶ月かかる堆肥生成工程が数時間で終わるというもの。
    水分を含んで困っている食品廃棄物などを燃料・飼料にすることが
    できる。
 3.パームオイルを作る際の廃棄物処理
    インドネシアではパームオイルを作る際の廃棄物が年間
    9000万トンも出る。ちなみに、日本の総廃棄物が年間6000万トン
    であるから、いかに多い量か分かるかと思う。
    バイオを使った処理プラントを作るべく、実証試験中。

井上義之氏ビデオ動画

1.日時:2019年5月4日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:窄頭匡之氏(電気電子)、澤田雅之氏(電気電子)
4.出席者(敬称略):窄頭、澤田、福崎、渡辺、梶屋、野田、石川、武藤、武内、佐藤一、顧、佐藤充、佐藤泰、藤井、横田、平田、大島、大久保、外館、菅野、小林(全21名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)窄頭匡之氏(電気電子)


窄頭(さくがしら)氏は電気電子部門の技術士で、1982年に大学を卒業後、通信事業会社に入社。小学生の時にアマチュア無線の免許を取得、大学ではマイクロコンピュータの世界に浸り、先輩がいたコンピュータ関係の出版社に寝泊まりするほど出入りして、雑誌の記事や単行本も執筆した。
会社では、1988年まで通信システム・ネットワーク、国際音声交換・伝送システムの設計、開発に従事。その後、企画部門に移って、伝送路やサービスの運用企画などに携わった。
35歳の時に英国へ赴任。国際専用回線サービスやインターネットサービスの立ち上げに携わったのち、国際電話サービスの設備導入にあたって、率先してグローバル基準に適合させる業務を行ったとのことである。
1999年には欧州のデータセンター子会社へ転任。サービス企画を主に担当した。このときにCERN(欧州原子核研究機構)に対しインターネット相互接続点を自社のサイトに張り出す提案をして成功した。CERNはhtml(インターネットのウェブページを記述する言語、方式)を開発したメンバーを輩出した組織であり、大変良い経験となったそうである。また、2001年の9.11アメリカ同時多発テロの際にはイギリスにてその対応にあたり、BCPに関する経験を積んだとのことである。
2002年に日本に帰任。大手自動車メーカー車両販売店向けネットワークの企画・設計・移行プロジェクト、法人のネットワークプロジェクト、データセンターの熱・電力問題対策プロジェクト、WiMAX基地局への回線導入プロジェクトなど、数多くのプロジェクトでリーダーを務める。2011年からは今で言うIoT(当時はM2Mと言った)やカーテレマティクス(車向け移動体通信)の企画営業の責任者となった。寝食を忘れて働いた結果、1年でドクターストップとなったが、大変濃い経験を得た時間であったとのこと。
その後は携帯電話の設計検証など技術に近い仕事へ戻り、2015年に役職定年となって取引先の会社へ転籍。ソリューション系企画営業を担当し、より現場に近い業務をしてきたそうである。
今後、職業としてやっていきたいことの第一として、目標や夢があるのに自信が持てずに戸惑っている人のサポートができればと思っている。また、技術はあるのに顧客が見つからない企業で、マーケティングの裾野を広げていく助けになりたいとのことである。さらに、工学系学生の就職活動や求人活動のサポートもおこなっていきたいとのことであった。


窄頭匡之氏ビデオ動画

(2)澤田雅之氏(電気電子)


澤田氏は1953年生まれ。1978年に大学院の電気工学専修を修了して警察庁に入庁。2013年に退職後、セキュリティ工学研究所に2年間在籍。その間に10本の報告書を作成。2015年3月に技術士を取得して、すぐに技術士事務所を開業した。

開業してすぐは、顔画像識別技術の特許申請書をひたすら作成していた。これは、昨年、特許を取得できた。独立の翌年、伊勢志摩サミットの警備のコンサルトとして、大手警備会社から声がかかった。この会社の仕事は今も続いている。伊勢志摩サミットの警備はドローン対策が中心。これが今も仕事の中心になっている。

警察庁時代からの専門は顔画像識別で、この技術については今でも第一人者であり、それが現在の技術の「下地」となっているとのこと。ただし、下地そのものは古くなってしまっている。現時点の情報で「下地」をリフレッシュして使うことが大切とのことである。

ドローン対策の論文が「警察政策」という雑誌に掲載された結果、これが現在の警察のドローン警備の唯一の規準となった。そのため、各県警などでドローン対策について講演をした。2019年4月にはNHKからドローン対策に関する取材も受けた。
また、2018年11月にSPAC(衛星測位利用推進センター)の「みちびき」(日本版GPS衛星)に関するシンポジウムで「ドローンテロ対策の視点から」というタイトルで講演。各分野のトップと並んでの公演で、光栄の極みであった。
他にも、「ドローンでわかる電気自動車・自動運転車・空飛ぶ車」というタイトルで自動車関係団体での講演、タウンミーティングでの講演に繋がったそうである。

もう一つのテーマである「発注者のエンジニアリング」については、理想的な性能発注はどういうものかということを追求している。「イノベーションに不可欠な発注者エンジニアリング」というタイトルで論文が警察政策学会資料に収録された。
日本の公官庁事業は設計と施工の分離が大原則となっており、「性能仕様書」による発注になじんでいないところに問題があるとのことであった。

4年前に独立したが、独立して3年は芽が出ない。種まきの時間だったとのこと。この間に、特許の申請、査読付き論文10本投稿、講演は50回くらい行った。その結果、昨年あたりからやっと芽が出てきた感じがするとのことであった。


澤田雅之氏ビデオ動画

1.日時:2019年4月6日(土)
2.場所:北トピア805室
3.講師:福崎 稔浩氏(機械)、芦ヶ原治之氏(化学)
4.出席者(敬称略):柳川、吉原、福崎、関根、大家、横田、平田、加藤、米森、谷、大島、芦ヶ原、大久保、外館、福崎、森田、菅野、小林(全17名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)福崎 稔浩氏(機械)


福崎 稔浩さん(機械)
福崎氏は機械部門の技術士で、製造用自動機器が専門。会社勤めを3社経験した後、1995年に40歳で独立した。
独立自営の技術士として仕事をしつつ企業内業務も行い、現在も機械システム会社の専任で業務を行っている。
独立してから産官学に渡る業務を多数手掛けた。また、独立自営の立場で大企業から自動機の機械設計を請け負って図面を納品することも多く行った。個人で機械設計を請け負うという業務は一般に広く行われており、特殊ではないとのことであった。

独立自営をやってみて感じたことは、独立自営のやり方は十人十色、捨てる神あれば拾う神あり、独立に向く人向かない人がいるということ。また、独立自営で生活費を稼ぐにあたり、サラリーマンと違い自営業では3ヶ月間収入ゼロという可能性が常にある。これを念頭に3ヶ月単位で収入を考える必要がある。また、交通費等の必要経費を考えて、サラリーマンの1.2倍の年収がないと同等の収入とは言えないとのことである。

様々な企業規模の会社での業務経験や産官学での業務経験を踏まえ、「コンサルタントは、知識や経験をもとに人に指導・アドバイスする仕事である」というわけではなく、顧客と一緒に問題を考え、共に苦労して解決策を見つけ出す仕事であると思っているとのことである。

独立自営技術士は、例えば中小企業診断士などとは違い、公的機関の要請による経済的な活躍の場がない。したがって、自己研鑽を継続して、ブランディングを確立する必要があるとのこと。また、大学等での講師のニーズも大きいと感じているとのこと。多くの大学教員は研究が主体で、ものづくりの経験がない。ものづくりに即した指導は技術士が適任と感じているとのこと。

独立する技術士へのアドバイスをまとめると、
「業務の棚卸しをしっかりする」
「収入は必要なので、競合の少ない、勝てる分野で、自分のやりたいこと、好きなことをやる」「プラン、戦略を立てる(『畳の上の水練』だけでは上達しないが、泳げないのにいきなり大海に飛び込むリスクは避ける必要がある)」
「家族の賛成・同意を得る」
「独立後に起こる困難に負けない精神力が必要。人生には『まさか』の坂がある」
「困ったときに助けてもらえる人脈を持つ」
といったことが大事とのこと。
自分では「人生をちゃんと生きてるなという有意義さ」は、やはり独立自営だと思っているとのことであった。


福崎稔浩氏ビデオ動画

(2)芦ヶ原治之氏(化学)


芦ヶ原治之さん(化学)
芦ヶ原氏は日本企業から複数の外資系企業への転職を経験し、定年後に独立した技術士である。

まず、韓国の中小企業技術指導事業における拠点活動についての説明があった。「韓日産業・技術協力財団」は技術アドバイザを求める韓国の中小企業に日本の専門家を紹介する事業を行っている。芦ヶ原氏はかつてこの財団のアドバイザーを務めていた。技術専門家として財団を通じて韓国で仕事をした経験もあり、技術士の皆さんへ登録のお勧めがあった。一人の技術者として評価され、敬意を持って迎えていただき、手応えある仕事と出会えるチャンスであるとのこと。また、異文化との交流もとても楽しかったそうである。

次に個人事務所の話が合った。独立を考えるようになったのは、27歳で結婚した翌年に会社が事実上倒産して吸収合併されたとき。会社の看板を外しても戦える技術者になろうと意識したとのこと。外資系の会社に転職し、英語力も上がった。英語は「飛び込んだ」方が苦しいけれど上達も早い。その後、別の外資系企業への転職も経験した後、定年で独立した。

独立の際はコンセプトを明確化し「お役に立てる技術支援」を目指したとのこと。現在、技術士事務所の柱は、「省エネ調査・診断・改善提案」「電気電子ポリマー材料の商品開発」「マネジメントシステム、ISO」など。他に、労働安全コンサルタントや、講演、理科教育なども行っている。

我が国の今後への思いとして、研究者、開発技術者へ敬意が払われ、多くの子供達があこがれる職業になることが、我が国の豊かさの維持、発展のもととなるとの話があった。

独立に関するまとめとして、
・広く網を張って情報を多く集めること
・ホームページは顧客からの確認情報として持つべき
・専門家仲間が必要
・人まねだけではなく自分の事務所作戦が必要
・まずは一歩踏み出すこと
・そして「感謝」
といった、独立に際してのアドバイスがあった。


芦ヶ原治之氏ビデオ動画

1.日時:2019年3月2日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:柳川 力氏(フェロー)、根本泉氏(建設)
4.出席者(敬称略):柳川、根本、飯島、鶴見、横田、矢内、原崎、顧、大久保、野田、外館、福崎、森田、菅野、小林(全15名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)柳川 力氏(フェロー)


柳川 力さん(フェロー)
柳川氏は58歳。大学の情報工学科を卒業。当時は珍しい学科であった。1983年に横河電機に入社。3年前、個人事業主として独立した。
会社では、ワープロの開発、組み込みシステムを開発する環境(ツール)の開発などを経験。1990年からは半導体LSIテストシステムの開発に従事。この仕事が一番辛かったが、これが現在の技術の基礎になっているとのこと。この業務の内容について紹介があった。
2001年からは自社のノウハウを社外に展開する開発コンサルティング業務を経験。リーマンショックで電気電子系製造業が打撃を受けた2010年以降は、プラントの開発にも携わった。製造プラントの状態や製造データなどの現場情報をリアルタイムに管理し、受発注や会計処理等の基幹システムと連携するためのシステム(「MES」と呼ばれるシステム)の開発が主であったとのこと。このMESについての説明があった。
現在手掛けているのは、ソフトウエア受託開発支援、特に経験が必要なシステム異常時の対応などを考慮したシステムの開発、測定器拡販支援、技術者に特化した人材支援などの業務などが主なものとのこと。
将来は、シニアエンジニアならではの製品開発、成熟途上の中小企業に対する生産改善(特にMESの導入)、開発改善の支援、シニアエンジニアの人材発掘と雇用促進などの業務を行っていきたいとのことであった。


柳川 力氏ビデオ動画

(2)根本泉氏(建設)


根本氏は建設部門の技術士で、1956年生まれ。大学の建築学科を卒業後、建設会社に就職。2005年2月に独立開業した。独立したときは48歳で、当時は若くして独立した技術士であった。

技術士協同組合の「独立開業セミナー」を今年も6月に開催。今年で15年目になるとのことで、その紹介があった。このセミナーを経て独立した技術士もたくさんいるとのこと。

建設部門の技術士であるが、専門は土木ではなく建築。土木は公共工事が主体だが、建築は民間が主体。その分仕事が多く、独立後もそれが役立っているとのこと。
定年前の独立は生活費を稼ぐ必要があり背水の陣。仕事への強い意志が働く。そして、独立自営は充実した生活と感じている。しかし、独立したことを後悔している人がいることも事実であり、それは自己責任である。ただし、独立前に感じるほど独立にリスクはないはずとのことであった。

独立に際して、メンター(先生)は自分で選ぶ必要がある。自分は森田さん(技術士協同組合の理事長)の姿がかっこよく見え、そのまねをした。先生は大切である。
協同組合の研究会に参加し独立した技術士との交流を深めた。これが良かった。

資格を多く取ることと仕事の売り上げは比例しない。むしろ資格マニアと思われて逆効果。技術士も資格を持っているということ以上に、他の独立した技術士と技術士同士として交流することが大切で役立つ。独立した技術士同士は専門が細分化されているので仕事では競合せず、しかし、稼がなくてはいけないという共通の目的もあり、大変良い関係を築ける。他の技術士が外から自分を見て、こんな仕事が合っているのではないか、という仕事を紹介してくれることがあり、自分では思いもしなかった仕事がフィットすることがあるそうである。

その他、新規開業準備について、技術コンサルタントの立ち位置について、開業直後の業務についてなど、技術士独立に関して幅広く実例や心得の紹介があった。詳しくは6月開催の「独立開業セミナー」に参加くださいとのこと。


根本泉氏ビデオ動画

1.日時:2019年2月2日(土)
2.場所:北トピア808室
3.講師:加藤秀昭氏(機械)、立石佳津夫氏(機械)
4.出席者(敬称略):加藤、立石、石附、宇田川、佐藤、田中、鶴見、横田、渡辺、梶屋、顧、藁科、大久保、吉原、平田、外館、窄頭、大島、森田、菅野、小林(全21名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)加藤秀昭氏(機械)


加藤氏は大学の理工学部物理学科を卒業後、エンジニアリングプラスチックの会社に就職。会社は超精密な射出成形が得意で、カセットテープやビデオテープのリールやエンジンのターボチャージャー用インペラーなどを世界に先駆けて製品化。精密歯車なども得意とする会社だったとのこと。その中で、加藤氏は光学関係製品の仕事に携わっていた。2011年に技術士を取得。2017年10月に独立開業。独立したのは57歳の時だったそうである。

会社での業務経験としては、液晶用バックライトの開発から量産、事業化について、事業の立ち上げから事業の撤退までを経験したそうである。
40歳を過ぎると研究所の統括責任者と事業責任者を交互に担当することとなり、管理、経営的な仕事にシフト。50歳頃からは、事業計画、予算計画、予算獲得が主な仕事となった。最後の業務は、テレビ用途のLED用照明レンズの新規開発と事業化。これは成功して、世界市場の60%〜80%を占有。大きな売上と利益を出した。

開業当初は「自分の商品価値が分からない」「自分の何に顧客がお金を支払ってくれるのか分からない」という課題があった。技術士協同組合の研究会に色々出席したり、技術士会の埼玉県支部での活動で自分の顧客になると思われる自宅近所の会社を探すなどをした。その後、セミナーの講師の依頼があり、2日間の射出成形の基本講座のセミナーを担当。500ページに及ぶパワーポイントの資料を2〜3ヶ月かかって作成した。大変だったが、自分のキャリアをまとめるのに非常に役だったそうである。

その後、色々な仕事が来る中で、安い仕事を長くやると仕事の質が悪くなると先輩からアドバイスを受けた。これには気を付けているとのこと。また、コンサルティングは「技術を良くする」だけではダメで、「この技術がお金を生み出す」というところまで考えないと仕事にならないと感じたそうである。

独立してからは、健康に気を付けることが大切、会社を辞めると人間関係が広がる、全てを一人でやらなくてはいけないので出来る量が限定される、会議などの無駄な時間が減った、などが分かったとのこと。また、元の会社の同僚、部下から業界の動向などを聞くのは大変参考になるので、優しく接しておくことが大切とのことであった。


加藤秀昭氏ビデオ動画

(1)立石佳津夫氏(機械)


立石氏は大学院の機械工学科を修了し、自転車の部品会社に就職。自転車部品開発設計に従事。その後、複数の自動車関係会社、液晶ディスプレー会社と転職したが、一貫して製造用ロボットの仕事に携わった。

開発をした自動車製造用ロボット、液晶モジュール製造用ロボットについての説明があった。30年近く稼働しているロボットもあり、大変寿命の長い装置となった。

現在、商社の営業担当者への技術的なアドバイスなどの業務を行っているとのこと。また、技術士協同組合の関係者から紹介のあった業務についての説明があった。仕事のオファーはホームページ経由でも来るが、こちらは良い仕事はなかなか無いそうである。スカラロボットについて半日レクチャーした際、ロボットが専門の技術士としては一番であるとの評価を頂いたそうである。

ある設備メーカーで実施した、図面評価基準作成・評価について説明があった。この図面の評価基準を基にSIerを評価したところ、SIreに対する担当者の評価とマッチしていたとのこと。これを用いて、信用金庫や銀行が中小企業をSIerとして評価するのに使えないか、と考えたとのことであった。


立石佳津夫氏ビデオ動画

1.日時:2019年1月5日(土)
2.場所:北トピア806室
3.講師:石附尚志氏(電気電子)、大塚政尚氏(機械)
4.出席者(敬称略):石附、大塚、大久保、福崎、吉原、平田、外館、窄頭、辻井、池津、五嶋、屋内、大山、西田、大島、森田、菅野、小林(全18名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)石附尚志氏(電気電子)


石附氏は電気電子部門の技術士で、会社を退職し、現在開業準備中である。大学を卒業後、映像機器・システム等が主力の通信機メーカーに就職。映像モニターの回路設計に従事したあと、電源自動検査装置のハードウエアの設計、IPカメラ映像システムの設計などに従事。その後、放送局用中継車の技術営業も経験した。
資格は技術士(電気電子)と監理技術者を所有。日本技術士会では修習技術者支援委員会の委員長をしている。

経験した業務のうち、大規模カメラシステムの設計例について説明があった。これは250台のカメラを街頭に設置して、その映像を消防署と市役所内の危機管理センターで見られるようにしたもの。また、撮影した全てのカメラの映像は5日間記録されるシステムである。映像をカメラから伝送する際にいかに情報量を削減するか、また、カメラ250台分の映像を効率的かつトラブル時にも全滅しないように記録するにはどうすべきかといった課題に取り組んだとのことである。納入したシステムは安全安心に対する市民の評判も高く、納入後10年以上経つが、まだ使用されているとのことであった。

また、放送局向けの中継車の紹介があった。事件現場にいち早く駆けつけるFPU(Field Pickup Unit)車、衛星中継のためのSNG(Satellite News Gathering)車、マラソン中継専用の中継車の説明があった。さらに昨年の12月から放送が始まった8K映像を撮影するための8K中継車も紹介された。これはリオオリンピックの収録のためブラジルへ運んで使用した中継車とのことであった。


石附尚志氏ビデオ動画

(2)大塚政尚氏(機械)


大塚氏は機械部門の技術士で、大手電気メーカー勤務を経て独立後、(株)スノーヴァという会社を起業。2000年にはマザーズへ上場した。独立は、技術士協同組合の森田理事長の言葉がきっかけだったとのこと。

これから独立しようとしている技術士に向けて次のような話があった。
 ・畳の上の水練では上達しない。独立開業して成功するには、開業してから失敗を経験して試行錯誤していくしかない。
・自分のやってきた技術だけでは食えない。会社を辞めたら会社でやっていた技術は1年もすれば会社に残っている後輩に追い越される。人がやらないことを探してそれを仕事にする。

これからは、技術をベースとした企業経営支援、特に中小企業の企業再生、事業再生が狙い目であるとのこと。経営者が高齢化し事業継続が困難になっている中小企業が多い。その中で優良企業は別の会社が買収してしまうが、普通の企業は売れず、赤字企業はどうにもならない。危ない会社には銀行も手を出さない。こういう企業、事業の再生は従来、弁護士、公認会計士、税理士などが手掛けてきた。しかし、彼らにはものづくりの技術的な部分が分からない。そこに技術が分かる技術士の仕事がある。

このような企業との「出会い」がある場所として、
・帝国データバンクの資料(評点が45点以下のところ)
・金融機関
・事業引継ぎ支援センター
・DIPファイナンス
などの説明があった。

今後の技術士協同組合での活動の提案として、
・技術経営実践者(技術経営責任者)の発掘
・技術経営実践者の養成/育成
・DIPファイナンス対応ネットワーク(DBJ/地銀/信金)
・技術士以外とのネットワーク(弁護士/会計士/税理士)
・技術士協同組合内での勉強会(弁護士/会計士/税理士の参加)
などの説明があった。また、本日の研究会に同席した、大塚氏と企業再生の仕事で連携している弁護士、DIPファイナンス専門家の紹介があった。

新規開業技術士支援研究会終了後、引き続き開かれた「インキュベーション研究会」でも新たな組合の活動にすべく議論され、事業再生を手掛ける技術経営実践者を発掘育成する活動を定期的に行っていくこととなった。


大塚政尚氏ビデオ動画

1.日時:2018年12月1日(土)
2.場所:JEF会議室
3.講師:大久保俊彦氏(機械)、増田和雄氏(フェロー)
4.出席者(敬称略):大久保、増田、福崎、吉原、平田、外館、窄頭、西田、大島、森田、菅野(全11名)
5.事例紹介:講師と事例

(1)大久保俊彦氏(機械)


 大久保氏は1978年に千葉大工学部を卒業して日産ディーゼルに入社した。1992年に技術士(機械部門)を取得し、1994年ごろから技術士協同組合のPL関連の研究会等に参加して2000年に独立自営した。
現在の仕事は、大きく以下の4つに分類される。
1)事故調査(損保、弁護士)、2)産学連携支援(大学支援機関)、3)技術評価(学協会、シンクタンク、金融機関)、4)技術により経営支援(中小企業、ベンチャー)
 また、事故鑑定事例の紹介があった。
平成24年の自動車運転事故に関して、一審は有罪(過失運転致死罪)だったが、2審で無罪となった。ここでブレーキ過熱によるべーパーロック(ブレーキ液が加熱で泡が発生しブレーキが利かなくなる)現象の類似事例を国会図書館で見つけて鑑定書を作成した。国や検察相手の裁判であり、有罪率99.5%以上というこれまでの刑事事件結果を覆して無罪となり、被告からは大変感謝されたとのことである。
 会社のコンサルの他に、大学や弁護士との連絡した幅広い業務を手掛けており、また技術士協同組合のインキュベーション研究会の世話役も行っており、サラリーマン人生では味わえない独立自営の面白さを示していただいた。


大久保俊彦氏ビデオ動画



(2)増田和雄氏(フェロー)


 増田氏は産業機械輸入専門商社である株式会社ケーブラッシュの会長を務めており、会社紹介や産業機械業界の動向、さらにはセールスレップビジネスの紹介をしていただいた。
 ケーブラシュはドイツのベルリン大使館に関係していた岡崎嘉平太氏たちにより1953年に設立され、今年で65年になる。対象商品は日本に無く、大手企業で作らない少量多品種の製造機械が中心であり、無段変速機、金属加工機、計測器などである。技術移転は1960年ごろから1980年ごろにかけて行われてきており、射出成型機は大手国内メーカに移転して大きな事業になった。また、成田新幹線用の常温超電導浮上リニアモータも導入したが、新幹線は実現されなかった。
 産業機械業界として、工作機械は1兆5千億円の市場で、プラスチック関連は2千億円の市場規模である。この10年ほどは国内市場は横ばいで、海外市場で増加している。これは最新の工作機械は海外工場で稼働しており、国内の製造業は古い機械が更新されず、日本の製造業の力がなくなって元気がないとのことである。日本の産業技術は、ベースは海外から導入して技術改良が中心で、新しいイノベーションがないという指摘があった。日本流の良い工作機械は実現できたが、標準化等で世界には通用しないものとなっているとのことである。
 ドイツは2030年にインダストリー4.0を完成する計画で、最近は日本に対して産業用ソフトやアイディアの売り込みが盛んであり、大使館等でセミナーなども開催されている。この辺りで技術の目利きとしての技術士の力を借りたいとのことである。


増田和雄氏ビデオ動画

1.日時:2018年11月3日(土)
2.場所:北トピア806室
3.講師:黒沼精一氏(経営工学)、大島正氏(機械)
4.出席者(敬称略):黒沼、渡辺国、野田、永東、石田、福崎、青木規、青木功、佐藤一、大島、稲光、佐藤泰、大久保、森田、菅野(全15名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)黒沼精一氏(経営工学))

黒沼氏は北海道在住の経営工学部門の技術士補で、47歳で最近独立開業の手続きを行った。
出身大学は佛教大学修士課程で、一級土木や造園の資格を有している。
世界の1%の人ができるという、ベンチプレス100Kgや、柔道3段の特技を持っている。
またエジプトや、ブラジルの農業視察など世界70か国を旅した経験を持っている。
技術コンサルタントの開業に際して、開業届や創業支援の手続きを地元商工会などに相談して行っている。
この経験を基に、創業支援やミラサポ等の補助金獲得支援なども計画している。
社会的課題の解決のためのソーシャルビジネスに興味があり、北海道地震のリスク対策として、停電の酪農への課題などの話があった。
会合後のニューシビル研究会では、黒沼氏へのビジネス提案として海外の停電用の発電機や、酪農の搾乳機の日本への紹介するセールレップのビジネス等が紹介された。
これからIT21などの技術士会関連会合等で人脈を広げて、技術コンサルビジネスを進めていくとのことである。


黒沼精一氏ビデオ動画

(2)大島正氏(機械)

大島氏は団塊の世代の技術士で、東京大学工学部大学院修士課程産業機械工学科を卒業後に横河電機に入社した。
初めの10年は工業用センサーなどの技術開発を行い、特許も100件ほど出願している。
次の10年は品質保証関連の仕事を行い、最後の10年はJEITA等の業界団体へ出向して人脈を広げていった。
自営業は父親や建設部門の技術士である叔父の影響で興味を持っており、86年に技術士の資格を取得した。
技術士起業のチェックポイントとして、下記の紹介があった。
・起業の思い・モチベーション
・起業ノート
・3つの壁:アイディア、行動力、マインド
またリスクに備えるためには、
・心身の健康
・協力者(家族、友人・・・)
・経済的保障
があり、ワンルームマンションの不労所得ビジネスの紹介があった。
その後、失敗学会の台湾ツアーの紹介があった。
今年の5月に4日間のツアーであったが、八田與一など台湾で尊敬されている日本人の紹介があり、
台湾における日本の古き良き精神を、逆に教えてもらったとのことである。


大島正氏ビデオ動画

1.日時:2018年10月6日(土)
2.場所:北トピア601室
3.講師:顧 静氏(フェロー)、鶴巻 広一氏(建設)
4.出席者(敬称略):顧、鶴巻、新井田、土屋、渡辺国、掛川、片山、石附、綾部、金谷昌、黒沼、外館、野田、佐藤一、大島、平田、福崎、大久保、森田、菅野、小林(記)(全21名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)顧 静氏(フェロー)


顧さんは中国の無錫市生まれ。中国の大学卒業後、名古屋大学大学院に留学。専門は国際開発。技術士ではないが、日本技術士会と連携して中国への技術者紹介等の業務を行っている。

大学院を修了後、名古屋外国語専門学校講師をしていたが、子供ができたのを期に退職。その後中国に戻って日系企業の社長秘書となる。
再度日本に来てから、展示会で知り合った中国人経営者からの縁で、中国人経営者が来日した際に日本技術士会との交流会を開催。そこから仕事が広がり、現在、コーディネーターとして活躍している。

交流会事業についての紹介、専門家紹介業務についての説明、技術転移についての業務紹介があった。また、現在進行中の業務の紹介があった。

中国企業と契約をスムースに進めるには文化的背景の違いを理解することが大切。
日中文化の相違点であるが、中国は失敗しながら改善、成長していく。決定すればスピードが速い。また、撤退もすばやい。日本は準備を周到にする。その分、時間がかかる。中国は個人主義、日本はまじめで集団の和を大切にするように感じる。

自分の強みは、日本での子育ての経験を通じて、日中両国の文化・気質の違いを理解していること。また、長所はポジティブで明るく、協調性、柔軟性があり、臨機応変な対応ができることだそうである。今後は、より多くの技術士から学び、連携を深めるとともに、コーディネーターとしてのプロデュース力を高めていきたいそうである。
好きな言葉は、ブランドプロデューサーの柴田陽子さんの言葉から、「『気が利くこと』とは、想像力。」相手のことを考えると上手くいくと思っているとのことであった。


顧 静氏ビデオ動画

(2)鶴巻 広一氏(建設)


鶴巻氏は現在57歳。大学院の農学研究科を1986年に修了後ゼネコンに就職し、後に建設コンサルタント会社に転職。建設コンサルタント会社を何社か経て、2015年に技術士事務所を設立して独立した。独立して3年になる。

ゼネコンではトンネル、橋梁下部工の施工管理を経験。ゼネコン時代、20代の代表的な仕事として、台湾の新交通システムの仕事の紹介があった。

建設コンサルタントに転職し、30代の代表的な仕事として、庄和排水機場の詳細設計の紹介があった。この仕事では、河川構造物で大規模地震動に対する耐震性能を動的解析ではじめて照査したそうである。
40代になってからの代表的な仕事として、中越地震で被災した妙見堰の復旧設計・被災要因解析と、二ヶ領上河原堰改良詳細設計の紹介があった。

建設コンサルタント会社にいると国の機関等からの「表彰」を取る必要がある。表彰を取ると、プロポーザルの得点が上がるため。これまで、4件の表彰をもらった。これは、独立してからも良い宣伝材料になっているそうである。

独立当初は、昔在籍した会社の後輩や、国の外郭団体等から電話でオファーをもらうことで仕事が始まることが多かったとのこと。また、コンクリート診断士会の懇親会で調査会社と懇談したところ、社長と面談することとなり、維持管理計画の継続的な指導を受注するということもあったそうである。
一方で、建設コンサルタント同業他社への訪問営業は、3社から前向きな返事をもらったものの、結局仕事に結びつかなかったそうである。

これまで技術士協同組合で森田理事長から聞いた三原則のうち、次の二つは独立して実感した。
一つは「マルチクライアント」。突然仕事が来なくなるリスクは常にある。
もう一つは「自己否定」。自分のノウハウを教えていくと、いつかはその会社にとって自分が不要になるのではと感じたそうである。
ただし、「契約するまでが仕事」という言葉の意味は、未だにピンと来ないそうである。

独立自営を考えている方へのアドバイスとして、一つは、毎年5月に技術士協同組合で実施している「独立セミナー」への参加を勧めるとのこと。
また、悩みや不安のほとんどは独立したら自然に解決するだろうとのこと。特に、独立前に個人事業主になってみれば、不安の9割くらいは解決する。独立前の練習にちょうどいいとのことである。
そして、一番の課題は、どうやって仕事を取るかに尽きるとのことである。


鶴巻 広一氏ビデオ動画

1.日時:2018年9月1日(土)
2.場所:北トピア808室
3.講師:新井達夫氏(建設)
4.出席者(敬称略):新井、外館、川村、野田、佐藤一、鶴巻、錦織、岡田、大島、平田、福崎、木崎、鶴見、根本、大久保、森田、菅野、小林(記)(全18名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)新井達夫氏(建設)


新井氏は1964年生まれ。建築部門の技術士に2002年に合格。昨日、8月末で会社を退職し、今日、9月1日から独立することとなった。

大学の土木工学科を1988年に卒業し、橋梁専業会社に就職。入社数年で設計から施工までの一連の仕事を経験することができ、それがその後の財産となっているそうである。
その後も橋梁の設計、施工を手掛け、2002年に名古屋に転勤。このときに技術士にも合格し、独立を考えだしたそうである。

2006年に営業を経験するためにハウスメーカーの営業職に転職。このときの経験から、「営業には人それぞれのやり方がある」こと、「YES、NOをはっきりさせてから対策を考えるのが大切である」ことなどを学んだそうである。

その後、2010年に技術職に復帰すべく、建設コンサル会社に転職。橋梁点検や補修設計などを担当。大変忙しい職場だったそうであるが、報告書のまとめ方やそのスピード感を学んだとのこと。

さらに、2011年から昨日、8月末まで、最初に在籍した会社の関連会社である建材製造販売会社に在籍。コンクリート鉛直打ち継ぎ目処理シートの開発や埋設型枠の設計と技術営業、施工などを担当。国土交通省が推進する工事の効率化に適用する製品を作り出したそうである。

独立しようと思うきっかけとなったのは、最初に入社した会社の上司から言われた「技術者になるなら会社を辞めても独立して食べていけるような技術者になれ。その覚悟で日々勉強し、自分への投資を怠らないこと。」という言葉。それからしばらく経ち、会社に縛られたくないという思いから独立を考えたそうである。

独立した現在、当面は、継続案件を前所属会社から請け負って行う予定だそうである。その後は、「埋設型枠の拡販活動」「新しい埋設型枠用との提案と実用化」「販売代理店も視野に」「既設構造物のメンテナンス」(ただし、競合会社が多いので、自分の得意分野に絞り込む)「不動産との融合」など、事業の構想の紹介があった。


新井達夫氏ビデオ動画

1.日時:2018年8月4日(土)
2.場所:北トピア808室
3.講師:力武 健次氏(情報工学)、坂本 文夫氏(建設)
4.出席者(敬称略):外館、力武、坂本、吉原、阿部、黒沼、舘泉、福崎、木崎、鶴見、根本、大久保、森田、菅野、小林(記)(全15名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)力武 健次氏(情報工学)


力武氏は1965年生まれ。2001年に技術士登録した情報部門の技術士である。これまで、産・官・学の全ての仕事を経験し、2014年4月に開業した。

4年前に新規開業技術士支援研究会で発表したが、その後は、情報セキュリティ教科書の日→英翻訳と、その実サービスの日英翻訳支援、コンピュータ言語(C# / C++)設計書の翻訳とその教育システム開発などの業務を実施。現在は、GMOペパボの研究開発コンサルタントを行っている。また、情報処理安全確保支援士の業務開始準備中とのことである。

独立開業した理由は、組織の変なルールに縛られ、イヤなことをやらないため。特に「通勤は人生の大敵」で現在でも「通勤しないこと」を最優先し、打ち合わせも「テレカン」(テレビ会議)を最大限利用するスタイルとのことである。とにかく、勤務時間を管理されたら人生の終わり、と考えているそうである。

独立自営の自由のため、自分が顧客に縛られる必要は無いという原則を死守する一方、顧客は「得られる価値に対して支払金額が安い」と感じるから発注してくれることを忘れず、支払いが多くても安いと思ってもらえるよう最大限の努力を尽くすとのことである。

また、「お金は大切」であるから、学会等の終身会員になったり、若く時間のあるときに資格を取ったりという先行投資は重要とのこと。さらに活用できる公的助成は全部活用したそうである。ただし、借金をしたら終わりと考えて、借金は絶対にしないそうである。そして、ITの仕事はPCと参考書があればできるから、これまで仕事がやれてきたとのことである。

現状の分析として、インターネット屋の仕事は基本的に「広告業」であること、コンピュータ屋の仕事のうちネットワーク維持等のインフラ的な仕事は「必要な仕事」であるがお金が回ってこないことなどが解説された。その上で、商機/勝機として、自分の専門、やりたいこととは少し別の、古い言語・システムの知識が仕事になりやすいこと、顧客の要望は技術以外にあること、コストとセキュリティ、システムの堅固さと開発スピードなどの説明があった。

そして、なぜ独立したのかを常に考えて、一番大切なのは時間であるということ。また、一人で仕事する方が成果が出せるタイプであるという認識のもと、一人で食べていけるようになることが生きる上で一番大事、との話があった。


力武健次氏ビデオ動画

(2)坂本 文夫氏(建設)


坂本氏は建設部門の技術士で、60歳で定年退職後、会社に再雇用では残らず技術士として独立した。

会社を退職後、大学通信課程の経済学部に入学。レポート提出や試験等があり大変であったが、建設部門の技術士としては役に立ったとのこと。公共投資は国の経済政策に大きく左右され、土木事業などはそれと密接に関係があるので、経済が分かるようになったのは仕事にも役立っているそうである。なお、経済学部通信課程の卒業率は3.3%。卒業の際、教授から自信を持っていいと言われたとのことである。

独立後、技術士会のセミナーに参加したり、事故研究会に入会したりした。また自治体の技術監査の仕事も行った。その後、東日本大震災の震災復興支援活動のための技術者が足りないということで応募したところ合格。神奈川県任期付き職員として採用された。そして、宮城県松島町に派遣され水道事業所勤務となり、現在も継続中である。仕事はポンプ場の設置など。土木は専門だが電気や機械は専門外。しかし技術者が足りないので自分で勉強して対応した。大変だったが、とても勉強になったそうである。
仕事の合間に足を伸ばした松島や瑞巌寺などの紹介があった。

また、技術士会での仕事として、2017年に海外活動支援委員会の委員に就任。ベトナム小委員会に所属。技術士の活動拡大のためにボランティア精神で計画を進めている。
委員としての活動として、18年3月13日から1週間ベトナムを訪問。技術士の活動を広げるのが目的で、ホーチミン市の経済状況調査や企業訪問などの様子が紹介された。
今後、ダナン大学と連携してワークショップの開催の後、技術士を送り込みたいと考えているとのこと。また、ダナン技術師範大学とも今後相談して、活動を広げたいとの説明があった。

独立してから感じたことはつぎのようなこと。
 1.技術士であってもすぐに仕事にありつけない。
 2.色々な講習会に参加して雰囲気を掴み、人脈を作る。
 3.技術士登録グループを探し、自分に合ったグループに入会する。
 4.いくら能力があっても、自己主張の多い人は相手にされない。
 5.人に頼らず自分の力で仕事を見つける。
 6.自分の特徴(セールスポイント)を知り、仕事を見出す。
上記の点について、説明があった。


坂本文夫氏ビデオ動画

1.日時:2018年7月7日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:今澤伸次氏(建設)
4.出席者(敬称略):今澤、平田俊、外館、佐藤一、吉原、顧、大島、渡邉、今井、大久保、森田、菅野、小林(記)(全13名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)今澤伸次氏(建設)



今澤氏はコンサルタント会社から独立して会社を興し、創業11年目、現在55歳になる建設部門の技術士である。
5年前に「新規開業技術士支援研究会」で発表した当時の状況から、5年を経過しての変化について説明があった。

5年前に行っていた仕事のうちで現在はほとんど行わなくなった仕事は、不動産業者、デベロッパーとの建築の仕事、工場・ホテル・飲食店関連の仕事、労働コンサルとしての仕事、技術フォーラムでの監査の仕事だそうである。
つまり、5年前に比べ、本来の専門である土木関係の仕事、建築設計事務所の土木の仕事、土木設計事務所の仕事が増え、開業当初行っていた建築関係の仕事は減っている、ということだそうである。
これは「選択と集中」の結果とのこと。創業したての頃は「なるべく幅広く」仕事をした。これは、実績を作るためと、とにかく仕事を確保するため。現在では、
 1.やりがいのある仕事
 2.実績を積むことができる仕事
 3.信頼関係を築くことができる得意先との仕事
 4.手離れが良い仕事
 5.資金回収の早い仕事
を優先しているそうである。

その結果として、現在の主な仕事は、1.道路造成河川砂防の設計、2.橋梁・トンネル調査・補修設計、3.事故原因調査、になったとのこと。主な取引先は、地方公共団体、NEXCO中日本、建設コンサルタント会社、建築設計事務所、ゼネコン、損害保険会社とのことである。

これまでの失敗例について説明があった。そのうち特に、「契約書を交わさないまま設計が始まってしまう」ケースや「社員のモチベーション変化に気づかず顧客クレームとなる」ケースは未だに改善が難しく、特に気を付けているそうである。

5年前に「独立の動機」として説明した内容は次の5点。
 1.ああすれば良かったと後悔したくなかった
 2.腕試ししたかった
 3.所属組織では自己実現できないと感じた
 4.経済的に自由になりたかった
 5.家内の理解が得られた
今振り返ると「独立して良かった」と思えるそうである。また、独立時や独立後に協力してくれた周囲の方々に感謝しているとのことであった。


今澤氏ビデオ動画

1.日時:2018年6月2日(土)
2.場所:北トピア601室
3.講師:外館秀一氏(機械)、上野仁氏(情報工学)
4.出席者(敬称略):上野、福原、平田俊、舘泉、外館、川村、佐藤裕、佐藤一、吉原、井上、渡辺国、顧、米森、福本、野田、大島、阿部、大久保、森田、菅野、小林(記)(全21名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)外館秀一氏(機械)



外舘秀一さん(機械・経営工学)

外舘氏は現在プラント会社に勤務する機械・経営工学部門の技術士である。
1983年に大学の工学部機械工学科を卒業し、大手プラント機械会社に入社。入社後は紙パルププラントの設計に従事。その紙パルプ(製紙)プラントについての説明があった。また、この仕事は海外の企業と技術提携しており、その技術提携先のフィンランドでの経験についての説明があった。

2000年からは一般廃棄物焼却施設、産業廃棄物プラント関係の業務を担当。焼却炉の設計の他、機器の買い付け等にも携わる。この業務で経験した都市ゴミ焼却施設の仕組みについて説明があった。また、この業務を担当していた2009年に技術士(機械部門)を取得したそうである。

その後、2012年にプラント建設エンジニアリング会社に転職。ここでは技術提案書の作成や、海外コンサルタント会社との協業などを行っていた。アラブ首長国連邦(UAE)でも業務を行ったとのことで、金曜日が休日であったり、昼間はあまりに暑く屋外作業ができなかったり、酒類販売が原則禁止であったりと現地ならではの経験談の紹介があった。

2016年から現在のプラント会社に勤務。下水処理プラントや汚泥焼却設備関連の仕事を担当。2017年には経営工学部門の技術士も取得した。

資源の乏しい日本は、技術立国として未来の技術者を育てることが急務であり、そのための社会貢献を意識しているとのこと。出身大学の技術士会の活動として、科学技術振興機構が主催する「サイエンスアゴラ」というイベントへの出店等を行っている。他に、大学同窓会として奨学生制度に参画する活動も行っているそうである。
また、労働災害の低減に関する活動もしており、今後の労働災害の低減にはAIの活用が必要なのではないかと考えているとのことであった。


外舘氏ビデオ動画

(2)上野仁氏(情報工学)



上野仁さん(情報工学)
上野氏は大手電気メーカーを退職後、技術士事務所を開設して独立。その後、第一工業大学の教授となり現在も務めている。技術士事務所は引き続き開いているが、開店休業状態だそうである。情報部門の技術士であり、博士号も取得済みである。

大学では「シート型圧電センサから得られる信号処理方式の研究」がメインテーマ。実際に手を動かし、回路を組んだりソフトを書いたりする方が性に合っているとのこと。他に、サイバーセキュリティ技術動向調査、ブロックチェーン技術の調査・解説、自動車IoT関連技術の動向調査等を依頼され実施したそうである。このうち、ブロックチェーン技術の調査・解説は技術士協同組合の研究会での発表がきっかけとなり、本を執筆する企画も進んでいるとのこと。

シート型圧電センサの信号処理の研究は、ピエゾフィルムというシート型圧電センサを利用し、見守り支援システムに応用する構想。社会の高齢化に伴なう孤独死の問題への対応として「見守りシステム」への利用をはじめ、圧電センサで生体情報を取得することで椅子に座っただけで個人認証するシステムなどへの展開も研究中だそうである。
元々、技術士や博士号取得時はOSやコンピュータアーキテクチャが専門であった。しかしこれらのテーマは大学において個人、少人数で研究するのは難しい。シート型圧電センサの信号処理の研究は少人数でできるテーマとして取り組んでいる。一方で、すぐに製品応用できるものでもないので、大学で研究するのに適していると感じているそうである。

その他、調査業務を行ったサイバーセキュリティ技術、ブロックチェーン技術、自動車IoT関連技術の概要について紹介があった。それぞれ、調べてみると奥が深く、おもしろいテーマであると感じたそうである。


上野氏ビデオ動画

1.日時:2018年5月19日(土)
2.場所:北トピア807室
3.講師:ステアリングメンバー7名
4.出席者(敬称略):受講者10名

2018年技術士独立開業セミナープログラム







1.日時:2018年5月5日(土)
2.場所:北トピア807室
3.講師:森 豊氏(機械)、早乙女弘氏(電気電子)
4.出席者(敬称略):森、福崎、福原、平田俊、舘泉、外館、早乙女、野田、大島、阿部、大久保、森田、菅野、小林(記)(全14名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)森 豊氏(機械)



森氏は独立開業して10年になる機械部門の技術士である。大手ポンプ会社を家庭の事情で56歳で退職し、すぐに開業した。会社には約30年在籍し、始めの10年を修業時代としても、その後20年は技術者として仕事をしたが、その会社員としての20年と独立後の10年が同じくらいの長さに感じるとのことである。

独立して最初に行ったことは、1)新規開業技術士支援研究会への参加、2)先輩の意見を聞く、3)人脈作り、4)事業計画書の作成、5)何らかの仕事の確保、だったそうである。事業計画書の作成は、独立の目的をはっきりさせる、捨てられるもの捨てられないものをはっきりさせる、具体的な目標を決めるという点でも大切とのこと。そして事業計画は毎年見直し、修正しているそうである。

仕事は、人脈作りの中での営業活動、知り合いの紹介、口コミで獲得してきたそうである。また、役所の仕事はホームページから来ることが多いとのこと。仕事に繋がる得意技術は「点」であるが、技術士の仕事をしていく中で、その点が繋がって「線」となり、その線が繋がって「面」となっていった。その面の中に仕事があるとのことである。

独立自営の時期は、経験上、早いほうが良いとのこと。仕事が軌道に乗るまで3〜5年の「助走期間」が必要なことの他、体力や、やる気の面でも若い方が有利だからとのことである。

今後の希望、夢は、できれば「生涯現役」で、人を楽にするために、社会のために「ハタラク」ようにし、街の小さな老舗のお菓子屋さんのように「100年企業」を目指したいとのことであった。

森豊氏ビデオ動画

(2)早乙女弘氏(電気電子)



早乙女氏は2018年3月に大手電気メーカーを定年退職。この4月に技術士事務所を立ち上げた、60歳になる電気電子部門の技術士である。

会社では、ワープロの設計開発、鉄道製品の設計開発や鉄道事業者との新システムの開発を経験。50歳の時に体調を崩したのを機に工場内の技術管理を担当し、その後、海外の鉄道メーカーとの合弁会社への出向も経験した。

独立の目的は、1)地域産業の活性化に貢献する、2)地域中小企業の働き方改革や生産性革命の支援、3)公営の地域産業向け事業活動の支援とのことである。このために地元自治体の中小企業支援センターの地域産業振興コーディネータに登録した。

しかし、なかなか仕事に繋がらないため、会社時代の経歴を整理。その結果、地域産業の活性化に貢献するという目的のために、過去の業務経験を活かしたサービス提供を行いたいとのことである。具体的には、
 ・ワープロの設計開発の経験から「ガリバー的視点」の製品企画
 ・鉄道事業者との新システムの開発経験から営業的視点でのモノの標準化
 ・工場内の技術管理の経験から企業の生産性改善、企業の業績改善
などの業務を行っていきたいと考えているとのことであった。

早乙女弘氏ビデオ動画

1.日時:2018年4月7日(土)
2.場所:北トピア801室
3.講師:福崎昌宏氏(金属)、河面英則氏(電気電子)
4.出席者(敬称略):河面、顧、福崎、渡辺国、春山、平田俊、新井田、吉原、舘泉、外館、早乙女、上杉、稲村、坪井、大島、高堂、大園、大久保、森田、菅野、小林(記)(全21名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)福崎昌宏氏(金属)


福崎氏は1980年生まれ。大学院で金属工学を修了後、貴金属加工製造会社に入社。約8年勤務の後、現在は建設機械製造会社に勤務している金属部門の技術士である。
貴金属加工製造会社では、高温用白金材料の開発・量産立ち上げ・不具合対策、白金パイプ加工、白金合金熱電対加工の量産立ち上げなどを経験。
現在の建設機械製造会社ではガス軟窒化処理に関する分析、高温浸炭における結晶粒粗大化防止の研究と実用化などに従事している。
技術士取得のきっかけは資格手当が出るからといったものだったそうであるが、二次の筆記試験終了時に大きな達成感があり、この資格を活かしていきたいと考えたそうである。
独立予定は来年の4月で、「金属分析を通してお客様の役に立つ」をキャッチコピーとしたいとのこと。
独立後の業務としては、金属材料の組織観察方法、金属組織と機械的性質について、電子顕微鏡の原理と観察方法の指導、金属材料の不具合調査、対策などを考えているとのこと。また、人材教育についても「楽しく生きる」をテーマに、将来的に仕事として立ち上げていきたいとのことである。
独立の準備として、技術士協同組合や技術士会の独立セミナーの受講のほか、講演のボイストレーニングを受け、宣伝を兼ねて今年1年で5回の講演を行いたいとのこと。独立後は月収100万を目指すとの目標紹介があった。
懸念事項として、現場を離れることで技術力が低下しないか、どんな人や団体に売り込むべきか、他の資格も必要か、FacebookやSNSをどう活用するか、税金、保険、年金などはどうするかといったことが挙げられた。それに対して、技術士協同組合の独立開業セミナーが大いに参考になるはずとのアドバイスがあった。


福崎昌宏氏ビデオ動画


(2)河面英則氏(電気電子)


河面氏は2002年に独立開業した電気電子部門の技術士である。大学の応用物理学科を卒業後、大手電機会社に入社。パワーエレクトロニクスの仕事に従事していたそうである。
会社では、パワーエレクトロニクスの開発設計製造の責任者となり、大きな開発予算を使って充実した仕事をしていたとのこと。ところが、自身が責任者として世界最大容量のインバーター機器を開発して開発機を鉄鋼会社に納入した際に大トラブルが発生。1年かけてトラブルを解決したが、解決後NEDOに出向となってしまった。この時点で、独立を決意したそうである。そして、独立のために技術士を取得したとのことである。
独立の準備として、先輩技術士を観察し、いろいろと話を聞いたとのこと。また、すべて自分自身でやる訓練、年金や保険の勉強、そして、80歳までの生活設計のシミュレーションを行い、最低限必要な年収などを想定しておいたそうである。このような準備と、会社の退職制度との兼ね合いで、決意から独立まで6年かかったそうで、やはり、ある程度の準備期間が必要とのことであった。
独立後は、NEDOに務めていたころの繋がりで、仕事を回してくれそうなところにアタック。NEDOの調査業務等の仕事を行ったとのこと。なお、独立の準備として色々な資格を取ったが、結局、技術士があれば他の資格は不要だったそうである。
独立自営で感じたことは、代役がいないのでスケジュール管理が大事であること、顧客をどう見つけるか、いくらで請け負うかの営業活動が大切であること、健康第一で何事も自己責任であることだそうである。そして、独立自営は、実に気楽で、気分がいいとのことであった。なお、独立自営を目指すなら、精神的にも体力的にもエネルギッシュな若いときの方がいいとのことである。
このほか、独立自営を考えている人へのアドバイス、独立前の準備、独立自営のやり方、仕事をやっていくための留意点など、多くのアドバイスがあった。


河面英則氏ビデオ動画


1.日時:2018年3月3日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:大園剣吾氏(金属)、高堂彰二氏(上下水道)
4.出席者(敬称略):田代、顧、渡辺良、福崎、渡辺国、春山、平田俊明、新井田、石川、久井、外館、阿部、前嶋、高堂、大園、大久保、森田、菅野、小林(記)(全19名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)大園剣吾氏(金属)


大園氏は2017年1月に独立開業した、39歳の金属部門の技術士である。
大学を卒業後、大手印刷会社に入社。フィルム技術の分野で生産技術に携わった。会社員時代に「液晶コンビナート」の立ち上げを担当。大変良い経験になったそうである。
独立を志したのは、もともと親が自営業で、家で仕事をする姿を見ていたということも影響しており、大きな仕事を成し遂げたいという思いと、起業に関するビジネス本の影響も大きかったとのことである。
開業時、ハローワークに行った際に、たまたま見つけた若い社長さんが営む特許調査会社の仕事が今でもつづいているとのこと。そこで教育事業の提案もして仕事を育てているところとのことである。
また、自身のホームページを通じて公的支援業務の仕事のオファーがあり、知り合い技術士の仕事を知る良い機会になったそうである。
この1年で体が資本とつくづく感じた。今後の業務はまだまだ模索中。コミュニケーションが課題であり、仕事の価格の付け方に悩んでいるとのこと。先輩方に助けられながらなんとかやっている状況。「技術士」という看板に泥を塗らないようにやっていきたいとのことである。


大園剣吾氏ビデオ動画


(2)高堂彰二氏(上下水道)


高堂氏は2003年に45歳で独立開業した上下水道部門の技術士である。
大学を卒業後、建設コンサルタント会社に入社。会社では仕事は順調であったが、当時、土木業界全体が仕事が減っていたのと、営業部門に異動となったが営業に専念するのに抵抗があり、自分の人生であるからと独立することとしたそうである。
独立に際して「畳の上の水練」はいくらやってもダメで、おぼれる覚悟で飛び込むしかないとのことである。なお、自身を含め会計のことを心配する人が多いが、これは儲かってから考えても遅くないとのこと。技術士の会計は仕入れや在庫などがなく簡単とのことである。
また、いくら独立しても一人では生きていけない。仕事も技術士仲間からの紹介で来ることが多いそうである。それは、技術士は一人一人専門が違うので競合することが少ないからで、行政書士などの同業者がライバルとなる関係とは違うとのことであった。
今、一番力を入れて行っている仕事は、技術鑑定、事故調査、PL。海外業務も「EBRD」(欧州復興開発銀行)の仕事で色々な国に行った。しかし、EBRD関係の仕事が事業仕分けの対象となり、なくなってしまったそうである。
また、本の執筆もしており、技術士の受験対策本や、水道、下水道の入門書等を何冊か出版した。本の執筆は業務の隙間の時間を有効活用できる。その他、技術者教育として、セミナーの講師をやったり、埼玉大学で技術者倫理を教えたりしている。
技術士の仕事はサラリーマンの仕事の延長線上にはなかなか無いとのこと。自分の業界のメインではない外側に仕事があるとのことであった。
技術士同士の仕事の紹介も有効。仕事を紹介するには、よく知っている人である必要があるので、仲間の紹介による仕事は確実なことが多いそうである。
仕事は、日雇いのような仕事、半年先を見据えた仕事、2〜3年先を見据えた仕事を組合せできると良いとのこと。
大切なのは、技術士仲間と飲み食いして、お互いをよく知ることだと思っている、とのことであった。


高堂彰二氏ビデオ動画

1.日時:2018年2月3日(土)
2.場所:北トピア801室
3.講師:山添雅彦氏(電気電子)、藤田泰正氏(機械)
4.出席者(敬称略):藤田、春山、平田俊明、戸館、福原、岸、山添、青木、新井田、加藤、前川、西川、福崎、前島、神田、川村、大久保、森田、菅野、小林(記)(全20名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)山添雅彦氏(電気電子)


山添氏は現在、放送局に勤務する技術士である。放送の電波を発射する送信設備に関する開発、調査、人材育成などを専門としており、平成28年に技術士を取得した。

放送局では「テクニシャン」としての仕事も多いが、それでは満足できず「エンジニア」として活躍すべく、技術士を取得したとのこと。また、設備を発注する立場として、受注するメーカーとの議論に負けられない、という発注者の意地も技術士取得の動機のひとつとなったそうである。博士号も取得済みであるが、博士は学術の領域であり、技術士も取得して現場のエンジニアとして活躍したいと思っていたそうである。

これまでの業務実績として、大電力全固体中波送信機(真空管ではなく、半導体を使って大電力を発射する送信機)の設計、短波の大電力全固体送信機の開発(博士論文となったもの)、外来波がある状況での中波アンテナのインピーダンス測定手法の開発などの紹介があった。これらの業務成果を基に、学会発表や特許取得なども行ったとのこと。

独立を目指し、得意分野である電子回路関係だけでなく、守備範囲を広げるべく語学や会計、知財の知識も勉強し、人脈を広げていきたいとのこと。趣味で吹奏楽団に参加したり、サイクリングとジョギングも行っているそうである。

出身地の鳥取に戻って地元で活動したいと思っており、鳥取の状況や課題もリサーチしているそうである。技術士として起業した際には、高周波応用機器の設計・支援、送信通信システムの設計・試験・評価、人材育成、品質・安全性・保全性管理などの分野を手掛けたいと思っている。また、書籍の執筆なども行いたいと考えているとのことであった。


(2)藤田泰正氏(機械)


藤田氏は自動車メーカーを定年前に辞めて独立開業した技術士である。会社に「独立してこんなことをやりたい」と言ったら「どうぞ、どうぞ」となり、円満退社できたそうである。ちなみに、技術士を取ったのは「船が買いたかったから」とのこと。(趣味でボートを操縦して海に出ているそうである。)

技術士協同組合の「発注者のエンジニアリング研究会」の世話役を行っており、その活動の紹介があった。
発注者のエンジニアリング研究会では、次のような活動・議論を行ってきた。
 ・各業界における受発注例の紹介。(参加メンバーが自分の経験を基に発表。)
 ・各業界で各参加者が体験した受発注の成功・失敗例の紹介とそれを基にした議論。
 ・社会的に大きな話題となった失敗例(新国立競技場、豊洲市場、X線天文衛星「ひとみ」など)の研究。
これらの事例研究、議論を通じて、参加者の業務に役立つヒントが得られれば、というのが発注者のエンジニアリング研究会の活動の考え方とのことである。

また藤田氏は、出身大学である青山学院大学において、大学生のための技術士一次試験合格推進活動も行っているとのこと。同大学機械工学科は約100名の学生のうち毎年数10名の合格者を輩出し、在学中合格者数全国1位を誇っている。学生が技術士一次試験合格を目指す一番の決め手は、学部在学中に技術士一次試験に合格すると大学院内部進学における被推薦資格を大幅に得やすくなること。学生向けのセミナーで技術士一次試験受験を推奨する際、既に合格した学生に合格の秘訣を発表してもらうのが、受験指導に最も有効とのことである。


藤田泰正氏ビデオ動画

1.日時:2018年1月6日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:春山周夏氏(機械)、石川三千雄氏(上下水道)
4.出席者(敬称略):石川、春山、渡辺、福崎、平田俊明、平田一成、菊田、佐藤、岸、山添、青木、新井田、福井、小野、川村、大久保、森田、菅野、小林(記)(全19名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)春山周夏氏(機械)


春山周夏さん(機械)
春山氏は今年の4月に独立開業を予定している機械部門の技術士である。2011年に技術士に合格。現在38歳である。
2004年に大学院の機械システム工学科を修了。重電メーカー、鉄鋼会社系列の物流会社を経て、現在は大手電気メーカーに勤務している。
大学院修了後、最初に就職した重電メーカーでは設備の設計から立ち上げまでを経験し、技術者としての基礎を身につけたとのこと。しかし、ある時期にあまりに暇となり不安を感じ転職したそうである。
次の物流会社で、工場の災害復旧の仕事を経験。通常2週間かかるところを「金に糸目は付けないから1週間で終わらせろ。」と言われ完遂した。これは、復旧費用が大幅アップしても工場を早く稼働させた方が、損失が少なくなるからであった。この話を奥さんにしたところ、「会社の奴隷」と言われ、返す言葉がなかったそうである。
現在の会社で3社目であるが、会社員である以上、技術的なスキルとともに社内政治にも長けなければ、使われる立場を抜け出すことはできないと気づいた。そんなとき、昨年の6月頃に「独立・自営のススメ」という本を読み、何とかしなくてはと目覚めたそうである。
独立後はコンサルティング・エンジニア(CE)になるつもり。これまでの経験から、生産性向上のために「Industry4.0:AI、IoTの活用」が必要と感じている。そのためにはシステム系技術者として、AI技術者が必要なのはもちろん、さらに、機械系、電気系、制御系技術者とAI技術者との橋渡しができる技術者が必要。自分がその立場になることを目指すとのことである。
起業理念は「不良品と不正を現場から撲滅する」こと。不良品が出なければ不正も無くなるという思いとのことである。


春山周夏氏ビデオ動画

(2)石川三千雄氏(上下水道)


石川三千雄さん(上下水道)
石川氏は上下水道部門の技術士で、1992年に独立自営を開始。昭和13年1月生まれであるが、現在も現役で働いている。昭和44年に技術士試験に合格、昭和61年に登録した。
大学の工学部衛生工学科(上下水道専攻)を卒業後、上下水道のプラント会社に就職。入社6ヶ月でいきなり現場監督を任された。何も分からず現場が止まりかけたが、見かねた棒芯(ぼうしん:現場職人の親方)が全て仕切ってくれて工期に間に合った。この時、自分ができなくても回りに助けてもらえば仕事はできることを学んだとのこと。
昭和45年に父親が経営する日本電業に跡継ぎとして入社。ブームに乗って売上を5倍以上に延ばすも、ブームが去って元に戻ることを経験。業績の良い時は「俺の手柄」とみんな言う。業績が悪くなった時は自分のせいじゃないと言い出すことが良くわかった。
昭和60年に携帯電話開発に乗り出すも失敗。会社は取引のあった富士通の子会社となった。
その後、平成4年7月に54歳で独立自営を開始。「石川技術士事務所」と「石川電子経営研究所」を同時に開業。この時、技術士協同組合の先輩に独立自営の準備を教えてもらった。特に森田理事長、青葉理事、堀武氏(故人)のアドバイスは大きかったとのこと。
独立してすぐ、下水道技術者として企業とのコンサル契約。平成4年から平成22年までこの仕事が続いた。
顧問先の会社や商工会議所の仕事でも「2代目への継承」(子供の扱い)で苦労している場面によく出会う。自分が親から会社を継いだ経験がかわれて顧問契約が続いているケースもある。多くは父親(創業者)がいつまでも経営者の座を離さない。自分の経験では、身内ではなく、銀行や取引先などの外部から引退を促した方がうまくいく。
また、誰にでも老親の介護は必ずやってくる。自分の親であるから覚悟を決めて、とのこと。それから健康維持は大切で、そのために学生時代にやっていた柔道をしたそうである。
石川三千雄氏配布資料


石川三千雄氏ビデオ動画

1.日時:12月2日(土)
2.場所:北トピア808室
3.講師:松田晃一氏(生物)、渡部利範氏(電気電子)
4.出席者(敬称略):松田、渡部、春山、外館、渡辺、福原、矢崎、福崎、前嶋、早乙女、新井、辰田、川村、久井、大久保、森田、菅野、小林(記)(全18名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)松田晃一氏(生物)


松田氏は大学の農学部を卒業後、ビール会社に就職。30年勤めたあと早期退職し、会社を作って独立した生物工学部門の技術士である。
会社員時代はビール工場の設備を担当したほか、パッケージングの研究などに携わった。独立は、40歳を過ぎたあたりから考えていたそうである。
今や多くの製造業が海外に工場を移しているが、飲料業界は、鮮度の問題等で海外製造が難しく、国内に工場が残っているとのこと。また、飲料業界の現状として、ビール等のアルコール飲料はワインなどの一部を除き消費が減っているが、それ以外の飲料は人口減にもかかわらず国内消費が伸びているとのことであった。
飲料業界の特徴として、中小のミネラルウォーターの会社でも価格メリットが大きいためペットボトルを内製化することが多いとのこと。ただし、微生物管理等のノウハウが十分でないため、そのあたりの技術指導等の仕事があるとのことであった。
会社員30年の経歴のうち、ビールの仕事が27年、飲料の仕事が3年であるが、現在の仕事には、飲料3年間の人脈などが役立っているとのこと。これは、ビール会社に比べ飲料会社の方が圧倒的に多く裾野が広いことと、飲料会社でペットボトル等のユーザーとして仕事をした経験から、ペットボトルメーカー等との人脈も仕事に活きるからだそうである。
現在、本を執筆中。日刊工業新聞社の「おもしろサイエンス」シリーズ。飲料容器の製造技術を中心にしたもので、来年3〜4月頃刊行予定とのことである。

松田晃一氏ビデオ動画


(2)渡部利範氏(電気電子)

渡部氏は独立して10年になる電気電子部門の技術士である。
会社員時代は、複写機メーカーに勤めており、安全設計に関する仕事をしていた。自身が中心となっていたプロジェクトが一段落した58歳の時に早期退職をし、独立開業した。
かつて、父親が炭鉱の仕事をしており、社会の移り変わりで会社の存続が危うくなるのを目の当たりにした。それで、会社に依存しない自分の力で生活できるすべを身につけようと決心し、いつか独立しようと会社員時代から準備していた。
現在の仕事は、知人の会社の顧問(温度ヒューズ等の設計に関すること)、セミナーの講師、経済産業省の表彰制度の審査員の3つ。いずれもこれまでの縁で仕事をすることになったそうである。
独立に際して日々考えていたのは、「起業の思いを明確にする」こと、「信頼を大切にする」こと、「経験に裏付けされたプロの技を身につける」こととのこと。自身は、電気製品の安全性が専門であり、「ローテクを進化させる」というスローガンで独立した。
仕事には「縁と引き」が大切で、人脈(良き人との出会い)とお誘いが必要とのこと。また、一番難しいのは、経験・知恵・知識をビジネスに仕上げる部分とのことである。
また、コンサルタントは「売り込み」をしてもダメで、相手から頼まれるようになる必要があるとのこと。きちんとして仕事をしていれば、周りの人は必ず見ていてくれるとのことであった。

渡部利範氏ビデオ動画

1.日時:11月6日(土)
2.場所:北トピア808室
3.講師:平田俊明氏(情報工学)、高橋義徳氏(衛生工学)
4.出席者(敬称略):佐藤、吉原、春山、井上義、新井田、大島、石川、外館、川中、早瀬、高橋、平田俊、加藤、大久保、森田、菅野(記)(全16名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)平田俊明氏(情報工学)

平田氏は大手電機会社を2年ほど前に早期退職し、独立系のソフトウエア会社に勤務している。
大手電機会社では主に研究所で組込み系ソフトウエアの研究開発を行ってきた。
最初は、通信制御ソフトウエアの研究開発を行い、既存端末接続プロトコル変換方式の開発や通信処理サーバーの高速・多回線制御方式などを経験した。
時代の流れとともに、ネットワーク・システム管理ソフトウエアの研究開発に移り、Webブラウザを用いたネットワーク管理システムを始めとした、今でこそ当たり前になった技術であるが、当時は最も新しいネットワーク管理ソフトの研究開発であった。
その後はストレージシステムのビジネス推進や、製品の評価の仕事に携わった。これは技術開発ではなく、海外ビジネスをどう展開するかといった管理的な業務を経験し、日本と海外の開発の違いや契約の取組み姿勢等を学んだ。
その後現在の独立系のソフト会社に転勤し、画像所認識,機械学習等の新技術先行開発や教育研修などを行っている。
これまで、大学の非常勤講師や電子通信学会など社外の学会での活動も行ってきた。
今後AIやIOT関連の研究会を組合の中で立ち上げる予定である

平田俊明氏ビデオ動画


(1)高橋義徳氏(衛生工学)

高橋氏は2005年に勤務していた大手空調工事会社を定年退職し、独立自営した衛生工学部門の技術士である。
50歳ころから独立を考えていたが、サラリーマンは勤めている会社のバックボーンがあるから信用があり、大きな仕事ができることを認識して、定年後に小規模で独立することとした。独立までの多くの資格を取得し、社内ベンチャー的に自分で仕事を作って独立自営の準備をしてきた。
独立後は、元いた会社とバッティングしないこと、在職中のノウハウを生かすことを方針とした。
また、事業構想を作成して、どういうことを具体的にやりたいか、どれくらいの売上を目標とするかを明確にしてみた。
そうすると、自分自身の気構えが変わってきて、たいへんよかった。
建設業に関わる各種の資格を取得していたので、建物の調査、労働安全アドバイザー,不動産オーナーと業者の間に立つコンサル的仕事を中心の業務をしてきた。
独立するにあたり、仕事を断らないこと、自分でできない仕事を頼まれたら、できる人を紹介すること、が重要とのことである。
仕事以外では、地元の青少年育成やおやじの会、ネパールでの学校建設支援等の活動を行っている。手弁当の活動であるが、やれることをやればよいので長続きをするとのことである。閉めることに苦労しているNPO等では参考になる話である。

高橋義徳氏ビデオ動画


1.日時:10月7日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:平田一成氏(金属)、新井田有慶氏(金属)
4.出席者(敬称略):佐藤、吉原、井上学、渡辺、矢崎、春山、福崎、井上義、前嶋、山添、青木、新井田、福井、大島、平田一、片山、平田俊、大久保、森田、菅野、小林(記)(全21名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)平田一成氏(金属)

平田氏は、大学院の機械工学専攻を修了後、1992年に大手金属会社に入社。配属された部門が別会社となり、現在はそこに勤務している。技術士二次試験(金属部門)に合格しているが、技術士登録はしていない。専門は精密鍛造によるベベルギアの製造である。

会社では技術管理全般を経験。入社1年目は中央研究所に配属されてセラミックコアの製造技術の開発をした。その後、海外顧客への製品量産納入に関する技術等に従事。また、既存技術の応用と協力工場の立ち上げを行い、三次元形状をもつカムの量産にはじめて成功した。管理職になって、製造現場の管理、生産工程管理、工場の管理全般を経験している。

独立に向けて、自身の技術者としての立ち位置は、上流、下流に知見の広い部品屋であると捉え、これまで経験してきた技術の他、安全管理や環境管理、また、一般向けに技術を分かりやすく解説することなどができるであろうと考えているとのこと。

独立後の仕事として、部品開発製造のコンサルティング、安全衛生コンサルティング、環境のコンサルティングのほか、製品技術のPR支援や技術教育支援なども考えているそうである。そして、よろず技術相談屋として活躍できればとのことである。
一方、部品屋としてのコンサルタント需要や部品製造会社に需要があるのか、現在の仕事をどうするかといったあたりに懸念点があるそうである。


平田氏ビデオ動画


(1)新井田有慶(金属)

新井田氏は現在70歳。55歳まで大手の鉄鋼会社に勤務し、その後10年木型・金型会社に在籍した。65歳からは中小機構で、ものづくり研究開発支援専門員を3年間勤め、現在は独立している技術士である。

経済産業省が行っている「サポイン事業」(裾野産業の技術向上につながる研究開発や販路拡大を支援する国の補助事業)について紹介があり、中小企業の技術開発資金として有効である旨の説明があった。

また、自身の体験を基に、コンサルティングにとって、量産材の品質に対する考え方、苦情対応の考え方の説明があった。苦情対応では、初動の対応、問題の範囲を確定させてユーザーに伝えること、製造部門と一体で解決させることが重要とのことである。また、品質問題の発生原因のひとつとして、ヒューマンエラーについて、その原因とその対応について説明があった。

ツールの活用として、「ものづくりデータベース」の作成が紹介された。データベースソフト(Access)を利用したデータベースを作成すると、企業分析などの際にも利便性があるとのことである。


新井田氏ビデオ動画

1.日時:9月2日(土)
2.場所:北トピア802A室
3.講師:綾部 浩氏(建設)、榊 勲氏(原子力)
4.出席者(敬称略):佐藤、綾部、榊、渡辺、矢崎、春山、神山、久井、高橋義、高橋雄、佐貫、新井田、筒井、阿部、大久保、森田、菅野、小林(記)(全18名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)綾部 浩氏(建設)

綾部氏は、大手ゼネコンに30年弱勤務した後、今年の7月に独立開業した建設部門の技術士である。一級建築士の資格も持ち、専門はコンクリート。会社ではコンクリートに関する施工、指導の業務を中心に行ってきた。
技術士は2011年3月に合格。直後に東日本大震災があり、その現実の前では技術士の資格など何の役にも立たないと感じた。が、少しして、自分のできることをやるべきではないかと考え直し、技術士登録をしたそうである。

会社員時代は、一貫してコンクリートの専門家として活躍。コンクリート技術情報の社内への発信、建築外勤社員へのコンクリートに関する教育のほか、社内の指針・手引き書の改訂などに携わった。また、社内では鉄筋コンクリート工事に対する意識が低かったため、意識改革にも取り組んだとのこと。

本年7月に独立し、今後の業務内容として、1.技術支援、2.情報の発信・書籍発行、3.専門工事業者教育と技術士資格取得教育の3つを柱としたいとのこと。現時点では業務委託を受けている案件がある他、「魅せるコンクリート」をテーマに新たなコンクリートの実験を準備中。また、スポーツに技術を応用する提案をしてみたいとのことで、プロ野球への提案の例の紹介があった。

綾部氏ビデオ動画

(1)榊 勲氏(原子力)

榊氏は大学卒業後、1982年に原子力の専門会社に入社。会社の合併に伴い大手電気メーカーに転籍し、原子力発電に関する研究、設計に従事した。技術士は2010年に取得。今年の3月に退職し、現在開業準備中である。
会社では、高速増殖炉のプラント動特性解析に従事の後、1988年から原子力発電所のシビアアクシデントの解析や、アクシデントマネジメント策の抽出などの業務に従事。このシビアアクシデントの研究は、海外ではスリーマイル島やチェルノブイリでの原発事故を受けて重要視されていたが、日本では、事故の可能性は極めて低いとされ、あまり評価されなかったとのことである。

1997年から数年間、炉心デブリとコンクリートの相互作用に関する研究を行っていた。2011年の福島の原発事故を受け、2011年からはデブリの冷却に関する研究に従事した。また、コンクリートの床にデブリが落ちても大丈夫なように耐熱材の研究・実験も行った。その成果が再稼働される原子炉に使われているとのことである。

本当は55歳までに独立したかったが、福島の原発事故で遅れてしまい、今年の3月に58歳で退職した。これまでは研究開発プロジェクトマネージメントの仕事がメインで、ソフトウエアを使ったシミュレーションなどの仕事がほとんどだった。これらの技術をいかした仕事をしたいが、経営的な視点も持てるようにするため、中小企業診断士の勉強をしているとのことである。

榊氏ビデオ動画

1.日時:8月5日(土)
2.場所:北トピア802A室
3.講師:八文字孝博氏(上下水道・応用理学)、藤川博巳氏(情報工学)
4.出席者(敬称略):佐藤、八文字、藤川、辰田、平田、大島、渡辺、小沼、矢崎、綾部、大久保、森田、菅野(記)(全14名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)八文字孝博氏(上下水道・応用理学)


八文字氏は自己紹介、元勤務先の水資源関連コンサル会社の紹介に続いて、地球の歴史、地形地質について、日本の地質、東京の地質、地下水と帯水層、降水量などの水資源に関する説明があった。
東京では地下30〜100メートル程度までは飲料に適する水が確保できるが、それ以上の深層地下水は不適である。
日本の水資源は豊富といわれているが、一人当たりの降水量は世界平均の1/5で水を大事に使わねばならないとのことである。
その後、国内4か所での業務経験や、海外4会社の業務経験を披露した。海外ではJICA調査団などでネパール、ドミニカ、ザンビア、象牙海岸(アフリカ)などで地下水開発調査を行った。
今後の提言として、水行政の一元化、森林・ダム等の利用効率向上等を訴えた。

八文字氏ビデオ動画

(1)藤川博巳氏(情報工学)


藤川氏は大手情報処理会社、コンサル会社を経て50過ぎで外資系コンサル会社へ転職し、数回の転職を繰り返し、昨年からジェイキュウエムテクノロジスト社の代表取締役を務めている。
独立後3年ほどはよかったが、大病(入院数か月)を繰り返す毎に顧客を失い、失業者として一から始めなければならなかった。
独立自営では健康が第1であるのを実感している。
新会社では人材派遣業務をベースに、AI/IOT/ROBOT分野でのマッチングサービスを進めておりこのサイトの紹介があった。
技術士や行政書士などの支援会員と、大手電機メーカや自動車会社などの依頼会員をマッチングするAIRネクストポータルを用意しており、参加者に対して支援会員としての登録依頼があった。

藤川氏ビデオ動画

1.日時:7月1日(土)
2.場所:北トピア803室
3.講師:阿部 修一氏(電気電子)、岸 敦夫氏(機械)
4.出席者(敬称略):佐藤、加藤、吉原、阿部、岸、大薗、春山、青木、斉藤、福原、平田、新井田、大島、渡辺、若月、大久保、森田、菅野、小林(記)(全19名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)阿部修一氏(電気電子)


阿部氏は大学卒業後、プラント等の計装会社に勤務する企業内技術士である。
計装とは、工場やプラントの制御のための技術で、これまで、計装に関する設計、開発、試験、保守トラブル対応等の仕事に従事してきた。現在は会社の顧客先である医薬品会社の工場に一人で常駐し、監視・制御システム、計装システムのトラブル対応などを担当している。
工場建設時、計装工事は10ヶ月以上かかることもあり、工場の建物竣工から稼働開始までの期間が長くなる原因のひとつとなるそうである。その対策として、無線を用いたワイヤレス計装システムを2013年に実現。当時、世界初のシステムで、工期を5ヶ月程度短縮したそうである。その経験を基とした、ワイヤレス計装システムのメリットと課題についての説明があった。
技術士としての強みは、監視・制御システム、計装システムのトラブル対応を一人でやっていることから、保守に強い点とのこと。
今後のコンサルティングメニューとして、自分の強みを活かして、監視・制御システムの改善を考えている。現在は不具合発生によるアラームが出た際、システム設計者やプログラマしか原因が分からない。これをこれまでのノウハウを活かして一目で分かるようにしたいとの説明があった。
そして、将来は、技術士として国民経済発展のため、自由に活躍したいとの抱負が述べられた。

阿部氏ビデオ動画

(2)岸 敦夫氏(機械)


岸氏は大学の機械工学科を卒業後、大手電気メーカーに就職。定年まで勤めた後、技術士として独立開業した。会社での経歴は、設計・開発が86%、品証10%、生産技術4%だったそうである。
会社員時代の業務では、カーエアコン用コンプレッサの設計を23年間担当。この分野ではトップレベルに達したとのこと。その後、会社がカーエアコンから撤退したため、別会社出向を含め、自動車関連の色々な仕事を担当したそうである。
定年後、産学官連携業務で技術士として独立。東京都中小企業振興公社のビジネスナビゲータ、JST(科学技術振興機構)の科学技術コーディネータ、JAEA(日本原子力研究開発機構)のリエゾンなどの業務を行った。産学官連携の仕事は活動の方程式が無く、自分流で仕事が出来るため、人脈作りやネットワーク作りに好適。独立自営が軌道に乗るまでの生活費・交通費源にもなるため、定年後に独立する際の業務にお勧めとのことであった。
産・学・官を繋ぐのは技術士は適任とのことで、JSTの人材募集の例の紹介があった。
独立後、いろいろ動いていると、仕事が点から線になって活動の中で繋がりが出来てくる。今の仕事のネットワークも会社を辞めてから出来たものとのことであった。

岸氏ビデオ動画

1.日時:6月3日(土)
2.場所:北トピア802B室
3.講師:加藤 秀昭氏(機械)、鐘ケ江正巳(電気電子)氏
4.出席者(敬称略):佐藤、加藤、吉原、阿部、鐘ヶ江、渡部、高堂、川村、福原、平田、木村、米森、新井田、大島、中谷、大久保、森田、菅野、小林(記)(全19名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)加藤秀昭氏(機械)


加藤氏は今年の3月に独立したばかりの機械部門の技術士である。大学を卒業後、プラスチック部品の射出成形加工会社に入社。主に製品開発に従事していた。
入社後、液晶用バックライトに関する開発、量産事業を担当した。その後、DNA解析デバイスなども担当したが、40歳くらいからは、管理仕事が多くなった。
会社での最近の業務では、液晶テレビのLED用照明レンズ事業の立ち上げを行った。
独立して、これまでは「会社のフィルター」を通して技術を見ていることに気づいた。今は、技術を自分の目で見直しているところとのことである。
今の課題は、自分の何に顧客がお金を支払ってくれるのかが分からないこと。自分の商品価値は何かを模索中とのことである。
今後、自分をどのように世に知らせるかを考え、新しい市場、拡大する業界・市場で仕事をしていきたい。ただし、まだまだ試行錯誤中で毎月考えも変わるだろうとのことであった。

加藤氏ビデオ動画

(2)鐘ケ江正巳氏(電気電子)


鐘ケ江氏は独立して20年余りになる電気電子部門の技術士である。大手電気メーカーに勤務していた頃から技術士協同組合に参加し、先輩の助言を得て半導体の勉強会を作り仲間を募った。その勉強会の人脈が独立の際に大変役だったそうである。
現在は「ヘルスセンシング」という会社を経営している。薄膜センサーを椅子やベッドに敷くことで呼吸や脈拍を測り、そこから脳の活動がわかるというものを開発している。
サラリーマンと違い、労働対価という考え方はしない。成果が出て、はじめて収入になる。したがって、お金に困っている状態では新規事業はできない。
技術士も、営業活動をしている間はお金にならない。しばらく営業した結果、コンサルタント契約等を結んで収入になる、という一連の流れを事業と捉える必要があるとのことである。
また、コンサルタント時代の失敗例の紹介があった。大手電機会社の研究所の仕事で派閥争いに巻き込まれたり、コンサルタント先メーカーのキーパーソンが辞めてしまった原因にされた経験があるとのこと。また、特許裁判で相手に情報を漏らしたという疑いをかけられたこともあるそうである。独立自営でコンサルタントをするためには、中立性が大切ということが身に染みたとのことであった。

鐘ケ江氏ビデオ動画

1.日時:5月20日(土)
2.場所:北トピア804室
参加者:10名、組合メンバー8名

10名の参加者に8名の先輩・委員が対応して、朝早くから夜の飲み会までお付き合いをした。
参加者が事前に提出した独立プランをベースに議論が進められ、シビルや専門分野別のグループ討議で、若くして独立した先輩の具体的な経験などが、参加者には非常に新鮮だったようだ。
このようなイベントに参加して、これから新しい人間関係を作って、ひとはたらきしてやろうと考えた参加者諸君に、敬意を表したい。
色んな勉強会があるので、ぜひ顔を出してみてください。

1.日時:5月6日(土)
2.場所:北トピア808室
3.講師:野口芳樹氏(機械)、小沼明氏(情報工学)
4.出席者(敬称略):野口、青木、佐藤、加藤、吉原、阿部、小沼、渡部、富田、舘泉、八文字、石川、平田、大薗、新井田、大久保、森田、菅野、小林(記)(全20名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)野口芳樹氏(機械)

野口氏は発電プラントを専門とする機械部門の技術士である。1973年に大学院を修了後、大手電機会社で発電プラントの仕事を手掛けていた。2013年に退社し、2014年に独立開業した。
開業当初、JICAの仕事でウズベキスタン共和国にて海外技術協力の仕事を行ったとのことで、ウズベキスタンの紹介があった。
ウズベキスタンでは日本メーカー製のガスコンバインドサイクル発電プラントが稼働しており、その運転・保守の教育がJICAの技術協力プロジェクトとして公募された。その仕事のうち、詳細計画策定調査業務を担当したとのこと。プロジェクト全体の成り立ちと、契約方法事例について説明があった。
独立開業してからの仕事は、会社時代からの継続ではなく会社を辞めてから紹介された仕事が本命。ウズベキスタンの仕事も、仕事の紹介を受け数週間後には現地で仕事がはじまる、という急展開の仕事だったとのこと。そして、その仕事をきっかけとして、関連の仕事に広がったそうである。
独立開業後の仕事のやり方は、
1.自宅で仕事をし、現地へ出張する。
2.同時に複数の顧客案件に対応。
3.公共性と利益相反の適正化。
を基本としているそうである。利益相反の問題は、ウズベキスタンの仕事でも国内外のメーカーが持つノウハウと相反しないよう気を付け、ある範囲以上は仕事を受けないようにしたとのことであった。
そして、技術士の仕事を続けていくには、
1.体力・知力の鎌の刃を研ぐ
2.最新の技術情報と知見の更新
3.経済産業政策の審議のフォロー
が必要とのことであった。


(2)小沼明氏(情報工学)

小沼氏は情報工学の技術士で、1998年に大学院を修了後、通信会社系列の大手ソフトウエア会社に就職。2002年から2年間、青年海外協力隊としてフィリピンの大学で教鞭を執った後、2004年に大手メーカーに就職。その後2006年に元のソフトウエア会社に戻り、2016年に独立、創業した。
ビジネスの計画には、20年後になりたい姿、つまりゴール像を想像するのが大切。その途中段階として、10年後になりたい姿も想像しているとのことである。
起業して一緒に経営をやっていく仲間とは「給与(所得)は何で決まるか」という価値観を共有したいとのこと。ちなみに給与(所得)は「目の前を通過させるお金の量と、そこから自身が取っても良い割合」で決まると考えているとのことである。
創業後、一年間の事業の状況について説明があり、ビジネスの質の確保という点では合格、経営リソース(社員)の確保という点が課題となったそうである。また、会社を興して、はじめて分かった経理・税務上のTipsの紹介があった。
今後の会社の活動として、零細では手が出せない社会的な課題に対し、大手の業務委託として貢献したいとのことで、例として、高齢化、少子化から派生する問題にICTはどう貢献できるか、という「日本の課題」への解決方法の模索について説明があった。
また、各技術士の方との連携も模索しているとのことで、ビジネス直結の連携だけでなく、情報交流をしていく中で、お互いに技術や仕事の紹介や協業などもしていければと考えているとのことであった。

1.日時:4月1日(土)
2.場所:北トピア802A室
3.講師:篠崎由依氏(建設部門)、中村博昭氏(化学)
4.出席者(敬称略):篠崎、中村、青木、佐藤、加藤、吉原、阿部、小沼、大野、鶴巻、土屋、伊藤、新井田、多田、大久保、森田、菅野、小林(記)(全18名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)篠崎由依氏(建設)



篠崎氏は2015年に若くして独立した建設部門の技術士である。大学の学部時代は文系で、発展途上国の開発政策を学んでいたが、大学院はシステム情報工学研究科に進学。2012年に修了し、開発コンサルタント会社へ入社。河川海岸構造物の設計に従事していた。
独立したいと思ったのは、仕事を単に作業としてこなすだけでなく、技術的、社会的な側面をとことん掘り下げたいと、いつも思っていたため。会社では作業に追われそれができず、また求められもしなかった。そして過労で倒れたのをきっかけに、会社を辞めた。
独立して、2年弱が経った。会社員時代に比べて、仕事量は1/3、収入は平均すれば9割。ただし、収入の変動は大きい。仕事内容は、コンサルタント的なものも目指しつつ、まだ年齢的に若いということもあり、あえて外注業務もやっている。
直近の仕事として、東日本大震災で壊れた海岸堤防を「CSG」という通常はダムに用いられる工法を使って復旧させるという業務の紹介があった。
失敗談の紹介があった。ひとつは「値切りに応じすぎて自滅」。技術士として正当な報酬をもらう代わりに、技術士にふさわしい提案等をするという義務も果たすという覚悟が大切とのこと。値切るお客さんは値段の安さでしか仕事を評価してくれないと感じたそうである。
もう一つは「報酬の未払い」。踏み倒されないためには、事前に相手のことを調べ、業務内容・報酬は事前に決めることが大切。そして、直接会って、相手の仕事場もみれば、ちゃんとした会社かどうか分かるとのこと。
最後に、篠崎氏のお父様は篠崎氏が高校三年の時に独立自営の土木技術者になったそうである。そのときは家庭は大変だったが、信念をもって頑張るお父さんには家族も応援する、というエピソードの紹介で締めくくった。


(2)中村博昭氏(化学)



中村氏は独立開業して12年になる化学部門の技術士である。現在、日本技術士会の「海外活動支援委員会」の委員長をしている。
フィルムメーカーに60歳まで勤め、退職を機に独立した。会社では主に生産技術を担当。退職前にはコンプライアンスの仕事をした。そのため、独立した際にはコンプライアンス関係の仕事が続いた。本来やりたいことは技術分野の仕事で、国内でも仕事があった。海外の仕事は今なお手探りだそうである。
技術士会の海外業務の紹介があった。中国の案件は、技術士会では希望する技術士にパーソナルデータベースに登録してもらい、登録している会員に対し、中国側からの「要望メール」をその内容に近い人に転送する。内容に興味があれば、中国側の招聘で現地に行き、マッチングを行う。ということを行っているとのことである。
中国などで難しいのはコミュニケーション。通訳さんは技術のことが分からないので、会話に時間がかかる。英語ができる技術士でも、中国やベトナムなどでは英語は通じないそうである。
その他、技術士会と台湾・経済部との協定書取り交わしの話題、中国・塩城市との覚書取り交わしの話題、韓国での事例、ベトナム・ダナン市の事例などが紹介された。
海外での注意点として、大連に行く際、現地で居眠り運転による事故に遭ったエピソードが紹介された。また、海外は健康に自身のある人でないと大変とのこと。中国で開かれた各国の技術者が集まる大会で、オーストリアの方が倒れてお亡くなりになるという事例に遭遇したことがあるとのことであった。

1.日時:3月4日(土)
2.場所:北トピア802A室
3.講師:大輪 安信氏(森林)、久井有一氏(機械)
4.出席者(敬称略):青木、井上、大薗、佐藤、外館、加藤、吉原、綾部、阿部、中谷、上野、岸、小沼、八文字、久井、大輪、大久保、森田、菅野、小林(記)(全20名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)大輪 安信氏(森林)



大輪安信さん(森林)
大輪氏は2015年に独立開業した、森林部門の技術士である。技術士の他、測量士や森林に関する資格も取得している。
大学の農学部林学科を卒業後、林業の協会に就職。入社後は、空中写真を立体判読し資源量等の可視化を行う仕事に従事した。
その技術を基に、毎年度ごとに全国各地の森林や植物に関して空中写真を活用して調査を行う仕事を行っていた。事務所での写真判読だけでなく、全国の調査対象地へも赴き、現地調査も行ったそうである。小笠原などの遠隔地で現地調査を行うこともあったとのこと。
さらに、日本国内だけでなく、ベトナムの森林資源調査など、海外の仕事も経験しているとのことである。
これらの仕事を経験した後、2015年に独立。現在は、元在籍した協会の仕事がメインだが、他の会社などの仕事も手掛けたいとのことであった。
また、日本の森林、林業の状況と課題の説明があった。日本の森林は、人工林が高齢林化し、資源の循環がなく、使える木材が少なくなっているとのこと。付加価値が付かないと木材は高く売れず利益が出ない。供給側の生産性を向上させるため、機械化の推進、道路網の整備、所有界の明確化などを行い、儲かる林業への転換が必要とのことであった。


(2)久井有一氏(機械)



久井有一さん(機械)
久井氏はポンプなどの設計を専門とする、企業内技術士である。北海道出身で、東京の大学の機械工学科を卒業後、プラント会社に就職。プラント設備設計を3年間行っていた。
その後、プレスの会社でセールスエンジニアを経験しつつ、工法の開発や自動機械の設計などを担当。北海道に帰るべく現在の会社に転職し、北海道でポンプ機場のシステム設計やポンプ単体の設計、プロセスポンプの設計などを担当したそうである。
技術士として「コンサルタントエンジニア(CE)とは何か」を考察した内容について解説があり、CEとは、「独立技術士として技術コンサルタント」「クライアント企業への価値の提供」「クライアント企業との契約で報酬をもらう」「退職は自身で決める」立場であるとのことであった。
それを基に、「CEの事業領域について」「価値の提供」「マーケティング」についての説明があり、それらを踏まえて、CEになるためには「知る能力」「見つける能力」「解決する能力」が大切。そして更なる発展のためには「技術研究テーマを持つこと」や「技術士による連携活動」が必要とのことである。


森田裕之です、君の独立前のお勉強は立派なものです、PEとCEについて考えていたけど、私の経験では、同じ問題解決をするにあたって、PEは自分で解決する、CEは顧客が解決できるような指導をするという違いじゃないかと思います。

弁理士・技術士の尾崎君の話では、顧客の特許出願を代理人として受けるのが弁理士で、顧客が自分で出願できるように指導するのが技術士だと言っています。
彼は最初は弁理士やっていたけど、だんだん技術士になり、今では全部技術士の顧客だそうです。

追加情報です、PEは時間割りや日割りで対価を請求します、CEは月割りの顧問料が常識です。

1.日時:2月4日(土)
2.場所:北トピア802A室
3.講師:西角井 造氏 (経営工学)、井上学氏(機械)
4.出席者(敬称略):西角井、野口、青木、中野田、井上、渡辺国、大薗、佐藤、山寺、山田、外館、富田、土屋、加藤、大久保、森田、菅野、小林(記)(全18名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)西角井 造氏 (経営工学)

西角井 造さん(経営工学)

西角井氏は大学院修了後、不動産会社に勤務。不動産管理を担当し「サービスマネジメント」で経営工学の技術士資格を取り、2005年8月に独立開業した技術士である。
ビルなどの設備は、建物の施主がメンテナンスを業者に直接依頼するケースが多く、不動産管理会社は各物件の状況をきちんと把握できていなかった。そこで、管理の仕組みを作って、メンテナンスの進捗、品質を管理できるようにした。
ただし、仕組みだけではうまくいかない。というのは、不動産管理はサービス業であり、「プロセス」だけでなく現場の「モチベーション」も結果の良否に大きく影響する。このため、作業マニュアルなども現場で作業をする協力会社と共同で議論し、現場の作業員が自ら作ったものとした。
技術士として独立したのは、不合理なサラリーマン生活が性に合わなかったため。自らの行動規範を自分で持ちたかった。その際、技術士の「公益」という考え方に共鳴した。
独立の際、先輩に言われたのは、「業務を創れ」「時間を売るな」「仕組みを作れ」「金が回ることが大切」「事務所はあった方が良い」ということ。なお、事務所は都心の「千代田区」「中央区」「港区」にあるとクライアントの反応が良いというのが実感とのことである。
また、別の先輩からは、「金・金と言うな」「今必要でない勉強をせよ」「人間的魅力を醸成せよ」「役所の仕事は安いが勉強と思ってしっかりせよ」「次の試合の出場切符をつかめ」と言われたとのことである。
現在、「創造工学研究所」のメンバーとして活動しており、そこで創造工学研究会を毎月開催している。
「自分のウリ」としては、ビルの「ゆりかごから墓場まで」(建設から運営管理、解体まで)を対象にサービスマネージメントができること。また、学生時代に漫画家をやっていた(有名な漫画誌に連載も持っていた)のでイラストが得意で、広報・営業活動に役立っているとのことであった。
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今日は、初めて君の話を聞きました、後輩の役に立ったと思います、有難う。

コメントします、私も70年に技術士を取り、73年に独立するまで、青年技術士懇談会という、独立希望の若い技術士のグループで、喧々諤々やった時期があったので、君の言う本田さんの事務所や、PLの矢部グループの活動には、懐かしさもあり共感するところもあります。
ただ私は、大先輩の和田さんや本田さんには、担いで世話したことはあっても、世話になったことは一切ありません、独立・自営の精神にもとるからです、早く卒業するんだよ、そういうグループ活動から。

今日紹介した、岸田秀さんの一連の本にある、「閉鎖的共同体の病気」は、役所や企業だけに発生するわけじゃなく、あらゆるグループ活動がかかる可能性を秘めており、私の技術士協同組合のグループ活動では、私が参加する限り、企業の延長線上の様なグループ活動は、荒っぽくぶっ壊すことを、私の芸ということにしています。
独立・自営の病は、閉鎖的共同体の病の対極にあるんだと、納得しています。
まともに独立していない人たちを、グループに内蔵している君らの活動には、いささか不信の念を抱かざるを得ません。
出来上がって、OBになったシニアの世話になっているのなら、矢部さんでも本田さんでも、褒章を取ってあげるくらいの、気働きを提案したらどう?森田裕之



(2)井上 学氏(機械)

井上学さん(機械)
井上氏は大学院で数値流体工学を専攻し、大手重工業会社に就職。現在も会社員として勤務中の技術士である。
会社では、入社後開発設計部門で13年余り勤務した後、営業部門、調達部門など経験し、現在は新事業創出の仕事をしている。
開発設計部門では、風洞を担当。自動車用の風洞では「風切り音」が測定できるよう、送風機の音が測定をする環境室に伝わらない工夫などを行った。その他、極超音速風洞(マッハ10程度で飛行している環境を作り出す風洞)やジェットエンジンの試験をする「燃焼風洞装置」などを手掛けた。
調達に移ってからはVE(バリューエンジニアリング)を扱った。古めかしい技術かと思ったが、経営に使える技術だと分かったとのこと。1.VEは経営課題解決の特効薬、2.VEは経営そのもの、3.VEは人間力活用の技術とのことで、技術士のコンサルトにも使えるのではないかと思っているとのことである。
その他のビジネスチャンスとしてエネルギー関連があり、世界のエネルギー使用量(発電量)は増える中、日本は発電量が減り再生可能エネルギーの割合が増える。しかし、エネルギーマネージメントをする人材は少ないので、そのあたりに仕事があるのではないかとのことである。

1.日時:平成29年1月7日(土)
2.場所:北トピア第1和室南室
3.講師:井上義之氏( 衛生工学)、石井利明氏(フェロー)
4.出席者(敬称略):石井、八文字、川村、平田、井上学、鶴巻、森永、外館、井上義、渡辺国、大薗、久井、佐藤、山寺、吉原、土屋、青木、加藤、大久保、森田、菅野、小林(記)(全22名)
5.事例紹介:講師と事例
(1)井上義之氏( 衛生工学)

井上義之さん(衛生工学)
井上氏は大手熱学会社に勤務する衛生工学部門の技術士である。
大学の環境化学工学科を卒業し、1985年に「環境を作る会社」(空調熱学会社)に入社。最初の5年間は国内で空調、クリーンルーム設備の設計、施工を経験。1990年に海外事業部に配属、同年から2016年3月まで26年間、海外駐在をしていた。
シンガポールでは会社の肩書きではなく資格で相手の態度が変わる。日本の技術士(PE)はとても上級なエンジニアと見られる。2002年に技術士を取り、大変メリットがあったとのことである。
その後、中東のドバイやインドネシアで現地法人の立ち上げも経験した。日本では頭打ちとなっている30年前の技術が、インドネシアでは今まさに必要な技術であることがある。そういうところに日本の技術者の活躍のチャンスがあると考えられる。
空調技術の説明があり、捨てられてしまう200度以下の熱を回収して利用する省エネの技術が、今、必要とされているとのこと。また、新興国では「電気、水、廃棄物」が3大テーマであり、その関連の技術者はニーズが高いとのことであった。
海外現地法人経営については、現地での人脈が仕事の成否に極めて重要とのこと。為替や金利リスクもあり、現地でひどい経験をした人の話を聞くのが一番とのことである。
今後の技術士としての活動について、省エネ技術は新興国ではまだまだ活躍の余地があるとのこと。また、埼玉大学の産学連携スキームや、国際研修交流協会のインドネシアからの訪日団との協業など、日本で埋もれてしまう技術を海外でうまくマッチングさせていく活動もしていたいとのことであった。



(2)石井利明氏(フェロー)

石井利明さん(フェロー)
石井氏は技術士協同組合の「セキュリティロボット研究会」にユーザーの立場から参加するなどの活動をしている。大学の文学部を卒業後、自動車メーカーに就職。現在は渡良瀬漁業協同組合の理事をしながら執筆活動をしており、昨年は、副島隆彦氏の「明治を創った幕府の天才たち 蕃書調所の研究」を共同執筆。今回の講演は「明治維新の本当の姿 勝海舟という裏切り者」というテーマ。
1.歴史とは何か
歴史は近代学問(サイエンス)ではない。「論」である。
2.明治維新を考える
世界史との対応で明治維新を見ることが必要。
3.勝海舟を考える
曾祖父は「検校」で金貸しとし大成功した人物。人脈も謎が多い。勝海舟は洋学ネットワークの開国勢力に育てられた。
4.勝海舟を利用した勢力が目指したところ
英国の属国として「グレートゲーム」に貢献できる国柄に変えようとした。
5.日本の悲劇は明治維新から
言っていることとやっていることが違う。それを確信犯としてやった人たちが指導者に。
以上のような流れで、明治維新を新たな切り口で見直す内容であった。

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